千代田坂――恐らく、初めて覚えた坂の名称は、千代田坂である。東京都千代田区にでもありそうな名称をしたその坂は、横浜の日吉にある。真っ直ぐと伸びた急勾配は、 坂と呼ぶに相応しい様相を呈している。辺り一帯は千代田分譲といい、昭和30年代に開発された。名称はここから来ているに違いない。日吉の駅からは、少々離れた場所にある。 幼少時に住んだ家はこの千代田坂を下った場所にあり、最寄りのバス停は坂の上である。昭和48年から50年にかけ、駅近くの幼稚園までは、 この坂を上りバスで通っていた。習い事のピアノ教室は坂の上方にあった。姉がこちらの教室に通い、家のピアノを弾く姿を目にし、私も「やりたい」と言い出したのだという。 幼児期の記憶はわりとあるのだが、これに関しては全く覚えていない。もちろん習っていた記憶はある。しかし、ここでの一番の思い出は、夏のよく晴れた午後、 教室の庭先で同じ年頃の子たちと水遊びをしたことである。

 千代田坂を下りきると、道は左右に分かれた。正面は50mほどの農地を隔て、傾斜に森の広がりを見た。左右の道に面し、畑と空き地と住宅の混在する様子には馴染んでいた。 家は隣接して畑となり、幾多の栽培は四季を通じ景観を綾なし、時には農家より部屋の窓越しから採れたての野菜を頂戴した。畑に面した一階の座敷に居ると、 突然とその部屋のガラス窓はノックされた。しかし、それは農家によるいつもの野菜の合図であると分かりきっていたので、幼児の私でも驚くことはなかった。
 家を出ると正面は森で、右へ進み、畑を過ぎると茅葺き屋根の納屋はあった。納屋は左の主との離れた距離に、うら寂しくも変わらずじっと佇んでいた。 中にある数多の農具は、然も日頃使われているもののように無造作に収められ、そのどれも全てサンドベージュの色をしていた。
 野菜を頂く窓からの風景は好きで度々眺めた。右方向に位置する千代田坂方面は、時の経過にいそしむみなもに反射する太陽光の如く煌めいていた。左方向の森は緑深く、 鳥のさえずりや虫の鳴き音は一帯をこだまし、そこに情緒ある山深き郷の風景を感じた。正面からやわらかな日差しに照らされる畑は幻想的な舞台となり、 そこに舞う蝶や蜻蛉は無音の調べを奏で、一日の終わりを演出した。ある冊子の表紙で見た“菜の花畑の風景”は、畑の先に見える丘の向こうにあると信じていた。――――

 昭和49年のある日、裏の空き地に大勢の男はやって来てた。二階の窓から母と「何だろうねえ?」と言い合った。千代田坂を下った正面の森を、 宅地化する為の飯場建設によるものであった。この開発地一帯を森戸が原という。一帯に響くやすらぎの音色は、けたたましい機械の騒音へと変化をし、 目に映る緑色は程無くして茶色へと変貌を遂げた。
 昭和50年、小学校へ入学した。ピアノ教室は辞め、学校は平坦で行ける場所にある為、千代田坂をほとんど利用しなくなった。坂の中腹と下方に住む、 二人の同級生の家へ遊びに行ったくらいである。中腹の同級生の家は白壁の大きな木造家屋で、和装の身内は大会社の重役風であった。下方の同級生は、 父はプロ野球選手、母は美しく、家は庭にプール付きの大邸宅という恵まれた環境の子であった。しかし、一家は二年生頃に越してしまった。跡地は細分され、三区画となった。 開発地はこの頃、茶色から灰色へと更なる変貌を遂げ、上方に後に通う中学校は建設された。後輩らしき者が大きな声で「失礼しまーす!」と、 先輩らしき者へ挨拶をする様子はそれまで見たことなく、明らかに媚びたその言行はこの場所には似つかわしくなく、目の当たりにして嫌気が差した。 あらゆる事象は疑いの余地なく変化をしていた。茅葺きの納屋が姿を消したのも、この頃であった。
 昭和53年、千代田坂を上り、中央通りを右の駅方面へ行った場所へ越した。そして昭和56年、中学生となると通学の為、また千代田坂のお世話となった。幼少時に住んでいた家は、 この頃までは建て替えせずあったと思う。否、既になかったかもしれない。よく覚えていない。森戸が原を下り右に目をやればすぐ家は見えたにも関わらず、 この頃は元の家など気にする事は殆どなかった。変化にはすっかり同調をし、かつて共に過ごしたはずの辺りはただの通学路でしかなくなっていた。……

 昭和62年、日吉を越した。畑には住宅が建て込んだ。繁栄は衰退をもたらし、世知辛い印象ばかりとなった。森戸が原の開発地は完全な住宅街となり、古みさえ帯びた。
 現在、あるテレビCMでのショパン前奏曲第七番を耳にする度、昭和40年代の千代田坂風景は脳裡に浮かぶ。まばゆい陽光のもと、かがやく芝生の庭で、 こども達は水遊びにはしゃぎ、飛沫をさけるように小犬はかけまわり、そよ風に白いシーツはひらめいている。千代田分譲一画のピアノ教室に通っていた時分から、 一貫してCMはこの第七番を通している。他所の教室であったなら、浮かぶのはその別の姿であったかもしれない。しかし、当時の千代田坂の雰囲気に、この旋律はよく似合う。 昭和40年代、千代田坂は、いつも陽のあたる坂道であった。



下の道は昭和48年頃に舗装      下は住宅が増えた
千代田坂を下り左方面(昭和46年/平成22年)



特に写真右側が印象深い      同位置から
千代田坂(昭和46年/平成22年)



おそらくバックの花が綺麗で撮った      同位置から
千代田坂の上方(昭和46年/平成22年)

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