No.2

ちなみに、先回、書くのを忘れたが、大蟻食のヴァイオリンの目標はパガニーニの「カプリス」全二十四曲通し演奏である。できればオリジナル・ボウイングでやりたいものだ。これはこの間、某ヴァイオリンBBSで中国系のメンバーが威張っていたのに触発されたためである。餓鬼みたいなことえばるんじゃねえ、と一瞬思ったが、何せこの人、セミプロながら全曲ぶっ通し無編集無修正無効果、もちろんオリジナル・ボウイングで録音するとか言ってるので、えばるだけのことはあるのだ。

大抵の人は、頑張ってクライスラーが弾けるようになりたいとか、バッハのシャコンヌが弾けるようになりたいとか、もう少し音楽性の勝った目標を掲げる。だが、毎日四時間練習すると心が驕り高ぶっちゃってねえ。で、パガニーニ。ちょっと無理めでええでしょ。カール・フレッシュの「バイオリン技法」じゃ、何て良心に欠けたエチュードなんだ、とか非難されてるけど、技術点のみってとこに、私の荒んだ心に訴えるものがあるんですね。良心がないってのはいいですよ、ほんと。

ちなみに、どうもパガニーニはギターも達者だったらしく、そっちの曲もかなりあるらしい。目下楽譜を探しているが、見つかっていない。カプリスのギター向け編曲版はあったが、何とエレキギター用であった。惹句を見たら「パガニーニはヴァイオリンのジミー・ヘンドリクスだ!」とか書いてあった(それではじめて、いわゆる「ジミ・ヘン」がどんな人だったのか判った私も情けない)。しかし、エレキギターの連中ってほんとにパガニーニで腕を磨くのかね。

で、さて、今回のお話はヴァイオリンの値段である。

実は、ヴァイオリンに手を出そうかと思ったのは一度や二度ではない。学生時代も、会社勤めをしていた時にも、楽器屋へ行って価格を尋ねたことは何度かある。ただし、性懲りもないと言って呆れていただいて結構だが、店員との会話の中身は常に一緒である。

「あのお、つかぬことをお伺いしますが、一番安いヴァイオリンって幾らくらいするものなのでしょうか」
こちらの頭の先から足の先までチェックを入れる店員。「初めての方ですか」
「ええ、そうです」
「あのね(いきなりため口になる)、安いって言えばそりゃ三万くらいからあるわけ。でもさ、やっぱ十万は出してもらわないと、楽器とは言えないわけよ。まじにやるってならやっぱ三〇万か四〇万だね」
「はあ」
「それから弓ね。楽器とおんなじ位の値段の弓ってのは常識よ」

つまり、七、八十万である。加えて、その程度の金も準備できないなら来るなと言わんばかりの態度。大抵、この態度の不愉快さに腹を立て(赤の他人にため口をきかれるのも不愉快なものだが、徹底して慇懃無礼という店もあった)、さらにその馬鹿高さに呆れて、やっぱだめだなこりゃ、ということにあいなる。

まあ、楽器屋の店員ってのは、詳しくかつ人あたりもいい人というのも偶にはいるけど、大抵は不愉快な輩である。一度、銀座の某楽器屋で楽譜を漁っていた時のことだ。むこうのヴァイオリン売り場でバッハか何かを実に綺麗に弾く音が聞こえてきた。思わず誰が弾いているのか覗いて確認したくらいである。ところがその途端に、店員が丁重な口調で遮って曰く、「お客様の場合でしたら、まだ御自分の音ができていませんから、それほどいい楽器はいらないでしょう」。普通、何を売っててもこんな無礼を言う店員はいない。何故、ヴァイオリン屋だけはこういう傍若無人を許されるのであろう。大体彼らは何故、客をじろりと見て品定めする――それも、あなたは品定めされてますからね、と言わんばかりの態度で品定めするのであろう。渋谷の駅の側にあるヴァイオリン屋の初老の店員なんか、私が何か聞いてもろくすっぽ答えようともしない。変だと思っていたが、ある日、謎は氷解した――襟なしスーツを着て裏声で喋ってない限り客としては扱わないという意志表明だったのだ。確かに東急線沿線の野暮臭いプチブルってのは馬鹿な金の使い方する連中だから、触れ込みはすごいが何だか訳のわからん弓にだって何十万でも出すだろうけどさ。

私が腹を立てているのは、売ってやっていると言わんばかりの態度もさることながら、そのせいでヴァイオリンを始めるのが二十年遅れた、という事実である。学生のうちに始めていたらな、というのは、四十近くなって始めた者の切実な実感だ。それで果たして今頃、鼻歌まじりにカプリスの五番弾いて、人には「じゃあさ、オリジナル・ボウイングで弾ける?」とか聞く奴になっていたかどうかは定かではないが。

ほぼ二年近くサイレント・ヴァイオリンを弾いてきて、ここへ来てようやく木の楽器を買おうという立場から言わせていただきたい――思い立った瞬間には、五万円どころか一万八千円の楽器でも十分である。音がよくないとか、飽きるとか言うことが問題になるのはずっと先、最低でも一年、どうかすると二年か三年先のことだ。始めるだけならその程度のジャンクで全然構わないのである。何十万もするジャンク(ちょっと楽器屋で眺めていただきたい――平然とそういう値札をぶら下げた屑のいかに多いことか)を買うよりはずっといい。そして、最初にまずいじり方を覚えなければ、どれがジャンクでどれが拾い物か判るなんてことは絶対にない。

ちなみに中国製か何かのお得な楽器購入を考えておられる方、もの自体のチェックは丹念にするように。人件費が安いので価格もぐっと安いが、雑な仕上げのものもまた多い。と言っても、素人にチェックできるのは、板はちゃんと接合されているか、とか、 f字孔は左右対称になっているか(これがずれているために、どうしてもまともな位置に駒を立てられない代物を掴んじゃった、という話が某所にあった)とか、ニスに塗りむらはないか、とか程度である。あと、考慮すべきは板の乾燥の案配であろう。よく乾かない板で作った、というのが時々あり、段々に狂ってきたり、非道い場合は表板が剥げたりするらしい。某BBSで傲岸不遜なレイシストの白豚野郎が嘯いていたところによれば(さすがに大顰蹙を買っていたが)、中国製の乾きの悪いヴァイオリンは魚臭く、よく乾いたヴァイオリンは薫製魚臭いそうである。偏見に充ち満ちた言い回しを差し引けば、確かにそういうものだろうという気はする。

ちなみに、あえて情報の出所は秘すが、ヤマハの例の、精度百万分の五ミリグァルネリ・デル・ジェズのコピーというやつ、十万円のモデルが一番お買い得なのは中国で組み立てているからだという噂である。かの地の職人はただ単に張り合わせるだけでは飽き足らず、ちょっとずつ削ったりして調整しながら組み立てているらしい。結果的に、半手工品となっている、というのがその人の主張であった。御参考まで。

この項は売る側の方も目にすることを考えて、あえて挑発的な書き方をさせていただいた。どこかの会議室で、御主人が「五万円くらいなら買ってもいいよ」と言ってくれたので勇んで楽器屋に行ったものの、私と同じようなことを言われて諦めて帰ってきた主婦の話を見たからである。銘器ばかり商っているうちにその辺の感覚が麻痺しているのかも知れないが、あんな小さいものにいきなり何十万も払う民間人はいない。ちょっといじってみたいという程度のモティベーションでは、最初は五万円、出して十万円という方がまともな感覚である。

楽器屋の苦境について察せられるところ、というのは次回、内外価格差に関する項に譲るが、理解できないこともない。が、ここはひとつ大胆な発想の転換を期待したい。五万円のヴァイオリンを買った奴の何割が一年か二年を越えて続けるのかは確かに判らない。しかし、必ず何割かは続けて、楽器に不満を持ち始めるはずだ。その時買うのは、まず確実に六、七十万クラスであろう。いきなり三十万の楽器を購入する一握りを相手にするより、五万クラスの楽器を広くばらまいてヴァイオリン中毒を蔓延させ、しかる後に、ね、欲しいでしょ、三十万じゃなくて七十万の楽器の方が欲しいでしょ、とやる方が、商売としては利口ではないだろうか。とりあえず日本全国に五万円の楽器を十万丁ばらまくことを考えることだ。そうなれば七十万クラスも二、三万丁は捌ける。ちょっと考えていただければ判るが、ブランド物のど高いハンドバッグと価格的にはあんまり変わらないのだ。使用価値を考えたら安い感じさえする。買わない訳がない。加えて、それだけのヴァイオリンがばらまかれた日には、ヴァイオリン教師・調整職人その他の需要も大幅に増える。いいことづくめである。

おヴァイオリン商売はよしにしなよ、もう。


2000.9.8 大蟻食