[はじめに]

 2010年ワールドカップサッカーがアフリカで初めて開催され、世界の耳目が南アフリカに注がれている。わが日本チームは前評判とは裏腹に1次リーグ突破の大活躍で、国民に歓喜と希望を与え、国中が興奮のるつぼと化した。残念ながら8強に残ることはできなかったものの、アウェーでの日本チーム一丸となった闘志あふれるプレーは、一致協力・団結と自己の使命の一生懸命な遂行、すなわちチーム全体(勝利)を生かしなおかつ己を生かす、自律の精神が昇華された姿の具現化されたものであろう。
 日本チームの活躍の裏には、わが国のスポーツ科学の進展と、そこで得られた成果をスポーツの場に還元する機能があることを忘れてはならない。日々の体力強化だけでなく、今回の大会中にも各チームの戦いをつぶさに解析し、その情報をいち早く日本チームに伝えたことが、監督・コーチの緻密な作戦に役立ったと聞く。現在のスポーツ科学は解剖学、運動生理学バイオメカニックス、心理学、栄養学、行動学、医学等々多くの科学的分野を含む総合科学である。その中でも運動生理学は、人間の生命の営みから、パフォーマンスを高めるエネルギーの出力の大きさの研究、それをいかに合目的的に高め巧みに使うかのトレーニング方法、さらに、それを可能にする神経や筋肉の構造的・機能的メカニズム追究等々、スポーツ科学の根幹をなすものである。
 1991年カナダのG.Guyattは「Evidence based medicine」と題した一文を科学雑誌に掲載し、これからの医療・保健がただ経験や勘だけに頼るのではなく、努めて科学的根拠に基づくものでなければならないことを強調した。この思想は、ただ医療・保健の分野だけにとどまらず、スポーツのトレーニングの場でも強く求められている。そして現在はその高邁な理想に応え得るまでにスポーツ科学が進歩しつつある。今やスポーツ科学は、科学技術の進歩に伴って遺伝子レベルの研究へと着々と進化しつつある。その善悪はともかくとして、現在の“産み育てる”時代から“産ませ育てる”時代が将来来るかもしれない。
 しかし、科学は万能ではない。多くの科学的研究がそうであるように、スポーツ科学もまた、この世の中の複雑に構成された事象のメカニズムを追究するために、できる限りそれに関与する変数を減らした(単純化)、すなわち、閉鎖的システムを作りだし、そこから得られた結果に基づくものである。そこで得られた結果が、例えばスポーツの試合のような開放的システムの中で直接応用できるとは限らない。さらに、科学研究の多くは個性を無視した統計的処理がなされる。そのため、研究で得られたデータが必ずしもすべての人に適用できるとは限らない。
 そこで、研究者とスポーツ現場を結び付ける仲介者、すなわち、スポーツの現場を体験し経験と勘が駆使でき、なおかつ研究から得られた理論に習熟した指導者が求められる。その卵が、正に現在スポーツ・体育を専攻している学部生・院生である。
 本書が、スポーツ・体育の指導者を目指す学部生・院生にとって、科学的根拠が加味された質の高い指導者養成に役立ち、さらには、卓越した指導方法の創造に結び付く基礎となることを期待している。
          
                      編者代表 山地啓司



[目次]

第1章 人類の誕生と環境への適応
 1 人類の誕生と進化
 2 ヒトと環境との関わり
 3 環境への適応能
 4 人体の構造と大きさの評価

第2章 体力と運動
 1 運動の定義
 2 体力
 3 運動の意義と効用

第3章 神経の構造と機能
 1 神経系の構成要素とその基本的機能
 2 中枢神経系
 3 末梢神経系
 4 感覚情報の受容と処理
 5 運動の実行と調節
 6 脳波で見る脳活動
 7 運動学習

第4章 筋の構造と機能
 1 筋の種類と構造1
 2 筋収縮のメカニズム
 3 筋線維の種類と収縮特性
 4 筋の収縮様式と筋力
 5 運動単位と動員
 6 筋パワーとスポーツ
 7 筋疲労と筋損傷

第5章 運動とエネルギー
 1 筋収縮とエネルギー産生
 2 生命維持・身体活動のためのエネルギー量
 3 運動のためのエネルギー量
 4 酸素借とパフォーマンスとの関係
 5 酸素摂取能力とパフオーマンスとの関係

第6章 エネルギーを決める要素
 1 酸素負債能を決める要素
 2 酸素摂取能を決める要素

第7章 エネルギーと身体の源
 1 同化作用と異化作用
 2 身体をつくるための栄養
 3 運動のエネルギー源
 4 体調を整える栄養
 5 回復を促進する栄養
 6 運動パフォーマンスを高める栄養

第8章 運動と神経内分泌
第9章 運動と免疫
第10章 運動処方とトレーニング
 1 トレーニングの原理
 2 トレーニングの原則とパフォーマンス
 3 トレーニングの原則
 4 トレーニング開始前の体力測定と運動強度の指標
 5 トレーニング方法
 6 トレーニング機器
 7 健康のためのトレーニング
 8 運動中止および身体不使用の生理反応

第11章 コンディショニングと睡眠 
 1 ウオーミングアップの効果
 2 クーリングダウンの効果
 3 ストレッチング
 4 睡眠

第12章 運動と環境
 1 低圧/低酸素および高圧/高酸素環境下での生理応答
 2 高所でのスポーツとトレーニング
 3 温度環境とトレーニング

第13章 こころとからだ

                     


明和出版の書籍一覧
スポーツ・運動生理学概説
編著者  山地啓司・大築立志・田中宏暁 編著
発行日  2011年3月1日
ISBN  978-4-901933-24-7
体 裁  B5判
ページ数  288ページ
価 格  定価 3,080円(税込)

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