大正12年(1923年)9月の関東大震災はその惨害言語に絶するものがあったが、その後その復興物資の輸送のため本邦海運界は一時活況を呈した。 しかし復興事業が一段落するとともに再び沈滞に陥り、昭和年代に入ってわが経済界は再び恐慌に襲われ、海運界への打撃もはなはだしく、 また昭和3年(1928年)には済南事変による中国の排日運動のため甚大な影響を受けた。他方、第一次世界大戦による欧州各国の疲弊は意想外に深刻であって、 その回復は困難をきわめ、世界経済は萎縮し貿易は減退した。しかも船腹はかえって増加して競争は激化し、いきおい就航船の優秀性を競うようになり、 また採算上有利な内燃機船の建造が目立ってきた。
 昭和5年(1930年)1月、政府は金輸出禁止を解除した。このため物価は下落の一途をたどり、本邦経済界全面的に大打撃を受けた。これよりさき昭和4年(1929年)9月、 米国の株式恐慌に端を発して世界的恐慌が勃発したが、これがまた日本経済に重圧を加え、日本の恐慌はますます深刻化して貨物の移動は激減し、 為替相場は急騰して海運界は未曾有の難局に直面するに至った。かくて繋船は増加して昭和6年1月には32万総トンを越え、海運会社の整理、整配、社員の減給等の事態が続出した。
 あたかも昭和6年(1931年)9月18日には満洲事変が勃発して各地に猛烈な排日運動をもたらし、同月20日には突如英国が金本位を停止した。このためわが経済界、 特に金融界は甚大な打撃を受け、本邦正貨の流出は激化し、またポンド価が急落してわが海運の採算を更に悪化するとともに輸出貿易を減退せしめた。 ここにわが国は同年12月、再び金の輸出を禁止した。

 深刻な不況に沈淪した本邦の海運界は、船舶改善助成施設による老朽船の整理によって、 また金輸出再禁止に基づく対米為替相場の低落による運行採算の有利化及び輸出貿易の増進によって、更に五・一五事件(昭和7年5月)、 あるいは日華政局のもたらした極東における特異な環境等によって、世界海運の依然たる不況にもかかわらず、他国に先だって漸次不況から脱却するに至った。世界海運はその後、 昭和10年、イタリア、エチオピア戦の勃発、昭和11年、穀類不作による小麦の海上移動の急増、列国の再軍備傾向等によって、ようやく好転するに至ったのであった。
 しかるに昭和11年(1936年)2月、二・二六事件を契機としてわが国は準戦時体制に入ることとなった。これよりさき、 昭和10年末から11年にかけてロンドンで開催された五ヵ国軍縮会議決裂の結果、昭和12年から海軍無条約時代に入ることとなり、各国における国家主義思想は沸然として抬頭し、 英、米、仏、伊等の諸国は再軍備に力を注ぎ、国防第二陣である商船隊の充実を計るに至った。特に米国は大々的にその商船隊の整備拡張に着手した。
 わが政府においても国防強化のため、また非常時局の重圧による国費の膨脹と輸入の増加に対処して、外貨獲得に必要な輸出と海運収入の増加をはかるため、海運国策の樹立を提唱し、 優秀船建造助成、遠洋航海助成、造船資金貸付補給及び損失補償その他一連の国策を立て、議会の協賛を経て昭和12年3月これを公布した。

「七十年史 日本郵船株式会社」

帝國海軍   世界の海軍


英国海運会社キュナード・ライン「クイーン・エリザベス」
Queen Elizabeth

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