「幻のロシア絵本1920-30年代展」とアーカイヴの意義

展覧会チラシ

 ロシアでは1920年代に、20世紀後半の前衛芸術を先取りするような芸術運動が展開された。エイゼンシュテインも演劇や映画でその一翼を担ったわけだが、子供の本の世界を見ると、例えば『森は生きている』で有名な作家マルシャークが、そうしたアヴァンギャルド的運動の中心にいた。レーベデフやツェハノフスキーをはじめとする画家たちと組み、絵と文とが一体となって子供たちの感性を刺激する絵本を送り出したのだ。

 当時、こうしたソビエト絵本に、日本の芸術家たちも注目した。戦後日本に生まれた前衛美術運動として海外にも知られている「具体美術協会」(具体)のリーダーだった画家・吉原治良(よしはら・じろう)もそのひとり。ゴールデンサラダ油で知られる吉原製油の社長でもあった吉原は、具体のパトロンでもあり、充実したコレクションを遺した。そこに、この時代のソビエト絵本も数多く含まれている。これを核にすえた展覧会「幻のロシア絵本1920-30年代展」が、兵庫県の芦屋市立美術博物館で開催される。柳瀬正夢(やなせ・まさむ)、原弘(はら・ひろむ)ら、ほかの画家・コレクターのものも併せ、約250冊が展示される。いまなお刺戟的な作品群の実物を見る、またとないチャンスだ。

 こうした絵本を生み出したロシア・アヴァンギャルドの運動も、1930年代のいわゆるスターリン時代に入ると、「形式主義」だなどと批判されて終息することになる。レーベデフは、日本でもソビエト絵本の挿絵画家としておなじみの画家で、動物や自然の写生を得意とする写実主義の画家だと思われているが、1920年代には構成主義的な絵本を生みだす中心にいた。絵本が重版のため新しい版を起こすたびに、少しずつ絵を変えていたが、例えばマルシャークの『おろかな子ネズミ』の挿絵を、あるとき写実的なものにがらりと変えた。こうしたものも、実物が比較展示されるという。

 また、ツェハノフスキーは、絵本の挿絵から、実際の動きや音を兼ね備えたアニメーションへと活躍の舞台を移した人物だ。「ロシア・アニメ映画祭2000」で『郵便』(1929)をはじめとする戦前の監督作品が上映されたのをご記憶の方もいるだろう。ツェハノフスキーが作曲家ショスタコーヴィチとともに取り組んだ『司祭と下男バルダーの話』(プーシキン原作)は、やはり1930年代の時代の転換のなかで製作中止・破棄の憂き目に遭い、『バザール』の断片だけがかろうじて残された。これらの作品の上映会も3月26日に開催される。

 今回の展覧会の核となる吉原治良コレクションは現在、会場の芦屋市立美術博物館が所蔵している。ところが、阪神・淡路大震災の影響で極端に財政事情の悪化した芦屋市は昨年、同館を民間に売却するか、さもなくば閉館という方針を打ち出した。最近、「構造改革」の名のもとに進んでいる文化切り捨ての動きのなかで、「あの芦屋でさえ……」と行政側が口実として使う悪しき先例になるのではないかと、各地の美術館・博物館の関係者の間でも、このニュースは大きな衝撃をもって受け止められている。最悪の場合、同館が所蔵するコレクションは散逸することになりかねない。そうなれば、芦屋市、ひいては日本の文化・精神史、さらに日露文化交流史を雄弁に物語る文化遺産を、われわれは失うことになる。例えばここで展示されるソビエト絵本は、それ自体高い芸術的価値があるものだが、吉原治良コレクションの一部として、まさにこの芦屋にあることで、かけがえのない価値を獲得しているのだ。今回の展覧会は、こうしたアーカイヴの存在意義を再確認する絶好の機会を提供するものでもある。(井上徹)