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水
産 雑 記
(その4)
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目 次
魚の供養碑 (三浦福助さんの調査から)投稿
ネズラ下駄 (三浦福助)投稿
SHINDO's Paper (SEAFDEC TD図書館に今尚現存するリスト)
チュニジアの漁業 (高杉重光Tunisiaの政変と漁業の近況)投稿
水産伝習所の設立 (東京海洋大学のルーツ)有元貴文・三浦福助)転載
魚介類の供養碑や供養塔
三浦 福助
2010/04/09
真道の投稿原文の紹介とコメント
三浦 福助(筆名)さんは全国、特に神奈川県下の「魚介類の供養碑や供養塔」を調べられた。浅学の私(真道)も仕事の関係上、各地漁港で行われている魚類の供養祭には度々参加したが、魚だけでなく貝類や海苔などの供養碑や供養塔があることを初めて知った。
福助さんの原文を読んで途端に想い出したのは、西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛され、26歳の若さで世を去った夭折の「金子みすず」(1903-1930)の「お魚」と「大漁」と題した歌である。
お魚
海の魚はかはいそう
お米は人に作られる、 牛は牧場で飼はれてる、
鯉もお池で麩を貰ふ。 けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし いたづら一つしないのに
かうして私に食べられる。 ほんとに魚はかはいさう。
大漁
朝焼け小焼だ 大漁だ
大羽鰮(いわし)の 大漁だ。
浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰮のとむらい するだろう
山口県の仙崎港で生まれ夭折した此の詩人の心情と各地の供養祭や供養碑などとは佛教的情緒としては密接に繋がっていると私は思う。各地の仏閣や神社の無形文化としての「ほうじょうえ(放生会)」なども同じだろう。
畜肉を食べる欧米人のカーニバル(謝肉祭)は単なる「お祭り騒ぎ」で、その心情は歴史学的な研究を見ても「感謝」は在っても、「弔う」・「供養」と云った心情は存在しないようだ。
三浦福助さんの原文は下記をクリックすると表示される。(PDFファイルなので未だ入れていない人は無償でダウンロード出来る Adobe の「アクロバット・リーダーをインストールして下さい)。
母校、東京海洋大学のルーツ
日本の水産業近代化のため明治21年末に創設された「水産伝習所」とその前後の経緯
2011/09/22
真道 重明
私の母校は「農林省水産講習所」である。この学校は文部省管轄下ではなく農林省(今の農水省)の管轄下だったため、陸軍大学校・東亜同文書院(在上海)・神宮皇學館などと同様に「大学」や「高等学校」などの名称は使われず「講習所」と呼ばれた。
その前身校が此処で問題の対象となる「水産伝習所」であり、後身校は戦後文部省配下となった「東京水産大学」、更に「東京海洋大学」と校名が変化した。
母校のルーツである「水産伝習所」に就いては上條清光さん(筆名:三浦福助)が詳しく調べて居られ、このホームページにも下記のPDFファイルを寄稿されている。
http://home.att.ne.jp/grape/shindo/DENSYUJYO_Fukusuke.pdf
東京海洋大学の有元貴文教授から、同校の品川キャンパスの[楽水会館(同窓会により建設)で毎月やって居る勉強会で 「水産伝習所,跡地探報」と題し 三浦福助氏の資料と,昔の地図,そして跡地の写真を合わせて紹介の機会を得た]との連絡を頂いた。
三浦福助さんのPDFファイルは下記をクリックすると閲覧できる.我々同窓生にとっては「母校のルーツ」として興味津々たるものである。