マーシャル・ロー
- Aloysius' Rating: 7/10
1998年 アメリカ 117分
監督:エドワード・ズイック
出演:デンゼル・ワシントン、アネット・ベニング、ブルース・ウィリス


冒頭、ケニアとタンザニアの同時テロ事件の映像が流れ、クリントン大統領(当時)の会見を報せるニュース映像が流れ、クリントンが報復の可能性について言及すると、イスラム過激派の指導者が車に乗って登場する。車は砂漠の道を進み、村へ入ったところで山羊の群れに邪魔されて停まり、山羊の鳴き声に銃声が混じり、そして穴だらけにされた車から指導者が拉致されていく。舞台は一転してニューヨークに変わり、ここではバスに爆弾が仕掛けられて立ち往生している。最初の脅迫では犠牲者は出ない。テロリストは犯行声明を出すが、奇怪なことに要求がない。テロリストたちは自明のこととして指導者の解放を要求していたが、指導者の拉致はアメリカ政府部内の一部の勇み足によっておこなわれていたため、実は大統領すら知らされていない。
FBIニューヨーク支局のハバード捜査官はルーチンにしたがって捜査を開始し、その線上でアラブ系の入国者が浮かび上がる。早速尾行に取りかかるが、その周囲にはCIAが出現し、容疑者をCIAに奪われると、ハバードは奪還するためにCIAの拠点を急襲する。そうしている間に二つ目のテロが起こり、今度は多数の犠牲者が出る。ハバードはCIAの情報員エリス・クラフトに情報の開示を求めるが、クラフトは言を左右してばかりいる。二度目のテロが残した物証からFBIはテロ・グループの所在を突き止め、そこを急襲して脅威の排除に成功するが、間もなく三度目のテロが起こり、事態はますます錯綜していく。大統領首席補佐官は戒厳令の布告を臭わせ、FBIは合法的な捜査を求めて戒厳令に反対する。ところが先へ先へと進むテロに対して捜査は常に後手にまわり、ある朝、ハバード捜査官が目覚めたときには軍用車両の群れがブルックリン橋を占拠している。大統領は決断を下し、デヴロー将軍が率いる治安部隊が出動し、軍は無制限逮捕と拷問を開始した。
映画の主旨はアラブをテロリズムに直結させることではなくて、アメリカの「実力行使」に対して「法による正義」という形で疑問を投げかけることにある。そうした意味では、きわめて予見的な作品になっていると言えるだろう。軍の行動は批判的に描かれていて、それに対するFBIの行動は愚直なまでに法に忠実である。
おそらくはFBIの愚直さを保証するために、映画の作りは全体に真面目で、余計な夾雑物は入っていない。つまりFBIにしても軍にしても、とにかく真面目にてきぱきと仕事をするのである。これは見ていて実に気持ちがいいし、二つの組織の性格の違いが際立ってくる。どちらも同じ目的で同じことをしているわけだけど、要するに選択している手段がまるで違うのである(FBIが、FBIだ、逮捕する、とかやってると、上空にアパッチが現われて、合衆国陸軍だ、降伏しろ、と叫び始める)。特筆すべきなのは戒厳令施行後、軍隊が行動を開始してからののニューヨークの描写で、軍用車両が走り回り、駅や街頭に兵士が並び、アラブ系市民は次から次へと逮捕されて、競技場に用意された臨時収容施設に運ばれていく。その昔、アルゼンチンのクーデターで軍が市民にやったことを、ニューヨークでやってみたというわけである。一連の光景の不気味さはよく表われていた。
デンゼル・ワシントンはFBI捜査官を熱演している。アネット・ベニングは裏の多いCIAの情報員を、そしてブルース・ウィリスは法を私物化していく将軍を、実にそれらしく演じていた。FBIがかっこよすぎる嫌いはあるものの、これは実際にFBIが協力しているせいであろう。内容が内容だけに製作過程でアラブ系の人権団体からクレームを受けて、手直しがされたと聞いているが、少なくともその結果は好感の持てるものになっている。

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