13歳年の離れた姉がいる。それを人に言うと決まって「じゃあもう可愛がられたでしょう」との返事が返ってくる。そして私は否定する。 今まで、何人とこの会話のやり取りはあったことか。姉との思い出といえば、両親が家を空け2人で留守番中にオバケの真似をされ泣かされた幼児時代、 ファンデーションやら口紅を塗ったくられ女装させられた同じく幼児時代、 両手両足をガムテープでグルグル巻きにされ口まで塞がれた挙げ句にベランダへ引きずり出された小学校時代など、それはそれは恐ろしいものばかりである。 「うちのねえちゃんはカミナリだ いつもゴロゴロおこってる……」との出だしで、通っていた小学校の文集ネタにもしたほどである。 台所にあった箱詰めのマロングラッセを1個食べた時も大層なご立腹であった。「私がもらったんだから!」と一向に怒りは収まらないので、母と一緒にタクシーを飛ばし、 日吉駅前の『カルチェラタン』というお店まで、マロングラッセの箱詰めを姉への代償とし買いに行った。またある時は、……挙げたらキリはない。

 姉はTBS『テレポートTBS6』という、夕方のニュース番組で特集されたことがある。そこでは老人ホームを訪れるシーン、訪れた老人ホームでご老人に優しく接するシーン、 自宅で住人の方々にフラワーアレンジメントを教えるシーンなど、それはそれは優しい姉の印象の数々であった。インタビューに応じる話し方も優しく穏やかであり、 声のトーンまで普段とはまるで違い、画面の中の姉は、淑やかキャラを通しきる。収録内容には当番組のアナウンサー山本文郎さんも胸を打たれたご様子であった。 視聴者からの反響も大きく、手紙は沢山来るし、家まで尋ねて来られた方もいらしたほどである。テレビの影響力の凄さをまざまざと知った反響ぶりであった。 私も三浦友和さんと山口百恵さんの挙式の模様をテレビ鑑賞してるシーン他で登場している。その鑑賞先は、 ディレクターさんのご要望であったかTBS『3時にあいましょう』であった。この時間帯、ワイドショー番組は他に、フジテレビ『3時のあなた』というのがあった。 この日は姉の誕生日でもあり、ケーキのロウソクの炎をフーッと息で消すシーンの撮影なんかもあり、その時「ツバカケンナヨ」と小声で言った姉への忠告はバッチリ音声に乗っかってしまい、 視聴者に "優しい姉 小憎らしい弟" という関係が印象づいた。放送日は12月9日と決まっていたものの、この日、ジョン・レノン暗殺(現地時間8日23時頃)があり、 姉の特集は急遽後日の放送となった。

 姉は体が弱かった。夜遅くに具合悪くなり、父は当直で家を空けてるので、まだ小さかった私はご近所に預けられそちらで泊り、 母は付き添いとなり姉と救急車で病院へ行ったなんてこともあった。入退院を繰り返したその病名は膠原病で、40歳まで生きられないと医者から宣告されたと聞いたことはあったが、 私の姉への印象は、それとは正反対で、力も強く鬼の様に怖い存在である。病弱であり、また姉は中学から自由が丘にあるミッションスクールに通っていたのだが、 通常ならばそこにある筈であろう“かよわき乙女”の印象は、てんで無かったと断言出来る。よって、通っていた日吉駅近くの幼稚園まで迎えに来た母と東横線に乗り、 武蔵小杉の駅近くにある東横病院まで姉の見舞いにはしょっちゅう行っていたが、そこは病床だという感覚は無かった。4歳の時、姉は道端の小さな檻に閉じ込められ、 うずくまり、しくしくと泣いている夢を見た。悲しくなり、わ〜んと泣きながら目覚めると、母は優しい表情で「どうしたの?」と声を掛けてくれた。 この目覚めた先が姉であったとしら、オバケの真似をされるなど追い打ちが加わったことであろう。

 小学校低学年の頃、ある友達とケンカになり、家の近くで石を投げつけられた。体には当たらなかったが、それを知ると家にいた姉は憤然と立ち上がり、 「ちょっと行ってくる!」と家を出て、石を投げつけた友達に「コラー!! 危ないでしょ!! 当たったらどうすんの!!!」と激しく叱責した。私は家から、 その一部始終を見ていた。この時ばかりは、姉がとても頼もしく思えた。
 怖い姉であったが、姉の部屋へは遊びに行きたくてしょうがなかった。姉の友達が遊びにみえた時は特に。しかし、入り口の引き戸はつっかい棒で阻まれ、 なかなか入れさせてもらえなかったのである。私が中学3年生の時だから、昭和58年の秋に姉はお嫁に行き家を出た。その後も姉の部屋は、机もタンスもその他の物も、 当時のままに置かれていた。つっかい棒はもちろん無く、自由に出入りは可能であった。しかし、その部屋に入ることは、ほとんど無かった。――――
 姉は今も生きている。そして毎年、私に誕生日プレゼントを贈る。1個のマロングラッセにあれだけ怒ったあのケチな姉がである。今年の誕生日プレゼントは、 辛子めんたいこと豚の角煮のセットであった。めんたいこを食べた翌日の、なんとヒリヒリとしたことか。


鬼の形相で泣くほどの嫌がりぶり 昭和43年      頭に赤い花飾り、右手人差し指には指輪 昭和47年


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