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言葉の詮索

(その4)

 

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MOKUJI

目 次

表音主義者の錯覚1 (kmns氏の「頂門の一針」に書いたエッセイ)転載
表音主義者の錯覚2 (kmns氏の「頂門の一針」に書いたエッセイ)転載
硫黄島の名稱をめぐって (kmns氏の話)転載
の英語 (私の発音や英語力及び米語に関する前田氏の論旨
入学試験と英語教育 (kmns氏の頂門の一針」に書いたエッセイ)転載
狸顔と狐顔 (S君の人間分類法)
白石氏の「仮名遣い入門」に対する批判 (その1) (上西俊雄 PDF寄稿
白石氏の「仮名遣い入門」に対する批判 (その2) (上西俊雄 )寄稿


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HyouonSyugi1

表音主義者の錯覚1

錯覚と傲慢

 

 

{転載}頂門の一針 2465號 反響欄(1) 

                     (2011年12月)

上西 俊雄 

 

[はじめに]

2457號(12.9)轉載の岩見隆夫氏の「批判はいいが惡罵はいけません」(サンデー毎日 12月18日號)といふのが氣になってゐる。

2453號(12.5)で防衞省沖縄局長の舌禍事件をとりあげて、ああいふ平板な表現こそ戰後教育の目指したものであったはずだと書いた通り、國語の運用能力の劣化も關係してゐると思ふ。もうひとつ、國會中繼などみて思ふのは大向う受けをねらふ議論が多いといふこと。

議論が相手に向けられてゐないといふわけではないけれど、それ以上に國民向けといふか有權者向けといふ趣がある。思ひ出すのはある議員に對して「疑惑のデパートと言はれてますけど疑惑の總合商社ですよ」と言ってのけて人氣を博した何とかいふ女性。

かういふ表現の方がニュースになる。しかし、言はれた方としてみれば、この表現に怒りを感じることはあっても納得したり考へが改まったりすることは少いだらう。

12月6日の國會中繼をみてゐて感心したのは中山參議院議員の質問。一川保夫防衞大臣閣下も心底はづかしかったに違ひない。

http://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?ssp=7091&mode=LIBRARY

しかし、かういふ質問はマスコミ受けしないのだと自民黨の祕書の人が嘆いてゐた。

細かな議論を嫌ふのはマスコミだけではない。葬儀のときの法話を、どうせ同じことでせうと端折りたがる遺族があると湯仲間の坊さんから聞いた。何故とかどうしてとかといふことを輕んずる傾向があるといふことだ。

ローマ字のこと、國語のことも、マスコミ向きの問題ではない。伊藤正雄が「今日の日本には、正すべき姿勢の必要が各方面に見出されるが、まづ國語教育の骨格を強化することによって、國語の姿勢を正し、國語の姿勢を正すことによって、國民の體質を改善したいといふのが、微力ながら老骨終生の念願である」と書いたのは昭和45年。事態ははるかに惡化した。

國語のマニュアル化といふべき現象がある。これは、文部省が漢字や假名の使用についてあれこれ指圖することからはじまったことだと思ふ。黒板に地域と書きかけた先生、域の字を途中で消して假名にしたのは一年生では使ってはいけない漢字だと途中で氣がついたためだ。

先日の圖書館、「いらっしゃいませ、こんにちは」といふ。初めてみる顏。かういふ場合は「こんにちは」と返すべきなのか。

とにかく本を返して次の卷を借りたいから地階の書庫からとってきて欲しいとつげるのだが、それがなかなか傳はらない。やっと通じたら地階の書庫にあるから、この札をもって待つやうにといふころまで進んだ。しばらくして本を受取にいったら、また「こんにちは」と言って、それから館内で讀むのか借りて行くのかと尋ねてきたもんだ。

昨日錢湯で聞いたのは、あるチームの監督、子供たちにハンバーガーを買ってやらうとマクドナルドで50個注文したところ、「ここでお召し上がりになりますかお持ち歸りになりますか」と言はれたといふ話。

調布に越してきてはじめて行った飮み屋で「いらっしゃいませ、今晩は」と言はれたときには、何處であったことのある娘だらうと一瞬とまどったものだ。

國會議事堂裏の通りで立ってゐる警官から次々と「お早うございます」と聲を掛けられる。かういふことは餘計なことといふより、相互に應酬する挨拶を破壞するものだと言ひたい。

先日のラヂオで、朝鮮語と日本語のことをやってゐたが、日本語はまだ音が決まってゐないから表記が定まらないと、アナウンサーらしき人が言ふのが耳に入った。表記は自分達で決めるものだといふ口振り、表音主義の浸透は驚くべきものがある。

 

[カナ表記要領]

2459號(12.11) 反響欄で觸れた國會圖書館のカナ表記要領

http://www.ndl.go.jp/jp/library/data/kanahyouki2008.html

を例にあげよう。こんなところがある。

<舊かなづかひはその現代語音によって表記する。>

この意味が判るだらうか。私にはわからない。例が上げてある。

<てふてふ チョウチョウ/ どぜう ドジョウ / としゑ トシエ>

「舊かなづかひ」ではなく「舊かなづかひで書かれた語」が問題なのだと思ふ。さて、假名遣でなかったとしてもまだ問題が殘る。「現代語音によって表記する」といふことはどういふことか。

「音によって表記する」といふこと自體意味不明ではないか。表記は假名によってするはずだ。だから「現代語音によって」といふのは方法ではなく、表記する對象を言ったものと解すべきだらう。

ところで舊かなづかひで書かれてゐた語、その音は如何なるものであったのか。現代語音とは何時の時代の音のことなのか。さういふことは一切書いてない。

繪で讀む般若心經といふのを見た。

http://home.att.ne.jp/grape/shindo/mougo6.htm#EdeyomuSingyou

江戸時代のものだと思ふ。現代音と變らないとみてよいのではないだらうか。

摩訶般若波羅蜜多心經のところ、摩訶は轉倒した釜、般若は般若の面波羅は布袋さんの腹のやうな繪、蜜は箕、田は田圃の圖、心經は神鏡で示すといふ具合。

色即是空空即是色の是は錢を半分にしたもので見てゐて面白い。

無無明亦無無明盡の二つの明は假名でミョウとしてあるが、繪は眼と鰻、つまりメウとしてあると書いたけれど鰻が妙に下膨れしてゐる。鵜と看るべきかもしれない。人の錯覺をいふのに頼りないことであった。

メウと表記してあっても、その音は文部省式に書けばミョウで書く音であったといふだけだから、假名が違ってゐたから音が違ってゐたとするなら、それは錯覺。繪で讀む般若心經の智惠からすれば、歴史的假名遣の方が語の音を表してゐたとみるべきだ。ただ一字一音でないといふのみ。假名の問題として言へるのは「としゑ トシエ」の場合だけだ。

<助詞「ハ」「ヘ」「ヲ」は「ワ」「エ」「オ」と表記する>

といふのもある。例としては<こんにちは コンニチワ / いずこへ イズコエ / 字を書く ジ△オ△カク>

「字を書く」をジ△オ△カクとしてゐるけれど、この△は空白だと思はれる。

「いずこへ」はどうしてイズコ△エとしないのだらうか。どうも、そのあたりまで徹底して考へたものではないらしい。

<2語の連合または同音の連呼によって生じた「ヂ」「ヅ」は「ジ」「ズ」と表記する>

といふところの例は

<ちかぢか チカジカ / 磯づり イソズリ / かなづかい カナズカイ /ちぢむ チジム/ つづり方 ツズリカタ>

要するに昭和61年の現代假名遣で殘ってゐたヂヅをすべて禁止、テニヲハに殘ってゐた語中のハ行音もワ行音も禁止といふわけだ。かくして假名字母制限表記は完成する。

長音といふ箇所もある。列といふのを段に直して引用するが、氣になるのは「ア段の長音は、「ア」と表記する」といふ表現。まるで「母さん」はカサンと書くといってゐるやうだ。

昭和61年の現代假名遣では「ア段の假名に「あ」を添へる」と言ってゐるのと異なる。假名でなく音としたのが味噌なのかもしれない。いまになって氣がついたのは昭和21年の内閣告示の假名表記を漢字表記に改めたのは「づ」の使用を避けたかったためかもしれない。

恐らく國會圖書館のカナ表記要領は戰後文部省を領導した表音主義の極北に位置するものだ。ローマ字にするための前處理だと理解してよいだらう。通行のローマ字ではテニヲハはハ行子音を外して代りに空白を入れるだけでなく、ヲもしくはオの前にも空白を入れるのが一般的。だから何かが簡便になったわけでもないのであるが、とにかくローマ字のやうには首尾一貫してゐない。

露伴は方陣祕説の最後で智識の限界を論じて、無限なりとする者を次のやうに斷じてゐる。

自己ヲ欺キ人ヲ瞞着シテ其ノ智識ノ高キヲ誇ル所ノ、取ルニ足ラザル人ナル事ハ其ノ事實上ニ明瞭ナル事、日ヲ看ルゴ卜シ卜ス。若シ果シテ智識無限ナラバ、解繹ニ解稗アリ、其ノ解繹ニ叉タ解稗アリテ即チ無限ノ解稗アリ、無限ナルノ故ニ理ノ固定スル事必ズナシ。

表音主義者必ずしも智識の無限を言ふわけではないが、萬葉から敗戰時まで行はれた五十音を破壞して未だ確かなものに辿りついてゐないにかかはらず更に工夫を續けるといふところに傲慢を感じるものだ。

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Hyouonnsygi2

表音主義者の錯覚 2

錯覺したのは表音主義者だけではなかった

 

{転載}頂門の一針 2472号  11・12・24(土)

(2011年12月)

上西 俊雄 

 

[はじめに]

 

孫とプラネタリウムに行った。映畫をみてゐるやうで素晴らしかったが星のことを複數の場合は必ず星達と呼ぶのが氣になった。英語の影響は實に恐るべきものがある。

明治期における西歐言語學に對する劣等感の大きかったであらうことをあらためて思った。保科孝一ならずとも、學者は國語は變化したはずだと、そのための證據をさがすやうに方向づけられてゐただらう。

變化があったとする場合に引合ひにだされるのは上代特殊假名遣であり、元祿時代の硯縮涼鼓集の刊行であり、「母には二度逢ひたれども父には一度も逢はず」といふ謎のこと。

上代特殊假名遣の通常の説明を信ずるならば國語は八母音體系から五母音體系にわづかの間に變化したことになるが、何が原因であったのかを聞いたことがない。

1852號(22.3.17)「國語音韻體系に變化はあったのか」で紹介したのは彼地からのボートピープルが大量に書記官に採用されて朝鮮語の耳で國語を聽き、異音にすぎないものを書き分けてしまったとする説。少くともこれだと歴史上の大事件を必要としない。

硯縮涼鼓集は四假名(ヂジヅズ)の書分けの難しい語をあつめたもので、斯かる手引書の需要が生じたのは四假名の區別が失はれたことを示すものとみられたのだ。しかし「わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり」のウヂは鬱(ウシ)との掛け詞。作者の喜撰法師は平安前期の人とあるから、假名の成立の頃よりヂジは通じてゐたとみることができる。元祿のころは紙や筆墨が出回って一般人が文字を書くやうになったから手引書の需要が生じたのかもしれない。

殘ったのがハ行音のこと。昨年の暮に擴張ヘボン式の説明を書きなほしたとき轉呼といふ現象を逆にした。

 

[源氏物語の場合]

或る席でハ行轉呼音のことから國語音韻に變化があったとする主張に疑問を呈したところ、書家で歌人の安東路翠子が源氏物語で蝶はテフではなかったと教へてくれた。驚いてネットで調べたところ古典總合研究所の語彙檢索で池田龜鑑編著「源氏物語大成」に次の例を見つけることができた。

<0754-07 のおりえたてうとりとひちかひからめいたるしろきこうちきにこきかつややかなる>

玉鬘の「梅の折枝、蝶、鳥、飛びちがひ、唐めいたる白き小袿に、濃きがつややかなる重ねて」といふところ。

高千穗大學澁谷榮一教授の「源氏物語の世界」(日本式ローマ字で源氏物語を翻字)によれば

Mume no worieda, tehu, tori, tobi tigahi, karamei taru siroki

koutiki ni, koki ga tuyayaka naru kasane te

である。底本が何であるか確かめてゐないが。オリエタをヲリエタとしたのは宣長がオとヲを入れ換へたといふことからして納得できなくはない。しかし蝶はテウだったのかテフだったのかは氣になるところだ。

さて、國會圖書館のカナ表記要領が「舊かなづかひはその現代語音によって表記する」として最初にあげた例がテフをチョウとすることであった。繪で讀む般若心經によって江戸時代のメウと今のミョウと異なる音を表してはゐなかったことを知ることができたわけであるが、テフとテフと區別がなかったとすれば音便表記が平安時代にすでに行はれてゐたとすることを妨げるものはない。假名文字の成立からさほど隔たってゐないときの話だ。

いはゆる長音が音便(同化現象)だといふ捉へ方をしたのは今年十月。テフもチョウも音便だと氣づいてみると二文字の方が讀みやすいことは當然だと見えてくる。

念のため擴張ヘボン式による轉寫を示す。(テフとした場合)

Mumeno worieda te`u tori tobichiga`i karameitaru shiroki

ko-uchikini kokiga tsuyayakanaru kasanete

小袿を ko-uchiki としたのは ou の音便表記と區別するためだ。なほ、orieda には prevocalic i (母音を從へる i)があるが敢へてハイフンを入れないのは宣長が字音假字用格で「サテ又あいうおノ四音ハ、語ノ中ニ在ルトキハ省ク例多シ(中略)えノ音ノ例ナキハ、イカナル理ニカアラム、未考」としてゐたことを踏まへたもので、エは純粋の母音ではないといふ氣持がある。錯覺したのは表音主義者だけではない。

 

[古典の日の特集記事]

11月1日に國立京都國際會館であった古典の日推進フォーラムのことが12月17日の日本經濟新聞朝刊見開き二頁で大きく報じられた。上段に横に「いにしへの叡智 とこしへの價値 學ぶ」といふ見出し。看ると二つの「へ」は「え」としてあったので驚いた。古典を推進する人のやることではない。新聞社のせいだらうと思ったけれど、たとへばパネリスト
の發言をみるとさうとばかりは言へないやうだ。

<福嶋昭治園田學園女子大教授 源氏物語を明るい場所で文字で讀むことに慣れてしまってゐないか。文字が語り盡くせない、感じられる香りや音は、古典を見直す切り口としてふさはしい。

山本淳子京都學園大教授 古典文學の中の音はマイクで記録して再生して聽くわけにはいかなぃ。平安時代の音聲を我々は聽けない。でも心で耳を澄まして作者の聲を聽いたり、自分の心を重ねたりすることで作者の思ひや歌を讀み取ることができる。文學の音は心で聽くものだと思ふ。紫式部の描く音は單發の音ではなく蟲の音、風の音、樂器の音といくつも重ねて風景を描いてゐる。>

見事に文部省の假名文字制限を墨守した發言なのだ。同じ日の夕刊では父新田次郎氏に「卑怯者は武士として許さん」と嚴しく育てられたといふ藤原正彦氏が「教育界や經濟界は小學校から英語とIT(情報技術)教育を充實しないと國際競爭に負けると言ひますが、何より大切なのは國語。そして日本が命をかけてでも守る價値のある國との自覺を持つことです」と熱く語る。まったく異論はないのであるが、やはりここはがつんと五十音圖のことを説いてもらひたいところだ。

古典の日推進運動が内容としての文學や小説をこどもにすすめることになっては大變だ。なんと言っても源氏物語は軟文學。子供に讀ませるものではない。少なくとも讀めるやうになってからでよいはずだ。漫畫で説明した源氏物語が小學校の教室に備へてあるのをみて大きな違和感をもった。古典教育の重視が藤原正彦氏の主張と逆の結果になることを恐れる。

 

[付記]

金正日逝き後繼者には實績がないといふ。金正恩の名が上がったのは延坪島砲撃事件くらい。かう書いた中の人名地名は三つとも漢語。これを朝鮮語の字音でいふことが行はれてゐる。我國と彼國との交渉は古い。

もしさういふことが行はれてゐたら五十音圖の發見もイロハ四十七文字の假名の成立もなかったであらう。音韻分析は母語話者でなければならないと讀んだことがある。當然、正書法もさうだ。

延坪島砲撃事件のあとの國語議聯の勉強會、ヰやヱをなぜ教科書に載せることができないかとの發言が續く。それに對して役人側に冷笑のやうなものを感じたので、北朝鮮から砲撃を受けた島の名前を言へる人があるかと質問したところ、誰も答へることはできなかった。なぜそんな質問するのかも判らなかったに違ひない。

國語を守ることは國防の問題でもあるのだ。以上「表音主義者の錯覺と傲慢」(2464號12.16)の續編のつもりで書いた。

                        頂門の一針 2472号  11・12・24(土)より

 

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IOWJIMA

硫黄島の名稱をめぐって

 

{転載}頂門の一針 2517号  12・2・11(土)

(2012年02月)

上西 俊雄 

 

[はじめに]

 

中防衞大臣が伊江島と硫黄島とを混同したといふ。硫黄島はややこしい。

鹿ヶ谷の陰謀で俊寛僧都、藤原成恆、平康頼の三人が流刑。やがての赦免にも俊寛一人が與らず、有王が訪ねると斷食して死去するといふ話は子供の頃によくきいた。有王は舊主の遺骨を抱いて諸國を行脚したと傳へられ、あちこちに俊寛塚がある。

平家物語でも謠曲でも流刑地は鬼界ケ島だ。薩南諸島に喜界ケ島があり、ここに俊寛の墓もある。平家物語には鬼界ケ島について「島のなかにはたかき山有り。鎭に火もゆ。硫黄と云物みちみてり。かるがゆへに硫黄が島とも名付けたり。」とある。鹿兒島灣にずっと近く硫黄島がある。硫黄のために周りの海が黄色く、黄海島と呼ばれたことがあったといふが、とにかくここにも俊寛塚がある。この硫黄島は薩摩硫黄島と呼ばれるもので小笠原諸島の硫黄島とは別。

源平盛衰記には鬼界は十二の島で中の一つが硫黄島。三人は別々の島に流されたが後に俊寛と康頼が硫黄島へ寄會ったことになってゐる。長崎港外の伊王島にも俊寛塚があって白秋の歌碑「いにしへの流され人もかくありてすゑいきどほり海を睨みき」がある。

伊王島と二つの硫黄島。島を音で讀むか訓で讀むか、訓であればシマとするかジマと濁るかを別にすれば同じ名前の島が三つもあるわけだ。

小笠原諸島の硫黄島は音讀であったが、今はジマと讀まれることが多い。薩摩硫黄島も伊王島もシマだ。これはネットで調べた。舊運輸省海上保安廳水路部がつくる海圖はヘボン式。表記では全てシマで統一する。

ヘボン式といふから、マクロンを冠するのかと思ったらマクロンは附さないのださうだ。ネットで調べると小笠原諸島の硫黄島は iwojima とあるが、薩摩硫黄島燈臺は ioushima で出てきた。

ジマと讀むところを shima としたのは海上保安廳の管轄だからだらうか。しかし ou としたのは海圖でないので、つい氣が緩んだためかもしれない。

なほ、小笠原諸島の硫黄島を iwojima とせず ioushima としたものも多く、逆に薩摩硫黄島を iwojima としたのもある。伊王島は ioujimaioshima かであって ioushima としたものはない。(このあたり平成19年作成のメモによる。平成16年11月11日施行の國土地理院方式ことは知らなかった。世間も知らなかったやうだ。)

 

[正書法の喪失]

 

國民を戰前の文獻に對して文盲たらしめんとした占領軍の作戰は表音主義者の利用するところとなって彼らの意圖した以上の成果を納めて今や我々は正書法を失ってしまった。

表音主義を徹底すればさうなるのは當然。地名のごときも住民の投票で左右されることになった。文語文の假名遣が一字一音でないからと、假名字母を制限するこころみは戰前すでに點字に於てなされてゐたことで占領軍の發明ではない。

國語問題協議會會報『國語國字』第196號所載藍川由美隨聞記によれば文部省唱歌の歌詞の改竄も戰前になされてゐた。

國家國旗法は保守の人の運動の結果生まれた筈のものであるが、君が代の歌詞の「いはほとなりて」が「いわおとなりて」と改竄された。表音主義の影響は實に恐るべきものがある。

表音主義のいふ一字一音が錯覺であったことは2465號、2472號で論じた(眞道重明さんのサイトの「言葉の詮索(4)」で公開)ので御參照いただければ有り難い。

昨年の大晦日に民主黨脱黨者9人で新黨をつくるといふことが報道になった。黨名が假名字母制限表記であったので、如何なる議論の結果なりやと問合せたところ年明けての屆けはキヅナとなった。(ローマ字表記がヅに對應したものではないことは後で知った。)

ヅを用ゐることは戰後の文部行政を眞っ向から否定すること、其の覺悟はありやと問合せた。返事はまだない。とにかく黨名の表記變更のこと、あのローマ字では英語で論ずることもできない。

表音主義は刹那主義に通じるところがある。地名などを住民投票で變へることなどありえなかったことだ。手前は鹿兒島は鹿屋市で育った。鹿屋といふ地名、知ってゐる人は讀めるが知らないと難しい。

中學校のとき、辭書を引き引き英文手紙の譯をして500圓もらった。宛名に shikaya-shi とあるのが難しかった。鹿屋出身の人達の會がある。讀みが難しいからと平假名にひらいてかのや會と名稱が變更。もう參加はやめた。

 

[島は普通名詞]

 

表記だけではない、島を音で讀むか訓で讀むかなども住民投票で改變可能なのだ。

いま、硫黄島の表記をめぐる議論を讀むと米國が苦情を呈してをり、それに對して外國の意向に左右されるべきでないとする主張がある。米國が勝手に言ったはずはないのだ。

國土地理院の人に教はったことであるが、地圖を作るとき、地名は文書で現地の市町村に問合せて確認する。海圖は地名の普通名詞部分(硫黄島の「島」のような)を略語を使って書き表すのが一般的。

略語は一種の記號のやうなもので、「島」は發音通りではなく、すべて「シマ」として扱ふため、略號は「Si」になる。(從來は國土地理院も海上保安廳も原則として、訓令式であった。)

平成の大合併で歴史ある市町村の名前も隨分失はれた。さらにローマ字の方式が混亂を極めてをり、我が住む調布が chofu だとしても誰が納得するであらう。島名變更など些細なことと思ふ人があっても不思議ではない。

硫黄島、硫黄が name で島が word だ。word 部分をシマもしくはジマとするならジに對應する翻字式ローマ字が必要だ。nameの部分はイワウだから iwau だ。w は區切り符號、ア段でのみ兩唇半母音の渡り音として實現する。しかし au autumnau であってア段音ではない。iwau-zhima でなんの問題もなかったし、「島」の音なら tau だから iwau-tau とすべきであった。

 

[シとジのこと]

 

iwau-tau としたのはジを zhi とするからで、ji はヂの方なのだ。これは戰前すでに朝河貫一博士が入來文書で用ゐた方式であるが、露伴が敗戰直前に考へてゐた問題でもあった。

以下『音幻論』より引く。

<まだ一つ別に特異性をもつ奇異なる音がある。それはシであって、シの音は舌端の稍後部と上顎との少しの間隙から内氣を押出す場合に生ずる謂はゞ摩擦的の音であるが、この音の不思議なことは一つの子音であるに拘はらず永續性を有する音であることで、シといふ音をシイとイに移さず同じ舌顎の状態を保って發し續ける時はいつまでもシと聞こえる。

この事は摩擦の状態の存續によって生ずるのであり、摩擦的であるのは發でもなく塞でもなく發塞の間に微存することであるから自らかくの如きを致すのであらう。

シの近似音であるチは、いかに近似音でもこの性質を有することはできない。ス又はズの何分の一か、このシと似た状を保ちはするが、これとても巧な間斷を以て現ぜしめるのである。

シに對する普通に濁音と稱してゐるジも亦シの如き性質を有し得る。摩擦音といふものは尖状の場合にはこれを續け得るのであって、幅の狹い細長い形の内に於て發聲成就できるものであるから、この種の摩擦音に於て見られることなのである。

濁音といふことに觸れたが、音に清濁と言ふことは精しからざる用語と言ふべきで、我等は清音濁音もしくは半濁音といふやうな用ゐざまをしたくない。清濁といふよりは輕重と言った方がよい。>

また、別の箇所であるが、<ザ行のジはシが重くなったのであり、ダ行のヂはチが重くなったのであり、又ズはスが重くなったのでありヅはツが重くなったのであって、自ら差別の存する音であるのに、ジとヂ、ズとヅは日本全國で或地方以外には發音する上に於て全く遣分けられなくなってしまってゐる。血脈を以て論ずればジ・ズは一つの血脈でありヂ・ヅは他の一つの血脈である云々>と述べたところもある。シとチの異なるごとく、英語音であれば shch とは異なり、jch と一つの血脈であり、 sh と一つ血脈のものを表すには zh が必要であるといふこと、これが洋泉社刊の小著『英語は日本人教師だから教へられる』で強調したことであった。

 

[をはりに]

 

田中防衞大臣は島を訓讀したのだから、すでに公的には存在しない島とまちがったことになるのかもしれない。文部省にローマ字について問合せをしてもはかばかしい答がない。

平成16年施行の國土地理院方式も文部省と打合せをしてつくられたやうではなく、平成21年1月15日の文化廳の外國人のためのハンドブックの方式は又まったく別の方式なのだ。

鳩山さんは由紀夫を友愛を訴へるために友紀夫と變へるのださうだ。おそらく表音主義者なのだ。外國に名稱を傳へるなら鳩山さんのやうに輕く trust me と言ってもらっては困る。

最後に音幻論の「シとチ」の跋文の最後のところを。<普幻論は、その意味で長年考へてゐたことであるが、その大綱を成就するに及ぱないで已に私は耳も疎く、目も殆ど盲するに及んでゐる。それで今たゞ、シとチだけのこと言って、その萬分の一の思考を遠慮しながら一例として述べたまでである。

何も自分は言語の上に新古正邪の見を立てようとするのではない。たゞ眞の邦語がどういふものであったかを考へ知りたいと思ふばかりである。

 

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MyEnglish

私の英語

 

「英語力」とは何を指すのだろう?」私のいい加減な英語でも国際会議の司会などは「言葉の不適切なところが多少あろうとも・・・何とか遣れた」。言葉の適切な表現より「喋っている内容を喋り手も聞き手も相互に理解しようと努力する環境の下にあったからだろう。
下記する米語のベテランの前田氏の諸言は「思わず膝を手で打ちたくなる」程に納得する。

真道 重明

                            2012(平成24)年4月

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目 次

はじめに
私達の時代の学校での発音教育
発音を巡る前田氏の論
おわりに


 

HajimeniEng

はじめに

寿に近い私達が英語を習い始めたのは旧制中学校に入学した1930年代の中期である。当時の英語教育は英文の読み書きを目標としており、取り分け「英文の解読力」が重視され、発音などは「どうでも良かった」と云えば言い過ぎだが、軽視されていた。

外国語を学ぶのに「発音などはどうでも良い」とは無茶苦茶な話だが、西欧文化を吸収すると云う明治以来の考え方が色濃く残っていた。幸いなことに私達のクラス担当の先生は英語の専門で発音を重視され、本物の英語の発音に触れさせるため、ヒックマンという英国人による読み方の授業が二週間に一度あった。

発音の体系が全く異なる英語の音を日本語の片仮名で表示するのは乱暴な話ではあるが敢えて書くと、『地図を「ミャップ」ではなく「マップ」、地域を「エアリア」ではなく「エリア』などと発音すると直ちに鋭く直された。しかしこの幸運も僅か一年間だけで、二年生になるときのクラス改組でクラス担当の先生が代わったため、英語の授業は「英文文章を解読することを重視する」と云う旧来の方向に戻ってしまった。(マップやエリアは現在日本語では「防災マップ」や「汚染エリア」などのように一般語として良く使われ、此れらは日本簿の一部になってしまっている)。

最近テレビで視聴した「日・米・中の英語による東京大・ハーバード大・復旦大の学生達による國際討論会」では各国の学生は「地域をエアリア」と全員が英語の発音に近いように発音していると私には聞き取れた。

私は東京外国語学校(東京外国語大学)の専修科で北京官話を習得した際、高低アクセント・有気音や無気音・巻舌音・・・など発音については極めて厳格な教育を受けた。日常会話を重視する同校では発音が極めて煩かった。敗戦後には海外の国際機関に勤める機会を得、取り分けタイ語は何とか日常会話が出来るようになった。

学徒出陣で出征して居た戦地で敗戦、中国国民党の第四空軍司令部(在広州市)に於て通訳官として日本軍から出向、各地から集まってきている中国将兵の喋る少し訛った北京語を聞いて、正確さは兎も角、出身省の見当がつくように迄になった。また後に勤務した國際機関では英語の訛りを聞いて出身国はおよそ見当が付き、タイ語では中国語同様に正確さは兎も角、出身地の見当がつくようになった。

こう言うと私の英語の発音は可成りレベルの高い立派なもののように思われるかも知れない。私の英語力は決して勝れたものでは無く、だだ「訛り」に関しては普通多くの日本人の英語を喋るときの「訛り」とは可成かけ離れているだけである。

理由は簡単で、海外の國際機関に勤務中は毎日の日常会話で喋る相手の多くが教師や研究者の場合は「東南アジアから米英へ留学した人達」、また、講義の対象だった各国から来ているトレーニー達は「夫々の国の人々が話す訛りの英語」だったからで、それらの人々は各自の「家庭での用語は英語」と云う人も多かった。

学校では読み書きに重点が置かれ、発音を疎かにした教育を受けた私は、日常会話や発音は10数年の在任期間中にスッカリ普通の日本人が喋る「日本人訛りの英語」とは異なった者になって了った・・・と云うだけのことである。。

日本人が喋る「日本人訛りの英語」は「ジャパニッシュなどと揶揄した冗談て呼ばれるが、正しく相互に意思が交換出来る場合は、世界語の英語という立場からは此れは此れで良いのだと私は思う。

処で、「私流に訛った英語」を他人はどう覧ているのだろうか?次節で考えて見ることにする。

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HatuonEnglish

私達の時代の学校での発音教育

 

項で述べたように、外国語を学ぶのに「発音などはどうでも良い」とは無茶苦茶な話である。元来、言葉というものは「音声による仲間への警告や相互の意思疏通」から始まり、文字を持つようになった言語では文字が大きな働きをするようになった」と私は思っているが、音声は言語と云う物の最も重要な基本であると思う。

若い頃に「聞いたか、読んだかした話」だが、東北の某中学の生徒に歴代希に見る「英語の大天才」が現れ、確か東京の高等師範学校(後に東京教育大学東京文理科大学附置東京高等師範学校と改名、1952に廃校)で全国規模の英語の試験が行われた。見事に抜群の成績で一位だったのだが、試験後の彼の感想が面白い。

試験には「聴き取り」の課目があって朗読したのは英語を母語とする神戸在住の英国人だった。その天才生徒の感想は「あの英人の発音は実に不思議で変だった」というものであった。その生徒はそれ迄一度も英語を母国語とする人の発音を聞いたことが無く、日本人の諸先生の発音だけだった。

尤も英国人の母国語である英語の発音にせよ、多くの方言的発音があるから BBC (イギリス放送協会)などのアナウンサーの発音が恐らく標準なのだろう。

前節で述べたように私は学校では英語は「読み書き」の教育を重点視し発音は軽視されていたが、上京して昼の本業の受業の他に夜は東京外国語学校(今の東京外大)の中国語専修科で北京官話(当時はシナ語と称した)を数年間習ったとき、発音の訓練も厳しかったがオッシログラフなどによる発音のメカニズムの講義を受け、各国語の母音の発音の難しさなどを知った。

例えば中国語の「ア」(亜細亜の亜)は日本の仮名で示す「あ、ア」とは微妙に異なる。英語や他の各国語の場合も同じくやや異なっている訳だ。英会話と発音に弱い私はクリスチャンの米国人が主催する「無償の聖書輪読会」に参加し、若い人々の中に混じって、少し恥ずかしかったが、ただ一人奮闘したけれども長くは続か無かった。

処で、前節で触れた「私流に訛った英語」を他人はどう覧ているのだろうか?と云う話に戻ろう。私にはこのことについて忘れがたい挿話がある。東京水産大学(今の東京海洋大学)に短期の客員講師として呼ばれていたフランス人(女性)が、帰途にタイ国のバンコク市内中心部に位置する國際機関 SEAFDEC (東南アジア漁業開発センター)の Liaison Office (連絡事務所)を訪れた。次長であった私は連絡を受け同事務所に赴き2時間ばかり彼女と長話をした。

各国の水産研究組織を研究している彼女には(勿論、それは後で知ったことだが)人の喋る「英語の訛り」や「英語の方言」を聞き取って、その人の国籍や地域(例えばアメリカのテキサス訛りなど)を推定することに敏感で有名だった人らしい。

彼女は2時間に亘る会話の中で「日本の研究者は日本内での他の研究者が行っている仕事の内容を相互に実に詳しく知っているのに驚いた」という。未だインターネットの普及した時代ではなかったが、私はファックスによる「農林水産技術会議のシステムを説明した処、彼女は驚いて「どうして貴男は日本のことを良く知っているのか?長く日本に留学していたのか?」と云う。

私は「日本政府の水産研空所から此処へ出向して居る日本人です」と答えた。彼女はテッキリ私の喋る英語の訛りやアクセントから「東南アジア系の人」就中「シンガポールの人」と思っていたようだ。私の英語学習、取り分け会話の習得経緯を説明したら彼女は納得した。

日本人の喋る「訛った英語」だろうが、タイ人やマレーシア人の喋る「訛った英語」だろうかは問題ではない。赤児の時から聞き慣れた母国ではないから・・・。問題は相手が正確に聞き取れて「スムーズな相互理解」が出来るか否かであろう。、

 

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RontyouEng

発音を巡る前田氏の論旨

 

 前田 正晶

 

レビの画面で見たアメリカの国連大使、Susan Rice女史の“Council”の発音に触発されました。良くある例で「キャンシル」のように言いました。

私は英語の発音に関して五月蝿い方だと思っている。同時に、我が国では未だにUK式と言うかQueens accentと言うべきか、こういう発音こそが正しくてアメリカ式は格下 の如くに考えている向きが多い。

特に、私自身も余り褒められたものではないと見ている「母音の後のrを響かせるアメリカ式発音」を軽蔑する方が多い。しかい、後で触れるが、このようなアメリカを格下に見るような偏見は排除すべきだ。

「所変われば品変わる」であり、国や地方で発音は変わってくるのが当たり前だと思っている。何れか一方が正しくて、残る一方が下品だの間違っていると決め付けるべきではない。だが、最初に教えられたものが正しくて、そうではないものが駄目だとするのも早計であろう。

話は逸れるが、北関東の某県の方から聞いた話。「営業部」と入力しようと「いいぎょう」と何回試みても出てこないので、まさかと思ったが「エイヤッ」とばかりに「えいぎょう」としたら正解だったという、笑うに笑えない経験談があった。「いいぎょうぶ」を下品と思う方がおられるだろうか。

UKにもおかしな発音はある。

UKにはLondon cockneyがあるではないかとも言える。それは何かと問われれば「かのサッカーの貴公子(何処が?)」と我が国でマスコミが持て囃したDavid Beckhamは自分の名前を「ダィヴィッ ド」と堂々と称している。

I came here, today.は「アイ・カイム・ヒヤ・トゥダイ」となってしまう。即ち、Cockneyではcameは「皆無」で、“today”は“todie”のような発音になるのだ。

「キャウ」で解約された

それはそれとして、アメリカ英語にも多くの訛りと言いたい発音がある。その典型的な例として長年採り上げてきたものに“cow”の発音がある。ご主人とともに東京に転勤してきたアメリカ人のワシントン州生まれの奥方が、近所の方にお子さんの英語の家庭教師を依頼されて引き受けたそうだ。そして第1日目に“cow”を「キャウ」と読んだのを聞いたその家庭の奥様に「下品な発音だ」として契約解除されてしまって、呆然となったそうだ。研究と調査不足でアメリカのどの州に行けばそういう発音になるかは知
らない。だが、アメリカでは“counter”を「キャウナ」、“coupon”を「キューポン」、“council”を「キャウンシル」のように発音する人は多い。ライス国連大使は現に北朝鮮が何らかの飛翔体を発射したので招集されたUNの“SecurityCouncil”に出席するアメリカの国連大使、Susan Rice女史は明らかに「セキュアラティー・キャンシル」と発音した。

果たして、「キャウ」と聞いて解約した奥様はライス大使をも下品と決め付けるだろうか。因みに、ライス大使はワシントンDC生まれでStanford大学を経てUKのOxford大学でPh.D.を取得されている。教養は十分だろうから下品とは断じ切れまい。とすれば、「キャンシル」は訛りだろうか。訛りだったならば、我が国にも東北訛りもあれば、九州にもあり、そういうものを品格の問題にするのは非礼だろう。即ち、アメリカ式発音即ち品位と品格に結びつけるのは偏見だと思うのが、如何なものだろう。どれが正しいとは言えない

言いたいことは「UK、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、さらにはカナダ等の英語を母国語とする諸国での発音と訛りの違いを弁えた上で、発音を論ずるべきであり、何れか一国の発音を基準にして考えるのはフェアーではない」という点である。

英語を広く学べ

しかし、普通に学校教育で英語を勉強する人に、そこまでの知識と経験を望む必要はないだろう。即ち、教える側が努力するか、教える立場に立つまでに習得するのが筋道だろう。

問題点は、我が国で教えておられる方々が、そこまでの水準に達していない事ではないか。しかも、そういう国別の違いを知ることはそれほど難事業ではないと知るべきだ。それが出来ないならば、幼児、児童、生徒、学生に教えないで欲しい。(以上、英語の発音 頂門の一針 2583号  12・4・17(火)より)

 


 

は「英語の発音はUK式であれアメリカ式であれ、正確で綺麗である方が良い」と考えている。それは正しく且つ正確に発音できるようになっていることが、米英何れの発音であれ正確に聞き取る力を養う上で非常に大きな役割を果たすからである。

最初に正確で綺麗な発音を学ぶこと:

我が国の学校教育の先生方の発音がどちらかと言えば「不正確で外国人並みの綺麗さに欠け、アクセントも抑揚もセンテンス・ストレス(sentence stressで、強調すべきところを強調すること)も良くできておらず、何処できるかも不正確であること」であると指摘したい。長年多くの日本の大手メーカーと商社の方々と折衝し、交流する機会があったから推定できるのである。

しかし、そういう点が不十分というか不正確な例を挙げておけば、近頃はJRに飽きたらずメトロの車内の英語放送にまで進出してきたクリステル・チアリ(Christelle Ciari、フランス人のギタリスト、ClaudeCiariの娘)の全て不正確な国辱的な英語を槍玉に挙げておく。

これを指摘して10年以上経ったと思うが、外国人からも同胞からも同様に批判されたと聞いている。

悪い英語をお手本にしてはならない:

あのクリステル・チアリのような英語を真似していると、良識ある外国人には教養を疑われると保証しておく。

指摘したい要点は、英語を学びはじめる時に米英の発音の何れでも「正確で、綺麗な発音が出来る先生(何もnative speakerの必要はない。前回採り上げた“I 皆無 here to die.”の人だったらどうする)に教えて貰い、それが正しく真似できるよう一所懸命にやっておくことが肝腎である。

正しくて綺麗な発音が身に付けば、将来仮令ロンドン・コクニーやアメリカの南部訛りのような派生的とでも形容したい発音を聞かされても、日本式の外人離れした発音の世界で育った人よりは有利であると保証する。

南部訛りを初体験して:

正確で綺麗な発音を身に付けておけば上記のような独特の訛りにも何とか対応できるものだという例を、自慢話的に紹介しよう。

アメリカの南部訛りとは“Southern accent”や“Southern drawl”と呼ばれており、ゆっくり歌うが如く一部にアフリカ系の訛りも混じっている独特のもので、初めてであろうと3回目であろうと、馴れていなければ聞き取ることは至難の業となる。

それは1972年8月、生まれて初めてアメリカに出張し、最初の目的地のジョージア州アトランタの空港に降り立った時だった。生来粗忽者の私は南部訛りの存在など気にしないで空港ビルの外に出て、案内係(だったのだろう)の若い女性に「空港バスは何処から出るのか」と尋ねた。

その答えはゆっくりと静かで聞き取り易いようでいて、何を言っているのか一瞬戸惑う奇妙な英語だった。しかし、何となく理解して無事にホテルに向かった。いきなりその洗礼を受けて「なるほど、これが南部訛りだったのか」と初めて悟った次第。

翌日は事業部本部で事務部長格の人と朝から8時間の打ち合わせだった。この人物はアトランタ生まれで完璧な?南部訛りだった。しかし、何故か私は無事に乗り切った。

すると、そこに待っていたのが、ニューヨーク出身でアトランタに来たばかりの白人(変な言い方だが)で、東海岸独特の畳みかけてくるような早口の英語を話す若手だった。彼は「君を尊敬する。日本から来たばかりであの部長と丸一日打ち合わせをして全て理解したというのは奇蹟だ。私は未だに彼が何を言っているかが解らないのだ」と尊敬されてしまった。

それほど南部訛りは一部のアメリカ人にとっても難物なのである。それほど顕著ではないが南部訛りが残っているのが、クリントン元大統領とジョージ・ブッシュ二世大統領辺りだが、かのジェンキンスさんもノース・カロライナ州生まれでかなりヘヴィーな訛りがある。

Queen’s Englishは:

我田引水的だが、私が新卒後17年間勤務した日本の会社では、16年間は英語とは全く関係がない仕事をしていた。その16年目に本当にこれ以上ないと言える偶然で、来日したUK最大級の製紙会社のOxford大出身の技術者の通訳のお手伝いをする羽目になった。

ところがどうだろう、まるで昨日まで英語で仕事をしていたかのように彼の英語は聞き取れたし、私の英語も子供の頃と同じように口から出てきたのである。

ここで強調しておきたいことは「初めて正確で綺麗な発音を教えられて、それが正しく身に付いていれば、何処に行っても対応できるものである」という当たり前のようなことだ。

(私の場合には16年間のブランクがあっても対応できたのだった)それに私の場合は幸運にも1945年に初めて中学で教えていただけた先生が正確なアメリカの発音をする所謂混血であってもアメリカ人だったことと、その年の暮れにはGHQの日系米人の秘書の方から「英語で話すこと」を厳しく鍛えられた事があったのである。(以上は2012[平成24)年4月16日(月)より)]

 


 

日本人は何故英語の発音が苦手か:

こういう見出しにすれば、如何にも教え方が悪いからだ等と言い出しそうだが、そういう意図はない。

筋トレで発音を良くしよう:

第1の問題点として日本語と英語では発音に使う筋肉が違うことに原因がある。最も顕著な違いは“w”の「ウ」という音を出す時に使う筋肉だと思う。恐らく、多くの方が口を横に広げるというか口の端に力を入れて横に引っ張って「ウ」と言えと教えられたかと(希望的に)考えている。

これ以外にも“f”や“v”、“th”等の日本語にはない口の動きを必要とする発音がある。アメリカの会社に移って以後約22年間は意識するかしないかは別にして、すくなくとも1年の3分の1はアメリカで過ごした。

残る3分の2の半分以上は日本に出張してきた本社や工場の者達と行動をともにしていたのだから、少なくとも1年間に240日は使う顔面の筋肉が英語用の筋肉トレーニングを続けていたことになる。

ここで戦後直ぐの時代をご存じの方ならばご記憶があると思うが、進駐軍の中に大勢いた日系二世の顔付きを採り上げてみよう。彼らの顔は明らかに我々と同じ構造なのだが、古い表現を使えばどことなく「バタ臭い」というか、何とも具体的に表現しにくい違いがあるようだった。

日本のプロ野球に初めて参加したハワイ出身の与那嶺要の顔がそれだと言えばお解り願えるだろうか。

彼の顔付きは英語を母語として育てばあのような顔付きになるという代表的なものだと考えているのだ。実は、転身後10年も経った後だっただろうか、写真の中の自分の顔を見て「何だ、この日系二世のような顔をした奴は」と驚いたことがあった。

アメリカは言うに及ばず世界中何処に行って日系米人か中国系米人と思われるのだった。そして、15年も経った後の結論が「これは顔面の筋肉の違い」だったという訳だ。

この論理に確信を得たのが、日常的に英語を必要としなくなったリタイヤー後の2〜3年目辺りで、顔付きから「バタ臭さ」が消えていたので、筋肉犯人?説が証明されたと思っている次第だ。日系米人のような顔付きになりたければ、正確な英語の発音ができるように努力することかも知れない。

発声の違い:

お気付きの方もおられるだろうが、英語ないしはスペイン語等の欧米の言葉を話す人が同じJRや地下鉄などの車両に乗って語り合っていると、その声が際立って聞こえてくることが多いのだと。時には迷惑と思うほど五月蝿い。私は当初はこれは英語が発する波長が日本語と異なるので遠くまで聞こえる現象だと考えていた。

ところが、ある時「それは本当は英語等の言語は『音域と言うか声域』が高いので、それが低い我らが日本語を圧倒するのだ」と聞いたことがあって、何となく納得した。即ち、アメリカ人と話し合っていると多くの場合(男性では)所謂「音吐朗々」たるものがあって、立派な声だと思わせられるのだ。

そして、また気が付いたことがある。それは自分でもアメリカに出張した時には、24時間も経てば頭の中のギアが英語にシフトされ、発声法も従来と違って来たな感じる頃には、いわば腹の底から声が出ているのである。

英語は「日本語のように口を大きく開かないでも話せる言語とは発声法が違う」と認識することができた。しかし、英語は自分の母語ではなく、言うなれば獲得形質のようなものである以上、日本語と同じような平板な抑揚や低い音域で話しているのが普通である。しかし、その音域に止まっている限り、彼らのような発声ができないのが問題ではないのかと思う。

アメリカ人のような発声で話す必要があるのか:

これは当人が何を目指して、何処までの次元の英語を目指しているのかの問題であろう。私は「発音が正確で綺麗なことは七難隠す」との説を唱えている。だが、万人が七難を隠そうと試みる必要などあるまい。だが、最初から目標を低く掲げては進歩・発展は望めないだろう。少なくとも2〜3難くらいは隠すことを努力目標に掲げて欲しい。

故に、何を目指すのかと目標を定めて、お手本にしたいような発音や発声をする人物から教えて貰える機会があれば理想的だろう。私は英語の勉強は何も発音だけに限定することなく、これと思うお手本の表現等も真似をすることが必要だろうと信じてきた。

だから、と言う訳でもないが、私は日本人同士が英語で語り合うことは大した勉強にならないと申し上げる。即ち、相手が余程上手くない限り「表現も発音も参考にならない」のだから。私の賢弟はシングル・ハンディキャップのゴルファーであった時期には、一切一緒にラウンドしてくれなかった。理由は簡単明瞭で「参考にならない人とは廻らない」だった。041612MM [(以上は頂門の一針 2584号  12・4・18(土)より]

 


 

1996年頃だった。香港に観光旅行に行った帰路に、ノースウエスト(現在は倒産して社名は消滅)のエコノミー席で、隣に座った若いアメリカのエリートと語り合った。彼はStanford大のMBAだそうで、アメリカの某大手ケミカル会社のアジア・パシフィック支社(在香港)の営業・企画部長だった。

私が「クリントン大統領の南部訛りを聞くのは余り愉快ではない」と言ったところ、いきなり握手を求め「外国人である貴君がそう言ってくれるのはじつに欣快に思う。

我々(エリート意識の表れだろうか)は恥だと思っているので、あれを聞くと胸が悪くなる。アメリカの大統領たる者はもう少し話し言葉に気を遣って貰いたいもの」と嬉々として語った。

クリントン大統領はアーカンソー州 (Arkansas)と書いてアーカンソーと読む)の出身であり、軽度の南部訛りが抜けていなかった。彼は「自分」の意味のI(=「アイ」)のように終わりが「イ」なる場合にそれが言えずに「アー」のようになってしまう。

can が「キン」のように聞こえる訛りもあるので、I can lie.(=「私は嘘を言える」)のような時に「アー・キン・ラー」のような発音するし、my mom(=私のお母ちゃん)は「マー・マム」のようになるのである。恐らく、彼は「ィ」と言っているつもりだと推察するが、普通は聞こえないものだ。youを「ヨーゥ」のように言う例もある。

私はまさか、ここまでの過激な(差別的な?)反応があるとは予測していなかったので、少し驚いた。このようにプライドが高いと言うか高学歴のアッパーミドル出身者はある程度以上の大企業には何処に行ってもいるものだ。だが、一般的な日本人とかマスコミの特派員や普通の旅行者でも、彼のような人物とこのような話題で語り合える機会は極めて少ないと思う。そこで敢えて紹介した次第。

そこで、アメリカのような階級ないしは人々が多くの階層に分かれている国では、南部訛りがこのように見なされる傾向があると申し上げて置きたいのである。041712MM [以上は頂門の一針 2585号  12・4・19(木)より]

 

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英語ではまる陥穽

(1)無意識の非礼:

これは我が国の学校教育では「欧米の諸国との文化と思考体系の違い」を教えていないことが主な原因で、ビジネスの交渉事や所謂会話の中等で屡々発生する事件である。その辺りを具体的に解説して、この種の誤りを犯さないよう注意を促しておく。とは言うが、この種の誤りは外国側でも全く意識せずに犯しているものなのである。

具体性を欠く要望:

1970年代初め、ある専門商社の貿易課長が「どうもあのアメリカの世界的大メーカーは我が社を軽んじているようで遺憾だ。我が社の引き合いに対する返事が極めて遅い」と嘆いたことがあった。

一方では、我が国でCommercial Correspondence(所謂「コレポン」)で金科玉条の如くに教えていることに、文章の終わりをLook forwardto hearing from youや、We will wait for your good news.や、Please respond as soon as possible.や、Please let us hearfrom you at your earliest convenience.という常套句で締め括れというものがある。

実は、アメリカ側が我が国を軽んじている訳でも何でもなく、彼らは「何時までのご返事願いたい」という具体的な文言が一つもないので、緊急性を感知せず、後の例文にあったように「自分たちにとって最も都合が良いタイミングで返事をすれば良いのだ」と解釈していたに過ぎないのである。

我が国側の意識にあることは「先方にこちらから何時何時までに答えよなどと指摘するのは非礼ではないか」と慮って、「こう言えば先方も我々の意のあると事を察して、速やかに返事をくれるだろう」と希望的に解釈する傾向がある点なのだ。

こちらの意図を察してくれるだろうとは甘えで、これでは商業的な交信でも何でもなく、単なるお友達との文通と同じになってしまうのだ。

ビジネスの交渉である以上、ここには明確に「何月何日の何時までに必ずご返事願いたい」と何の遠慮も配慮もなく要求すべきなのである。これこそが和製英語で誤って使われている「ビジネスライク」の本来の姿なのである。これは非礼でも何でのないのである。

より具体的に言えば、Please be sure to respond by Tuesday, 24thJapan time.というように「何れの国の時間で何月何日」と指摘すれば、先方もそのように認識して答えてくるだろう。

また、より確実を期せばno later than Monday, 23rd your timeとすれば、より一層解りやすくなり、即答してくるだろう。これがビジネスだ。確実を期して言えば、このような指摘をせずに「あの会社は当社を舐めているようだ。返事が遅い」などと非難するのは無意識な非礼に他ならないのである。

Youd better .”を恣意的に使う:

これは何度も指摘したが、この「to を伴わない不定法」は英語を母語とする人たちにとっては「軽い命令形」なのである。

従って、ビジネスの場で取引先に向かって親切のつもりで「御社はこのような我が社の製品を購入されると良いでしょう」等と言いたくて、学校で散々教えられてYoud better .を使うと「お節介な奴」か「要らざる介入をする奴」と思われて、その得意先との間の長年の好関係に傷を付けてしまう結果の招きかねないのである。

相手側は「日本の学校では大切な文法の要点としてYoud better .を教えているなどとは露知らず「お節介な奴」と解釈するのだから、そちらも無意識な非礼を犯しているのである。

(2)アメリカ人は好奇心の固まりか:

質問攻め:

これも相互に相手国の文化を知らざるが故に、屡々発生する笑えない事故である。具体的な例を挙げてみよう。

初めて日本を訪れたアメリカ人のご一行を京都にご案内したとしよう。彼らは千年以上を経た神社仏閣を訪れてその建築様式の美しさや建物の精密さに感動する。そして尋ねる「あの美しいお寺の屋根の左右対称の形、機械がなかったであろう時代に何故あれほど精密な勾配の計算ができて石を積み上げ、屋根瓦を寸分の狂いもなく焼き上げたのだろうか」という具合に。

この手の質問にはほとんどの案内役は答えに窮するし、頼りにしたいガイドブックなどにはそこまで記載されていることはなくて苦悶する。ガイド役は赤面して「調べて後でお答えします」等と言うのが精一杯だ。「何処の図書館に行けば良いのだろうか」などと悩んで、ガイド役やそこから先は落ち着かなくなる。

ある時、かく申す私もアメリカの工場の技術者数名を某大印刷の大阪支社の製品展示室に案内したことがあった。先方のガイド役は購買部長さんだった。

技術者の一人が斬新なパッケージを発見して「素晴らしい。このパッケージを構成する素材は何ですか」と尋ねた。その途端に購買部長さんの顔色が変わり「一寸失礼します」と言い残して室外に消え、見学が中断された。部長さんは1〜2分で戻られて「ただ今この製品担当の営業部長が外出中ですから帰社次第お答えさせますので、お許しを」と丁重に詫びた。質問者はそこまでで、当たり前のように質問したことすら忘却した。

しかし、部長さんは「皆様の今夜の宿は何処でしょうか。できたら部屋番号をお聞かせ下さい」と丁寧に尋ねられたので、私の部屋番号をお知らせした。そして見学は無事終わって部長さんにお礼を申し上げて退散した。その夜の10時過ぎに私の部屋に部長さんから電話があり「大変遅くなって申し訳ない。漸く営業担当が戻り素材の構成が解りまして云々」と知らされた。

「あー、矢張りか」と私は部長さんに「この質問の件はお忘れになっても構いませんから、お気楽にお考え下さい」と言わなかったことを後悔した。質問者にも伝えて驚嘆させた「本当に今頃答えて下さったのか」と。

それは何故か。彼らは全社の京都の神社仏閣の案内や見本室の見学等の場合に「何らかの軽い質問をすることで謝意を表しているのであって、確実であるとか、学術的な答えを期待している訳でない」のである。

これなどは誠に厄介な文化の違いである。質問する方はまさか相手が真剣に考えて応対するとは期待していないのであるから、時には矢継ぎ早に質問を浴びせることすらある。ではどのように応対した良いかである。神社仏閣のような場合には「実は、私も長年京都に来ているが、何時も昔の人は偉かったのだと感心している」とでも言えば良いのである。

後者にしたところで同様で、「何を使えばこういう良いパッケージができるのですかね。私も素晴らしいと思います」とでも言って受け流せば良いのである。

だが、余程外国人慣れしていないと、このような応対ができるようにはならないし、外国人側も日本の人に質問すると深刻に考えてしまう嫌いがあると知るまでには、長い年月を要するのだ。しかし、双方にこういう文化の違いを解説できる人がどれくらいいるかも問題である。042212MM [以上は頂門の一針 2589号  12・4・23(月)より]

 


 

英会話べからず集

個人的なことは質問しない:

1978年のことだった。W社のCEO、ジョージ(勿論ファースト・ネームである)を当日の超過密なスケジュールを縫って、早朝に約1時間半の京都観光を敢行した。同伴者には我が事業部の副社長もいた。その駆け足の観光の中に清水寺を訪れた時に事件が発生した。

それは中学生の集団が2人を発見して「外人だ」とばかりに駆け寄って、眼光鋭い貴族風の方を取り囲んだかと思うと、メモ帳を片手に案内役に阻止する暇も与えずに、一斉に質問を開始した。

What is your name?”、“How old are you?”、“Where did you come from?”、“Where? are you going?”、“When did you arrive at Kyoto?等々という具合に。

恐らくこれらの質問は学校でそういう風に教えられていたのだろうと思わせる「英会話」の基本的な質問だった。また、私が記憶する限りでも、当時の所謂「会話」のテキストなどには、ごく当たり前のように登場する質問だった。

しかしながら、これらの言うなれば「個人情報」(personalという単語がそういうことを表す)に属することを尋ねるのは、欧米諸国の文化では礼儀に反することとされている。特に初対面の人に尋ねてはならないと認識されているのだ。中でもビジネスの場などでAre you married?などと訊くのは最悪であると心得ていて欲しい。

何故そう言うかと言えば、私は「個人が主体となって行動するお国柄であるから、各人がどう動こうと当人の勝手であり、その辺りを尋ねるのは余計なお世話であり、非礼である」という風に考えている。そういう習慣の違いを中学生が弁えているはずもなく、恐らく彼らは絶好の英会話学習の場を発見とばかりに「この機会を有効に活用しよう」と喜び勇んだのであろう。

我らのジョージは所謂親日派で日本通だが、この質問攻めには困惑の表情で沈黙したのだったが、暫くして気を取り直してI am George Weyerhaeuser and I am 52 years old ・・・.と いう風に答えていったのだった。

では、こういう質問をしたい場合にはどうすれば良いかを考えていこう。私はアメリカ人に対しては礼儀として個人的な質問をしない方が良いと承知しているのを前提として、最初にMay I ask you how old you are?”や“May ask your name?というような形で、最初に“May I?”と言うようにすれば良いと提案しておく。但し、その後の主文の方は疑問文のままであってはならないことをお忘れなきよう。

また、Where are you going?などはAre you married?とともにお節介の最たるものであるから、訊かないに越したことはない。しかし、どうしても訊きたければ Would you mind, if I asked you some personal questions?とでも切り出してからWhere are you heading for?とでも言えば角が立つまい。

もう一つはDo you have a family?ならば許されると教えられていた。これは相手が離婚経験者だったらうまくないだろうという配慮だと解釈している。

謙遜は無用:

これなどは文化の相違の顕著な表れである。私が最も好む、笑えない(実話だと聞いた)失敗例の紹介から始めよう。ある日本のビジネスマンがアメリカで自宅に招待されたお返しにと、アメリカの取引先の会社の夫妻を自宅に招待した時のことだったそうだ。

一時の歓談を終えて別室に用意した夕食を楽しんで貰おうと、懸命に馴れない英語で謙って「何も御座いませんが、夕食を隣の部屋でお召し上がり下さい」と言いたくてThere is nothing to eat but please eat next room.と案内されたそうだ。アメリカ人夫妻が驚いた顔が目に見えるようだ。

英語の巧拙よりも「謙りの文化」の有無を乗り越えるのは容易ならざる難関だと解釈している。我々の常識からすれば謙遜は当然の礼儀であり、「粗品(ないしは、つまらないもの)ですが、お受け取り下さい」と言って高価なお土産を持参するものだ。

これを素直に英語にしてsmall present gift)”のように言 うのが普通だが、高価なお土産を持参する文化がないアメリカでは「何か隠された意図があるのか」と疑われる事すらあるので要注意だ。なお、「粗品」は辞書にはsmall token of my regardThis is a littlegift. I hope you will like it.等とされているが。

兎に角、彼らの文化では売り込みに際して This is one of our excellent products. Its a mistake, if youdont buy from us.と、堂々と自信の程を披瀝するのだから。これを傲慢だの高飛車などと解釈されないで「そら、来たか」と鷹揚に構えて頂きたいものだ。

一方、我が国では「この製品はまだまだ発展途上ですが、何卒御社でテスト願った上で合格すれば、是非ご採用を」などと謙るのが常識であるから、彼らは「そんな中途半端な製品を売りに来るとは何事か」と素直に考えてしまうのである。

しかし、陳腐な言い方をすれば「最早戦後ではない」のであるから、現場を離れて18年も過ぎた私は「このような文化のすれ違いないしは行き違いは、すでに両国間で解消されているだろう」と、希望的に考えている。以上。

主宰者より:

そういえば我が英会話教師(米人女性)はかつて「下宿の小母さんがいつも、どちらまでお出かけですか、と五月蝿いの」とこぼしていた。こういうとき日本語は「ええ、一寸そこまで」とごまかしていいんですよ、と教えたら怪訝な顔をされた。おばさんのは「挨拶」であって「質問」では無いという意味がわからなかったのだ。[以上は頂頂門の一針 2590号  12・4・24(火)]

 


 

 

英語を話す難しさ

お世辞を慎むべき時があると知れ:

意外なことに、こちらに来たアメリカ人が不愉快に思う、我々からすれば善意で言ったつもりの褒め言葉がある。彼らの中には「何であのようなことを言うのか。理解に苦しむ」とまで言う人すらいた。

(1)日本語がお上手ですね:

それは、折角初めて日本に行くのだからと「お早う御座います」や「初めて日本に来ました」や「日本語が良く解りません」等々の2〜3のフレーズを苦労して覚えてきた人が出会うものである。彼らは決して自分たちが上手く言えているとは思っていない。

しかし、多くの場合に「日本語お上手ですね」と褒められてそれを通訳されることとか、“You speak very good Japanese.”ないしは“Howdid you learn to speak Japanese so well.”と言われた場合のことである。

我々は一所懸命にやっておられると思って、飽くまでも善意から褒めたつもりであることは言うまでもあるまい。ところが、多くのアメリカ人はそうとはとらないのである。寧ろ、からかわれたと感じることがあって、不快な思いにすらとらわれてしまうのだ。しかし、そこは社交性が高い彼らのことなので、不快感を露わに出すことはなくその場は何事もなく終わる。

(2)“You handle chopsticks very well.”

もう一つの例も挙げておこう。それは日本食に招待されて箸を使う必要が生じる場合のことである。ご承知の方も多いと思うが、多くの欧米人は何故か箸の下の方を持つので、馴れない箸の使い方が一層ぎこちなくなる。

今やアメリカでも(韓国人が経営することが多い)日本料理店が激増したので、ある程度以上は箸を使いこなす人も増えては来たが、多くの人にとっては難事業なのである。不自由なのである。

その苦しんでいる最中に“You handle chopsticks very well.”などとニコニコして言われて愉快に思う人は先ずいないのである。即ち、ここでも「日本語がお上手ですね」と同様に、善意の社交辞令が逆効果を遺憾なく発揮するのだ。「まさか」と思われる方は多いだろうが、現実には何人ものアメリカ人から「面白くない」と不満を訴えられ
たものだった。

考えても見て頂きたい。自分で下手だとか苦手だと意識していることを真っ向から褒められて、気分が良くなるものかどうかを。この辺りは私が常に指摘している「文化の違い」の悪い例なのである。042612MM (以上は「頂門の一針 2594号  12・4・28(土)」より)

 

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Owarini

おわりに

 

上、あれやこれやと愚論をの述べたが、誰でも国語であれ外国語であれ自己の語学力を高めたい意欲を持っている。英語に関しては昔から多数の「英語上達のコツ」や「喋れる英語」式のタイトルを持つ無数の書籍や、100年を超える実績を持つリンガフォンの英語練習の録音テープなどの外、最近では多くの英語学習用の DVD がある。

此れらは勿論結構だが、「英語力を高める努力」に関し、卆寿近くなった現在、感じることは至って簡単なことである。言葉を上手に使う上で最も重要なことは『それが日本語の方言の勉強でであれ、または外国語の勉強であれ、その言葉を喋ったり読み書きしたりする環境下に浸る時間を多く取ることである』。

教科書を読んだり、 DVD を何度も聞いたり、テレビ講座を視聴したりすることは結構なことではあるが、私の経験では目移りして理屈は多少分かっても余り効能は無い場合が多かった。

その言葉に接する時間が多ければ多いほど、(その読み書きや喋りが)楽しかったり苦しかったりするのは別として、「理屈では無く無意識のうちに」その言葉が身に付くのを実感する。

卆寿に近くなった今では私のいい加減な英語を書いたり喋ったりする機会は殆ど無くなった。先日、友人の中国人の孫娘で中国から来日直後の私から見れば孫同様の年齢の女子留学生と遭ったが、未だ日本語は覚束なく、英語は多少出来ると言うので駅前のスターバックスの喫茶店で英語で喋った。

近くの席に独りで居た年配の男性の白人が私達の会話に聞き耳を立てて居たらしく、「話に加わって良いか?」と云うので「どうぞ」と答えた。英国人で英語が喋りたくてムズムズして居たらしい。家では覚束ない日本語ばかりの生活らしい。

雑談で話が野球に及ぶと彼は『日本人の多くは「野球は英国のクリケットがアメリカに渡って出来た競技だ」と思っているらしいが、実はクリケットではなく野球とそっくりのルールの競技が別に昔から有ったのだ』という。この様な無駄話をしているときの私の心境は、話の内容如何であって日本語か英語かは全く意識していない。

次に彼が言った言葉は「貴男の英語は話し始めた時の数分と一時間経った今とでは雲泥の差がある、恐らく忘れていた語彙や常套句が次々と急激に想い出されて来たのだろう・・・」と云う。いい加減な英語の私だが、この様な「喋っている言語が何語かを意識しない環境下に浸かっている機会」が長くて多ければ多いほど、その言葉は良く身に付く。その時の局面が楽しかろうが苦しかろうが・・・。

「英語発音のコツ」、「苦労なしの英語上達」式の多くの出版物は理屈は述べてあるが、私の実際の英語力向上には(私だけかも知れないが)多くは余り役立た無かったと思う。

 

何を云っているのか自分でも旨く言えないのでこの辺で止める、南無三!

 

(完)

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KMNS_NyuugakuSiken

入学試験と英語教育など

上西 俊雄

  

                            2012年4月

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{転載}頂門の一針 2590号  12・4・24(火)より

 


 

語問題について投稿するわりには漢字も假名遣も身についてゐない。それでときどき馬脚を露はす。2588號反響欄の王維の送元二使安西の最後,「西のかた陽關を出づれば故人無からん」の陽關の振假名はヤウカンでなくヤウクワンとすべきであった。

渭城のヰジヤウ(ここは2箇所)、經塵のケイヂン、{水+邑}のウルホス、柳色のリウシヨク、陽關のヤウクワン(ここも二箇所)、出ヅと七言絶句で八箇所も假名遣の文部省式と異なるところがある。制限假名字母表記と捉へると、合拗音のところを見落としがちだ。擴張ヘボン式なら yaukwan となる。擴張ヘボン式の表ではクワンでなくクァン。ワの小書き文字は JIS にない。翻字式と言ひながら、音節單位。クワンとクァンとは同じものだと考へてゐるわけです。

國語と英語、關係する問題だと思ってゐます。入試とのことがありましたので少し觸れたい。表音小英和といふ辭書で表音方式といふものを世に問うたことがある。そのとき、小川芳男先生から<色々貴重な考へ方を示され啓發されてゐます 只廣く世間なり學會に認められる爲には根氣と忍耐が必要だと思ひます 大きな運動として働きかけが必要と存じます>との葉書をいただいた(昭和54年3月29日)。一筆御禮迄と結んだ後に「近々御逢ひ致し度く」と書き足してあった。

社内でまったく見向きもされない時期に面識もない權威者の「逢ひ度し」との言葉に戸惑った。成城學園の小川先生宅を訪ねたのは4月初め。このとき先生が言はれたのは「表音方式を一社の獨占物にしておくのは惜しい。委員會をつくり運動を起し文部省に働きかけて、教科書をすべてこの方式にすべし」と眩暈のするやうなことであった。御自身が旗振り役をやってもいいとも言はれた。委員として名前が出たのは竹林滋先生だけである。小川先生の心配は各自めいめいの方式では學習者が困るといふものであった。

團地から自轉車でいける距離であったので、それからときどき小川先生のところに伺ふやうになった。小川先生は元東京外國語大學學長としても別格だったのかもしれないが、毎年、事務長が報告に來てゐて、あるとき、入試問題から國語を外したと知って、それは間違ひだと言はれたとのこと。それで國語が入試に復活したのださうだ。

入試問題から英語を外した方がいいのかどうか。國語がだめになったのは入試問題から外すやうなところが出てきたからではなく、因果關係は逆なのではないかと思ふ。

英語教育については前田正晶さんが熱く論じてをられる。非常にレベルの高いはなしで、英語が身につけば誰でも前田さんのやうに振舞ふことができるといふものでもないと思ふのだけれど。

【真道 記:前田氏の論旨を読むには下記の下線のある青色をクリックする、後でゆっくり読みたい場合はこの文の末尾にあるの「冒頭に戻る」をクリックして目次の「発音を巡る前田氏の・・・」をクリックすること】

前田氏の論旨の一部は此処をクリックする。

<新卒後17年間勤務した日本の會社では、16年間は英語とは全く關係がない仕事をしてゐた。その16年目に本當にこれ以上ないと言へる偶然で、來日したUK最大級の製紙會社のOxford大出身の技術者の通譯のお手傳ひをする羽目になった。

ところがどうだろう、まるで昨日まで英語で仕事をしてゐたかのように彼の英語は聞き取れたし、私の英語も子供の頃と同じやうに口から出てきたのである。>

のところ、これは誰にでもできることではないだらうけれど、しかしまた、誰でもさうあるべきことではないかとも思ふのだ。基本がしっかりできてゐて、その上に大學で鍛へられたからには映畫などを見てもそれが聞き取れるレベルだったのではないか、だから大學での力にさらに磨きがかかってゐたかもしれない。

すくなくとも、さほど落とさずにすんでゐたのではないか。(家庭教師をして高校時代の英語の力を保持できたといふ體驗からさう思ふ。)相手が Oxford 大出身者であったといふこと、發音の問題でなく、文法的にも正確な英語であったといふことも關係してゐると思ふ。

友人の中垣君のメールに面白い箇所があった。<入社するなり、社長から「中垣さんは大學を出てるんだから、英語が出來るでせう」「ハイ出來ますよ(稼ぐためには、何でも出來ないという返事をしたことはなかった)。

「ぢゃあ、貿易をやんなさいよ」「ハイ」といふことで、貿易擔當となった。社長の考へは、祖國・韓國の經濟に少しでも寄與したいといふことだったと、推測してゐる。貿易の「ぼ」どころか、商賣も何も知らない、その會社が何をしてゐるかも知らない。何も知らないまま、仕事を始めた。>

その3年後のところ、<忙しさうだからと新入社員を1人つけてくれた。東京外大の英語學科卒で英語には自信がありますとのことだった。初日に1通の手紙と辭書を渡し、譯させた。丸2日間かけたが、結局1行も理解出來なかった。

マレーシアからの手紙で、誤字脱字だらけの手紙だった。彼曰く、それぢゃ判りませんよ。「正しい英語を正しく讀むのが、學校英語。間違った英語を正しく讀むのが、プロの英語。そして間違ひないビジネスをするのがプロ」。偉さうに宣ってゐる小生は、まだ3年目だったが。>

英語を身につける上で受驗英語だらうとビジネス英語だらうと基本のところが違ふはずがない。今の英語教育は、かつての受驗英語とよばれた讀解力をつけるといふ點でもずれてきてゐるのではあるまいか。

文字にしろ音聲にしろ、英語を理解し、また英語で發信するといふ場合の腦内の働きは根本的には共通のはずだ。だから綴りの發音との關係が重要。表音方式はそれを目指したものであったが、頓挫した。小川先生のところで名前のあがった竹林先生は研究社の辭書執筆陣の總帥ともいふべき人。

竹林先生の表音小英和に對する感想は次のとほり。< COD 方式の綴り字式表記はなかなか見事にできてゐて感心しました。私も Lexicon に書いて以來、これ式の辭書をいづれは出したいと思ってゐましたが、先を越された感じです。わたしはもう少し rule を減らしてやってみたい氣がします>

後日東京外國語大學に竹林先生を訪ね統一戰線を申入れた。竹林先生は「小川先生から表音方式の委員會の話は聞いてゐる。しかし研究のためなら OK だが、普及のためとなれば、自分も自分なりの叩き臺を造ってからにしたい」との意向。

上西としては s の有聲音を濁點になぞらへて表示するといふ方法を取入れるなら、わざわざ s に濁點を付した形にせずとも、表音小英和の方式になさったらどうですかと黒板を使って説明したにとどまる。

竹林先生の話で岩崎民平が COD の表記法をベストとしてゐて、竹林先生の方法がそれを目指したものであるといふことを知った。上西は豫め COD の許諾を得て、そこを出發點としたことが、小川先生の評價の違ひになったのだと納得した。

竹林先生が「自分なりの叩き臺」と言はれたのは當時執筆中で翌年ジャパンタイムズ社から出た『英語のフォニックス---つづり字と發音のルール』。平成2年「ライトハウス英和辭典」第2版に採用された方式はこれよりおとなしく中途半端なものであった。どうして表音方式にこれほど遠慮したのだらうと不思議だった。

表音小英和が絶版になったことが一因ではなかったかと悔やまれる。とにかく、かうして竹林先生の試みも水泡に歸した。表音小英和の失敗は實用辭典としての評判が高くなりすぎて、表音方式のやうな譯の解らない方式はやめた方が賣れるだらうと意見が起り、増刷が見送られたといふ事情があったといふこと、これは外の人には解るべくもなかった。

表音小英和、竹林先生や小川先生に獻本したのは著書の恩惠を蒙ってゐたからで、ヂョーンズの發音辭典の著者であるロンドン大學のギムソン教授に獻本したのも其のためであった。ギムソン教授とのやりとりで書いたものを、發表さきがなければ國際音聲學會の紀要の編集者のウェルズ教授に紹介しようと言ってくださったのは、ヨーロッパ辭書學會のセミナーの歸りで、歸國してすぐに訃報に接したのであった。

財團法人英語教育協議會「英語展望」第89號はつづりと發音の關係の特集號。最後の一つだけが英文であるのは元來ギムソン教授あてに書いたものだからである。

(完)

 

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TanukiGao

狸顔型と狐顔型

 

                            2012年5月

真道 重明

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の嘗ての同僚であるS君は「人間の顔は良く見ると容易に狸顔型系と狐顔型系の二つに分類できる」という。そう云われてみると私もそんな気がする。可笑しいのは同君自身「俺は狐顔型だ」と云うが、私の見るところ同君は明らかに「典型的な狸顔型系」であるとしか思えない。何人かの友人にこのことを告げて意見を求めると皆が私の意見に賛同する。

例えば「狸型」の典型例はコント55号のコメデイアン「坂上二郎」の顔であろう。なお、S君は型如何と人の性格や優劣とは無関係と云っている。

同君のまた云うところに依れば『人間は誰しも「写真写りの顔」より「実際の顔」の方が格好が良い」人と、その逆に「恰好の悪い人」の二つに大別出来る』という。また云う『日本人は「やっぱり(矢っ張り)」という人と「やっぱし(矢っ張りの訛り)という人とに二大別出来る』という。ジョン・レノン(John Lennon )の夫人である小野洋子さんはテレビで盛んに「やっぱし」を連発していた。

血液型と同様に上述の要素の組み合わせで人間を幾つかの「型」に分類できという理屈になる。しかし、私自身はそれらの何の「型」に属するのか?・・・と良く良く鏡を見るが、全く迷ってしまう。彼同様に自分のこととなると判断がし難いらしい。

多くの人の中には「一目で狸顔の者と狐顔の者とに判別できる場合があるが、どちらか決めかねる人もあると気が付いた。私はそれかも知れない。

(確かに上記の諸要素は夫々に人間を2つに分類出来そうにも思えるのだが)

 

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KMNS_SiroisiHihan

上西俊雄氏の白石氏著

「仮名遣い入門」の批判

(その2)

 

白石良夫著『かなづかい入門』について

この本については三回書いた。話をきいただけで一度、讀んでから一度、氏の駁論を讀んでもう一度の三回であるが、書いたといふだけでいづれも活字にして發表したものではない。

第一回 平成20年7月26日)

 

標題が『かなづかひ』でなく『かなづかい』となってゐるのは所謂現代假名遣のことだからである。著者は現役の國語教科書調査官。現代假名遣を正統だと主張しなければならない立場だ。しかし書名からすると、心底さう思ひこんでをられるらしい。ただ假名遣入門と言ふからには、現代假名遣の外にでなくてはならない筈だ。方法論的に問題だと思ふのみ。少し敷衍する。

『コンサイス英和辭典』で that を引くと最初に指示代名詞としての説明、次に關係代名詞として説明といふ二つの項目をまとめた形になってゐるのであるが、指示代名詞の場合の母音は hat のそれであり、關係代名詞の母音は hut のそれであるとの説明がそれぞれの冒頭にある。イェスペルセンによれば十九世紀初頭にJオデルは指示代名詞を that、關係代名詞を thut と區別することを提唱した。實際、指示代名詞の場合、複數形は those であるが、關係代名詞ではその變化もないのであるから、この發音の異なる二語を綴りの上でも區別するのはまったく正統であったはずだ。
勿論この場合、指示代名詞の母音は強母音であり關係代名詞の母音は弱母音であると言ってもよいのであるが、「むつかしい」と「むづかしい」と、一方が一方の濁音であるといふ關係を斟酌せず、我國の役所は後者を「むずかしい」と書くべしとした。その流儀に從へば關係代名詞は
thutと綴るのが本則で、せいぜいが thut でも許容されるといふことになったはずだ。

表音的表記の理想とするところは一字一音。ローマ字で zu と書くところをヅとズと書き分けるなど以っての外と字母を制限したのだけれど一部に歴史的表記をを許容した。稻妻がその例である。戰前ならイナヅマ、戰後はイナズマとしたが、昭和61年の變更でどちらでもよいことにした。戰前なら正書法があったのに對し戰後はどう書いてもよくなったことを象徴する例である。現代假名遣には、この語は斯く書くべしといふものはなく、只幾つかの字母に制限を加へたに過ぎない。

表音的假名遣にしたつもりが、長音なるものの表記でつまづいた。たとへば高村外務大臣と小村壽太郎とをヘボン式でかけば K?mura Komura と區別できる。しかし外務省は ? のマクロンを外したものをヘボン式と稱する。高村大臣は高名な先祖を持つことになった。歴史的表記の轉寫であれば Kaumura Komura と區別できたのに戰前のローマ字論者は端から歴史的假名は缺陷だらけとみてしまってゐたのだ。

我國では英語の綴りに重きをおかず音聲については發音記號やカナ表記でみなければならないとする。あたかも英語の綴りは歴史的表記であって不合理だとしてゐるかのやうだ。綴りと音聲を切離して二度手間で教へるのだから我國の英語教育の效率が惡いのは當然だ。なほ、英語の場合のカナ表記では四假名を書き分ける。たとへば書名にキッズ用と謳った英和辭典。このキッズは kids つまりキッドの複數形。本文の發音部分ではキッヅとなってゐること請合だ。ヅズ、ヂジの書き分けを不要としてダ行字母の使用を制限したのだが、表音といふ點では逆にすべきであった。英語教師は面從腹背をせざるを得ないのだ。

表音的表記は言語學的意味での方言が對象である。或る辭典で with の發音が十四通りもあって話題になったことがあった。昭和21年の「現代かなづかひ」では、方言で發音しわけるところは四假名や合拗音を書き分けてもよいことになってゐた。いまでは外來語の流入によって四假名以上の書き分けが必要になってゐるのだから、戰前の書き分けでも足りないはずだ。

外來語のこと、假名漢字變換のこと、ローマ字のこと、それから英語教育における假名表記のことまで視野に入れて論じて欲しい。假名遣ひは英語の場合と異なると言ふかも知れない。違ふなら、その違いを説明して欲しい。また百歩讓って、歴史的表記が不合理であるが故に捨ててよいとした場合、新しい表記はこれからの傳統の第一歩として位置づけられるのであらうか。それとも傳統などは常に捨てられるべき宿命にあるのであらうか。『かなづかひ入門』といふ標題は、少なくとも新たな傳統の始りだとする意識があるからであらうが、表音的表記が時代を超えて生きつづけるとするのは定義上無理がある。

橋本進吉は『國語と國文學』第十七卷第十二號所載の「表音的假名遣は假名遣にあらず」で「歴史的假名遣及び表音的假名遣の名は、英語に於ける歴史的綴字法historical spelling及び表音的綴字phonetic spelling法から出たもので、假名遣を綴字法と同樣なものと見て、かく名づけたのである。然るに綴字法は歴史的のものも表音的のものも、共に語の書き方としてのきまりであって、かやうな點に於て、語を基準とする假名遣とは通ずる所があっても、音を基準とする表音的假名遣とは性質を異にするものといはなければならない。」と述べてゐる。

英語の場合の『現代假名遣入門』はどのやうな形になるであらうか。關係代名詞のthat を thut と書換へてしまへば、この二つを關聯づけるすべはない。表音的表記では表記法自體を論ずることは出來ないのだ。歴史的表記は、發音の變化を綴りの解釋規則として織り込むことができるので、自らを論じることができる。冒頭、現代假名遣の外にでなければならないと述べたのはこのことであった。いや、この場合の th は thin の th と異なり有聲音であるから dh とすべきであらう。BLウォーフは th のままで有聲音と無聲音の二つを表す一見不合理な表記にも僭在的文法があるといふ。テレビドラマ「あんどーなつ」の第一回は鬼燈なる菓子が主題。この表記が「ほうずき」と「ほおずき」とぶれてゐた。恐らく前者は長音のつもりで三音節に發音し、後者は「ほ」と「お」を分けて四音節に發音するのであらう。戰前なら「ほほづき」と決まってゐた。語中のハ行音はア段でのみ兩唇半母音の亙り音として實現される區切り符號だと見ればこのままで何の問題もなかったのである。

歴史的表記を放擲して傳統を斷ったことが如何なる事態を招來してゐるかについては贅言を要しまい。せめて外國人の日本語ローマ字表記に資するところがあるかと英語ウィキペディアの議論を讀むと、アメリカ人は後者を三音節、前者を四音節と逆にみてゐるのである。混亂だけが殘った。

國語表記がこのやうに變化したのであるから、國語の教師たるもの國語音韻史は必修でなければなるまい。ところが中學高校の國語科教諭は音韻史はおろか國語學概論も古典文法も現代語文法も必修ではないといふ。小學校の先生は原則として全教科を擔當するが一科目の教科教育法さへ履修すればよく國語科教育法を學んだ人とは限らない。英國では表記改革運動が行政によって暴走することはなかった。なにが正しい表記かは慣用で決まり、それは『オックスフォード大辭典』を始めとする辭書で確認することができる。我國では國語審議會の答申のつど辭書は改訂されねばならず、教員は文化廳の『言葉に關する問答集』を見たり、役人の書いた本を參照するなど、いはば條文を讀むことが求められる。古典についての知識など教員の資格にとっては邪魔になるだけだらう。教員が單なる利權集團に化しやすい所以だ。

 

第二回 (平成20年7月31日)

 

冒頭に「本書では、告示そのものを指す以外は、「現代假名遣」で統一することとする」とある。一つの見識ではあるだらう。結論を先取りするやうであるが筆者は逆に書名はじめ引用部分も歴史的假名遣にする。なほ、現代假名遣なるものはないと考へるので、所謂と冠するところであるが煩を厭って省く。

さて、著者は歴史的假名遣については學問的合理性があり、現代假名遣にはないとされてゐることを踏まへて學問的合理性に重きをおくべきではなく、現代假名遣にも學問的合理性を認める餘地があるのだと言ふ。その口ぶりが面白い。一部の學者が學問を武器に發言するから、「あたかも説得力がありさうであり」と書く。何故、ザッハリッヒに「説得力があり」と書かないのか。説得力があっても間違ってゐるのなら、その所以を書けばよい。ところが、せいぜいが、「現代假名遣に合理性が缺けてゐるとは、わたしは思はない」とご託宣を垂れるだけだ。サブリミナルな效果を狙った書き方になるのは、さう書けないからなのだらう。實際、著者の主張はどうもはっきりしない。要するに歴史的假名遣も現代假名遣も學問的合理性で優劣を言ふべきでなく、すでに定着した現代假名遣で善いではないかといふことにつきるやうだ。サブリミナルな效果を狙ったと感じられる表現の例は多いが、歴史的假名遣を「おぢいさんたちの假名のつかひ方」と呼ぶことは、それが過去のもので捨てられるべきものだといふ文脈であるだけに、「後期高齡者」より底意地の惡さを感じるのは筆者だけではあるまい。

昭和21年11月の内閣告示について著者は次のやうに書く。明治以來つづけられてきた、つかいやすく眞に言語生活に活きた假名遣創設への專門家の努力、それがやうやく、口やかましい保守派文化人の戰後ヂャーナリズムからの撤退によって、日の目をみたのであった。

「眞に言語生活に活きた假名遣」もサブリミナル效果のための表現だ。さて、告示の細則第四、第八、第九が助詞の「は」「へ」「を」は例外規定。筆者は助詞の場合も發音通り「わ」「え」「お」と書くやうに教はった世代。これは著者の表現によれば、發音忠實主義に基づく純粋表音假名遣。これが實際に教室で行はれたことは著者はご存知ないのかも知れない。助詞を特別扱ひすることに觸れて次のやうに述べたところがある。

學問的に正しかったはずのこの規範假名遣は、結局、普及しなかった。「現代假名遣」が文部省公認の假名遣であり、正しいはずの「純粋表音假名遣」が少數派であったことによるのであらうが、普及しなかった原因は、正しいはずの假名遣そのものの内部にもあった。つまり、原理原則を通さうとするあまり、世間の慣習を無視したためである。たとへば、さきの例で、助詞のワを「は」と表記するのは、日本人のあいだでは完璧に定着した慣習である。これを發音通りに「わ」と書くことは、大半の日本人の生理が受け付けない。おそらく、現代假名遣を制定した學者たちは、さう判斷したに違ひない。わたしは、この判斷を正解だったと評價する。

細かい點であるが、規範假名遣といふことが理解できない。規範は假名遣の屬性ではない。規範的は記述的に對應するもので適應の問題のはずだ。假名遣自體の優劣を論じる場合は捨象すべきものだと思ふ。また生理を持ち出すことも判らない。言語の問題であれば内省といふべきところではないか。

さて、以上のことをおいて言へば、盜人猛々しい言ひ分だと思ふ。生徒は表記に關して白紙。定着した慣習などあるべきはずもないではないか。義務教育で始めて教へるのだからと最適だ思ったことを行ったのではなかったのか。戰後のどさくさにヂヂもババもあらゆる先輩がそれまでの知識を否定されて泣いたのである。

四假名に關しても不徹底であった。表記のゆれといふことが言はれるが、ローマ字表記になれば解決すると踏んでのことであったのではないか。ローマ字では助詞は分かち書きして發音通りに書くと教へてゐるはずだ。現代假名遣なるものの論理的歸結を知るにはローマ字に轉寫するのが判りやすい。以下ローマ字を用ゐる場合は擴張ヘボン式とする。從來のローマ字と異なり翻字式であるからである。要綱を示せば次のとほり。

子音は英語的、母音は大陸的。四假名は(ジ=zhi ヂ=ji ズ=zu ヅ=dzu)とする。語中の促音は後續假名字母の父音すなはち假名字母の行のア段子音とする。chi はタ行なので tji はダ行なので d となる。但しハ行の場合でウ段であれば f とし、さうでなければ k とする。ハ行轉呼音つまり語中のハ行音は區切り符號とみて(`)で表す。ハ行轉呼音もワ行子音も視覺的意味しかなく、ア段でのみ兩唇半母音の渡り音として實現する。auautumn のそれに等しく、euEurope のそれに等しい。これはハ行轉呼音の存在を妨げない。手薄などは te-usu のやうにする。なほ「買ふ、綯ふ、這ふ、舞ふ」や「煽ぐ、倒れる」などは a u が別に發音されるがこれは語幹の意識が働くためだと考へられる。また「天を」なら ten-wo としなければならない。勤王 (kinwau) のやうに撥音が聯聲になる場合との區別のためである。なほ、筆者の假名漢字變換はこの方式であり、ti でティ si でスィ di でディ zi でズィとなる。

歴史的假名遣と現代假名遣

さて、著者は歴史的假名遣と現代假名遣について次のやうに言ふ。現代假名遣でなければ口語文でないとか、歴史的假名遣でなければ文語文とはいはない、といふやうなものではない。ましてや、現代假名遣でないと口語文は書けないなどといふものではない。口語文は歴史的假名遣でも書ける。歴史的假名遣で書いても、口語文は口語文である。なによりも「現代假名遣」ができる前、すなわち明治・大正・昭和10年代までの普通の日本人は、歴史的假名遣でしか口語文を書かなかった。

(中略)

同じ理屈で、文語文が現代假名遣で書かれたとしても、どこにも不都合はない。つまり、歴史的假名遣が文語文專用のものではないのと同樣、現代假名遣も口語文專用のものではないからだ。

そして萬葉集、古今集、源氏物語、芭蕉・西鶴について次のやうに書く。(芭蕉・西鶴の間の中ポツは原文にはない。)

萬葉集 假名文字では全音節が表記できない。歴史的假名遣は次善の策古今集 歴史的假名遣が適用できる。發音と假名文字が正確に對應してゐた。 源氏物語「ジ・ヂ」「ズ・ヅ」以外は現代假名遣で書くはうが歴史的假名遣よりも實體に近く、かつ合理的。

芭蕉・西鶴 現代假名遣がこの時代の發音にもっとも近似の表記。萬葉集の場合に假名文字では全音節が表記できないとするのは、所謂上代特殊假名遣のことがあるからであるが、甲乙の書き分けが音の問題であったのか、またさうだとしてもどのやうな違ひであったかは不明。歴史的假名遣しか方法はなく、かつ歌の歴史においてはそれで十分であったはず。わざわざ「次善の」と形容したところに歴史的假名遣を何とか貶めようとする著者の心根が窺へる。

古今集については歴史的假名遣で適用できるとあるが、まるでその他の、つまり現代假名遣も適用できると言はんばかり。もちろんそんなことはできない。發音と假名文字が正確に對應してゐたとあるが本當だらうか。第一に清濁を書き分けてゐない。また、ハ行轉呼音や、ワ行音は確かに獨自の音を表してゐたのだらうか。たとへば喜撰法師の歌では「憂し」と「宇治」とが掛け詞。つまりシとヂが通じてゐた譯であるから、發音と假名が正確に對應してゐたとは言へないのではなからうか。しかし、さう言っておかなければ、歴史的假名遣が時代に合はなくなったと言ふことができなくなることは確かだ。

さて源氏物語の場合であるが、「ジ・ヂ」「ズ・ヅ」以外は現代假名遣で書くとはどういふことか。それでは現代假名遣ではあるまい。それから「實體に近い」とはどういふことか。桐壺の冒頭を擴張ヘボン式で轉寫してみると十分實體に近いといふことになるのではあるまいか(メルマガ『頂門の一針』第一一七六號參照) Idzureno o`ontokinika, nyougo, kaui amata sabura`itama`ikerunakani, itoyangotonakiki`ani`a aranuga, su\-gu\-rete tokimekitama`u ari\-keri. 芭蕉の句を擴張ヘボン式で二つの表記を轉寫すれば (イ)furuikeya ka`adzu tobikomu midzu\-no oto (ロ)furuike ya kawazu tobikomu mizu no oto となる。ズ・ヅの音に違ひがなくなったからといって、現代假名遣式にすべからくヅをズとしてしまふと、打消しの助動詞「ず」との區別ができない。書き分けは音の問題だけではないわけだ。(ロ)の場合「古池や買はず飛び込む見ずの音」とでもなってしまふだらう。

西鶴『好色一代男』の冒頭なら (イ)sakuramo chiruni nageki, tsuki`a kagiri arite irisayama, kokoni tajimanokuni kanehoru satono hotorini, ukiyonokotowo hokaninashite, shikidau futatsuni netemo sametemo yumenosuketo (ロ)sakura mo chiru ni nageki, tsuki wa kagiri ari te irisayama, koko ni tazhima no kuni kanehoru sato no hotori ni, ukiyo no koto mo hoka ni nashi teshikidou futatsu ni nete mo samete mo yume no suke to かう見てくると著者の主張とは反對に萬葉から芭蕉・西鶴に到るまで全て歴史的假名遣で表記でき、現代假名遣で表記できないことが解る。

著者の方法とは逆に歴史的假名遣で書く以外にないのである。そして現代はジヂ、ズヅの書き分けでも足りないことは周知の通り。つまり、萬葉から現代まで歴史的假名遣で書くことができ、現代假名遣で書くことができないのだ。 以上でをはりであるが、著者の用語について觸れておきたい。

眞假名とは

一般には萬葉假名といふところを著者は眞假名と言はれる。假名は眞名(漢字)に對する語。漢字と異なり單に音を表すに過ぎない符牒のことだ。眞假名はoxymoron(形容矛盾)。眞假名と言はれて何のことか解る人はあるまい。強いて意味を忖度すれば「を」だ。ヲは助詞の場合にしか使用が認められてゐない。これでは本來の假名ではない。語を表してゐるのだから眞名的假名といふことになる。筆者は助詞の場合もオと書くやうに教はった世代だ。助詞の場合にヲの使用が認められたのは何時であったか記憶にない。筆者の口座の名義の振假名にヲが使用可能になったのは今年の六月だ。戰後導入された新表記體系が未だディバッグ中であることが解る。

ローマ字轉寫の場合、この眞名的假名はどうするのだらうか。擴張ヘボン式は翻字式なので假名が助詞であるかどうかには關係ない。しかし從來のヘボン式や日本式では wo ha のままでは讀みにくい。ローマ字論者は分かち書きして o とか wa とか書くのが普通。著者はローマ字は純粋表音假名遣だと貶すのであらうか。西鶴の『好色一代男』の轉寫例(ロ)を參照されたい。

アーサー・ケストラーは『機械の中の幽靈』でホロンといふ語を提唱してゐるが、まったく新しい觀念であってさへ新語の提唱にはかくも愼重でなければならぬのかと驚嘆したことを覺えてゐる。語は餘程のことがない限り典據のあるものでまかなふべきだ。無用な造語は言語空間の汚染と言ってもよいだらう。とくに著者のやうな立場の人には愼重であって欲しい。漢字の筆畫を略して新字體を設けたことが今となっては一種の汚染であることは誰もが認めることに違ひない。

コペルニクス的轉換點

著者は假名遣の變化は音韻變化の結果であるとの知見を以ってコペルニクス的轉換點となす。確かに、上代特殊假名遣の發見はこのテーゼによって音韻變化を歴史的事實とした。しかし、音韻變化はそんなに短期間に起るものなのであらうか。むしろテーゼを疑ってもよいのではないかといふ氣がする。現に昭和二十年代に日本語の假名遣は大きく變ったけれど、筆者にはこれが音韻變化の結果だとは思はれない。單に表音主義者が權力を握って暴走したためだと思ふ。また萬葉假名では清濁が書き分けられてゐたが、古今集では清濁が書き分けられてないのは、平安時代になって清濁の發音の區別がなくなったといふわけでもないだらう。

著者はコペルニクス的轉換點でなく天動説と地動説の違ひだと言はれる。歴史的文脈を離れて言へば天動説も地動説も記述の問題。歴史的假名遣を惡魔的と呼ぶのはその意味で天動説的理解のせいかも知れない。蝶々をテフテフと書く場合でも、Europe eu で覆ふことができるのだ。ハ行轉呼音が複雜だからと排除したつもりでも助詞の「は」や「へ」のローマ字表記を視野に入れると未解決であることが解るはずだ。

第三回 (平成21年4月13日)

 

平凡社『月刊百科』三月號所載の白石良夫「歴史的假名遣は美しいのか│『かなづかい入門』批判を駁す」を讀んだ。

以下括弧内はその後「頂門の一針 「頂門の一針 6214号  12・5・19(土)」に転載投稿した時の追加文。//白石良夫著ひ」とせず「かなづかい」としたのは著『かなづかい入門』、書名を「かなづか者代假名遣と漢字表記に逃げて「づ」をの主張の表れだが、昭和61年の内閣告示が現つかふのをやめたことからするとやらの類。、頭隱して何と・・・。

恐らく著者は2554號(24.3.19)「國語大變、弖爾遠波がゆらいでゐる」のやうな事情も碁存じなかったのだ。しかし、この本の力侮るべからずと思ふことがあったので、篋底にねたままになってゐたのを引っ張りだして眞道重明先生に送り、それから本紙に投稿した。//

發表先がみつからなかった理由の一つは假名遣を論ずるに英語のことをもって來たことだと思ふ。イェスペルセンのことなど、表音主義者でなければ面白くないはずだ。これは Society for Pure English のtract で讀んだのだと思ふが第何卷だったか確かめてない。

『かなづかい入門』(平凡社新書)のことは、昨年七月二十二日の會で上村さんから現代假名遣を古文にも及ぼす主張のものと聞いたのが最初。それで一文草したのが二十四日。讀んでから書いたのが二十七日。「批判を駁す」を讀んで三度目を書く。

氏は「否定的批判に對しては反論するつもりで手ぐすねひいてゐた」のださうだ。念のためお斷りするが、當方は引用する際も支障のない限りは原文の表記にはこだはらない。漢字も可能な限り戰前の字體を用ゐる。つまり正字正假名遣で書く。これは氏の古文をも現代假名遣で書くといふ態度と對蹠的だ。(拗促音の小書きは殘した) アマゾンにはカスタマーレビューといって、讀者の評價文がある。點數は星の數。滿點は五つだ。同書に對する評價文が三本。駄本と斷じるもの(イ)、長年のモヤモヤが晴れたが、その方面に詳しくなく、著者の學問と論理がただしいかどうか檢證できないからと星四つとしたもの(ロ)、それから星五つとしたもの(ハ)だ。

氏は(イ)について、紹介文と目次をみただけで拒絶反應を示すタイプで、大半は歴史的假名遣を「傳統的な正假名遣」と信奉し、現實に實踐もしてゐる人達なので讀んでくれるだけでもましなのだが、氏の著作は彼らを怒らせはしても納得させることはできず、長年にわたって持ち續けてきた信念は、氏の論理ごときで搖らぐものではないとされる。

(ハ)については、氏と同じ見解の人とした上で、必ずしも確信がなく、他人に説明することの出來なかった人が安心感を得たはずだとする。

最後に氏は(ロ)について、「現代假名遣がけっして非合理なシステムでないことを知らしめた。啓蒙を旨とした拙著が實現したいと願ってゐたのは、かういふ讀者の獲得であった。」とする。また、歴史的假名遣を投稿規定とする俳句雜誌に表現の不自由を感じてゐたといふ讀者からの書状を紹介して、次のやうに書く。

「假名遣」は、あくまでも實用のための人爲的なルールである。であるから、散文はいざ知らず、一字一句を練磨させることによって成立する詩や短歌や俳句が、書くときはただの社會生活上のルールにあはせませうといふのではをかしな話であらう。そんな規則からもっと自由なのが、文學としての表現であるべきではないのか。

「一字一句を練磨させる」といふ表現には少し驚いた。「練磨する」といふところだ。「そんな規則からもっと自由」といふところ、「もっと」が餘計に感じられる。英語の比較級を下敷きにしたのかもしれない。「文學としての表現であるべきではないのか」、これについては當爲でなく「文學としての表現ではないのか」でないと主張として弱いと思ふ。

氏は否定的批判が出盡くしたとは思へないが、おほよそのパターンが讀めてきたので、そろそろ反撃を試みたいとして次のやうに書く。

批判の誤解の多くは、わたしを歴史的假名遣否定論者と見なしてゐるといふ點である。現代假名遣を認めるか認めないか、歴史的假名遣を認めるか認めないか。一方を認めることは、他方を否定することを意味する。そんな短絡的論理でわたしを攻めてくる。

確かに、わたしは、歴史的假名遣が現代人の言語生活に不便で不向きなものだとは言った。信奉者が思ってゐるほどの傳統ある規範ではない、とも言った。學問的根據にもとづいた表記法でありながら、多くの架空の表記を歴史的假名遣はしなければいけない、といふ事實も言った。學問的根據あるゆゑに、表記の基準がころころ變る、とも言った。字音假名遣は近代の日本人を苦しめた、とも言った。だが、わたしは、歴史的假名遣が正しいか正しくないか、といふふうなことは愼重に言はなかった。現代假名遣についても、そのやうなことは言はなかった。なぜか。

それは、現代假名遣にしろ歴史的假名遣にしろ、さらに契沖假名遣も定家假名遣も、じつはどれも正しい假名遣だからである。といふと混亂しさうなので、言ひ方を換へると、カンガヘル(考)を現代假名遣で書けば「かんがえる」が正しく、歴史的假名遣で書けば「かんがへる」が正しい。ヲシム(惜)を定家假名遣で書けば「おしむ」が正しく、契沖假名遣で書けば「をしむ」が正しい。といふことになる。假名遣といふ規範(制度)そのものは、正しいとか正しくないとかいふ次元で議論するものではない。拙著の帶の「「考へる人」は「考える人」より偉い?」は、私の考へたコピーではないが、「えらい?」が「ただしい?」でないところに「假名遣」の意味を實に的確に理解した秀逸さがある。

したがって、歴史的假名遣論者がよく口にする「正假名遣」なる語は、假名遣といふ思想がもってゐる本質・機能と矛盾する名稱である。亂暴な書き方だ。多分「的確に理解した」のところは「的確に表現した」のつもりだらうし、「假名遣といふ思想がもってゐる本質」は「假名遣といふことの本質」といふほどの意味のはずだ。更に、かう續ける。

現代假名遣のほうが、完璧とはいへないが、現代社會の文字生活に適してゐるといふことを言ひたかったのである(完璧でないといふなら、歴史的假名遣もさうである)。

現代假名遣は完璧であるとはどうしても言へない。それで歴史的假名遣をこきおろさうと苦心してゐるわけだ。ところで、氏に對する批判には、體言の假名遣に偏ってゐて、用言の問題にふれてゐない、といふのがあったらしい。しかし、この手の批判の意味がなんとなく理解できたのは、かれらが假名遣問題を論じるとき、あたかもバイブルのごとくきまって持ち上げる『私の國語教室』(福田恆存氏著)を、遲まきながら讀んでからである。

とあるのには心底驚いた。氏は『私の國語教室』を讀まずにあの本を書かれたのだ。實は私も讀んだとは言へない。同人誌『聲』を丸善の本の圖書館で讀んだけれど、職業上の制約もあり、なんとか現代假名遣を身につけるべく努力したものだ。と言っても歴史的假名遣實踐者をやめて現代假名遣を身につけようとしたのではない。假名遣といふものを體系的に身につけようとしたといふだけのことで、當然のことながら、それが現代假名遣であったにすぎない。しかし現代假名遣なるものを體系として身につけるのは無理だといふことはすぐにわかった。だからと言って歴史的假名遣に切替へることは仕事の上で許されなかったし、まがりなりにも現代假名遣で育ってきたものにとって歴史的假名遣に切替へるのは億劫だった。實際に切替へてみたら存外簡單であったのであるが、それが解ったのはつい最近のことだ。

だから歴史的假名遣に切替へたのは定年後何年も經ってからだ。もし、『私の國語教室』を丁寧に讀んでゐたら、もっと早く、少なくとも定年後すぐに切替へた筈だ。しかし、氏のやうに歴史的假名遣を批判する場合なら、眞っ先に讀んだだらうと思ふ。讀まずに書いたとは度胸があるかもしれないが學者の態度ではないのではないか。
氏は、『私の國語教室』の用言のところ、とくにハ行動詞のところの記述を讀んで、そのことなら自著ですでに批判に答へてゐるとして歴史的假名遣による説明に對して次のやうに書く。

たしかに、右のやうな説明は、無駄がなくて美しい。だが、これが美しく見えるのは、假名が活用してゐると見なすからである。と、かう言へば、柔軟な頭の持主なら、歴史的假名遣による活用の説明が大變な筋違ひであることに氣づくであらう。さう、日本語の動詞や形容詞は、間違っても假名が活用してゐるわけでないのだ。假名は發音を寫す記號に過ぎない。假名および假名遣は、活用とは關係がない。

しつこく繰返すやうに、規範假名遣といふものは、人工的につくられたルールである。それも、發音と關聯づけた假名のつかひ方のルールであって、文法を説明するために作られたものではない。現代假名遣もしかり、契沖假名遣もしかり、定家假名遣もしかり。歴史的假名遣も例外ではない。とにかく、活用が歴史的假名遣で美しく説明できることが口惜しくて仕方がないらしい。こんなところもある。問題は、千年も前の言語現象でもって、その間おほきく變化した日本語の「現代」を説明することが、美しいことなのか。さうわたしは言ひたい。

そして最後に近著で引用古典を現代假名遣で書いた實驗について觸れて次のやうに述べる。技術的な面での問題はなかった。ただ、馴染まないといふ感觸は若干あった。 なぜ馴染まないと感じたのか。それはおそらく、歴史的假名遣に馴染んだ古典研究者のわたしの、肌に染み附いた慣習のゆゑであらう。規範といふものがいかに、理屈ではなく慣習に拘束されやすい一面をもつかを實感した。

それと、馴染まなかったもうひとつの原因を、わたしは考へた。それは、引用がどれも、古典の文章、あるいは古學者の書いた擬古文だったからだと思ふ。すなはち、これらは契沖假名遣が對象とする言語で書かれてゐる。契沖假名遣は、古代語表記のための規範であった。(中略) この理屈を逆轉させてみる。さうすれば、古代語表記のための規範假名遣の原理をそのまま引き繼いだ歴史的假名遣は、現代語表記の規範とするにはあまり適してゐない、といふことがわかる。これが實驗から得た教訓である。理屈を逆轉させれば理屈でなくなる道理。氏の言ふところの現代假名遣は助詞「ず」を書くことができないといふ一點においてだけでも古文を表記することはできないわけであるが、歴史的假名遣にはそのやうな制限がないのだから、勿論現代語を表記するのに問題はないのだ。

定家假名遣、契沖假名遣とならべることで歴史的假名遣の萬古不易でないことを印象づけ、以って現代假名遣と一般であることを主張する方法が繰り返し用ゐられてゐるが、定家假名遣にしろ契沖假名遣にしろ時代を超えて通ずる據り所を求めた結果のもの。現代假名遣とはまったく異なる。こんな誤魔化しの論法で世をまどはすのは犯罪だ。

以上、白石氏の駁論の紹介までに一筆致しました。イロハを用ゐて書いたところ、白石氏はイロハでなく時計數字(ローマ數字の大文字)を使ってをられる。イロハにしたのは好みの問題でもあるが、時計數字は文字化けすることがあるといふ事情もある。我々は(イ)に屬すると看做されるはずだ。

取り上げなかったが「ネットでの拙著へのコメントも、どうやら一段落ついたやうである」といふところがあった。ネットでいろいろ檢索しておいでらしい。しかし(イ)に屬するものは最初から無視と決め込んでをられるのではないだらうか。冒頭引用した(イ)についてのところは「彼らの批判はわたしを怒らせはしても、納得させることはできない。長年にわたって持ちつづけてきたわたしの信念は、彼らごときの論理で搖らぐものではない」との告白であったのだ。

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