No.39

続きです。

Subject: 驚きました!
Date: Wed, 5 Apr 2000 01:39:37 +0900

昨夜、佐藤さんへのメールにも書いたファンタジーについての企画の下調べをしようと思って、新潮社のサイトにアクセスしたのですが、いやあ、驚きました。そこにはファンタジーのFの字もなく、その代わり、「第1回ホラー・サスペンス大賞」というど派手な文字が……。
まさか、新潮社がホラーに手を出すとは予想していませんでした。それも、幻冬舎と交代で1年おきに主催する、という、何だかよくわからん賞です。それにしても、妙なデジャヴを感じたので、手元のメモ帳を繰ってみたところ――ありました。新潮社主催「日本推理サスペンス大賞」というやつが。日付は6年前になっています。この賞が、その後どうなっているのかは、調べていないのでわかりません。
推理サスペンスとホラーサスペンス――ちょっと考え込んでしまいますね。ホラーとは本来的にキワモノ、ゲテモノだと思います。これは事実としてそうなのだし、それで正解なのです。怪獣映画を芸術作品にしようとは誰も考えないように、文学としてのホラーなどというものは、考えてはいけないし、考えても無意味です。正しいホラーの売り方とは、角川ホラー文庫や月森も書いているA-ノベルズのように、安価な文庫や新書で流通させることです。間違っても、立派な装丁のハードカバーで出したりしてはいけません。
新潮社には、そこいらへんのことがわかっているのでしょうか。それにしては、審査員のお言葉が、どことなく見当違いだったような気がするのですが。大体、今頃になって、ホラーに手を出すのは、ちょっと遅きに失しているんですけれどね。また、ファンタジーの二の舞にならなきゃいいけど、と思います。現在はともかく、日本ファンタジーノベル大賞が創立された頃というのは、いわゆるファンタジーブームのさなかでした。主に、ヤングアダルトの読者向けに量産されたRPGノリの〈ファンタジー〉に対抗して、新潮社は多少グレードの高い、文学としてのファンタジーをめざしていたのではないか、と考えられる節があります。ところが、志に反して、その企画は失敗に終わった、と。このあたりをとっかかりにして、書き始められたらと思っています。といっても、本業をおろそかにはできませんから、かなり先の話になりそうです。
で、新潮社のサイトで何を調べるつもりだったかといえば、第1回から今までの受賞作一覧がほしかったのです。結局、それはyahooで見つけた東大の学生だという人のやっているサイトで調べがつきました。この人もファンタジーについて、いろいろと意見を述べているのですが、私の目から見ると、かなり的外れな面も多いようです。今度、メールを送ってみようかと思っています。それでは、また。
                    
月森聖巳


ファンタジーノベル大賞に関しては、幾分、そういうところがあります。新潮社はジャンル小説としてのファンタジーの賞を作ったつもりだったのに、選考委員に少々文学的すぎる人々を(私が受賞した当時は高橋源一郎が入ってたんですぜ)据えすぎたために、意に反して、売れ線を狙うには文学的すぎる連中に賞をやる羽目になったんではないか、と。私には有り難い話だった訳ですが。現在、新潮社から本を出し続けている佳作受賞者を含めた受賞作家は、全体の傾向の中で比較すれば、そういう意味での文学性の薄い(善し悪しの問題ではなく、既成のジャンルに綺麗に収まって満足しているタイプかどうか、ですね)作家ばかりです。彼らの将来については、私はそれほど心配していません。気の毒なのは井村氏とか池上氏(彼は私よりずっと早く新潮社と縁を切りました。『バガージマヌパヌス』が文春文庫から出ているのはそのためです)とかでしょう。受賞こそしていませんが、もしかすると最もファンタジーノベル大賞的な才能だったかもしれない高野史緒は、候補作『ムジカ・マキーナ』こそ新潮社から出ましたが、その後担当編集者が移動すると後任さえ付けて貰えなかった筈です。酒見賢一氏は例外ですが、彼の場合は、兎も角最初に部数を稼いだこと、早期に小説新潮に連載を始めて、これが人気があるため切れないこと(あそこに載っている、唯一読むにたる小説ではなかろうか)と、中国歴史小説というジャンルに入れれば入らないこともないという作品の傾向とで、どうにか続いているのでしょう。不満がないとは思いませんけど。

純文学も含めて、何かしらのジャンル小説を書くのが、日本では一番楽なことです。でもそんなんばっかりだから、日本語文学はいつまでたってもマイナーリーグなんだとも思います。

Date: Wed, 5 Apr 2000 09:13:03 -0400 (EDT)
From: Noko Kataoka
Subject: お久しぶりで

すっかり御無沙汰しております。
再びホームページが改装されたことにやっと気がつきまして、「文句」のページが元気に再開されていることに感動しました。

今思うと、文句のぺージを全部英訳しようというのは無謀な試みでしたでしょうか。
ドラフトは全部とってあるので必要であれば寄付いたしますが?

ところで久しぶりに文句を書きます。最近朝日新聞の系列のサイトで投稿の一部を勝手に伏せ字にされてびっくりしました。当然抗議したんですけど、勝手に伏せ字にしたことに対しては謝罪がきましたが、伏せ字のまま掲載を続けたいということでした。じょーだんじゃないので削除してもらいましたが、いやはや驚きました。編集部からのコメントにですね、表現の問題については、まだこの特殊なメディア(ウェブサイト)における編集スタンスの合意がない云々、ルールも許容度もこれから変わるかもし云々とあったんですが、だからとりあえず伏せ字にしちゃう、という感覚、私には理解できないんです。伏せ字にするくらいなら最初から掲載するな!ところで伏せ字にされたのは「ちんちん」という言葉です。その語を使用した主旨は理解できるが、主旨以前に単語に対して不快感を感じる読者がいるかもしれないから伏せ字にしたそうです。「ちんちん」という単語に不快を感じる奇特な方々を仮想被害者にして真摯な発言者の口を塞ぐとはあんまりな話しだ。


片岡直子


英文ページ、こんどこそやりましょう。

しっかし「ちんちん」は駄目ですか。可愛い言い方だと思うんですけど。天下の朝日はインターネットでもお上品なのね。私は以前エッセイで「にこちゃん」という単語を代りに使ったことがありますが(女性の方は「こまったちゃん」ですね)、あんまり普及しなかったです。惜しいな。イタリア語には「小鳥ちゃん」「お魚ちゃん」などなどの、ちっともマッチョじゃない可愛い隠語がいっぱいあるようです。そんなんで、あのマフィオーゾな旦那どもが、よく骨抜きにならないね。それともみんなマルチェロなのかしらん。

もっとも「でぶ」は駄目だったクラッシーとか、「うちは禿とかもだめです」「何で」「下品だから」と言うアンアンとか、女性誌も結構縛りはきついっすぜ。

From: "omega7"
Subject: 生まれて始めて書くファンレターです(汗)
Date: Thu, 6 Apr 2000 04:10:46 +0900


 御初に御目にかかります。オメガ7と申すものです(29歳 独身)。

 先日、漸く固定電話を入手いたしまして、インターネット世界を通り一編巡って参りました(地獄巡りとも言う)。 そんなサーフィングの日々にもひと心地ついたところで、「次は何処行ってみようか?」と考えた時、随分前に読んだ中村正三郎氏の本の中で「佐藤亜紀先生は、インターネットを嗜まれる」とのような事が載っていたのをふと思い出しまして、検索エンジンをぶん回してこのHPにたどり着いた次第であります。

 先生の作品との出会いは、「戦争の法」を5年程まえに偶然手に取り、題名と裏表紙のあらすじを見ただけで購入したのが最初です。それと言うのも、私は軍事関係の読み物全般の収集を趣味としておりまして、実はその頃流行していた架空戦記物かと思って購入したのです(申し訳無い)。そんな訳で、うちに帰ってから軽い気持ちで読み始め……。気がつくと夜が明けていました(笑)。 なまじ油断していた所為もあって、読後の衝撃はとてつもなく大きかった事を記憶しています。IF戦記としての視点から見ても殆ど破綻の無い展開(IF戦記には多い)と深い薀蓄(ヴェルダン戦なんて普通の人は知らんと思う)などには確固とした世界観を感じましたし、もちろん愛憎渦巻く人間ドラマの部分も大いに堪能させていただきました。 おかげで今では多少はクラッシックを聞くようになったり、いつか新潟をバイクで旅行したいと地図を眺めたりしながら、今でも時々思い出すように読ませて頂いています。

 その所為で所蔵の文庫版はかなり草臥れておりまして、ぼちぼち買い直そうかと思っていた所なだけに今回の絶版の報には大変驚いています。ましてや、新潮社の対応に措いてや、怒りを超えて虚しくなってきますな。 この際ですから、どこか太っ腹な出版社が「バルタザールの遍歴」と「鏡の影」の3冊セットにしてハードカバーで再出版してくれないかと祈ってしまいます(東の空に)。 
 そんなこんなで、つらつらと駄文を連ねてしまいましたが、各方面からの圧力に屈することなく(笑)、創作活動に励んでいただきたいと願いつつ、筆を置かせて頂きます。

 PS.メッテルニヒ伝、期待して待ちます(何年でも)。

オメガ7 こと 高橋誠一


メッテルニヒの伝記の方、どうにか中公で引き継ぎ成功いたしました。もう少し掛かりますのでお待ち下さい(最初から書き直すので再来年くらいでしょうか)。本当はその後で『ペニンシュラ戦争全史』(ナポレオンのイベリア半島戦役ですね、あの、毎日南京状態っていう)をやろうかと思ってたのですが、これはまじで、自費出版企画になりそう。

ところでこの「オメガ7」って、まさかあの『オメガ7』じゃないでしょうね、小林源文の。実は結構好き。この間も友人から『キャットシット1』のパーキーのフィギュア貰って大喜び。でも違ってたらご免ね。

Date: Thu, 06 Apr 2000 05:12:32 +0900
From: Sachi Sugurono
Subject: リンクさせて下さい。

大蟻食さま
こんにちは、はじめまして。
さきほどサイトを拝見し、かなりショックを受けています。『バルタザールの遍歴』をはじめて読んだ時の衝撃はいまだ忘れられず、月並みですが、こんな作品は他にない、と思い友人に勧めまくっておりました。

あんなやり口で作家さんに圧力をかける出版社がいるなんて、とただ驚きます。
ファンとしては絶版になるのは悲しいのですが、一連の事情を拝見し、最後、ピシャリと決別を告げられた場面ではわずかながらすっきりしてしまいました。

ぜひぜひ、自作も頑張って下さい。
ファンは辛抱強く待っています。

ところで私は以前、自分の管理しているサイトで『バルタザールの遍歴』を紹介させていただきました。気になってはいるがまだ買っていない、という人々に駆け込み購入の必要性を訴えるため、トップページから短期間(二週間ほど)リンクをはらせていただけないでしょうか。宜しくお願いいたします。

 
     A    . / . . *
     H      // + . 。
   A  H .  ☆  .  + 
   H MM HA       
   AH^HH^HH  『秘書を繙く楽しみは』
HH_HH_HH  http://www.sugurono.com/
  AAxHHHHxAxH   by 末黒野佐智
HHHH/^\HHHHA  
  _HHHH___HHHHH_


署名の方、テキストファイルに落としたらずれちゃったんで、何とか修復を試みました。ちゃんとなってますでしょうか。

今後ともよろしく。

Subject: はじめまして
Date: Thu, 6 Apr 2000 18:13:57 +0900
From: tucasa

佐藤亜紀さま

はじめまして。復活おめでとうございます。文句ではなく、思いっきりファンレターになってしまいますが。

『バルタザールの遍歴』以来ずっと追いかけてきて、こちらのサイトも開設当初からよく拝見していたのですが、ずっと更新されていないようだし、ご本も入手しづらくなっていたので、心配していました。そんなことがあっただなんて。新潮社の態度は一読者としても許しがたいものがありますが、ともあれ佐藤さんの復活をお祝いしたいと思います。

『1809』の文庫化、おめでとうございます。解説マニアとしては、どなたが解説を書かれたかも非常に楽しみです。夏が待ち遠しい。

メッテルニヒに再び着手されたのも喜ばしい限りです。早稲田の図書館でよろしければ、お好きなだけ使い倒してやってください(不良OB)。講義ももっと早く知っていれば絶対行ったのに、悔しいです。

ところで、オンデマンドセルフパブリッシングってご存知ですか?版権の問題などについては私も未確認のままなのですが、今後の戦略立案のお役に立てればと思いまして。

http://www.bookpark.ne.jp/
http://www.fujixerox.co.jp/release/2000/0301_ryu.html

「他のどこにも応募先のなかった」作品を読みたがっている人は今でも一定の割合でいると思います。新潮社がその後のフォローを怠っていたようですし、他社もどれほどきちんとマーケティングしているのかはわかりませんが。個人サイトを渡り歩いていると、実にいろいろな、しかも深い趣味の人がいて、大手出版社がそういったわがままとも言える読者のニーズをどこまでつかんでいるか、疑わしいものです。少なくとも私は佐藤さんの小説をもっと読みたい。

ミステリの分野では書き手も読者も少なくて絶滅寸前と思われていた本格ものが、綾辻行人氏らの登場で息を吹き返して従来のファンのみならず新しいファン層をも獲得している例もあります。その背景には地道にニーズを掘り起こした編集者の姿があったと言われています。これぞ編集者の本道と思うのですが。

そんなこんなで、マーケティング、出版、販売に至るまでwebをはじめ活用できるものはすべて活用してコストダウンを計り、読者のニーズにベストマッチングで応える、新しいパブリッシャー集団の台頭を熱望する次第です。

佐藤さんもいっそのこと、どこぞの出版社で上に頭を押さえつけられている編集さんたちと共闘して、業界に風穴を開けるくらいの勢いで行かれてはいかがでしょうか。

なにやらまとまりのない文章になってしまいました。すみません。

今後もますますのご活躍をお祈り申し上げます。
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村上 工


そうですねえ、私が大学のミステリークラブにいた頃って、国産ミステリーは絶滅寸前の状態でしたからねえ。今の隆盛ぶりがほとんど信じられないくらい。

頑張ってみるだけのことはあるかもしれません。オンデマンド関連のページも覗いてみます。情報提供ありがとうございました。

From: Yasuhiro Note
Date: Fri, 7 Apr 2000 21:30:19 +0900
Subject: MLで紹介させていただきました

はじめまして、のてといいます。

「『バルタザールの遍歴』絶版の理由」を僕の参加しているMLで紹介させていただきました。事後連絡の形になりましたことは、お詫び申し上げます。気がつけば紹介の投稿としていたというようなありさまでしたので…。

以下はその紹介箇所です。

これは佐藤亜紀さん自身に対する意見というよりも、「『バルタザールの遍歴』絶版の理由」を肴に、僕が常々感じている「日蝕」ってファンタジー小説だよな(しかも新しいところがない)、という意見を援用するのに用いさせていただいただけのものです。もちろん佐藤亜紀さんの事を他の本当に本が好きな方に知っていただきたかった(野次馬的関心ではなく)というのもありましたが…。

ですから、これを「文句のある〜」に掲載されるのはちょっと違うような気もしますが(あくまでMLで紹介したことの報告ですから)、といって、知らない間にやられても止める手だては何もありません。

そして、そのMLについて紹介するのは、連帯責任のようにそのMLが「文句のある〜」に掲載されてしまう可能性が捨てきれないため、止めておきます。

勝手ばっかり言ってますが、それではその紹介箇所のはじまりです。

 
(ここから最後まで)

***************

(略)

と、前置きはこれくらいにしまして、女流ファンタジー作家として避けて通れないのは表題の佐藤亜紀でしょう。あれだけ実力のある人物って、ちょっといません。正直、今この時期に佐藤亜紀を扱うことは少しばかり悩んだのですが、今この時期だからこそ紹介するべきだと思い、筆を執りました。病み上がりということもあって(いいわけ?)、かなり筆が滑っていると思いますが、笑って読んでいただければ幸いです。

1991年に第3回ファンタジーノベル大賞を「バルタザールの遍歴」で受賞し、そしておそらく「バルタザールの遍歴」が代表作として通じているように思います。その他にもいろいろ著作はあるのですが、ちょっと著作の一つである「鏡の影」の紹介文を引用しましょう。

〈全世界を変えるには、ある一点を変えれば充分である――異端の学僧ヨハネを主人公に、錬金術、異端審問論争を交えて描く、大いなる秘儀をめぐる物語〉

さてみなさん、そうした筋立ての作品を最近読まれなかったでしょうか?(笑)

質問の形を変えましょう。「鏡の影」を読んだにせよ読んでないにせよ、中学高校の頃にファンタジー小説というものが一世を風靡した、現在20代半ば前後の方に質問です。平野啓一郎の「日蝕」を読んで、何か強烈なデジャブーを感じませんでしたか? 僕は雑誌掲載時に読んだのですが、「日蝕」の文章の端々から10年ほど前読んだファンタジー小説の各シーンが頭にフラッシュバックしてきて大変でした。だからそうしたファンタジー小説が、文体を変えただけで文芸誌に載ってしまうことが、素直におもしろく感じられました。まあ、そこまではいいんです。問題はその後、「日蝕」が芥川賞を受賞し、平野啓一郎が神童と祭り上げられるのに及んでからです。確かにあの雅文体は評価してもいいです――「舞姫」がその文体“だけ”で評価されているように…。でも、内容には何の新しいところもないじゃないか。まあ、選考委員の方々はファンタジーノベル大賞受賞者の作品なんて忙しくて読んでられないのでしょう。でもなあ…。

とここで出てくるのが、佐藤亜紀自身のsiteです。 http://www.dccinet.co.jp/tamanoir/idata/iken13.htm

 
   *

 
(ここから先は、上のリンクを読まれてからお読み下さい)

確かにアイドルになりたい人がいて、アイドルで稼ごうと思う人がいた。そしてその両者の思惑が一致した。それだけのことなのでしょう。そもそもアイドルとは“つくられる”ものですからね。しかし、ジャニーズとかの追っかけをしている子には少なくとも自分が“アイドル”の追っかけをしてるという自覚はあるよ。でもなんで、平野啓一郎を語る人にその自覚が稀少なんだろうと思ったりもします。

何か長々と書いてしまいましたが、誤解されそうなので最後に一つだけ書いておきます。僕は平野氏のことは好きでも嫌いでもありません。ただ平野氏はアイドルになることを望んだだけなんですから…。そして新潮社は最大限に儲けようとしただけですし…。

僕が嫌いなのは平野啓一郎で文学を語る人たちです。


お言葉に甘えて勝手に掲載させていただきました。

芥川賞の選考委員に関して言うとですね、作家としてどうか、はこの際措くとして(措かないと角が立つので)、小説の賞の選考なんかやるにはあんまり忙しすぎるんじゃないですかね。だいたい、現在進行形で書かれているものをどの程度追いかけているんだろう。そういう、あんまり小説を読まない人たちの前にですね、出来の良くない雅文調(私は昔「日本SFの逆襲」ってアンソロジーの短編でやったことがあります。何しろ編集者が全部新字新仮名にしちまった上、そもそも誰も読んでないという問題がいつもながらある訳ですが、あんなの、いやしくも作家を名乗るなら鼻歌まじりで書けなきゃいけないよ)で書かれたファンタジー小説を見せたら、びっくりして通しちゃう訳ですよ。アイドルを育てるってのは業界全体の利益にも一致してますし。

別によその国を理想化しようというつもりはまるでないのですが、たとえばイギリスのブッカー賞なんかの場合、選考委員はひと夏ぶっ通しで、各出版社が上げてくる候補作を読んで、ミーティングを繰り返して決めているそうです。委員の顔触れも始終変わる。これが、妙なところも多々あるとはいえ(たとえばジョン・バンヴィルが受賞できないのは、アイリッシュの癖にアイリッシュ・ノヴェルを書かない、というはなはだ差別的な理由からじゃなかろうか)ブッカー賞を権威ある賞たらしめている訳です。時々『シンドラーのリスト』みたいな、およそ本邦の基準では純文学的じゃない本が受賞しちゃうのは、選考委員が目を通す作品数故でしょう。『シンドラー』が入っていたら、たとえ文学プロパーの作品じゃなくとも、社会的重要性を鑑みたら落とせないわな。ともあれ、何か別な仕事に掛り切りで一年間一冊も読んでいない選考委員でも、候補作全部に目を通したら、過去一年間の文学世界の見取り図は頭に入ってしまう程度の作品数が確保されているのでしょう。イギリス文学が凄いのは、こんな具合に公正な判断に基づく異種交配の場が確保されているからだ、と言っていいと思います。賞がちゃんと機能している訳です。まあ、イギリス人ってのは、文壇に限らず、システムを動かすのがうまいからね。

逆に、現代フランス文学がいまひとつぱっとしないのは、日本と同じような理由からでしょうね。賞のシステムも近い。で、近親交配が過ぎて、新しい小説の生まれてくる下地が痩せてしまった。実を言えば、出て来る作品のどうでもよさもよく似ている。マイナーリーグ落ち寸前ってとこか。

私、実はひとつ野心がございます。精々二、三年で交代する選りすぐりの選考委員をひと夏拘束して、各社から上げられてきた計二百冊ばかりをひたぶるに読んで、ミーティングを繰り返しながら絞って受賞作を決める、という文学賞を作る野心ですね。まあ、自分がこのていたらくじゃ当分無理だけど、秘技猫だましで選考委員がやられちゃうような賞よりはよほど、いい意味での権威と影響力を持つだろうと思います。だって、このやり方でいったら間違いなく、高村薫とか篠田節子とかいった非-純文学だけど超重量級の作家は残ってくるし、そうなったら、今、純文学の囲い地で寝ぼけている作家も気合いを入れて書く羽目になるでしょうしね。選考委員の選任が難しいけど(高村薫と笙野頼子のどっちを取るかを質という観点から公正に判断できるって人ってのは、滅多にいないわな)、日本語文学がぐっとよくなることは請け合いです。


という訳でした。文句のある方、いつものようにメール下さいませ。
それではまた。



2000.04.10
大蟻食