創語者、色川 大吉氏の「自分史」概念

最近は「自分史」という言葉を口にしても聞き返されることが少なくなりました。かなり広く受け入れられている言葉です。自分史は伝記や自叙伝それに回想録といった言葉と比べるとはるかに新しく、出自がはっきりした言葉です。造語したのは日本近代史学者の色川 大吉氏です。

1975年に 「ある昭和史 ー自分史の試み」 という著作に用いられたのをもって嚆矢とします。 色川氏の提唱された自分史という概念はこの国で広く反響を呼び、それまでは自伝を残す程のこともない普通の人生を過ごしてきたと考えていた多くの人々が積極的に自分の来し方を記録されるようになりました。 

色川 大吉氏の自分史概念
色川氏の歴史学者としての輝かしい業績は、たとえば「五日市憲法草案」の発見、秩父、多摩、水俣などの民衆運動史、「北村 透谷」、「昭和史世相編」など多岐に亘っています。 

1945年の敗戦という出来事は、生年が1925年で近代日本民衆史を専攻された氏にとってとても重い意味をもち、それと正面から向き合う必要を痛感されて著されたのが「ある昭和史 ー自分史の試み」です。 (現在、1978年発行の講談社文庫版が古本ネットなどから入手可能です。) しかし表題になさったもののその著作には自分史という(色川氏のことばでは)創語の説明は書いてありません。

後年、「”元祖”が語る自分史のすべて」(草の根出版会 2000年) の ”はじめに”には、氏が40歳代末に達してから自分の20歳までの歩みを点検しようとして造語にいたった理由を次のように説明されています。
   

それでは、なぜ、そのとき「個人史」といわないで、「自分史」といったのか。巨きな歴史のなかに埋没しかかっていた個としての自分をはっきり、歴史の前面に押しだし、じぶんをひとつの軸にすえて同時代の歴史をも書いてみたかったからです。その一念が「自分」史という強い語感に託されました。
(p3−4)


どんな言葉でも年月を経るほどに、また普及した言葉ほど新たな意味が付け加わったりして元来の意味からは拡大し変容します。「自分史」という言葉も例外ではなく、色川氏は明らかに自ら自分の歩みを書くことを想定しておいでです。

しかし創語以来30年の現在では多数の出版社などが営業項目に加えたこともあって、自分史を作るとはあたかも晩年になってからの人生一回限りの自費出版事業となっているかのように見受けられます。「自費出版コーナー」を設けている書店の数も増え、ライターの世話をして一冊にまとめ上げてくれるというビジネスも現れています。

盛況ですが現状を見るとあまりにもったいないのではないか。「もったいない」とは、せっかくの自分史なのに「自分の言葉」からどんどん遠く離れていってしまう。紙数の制限から捨て去る材料があまりに多くなる。つまり極めて不十分な自分史にしかならないサービスが大多数ではないかとの印象を禁じ得ません。

インタビューから始めて情報をディジタル化すればもっと多彩な自分史が取り戻せるのではないかという想いが、私がこのサービスを思い立ったきっかけのひとつとなりました。