Octover 22, 2002
もう20年も前のことになってしまった。。。初めて飼った犬が亡くなったこと。
小学生の時、近所にいたガキ大将グループに私はちょっかいを出されてよく泣いたものだった。そのガキ大将グループはしょっちゅう私の家の周りにやってきては窓ガラスに泥だらけの顔をはりつけたりフェンスによじ登ったりしていたのだけど、ある時まだ生まれて一週間もたっていないような子犬を5匹持って来た。その子の家は当時では珍しかった血統書付のシェパードとセッター種を飼っていて、雑種が5匹生まれてしまったというわけである。5匹はそれぞれちがう色をしていた。まだ目も開かないような赤ちゃん犬を連れまわすなんて今から考えるととても恐ろしいけれど、ガキどもにしてみれば新しい飼い主を探すために一生懸命のつもりだったのかもしれない。。。見せに来た日、たまたま日曜日で父がいて、5匹の中で一番真っ黒いオスの子犬なら飼ってもいいとガキ大将に言った。
犬を初めて飼うにあったって、家族会議が開かれたという記憶はない。おそらく母は、どうせ面倒を見るのは自分になってしまうのだからいやだといったかもしれないが、わりとあっさりと犬を飼うことになってしまったような気がする。(もちろん、私が散歩するからと言い張ったに違いない。。。)とにかくそのまっ黒い子犬は生まれてひと月もしないうちに我が家へやってきたのである。名前は『チャロ』となった。なぜならうちに来た時には真っ黒から変貌して茶色っぽくなってきていたからだった。最近のように生後8週間で親離れして、ワクチン接種して、、、なんて時代ではなかったし、私は小学生だったので家に来るなりその子犬を散歩に連れ出した記憶が残っている。それでも雑種のチャロはたくましく、病気ひとつせず成長していった。しつけなんてほとんどせず、ただオスワリ、フセ、マテ、お手ができるだけの番犬だった。ご飯といえば、ビタワンに人間の残飯や味噌汁をぶっ掛けたような今では考えられない食事だったから、贅肉なんてついていない。日本犬をシェパード柄にしたようなどこにでもいる雑種犬だったけど、賢そうな目をした小柄な美男子だった。
やがて私が中学生になり、部活動や受験勉強に追われ始めた頃には、散歩はもっぱら父の役目になっていた。父の散歩のやり方というのがすごくて、原付バイクでノーリードで走らせるという乱暴なものだった。それでもバイクにエンジンをかける音がするとチャロは散歩に連れて行ってもらえるのがわかるので大喜び。昔は畑や雑木林ばかりだったのでそんなことができたのかもしれない。ちゃんとバイクと一緒に戻ってくる利口な犬だった。ちょうど中間試験の直前のこと、夕食が終わって自室で試験勉強していた私の耳にキャヒンキャヒーンという悲鳴が響きわたった。チャロに異変が起きたとすぐにわかった私と弟は叫びながら家の外に出ると、後ろの片足を上げたまま座り込んでいるチャロの向こうに自動車が一台停まっていた。ちょうどバイクで散歩に出ようという時にうれしくて飛び出したチャロと角を曲がって走ってきた車の出会い頭の事故。。。運転していたお兄さんは病院へ連れて行きましょうかと言ったけれど、父がこっちで連れて行くからと言ったのでお兄さんはそのまま去ってしまった。でもそんなことは問題ではない。早く病院へ連れて行かなければ・・・あせる私達に家に残って勉強するようにいい、両親が病院へ連れて行った。かかりつけの病院もなかったから電話帳で調べて行ったのは開業したてのところだった。家に残っていたって勉強なんか身に入るわけがなかった。しばらくすると戻ってきたのは両親だけ。チャロは後ろ足を複雑骨折しているから切断手術でしばらく入院しなければならないということだった。お見舞いに行きたいといっても試験があるから許してもらえなかった。
何日かしてチャロが家に戻ってきた時には、もう片足はなくなっていた。3本足で不自由だからというよりはまだ体調がよくなかったようで、外の犬小屋ではなくて玄関の中でずっと休んだままだった。若い開業医がしばらく往診に来ては注射を打ったりしていった。切断した足の付け根は皮膚移植をしてくっつけようとしていたのだがチャロがなめてしまうので腐ってきてしまい、再度、皮膚移植の手術をしたけれど、また同じことの繰り返し。今になってみるとどうしてエリザベスカラーで傷口の保護をしなかったのだろうと、はたして当時はそんな器具はなかったのだろうかとその医者に対する不信感は大きい。それでもチャロは生きていた。散歩も不自由だったし、走ることもなかったけれど、学校から帰ってくると玄関で私のことを待っていてくれたし、吼えたりもせずじっとお利口さんにしていた。あーだめだ。ここまで書いていて読み返しているとやっぱり泣けてくる。この涙はいったいなんだろう。最善を尽くしてあげられなかったという未練か、もう少し私が大人だったらという憤りか。。。
結局、二度目の皮膚移植もうまくいかずチャロは3度病院へ入ることになった・・・と私達は両親から聞かされている。その後、チャロは二度と戻ってくることはなかった。何日かしてチャロは死んでしまったと聞かされた。衰弱死だったか手術の経過が悪かったからかはあいまいだったけれど、とにかく亡くなったということだった。遺骨は府中の動物霊園に共同埋葬されたというので、私達兄弟は母に連れて行ってもらってお線香を上げてきた。一年後の命日にも。3年後には車が運転できるようになっていたので自分ひとりで行った。毎日泣き暮らしていたわけではないけれど、心の片隅でこの出来事に納得できないまま思春期を過ごしていった気がする。そして今現在もチャロの最期については自分の中で終わらない出来事として残っている。
不思議なことにある程度成長して世間ズレしてくると、当時疑問に思わなかったことに対していろいろと思いをめぐらせるようになる。3度目の入院は実は両親の希望による安楽死が目的だったのではないか、、、そもそもどうして骨折くらいで切断しなければならなかったのだろうか、、、とか。脊髄損傷していても切断などせずに足を引きずっているワンコはたくさんいるというのに、20年前の医療は愛犬ブームの現在とは違うのだろうか?とにかくチャロは死んでしまった。5年とちょっとの短い命。それから10数年経って私は嫁に行き、代わりにコーギーの吉右衛門がやってきた。チャロのように利口ではなくても人間のように思いやりのある吉右衛門を両親は溺愛している。もちろん、かかりつけの病院は例の開業医ではない。あの病院は両親もいい思い出がないのだろう。もし今私が当時のことを問うたとして真実は明白になるのだろうか。わかったところでチャロは生き返るわけではない。死んでしまってからも私は時々チャロのことを思い出すようにしている。無理にそうしなくてもチャロの匂いがしたような気がするときもあるけれど、思い出すことによって天国にいるチャロが深い眠りから目をさまし、背伸びをしてあくびをしながら4本の足で自由に歩きまわれるのだと信じているのだ。ちょうど高校生の頃にメーテルリンクの「青い鳥」を読んでそう思うようになってしまった。
チャロが亡くなってしばらくして、昔のガキ大将が声をかけてきた。どうやってかチャロのことを聞きつけたらしい。中学に入ってからそれぞれ部活や受験勉強に追われてすっかり口も利かなくなっていたのに、自分の子犬だったチャロをずっと気にかけてくれていたのかもしれないと思うと、いじめっ子だったけど心の優しい子だったんだなぁと改めて感心し、ちょっと切なくなった。
大人の世界にはグレーゾーンがある。今なら理解できることでも、幼い頃に同じように受け容れられるとは限らない。
あなたはどっち?