No.18
これが大蟻食の二十世紀ベストだ! 文学篇

二十世紀について語りはじめるのに『ノッティングヒル』から始めるのは実に適切という気がする。シニシズムを超克して現れた理想が齎す破滅的な結末は、ある意味ではこの世紀の予言だったとも言える。最後に引かれた聖書の一節とその解釈もまた、虐殺の世紀の締め括りに捧げるに相応しい。

豪快なナンセンス。出藍の誉れとはまさにこのこと。

何で、って言われても困るけど、好きなんで。


笑える小説ではあるが(でも昔はみんなこれ、にこりともせずに読んだらしい)、別に傑作という訳ではない。ただし、第一次世界大戦とは何だったのかを知るには非常にいい小説ではある。


泣く子とツァディクには勝てない。何しろ一発逆転の奇跡が味方だからだ。気の毒な話だが、彼らの受難がなければ我々はハシディズムの凄みを知らずじまいだっただろう。
もっともね、だからってパレスチナ人を鎮圧するのに、「神の戦車」(メルカーバー)をしずしずとお出ましさせるのは悪趣味だからやめた方がいいと思うよ。


ただしリヒャルト・シュトラウスのオペラの台本として。


この小説を読んでけたけた笑ってたのは私くらいだという確信があるが、とはいえ、たとえば英訳か仏訳で読んだらそうなるのが普通じゃあるまいか。


ウィーンのカフェで「名誉の剣」の一作目を読んでいたら、勤め帰りのおっさんに「君、モンティ・パイソンは好きかね」と声を掛けられた。そんなものなのかしらん。ウォーの血も涙もないナンセンスは世紀の最高峰。若ければ若いほどえげつない。『ブライズヘッド』はちと甘いけど、まあ、入れないわけにはいかないでしょう。


ツヴァイクの『フーシェ』が妙に古びちゃったのに、この人の『タレイラン』がちっとも古びないのは不思議なことだ。文章なんか二十年代のイギリス人丸出しなんだけどね。ちなみに、この本を書いた後、クーパー氏は山下将軍来襲対策要員としてシンガポールに派遣され、さんざん総督府をかき回した揚げ句、陥落前に国に帰ったそうです。

迷いが出て、判りやすいメッセージ性が落ちた分、傑作になってます。これに比べると、ロスで書いた版は甘っちょろい。ところでどなたか、マッカーシー委員会におけるブレヒトの喚問の一部始終って知りませんか。傑作だったという噂なんですが。


センチメンタリズムもここまで行くといっそ美しいというものでしょう。


(当然ながらこの辺に、二十世紀フランス文学をぞろっと入れるべきところでしょうが、空欄にしておきます。歴史的意義のある作品が一杯あるのは知ってますが、どうも、こう、ねえ――お読みの皆様が適宜埋めて下さい)


冒険小説と推理小説は当然外せない。ただし、パラノイアでもなきゃやってられない艦長稼業を真面目にこなす組織人の小説と、ハンカチ三枚御用意の男のロマン小説はまるで別物だし、普通の推理小説と、頭痛くなっちゃうようなお馬鹿密室小説も別々に挙げるべきだろう。また、無数の作者に、なんも考えなくても話が進んでいく便利な枠組みを提供したハードボイルドなしでは二十世紀文学史なんて考えられない。ここには更にエスピオナージュものが加えられるべきであろうが、筆者はあのジャンルにあんまり詳しくないため、空欄にして残しておく。適宜加えられんことを。

児童文学から一人と言ったら躊躇なくこの人。『銀のしぎ』は、怠惰で大喰らいの美女が、親がつまらん見栄はったばっかりにとんでもない働き者の娘として王子様と結ばれちまった、というところから始まる話である。このずれとシニシズムがファージョンの最高の美徳。であればこそ、誰でも知ってるあの話をどう展開するつもりかとわくわくしてくるのだ。


二十世紀の暗黒が、じつは今もそこら中にはびこっていることを知るために必読でしょう。読み切るのは結構きついですけど。

今世紀のもうひとつの暗黒を告発した本だったということになってますが、今、読み返すと、とんでもない「人間喜劇」だということが判ります。


二十一世紀の世界を考える上で是非お読みいただきたい「ファシスト」キッシンジャーの博士論文。別に歴史専攻でもないキッシンジャーがあえてウィーン会議を扱ったのは何故か、政治とは何を目指すべきものだと彼は考え、そこに至るのに何を断念したのか、二度と馬鹿をやらかさないために是非考えてみて下さい。『外交』の方も、それを踏まえて読んだら解説にあるような能天気な読み方は出来ないはずです。

世界が変らなければならなかった筈の一冊。だけど、出版以来半世紀近く経っても何かが変ったように見えないのは、世界中どこへ行っても歴史愛好家の八割は単なる講談大好きおやじで、残り二割はろくな根拠もなしに歴史には必然があると信じる迷信深い連中だからでしょう。ガッツがあったら夏休みにでも読んで下さい。

ブローデル先生ほどじゃないけど、二十世紀最大の歴史家の一人だと思う。ただしその最大の取柄は、変な資料を見付けてきて人に見せるのが好き、という点に尽きる。必然的に、何が決定版と言えないところが惜しい。『壁の上の……』は、彼がたまたま旧東側の大学に呼ばれていた最中にベルリンの壁崩壊が始まった、その観戦記。ハンガリー大使館近辺に突如大量発生した乗り捨てトラバントの追及から始まって、しまいにはブランデンブルク門で花火上げて大騒ぎしてる最中に自分でも壁の上に這い上がって「踊るというよりは落ちないようにしていただけ」とか言うのだが、この突撃レポーターぶりにそこはかとなくだぶるのは、彼が好む十八世紀のもぐり出版物を書いたルンペン・ジャーナリストどもだったりするのであった。大教授が何やってんのかねえ。
言わずと知れた、史上最強の小説家。ナボコフの前にナボコフなく、ナボコフの後にナボコフなし。



以下はまあ、佐藤亜紀特選コーナーという以上のものではないのですが……。

「アマチュア作家としては達者」という水準の人なんですけど、これはいいです、お勧めです。

知らないでしょ。でもこれは別格の小説。何故これを書いたのは私ではないのか、考えはじめると口惜しくて夜も眠れない一冊でございます。

自慢ではないが私はマービン・ピーク協会の機関誌を全号コピーして持っている。

小説としちゃすんごい保守反動ですけど、いいよねえ、こういうの。

小説としちゃすんごい保守反動だけど、無類に美しいよね。


ウィーンってのは心蕩けるくらいに変なとこだ、という御本。噂ではこれ、『音楽の友』に分載されてクラシックファンを困惑の渦に叩き込んだとか。私の友人は「毎月おんなじカフェに入っていくんで何かと思った」と言っておりました。毎月おんなじカフェに行くんではなく、カフェに入るところで話がどこかへ行っちゃうんですな。何せ語り手が老人なもので。素敵だ。

事実上一作だけの作家の畢生の傑作。アナール学派の研究の成果を肉体的感覚に置き換えて書く、というだけの話ですが――あなたためしにやってごらんなさい、ここまではできないよ、普通。

挙げなきゃならないほど凄い作家かと言われるとちょっと躊躇うが、私はこの人にある種の恩義を感じている。私がイギリス小説を好むようになったのは、多分に、中学校の頃読んだシリトーの作品が面白かったからである。「怒れる若者たち」ってのが売りだったけど、今にしてみると「フル・モンティ」みたいな世界ですね。

挙げなきゃならないほど凄い作家かと言われるとちょっと躊躇うし、最近の枯れ方を見ると、この人ももう長くないんじゃないかという気がしてくるが、でもこれは傑作である。

文学と言語をねじ回しで解体することを職業としてきた人の手になるトリビア小説のマスターピース。『薔薇の名前』のアマチュア臭さが抜けて、舌を巻くほど巧い作品に仕上がっている。読むことの快感がどこから来るのか知り尽くしてるのがよく判る。しっかしこの人にとっちゃとんでも本もスコラ哲学も一緒なのね。

この種の異端探求ものにあっちゃ、心震える真理の魅惑と、焼かれて死なないために尽くす、涙が出るほど俗っぽいあの手この手のコントラストが重要な訳です。ブレヒトの『ガリレイ』にしてもそうでしょ。その矛盾がひどければひどいほど、キャラが立ってくるんだけど、バンヴィルのコペルニクス博士ってのは中でも絶品ですね。

これがあったら当分現代小説はいらんでしょう。自分の顔を鏡で見てるみたいで、思わず赤面ものでございました。

艱難汝を玉にす、ってのは、作家に限って言うと、嘘もいいとこですな。結局これが最高傑作では。

現代フランス小説というのはどうも読む気がしないのだが、この人は例外中の例外。正直、『アプロネニア』を読んだ時には、やられた、と思いました。こういう歴史小説の書き方があるわけですよ。

(この辺にぞろっと日本の作家の名前を入れたいとこなんですけどね、落ちた人に申し訳ないので、想像で適宜埋めといて下さい)


選外 まだ『舞踏会に向う三人の農夫』しか読んでない。『ガラテア2.2』も『黄金虫変奏曲』も未読だ。下手な英語で無理矢理読むと損するような気がするからだ。