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『あやまち』 / 沢村凛(講談社,2004/4)

小さな会社で事務の仕事をしている29歳のOLが心の波をあしらいながら淡々として、それでもそれなりに日々を送っていると、その前を希望や失望が横切っていく。満たされていない人間がやりそうないくつかのことがおこなわれ、そうしていると恋が生れ、関係が進行し、あやまちが語られ、そして選択を迫られる。語り手として登場する女性は冷静に世界を観察する一方、自分と世界とのあいだに置かれた距離感をどうかすると持て余している。判断をすることは可能でも足がうまく動かないという点で、一人で二人三脚をしているかのように見えなくもない。抑制の利いた語り口も自分の目を備えた語り手の造形もリアルで魅力的である。地下鉄駅構内の印象は効果的に処理されており、再帰的な手法はよく効果を上げている。

『リフレイン』では異星の文化と刑罰観を、『ヤンのいた島』では鼻行類の住む島とその政治状況を、『瞳の中の大河』では架空の国家の歴史譚を描いた著者が、この作品では現代日本の日常を扱っているわけで、実を言うとそのことで少々驚かないでもなかったが(ちょっと意外に思えたのである)、結果からすればそれを扱う手つきの確かさに改めて嬉しい驚きを感じたし、良心の問題が取り上げられていく過程では著者の本領発揮であると喜んだ。立派な小説である。とはいえ、あの出会いの状況はわたしならば絶対にあり得なかったであろう。通勤をしたことはあっても、毎日同じ電車に乗るということは一度もできなかったからである。

(2004/04/26)
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