[はじめに]

 エジプトで考古学の発掘をすることが大きな夢となった。 大学受験に失敗し,人生の目標を確定できずにいた自分にとって,TVに映しだされたエジプトでの調査・研究の様子は,初めて出会った人生の目標となり,大学浪人という今思えばささやかな挫折の中に身を置く自分にさしたはるか遠くからの希望の光であった。メディアに映し出される彼の地の風景は, 何とも形容し難い「憧憬」となり,私を大いに後押ししてくれる存在であった。大学入学後,念願叶い初めて訪れたエジプト,カイロ国際空港に着陸した時に,私を包む空気はなぜか懐かしいものであった。この感覚は,私にとり不思議なものであるのと同時に「ここ」を目指していたことに必然を感じさせるには十分な出来事でもあった。
 カイロから南に600q余,当時はまだ電話は電話局でファックスは大きなホテルで,というようにまだまだ利便性などとは縁遠い都市であったルクソールのそのまた川向うで研究活動を始めたのは1995年のこと,クルナ村ワセダハウスに居を構えて日々調査・研究に没頭することとなった。「陸の孤島」という言葉は大げさに聞こえるかもしれないが,日本でぬくぬくと生活していた若者にとってはセンセーショナルな空間であったことに間違いはないし,その衝撃を考えれば,この場所にこれほど長く,そして深く関係するなどとは予想できないことであった。
 ところで,ワセダハウスには一つの墓所が設けられている。故川村喜一早稲田大学教授の墓所である。川村先生は私が早稲田に入学する遥か昔に亡くなった直接会ったことはない考古学における恩師の恩師であり,日本のエジプト学を創始した人物である。今も恩師の部屋には川村先生の遺影が飾られている。その笑顔はこの地での研究を目指して入れ替わり訪れるわれわれ若者をいつも温かく見守ってくれ,光を照らしてくれるように思う。
 2004年頃,博士論文作成にあたり暗中模索,日々もがいていた時に出会った故大塚和夫東京外国語大学教授は,何の関係もなかった私を温かく受け入れてくださり自身のゼミなどに快く参加させてくださった。調査地でお会いした際にはお忙しいにもかかわらず食事に誘ってくださり,調査におけるさまざま適切なアドバイスしてくださった。まだまだたくさんお伺いしたいことがあったし,少しでも恩返しを直接したかった。早すぎた別れが残念でならない。
 早稲田隊がルクソールで研究している調査地の一つに王家の谷・西谷のアメンヘテプV世王墓がある。エジプトで仕事を始めて以来,私はこの墓の担当として足かけ15年以上にもおよび調査活動に携わらせていただいている。ところで,発掘調査や保存修復活動は外国人研究者と現地スタッフ・労働者の共同作業によって遂行される。そのためこの地での調査活動は当該地域の人々と多くの時間を共にすることをも意味することになる。 作業中は仕事に没頭するも,合間の休憩時間には彼らとさまざまな話を語り合う。そのような中,当初は単なる世間話であった彼らの日々の営みや生活文化の蓄積は,文化研究を生業とする私にとって新奇で興味深い事象であることに気づかされ,いつしかそれらは私の中心的な研究対象となり,結果博士論文の執筆が始まったのである。古代の王に取り持っていただいた出会いかとさえ感じるところである。
 考古学から人類学へ。調査を行う場所は変わらずとも緩やかにその関わり方が変化していく中で,自身が成し遂げようとしていることや,本当に知りたいと思っていることがその姿を現してくれたように思える。今考えれば,それはなにかに導かれているような,後押しされているような不思議な道程であった。大学に入学してから19年の月日が経ち,直接には会ったことのない人々も含めて多くの存在に支えられてきた。日々のひとつひとつの出会いに恵まれ,結果としてここまで歩いて来られた。すべて出会いとは偶然の産物なのかもしれないが,自身が歩んできた途次を考えると,それらはすべて必然としてこの道を照らしてきてくれたようにも思える。まだまだ道の途中であるが,今まで出会ったすべての存在に感謝しながらこの論考を自身の生のひとつの証としたい。
 2011年7月1日           瀬戸邦弘




[目次]

序章 はじめに
[1]ナッブートとは
[2]問題の所在
[3]先行研究検討
 

第1章 調査地の社会と聖者信仰
[1]調査地の概要・調査対象
  @エジプト・アラブ共和国
  A上エジプト地方―地域社会とそのアイデンティティ
  B観光空間としての調査地
[2]ルクソール西岸における聖者信仰
  @聖者
  A語り(ナラティブ)としての奇蹟
[3]聖者生誕祭(マウリド)
  @A廟の聖者および聖者生誕祭
  AA氏の聖者生誕祭のいわれ
  BA氏の聖者生誕祭の主催者
  C聖者生誕祭の準備
  D聖者生誕祭の構成要素

 
第2章 ナッブートの文化
[1]祝祭(マウリド)で実修されるナッブート
[2]A廟の聖者生誕祭におけるナッブート
  @ナッブート競技会の運営について
  A競技について
  B競技所作
[3]身体文化の見地から見るナッブート
  @攻撃箇所
  A攻撃・防御の型・技について
  Bナッブートの握り方・構え
  C攻撃と防御の基準
  D流派・スタイルについて
[4]女性の参加
[5]ナッブートの実施状況
  @2006年A氏の聖者生誕祭におけるナッブートの実施状況
  A上エジプト地方の聖者生誕祭におけるナッブート比較例(1)
  B上エジプト地方の聖者生誕祭におけるナッブート比較例(2)
[6]子供のナッブート教育
[7]練習会
[8]ナッブートの入手方法―ナッブートの種類―
[9]文化変容したナッブート―下エジプトのナッブート―
[10]非日常の世界としてのナッブート
[11]ナッブート離れ―暴力性とのその現状―
  @生活スタイルの変化―西岸の人々の多くがナッブートを行わない理由―
  A若者達の意見
  Bナッブートの持つ暴力性

 
第3章 ナッブートの持つ機能
[1]ナッブートの文化的機能
  ○イーミックな技の伝承のあり方
[2]ナッブートの社会的機能
  @コミュニティ間のネットワーク強化
  A内在化されながら周辺的存在としてあり続けるナッブート
  B地域アイデンティティの中心としての聖者
  C非日常の空間を利用したナッブートの正当化システムの構築と
   ナッブートを中心とした広範なアイデンティティの創出
[3]聖者生誕祭を支える要素としてのナッブート
  @祝祭前後の集団
  A周辺地域の有力者との親交の場
[4]観光化変容ルールの提案と国際スポーツ化への道
  @ポイント制の導入
  A試合時間の導入
  Bトーナメント制の導入
  C審判制の導入
  D競技会場の明確化
  E諸ルールの導入
  F順位確定と表彰の導入

 
第4章 文化文脈の中でのナッブート
[1]実修者の言説―ナッブートの語られる,位置する文化文脈―
  @村々におけるナッブートの捉え方の違い
  A言い伝えにみるナッブートの社会的な地位
  B紳士的な振る舞いの前提の存在
  C状況に応じて緩やかに変更される予定
  D人間関係の中でのナッブート

 
第5章 結論
[1]伝統的スポーツ,国際スポーツとしてのナッブート
  @伝統的スポーツとしての文脈
  A近代・国際的スポーツとしての文脈
  B近代・国際スポーツの文脈から捉えられる伝統的スポーツナッブート
[2]二重のアイデンティティと上エジプト人化の構築システム
                     


明和出版の書籍一覧
スポーツ人類学ドクター論文集
棒術ナッブートの民族誌
―エジプト・アラブ共和国クルナ村の事例から―

著 者  瀬戸邦弘(鳥取大学准教授
発行日  2011年9月10日
ISBN  978-4-901933-30-8
体 裁  A5判
ページ数  160ページ
価 格  定価 2,090円(税込)

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