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『アマゾニア』 / 粕谷知世(中央公論新社,2004/10/25)

アマゾン川の流域に泉の部族と呼ばれる女ばかりの部族があり、弓や吹き矢を操る戦士の一団を持ち、戦士団の務めを終えた女たちは年に一度、男と交わって子供を作り、産み分けによって女を産んで子孫としている。一人の子供には産みの親のほかに名付けの親と育ての親があり、部族に生まれた子供たちは大人として認められる前に精霊を宿すことになる。その精霊は森の娘と呼ばれていて、泉の部族とは古い契約を交わしており、この精霊の力によって部族は悪霊から守られている。もちろん悪霊は好ましくない。悪霊に取り憑かれるとだるさを感じ、疲れやすくなる。苛立ちと無気力が繰り返され、「ブヨに刺され、蚊に刺され、蝿にまとわりつかれ、蟻に食われるといった、森では当たり前の出来事が我慢できなくなる」。

森では最近、大きな戦いがおこなわれた。泉の部族は亀の部族、鰐の部族、猿の部族、バクの部族、ペッカリーの部族、河イルカの部族、カワウソの部族、大ナマズの部族、カピバラの部族と共同してジャガーの部族を倒したのだった。ジャガーの部族の死体は森に転がって獣や虫の餌食となり、放っておけば悪霊となる。悪霊となれば悪事を働くことになるので、そうさせないためには再び十の部族が集って鎮魂の儀式をおこなう必要があったが、その音頭を取るべき泉の部族の赤弓は身辺の雑事に気を取られているのか、なかなか事を起こそうとしない。弓隊の隊長なのでお宿りの儀式の護衛をしなければならないし、森の娘の侍女たちとはどうにも関係がうまくないし、部族の女が父親の知れない男児を産むし、亀の部族の司祭は歯切れが悪いし、鰐の部族の族長はどうにも挙動が怪しいし、男が自分を見る目が気に入らないし、露骨に粉をかけてくるのが腹立たしいし、そういうことで苛立っていると川上からは腹を空かせたスペイン人まで流れてくる。なにしろ十六世紀なのである。

女族とはいえ、ペンテシレイアに率いられているような孤高の戦闘部族ではなくて、近接地にあるふつうの部族との交流を持ち、だから外部とはごたごたを抱えているし、内部は内部でごたごたがあるし、それでも特定の族長を抱かずになんとなく合議制でやっている、というこの特殊な社会の風景が面白いし、それを描き出すときの作者の目の配り方も面白い。十六世紀のアマゾン川流域でもダイエットの話が出現したりするのである。この背景に女ばかりの部族と女ばかりの部族に幻影を抱くまわりの部族の男たち、セックスレスの女戦士、処女のままで死んだ少女の霊、河を流れてくる無教養で筋肉バカのスペイン人、あるいは大学出のスペイン人などが効果的に配置され、作者は性差と性愛に関わる諸問題を追い詰めていく。そして性が交わるところに生と死が交わり、薄暗い灰色の領域が生み出され、そこで繰り広げられる光景は壮麗で見逃せない。これを描き出す忍耐と筆力に感心した。力作なのである。装丁も実に美しい。

(2004/10/31)
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