船舶はパイロットステーションに入ると水先人が乗船しH旗(水先人の乗船を示すシグナルフラッグ)を掲げ、その瞬間から事実上、一切の権限は、船長から水先人へとシフトする。 (法的には、権限は変更されるものではない、という事になっている。)現場のヒエラルキー頂点に位置し、叙勲の対象でもある。
 水先人は国家資格であり、受験資格は3000トン以上の船長経験を3年以上が必須であった。平成19年4月、水先法改正により、水先人に一級から三級までの階級が新設され、 二級及び三級は船長経験に限らず受験資格は与えられる事になった。これにより水先人への門戸は広がるも、二級以下は捌ける船舶に制限があり、 一級水先人ともなれば依然として地位の高さは他の海技従事者を圧倒する。
 実はこの職業に就くには水先人の推薦も必要であり、そこに派閥の絡む封建的な面があり、これを問題視する声もある。東京湾水先区水先人は、 東京商船大学(現 東京海洋大学)を経て日本郵船船長、という経歴の方が多かった。 (井上正夫邸を紹介して下さった親御さんは神戸の水先人であった。 郵船出身であるのでこの傾向はどこも強いのかもしれない。)このような閉鎖的ともいえる制度を当然として認識していたので、法的な門戸の広がりは、その印象をだいぶ変えた。
 閉鎖的な制度と共に問題視されるのは、報酬の高さである。1990年代後半から2000年に公示の高額納税者を見ると、 東京湾水先区水先人(最も過密な水先区)は納税額1,000万円強(年収3,500万円から3,600万円)だが、水先人は個人事業主であり退職金はない。 昭和40年公表の水先人報酬は、年収600万円以上(現在の4,800万円以上)であったので、その当時と比較すれば一応は低い。 あまりにも報酬を抑えるのは当事者の士気低下となり、事故に繋がりかねない。門戸は広げたものの、成り手不足にも陥るだろう。定年は72歳だが以前はなく、 各水先人会における定員はより空きの出にくい状態であったので、その面の改善もされている。
 仕事の概略であるが、港や湾の形状は複雑ゆえにその潮流もまた厄介である。これを熟知しないで船舶を進めると衝突や坐礁などの危険性は高い。往来する他船、風なども考慮し、 曳船に指示を与え、当該船舶を船長に代わり安全に導く、それが水先人である。と言うは易いが、 タンカーの事故で油が流出すれば、関連の流通や供給はストップする他、環境にも甚大な被害は及ぶ。水先人には高度な知識と技量が求められる。
 余談 : 横浜市の久良岐能舞台は、水先人であった宮越賢治氏(1950年開業 - 1974年廃業)が市に寄贈したものである。 『宮越大神(みやこしたいしん)』とまで称された人格者の宮越氏。久良岐には氏の写真が飾られている。そこに見られる風采からもそれは窺がえる。


「週刊言論」昭和41年3月30日号  「アサヒグラフ」昭和55年3月7日号
Canberra / Queen Elizabeth 2


職業 水先人 part2

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