2011.12.01 thu.
今年ももう12月か、と思う。
2011.12.03 sat.
午後、大蟻食と一緒に六本木へ。 『タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密』 を見る。
2011.12.04 sun.
『セインツロウ・ザ・サード』二周目の続き。
2011.12.10 sat.
夜、大蟻食と一緒にビデオで 『デビルクエスト』 を見る。あたり。
2011.12.11 sun.
午後、大蟻食と一緒に九品仏のパーラーローレルへ。クリスマスケーキの予約をする。帰宅して、ビデオで 『スピーシー・オブ・コブラ』 を見る。何これ。夜、大蟻食と一緒にビデオで 『レア・エクスポーツ』 を見る。こちらはあたり。
2011.12.15 thu.
夜、大蟻食と一緒にビデオで 『パラドックス』 を見る。
2011.12.17 sat.
朝、大蟻食と一緒に六本木へ。 『ハッピーフィート2』 を見る。imdbでは微妙に低い点がついていたが、傑作である。引き続き、 『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』 も見る。こちらも傑作。一緒に映画を見たみなさんから誕生日のプレゼントということで千疋屋のいちごをちょうだいする。すばらしい香りがするいちごで、帰宅して早速いただく。ごちそうさまでした。
2011.12.18 sun.
マックス・ブルックス『World War Z』(浜野アキオ訳、文藝春秋)を読み終える。人間をゾンビ化する疫病が蔓延し、人口の大半がゾンビと化した状況で人間とゾンビの戦争が始まり、その戦争から十年後に世界各地の人々から証言を集めたという、言わば架空のインタビュー集で、スタッズ・ターケルの『よい戦争』に感化を受けて書かれたということだが、構成などにたしかに影響が見える。証言をするのは一般市民、戦争に参加した兵士から政策決定に関与した人々、さらには戦争の期間中ISSに残って偵察衛星の燃料補給に従事していた宇宙飛行士まで多岐にわたり、その多声性は格別で、同時に感心したのは証言者のそれぞれが明確にビジョンをたがえていることで、フィクションとしてのこの作り込みは半端ではない。書き手が現代史を含む歴史的なパースのなかで状況を想定しているのはあきらかであり、その知的な態度はきわめて好ましいと言える。日本に関する記述も登場するが、ここだけ奇妙に異色を放っているのは、ゾンビを相手に座頭市がしたかった、というそれ以上の理由ではないような気がする。
2011.12.22 thu.
夜、大蟻食と一緒にビデオで 『ヤバい経済学』 を見る。
2011.12.23 fri.
ビデオで 『悪霊の餌食』 を見る。駄作。渋谷で買い物。すごい人出。夜、大蟻食と一緒にビデオで 『最終突撃取材計画!』 を見る。
W・ストリーバー、J・W・クネトカ『ウォー・デイ』(関口幸男訳、新潮文庫)を読み終える。1984年に発表された作品で、1988年にアメリカとソ連のあいだで限定核戦争が勃発してワシントン、ニューヨーク、北部から西部諸州に熱核爆弾が投下され、それから5年後の1993年に作者自身(ストリーバー、クネトカ)がそれぞれ作家、新聞記者という身分でダラスを起点にアメリカ一周の旅をするという擬似ドキュメンタリーで、紀行、インタビュー、各地で入手した公的な資料などで構成されている。戦争による破壊と被爆、電磁波による被害、戦後の食糧難による飢餓、インフルエンザの流行、新種の病気の流行、復興の様子などが詳細に描かれ、二流国以下に転落したアメリカでは中央政府が機能を失い、各州がそれぞれの事情を抱えて自立を強いられ、州境ではしばしば越境制限がおこなわれ、デフレが進行し、金本位制に逆戻りし、中西部諸州はイギリスの事実上の支配下に置かれ、無傷のカリフォルニアでは日本が我が物顔にふるまい、メキシコ国境付近にはメキシコ系の新興国家が出現してアメリカ人を排除している。実作者自身が架空の世界に身をおいてアメリカを旅するという大胆な発想には少々驚かされたが、個人的な視点から喪失感を扱うという意味でこれはおおむね成功している。豊富なデータを使ったシミュレーションと多元的な構成は興味深い。ただし訳文にはそうとうな難があり、語り手のモノローグも、行政官から子供にいたるまでのインタビューも、すべて適当に「である」調にしてしまった超単声性は作品の魅力を大いに損なっている。
2011.12.24 sat.
午前中、九品仏へ。パーラーローレルでブッシュドノエルを受け取る。夜、お茶を入れて大蟻食と一緒にケーキをいただく。それからビデオで 『神々と男たち』 を見る。
2011.12.25 sun.
S・G・ブラウン『ぼくのゾンビ・ライフ』(小林真理訳、太田出版)を読み終える。34歳で妻と娘のいる「ぼく」は交通事故で死んだあと、ゾンビとなってよみがえり、両親の家のワインセラーに幽閉されることになるが、たまに外出してカウンセリングを受けたり、ゾンビの集会に出たりしているうちに、次第にゾンビとしての自覚に目覚め、目的意識を抱き、ゾンビと恋をしたりゾンビと友情を抱いたりしながら、ゾンビの権利のために戦うようになり、やがてその活動が全米のマスコミの注目を集めていく。この小説におけるゾンビは宇宙から降り注いだ謎の光線の影響でも謎のウィルスのせいでも軍の化学兵器のせいでもなく、遺伝的な要因から一定の割合で出現し、社会的にはかなり昔からマイノリティとして扱われていたことになっていて、語り手は婦人参政権や60年代の公民権運動、ゲイムーブメントも同格の問題として眺めるので、ゾンビの権利もまたその延長線上に浮上してくることになる。ゾンビという言わば生き方をゾンビの立場から綿密に描き、その周辺に現代アメリカの言論およびメディアの挙動を散りばめながら、最終的にはゾンビとしての言わば生の実感をドラマチックに立ち上げていく語り口はなかなかに面白い。一人称のテキストはモダンなアメリカ小説の典型に近く、無用のレトリックや日常的な雑感でやや言葉を飾りすぎているようなところがあるが、全体的な強度は高く、読み応えのある作品に仕上がっている。
夜、大蟻食と一緒にLe Bouillonへ。前菜はカリフラワーのババロア(カリフラワーのクリーム添え)、フォアグラ―のソテー(里芋のガレット添え)、お魚はタイのポワレ、グレープフルーツソース、お肉はイノシシの頬肉の赤ワイン煮(ニンジンのグラッセ添え)、デザートはラフランスのグラティネとチョコレートのソルベ。最後にエスプレッソ。イノシシがジビエとは思えないほど軽快で、味が心地よい。カリフラワーのババロアが絶品であった。
2011.12.26 mon.
ロバート・カークマン『ウォーキング・デッド』(風間賢二訳、飛鳥新社) を読み終える。ジョージ・A・ロメロ的な「世界観」を踏襲したグラフィック・ノベル。ケンタッキーの警官リックは逃走中の犯人に撃たれて病院へ運ばれ、昏睡状態から目覚めて医師も看護師もいないことを不審に思い、病院内を歩いてゾンビの群れと遭遇し、どうにか帰宅すると家も無人になっていて家族の行方もわからないので途方に暮れていると、隣家を占拠した親子からアトランタに関する話を聞き、妻と息子はそこへ逃れたのではないかと考えてアトランタを目指すが、安全なはずのアトランタはゾンビであふれ、あやういところを若者に救われて郊外のキャンプへ導かれ、リックはそこで妻と息子と再会を果たすが、間もなくキャンプにもゾンビが現われるので、リックをリーダーにキャンプのメンバーはアトランタを離れて安全な場所を求めて旅を始める。絵は迫力があり、慎重にデザインされたコマ割りと場面のつなぎ方は面白い。翻訳版には3章までが収録され、アメリカ本国でも現時点ではまだ完結していない。極限状態に置かれた人間の変容と人間の対立に主要な関心が向けられているとのことで、いわゆる人間ドラマに主軸が置かれてゾンビはもっぱら背景にしりぞき、キャラクターはいずれも特徴的で、内面の告白を躊躇しない。つまりロメロの作品にある上映時間という制約をまったく受けていないので、登場人物はやや過剰になり、ダイアログもまたやや過剰気味になっている。この世界に耽溺したいという意図によってそうなっているようなので、まさしく意図したとおりの作品になっているということになるが、わたしの好みからすると長すぎるし、全貌が見えないところで評価を下すのは難しい。夜、大蟻食と一緒にビデオで 『エリート・スクワッド ブラジル特殊部隊BOPE』 を見る。
2011.12.28 wed.
夜、大蟻食と一緒にビデオで 『アンダルシア 女神の報復』 を見る。
デイヴィッド・ムーディ『憎鬼』(風間賢二訳、武田ランダムハウスジャパン)を読み終える。イギリスの地方都市で駐車違反罰金処理事務所に勤めているダニエル・マッコインは自分の現状に不満を抱くいたって無害な小市民で、職場における不遇に悩み、子育ての重圧に悩み、妻との関係で悩み、義父との関係での悩み、ふところの寂しさにも悩んでまるで面白くない日々を送っていたが、その視界の隅では唐突に暴力が起こり、それまでまともであった人間が近くにいるまともな人間をいきなり殺すのを目撃し、あるいはテレビのニュースで同じことが繰り返されていることを知り、日を追ううちに異様な暴力が自分と家族を包囲していることに気がついて、そのことで脅え、そのことで悩み、何も言わない政府に対して不信を抱き、いよいよ暴力が間近に迫ると家族とともに自分の家にたてこもる。いわゆる「ゾンビもの」の類型として紹介されているが、ここに登場するのはゾンビではなくて不意に他者を攻撃する市民であり、いつどこで誰に襲われるかわからないという状況なので、人々は激しく脅え、他人から距離を取ることになり、一人称、現在進行形のテキストは語り手の緊張と恐怖をよく伝えている。思わしくない家庭環境から妻との感情のすれ違い、内面の不安から周囲の状況へと視線が絶えず揺れ動き、その視線の先の微細な描写が日常から非日常までをたくみにとらえて面白い。これは拾い物。
2011.12.29 thu.
実家へ。お餅などをもらって帰宅。夜、大蟻食と一緒にビデオでジャック・ブラックの 『ガリバー旅行記』 を見る。

2011.12.31 sat.
大蟻食は新潟へ。

 < 亭主の日々 >