魚に纏わる諺言

(その1)

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魚に関する俚諺・故事成語・格言などを集めてみました。

「こんなのも知っている」と言う方はお知らせ下さい。貴名と共に掲載致します。

真道重明  編集

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甲骨文字      金文    小篆      楷書

これは漢字の「魚」の殷時代から現代までの変遷です。(説明はここをクリック) 

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目 次

鯛なくば狗母魚 (日本)
鯛も一人はうまからず (日本)
尋常の溝に呑舟の魚なし (中国)
鰯網で鯨捕る (日本)
水至りて清ならば魚(うお)なし (中国)
鰯で精進落ち (日本)
水濁れば則ち魚はあぎとう (中国)
腐っても鯛 (日本)
呑舟の魚は支流に游がず (中国)
網呑舟の魚を漏らす (中国)
鯛の尾よりも鰯の頭 (日本)
呑舟の魚も水を失へば螻蟻が制す (中国)
池魚の禍(わざわい) (中国)
蘭館金魚にすっとんぎょ (日本・長崎)
木に縁りて魚を求む (中国)
海老で鯛を釣る (日本)
水魚の交わり (中国)
魚を得て筌を忘る (1) (中国)
魚心あれば水心 (日本?)
水広ければ魚大なり (中国)
アンコウの待ち食い (日本)
洪水になると魚が蟻を食べ、水が引くと蟻が魚を食べる (タイ国)
魚 目 燕 石 (中国)
魚の釜中に遊ぶが若し (中国)
魚の水を得たよう (日本)
魚の目に水見えず (日本)
魚は鯛 (日本)
イワシ七度洗えばタイの味 (日本)
魚腹に葬らる (中国)
鰯の頭も信心から (日本)
ごまめの魚(とと)まじり (日本)
ごまめの歯ぎしり (日本)
鯉素 (故事、中国
群れた小魚の下に居る大魚が獲られる (ベトナム・ハイフォン地方)
年年有魚 (中国)
吉慶有魚 (中国)
鵜川の小アユ (日本)
魚米の郷 (中国)
田には稲穂、水には魚 (タイ国)
大魚小魚を呑む (ベトナム・ハイフォン地方)
まな板の上の魚 (ベトナム・ハイフォン地方)
秋サバ嫁に食わすな (日本)
秋カマス嫁に食わすな (日本)
ハゼの洗いは嫁に食わすな (日本)
丑の日のウナギ (日本)
内ハマグリの外シジミ貝 (日本)
夏のハマグリは犬も食わぬ (日本)
夏はカツオに,冬マグロ (日本)
南部のサケの鼻曲り (日本)
カツオ節を猫に預ける (日本)
親をにらむとカレイになる (日本)
貝殻で海を量る (日本)
カニの念仏 (日本)
タコの糞で頭にあがる (日本)
A11 is fish that comes his net. (英国)
Don't teach fishes to swim. (英国)
魚の木に登るがごとし (中国?)
魚の目に水見えず  (中国?)
魚は江湖に相忘る  (中国?)
ウナギは馬の毛から生まれる (欧州)

 

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漢字の「魚」の字の説明

甲骨文字    金文    小篆     楷書

 

右端は殷(商)時代(前16世紀−前11世紀)、漢字のルーツである古代中国の象形文字である。亀の甲や獣の骨などに刻み込んで書かれ、占いなどにも使われていたらしい。河南省の殷墟から多数発見されたので「殷墟文字」とも言われ、現在知られている漢字の最古のものはこれら甲骨文字である。

次の金文は古代の鐘・鼎(かなえ)などの金属器に刻まれた古代中国の文字。鐘鼎文とも呼ばれる。殷周時代より秦漢時代頃までにつくられた青銅器に鋳込まれ、あるいは刻まれた文字。西周時代 (前 11世紀頃 - 紀元前770年) に入ると甲骨文は姿を消し、金文の全盛時代となったと言われる。

その次の小篆はそれ以前にあった大篆から変化した字体で、筆写するのに便利なようにしたもの。秦の李斯の創始という。さらに簡便な書体の隷書・楷書の創始以来、小篆は鐘鼎・碑銘・印章などに現在も使われている。(以上は広辞苑、東京大学総合研究博物館のHPなどを参考に要約した)。

楷書は現在使われている書体であることは言うまでもない。日本の常用漢字・台湾の繁体字・中華人民共和国の簡体字など楷書体にも色々ある。簡体字の「魚」の字は字の下の部分 (漢字の偏旁冠脚のアシ)の4個の点(中国語では四点火と呼ぶ)は「一」の横棒に置き換えられて、さらに画数が少なく簡略化されている。

なお、「魚」の字に関しては頼春福 編著・李思忠 監修の<魚博物学> 副題 「魚的社会科学」の「考魚編」の中の p 107-126 に亘って「魚字的誕生」、「辞典中的魚」、「魚字的書法」に詳しい解説と考証がある。1995年2月初版、水産出版社(台湾)。

同書によると1953年に西安郊外の半坡村遺跡から発見された彩陶に「魚」の字があると言う(西安半坡博物館所蔵)。紀元前5000年の石器時代晩期の仰詔期で殷(商)の甲骨文字より遥かに古い。

 

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鯛なくば狗母魚

よいもの、ふさわしいものがないときには、少々劣っていても代わりのものでがまんするよりしかたがないということ。

「狗母魚」はエソ、かまぼこの材料となる魚で、タイがなければエソで代用するしかないの意。

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

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鯛も一人はうまからず

 

食事はやはり大勢で食べるほうがおいしいということ。

鯛のように美味な魚でも、一人で食べるのでは味気ないということから。

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

 

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尋常之溝無呑舟之魚 [尋常の溝に呑舟の魚なし]

普通の小さな溝(溝は中国の平野部に多い排水、灌漑、交通を目的とした小運河の意味で、日本人はクリークとも呼んでいた)では舟を呑むような大魚を看ることは出来ない。「小さな閉鎖社会からは大きな人物は出ない」のたとえ。

出典は淮南子(エナンジ、前漢の学者、高祖の孫である淮南王の劉安の編著になる哲学書)に『交拱之木 無把之枝 尋常之溝 無呑舟之魚』とある。中国では「呑舟の魚」と言う句はよく使われ、優れた人、賢人、大人物にたとえられる(時には逆に巨悪にたとえられることもある)。

[魚博物学 〈考魚篇〉 成語・諺言]

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鰯網で鯨捕る

 

あるはずのないこと、また、思いがけない幸運をつかんだり、収穫を得たりすることのたとえ。

鰯を捕る網で鯨が捕れるはずのないこと、また、鰯を捕る網で思いがけず鯨が捕れることから。〔類〕鰯網へ鯛がかかる。

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

 

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水至清無魚 [水至りて清ならば魚(うお)なし]

水が過度に澄みきっている所には魚は棲息していない。「水清ければ魚棲まず」と同義。あまりに清廉潔白すぎると人が近よらないことの譬え。


出典は「孔子家語‐入官、文選(もんぜん、中国の詩文集。六世紀前半に成立した中国現存最古の選集)、その他。

あまり水が澄んで透き通っていたのでは魚も隠れる所がないので棲息しない。人もあまり清廉すぎると、人に親しまれず孤立してしまうこと(孔子家語入管篇)。

[魚博物学 〈考魚篇〉 成語・諺言]

 

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鰯で精進落ち

 

つまらないことで、長い間のせっかくの努力が報われなかったり、むだになったりして、がっかりすることのたとえ。また、つまらないことでたいせつな戒めや誓いを破ることのたとえ。

「精進落ち」は「精進明け」とも言い、魚肉類を食べずにもっぱら菜食で身を清浄に慎む精進の期間が終わって、魚肉類を食べること。このせっかくの精進落ちを鰯のようなつまらない魚でするの意から。「鰯で飲んで精進落とす」とも言う。

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

イワシのようなつまらない魚で、せっかくの精進落ちを祝うのは残念だということから「つまらないことで、努力も無駄になる」ことにいう。

[大辞林]

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水濁則魚隅 [水濁れば則ち魚はあぎとう]

隅の字は正しくは「阜偏(こざとへん)ではなく口偏(くちへん)であり「ギョウ、訓読はアギトう」と読む漢字、日本語ワープロにはないので隅で代用した。

魚が水面で口を開閉してどうして良いか分からずただ喘ぐ様子。いわゆる「鼻上げ現象」を指す)。「政治が過酷であれば民衆は苦しみ嘆くだけ」のたとえ。

出典は韓詩外伝(前漢初の韓嬰の著。教訓的な説話、警句を選び、「詩経」の詩句と関連づけて編集された)。

[魚博物学 〈考魚篇〉 成語・諺言]

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腐っても鯛

真にすぐれたものはたとえどのような悪い状態になっても、それなりのねうちを失わないということ。

仮に腐ろうとも鯛は鯛であり、魚の王者に変わりはないの意から。〔例〕「腐っても案山子(かかし)は武士の気取りあり」(古川柳)

〔類〕破れても小袖(こそで)〔対〕騏りんも老いては駑馬に劣る。

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

 

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呑舟之魚不游枝流 [呑舟の魚は支流に游がず]

(游は泳ぐの意)。呑舟の大魚は小さな川には棲まない。大人物はつまらない者とは交わったりしない、また、大人物は高遠な志望を抱いて、小事にこだわらないことのたとえ。


出典は列子(中国の道家の典籍。前漢の後半に列子により著されたとされる)−楊朱の言、『呑舟之魚,不游枝流,鴻鵠高飛,不集汚池』とある。

 

[列子楊朱] 大人物は高遠な志をいだいて俗世間には住まない、また小事にこだわらないたとえ。

  [広辞苑 第四版]

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鯛の尾よりも鰯の頭

 

大きい団体で人のしりにつき従うよりも、小さい団体でもその長となれの意。「鶏口となるも牛後となる勿れ」に同じ。

[広辞苑 第四版]

 

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呑舟之魚失水制於螻蟻 [呑舟の魚も水を失へば螻蟻が制す]

大きな魚も水から離れるとオケラやアリのような小さな虫けらも(大魚を)馬鹿呼ばわりすることがある。「賢者も状況が変われば面子を失い辱めを受けることがある」のたとえ。また、「大人物も適所を得なければ才能を発揮する術がない」ことのたとえ。
この他にここでの「螻蟻」は「心が満たされない原因を何かのせいにして恨み嘆く人を指す」との解釈もある。

出典は淮南子(前掲)−主述訓。『呑舟之魚,蕩而失水,則制於螻蟻,離其居也』とある。

[魚博物学 〈考魚篇〉 成語・諺言]

この句に関連して思い起こすタイ国の諺に「洪水になると魚が蟻を食べ、水が引くと蟻が魚を食べる」(原語は韻を踏んだ対句)と言うのがある。

洪水漁業という言葉があるように大陸の大河の洪水は淡水魚の漁獲や魚類資源の再生産と深く係わっており、洪水はゆっくりと水嵩が増し、ピークを過ぎるとまたゆっくりと引いて行く。前後数週間に及ぶことも良くある。

洪水と共にやって来た元気な魚は蟻を食べるが、一旦水が引き始めると退路のない魚は涸死して逆に蟻が魚を食べ始める。上記の中国の諺とはニュアンスはやや異なるが、「世間の形勢が逆転すると主客転倒する」という点では共通する諺である。

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池魚之禍 [池魚の禍(わざわい)]

池魚の災、池魚の憂とも言う。何もしていない無辜の人が禍を受けることのたとえ。
出典は「呂氏春秋(リョシシュンジュウ、秦の呂不韋の編録と伝えられ、先秦諸家の思想を集大成したもの)‐孝行覧・必己」に記載されている故事による。池魚は池の中に飼われている魚の意、話は以下の通り。

宝珠を持つ家来が罪を咎めれれて逃げた。王は人を使わして詰問した。「珠は何処にあるのか?」、「池中に投げ捨てました」。王は池の水を落として探したが無かった。可哀想に池中の魚は水が涸れたので皆死んでしまった。

これとは別に「戦いで城門が焼けたとき消火のため、池の水を使い果たしたので魚は皆死んでしまった」と言う話から転じて「思いがけず災難に巻き込まれること、とりわけ、火事で類焼に遭うことや、火事そのものを池魚之禍と言う場合もある。

[魚博物学 〈考魚篇〉 成語・諺言]

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蘭館金魚にすっとんぎょ

「蘭館金魚にすっとんぎょ、煮ても焼いても喰われんと」

諺というより童謡?である。長崎市で1950年頃に聴き取り。蘭館はオランダ屋敷、長崎県史にも載せられていたように記憶している。

金魚は解るが、「スットンギョ」は魚名か何か分からない。ちなみに金魚は鮒属である…と云うより動物学的にはフナと同種である。

従って鮒と味はまったく同じで美味だ。和金の大きなものは味噌汁にして食べたことがある。一般に「金魚は食えない」と良く云うが、此れは間違い。

                                 [真道重明]

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縁木求魚 [木に縁りて魚を求む]

「孟子」梁恵王篇第一にある。孟子の巧みな論法に嵌められた宣王に対し孟子がたたみかけた。

「それではもうわかり切ったことです。領土を拡張して、秦や楚の大国を挨拶に来させ、中国全土を支配して、西方の夷どもを従えようとなさるのでしょう。しかしそうゆうこれまでのやり方(一方的な武力)でそれを得ようとなさるのは、ちょうど木に縁りて魚を求む(木によじのぼって魚を求め)ようとするのと同じです」。

天下の統一を武力で計ろうとするのは、「木に縁りて魚を求む」るようなもので、「目的と手段が合わないから不可能だ」と言われて、宣王は驚き、意外に思った。「それほど無理かな?」と宣王は聞き返す。

「いや、木に縁って魚を求めるより無理でしょう。木に縁って魚を求めるのは、魚を得ないというまでのことで、後々の災難はありません。しかし王のようなやり方(一方的な武力を用いる)で、大望 《領土拡張云々》 を達しようとなさるなら、心身を尽くして結局は民を残ない国を破る大災難こそ来たれ、けっしてよい結果は来ますまい」。云々。

[魚博物学 〈考魚篇〉 成語・諺言]

余談であるが、トビハゼの仲間(ムツゴロウもその一つ)には「木に攀じ登る習性を持つ。中国の文献には「彈塗魚 Periophthalmus cantonensis 又名泥猴、石貼仔,漲潮時能以 縁木求魚之姿,攀附在紅樹林、石頭上休息・・・云々」とある。(トビハゼの一種で彈塗魚、またの名を泥猴、石貼仔と呼ぶ魚は上げ潮時に「木に縁って魚を求む」姿態が見られ、マングローブの林に攀じ登ったり、石の上で休んでいる・・・)。

元来不可能な話として譬えられた縁木求魚の句もトビハゼには通じない。

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海老で鯛を釣る

 

少しの物をもとに、またわずかの労力によって多くの利益を得る。

魯堂雑話「才芸もなくして高官を得んとす、是も蝦にて鯛を釣らんとする人なり」

[広辞苑 第四版]

わずかな労力や元手で、大きな利益を得ることのたとえ。

安くて小さい蝦で、大きくりっぱな鯛を釣り上げることから。略して「えびたい」とも言う。

〔類〕雑魚で鯛釣る。麦飯で鯉を釣る。

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

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水魚之交 [水魚の交わり]

 

「水魚之交」という諺言は現在ではニュアンスのやや異なる色々な解釈があるようだ。

第1説は「水と魚が離れることができないように君と臣の関係が非常に親密なこと」を指す言葉であるという説。

第2説は「水と魚の関係のように、非常に親密な友情や交際を喩えていう言葉で双方に間に必ずしも上下関係や夫婦・恋人と言った関係とは係わりはないとする説。

第3説は第2説のうち、男と女の恋仲の場合には使わないとの条件が付く説。

「水魚(すいぎょ)の交わり」 、「水魚の思い」、「水魚の因(ちなみ)」、「水魚の親(しん)」とも言う。

[魚博物学 〈考魚篇〉 成語・諺言]

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魚心あれば水心

 

魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心を持つという意味。「相手の出方に好意があれば、こちらもそれに応ずる用意がある」ということ。

GAKKEN 故事ことわざ辞典によると、「相手の出ようひとつでこちらの対応のしかたも違ってくる」。相手が好意を示せば、こちらも好意をもって対応しようということ。もと「魚、心あれば、水、心あり」で、魚が水に好意を示せば水もそれに対応する心があるの意。「水心あれば魚心」とも言う・・・とある。

広辞苑四版によると、「魚心あれば水心」の略。人、軒並娘八丈「水心で借した金、催促せぬは何と―ぢやあるまいか」、○魚心あれば水心(魚に心あれば、水にもそれに応ずる心があるの意。もと「魚、心あれば、水、心あり」の形だったもの) 相手が好意を持てば、こちらもそれに応ずる用意があることにいう。○魚心あれば水心あり。うおごころ(成句)。

 

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水広ければ魚大なり
 
 
君主の度量が大きければ賢臣もそれに集まること(淮南子)

[魚博物学 〈考魚篇〉 成語・諺言]

 

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洪水になると魚が蟻を食べ、水が引くと蟻が魚を食べる

タイ国の諺に「洪水になると魚が蟻を食べ、水が引くと蟻が魚を食べる」(原語は韻を踏んだ対句)と言うのがある。

洪水漁業という言葉があるように大陸の大河の洪水は淡水魚の漁獲や魚類資源の再生産と深く係わっており、洪水は一週間から数週間を掛けてゆっくりと水嵩が増し、ピークを過ぎるとまたゆっくりと引いて行く。

洪水と共にやって来た元気な魚は蟻を食べるが、一旦水が引き始めると退路のない魚は涸死してしまう。一方、逆に生き残った蟻は巣孔から出てきて涸死した魚を食べ始める。「世間の形勢が逆転すると主客転倒する」のたとえである。私はタイ国に11年居たが、この光景は自宅の庭でよく見掛けた。

ナー・クン プー・キン・モツト  ナー・ロン  モツト・キン・プ

[真道重明]

安藤浩氏は「昨日は他人の身、今日は我が身」として居られる。「水が来ると魚が蟻を食い、水が引くと蟻が魚を食う」という言い方も有るとのこと。クンは水位が上がる、ロンは水位が下がる意味である。

 

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魚 目 燕 石

ぎょもくえんせき、本物そっくりの偽物のたとえ。

◆魚の目と,燕山(えんざん)の石はどちらも宝石に似ているが,本物の宝石ではないの意から。「燕山」は,中国河北省にある山の名。〔例〕この機種は,最新の機能を備えていると聞いたのに,魚目燕石で役立たずだ。

「魚目燕石かかしにえせ学者」

[GAKKEN 四字熟語辞典]

 

 

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魚の釜中に遊ぶが若し

 

うおのふちゅうにあそぶがごとし、危険が目前に迫っていることも知らずにのほほんとしていることのたとえ。

釜(かま)の中の魚が釜の水がやがて熱せられれば煮られてしまう運命にあるのに、それとも知らずにのんびりと泳いでいることから。「釜中の魚」とも言う。〔出〕後漢書(ごかんじょ)

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

 

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魚の水を得たよう

 

うおのみずをえたよう、人がふさわしい環境を得て、張り切って活躍していることのたとえ。

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

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魚の目に水見えず

 

うおのめにみずみえず、あまりに身近なものは、かえって目に入らず、それがどんなに価値があるものでもわからないことのたとえ。

周囲にいつでもある水が、魚の目には見えないことから。あとに「人の目に空見えず」と続けても言う。

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

 

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魚は鯛

 

うおはたい、魚の王はなんといっても鯛であるということ。比喩的に、同類中の最もすぐれたものをも言う。

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

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魚を得て筌を忘る

 

うおをえてうえをわする、目的を達してしまうと、その目的のために必要であり、恩恵にあずかったもののことを、とかく忘れてしまいがちなものだということ。

◎「筌」は魚が入ると出られないしくみになっている竹製の漁具で、魚を得てしまえば、得るのに必要だった筌は不用となり、筌のありがたみをつい忘れてしまうということから。〔出〕荘子(そうじ)

〔類〕雨晴れて笠を忘れる/喉元過ぎれば熱さを忘れる

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

 

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魚腹に葬らる

 

ぎょふくにほうむらる、水死・溺死(できし)することのたとえ。

海や川で溺(おぼ)れ死んで魚に食われ、その腹の中に葬られるの意から。〔出〕楚辞(そじ)

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

 

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鰯の頭も信心から

 

たとえどんなつまらないものでも信心のしかたしだいで、尊くありがたいものになるということ。

鰯の頭のようなごくつまらないものでも、信心しだいでは貴重な信仰の対象になるの意から。節分の夜に、鰯の頭を柊(ひいらぎ)の枝にさして門口に置くと悪鬼を追い払うという風習からきたことば。

[GAKKEN 故事ことわざ辞典]

 

イワシの頭のようにとるにたらないものでも、信ずる気持ちがあれば尊いものに見える。信仰心の不思議さをたとえた語。

[大辞林]

 

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ごまめの魚(とと)まじり

 

「ごまめ」はカタクチイワシを干したもの。祝儀用。田作り。「ごまめの魚(とと)まじり」は「身分不相応の交際」を指す言葉。

[岩波国語辞典第六版]

雑魚(ざこ)の「魚(とと)まじり」とも言う。

大物の中に小物が分不相応に入りまじるたとえ。

[広辞苑 第四版]

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ごまめの歯ぎしり

「ごまめの歯ぎしり」とは「非力の者がいくら気ばってみてもむだなこと」を指す言葉。「ごまめ」はカタクチイワシを干したもの。祝儀用。田作り。

[岩波国語辞典第六版]

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鯉素 (故事)

 

手紙のこと。「鯉魚尺素」の略。鯉の腹の中から白絹(=素)に書かれた手紙が出てきた故事による。

「古楽府」飲馬長城窟行の「客従遠方来、遺我双鯉魚、呼児烹鯉魚、中有尺素書=客遠方ヨリ来タリ、我ニ双鯉魚ヲ遺ル、児ヲ呼ンデ鯉魚ヲ烹ントスレバ、中ニ尺素ノ書有リ」に由来する。

[株式会社学習研究社 漢字源]

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年年有魚

中国語では「魚」と「余」は発音が同じであるため「年年有魚」は「年年有余」、すなわち「毎年(家計に)余裕がある」と言う希望を込めためでたい言葉。

中国は伝統的に水産物、内陸部ではとりわけ淡水魚を好んで食べる。猪肉(豚肉、猪は野猪と言う)や羊肉と共に重要な動物蛋白源である。

[真道重明]

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吉慶有魚

年年有魚(前掲)と同様、魚は余に通じるので、吉慶有魚は「吉慶有余」、すなわち「めでたいお祝い、家計も裕福」の意味で縁起の良い言葉。

お皿には良く魚の繪が描かれ、内陸部の貧困な農村で魚が無いときには木製の魚の形をした魚偶を皿に載せ、その上に料理を盛る風習があったと言う記事を昔読んだ記憶がある。改革開放後も「吃魚難」(魚が市場になく食べられない)と言う社会不満のある時期があった。

[真道重明]

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魚米の郷

魚米郷、魚米之郷。食糧が充足している楽天地を指す。

屯渓の黄山之遊と題する七言絶句に下記の詞がある。

最愛江南魚米郷。   最も愛す江南 魚米の郷
屯渓古鎮更情長。   屯渓の古鎮 更に情長し
小崋山下桃花水。   小崋山下 桃花水
況有茶香与墨香。   況や茶香と墨香と有り

また、二胡の名曲に「洞庭魚米郷」がある。古来、中国では「魚米郷、または魚米之郷は成語として良く使われて居る。

[真道重明]

 

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田には稲穂、水には魚

(タイの成語)

田ん圃の中には米(稲穂)が有り、川や池・湖には魚が有る。中国の成語の魚米郷、または魚米之郷と同じく、楽土を指す。

原語は韻を踏み、仮名で表記し意味を漢字に当て嵌めると:−

ナイ ・ ナー・ミー・プ   ナイ ・ ナー・ ミー・カー

 内   水  有   魚    内   田   有   米

タイ語の語法は中国語と良く似たシノ・チベット語属で、上記も漢字で書けばこのようになる。声調があるので仮名では正確に音を表記出来ない。

[真道重明]

安藤浩氏(畏友、バンコクの大使館のタイ専門官を長年勤められたタイ語・タイ文学の第一人者)によると、スコータイ王朝第3代のラームカムヘーン大王碑文の一節にこの句があるとのこと。なお、この碑文の文字は現代タイ文字の基礎となったラーイスー・タイ文字で書かれて居ると言う。

 

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大魚小魚を呑む

(ベトナム・ハイフォン地方の俚諺)

「長いものには巻かれろ」の意。

Ca lon nuot ca be

[小菅 丈治]

 

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まな板の上の魚

(ベトナム・ハイフォン地方の俚諺)

 

「大変怖い思いをすること」のたとえ。

So nhu ca nam tren thot

日本語の「まな板の鯉」というと潔い心境を表す諺ですから、ヴェトナムではだいぶ違う意味で使われます。

[小菅 丈治]

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群れた小魚の下に居る大魚が獲られる

(ベトナム・ハイフォン地方の俚諺)

 

「子供のせいで親が災いを被る」の意味に使われるらしい。

水面近くの小魚の群を目あてに、その下に居る大きな魚を狙って捕獲するやり方が良くあるので、この俚諺が生まれたようだ。

 

[小菅 丈治]

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秋サバ嫁に食わすな

 

春から夏に産卵を終えたサバは,食欲旺盛になり,秋には脂がのって美味になる。「この魚を嫁に食わせるのは惜しい」という姑の根性をいったもの.。

 

共立出版「さかな小辞典」(1971)

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秋カマス嫁に食わすな

 

カマスのシュンは秋で美味い。「秋サバ嫁に食わすな」と同じく「姑の根性」をいったもの.。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

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ハゼの洗いは嫁に食わすな

 

ハゼ(鯊魚)の洗い(刺身を冷水に晒して身を締めたもの、「鯉の洗い」は有名)。刺身(関西では刺身のことを普通は「造り」と云う)とはやや異なる。「秋サバ嫁に食わすな」、「秋カマス嫁に食わすな」と同じく「姑の根性」をいったもの.。

 

共立出版「さかな小辞典」(1971)

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網呑舟の魚を漏らす

「目の粗い網は,舟も呑みこむような大魚さえも逃がしてしまう」ということから、法律の盲点を突いたことば。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

[史記酷吏伝序] 舟を呑み込むほどの大魚が網を飛び越えるように、大罪人がかえって刑罰の制裁を免れる。

広辞苑

 

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アンコウの待ち食い

 

アンコウは釣師魚とか, fshing frog とよばれるように,海底に静かにしていて,泳いでくる魚をつかまえて食べることから,働かずにいてご馳走にありつくことをいう。

 

共立出版「さかな小辞典」(1971)

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イワシ七度洗えばタイの味

 

タイは淡白な味であるが,イワシは脂肪が多く,また生臭いことから,生臭味をおとせば,イワシも万ざらではないということ。

 

共立出版「さかな小辞典」(1971)

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鵜川の小アユ

 

鵜飼いをする川にすむ小アユのように,逃げきれない,ということのたとえ。

 

共立出版「さかな小辞典」(1971)

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丑の日のウナギ

 

(土用のウナギ)、(丑ウナギ)ともいう.夏の暑さに対する栄養価の補給という意味からも、夏季に脂肪が多く、肉にもビタミン A を含んでいるウナギはスタミナ食としての役割が大きい。丑の日のウナギは。ウナギ屋の宣伝ともいわれる。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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内ハマグリの,外シジミ貝

 

自分の家では威張っていても、外に出ると小さくなっている。(内べんけい)のことをいう。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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夏のハマグリは犬も食わぬ
 

ハマグリは夏の時期は産卵後で、味がおちることを示した諺。同じような理由で、(三月ヒラメは犬も食わぬ)ともいう。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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夏はカツオに,冬マグロ

 

カツオとマグロの食べる時季 (シュン) を言い表わしたもの、春〜夏の上りカツオは味がさっぱりしており、秋の下りカツオは脂肪が豊かで美味。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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南部のサケの鼻曲り

 

サケの鼻曲りは南部 (盛岡地方) に限ったことではなく、産卵期の雄ザケの特長である。南部地方では、秋サケが上る川が多い。江戸時代に,南部の人は性根が曲がっている、ということをさした悪口であるともいう。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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カツオ節を猫に預ける

 

みすみす、食べられてしまうのはわかっている.〈盗人に鍵〉と同じことで、相手に利益を与えて、自分は損をしてしまうこと.〈猫に魚の番〉と同じ。 → 猫にカツオ節。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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親をにらむとカレイになる

 

日本古来の伝承。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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貝殻で海を量る

 

(シジミ貝で海を測る)、(シジミ貝で大海をすくう)ともいう。貝殻のような小さいもので、海の水を量ってもどうにもならないことから、非才の身で大事を論ずることをいう。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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カニの念仏

 

カニがぶつぶつ泡をふくように,口の中でぶつぶついうこと。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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タコの糞で頭にあがる

 

自分だけは良い気になっているが、他からはいやしめられるたと。

. 共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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A11 is fish that comes his net.
 

手に入れたものは,みな役に立たせるということ.。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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Don't teach fishes to swim.

 

自分より才能のすぐれている者に向って教えても、相手から不明を笑われるぐらい、ということ。〈釈迦に説法〉と同じ。

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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魚の木に登るがごとし

 

到底できそうもないことのたとえ。

 

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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魚は江湖に相忘る

 

魚は広々とした水の中で本当に楽しめるということで、人間は〈道〉によって自由を得ることができるというたとえ。

 

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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ウナギは馬の毛から生まれる

 

ヨーロッパの伝承 → ウナギは泥から生ず。

 

共立出版「さかな小辞典」(1971)

 

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