あけましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。

昨年7月末にカザフスタンでの仕事を終え、日本に戻ってきました。2年近くを旧首都アルマティ(Almaty)で過ごしたことになります。カザフスタンでは3年前、北に約1200キロ離れたところに首都が移っていますが、アルマティは人口約120万人の国内最大の都市で、商業と文化の中心です。

カザフスタンはアジアのほぼ真ん中、インドからヒマラヤ山脈を越えて北に行き、モンゴルと同じくらいの緯度までのぼったあたりにあります。日本の7倍の国土がありますが、海から離れた(といっても、大陸のなかにあるカスピ海、アラル海に面しています)内陸にあるので、かなりの部分が砂漠に近いステップと呼ばれる草原です。人の住めるところが限られているので、人口は日本のわずか8分の1、東京都よりちょっと多いだけの約1500万人です。ただし、北部はフルシチョフ時代(1960年前後)の処女地開拓事業で農地として開発され、旧ソ連圏のなかでも有数の穀倉地帯となっています。

首都アスタナ中心部:左は首相官房、右は議事堂ちなみに現在の首都は、一時ツェリノグラード(処女地の町)と呼ばれていました。ソ連からカザフスタンが独立し、いったんアクモラというカザフ語の名前になりましたが、現在はカザフ語で首都を意味するアスタナという名称になっています。ちょうどクリスマスの時期に訪れたことがあるのですが、日中でも氷点下15度くらいまで下がり、風が吹きすさんでいました。ほとんどシベリアの一部と言ってもいいような場所なのですが、それでも人びとは街中を歩き、生活していました。

エキバストゥズのセヴェルヌイ採炭場シベリアと言えば、「シベリア」に流刑されたと言われる作家のソルジェニーツィンですが、その流刑期間の多くを過ごしたのは、実はカザフスタンのエキバストゥズでした。ここは露天掘りの炭田としては世界最大とされ、流刑囚の労働力で開発が進んだところです。この地域の工業を支える大規模な石炭火力発電所もあります。初夏に一度、現地を訪れる機会がありました。採炭場の風景は、カザフスタンで見たもののなかで、ひときわ印象に残っています。

冬のアルマティ住んでいた旧首都アルマティは、天山山脈の支脈であるアラタウ山脈の中腹、標高800メートルくらいにある町で、南を向くと夏でも雪を戴く高い山なみが目に入ります。旧市街には道路が東西南北へ碁盤目状に走り、北から南に向かって緩やかな上り坂になっています。夏は暑いけれども、空気が乾いていて日本の夏よりはるかに快適です。冬は氷点下前後の日が続きますが、部屋の中が暖かいので、寒さはあまり気になりません。ロシア人が比較的多いこともあり、普段の生活はもっぱらロシア語ですが、以前よりもカザフ語を耳にする機会が増えたような気がします。

日本との時差は、冬時間で3時間、夏時間だと2時間しかありません。遠い国のような気がするのは、直行便がないこともあるでしょう。近い将来、日本との関係が劇的に拡大する可能性は低いのですが、着実に発展を遂げていくことを期待するとともに、自分も何がしかの貢献ができれば、などと思っております。

日本に帰ってきてから「カザフってどんなところ」と聞かれることが多かったので、カザフの話がいささか長くなりました。

東京では、気楽な自由業生活に戻りました。カザフスタンへ行く前に関わっていた「ロシア・アニメ映画祭2000」が11月に実現の運びとなり、そのスタッフとして字幕翻訳、パンフレット執筆、ゲストのアテンド等それなりに忙しくしていました。12月にはウズベキスタンの映画監督ズリフィカル・ムサーコフらのグループが新作の撮影のために来日することになり、その手伝いもさせていただきました。日本側スタッフと、ウズベク側スタッフの文化的ギャップを埋めつつ進める作業はしんどい部分もありましたが、刺戟的な日日でもありました。

なお、ここ数年の小生の仕事についてご興味がありましたら、「仕事」の頁をご覧ください。

今年も引き続き、旧ソ連を中心とするユーラシア地域、そして映画を軸として仕事をしてゆく所存です。何かありましたら、いつでもお声をかけていただければ幸いです。

最後になって恐縮ですが、新世紀が皆様にとって実り多きものでありますよう祈っております。

2001年正月

井上 徹


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