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閑 人 妄 語

(その5)

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MOKUJI

目 次

 

日本刀 vs 鍋蓋 (塚原卜伝の話は本当か?)
兵隊シナ語 (岩波新書 『中国語と近代日本』から)
干瓢巻き (意外に旨いもの、干瓢巻きとイタリアのFungi)
峰からの声 (沼図市歴市民増博物館のローフー)福助氏の寄稿
掌はお皿か? (日本人だけに見られる食事時の仕草)
禿頭を気にする日本人 (欧米人の禿に関する価値観)
彫り物と入れ墨 (単語の意味と最近の意味の変化)
英語の歌(2)

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BokuDen

日本刀 vs 鍋蓋

塚原卜伝(1489〜1571)の話は本当か?

 

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  2011/12/22

真道 重明

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小学生の頃、アセチレンの臭いの満ちた夜店で買った子供向け講談本に「若い頃の宮本武蔵が卜伝の食事中に勝負を挑んで斬り込み、卜伝はとっさに囲炉裏の鍋の蓋を盾にして武蔵の刀を受け止めた」という噺が書かれて居た。

子供心に「これは可笑しい、作り話ではないか?」と私は疑問を抱いた。当時もその後も、この種の本は余り読まない私だが、この話だけは何故だか胸に焼き着いていた。

・・・と云うのも、「咄嗟に囲炉裏の鍋の蓋を盾にして武蔵の刀を受け止めた」と云うが、日本刀は鋼の鉄棒で、軽くとも Kg 位の重さであったろうし、おまけに武蔵ほどの剛の者が斬りつけたと云うのだから、そのショックは物凄かったに違いない。

これを木製の雑炊鍋の蓋で受け止められるだろうか?たちまち相手の大大刀(オオダチ)か小太刀(コダチ)かは知らないが、一刀の下に鍋蓋と卜伝の手は切り捨てられたに違いない・・・と思わざるを得ない。

まさか雑炊の鍋蓋が鉄で作った盾であった訳ではあるまい。理屈に合わない話だ。


最近「もの好き」と云われるだろうが Wiki で塚原卜伝を読んでみた。「鍋蓋で受け止めた」と言う話は、やはり「作り話」だったようだ。曰く、「実際には武蔵が生まれるよりも前に卜伝は死んでいるため、卜伝と武蔵が直接出会うことは有り得ず、この逸話は史実ではないと云うのが真相らしい」とあった。

近くNHKでは「塚原卜伝」をやるそうだ。この場面があるのだろうか?


愛もない話だが、「暴れん坊将軍」、「水戸黄門」、「八丁堀の七人」、「大岡越前」・・・など長年続いている娯楽番組の「殺陣(タテ)」の場面、即ち「斬り合い」の場面は可笑しなことが多々ある。

「何人斬っても血の一滴も出ない」。「あれほど暴れ回っても頭の曲げは結い上げたときのように恰好良く、乱れがない、現実の大相撲の「曲げ」は一発の動作で直ぐ歪み形が壊れるのに」。「着物は袖も帯も斬られていない」。その他、挙げるのに切りがない。

尤も、舞台や映画では、いわゆる「汚れ役」(例えば乞食)などはあまりにリアルにすると観客に不快感を与えるので、乞食と分かる綺麗な衣装をkて居る。タテも此れと同じだ。

 

 

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HeitaiSinago

日本兵のシナ語

工事中

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  2011/12/22

真道 重明

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中関係の歴史に就いての専門家、安藤彦太郎氏が岩波新書(1988)に『中国語と近代日本』と題する著書の中で、中国語を多少習った私にとってはトテモ面白いことを書いて居られる。似た話を私も何かに書き留めたいと思っていたので以下に記す。先ずその前に安藤彦太郎氏の下記の言葉を述べたい。


『西洋語が先進文化の吸収のために重要視されていた当時の日本人にとって、中国語などどうでもいいものだった。せいぜい商売か軍事上の会話ができればよいと考えられていた。また中国語は戦争語学ともいわれ、戦争のたの会話ができればよいと考えられて居た。また中国語は戦争語学ともいわれ、戦争のたびごとに学習ブームが起こった。なかには「支那は負けた---チョンクオーワンパイシタ」「旗を出せ---ハーチーターセ」といったキワモノ会話集も出版されていたそうである。

また一方で、日本は古来から中国文化圏に属していたため、明治以降も古典世界の中国語(=漢文)は重要であった。漢和辞典と中国語辞典が別々にあることに象徴される中国語の「二重構造」である。

注意すべきことに、この「二重構造」は中国認識に対しても存在した。というのは、たとえば中国に旅行して、気にくわぬことに出会うと、やはりシナは、となるが、感心したものを見ると、それが新しい中国に特有な事象であっても、さすが伝統文化の国だ、といって旧い価値観で解釈してしまうのである。

また一方で、日本は古来から中国文化圏に属していたため、明治以降も古典世界の中国語(=漢文)は重要であった。漢和辞典と中国語辞典が別々にあることに象徴される中国語の「二重構造」である。

注意すべきことに、この「二重構造」は中国認識に対しても存在した。というのは、たとえば中国に旅行して、気にくわぬことに出会うと、やはりシナは、となるが、感心したものを見ると、それが新しい中国に特有な事象であっても、さすが伝統文化の国だ、といって旧い価値観で解釈してしまうのである』。

 

 

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Fungi

干瓢巻きとイタリアのFungi

 

関東の寿司屋には何処にもあるものだが、それらは店によっては非常に旨い。ちなみに関西の寿司屋には干瓢巻きというものは存在しないようだ。

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  2012/01/10

真道 重明

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干瓢巻き

年、本で読んだのか放送で聞いたのか忘れたが、或る知名人が「至福の時」について語っていた。曰く、【うららかな日差しの下、多摩川の土手の草叢に寝そべって、河の流れを見ながら、持参した「折り詰め」の『干瓢巻き』の旨さを感じる時・・・】と云うのである。(鉄砲巻き」とも言う。

「干瓢巻き」私は偶に食べるが特にどう云うことは無かった。だが、娘が青山の職場帰りの土産に持ち帰った干瓢巻きは実に旨かった。皆が「あの寿司屋の折詰の干瓢巻きは絶品」だと言われているのだそうだ。

乾燥させた干瓢(かんぴょう)を水で戻し甘辛く煮たものを具として細巻きにしたもの。ブログに『干瓢巻きは食べるとき醤油を附けるのでしょうか?』という質問があったが、元々甘辛く煮てあるので醤油は付けない。

握った寿司は付け台に直接置くか、寿司下駄にのせて客前に供されるが、板前が握った寿司は直ぐ食べるのが常道で、折り詰めにして持ち帰ったものは当然のこと味が落ち、特に「シャリ」が堅くなるが、干瓢巻きは例外と云うべきだろう。

上記の人の云う「至福」の条件中、「干瓢巻き」の味は私の感じでは最も大きい要因のように思う。それは本当に旨い。

私は関西で育ったが関西には細巻き寿司は無い。海苔巻きと云えば総て太巻きである。初めて細巻きの干瓢巻きを食べたのは40歳になった頃だ。尤も学生時代には、金がないので、深川下町の屋台寿司屋には良く、偶には台寿司店に行ったが、戦前の当時には細巻きの干瓢などは無かった気がする。

余談だが、烏賊は総て煮た「イカ」か脚だけの「ゲソ」で、刷毛で甘辛い「たれ」を塗ってあり、山葵の効いた「生烏賊」は記憶に無い。銭のない私達学生は「ゲソ」を一番よく食べた。「コハダ」と「子持ち蝦蛄」が旨かった。現在のような、「イクラ」や「海胆」の「軍艦」や「手巻き」など多種多様な品目は無かった。

話が逸れたが、ついでに言うと、ユウガオの皮を剥いて帯状にして干し、水に戻して煮込む「干瓢」は中々凝った食品のように思えてならない。


フンギ(Fungi)

際機関を定年退職して OB となって帰国してから、FAO (国連食糧農業機構、在ローマ)や世界銀行、その他から頼まれてコンサルタントという肩書きで調査団の一員として数ヶ月に亘りローマに滞在して担当項目の報告書を度々 書いた。

私達のチームは、忙しく夜遅くまで仕事があり、腹が減ったので、共同宿舎への帰宅途中に同僚の二人の英国人と一緒に軽食店に立ち寄ることにした。店長は「メニューのものは何も残っていない。フンギのサンドイッチだけなら有る」と片言英語で云う。三人は「OK」と云い、ビールの中ジョッキをそれぞれ頼んだ。

フンギは茸(キノコ、Fungi、英語の マッシュルーム mushroom ハラタケ科、西洋松茸)だと云うことは知っていた。私は日本で缶詰として売って居るこの「西洋松茸」と云うものが嫌いだった。味もシャシャリもない、ただ僅かに歯ごたえのある白いキノコだ。「こんな物、何処が旨いのか?」とバカにしていた。

二枚の食パンにバターを塗って フンギ を挟んだそのサンドイッチを一口食べて私は驚いた。見た目には缶詰のマッシュルームと変わらないが、その強烈な日本松茸とは異なった得も云えぬ香り、シャキシャキした歯触り、新鮮な生の「西洋松茸」は「こんなに美味いものか!」とビックリした。

「キノコは旨いか?」と英人に云うと "Ah, thats good ! " と云うから彼等も旨いと思ったようだ。一概にキノコと云っても多種多様だが、此処では最も普通の「西洋松茸」(英名、 White mushroom )和名は「ツクリタケ」と呼ぶそうだ。

キノコ類は格別好きでも嫌いでもない。昭和初期に大阪で育った私は松茸のシーズンになると今は法外な値の品物だが、八百屋では何処でも松茸が溢れていた。すき焼きに入れたり、剰ると「佃煮」にした。それが「マツ林の林床環境の富栄養化とマツクイムシによる松枯れの多発により、マツタケの収穫量は昭和初期から中期に掛け年々激減した。

先に「キノコ類は格別好きでも嫌いでもない」と云ったが、松茸と椎茸はよく食べる。焼松茸の風味は格別であり、干し椎茸のだし汁や生の椎茸を焼いたものも捨てがたい。此れらは例外として「他のキノコ類」は山菜としても栽培種としても食べるが特に旨いということはない。

西洋松茸(マッシュルーム)も「特に旨いということはない」と思っていたのだが、イタリアで食べて以来、松茸と共に「旨いキノコ」になってしまった。尤も、両者とも、即ち日本の松茸は高価で買えず、他方の Fungi の方は欧州まで行かないと食べられないようだ。

  

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TenohiraSara

掌はお皿か?

 

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  2012/01/10

真道 重明

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本では三角形型(俵型もある)の炊いたお米の「お結び」や、江戸前の「握り寿司」などを食べる際には「箸」を使わず素手(すで)[素指(すゆび)と云うべきか?]で掴む。上品ぶってにぎり寿司を箸で食べるご婦人が偶に居るが此れは頂けない。素手で食べる方が旨い。

石器時代の日本列島に住んでいた人々は勿論のこと素手でものを食べていただろう。Wikipedia に依ると『魏志倭人伝によるいわゆる邪馬台国においては「手で飲食して居る」とあり、日本で箸を使い始めたのは5世紀頃とも、6世紀中頃に仏教とともに百済から伝来してからとも言われるが、朝廷の供宴儀式で採用したのは聖徳太子とされ、607年遣隋使として派遣された小野妹子一行が持ち帰った箸と匙をセットにした食事作法を取り入れたものと言われる。日本で最も古いとされている箸は7世紀後半の板蓋宮跡および藤原宮跡からの出土品とされる』。

私一人の勝手な考えだが「素手で食べる方が旨いのは石器時代から脳裏に潜在的に受け継がれて来た食慣習の郷愁から来る楽しさ」かも知れない。

処からが此処で私が云わんとすることなのだが、カレーライス(ライスカレーと云うべきか?)を食べる画面のテレビを見ていると、右手でスプーンを持ってカレーライスを掬って食べながら、左の掌は「恰もカレーがスプーンから下にこぼれた場合、(衣服を汚さない為の様に)それを受け止める仕草をする。

私の見当では5人に4人はこの仕草をするようだ、或いはもっと多いかも知れない。勿論、カレーライスに限らない。調理中に自分でチョット味見をしたり、そばに居る人に味見を聞きたい場合、訊ねられた人も同じ仕草をする。左手のこの仕草は、我々の生活現場で日常よく見掛けるし、テレビなどの現代劇や時代劇などのシーンなどでも良く見掛ける。

他の一例を挙げると、豆を煮ているとき「煮えたか?生煮えか?」、「味や塩気の具合は良いか?」など知りたい場合など、私の友人は無骨で大きな左の掌や指をチョット袖で(男だからエプロンはしていなかった)拭いて上述の所作で試食に応じた。(この場合は左手でも右手でも構わない)。

こお時の風景は私は何故だか良く憶えているが、左手であり、右手ではない。食事作法で「箸・ナイフ¥フォーク」などを使わないで「指」または「指と掌」だけを使う人達(アラブ系やアフリカ系ないし東南アジヤ系のタイ・マレーシア・インドネシアの伝統的な慣習では人々)は殆どが右手で、左手は不浄として決して使わない。サウスポーの人はどうするのだろうか、私は知らない。

私の海外生活での経験や外国の映画のシーンなどで、日本人の左手のこの様な仕草は一度も見掛けたことがない。日本人だけの独特の仕草だと私は思っている。このことを指摘する外国人は居ないが、面白いと云えば面白い話だと私は思っている。


で余談だが、ナイフやフォークなどを使わない「指食」や「指と掌食」の人達は世界人口のかなりの部分を占めている。先進国の人達がナイフやフォークなどを使うようになったので、素手で食べるのを「蛮習」と思われるのを嫌って、ホテルや大都会では素手で食べることを禁じているところもあるが、素手食には特有の良さがある。

指は第二関節までしか使わない国ではそのルールの教育が喧しく大変、幼児は箸の練習より大変なようだ。指先は盲人の点字のように食物の堅さ・音頭などに敏感で、指や掌の感覚が料理を食べる楽しみの一つだと云う。

オックスフォード大学を出たインドネシアの私の友人夫妻が一度私を高級レストランに招いてくれたが、ボーイが去ると奥さんは早速ナイフやフォークを放り投げ、素手で食べ始めた。見ると彼も「旨い、旨い」と素手で食べている。「素手が一番だよ」とそのメリットを私に講釈してくれた。多少ルールは異なるようだが、タイ国の田舎でも同じことを聞いた。

私の実体験ではシンガポールのインド料理屋(菜食主義)である。机上には各自に広いバナナの葉が敷かれ、皿や碗は無くヨーグルトを入れるガラス・コップ一個だけ。ナイフもフォークや箸の類も一切無い。

バナナの葉っぱの上に次々と「茹でた茄子の胡麻和え」風の料理が載せられる。日本と殆ど同じ味である。部屋はと云うとまるでトイレだ、白いタイル貼りの床、四方は蛇口の付いた「手洗い場」そっくり。しょっちゅう手を洗っているようだ。

不味いとは思わなかったが二度と行く気はしなかった。

 

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HageAtama

禿頭を気にする日本人

 

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  2012/05/05

真道 重明

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日、NHKラヂオで聞いた話だが、ポーランドに住む日本女性からの電話での近況報告で『欧州人は「女性の鼻がヤヤ低いから、その点が可愛い」とか「眉毛が少し濃い・・・」とか云うのと同じく、男性の頭の「禿げ具合(毛髪の有無)」に関しては殆ど美醜とは関係なく無関心に近い。日本の男性が「禿げるのを嫌がり育毛剤などが色々売られている」のとは状況や価値観が全く異なる云々』と話していた。

卆寿に近い私は禿頭ではなく多少は残っている頭髪は白髪が増えつつあるのだが、ローマの國際機関に居た時、多くの国の欧米人との雑談で薄々上述の点は感じていた。

欧州人、取り分け北欧人は生まれて2歳ぐらいまでの頭はまるで「茹で卵」のようで髪毛は一本もなく、頭髪の生え盛りは20歳代から30歳代の半ば頃までの20年間ぐらいで、それを過ぎるとドンドン禿げて来る人が多いように感じていたし、そのことを間接的に北欧人と話題にした事もある。

日本の男性は「禿げる人」と、「白髪になる人」の2つに分けられ、男性ホルモンの多い人に「禿型」が多いと俗に言う。その真偽は不明だが Wikipedia に依ると男性ホルモンとの関係があるのは本当らしい。その件は別として、此処では「頭髪の禿を問題にする。

日本人はとても禿げることを気に病むようだ。薬局には沢山の種類の育毛剤が売られているし、「かつら(wig)」や人工的な「植毛術」の宣伝も盛んだ。友人は禿掛かって来たので清潔のため毎日シャンプーをして居たら医者に「皮脂を取り去るので逆効果だ」と云われたそうだ。日本男性にとって「禿げ始めることは老化と関連し顔を醜化させること」と思っているようだ。

上述のポーランドに住む日本女性の話では「禿」は美醜では無く、個性の一つであって、男優のユール・ブリンナーの「スキンヘッドが素敵」だと感じるようだ。ベートーベンや裁判官の「かつら」なども同じで美醜とは全く関係なさそうだ。

女性はホルモンの関係だろうか禿げない。但し、嘗て「丸髷」を結って居た時代には頭の中央の髪を束ねて強く引っ張るので、その部分の頭皮が禿げている人を見掛けた。一方、男性では職業軍人などは常に帽子を被っていたため頭が蒸れて、その所為だろうと思われるが禿頭が多かった。職業症の一つだろう。

どうも日本男性は頭が禿げることを異常に嫌がるようだ。

 

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HorimonoToIrezumi

彫り物と入れ墨

 

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  2012/05/05

真道 重明

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い頃(1940年代)に私が書物で読んだり、人から習ったりして得た知識では、「入れ墨」(いれずみ)と「彫り物」(ほりもの)とは意味が全く違い、両者は峻別されて居た。前者は「犯罪を犯したことを腕に記録したもの」、後者は「装飾として人肌に描かれたもの」である・・・と云う訳である。

Wiki に依ると、「入れ墨(いれずみ)とは、針・刃物・骨片などで皮膚に傷をつけ、その傷に墨汁・朱・酸化鉄などの色素を入れ着色し、文様・文字・絵柄などを描く手法、および、その手法を使って描かれたものである」とある。

両者の意味に混乱が起こったのは英語の tattooタトゥー、刺青)が日本語に(多くは若い女性が)「タトゥー」と呼んで使い始めた時からでは無かろうか?。 tattoo は漢字の刺青(しせい)と同義で「入れ墨」と「彫り物」の両者を含めて一語で指す言葉だと私は思っている。

「窓を開ければ港が見える」で皆に知られる淡谷のり子さんの有名な「別れのブルース」の第二節に下記の句がある。(作詞:藤浦 洸)。

♪ 腕に錨のいれずみほって ♪

冒頭の定義に従えばいれずみは間違いで、上記のいれずみは犯罪とは関係のない装飾ないし識別のための「彫り物」である。作詞者の認識では tattoo と云うことだろう。言葉の意味に混乱があるとも云える。

つい最近(2012年2月)大阪市では]、児童福祉施設で働く30代の市役所職員が子どもたちに「入れ墨」を見せて脅していたという件で、橋下徹大阪市長は人事の配置を考えている・・・と云うニュースが流れたが、この「入れ墨」は犯罪記録を意味した場合である。

Wiki に依ると、刺青は日本も中国も漢字では「剳青、(しせい)、文身(ぶんしん)、紋身(もんしん)、倶利迦羅紋々(くりからもんもん)、黥(げい)、彫り物(ほりもの)、紋々(もんもん)」などと書く。罪を犯した者に対して顔や腕などに「入れ墨」を施す行為は、古代から中国に存在した五刑のひとつである「墨(ぼく)・黥(げい)と呼ばれた刑罰」にまで遡るとされる。

犯罪記録としての「入れ墨」

私は実物を見たことはない。テレビドラマなどで手首と肘との間に二本の輪が書かれて居るのを知るだけである。

装飾や個人の記録としての「彫り物」

アイヌ民族の入れ墨は成人女性が手や口の周りに施すものが知られており、1871年(
明治4年)以降禁止されたが、隠れて行なわれることも多かったとされ、文化的に重
要な位置を占めていたとされる。 また、現代のアイヌ女性が重要な儀式に際して口
の周りを黒く塗るのは、かつての習俗の名残とされる。

琉球王国では「ハジチ(刺突・パリツク)」と呼ばれた入れ墨文化があった。ハジチは女性のみが行い、本土にさらわれないための魔よけや後生(死後の世界)への手形とする民間信仰、成人儀礼としての意味があり、美しさの象徴ともされた。

中国では近年は欧米由来の図案のものが多く見られるほか、北京周辺や東北(旧満州)では日本・韓国・台湾からの影響で日本風の入れ墨を入れる者も多い。(Wiki に依る)。

私のこの眼で見た諸経験

深川の某銭湯で見た倶利伽羅紋々

学生時代、下宿に近い深川の黒船橋の袂にある銭湯に良く通った。木場に近いため若い頃はさぞ「いなせ」な水上の材木を扱う「木遣り職人」だっただろうと思われる老人を時々見掛けた。今では時代が変わっているので、時代劇のようではないが、彼等の多くは上半身に「彫り物」が施されていたようだ。

私の見た銭湯の話は1930年代の頃の話だから、銭湯で見た80歳前後の老人の彼等の若い頃は恐らく1800年頃だろう。(ちなみに私が生まれたのは1920年の初期である)。

彼は背が曲がり全身皺だらけだった。若い頃は立派だった倶利伽羅紋々も皺くちゃで、絵を描いた紙が揉みくちゃにされたように見える。汚らしいと思う人も居るだろう。共に入浴している年配者達は彼に一目置いているようにも私には思えた。

パラオ島の裸女

第二次世界大戦前に日本の委任統治地であったパラオ島には、1934年に日本学術振興会第7 常置委員会特別委員会による「政府の設立した熱帯生物研究所」が日本が敗戦に追い込まれる迄仕事をして居た。

私の上司であった某氏は大学を卒業した直後から数年間この島の研究所に勤務し、一枚の写真を得た。写真と云ってもガラスの陰画湿版という時代物である。

此れが面白い。全身裸体の女性原住民で、恰もパンテイーを身につける下半身にパンテイーそっくりの刺青を施している。何も身につけは居ないが「一寸見」ならパンテイーを付けているような気がする。安上がりこの上もない。


十年前だと記憶するが、欧州の何処かの国の大きな博物館に日本人女性の全身を隈無く刺青で飾った実物標本の写真を見た記憶がある。全身の皮膚を剥いで標本としたものである。日本は「全身模様の刺青の技術やデザイン」に関しては世界のトップレベルにあるらしい。

薬品や化粧品の技術の進歩により、今では皮膚に特殊鉛筆で容易に文字が書け、Manicure Pedicure と称して手の爪や足の爪に装飾を施す時代となった。一方、犯罪者に対する「入れ墨」は明治以来禁止され、今では時代劇の中ででしか見られない。

別れのブルース」の作詞者である「藤浦 洸」さんではないが、昨今では「いれずみ」は専ら装飾や個人識別のものを指す時代になった。サッカーのサポーターの中には顔に国旗やシンボル・マークを描いている者も多い。此れらは直ぐにでも消せるが、刺青は生身の皮を剥ぐ以外に消せない。

倶利伽羅紋紋も実物はやかてこの世から無くなるだろう!

 

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eigonouta2

英語の歌 (2)