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「悪五郎」と「横道比丘尼」

方言の消滅化と共通語化

 

(2010/06/02)

真道 重明 

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悪五郎と横道比丘尼

「五郎」と言えば多くの人が「曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟」の仇討ち物語を想い出す。熊本で出生した私の祖母は良く「あん悪五郎(わるごろ)が・・・」と言う「悪たれ口」を叩いて居た。「わるごろ」と云うのは熊本の方言で「悪童や不良少年」の意である。「あん子が一番のわるごろたい」(あの子が一番の悪童だよ)のように使う。余り品の良い言葉では無い。専ら男の子供に対して使う。

一方、女の子供の場合は「おうどびくん」(横着な女の子、恐らく横道比丘尼と書くのだろうと私は勝手に考えている)と云う。これも祖母が良く口にした貶し言葉である。

のんごろ」(飲み五郎]という言葉もある。何時も酔っぱらって居る「飲んだくれ」を指す。勿論、この方は大人に対して使う。もっとも、上記の「ごろ」は漢字で「五郎」と書くのか否かは定かでは無い。ごろつき(破落戸)の「ごろ」と関係がある別個の言葉かもしれない。ゴロフクレン(grof greinオランダ語、呉絽服連、grof は「荒い」「粗末な」の意。広辞苑)のゴロがら転化して来たのかも知れない。

何とも結論が曖昧模糊とした話になってしまったが、方言は日に日に廃れてゆくようだ。例えば、例えば熊本方言の場合、「かんぽす」は「空っぽ」、例:「そん茶筒はかんぽすばい」(その茶筒は空っぽだよ)、「あば(=あばしゃん)」は「新品」、「むしゃのよか」は「武者の良か」が転じて「(凜々しく)恰好がよい」、例:「そん服はむしゃのよかたい」(その服は恰好がよいよ)・・・など、此れらの言葉は熊本では今では余り使われないようだ。他にも沢山ある。

方言は日を追って忘れ去られようとして居るように思われる。


 

族の本拠である熊本で生まれ大阪で育った私は子供の頃から方言には興味と好奇心が在った。ラジオやテレビの普及で全国各地の方言は失われ忘れつつあり、大きく変化し統一されつつあるが、一方では上方(大阪)漫才や「明石家さんま」・「島田紳助」・「笑福亭 鶴瓶」さん等のお蔭で、「関西弁は今や共通語同様に全国的に理解される言葉となった」と云う現象が起こっている。

一部の方言はテレビやラヂオの普及で全国的に理解され初めて居る。

 


 

 

 

 

秋田から東京に出て来て長崎弁となった人

の息子は長崎から東京の大学に進学して気の合った同士四人が自炊式の下宿生活を数年続けて居た。三人は長崎の高校出身、一人だけは秋田県の高校出身だった。四人のうち三人は下宿に戻ると長崎弁。学校では共に東京の学生言葉だが、下宿では生粋の長崎弁が飛び交う。

秋田の一人も三人の長崎弁に影響されて日常の生活語は長崎弁になってしまったそうだ。学校よりも下宿での会話時間が多かったのだろう。秋田出身の彼は「お前、東京に行って何故長崎弁になってしまったのか?」と良く他人から訊ねられたそうだ。

これを聴いた三人は後で彼の告白を聴いて「なるほどなー」と大笑いしたと云う。話し言葉は聞いたり喋ったりする「言葉を使う時間」が多い言葉の方に引きずられる場合が多いのは普通に見られる現象である。秋田の彼は特に影響されやすい人だったようだ。

しかし例外もある。二年先輩の某は、兵庫の播磨出身だったが、東京言葉を頑として受け付けず常に播磨弁しか喋らなかったので「留学生」と揶揄されていた。東京言葉を喋らなかったのでは無く、喋れ無かった(馴染めなかった)ようだ。

 

 

 

 

アニメの「あんパンマン式」の言葉
を日常語として喋る久留米の姉妹

十数年前のニュースで、人権無視も甚だしい非道い話だが、生まれた子を両親が幼児期から外出させず、自宅に軟禁状態とし厳重に拘束して居たため、一室内でテレビだけ視て育った久留米の姉妹の話が報道された。

久留米の両親は、言うまでなく、勿論、九州方言だっただろうが、姉妹との会話は殆ど無かったらしく、警察に保護された時の姉妹は毎日見ているテレビの「おニャンコ」や子供番組の「お母さんと一緒」などの番組の中で話される言葉を喋って居たそうだ。

姉妹の日本語環境は、一番良く耳にする日常の会話語はテレビの中にあったのだ。「そんな現象は何の変哲もない当たり前の話ではないか」と言われそうだが、私には極めて印象深いニュースとして感じられた。

外国語の会話は、正確に相手の言葉の意味を理解し、正確に当方の意思を伝えるかが最も大切で、発音がその国の人達が喋る音声に近くて、恰も母国語のように聞こえても、内容が不正確なら意味がない。尤も「恰も母国語のように聞こえる」のに越したことはないだろうが・・・。

私が中国語を東京外語で習っていた際、発音する音声については極めて厳格で四声は勿論のこと、有気音や無気音の差異など、中国人の先生が納得の行く迄、身体で覚え「OKが出る」処迄、情け容赦なく訓練させられた。

その当時から70年経過した今になって、その後の諸経験を通じて思うことは、「中国人の生の言葉に接する時間の長短が問題だ」と云うことである。その言葉の環境に長期間置かれると、日本語には無い、従って日本人には難しい発音や、正しいイントネーションが知らず知らずの内に身に付いてしまう。尤も上述の「留学生」と揶揄されるような人も在るには有るが・・・。喋り言葉の音声も外国語と同様、同じことが云えるようだ。

 

 

 

 

急速に変わりつつある琉球語

チナーグチと呼ばれる「古くからの沖縄の方言」は、20世紀に入ってラヂオやテレビのメデアの普及に伴い急速に日本本土語化して居るようだ。NHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」を見てつくずくそう思った。「ウチナーヤマトグチ」と称する新しい方言がこれなのであろう。俗称「沖縄弁」だ。

戦前、数回に亘って那覇を基地として海洋調査に従事し、戦後は沖縄が未だ日本に復帰していない国連軍の支配下にあってパスポートが無ければ行けなかった1951年に、沖縄の新しい水産研究機関を設立する適地の調査のため、沖縄本島の各地や宮古島を数ヶ月訪問したことがある。

戦前の沖縄県では、人々は国定教科書で日本の共通語(標準語)を習っていたから、会話に困ることは無かったが、彼等同士の間で喋る方言「ウチナーグチ」は最初は「殆ど」と云って良い程理解できなかった。『ヌーシェー メンシェービーガヤー?ナマー ウンジミショーチ、イメンシェービラン』、訳:『 ご主人はいらっしゃいますか?今はお出かけになって、いらっしゃいません』(引用サイト「琉球語1」)などと言われても本土の我々にはサッパリ一言も理解できない。まるで外国語だ。

聴くところに依ると本来の琉球語には母音の「あいうえお」の「」と「」が無いと云う。言葉には興味があっても素人の私は日本語や英語の「語」とは何だろう?その等の「方言」とは何だろう?という基礎的な疑問にぶち当たってしまう。母音が欠落している・・・と云うような重大問題があるということは日本語と琉球語は「方言と云うより日本語の唯一の兄弟や姉妹程に近く類似した「」の関係にあるのではないか?・・・と素人なりに思った。


Wiki など WEB Site で調べてみると『沖縄で話されている言語を日本語の一方言とするか、別の言語とするかは、学者によって意見が異なって居る。言語学では、互いに意志の疎通が不可能なほど異なった二つの言語は異なった二つの言語である、と定義されますが、方言か、別言語かは、実は、言語学ではなく「政治」で決まります』・・・と説明している。確かにそうだと思った。

Episode 1

タイ語とラオス語

う、かれこれ40年近くも前の話になるが、バンコクから来日、留学しているタイ人の学生3名に招かれて下宿を訪問した。偶然テレビを着けると東南アジアの宮廷の有り様や舞踊が紹介されている番組であった。建物の様子から「ア、タイ国だ」と彼等3名は叫んだ。彼等は懐かしそうに見終わったが、テレビの最後の字幕は「ラオス瞥見」と出て居た。

タイ国東北部(イサーン)の方言とラオスの言葉は殆ど同じである。言葉だけでなく生活習慣も酷似して居る。感覚的に云えば日本語の関東弁と関西弁の差よりもっと近い。「何だ!タイ国ではなくラオスじゃないか」と私が言ったときの彼等の「呆然とした顔を忘れられない。

政治的にはお互いに独立国家だから、この言葉はラオスにとっては「ラオス語」であり、タイにとっては「東北方言」である。

 

Episode

スペイン語とポルトガル語

の話も、かれこれ50年も昔のことである。ブラジルから TANGE (多分漢字では丹下と書くのだろう)と云う名前の二世の長期研修生がやって来た。日本語の会話は流暢であったが、日本語の読み書きは全く出来ない。

偶々、メキシコから職場の一日見学にやって来た。英語は何とか喋れる程度でスペイン語だ。TANGE 君は「良し俺が話をしよう」と彼の待つ所長室に行き、ペラペラ喋っている。TANGE 君曰く「俺はポルトガル語、来客はスペイン語で喋ったが、少し教養が有れば相互理解には不自由はない」とのこと。

例えばスペイン語の「べサメ・ムーチョ」の「ムーチョ」(英語の much)はポルトガル語では「ムーショ」と発音する。「音韻体系の違いを多少知れば音声による日常会話では相互の理解は容易だ」と云う。言語学の専門家は「日本語と朝鮮語ぐらいの違いだと云うが、感覚的には関西弁と関東弁の差ぐらいに感じると云う人も沢山居る。


語学では、互いに意志の疎通が不可能なほど異なった二つの言語は異なった二つの言語である・・・と云うことのようだが、「意志の疎通が不可能」というのなら江戸時代やそれ以前の鹿児島弁と津軽弁は別の言語となるだろう。素人の私にとっては「何だか曖昧な定義」だ。

琉球語の場合も当初は「全く」といってよい程通じない。古来の琉球語には島々に多くの方言があるから、尚更であろう。しかし、何を以て「意志の疎通が不可能」と判定するのだろうか?個人差があり一ヶ月もすれば先方の話の見当が付く人もいる。極めて大雑把な判別規準ではないか?

NHKの連続テレビドラマ「ちゅらさん」(現場は八重山諸島の小浜島)に戻す。ドラマの中で喋られている言葉が、全国の視聴者が理解できるように若干の手が入れてあるだろうが、若し此れらの言葉が本当に日常語として話されているのだとしたら、イントネーションに多少の違いがあるにせよ、国語教科書の言葉(標準語)ではないか?・・・と疑われるほどではないか。

先に述べたように1951年に私が訪れた際、沖縄本島の那覇や首里で現地の人同士が喋っている言葉は、最初は殆ど理解不能であった。僅か半世紀余の間にこれほど変化するものだろうか?琉舞(琉球の舞踊)や琉球の芝居(うちなー芝居)は通訳なしには意味不明だったのに・・・。

日常の生活用語が急速に変わりつつあると共に戦後世代の若者は昔からの方言を知らず、祖父や祖母から教えて貰って勉強して居るとも言う。同じことは九州弁・関西弁・関東弁にも云えることだが、沖縄の場合は変化の程度やギャップが特に著しいように思われる。

ラヂオやテレビの普及に伴い全国各地の方言は忘れ去られつつある。


沖縄弁が急変しつつある理由
(私の仮説)

ヂオやテレビの普及に伴い全国各地の方言は忘れ去られつつある。しかし一方では「お笑い」の上方漫才や関西弁の司会者に依って全国的に誰もが理解し得る、換言すれば「共通語」と化しつつある現象も起こっている。また、一時的流行かも知れないが、NHK 大河ドラマの「篤姫」によって鹿児島弁の一部が、「龍馬伝」によって土佐弁の一部が流行っている。

だが、沖縄弁に関しては「ちゅらさん」が放映されてもこの現象は起こっていないように私は感じている。何故だろう?

共通語(標準語)の成立過程と関係しているようだ。『一説(俗説ですが)には、言葉(方言)の違いによる意思の疎通が出来なかったので「標準語」は、薩長の武士が吉原のおいらん言葉が、洗練していてカッコイイと感じたせいで生まれた』と云う記事を読んだことがある。本格的な共通語(標準語)の成立は明治期に「国定の国語教科書」が出来てからだろうが、それ以前の幕府時代には共通語をどうして作るかについて苦労したに違いない。

異なった方言を喋る各地の人々の「往来と、従って、接触」とが容易になり、機会が増えた幕府時代になると、共通語の必要性が強く感ぜられ始めたのだろうが、逆に考えると本土の人々は「良くは分からずとも」各地の方言に、頻度の差はあっても、常に接していた筈だ。しかし、沖縄弁に関しては事情が大きく異なり、一部の薩摩武士を除くと、本土各地の人々からは全く接触する機会が無く、孤立して居たのでは無かろうか?

明治期に入り共通語の確立を目指す国語読本が学校で教えられ初めても、その土地の方言は地元の人同士の会話や家庭内のお喋りは共通語ではなく「方言」や「方言と共通語の混合語」が多分に生き続けて居たようだ。現在でもそうである。

沖縄でも同じであったのだろうが、言葉の差異が余りにも大きく、本土の各方言のような異なった各方言との相互の接触がなかったため、状況はヤヤ違って居たような気がする。言い換えれば、少しづつ変化している本土の方言と違い、言わば「白紙」に近く、「本土のように近隣の方言の雑音?」に邪魔され無かったようにも思う。

もう一つの問題はイントネーション(intonation、発声の抑揚)である。明治期以来、沖縄でも国語教科書を習っていた。しかし国語教科書は「書き言葉」が中心で、日常会話の本質の一つである「発音の際のイントネーション」は表現でき無い。だが、イントネーションは方言の重要部分である。

「ちゅらさん」の中で喋る「堺正章」さん扮する家族の家庭内に於ける日常会話の沖縄弁のイントネーションは「ドラマが始まった頃は少し違和感があったが、途中から語尾を延す処など土地の人と変わらない程に非常に上手になった」と云う Blog の記事を読んだが、「成る程、現在ではそんなに変化したのかなー」、60年前には皆目理解し難かったのに・・・と思った。

祖父母の喋る昔の(・・・と云っても僅か半世紀前ぐらいだが)日常会話語には「難解な言葉が多い」と云うことも Blog の各所に書かれている。例えば:−

「沖縄離島部はむしろ普通の地域より共通語化が酷いのでは? 年寄りの話していることを理解できるのは中年までで、若者は理解すらできない」と云う人、「沖縄方言は今の40代が死んだら絶滅すると予想」し、 「10代や20代の喋る沖縄弁(ウチナーヤマトグチ )は真の方言が分からず、30代は真の方言が解る感じがする沖縄弁を喋り、40代以上の人達は親祖父と真の琉球語で話す・・・云々」と云ったBlog の書き込みもあった。

話し言葉は刻々変化すると云われて居るが、これ等の話は60年以上前の様子を知る私にとっては変化の速さは実に驚きであった。

以上の私の考えは沖縄弁には全くの素人で、その上言語学にも知識の無い勝手な、良く云えば「素朴」な論である。詳しい人のご意見を聞きたいものである。

 

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KmnsEessy2

 

上西俊雄氏がメルマ「頂門の一針」に

書いたこと、その他のエッセイ集(2)

{転載}

(2010年7月)

上西 俊雄 

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MOKUJI_Kmns2

目次

常用漢字表音訓のパラドックス
國語國字のことは改めて問ひ直す必要がある
「美しい日本語」のまへに
戰後の表記改革は未完成
歴史的假名遣復活には何らかの國民運動が必要
正書法の確立が必要なデヂタル教科書
ローマ字
字體
文化廳式ローマ字
をはりに (1)
混迷の度を深める英語教育
當局はローマ字をどうするつもりなのか


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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常用漢字表音訓のパラドックス

 

こんどの「常用漢字表の改定」の中で「中」に「ジュウ」という讀み方を加へたのは理由が分からないと友人からメールがあった。確かに變だ。

教育漢字の學年配當では、一二の次は三ではなくて七か九だといふ話を聞いたことがある。畫數の少ないものを先に教へるためなのださうだ。何を基準にするかで物事の順序は大きく變るから、言葉について役所が口を出すといろいろ矛盾が出てくることは避けられない。

さて、「中」を「ジュウ」とすることが變だとするのは何故か。中の音がチュウであることは誰もが知ってゐるところ。 日中と言へばニッチュウだ。これに一がついて一日中と言へばイチニチヂュウとなるはずではないかと、さう考へたのだと思ふ。そんなことのためにわざわざ表に讀みを擧げるべきなのかといふのが疑問の第一。

次に、讀みを擧げるならジュウではなくてヂュウであるはずではないか。これが第二の疑問だ。戰後の文部省はヂやヅの使用を原則的に禁止して例外的にしか使用を認めてゐない。その例外が複合語とか二語の聯合などと呼ばれる結合形において元來清音であったのもが濁音となる場合だ。念のためお斷りするが、友人は數學教育の大家。高校で教へたことがあって、四假名のことなどよく御存知だ。

四假名とはヂジヅズのことで、ヂジ、ヅズは通行のローマ字では書分けることができない。ローマ字化に備へてこれら二組の假名はどちらか一方しか使用しないことにしたといふのがことの始り。發音上からばジズでなくヂヅの方を殘すべきだったと思はれるが、當時、ヂやヅは、今であればディやドゥと書く場合に用ゐたので、その他の場合には專らジズが用ゐられた。このため戰後の國語行政を領導した人達に錯覺が生じた。

更に、萬葉假名では清濁といふことはなく、それぞれ異なる字母が用ゐられてゐたのが、假名の成立で清濁の違ひにかかはりなく同一の字母を用ゐるやうになり、必要があれば濁點で示すことになったのは何故かといふことも十分に考慮されてゐなかったのだ。假名の成立に伴ひ、字母が整理されて語の認定が容易になった。我等が父祖は清濁の違ひより、その下に透けて見える語のすがたの共通性に重きを置いてゐたわけだ。

以上三點の説明は筆者獨特のもの。文部省の人はさうだと言はれても納得はしないだらうと思ふ。しかし、とにかく文部省がヂヅを蛇蝎のやうに嫌ふことは確かだ。ヂヅだけではない。ディやドゥのやうな音節もローマ字では表現できない。ところが最近の外來語の書き方をみると、そのあたりが怪しくなってきてゐる。つまり文部當局自身、何のためにヂヅを忌避してゐるのか解らなくなってゐると思はれる。

これは表音主義者の巣窟のNHKにも言へることで、今以って口蹄疫の蹄といふ形聲字を常用漢字でないからと交ぜ書きにしながら、一方ではディレクターなどといふ肩書を用ゐて平氣なのだ。しかし、中京大學國際教養學部論叢第二卷所載明木茂夫「地圖帳の怪(4)」(第1873號「現地音カタカナ表記は勘辨してくれ」參照)には「問題點の一つは、ティ・ディをチ・ジとするかどうかであった。結論はチ・ジとすることになった」とある。

國會圖書館のJAPAN/MARCアクセス・ポイントのカナ形サブフィールドにおけるカナ表記要領(1424號)をみると一層明らかで、連濁だらうとなからうと、すべてのヂはジと看做し、すべてのヅはズと看做すことになってをり、またディやドゥなどは出てくることじたいありえないこととされてゐる。「助詞ハヘヲはワエオと表記する」といふ規定もある。これはひょっとしたら私の世代だけが經驗した表記法だ。占領軍が放棄したローマ字化のための路線は廢棄されてはゐなかった。

このやうな流れの中で、片時にせよヂヅの使用を許容して下さるわけであるから、我等無辜の民は恐懼して、中を「ヂュウ」と書かうとする。ところが常用漢字表をみると「ジュウ」だ。せっかく助かったと思ったところで、また突き落とされたやうなもの。不思議に思ふのは當然。しかし、禁止條項の例外としての許容(連濁)に對する例外といふべきものがあったのだ。問題の規定は次の通り。

五 次のやうな語は,「ぢ」「づ」を用ゐて書く。

(イ)同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」 。

例 ちぢみ(縮)ちぢむ、ちぢれる、ちぢこまる。つづみ(鼓)、つづら、つづく(續)、つづめる(約△)つづる(綴*)

[注意] 「いちじく」「いちじるしい」は,この例にあたらない。

(ロ)二語の聯合によって生じた「ぢ」「づ」。

例 はなぢ(鼻血)、そへぢ(添乳)、もらひぢち、そこぢから(底力)、ひぢりめん、いれぢゑ(入知惠)、ちゃのみぢゃわん、まぢか(間近)、こぢんまり、ちかぢか(近々)、ちりぢり、みかづき(三日月)、たけづつ(竹筒)、たづな(手綱)、ともづな、にいづま(新妻)、けづめ、ひづめ、ひげづら 、おこづかひ(小遣)、あいそづかし、わしづかみ、こころづくし(心盡)、てづくり(手作)、こづつみ(小包)、ことづて、はこづめ(箱詰)、はたらきづめ、みちづれ(道連)、かたづく、こづく(小突)、どくづく、もとづく、うらづける、ゆきづまる、ねばりづよい、つねづね(常々)、つくづく、つれづれ 。なほ、次のやうな語については、現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として、それぞれ「じ」「ず」を用ゐて書くことを本則とし、「せかいぢゅう」「いなづま」のやうに「ぢ」「づ」を用ゐて書くこともできるものとする。

例 せかいじゅう(世界中)、いなずま(稻妻)、かたず(固唾*)、きずな(絆*)、さかずき(杯)、ときはず、ほほずき、みみずく、うなずく、おとずれる(訪)、かしずく、つまずく、ぬかずく、ひざまずく、あせみずく、くんずほぐれつ、さしずめ、でずっぱり、なかんずく、うでずく、くろずくめ、ひとりずつ、ゆうずう(融通)。

[注意] 次のやうな語の中の「じ」「ず」は,漢字の音讀みでもともと濁ってゐるものであって、上記(イ)、(ロ)のいづれにもあたらず,「じ」「ず」を用ゐて書く。

例 じめん(地面)、ぬのじ(布地)、ずが(圖畫)、りゃくず(略圖)。

以上、昭和61年7月1日の内閣告示からの引用である。但し、支障のない限り、正統表記に戻し、下位分類の番號はイロハに變へ、適宜讀點を挿入した。この内閣告示には、「昭和21年内閣告示第33號は、廢止する。」とあるが、假名字母制限といふ點では何ら變ってはゐない。ヂとすれば簡單なところを無理にジとしたからどうしても矛盾がでてくる。この點についてウィキペディアの記述を借りる。表記は好みに從ふ。鉤括弧を削った場合もある。

「中」は字音を漢音呉音ともにチュウと讀む。ところが世界中となるとセカイジュウ」と讀む。字音に存在しない音が現れたが、これが複合語が濁る場合の一つの例である。この世界中の「中」を「じゅう」と書くか「ぢゅう」と書くかについて、「現代かなづかい」は明記してゐない。その點について、「現代かなづかい」を補ふ形で出された「正書法について」(昭和31年國語審議會報告)では、「現代語としては、語構成の分析的意識のないものと考へられる」との理由で、「じゅう」と書くものとし、「『ぢゅう』と書く場合はない」としてゐる。

つまり、世界中といふ語は二語の複合といふ以上の結合體であるので、「中」のチュウの音が連續した結果濁音になったと認めるべきでないとする議論が勝ったわけだ。さてそこで問題。世界中といふ語を世界と中との二語の複合と見ないのであれば、わざわざ單獨の中といふ字の音を決めることの意味は那邊にありやといふことだ。

catch-22 といふ表現がある。表音小英和(修訂版)では「二條件が互いに他を前提としてゐる不合理な状況」と定義したが、これもその場合だ。複合語でないからジュウなのだけれど、では、この常用漢字表にある「中」の音「ジュウ」は何の役に立つといふのだ。 念のため常用漢字表で四假名の箇所を拾ってみた。音訓は『大字典』による。

訓でヂを禁止した例。鯨(くぢら)、僅(わづか)、携(たづさへる)、恥(はぢ、はづかしい)、藤(ふぢ)、閉(とぢる)、崩(くづれる、くづす)、味(あぢ)、路(ぢ) 。

音でヂを禁止した例。治(ヂ、チ)、軸(ヂク)、重(ヂュウ、チョウ)、住(ヂュウ、チュ、ヂュ)、女(ヂョ、ニョウ)、丈(ヂャウ)、條(デウ)、場(ヂャウ)、疊(ヂャウ)、錠(ヂャウ)、陣(ヂン)、地(チ、ヂ)、直(チョク、ヂキ)、定(テイ、ヂャウ)。

連濁のヂを禁止した例。中(チュウ)。

訓でヅを禁止した例。渦(うづ)、僅(わづか)、携(たづさへる)、湖(みづうみ)、静(しづか)、水(みづ)、泉(いづみ)、沈(しづむ)、鎭(しづめる)、滴(しづく)、貧(まづしい)、訪(おとづれる、たづねる) 。

音でヅを禁止した例。圖(ト、ヅ)、豆;(トウ、ヅ)、頭(トウ、ヅ)。

かうしてみると、「中」の例が特異であることがよくわかる。漢和辭典であれば清音だけを示して濁音を別に擧げることはしない。濁って讀む場合はさう讀めばよい。そのことを假名で示すならヂュウとするのが當然だ。しかし、そこにジュウと併記してしまった。教へる側も面倒だが、試驗で採點するのも難しからう。試驗問題作成者は、この字を取上げないやうな工夫をするのだと思ふ。

友人から漢和辭典はどうするのだらうとメールが來た。さあ困った。ジュウは漢音でも呉音でもない。これは複合語と言へないほどの結合體の場合に用ゐる特別のものだ。結合のゆるい場合、アメリカ中とかインド中とかいふやうな場合は清音のチュウの連濁と捉へことができるからヂュウとするのかも知れない。catch-22 でなく、その上の catch-23 の世界だ。

漢字表をみてゐたら、頭にトといふ音が與へてあった。例は音頭。音頭をオントと讀んだ人があったのだ。これも試驗に出すことはできまい。なほ、曾にゾを與へたのは未曾有を誤讀したためだと思はれる。これは試驗に出るかも知れない。ミゾウウと正解をすれば零點だらう。なほ、この字には「かつて」といふ訓を與へてない。しかも未曾有といふ語例を示した上で與へないのだ。薄氣味惡いものがある。

參考までに、三省堂『新明解國語辭典』の未曾有の項の記述を擧げる。

見出 みぞう

表記 未曾有

解説1 ミソウ│ウの省略形。ゾウは曾の呉音

意味 それに類する事件が今までに一度も無かったこと

用例 古今未曾有の出來事

解説2 最近は歴史を忘れ、ミゾウといふ文字讀みをする向きが多い。「みぞゆう」も誤り 1951(22.6.17)

 

KokugoToinaosi
國語國字のことは改めて問ひ直す必要がある

 

神社新報(平成22年6月14日)で稻田朋美衆議院議員の現代假名遣の運用に關する質問主意書と答辯書のことを知った。

國旗及ぴ國歌に關する法律(平成11年8月13日法律第127號)における國歌君が代の歌詞の表記に關する質問、歴史的假名遣で書かれた作品の多くが制限假名字母表記で出版されてゐることをどう思ふかといふ質問、それから最後に小・中學校の國語教育に關して、五十音圖、日本語の教育特區、戰後被占領期における國語國字の根本について問ふものであった。以下、引用部分も原則として好みの表記に從ふ。

制限假名字母表記といふのは筆者の呼び方、質問主意書では現代假名遣となってゐる。筆者が現代假名遣なる語を用ゐないのは、第一に、そのやうなものはないからだ。音が基本なのだから、どう書くかはさしたる問題ではないといふいい加減なものだ。たとへば稻妻は戰前はイナヅマと書くことと決ってゐたが昭和21年にイナズマとなり、昭和61年にどちらでもよくなった。所詮ローマ字にすれば消えてしまふ違ひだと踏んだのかもしれない。

表記のいい加減さはローマ字についても言へることで、イ段の長音は iを竝べてもよいし、i の上にマクロンやアクサンスィルコンフレックスを冠してもよいとしたのと同斷。 しかし、昭和21年11月16日内閣告示第33號、それに昭和61年7月1日内閣告示第1號と二つも現代假名遣と呼ばれるものがある。二つは漢字の使用の割合によって視覺的に區別されるだけだから、音が基本と主張した人達のやったこととはとても考へられないけれど、とにかく、固有名詞としては存在すると言へるかもしれない。視覺的な區別、書く時は鈎括弧でくくるのが常道。

ローマ字やカナのやうに表音文字で書く場合は、語の切れ目が大切。歴史的假名遣が讀みやすいのは、ワ行子音やハ行轉呼音(語中のハ行子音)があるからだ。だから戰後の表記改革もテニヲハについてはハ行轉呼音を捨てることができなかった。ローマ字では、これをテニオワとするが、分かち書きするのが常道。文節單位でないから入力する手間も大變だ。

鈎括弧をつけて書くとき、文字は音を表すといふ立場からすれば鈎括弧は何を表すのか、讀むときはどう讀むのか。英語の場合の引用符つまりダブルクォーテーションは蟹さんの鋏の形の兩手をかざしてチョキチョキとやってみせる。これから讀む部分は引用だといふことを斷るわけだ。そんなことは面倒だから、鈎括弧は極力つかはない。なほ、たづねるといふ意味で聞といふ字が使ってあったところは訊に改めた。

さて、稻田議員の質問主意書にあるのはいづれも我國にとっての根本問題。どうしてマスコミは報じないのか。質問主意書に對する答辯書、君が代の表記については:−

政府においては、法律を起案する場合には現代假名遣を用ゐてをり、國旗及國歌に關する法律(平成11年法律第127號)についても、現代假名遣を用ゐて起案したものである。と木で鼻をくくったやうな返事。現代假名遣、昭和21年のものにはこのかなづかひは、大體、現代語音にもとづいて、現代語をかなで書きあらはす場合の準則を示したものである。

一、このかなづかひは、主として現代文のうち、口語體のものに適用する。

一、原文のかなづかひによる必要のあるもの、またはこれを變更しがたいものは除く。昭和61年の前書第三項にはほぼ同じことが次のやうに書いてある。この假名遣は、主として現代文のうち口語體のものに適用する。原文の假名遣による必要のあるもの、固有名詞などでこれによりがたいものは除く。

前書の最後には、更に次のやうに補足がある。歴史的假名遣は、明治以降「現代かなづかひ」(昭和21年内閣告示第33號)の行はれる以前には社會一般の基準として行はれてゐたものであり、今日においても、歴史的假名遣で書かれた文獻などを讀む機會は多い。歴史的假名遣が我が國の歴史や文化に深いかかはりをもつものとして尊重されるべきことは言ふまでもない。また、この假名遣にも歴史的假名遣を受け繼いでゐるところがあり、この假名遣の理解を深める上で歴史的假名遣を知ることは有用である。附表において、この假名遣と歴史的假名遣との對照を示すのはそのためである。

稻田委員の質問が、この部分に關するものであることを理解してゐない。ひょっとしたら官僚も知らなかった可能性がある。それほど表記に關する取り決めを守ることは難しいことなのだ。質問主意書には「議院内閣委員會(平成11年7月1日)における西村眞悟委員の指摘したとほり云々」とあるので、さがしたところ、西村氏の質問は第145回國會内閣委員會第11號といふ記録にあった。

文部省初等中等教育局長、文部省教育助成局長、文化廳次長も出席。しかし西村氏の質問に對して答辯に立ったのは内閣總理大臣官房内政審議室長竹島一彦氏であり、内閣法制局長官大森政輔氏だ。西村氏の質問は多岐に亙る。君が代の歌詞の表記の部分についての竹島委員の答辯。

今回の法文の作成に當たりましては常用漢字表を用ゐるといふことでございまして、おっしゃるとほり古歌でございまして、古今和歌集、和漢朗詠集のときの表現とは違ってをりますけれども、あくまでも成文化するに當たりましては現代語をもって表記するといふことが原則でございまして、その場合の文字は常用漢字表にある漢字を使ふ、かういふことになってをりますので、巖にしても、苔にしても、そのやうに平假名でさせていただいてゐるところでございます。

表記に關することが法律の書き方をも規制してゐる、その實態を知らなかった。法律を書く人達は、制限假名字母表記といふことの馬鹿馬鹿しさを御存知ないのだらう、文語文も何も關係なく大原則を適應しておいでのわけだ。

しかし、「現代語をもって表記する」とは意味が通らない。現代語といふことと表記とはまったく關係がない。歴史的假名遣で書いても現代語は現代語、制限假名字母では古文は書けないといふだけのことだ。それから、常用漢字にある漢字を使ふといふことと、巖や苔を使はないといふこととも論理的に結びつくことではない。常用漢字にある漢字を使ふといふことは、それ以外も使ふといふことを排除するわけではないからだ。竹島委員は大藏官僚。やはり素人の答辯だ。

竹島委員の答辯、もう一例。
これは、古典としてそのまま書くといふことではなくて、さういふ歴史なり經緯のある歌を日本は明治以來國歌として歌ってきたわけでございますが、それを平成のこのときに成文化するに當たっては、やはり、昭和56年の政府における申合せ、政府の申合せでございますけれども、全部の法律がそのルールに基づいて提案されてゐるわけでございまして、現代語で、常用漢字表をもって法律をつくるといふことでさせていただいてゐますので、さういふ表現ぶりをとらせていただいたといふことをぜひ御理解いただきたいと思ひます。

いや實に大變なことだ。是非質問して貰ひたいのは、國家公務員は常用漢字表をもってゐるのか。今回の變更で新しい便覽は何部作成され、どんなところに配布されたのか、それを覺えなければならないのか。或は各部署ごとに專任を置いてゐるのかなどだ。それ以前の條文が新しい方式に背馳してゐる場合はどうするのか。次の國會でその都度修正しなければならないとなったら困るだらうし、そのままにしておけば何がしか法律の權威を損なっていくだらう。

國家公務員を削減するのだといふが、その前に無駄な業務をなくすことが先だ。無駄といふだけでない、國歌のやうなものであっても、不合理だと思へば變へてかまはないとする心性を育ててゐるのだ。次々と合理的な案を考へた總理をいただいたことが如何なる結果になったか。たとへば英語の場合、音韻變化が大きく、綴りと發音の乖離が著しい。つまり一見不合理な表記の語が多い。それでも英語を學ぶ場合に綴りが不合理だなどと文句を言ふだらうか。そのまま受入れてゐるではないか。それが言語を學ぶ場合の基本姿勢だ。

國語は英語より遥かに長い時間に渡って同じ表記體系を維持してきてをり、音韻の安定度は驚くほどだ。それを壞して假名字母を制限した。ローマ字のためだ。そして、今以ってローマ字の正書法すらなく、硫黄島はネットで調べただけで六通りもある。誰も突き詰めて考へてないのだ。質問に正對して貰ひたい。戰前の軍部がどうであったか知らないが、これでは戰後は民主主義の時代だなどといふことはできない。西村委員は重ねて質問する。これは到底理解できない。

申合せで、昭和56年の申合せ、後法は前法を否定するといふ原則に基づいて、昭和61年7月1日の中曾根内閣總理大臣の告示を私は引用して申し上げてをるのに、全く答になってゐない。私は、政府と問題意識を共有してゐるがゆゑに、この問題について入れる段階に來たと思って今お訊きしてゐるわけです。

あなた方が、まあ、言ったら失禮ですが、今答辯されたやうな次元で、どこの申合せかわからぬ、しかし昭和56年の申合せでさうさせていただいた、御理解いただきたいと。しかし、昭和61年7月1日の中曾根總理大臣の内閣告示はどうなるんだ。これこそまさに、認められたやうに、我が國の古歌であります、古い歌である。そして、口語體ではなくて文語體なんです。口語體に現代假名遣をそのまま、これはよろしい。しかし、これは讀んでみれば文語體そのものぢゃありませんか。そして、さうであるがゆえに重みがある、さうしたわけでせう。これは、やはりこの部分については細心の注意を拂はねばならない部分なんです。我が國の傳統といふものがいかなるところから來って、我々はいかに子孫にその傳統を傳へるのかといふ文化なんですよ。

フランスは國語を重んじる。我が國も國語を重んじなければならない。言葉こそが傳統を傳へる唯一の要素でございまして、言葉から傳統を奪ってはならないと私は申し上げてをるわけです。御答辯については繰り返しになる、なりますはな。

委員長、私はこのことを申し上げ、委員長も私の質問をお聞きになって、今の私の問題意識についてわかっていただけたと私は確信するわけですね。これは別に與野黨の問題ではなくて、この法案をつくるのならば、古歌であるといふ共通認識はすべて持ってをるわけです。そして、内閣告示にもあるやうに、假名遣ひについては、口語體については現代假名遣はいい、しかし、文語體については、ここにありますやうに、「歴史的假名遣が、我が國の歴史や文化に深いかかはりをもつものとして、尊重されるべきことは言ふまでもない。」。我が國の國歌君が代こそ、我が國の歴史と文化、そして國の形に深いかかはりを持つそのものなんです。どうか委員長におかれては、この質問の中で、私は政府のあの方々と押し問答をして、あの方たちは一たん出してしまったことをここでは言へぬのだと思ひますけれども、それは審議の中でこのことについてお取り上げいただきたく、委員長の權威におすがりして申し上げるわけです。よろしくお願ひいたします。

昭和56年の申合せとは當用漢字が常用漢字となったことを指すと思はれる。稻田朋美議員への答辯書で現代假名遣となってゐるのは、漢字部分の占める割合から昭和61年のものを指してゐると思はれるが、さうすると、西村氏の質問に對する答辯とは合はない。西村氏の質問には、慣習法との關係を論じたところがあり、成文化して君が代の改竄を許したことと考へ合せると、これを自民黨政權の成果とみるべきかどうか迷ふが、そのことは置く。

稻田議員の質問主意書の最後、戰後被占領期における國語國字の改革が最終的に國語をローマ字化することを目指したものであったとする記述がある。筆者はローマ字化を目指すといふ考へが、今でも文部當局の根底にあると考へるものだ。但し、これはさう考へなければつじつまが合ないからのことで、何等かの資料に基づいての主張ではなかった。

今回、ウィキペディアで現代假名遣の項をみると、「現代かなづかひは、表音式假名遣(もしくはローマ字)へ移行するまでのつなぎとして考へられてゐた。そのことは以下の資料で明らかである。」として次のやうにある。「本を讀む」のををば、をと書く例外をことはってゐる。これが問題である。なぜこんな例外を許したか。例外にせずに、これも「お」と書いたらよいではないか、といふ非難ががうがうと聞える。これには、かういふ理由がある。

もちろん例外は、よくよくでないかぎりは設けないはうがよい。委員會でもそれは皆心得てゐたことなのである。だから、この例外を設けたのは、よくよくのことなのである。およそ改革は、ことに萬人の所有である言語の改革は、まさつの少ない、萬人のすぐついてこられるものでなければ、案がいかにりっぱでも、机上の理想論に終って、實現ができない。理想としては、だれもだれも助詞のををもおにしてしまひたい。しかし、助詞といふもの、ことに「が」「の」「に」「を」「へ」「は」などは、最もたくさん出てくる。(中略)いちいち

これわ それわ わたくしわ
それお これお わたくしお
これえ それえ わたくしえ

といふやうに書くやうになると、あまりにも、今までと變りすぎて異樣さが目だち、ちょっと實行の手がにぶる。この助詞さへ、もし今までどほりにして置いてよかったら、他の點は、漢字で書くとほとんど隱れて、新かなづかひも、大部分今までどほりで濟む(中略)助詞だけは漢字で書けず、いつもかなであって、必ずひっかかる、いちいち直すにかかる手もうるさいが、見る目にも抵抗が多過ぎて、すぐ實行できるか、あやぶまれる。これが、大新聞社側の決定的な意見であった(中略)いかにも、「わ」「お」「え」が、目にたって、一見異樣であって親しめなかった記憶が、ある委員たちにもあったのである。

大事の前の小事である。實行できない案では、いかに美しくってもなんにもならない。要は實行できる案でなければ、一時強行されても、少しでも無理があると、動天返しになる憂ひがある。そこで委員會も、助詞を元どほりにのこすといふ妥協案を決定するよりほかにしかたがなかったやうである。│ 現代かなづかひの精神・拔萃(國語シリーズ8/文部省著、統計出版・昭和27年3月)

つまり、ローマ字化のための、或は、ローマ字化することになっても支障のない表記改革だといふ理解は間違ってゐなかったわけだ。「井の中の蛙」といふブログで靖國問題について書いたことがある。以下、平成18年11月の書込みによる。

カンパネルラに假託したフランクリンの文をマッカーサーは知ってゐた筈で、彼は見事に龍の齒を蒔いたのだと書いた。龍の齒を蒔いたのはカドモス。ギリシャにアルファベットをもたらしたとされる。カドモスが聖なる泉を守ってゐた龍を殺したのは新しい文化をもたらすものの宿命であった。

アメリカ教育使節團報告書によれは彼らの目的は日本語のローマ字化であった。ローマ字化は成功したとは言へないが、ローマ字化への一里塚として現代假名遣が導入され、五十音圖が破壞された。これは彼らの意圖したことではない。使節團は過去の文獻に手をつける氣はなかったのだし、君ヶ代を書換へるやうなことになるとは思はなかったに違ひない。

報告書に從って教科書から神話は抹殺された。神話は聖書でと考へてゐたのかもしれない。我々には聖書がない。あるのは萬葉集や古事記の類。これらを讀むには五十音圖が必須。なぜなら五十音圖は日本語の汎時的な音韻構造を示すものだからだ。明治のローマ字論者も戰後の表音主義者も音韻を共時態で考へた。共時態は言語學上方法的に要請されたものだと思ふ。五十音圖こそ聖なる泉を守る龍であったのだ。 1958(22.6.24)

UtukusiNIHONGO

「美しい日本語」のまへに

「美しい日本語」といふパネルディスカッションがあった。交詢社オープンフォーラム(6月13日)。以下、日本語と言はず、國語といふことにする。やまがつ、賤の男、美しい言葉など話したり書いたりできはしない。もっぱら傳統に從って讀み書きしようと心掛けてゐるだけだ。讀むとなれば、それ以外にない。文部省は傳統に不合理を發見して是正しようと、傳統的表記に箍をはめた。

戰後教育の第一期生、讀んでゐるだけのときは、表記の箍をさう氣にしなかった。ネットで多少ものを書くことを覺えると、この箍が鬱陶しくてたまらない。文部省式表記は表音主義を標榜する。音に從って表記を變へることが當然だとするのであるから、傳統に從ふなどといふことがない。

漢字假名の問題だけではない。文部省式のローマ字では正書法はおろか、イロハを轉寫することすら出來ないのだ。先日の文化審議會國語分科會で聽いた日本語教育のカリキュラムで表記について觸れたところがなかったのは當然と言へば當然のことながら愕然としたのだった。

敗戰時までの傳統をすてたはよいが今以って新しい傳統が始る見込みはなく、ついに正書法のない國となってしまった。美しいか美しくないかの前に國語が阻害されてゐるといふことがあるはずだ、さう思ひながらの參加であった。

基調講演は加地伸行立命館大學教授。その他、壇に昇る人はみな立派な肩書の人ばかり。その名前が大きく書いて張り出されてゐるのがすべて某氏と氏にしてある。唯一人、 鳥居泰彦交詢社理事長だけが氏がついてなかった。これはウチとソトの使分けであるが、面白い氣の遣ひやうだと思った。

かういふ場合のやり方を知らないが、氏といふものの用法としては珍しいのではないか。私は第三者に對してしか使ったことがない。この場合ももちろん第三者でないわけではないが、聽衆にとっては、二人稱の關係。教授のやうな肩書でをはるか、もしくは、何も附さないのが普通ではないだらうか。

これは敬語の問題とも通じるが、最後に會場からの發言で看護婦を看護士を言ひ替へることを問題にした人があったが、看護婦と言はず看護婦さんと「さん」附けにしてゐた。この場合に「さん」を附けるのは變だ。抽象的に述べてゐるのだから、待遇關係の取りやうがない。いはば文法でいふ法として敬語法の埒外にあるのだと思ふ。

このやううな場合は何も附けないか、先生とすればよいと思ふ。「先生」といふ呼稱は嫌だと阿刀田高氏は言はれるが、何、辯士と書いてあるのだと思へばいい。質問をする場合を考へてみれば、先生が便利な呼稱であることがお判りいただけるだらう。國語審議會は文化審議會國語分科會と姿を變へたが氏は文化審議會會長であった。また司會の鳥居泰彦氏は中央教育審議會會長であった。お二人とも戰後の文部行政の流れに棹差す立場であった。

それぞれに美しい國語のために努力されたのだらうが、假名字母が文部當局によって制限されてゐるといふ單純なことに氣がついてをられない。幼兒教育における漢字のこと、世田谷區における小學校での古典教育、教へてみれば、子供はどんどん吸收するといふのは、その通りなのだと思ふ。しかし、それが低學年の間でしか、もしくは教育特區といふ形でしか行ふことができず、本來の國語は相も變はらず缺損五十音圖で行はれてゐることを、そのままにしてゐてよいものだらうか。

かつて世田谷區日本語教科書をみたときに感じた及び腰といふ印象がそのまま殘った。安倍晋三元總理大臣の發言、ハングル語でなく朝鮮語といふべきだ。しかし朝鮮語といふとすぐに差別語だなどと言ひだす人があるから政治家には難しいのかもしれない。

首腦どうしの會談はどんなに語學に堪能でも自國語が原則であるのでカナダの首相が1時間話す場合、佛語で30分、英語で30分となるとか、通譯以上に日本語のできる首腦が通譯に教へるやうな場面とか成る程と納得したことであった。今の憲法の前文を美しくない國語の例に擧げられたが、かふいふ議論は結局のところ今の憲法をどう見るかの問題になってしまふ。表記はどうするのだらう。

押し附けられた憲法なのだから廢止すべきだといふ論を思ひ出した。廢止すれば自動的に明治憲法(大日本帝國憲法)の復活だ。すくなくともこの場合は表記のことを氣にかけずともすむ。さいふ話を若い學徒に話したところ、さういふ主張をする人が保守層にあるが、きちんと明治憲法を讀んだ上での主張であらうか疑問だと言ふ。明治憲法は實に開明的といふか、サヨクの喜ぶやうなところがあって、保守であればたぢろぐはずだといふのだ。まだ讀んでない。

順序が逆になったが、基調講演はよくわからなかった。源氏物語桐壺の冒頭を引用し、日本語が英語などと異なり昔から變ってゐないといふことを強調されたあたりは我が意を得た思ひであったが、いつしか眠ってしまって、氣がついたら太田實司令官の海軍次官宛電文の話だった。耳に殘ってゐるところをネットで調べて復元すれば次のやうな箇所だった。

沖縄縣民の實情は、縣知事が報告すべきことであるが、縣にはすでに通信力がなく、三十二軍司令部も通信の餘力はないと思はれるので、知事に頼まれたわけではないが、このまま見過ごすことはしのびないので、知事に代って緊急にご通知申し上げます。 (中略) しかも若い婦人は、進んで軍に協力し、看護婦や炊事婦はもちろん、砲彈運びや挺身斬込隊さへ希望する者もゐる。 (中略) 沖縄縣民、かく鬪へり。縣民にたいして後世特別のご配慮をたまはらんことを。最近も何かで讀んだばかりであったが、この最後のところなど、どうしても目頭が熱くなる。しかし、國語の問題とどういふ關係があるかとなると、やはりよく解らない。なほ、ネットで調べたものは制限假名字母表記であった。

昭和20年6月6日附電文。どうして制限假名字母であったものか。電文の場合に同音の假名を書分けるのが有利なことは言ふまでもないが、いづれにしても文部省式に合せて過去を改竄するのはいただけない。いや、文部省式表記は「主として現代文のうち口語體のものに適用する」とある。文語文に適應すべきものではないはずだ。

第一「たまわらんことを」では、「玉割らんことを」となってしまふかもしれない。擴張ヘボン式ではワ行子音もハ行轉呼音も區切り符號とみる。但しハ行轉呼音はむすびつける働きがあるので行末での分綴は避けなければならない。歴史的假名遣であれば「玉割らんことを」となることはあり得ないのだ。配布された基調講演のレジュメははほぼ制限假名字母表記であった。「ほぼ」と言ふのは「基づく」とヅを用ゐてゐた箇所があったからだ。送假名も文部省式程にひどくはない。

しかし、レジュメの表記が制限假名字母表記であったといふのは、やはり變だと思ふ。結局のところ、歴史的表記は不便なもので、文部省がそれを改めようとしたことは正しかったといふ前提に立ってゐることになる。國語學習において古典は必須との主張があったけれど、古典の表記は難解であるとするのであれば、別に教へるのは仕方がない。幼兒における古典教育も音とかリズムで覺えるといふ音聲面が強調されてゐたのだった。

音聲はコミュニケーションの道具、水平方向のものだ。文字は傳統をつなぐ垂直方向の道具。傳統を語る場合は特段に表記が重要。レジュメには「日本語學習においては、古典學習の必要はほとんどない。日常會話と普通の現代文とを實務的に學習すればすむからである。」といふ箇所もあった。はたして、さう言って濟ませられることなのだらうか。

かつてイタリーの人が日本語について知りたいとどこで名前を聞いたのか訪ねてきたことがあった。彼女の專門は戰國時代。大英博物館では伊東屋で作った名刺といふのを貰ったことがある。奈良繪草紙の專門家であった。もちろん、このやうな例は專門家のことで例外とすべきかもしれない。しかし、セルビアで日本語教育が始ってどのくらいになるか知らないが古事記の譯ができたといふし、日本語學習の第一の目的は日本文化を知ることとなってゐる。我國は現世的になってゐて、政治家も經濟のことしか言はないが、世界はかならずしもさうではない。

まして英語さへできればよいとする國柄になりつつある今日、實務的のためだけに日本語をやる人は減っていくことは必定ではないか。戰前と戰後を人爲的に分けたのは文部當局であった。サッカーの選手名、アルファベットで dj とある場合でさへヂでなくジとしてゐることの馬鹿馬鹿しさ。日本語教育をいふなら、假名やローマ字で正書法がないことを認識して欲しい。世俗的な水準で言へば、そのことによる損失は何兆圓にものぼる筈だ。 1960(22.6.26)

 

SengoNoHyouki

戰後の表記改革は未完成

 

現代假名遣なるものはなく、制限假名字母表記といふべきだと書いたけれど、そのことの意味を自分でも十分に解ってゐなかった。假名字母を制限したために生れたのがいはゆる現代假名遣だと、さういふつもりであったが、未完成だといふ點を十分に認識してゐなかった。

まだ落着いてはゐないのだ。機會さへあれば完成へ向かって動かうとする。それが、たとへば、常用漢字表における「中」のジュウといふ讀みの追加であった。漢字表の問題ではあるが、結局假名字母の制限と無關係ではない。

前田さんがティームとお書きになる。これも消える運命なのだと思ふ。『三十三年の夢』で宮崎滔天は謀反人であることが正しいことだと教はって育ったといふ。制限假名字母でヂイヂと書くことにささやかな快感がないわけではない。ティームにはその快感がない。

擴張ヘボン式を始めて世に問うたのは『日本語學』平成15年1月號「擴張ヘボン式の提唱」。附記に次のやうに書いた。(表記は修正)

ヘボン式を擴張するとき、擴張五十音圖とでもいふべきものを前提してゐた。擴張部分は外國の地名人名のためが第一で、次に外國語の轉寫といふ順。その外國語が外來語となり、いはば、日本語に馴化していく過程で、擴張部分から、本來の五十音でまかなへるやうになっていく、さういふものではないだらうか。

たとへば、violin はヴァイオリンかバイオリンかといふとき、頻度を問題にするまでもなく、ひとたびバイオリンという形があらはれたからには、もう元に戻すことはありえないことではないかと。ところが最近ティームという表記をみかけることがある。またNHKの放送でも、語頭を齒莖破裂音で發音する。狂瀾を既倒に廻らす業と思ふ。

詳しくはサイト「ローマ字相談室」のローマ字資料室(ヘボン式系統)を參照されたい。

さて、未完成といふことだが、これは當事者にもよく飮みこめてないのではないか。 もちろん、漢字表が改訂になったりするつど、國語辭典が大量に賣れたのは確かだが、それがいつまでも繰返せるやうなものだとは思ってゐなかったに違ひない。

今回も出版社は役所の方針に合せて改訂したと稱するだらうが、完全に役所の方針通りにすることはできないはずだ。もしさうであれば、稻妻に對してイナヅマといふ形で引くことのできる辭書があってもよいはずだが、手許にはない。

世界中といふ語句はどういふ扱ひになるのだらうか。辭書學では基本型(canonical form)といふことを言ふ。辭書の見出しになる形のこと。國語辭書の場合は3音節といふのが目安だと聞いたことがある。3以上は十分に長いので、見出にたてる。短い場合は切らない。南回歸線と北回歸線、手許の辭書では前者は南の追込み、後者は獨立。3音節を目安にしたためだ。 造本のときに使ふ寒冷紗といふ目の粗い麻の織物が寒冷前線と同樣に寒冷の追込みなのも同じ理由。

世界中なる語句を辭書に收録する場合に、文部當局のやうに獨立項目にするところがあるのか甚だ疑問とする所以。常用漢字表ではジュウのところに「○○中」と中が二文字の語について用ゐる場合を暗示してゐるやうな箇所があるが、まさか、この丸の數に意味があるといふことはあるまい。

役人は全員が用字用語に關する參考書を自辨でもってゐるとのこと、機會があれば、今回常用漢字表から外された字(勺、錘、銑、脹、匁)について、どれほど知ってゐるか訊いてもらひたいものだ。そんなことは知らないといふ役人がゐて欲しい。

口蹄疫をどう書くのか。宮崎には用字用語を配布したのだらうか。ひょっとしたら禁を犯した表示をしてゐるかもしれない。 『言葉に關する問答集』總集編(平成7年發行 主管局課 文化廳文化部國語課)で取上げられて例を訊いてみるのもよい。「一つずつ」か「一つづつ」か、「こんにちは」か「こんにちわ」か、「かたづく」か「かたずく」か、「力ずく」か「力づく」か、「なかんずく」か「なかんづく」か。

ここに擧げられたヅかズかの問題は戰前はすべてヅであった。それをズにしようとして、例外としてヅを認めるべきかどうかをああだかうだと論じた揚句、それぞれに例外としたり、しなかったりの結果が書いてある。(正しいとされた方が先。)

筋が通ってゐるわけでないから、一つ一つをどちらに決めたのであったか呑み込むことはできない。だから、國語教師は Frequently Asked questions を繰返すしかない。そのFAQを集めたのが『問答集』八百四頁だ。

ところで、1959號で藤原徳太郎氏が役人の答辯について言はれたことは、學者の場合にも何がしか當てはまるのではないだらうか。大學や研究機關も文部當局の差配するところだ。

この當といふ字を面白いところで見た。『明六雜誌』第1號所載の西周「洋字ヲ以テ國語ヲ書スルノ論」の冒頭「吾輩日常二三朋友ノ盍簪ニ於テ偶當時治亂盛衰ノ故政治得失ノ跡ナト凡テ世故ニ就テ談論爰ニ及フ時ハ動モスレバカノ歐州諸國ト比較スル云々」を論じたところ、新字體が混ざってゐたのだ。

國立國語研究所「近代語コーパス設計のための文獻言語研究」といふものの一環としての發表の資料。

何故、わざわざ新字體にするのか質問したところ、檢索の便のためだと言ふ。ベトナムや中國の留學生もゐたのだから、檢索の便といふことがよく解らないが、歴史的假名遣で、表外字をふんだんに使はなれけばならないデーターでさへ、わざわざ新字體にする。これは、國立國語研究所といふところの研究で、どこかに國に對する遠慮があるやうに思はれてならない。

口蹄疫を口テイ疫と書くやうな場合を一般に交ぜ書きといふが、筆記體と活字體とを混ぜたやうなものを何と呼ぶのだらう。medley typography の一種。中國の人は簡體字と繁體字を混ぜることはないといふことを讀んだことがあるが、そんな原則もあらばこそだ。

合併字についても新字體にするのだとのこと。合併字は高島俊男先生の造語。例を擧げれば、辯護士の場合は言、辨濟の場合は切り分けるといふ意味で刀(りったう)もしくは辧、花瓣の場合は瓜とそれぞれに意味を區別する要素のある異なる字を一つの字體にしたものだ。

また函數を關數とするのは代用術語。(この用語は恐らくまだ筆者だけのものだ)。函數はfunctionの音譯だと言はれるが、關數とは字音が異なる。函の音はカン(呉音ガン)、關の音はクァン(呉音ケン)、嚴密には同音ではないものに同音による書換を適應したものだ。かういふものも新字體にするのだといふ。本當だらうか。

檢索の便のためなら、そのためのソフトを開發すべきだらう。コーパス設計者は入力したあとで、また常用漢字表が動くなどと考へてゐないに違ひない。或は、時代を超える何かを求めるなどといふことはなく、その時代時代で入力しなほすのが當然としてゐるのだらうか。もしさうだとすれば、それこそ問題だ。

「たちあがれ日本」に貧者の一燈をと同黨のサイトをみたらイメージソングといふのがある。Youtube で聽いてみると「夢をあきらめるな」の助詞ヲの發音がウォのやうに聞へる。制限假名字母表記で訓練を受けると一字一音といふ錯覺が生じヲをア行のオと區別して發音すべきだと思ふやうになるのか、ひょっとしたら、そのやうに教へる先生がゐるのかもしれない。

表音的表記のはなしであった。研究社大英和で with の發音に十四通りも出てゐて話題にしたことがあったが、語としては同一のもの。正書法は音聲學でいふ表音的表記とは別だ。それなりに文法があるのであって、音と記號との關係は單純に一對一ではない。

合理性において歴史的假名遣が英語の綴りに勝ること數百倍だらう。(擴張ヘボン式で歴史的假名遣を轉寫した場合の解釋規則を參照されたい。)それなのに文部省は歴史的假名遣を破壞した。一方、英語に對しては綴りを破壞することはできなかったけれど、役たたずと看做したから、邪魔者扱ひ。音を聽いて綴りにすることも、綴りをみて音を類推することも教へないのだから效率が上がるわけがない。

1955號反響欄。健康補助食品について、短期間で健康になってしまはれては、消費が少なくなりあるいは無くなるので困るといふ事かといふ永冶ベックマン啓子さんは辛辣。それで英語教育のことを思った。

すぐに英語が身についてしまっては、或は、すぐに獨り立ちしてしまはれては困ると思ってゐるのではないか。さう思はれるほど效率が惡く、だからといふか、それにもかかはらずといふか、とにかく業界は殷賑を極めてゐる。

須藤文弘氏は英語の發音のレッスンで、をかしな外國人にこれ以上貢ぐのはもうやめにしようと言はれる。(1958號「英會話エレジー、發音哀話」)

英語の基本はABC、國語の基本はイロハ、このことには單なる比喩以上の意味がある。

ミュージカル The Sound of Music のドレミの歌も同じことを言ってゐる。

Do-Re-Mi...the first three notes just happen to be,

と歌ひだして、最後に

When you know the notes to sing, you can sing most any thing.

と歌ふ。まったくその通り。どうして英語の發音についてもさうしないのだらう。英語の基本はABCだといふことについて本を書いた。TEXWiki 、その他 TEXで作られた本) と辿ると最初の三章を讀むことができる。御參照いただけると有難い。

國語の基本はイロハといふこと。イロハニホヘトと書いて「色は匂へど」と讀む。ここにハ行轉呼音の三つまでもが含まれてゐることは擴張ヘボン式で轉寫してみるまで氣づかなかった。

iro`ani`o`edo

逆アポストロフィは語中のハ行子音でいはば音節内區切り符號。ワ行子音と同樣にア段でのみ兩唇半母音の亙り音として實現される。 これを音節單位で讀めば濁音は清音に讀み、語中のハ行音は語頭のやうに讀むわけだからイロハニホヘトとなるに何の不思議もない。もちろん假名だけでは足りない。漢字も出てくるつど確り教へることが大事だ。或は漢字の出てくる本を讀んでゐれば、形聲字の讀みは自づと身についてくる。

表音小英和といふ辭典のときは、形聲字については表外字であってもルビなしでどんどん使った。四假名については十分な知識がなかったけれど、解った限りでは歴史的假名遣にした。多數の讀者から感想を貰ったが、四假名の使ひ方が文部省式と異なるとの指摘はたゞ一つ。ミルトンが御專門の新井明先生だけであった。コミュニケーションといふことを言ひだすと、音聲が基本だとして表記をおろそかにしがちだが、表記と音聲は唇齒の關係。表記が亡べば齒は寒しだ。表記をないがしろにする弊害は非常なものがある。

小學校低學年の子、國語の教科書をすらすら讀む。ある日讀ませてみると、少し早すぎる、きちんと讀むやうにいって解ったことは、みんな暗記だったのだ。文字をしっかり教はってゐない。英語教育のやり方が國語にも滲透してきてゐる。

三鷹のシルバー人材センターで、英語の教へ方を教へたいと始めた教室、最初にABC、特に子音字について、名前の發音の仕方から特訓。それから朗讀させてみて、逐一綴りの讀み方を直したら非常に驚いてゐた。今迄發音にはそれなりの自信があったのださうだ。

アルファベットをきちんと教へようとすると、ローマ字で j をザ行に當ててゐることの間違ひに觸れないわけにはいかない。通行のローマ字のままでは、英語を教へるのは難しいのだ。 世田谷區日本語教科書はヂにジ、ヅにズ、ヱにエ、ヰにイとルビを附けたものなのだ。かういふことは一度教へておけば濟むこと。漢字の學年配當もさうであったが、體系的に教へることを何故か警戒してゐるやうに思はれるのだ。

正統表記を廢棄したときに、それが身についてゐた世代の人々にとってどんなに辛いことであったかを今になって思ふ。しかし、生徒は白紙なのだから學校教育で切替へることは容易だらう。1693號(平成21年10月8日)に書いたやうに、祓川といふ校名の讀み間違はたかだか4年で生じたのだから、まあ4年みれば濟むのだと思ふ。

タブーとされた消費税が選擧の爭點になった。政策ではなく、根っこがあるかどうか、つまり保守かさうでないかが問題だ。五十音圖をただす、これを政策にして欲しい。以上、藤原徳太郎氏(1959號)及び大阪の渡部氏(1960號)に感謝を込めて書いた。1964(22.6.30)

 

rekishiteki

歴史的假名遣復活には何らかの國民運動が必要

 

1959號(6月25日)で藤原徳太郎さんは歴史的假名遣が科學的、論理的で民族の寶であることは理解できるけれど、その復活には何らかの國民運動を起こすことが必要だと感じると仰せになる。さういふ運動を續けてきたものに、國語問題協議會があり、また正かなづかひの會といふのがある。 國語問題協議會の活動、入會方法などについては同協議會の電子網を參照されたい。

正かなづかひの會の住所は:−

100-0014千代田區永田町二ノ十四ノ三 赤坂東急ビル十一階 株式會社 タクティクス内

國語問題協議會のサイト(電網)に國語問題點檢といふところがある。6月29日の投稿「日本語を整形するな(山田 弘)」は朝日新聞(6月26日)のインタビュー記事を問題にしたもの。記事のタイトルは「常用漢字を増やすな 日本語が滅びる」。インタビューを受けたのは前日本語學會會長(國立國語研究所名譽所員/早大名譽教授)野村雅昭氏。

山田氏の言ふ通り、これは全く轉倒してゐる。イロハを教へず、漢字を教へず、音と訓の區別をなくしたからだと思ふのだが、大和言葉と漢語の使ひわけが廢れてきてゐる。テレビのニュースで、誰々の長男とか次男とかいふべきところを、ムスコといふ。ムスコとは自分の子供を指すときに使ふものであった。かかる變容をも日本語が生き延びるために必要だとするのだらうか。

正かなづかひの會會報『かなづかひ』第九號(平成22年6月)の卷頭言の最後に近項目に餘る言葉の亂れ十題(私見)。その中に同じやうな例があった。

妻(ツマ)。「師の妻が…」といふ句を見た。本來自分の伴侶に、又は自稱の語。「君の妻」等は無禮千萬…

かういふ感覺がテレビなどをみてゐると日に日に鈍磨していく。

言葉が變っていくことは仕方がないことかもしれない。しかし結局ホメオスターシス(動的平衡)を保つのではないか。 英語でいふ綴り字發音はその例だ。limner は limn の派生語で、bomber はbomb の派生語だ。limn はリム、bomb はボムと發音する。それに er (アー)が附くだけだから、片やリマー、片やボマーとなるのは當然。しかし綴りに引きずられてリムナーとかボンバーとか發音したくなることがある。英語を外國語として學んだ場合は綴りに引きずられることが多い。

limn なる語が身近だったときはリムといふ音として彼らの耳に入ってゐたのだらう。今の辭典で調べると發音はリムナーだ。 いや、この例は適當ではない。housewife (針箱) の方がよかった。針箱が廢れてしまって、ハジフといふ發音も廢れた。今は複合語のやうに發音する人が多い筈だ

假名字母を制限するのは變化は單純化の方向と決めつけるやうなもの。しかし、實際はさうでなかったことはティームといふ表記が生れたことによっても明らかだと言ひたい。

本日、郵貯銀行のATMで正かなづかひの會に年會費五千圓を納入した。カタカナだけで表示される。セイカナヅカヒノクヮイにカミニシ トシヲからの振込みだ。どちらも文部省式ではないけれど、制限假名字母表記ではない。    1967(22.7.3)

SeisyohouNoKakuritu

正書法の確立が必要なデヂタル教科書

電子教科書について性急な導入には反對と讀賣新聞(7月5日)の社説。 (引用の際も表記は好みに從ふ。キリスト教暦は我國の年號に改めた。)

學校で使ふ教科書や教材を小型のパソコン(PC)や電子端末に納めて「デヂタル教科書」にする――そんな構想を政府が進めてゐる。 平成27年を目標に全國の小中學生全員に配備する計畫だ。實現すれば、5年後には教室の風景が一變するだらう。しかし、最初に「導入ありき」の今の議論には、性急で亂暴な印象が拭へない。端末機器の選定をにらんで、PCメーカーや通信事業者などの思惑ものぞく。

教科書のデヂタル化は、昨夏の衆院選に際し、民主黨政策集に登場した。原口總務相が暮れに發表した「原口ビジョン」で27年の導入を明言、議論に火がついた。 總務省は、モデル小學校十校でタブレットPCなどを使った實證實驗を、近く始める豫定だ。

學校へのPC、ネットワーク(校内LAN)整備や電子黒板の普及などでICT(情報通信技術)化を進めてきた文部科學省にしてみれば、デヂタル教科書で總務省に一歩先んじられた格好だ。四月に有識者會議を設置して、來年度豫算の概算要求に反映させようと議論を急いでゐる。 兩省が競合する中で、肝心の教育面の論議が置き去りにされるやうでは本末轉倒である。

もと辭書出版社勤務。顧みて他を言ふ類と誹られるかもしれないが、戰後の國語行政に大新聞が演じた役割(6月24日1958號參照)からして、今の文部行政を批判しにくいことはあるかと思ふ。その大新聞が役所の在り方を本末轉倒と批判することの意味は大きい。しかし、觸れられてゐない問題がある。デヂタル教科書でなくデジタル教科書とあったこともその一つだ。

デヂタル教科書の根本問題は表記が基本といふこと。しかるに戰後の文部行政は表音主義者が領導したため、音が基本で表記は從だとしたままだ。 判りやすい例はローマ字におけるいはゆる長音。マクロンもしくは曲折アクセント符を冠した字母を用ゐても、或は同じ字母を重ねてもよいとした。特に i の場合に、その例が多いのはタイプライターに dotless の字母を備えてものがないといふ事情のためだと思はれる。 (平成22年7月18日)

 

Ro-maji

ローマ字

ローマ字化に備へて假名字母を制限したので、今では、キッヅと書くべきところをキッズと書き、デヂタルと書くべきところをデジタルと書く。英語教育で字母の發音を正しく教へることができないのもこのためだ。

5月19日の文化審議會國語分科會で配布された「生活者としての外國人に對する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」にローマ字のこともないのも、ローマ字方式が混亂したままだからだ。

筆者の住むところは調布。これを chofu としてゐては日本語教育などできるはずがない。音を基準とせず、假名を基準とした方式、つまり翻字式ローマ字を構想すべきなのだが、その前に、あらかじめ通行のローマ字に合せて假名字母を制限してしまったことが問題。つまり假名表記における正書法を破壞したことが問題なのだ。

いはゆる現代假名遣があるではないかと言ふ人があるかもしれない。現代假名遣なるものは正書法ではなく、そのやうなものに煩はされることのないやうにと創り出されたものだ。だから、四假名やいはゆる長音の表記において、表記のゆれが生じても、構はないのだ。いや、ひょっとしたら、表記のゆれはローマ字化しなければ問題は解決しないと、いはばマッチで火をつけたやうなものだったのではあるまいか。

しかし、だれもポンプ(消防車)を呼ばうとしない。かかる状態のままで、表記が基本といふ世界に移って行くことは、形容矛盾だけれど、カオスの固定化だと言ひたい。字體についてみても、たとへば讀賣新聞といふ名前一つ通常の方法では檢索できないのが實態だ。 成22年7月18日

Jitai

字體

誤解されるといけないので急いでつけ加へるが、讀賣新聞社の讀や賣の字體がをかしいと言ってゐるのではない。讀や賣は常用漢字だから略體の方をよくみるといふだけのこと。

一般に例外が頻度の高い語に多いといふのは英語の場合でも通じることで、were や are の發音と here, mere や hare, care の發音と比べてみると解る。頻度の高い語の場合を一般化すべきではないのだ。

常用漢字は漢字全廢のための經過措置として使用を許可された例外的なもの。許可のない漢字を使用することはあってはならない。

しかし、パソコン時代になってみると、漢字は基本的に使用可能になった。漢字集合の部分集合である常用漢字の、そのまた一部に略體があるにすぎない。

いちいち、常用漢字であるかどうかを確かめながら生活するのは、ごく限られた職業の人だ。字體を通すなら、本來の字體にするしかない。

7月7日、常用漢字表改定に伴ふ學校教育上の對應に關する專門家會議といふものを傍聽。字體に二通りあるのは困るとの意見があった。それはさうだと思ったら、常用漢字の字體に合せるべきだとのこと。

當用漢字や常用漢字が、漢字の部分集合だといふことを御存知ないらしい。一體どうやって委員を選ぶのだらうか。第一、漢和辭典の引き方を説明するにも、字源を教へるにも、略體ではなにかとやりにくいだらう。さう言へば不思議だったのは、漢和辭典のことに觸れる人が一人もなかったことだ。

BunkatyoRomaji

文化廳式ローマ字

 

專門家會議傍聽のあと、文化廳の圖書室に立寄って面白いローマ字を見つけた。昨年刊行のもので文化廳文化部國語課の編集とある。次のやうな例がある

o ichido (もう一度Mo)

Dooiu imidesuka (どういふ意味ですか)

Reebun o tsukatte kudasai (例文を使って下さい)

pasupooto (パスポート)

gaikokujin tooroku (外國人登録)

要するに、いはゆる長音を母音字の併記で表してゐるのだ。

表紙には:−

Handbook of Learning Japanese and Life in Japan (English version)

とある。奧附の書名は日本語學習・生活ハンドブック

松本零士の漫畫が載ってゐて、その説明が Manga by Leiji Matsumoto

ローマ字表のところには ti (ティ)、tu (トゥ)など、擴張ヘボン式と同じものも見受けられたが、si (スィ)としてゐながら zi はズィでなくジに當ててあるのは四假名に對する縛りがあるせいだらう。訓令式でもヘボン式でもない。外務省式でも國土交通省式でもない。いわゆる現代假名遣の翻字でもない。文化廳自身が内閣告示など守ってゐないのだ。

紺屋の白袴、醫者の不養生と笑ってすますには、漢字制限や假名字母制限で特殊な職業の人をいぢめ過ぎてゐると思ふ。いや、特殊な職業の人はそれで暮らしがたちゆくわけだから、それはそれで結構なことかもしれない。

なほ、擴張ヘボン式では四假名を ji (ヂ)、zhi (ジ)、dzu (ヅ)、zu (ズ)のやうに書分ける。調布の表記についてはローマ字相談室といふサイトのローマ字資料室(ヘボン式系統)にある「擴張ヘボン式の發見」を參照されたい。 (平成22年7月18日

Owarini (1)

をはりに (1)

 

電子教科書の利點はテキスト處理ができることだ。grep による檢索やタグヂャンプなど、テキストデーター處理のツール類を使ひこなすことができなければ、情報處理に於て我國は置いてけぼりを食ふだらう。

假名字母制限は一バイト假名といふ形で未だ銀行のシステムを支配してをり、試してみた話題の假名漢字變換システムはヰヱに對應してゐないものだった。

タブレットPCなら、ローマ字方式の混亂を回避できると踏んだところがあるのかもしれない。しかしそれでは問題の先送り。普天間はローマ字ではどう書くべきなのか。日米合同作戰で硫黄島といふことを、直ちに電子郵便で連絡しあふことができないといふ事實を文部當局はどう見るのだらう。

恐らくさういふことにはおかまひなく、世界中はセカイジュウだなどと決めてゐるのだ。いつまでも火遊びをさせておくべきではない。文部行政の根本的見直しが必─だ。 10.7.11)

 

KonmeiNoDo

混迷の度を深める英語教育

 

英語は企業人にとって必須科目と日本經濟新聞7月8日の社説は訴へる。何を言ってゐるのだらう。小學校から英語教育が始ってゐるからには、全國民の必須科目だ。この上、英語教育熱を煽ってどうする。讀んでみると企業人が經營者のことだと解るけれど、企業家といふほど明確でないから、企業に就職したいと考へる人全員に對する脅迫。

語學を本格的にやるとなると大變だ。學生のエネルギーの大半が無駄に消費されることになりかねない。一方、國語は役所が箍をはめてゐて、漢字一つを書くにも監督官廳の許可したものかどうかを考へながらやることになってゐるのだから、ただでさへ、おざなりであった國語教育が、さらにさうなることは確實だ。

文化的に薄っぺらな人間ができあがるだらうが、それだけのコストを拂へば、英語が他所の國の人に勝れて身につくやうになるといふのだらうか。そんなことはあり得ない。我國は、國語で高等教育が可能な國。必ずしも英語の文獻を讀まずともすむ。だから、生涯、英語を使ふことなく過す人が多いはずだ。これは新興國、とくに英國の植民地であったやうなところとは違ふ。

だから企業人として、外國人と伍して行くためには、英語以前のものが確りしてゐることが第一で、語學は二義的であるべきだ。二義的だから役に立たなくてよいと言ってゐるのではない。中學校から高校と6年かければ十分獨り歩きできる程度に教へることができる筈だ。後は個人の問題。どうしてさうなってゐないのか。

國語で文部當局が表音的表記を誤解してゐるといふことを度々論じてきたが、結局、そのことがわざはひしてゐると思ふ。しかし、そのことを説明するのは難しい。(詳しくは洋泉社刊の小著を參照して欲しい。TEXWiki で TEXで作った本のところをみると最初の二章を讀むことができる。)

社説にはこんなところがある。(表記は好みに從ふ) ;−

社員ヘの英語教育は基本的にその會社が擔ふとしても、企業社會にとって英語の重要性が増した事實を政治家や教育關係者も重く受け止めるべきだ。「讀解に偏してゐる」など批判が多かった日本の英語教育は外國人講師の採用などもあって徐々に改善してゐるものの、外國に比ベ遲れてゐる部分もまだ多い。

讀解に偏してゐるとの批判。これがまづ問題だ。視覺的な入力であれ、聽覺的な入力であれ、信號系としての英語に變りがあるわけでない。要は端末の變換處理の問題だ。綴りを見て音が分かり、音を聽いて綴りが目に浮かぶ、これができなくてはならない。そのためには、個々の音ではなく、音と音との違ひを空間的に定位して異なるものと認識することが重要だから、異なる音として調音できることが必要だけれど文字で書分けるといふことは認識を大きく助けるものだ。

ドイツ語やフランス語或はロシア語など語學の最初にアルファベットの唱へ方から教へるのは語學の常道。さうでないのは英語だけではないだらうか。洋泉社から本を出すときに、武藏野圖書館で、いろいろな言語の入門書を一通り見てみたが、最初にアルファベットの説明がないのは英語だけだった。

英語の場合、綴りと發音の關係が單純でないから、他の言語のやうにはいかないのだと思ふ人があるかもしれない。いや、だからこそ、英語の場合はもっと紙幅を割いてアルファベットの説明をすべきなのだ。英語のアルファベットは何時誰がどこで教へるのか。恐らく、中學の先生は小學校でやってきたと思ふのだらう。小學校の先生は、中學校でやると思ってゐるのかもしれない。つまり、基本中の基本をやらぬままに6年間を過してゐると思はれるのだ。ついでに言へば、讀解のためには英和辭書を使ふ。目にみて解らない語を辭書で引き當てるためには、その間、綴りを記憶しておくことが必要だけれど、電話番號でもさうだが、口で唱へるものだ。最初にアルファベットと音聲との關係を教へておきさへすれば、辭書を引くことは綴りを發音して記憶する訓練でもある。發音できずに辭書を引くのは時間がかかるだらう。

社説はパソコンのことにも觸れてゐる。パソコンの共通言語は ASCII つまりアルファベット。地名人名會社名などローマ字で表記できなくてはならない。日本語はこの點、他の言語に比べて有利だと言へるだらう。複雜な子音がなく、五母音と母音の數も少ないから ASCII で表現するのに難しくないからだ。

歴史的假名遣であれば、ワ行子音や語中のハ行子音のやうに區切り符號が入ってゐて、母音連續は多くはないのであるが、一字一音として、音に對應しない區切り符號を落としてしまふと母音連續が増える。

ロドリゲスから明治期に構想されたローマ字まで共通して言へることは、西洋人は母音連續を嫌ふこと。彼らはアクセント符號で母音連續を疊込まうとした。しかし、アクセント符を冠した文字は ASCII にはないので使用することができない。

社説の最後、

社會人になって仕事をしながら英語を學ぶ人への支援も童要である。

英語の基礎力を底上げすベきだが、もちろん國民全員が英語に堪能になる必要はない。とすれば、どのような人に、どの程度の英語力を身につけてもらふか、といふ國家的な戰略も求められる。

視覺言語としての英語と聽覺言語としての英語のやうに別個の言語があるわけではない。讀解力がなければ、聽いて理解することもできない。その意味では英語一般といふことはあるわけだらうが、實務となると、語彙や表現はまた異なるだらうから、それは實務で身につけるより仕方がないはずだ。

そんなところまで、國が面倒を見ようとしてもどだい無理なはなしであり、また餘計なことだ。大きな政府に反する。英語については財政的にも時間的にも十分すぎる支援をしてゐると思ふ。むしろそれ以外の言語の場合が大變だらう。なぜ英語だけをかくも特權的に扱はねばならないのか解らない。

「身につけてもらふ」といふ表現、これも時代精神のせいだ。1979(22.7.15)

 

ToukyokuRomaji

當局はローマ字をどうするつもりなのか

 

表記についての規定の變更、最近は常用漢字のことが話題になってゐるが、ローマ字についての報道は見たことがない。氣づいたものを擧げる。

文化廳式ローマ字
國土地理院方式
國會圖書館の方式
國際規格
をはりに(3)

 

Bunkatyousiki

文化廳式ローマ字

これが一番新しいものだと思ふ。

文化廳のサイトで國語施策・日本語教育→日本語教育→日本語學習・生活ハンドxブックと辿ると『日本語學習・生活ハンドブック』(平成21年1月15日發行)を讀むことができる。

二百九十圓分の切手をはった返信用の封筒(角型2號又は3號が適當)の表左端に「ハンドブック希望」と朱書きして ,100-8959東京都千代田區霞が關3-2-2 文化廳文化部國語課日本語教育企畫係に注文すると送ってくれる。

韓國・朝鮮語版、中國語版、ポルトガル語版、スペイン語版、英語版と五通りあるから種類を指定しなければならない。この中にローマ字表があるが平假名對應の表と片假名對應の表の二つに別れてゐる。平假名には長音についての規定はない。片假名の場合は音引記號をあげて、

aa/ii/uu/ee/oo

と母音字を併記する方式だ。だからパスポートは pasupooto となる。

ヲには o と當ててあるが、片假名の表には

ウァ (wa)、ウィ (wi)、ウェ (we)、ウォ (wo)

とあるから、wo といふ綴りそのものが禁止されてゐるわけでなく、音價がア行の場合と異なるといふことのやうだ。

とにかく、内閣告示など何處吹く風だ。自分たちはこんなでたらめなことをしてゐながら、國民にはまともな表記を禁じ、使ひたければ金を拂へとは水戸黄門に出てくる惡代官もしなかったことだ。(toshiwoとするとき手數料四千圓が必要だった)

なほ、di はディ、du はドゥに對應づけてあるが、ヂは zi、ズはzuと、この點だけは戰後の文部行政に忠實。

通常ローマ字は固有名詞でしか見ることがない。實際に日本語を書いたらどうなるか一見の價値がある。職場で地震が起きたときの會話から拔き出してみる。

Jishin wa sugu ni tomarimasu.

Soto ni deru toki wa ki o tsukete kudasai.

地震が止るといふ表現は始めて知った。それにしても、分かち書きが凄い。文節單位の方が自然だ。ただし、kio tsukete では o の前の i が子音化しやすい。kiwo tsukete としてみると w が區切りになってゐることが見えてくる。

筆者はワ行も語中のハ行音も區切りの機能が本來でア段でだけ亙り音として例外的に發音されると考へるものだ。硫黄島の硫黄はイワウ、ローマ字にそのまま轉寫すれば iwau だ。au は autumn の au だからア段音ではない。假名遣をはなから間違ひだと決めつけずに、それに身を寄せてみれば、見えてくることだ。最近は、にぎたまのローマ字といふことがある。 (平成22年7月18日 )

(平成22年7月18日
KokudotiriinHo

國土地理院方式

平成16年11月11日の國土地理院長第34號通達の方式。菱山剛秀氏の論文「地名のローマ字表記」は國土地理院時報第108集所載。

ローマ字方式の現状としていろいろのものが擧げてある。

  • 國土交通省 百萬分の一國際圖におけるローマ字表記要領(昭和39年)告示第1表
  • 國土交通省 ナショナルアトラス「日本」英語版(昭和52年)告示第1表
  • 國土交通省 國土地理院が作成する地圖及び地名等における地名等のローマ字表記に關する規定及び細則(昭和59年4月3日通達)告示第1表 第2表も可
  • 國土交通省 地球地圖「日本」(平成12年)ヘボン式
  • 海上保安廳水路部(平成11年7月2日通達)ヘボン式
  • 地質調査所(昭和59年4月17日)ヘボン式
  • 國土交通省 道路標識(昭和61年10月25日)ヘボン式
  • 國土交通省 鐵道掲示規定(昭和22年7月26日)ヘボン式
  • 氣象廳 觀測所の地名(昭和30年3月1日通達)ヘボン式
  • 日本地質學會(昭和27年2月18日)ヘボン式
  • 總務省統計局 國政調査報告(行政名)ヘボン式
  • 國際標準化機構 日本語のローマ字表記に關する國際規格(ISO3602)文獻目録、カタログ、地名一覽等(平成1年9月1日 國際標準)告示第一表
  • 工業技術院 日本工業規格(JIS28301-1990)英語に存在しない工業製品の書き表し方(平成2年3月1日)告示第一表
  • 學術審議會 ローマ字による學術用語の書き表し方(昭和49年1月通知)
  • 外務省 旅劵法施行規則(平成1年12月8日改正)

告示第一表とあるのが、いはゆる訓令式。菱山論文の「適用上の課題等」といふ節の最後には次のやうにある。

長音符を省略することを原則としたため、例へば「大野」と「小野」のつづりが同じ Ono になり、正確な表記ができなくなる。言語學的な使用を想定した地名のデーターベース等では長音の表現が必要と考へられるので、規定等の摘要に當って注意が必要である。

また「まとめ」には次のやうにある。

日本語をローマ字で書き表すことは、日本がヨーロッパと接觸したときに遡る。もともと、ローマ字は日本語の文章を漢字や假名と同樣にアルファベットで書き表すための記述方法であった。しかし、最近では、日本でも英語の使用が普及したため、日本語をローマ字で書き表す必要性は非常に少なくなってゐる。

現在、ローマ字で文章を書く場合は、ほとんどが英語によってをり、日本語を書き表す必要があるのは、ほとんどが英譯できない地名や人名などの固有名詞に限られてゐる。

國土地理院の地圖や地名集に記載される地名は、これまで政府の方針に基づき、告示第一表のつづりに從ってきたが、國内の他の機關のほとんどがヘボン式のつづりに改め、生活の中でも告示第一表のつづりを目にすることがなくなった。

地圖の利用を考へた場合、地圖に表示されてゐる地名のつづりと、現地の表示板等に記載されてゐる地名のつづりが異なることは、利用者の混亂を引起こしかねない。しかし、一方では、今回の改訂は、内閣告示、訓令、國際標準等に整合しないし、言語學的な立場に立てば、長音記號を省略した場合、正確な發音ができないなどの課題を殘してゐる。

言語學的な使用といふ問題のたて方といふのがそもそも間違ってゐたと思ふものだ。(平成22年7月18日

 

KokkaiTosyouKan

國會圖書館の方式

國際標準に準據。つまり訓令式。くはしくはJAPAN/MARCアクセス・ポイントのローマ字形サブフィールドにおける表記要領(2002年4月以降)、及びJAPAN/MARCアクセス・ポイントのカナ形サブフィールドにおけるカナ表記要領(2008年4月以降)を參照されたい。

カナ表記要領には「二語の聯合または同音の連呼によって生じたヂヅはジズと表記する」とあるから、制限假名字母表記で例外として認められたヂもヅもすべて消えてしまふことがお判りいただけるだらう。

カナ表記要領の參照資料に昭和21年内閣告示第33號によるカナ(音節)の表があるが、そこには、國會圖書館では使用しないカナとしてヲ、ヂ、ヅ、ヂャ、ヂュ、ヂョが擧げてある。

カナの表に最初から含まれてゐないティディトゥドゥのやうな場合はどうするのか。當然、ヂやヅの類と看做されて、zi zu となるのだと思ってゐたら、どうもさうではない。非常に紛らはしいしいのだが、ローマ字形表記要領の表は、カナ表記要領のカナの音節表と同一でない。、

チとツのところを見ると次のやうになってゐる。

チ(ティ)ti、ツ tu、ヂ zi、ディ di、ヅ zu

ti とあってもチなのかティなのなはっきりしない。dya dyu dyo といふのもある。これはデャ、デュ、デョに對應するものなのださうだ。どんな音節なのか見當がつかない。

長音についてカナ表記要領は次のやうに規定してゐる。

  1. ア列の長音は、「ア」と表記する。

    母さん カアサン

  2. イ列の長音は、「イ」と表記する。

    兄さん ニイサン

  3. ウ列の長音は、「ウ」と表記する。

    有數 ユウスウ

  4. エ列の長音は、「エ」と表記する。

    姉さん ネエサン

  5. オ列の長音は、「ウ」と表記する。ただし、現代かなづかいで「お」と書き表される長音は、「オ」と表記する。

    勞働法 ロウドウホウ、大阪 オオサカ、氷 コオリ、十日 トオカ 、遠目 トオメ

「ア列の長音は、「ア」と表記する」といふ表現がわからない。カアサンの「ア」は長音ではない。長音なるものがあるとしても、その後半だ。

ローマ字形表記要領の長音といふところに次のやうにある。

  • 長音は母音に(^)を附した文字を使用していたが、今後使用しない。

    (例) 學校 舊: gakko^ 新: gakkou

  • 長音は母音に(^)を附した文字および長音記號「ー」は使用しない。

    學校 gakkou、スーパーカー supaka

結局字母制限の問題に歸着してゐる。それにしても、「學校」と「スーパーカー」の扱ひ、つりあひがとれてない。平成22年7月18日)

KokusaiKikaku

國際規格

國際規格(ISO3602)の原文は次のやうに始る。

This International Standard is one of a series of International Standards dealing with the conversion of systems of writing. The aim of this International Standard and others in the series is to provide a means for international communication of written messages in a form which permits the automatic transmission and reconstitution of these by men or machines. The system of conversion must, in this case, be univocal and entirely reversible.

つまり機械處理にも對應すべきものだ。

「日本のローマ字社」による譯で見ることができる。

「嚴格な轉字をする場合は、上に示した體系と異なるものになる。」といふところがある。

  • 表1-26 と 29 の文字はそれぞれ常に ha, he と表記される。
  • 表1-45 は wo と表記される。
  • 表1-58 と 59 はそれぞれ di, du と表記される。
  • 表2-28、29、30はそれぞれ dya, dyu, dyo と表記される。
  • 5. 5の長母音は、b□ru のように、前の母音の上に横棒をつけて表わす。

表1-26と29は「ハ」と「ヘ」だ。表1に戻ってみると「助詞「は」は發音通り wa と表記する。助詞「へ」は發音通り e と表記する。」といふ規定に關する注記であることが解る。同樣に、表1-45は「「を(ヲ)」は直接目的語を示す助詞としてのみ用いられる。ローマ字では o と書く。」を受けたものだ。

表1-58, 59 ではヂヅを zi zu としてゐたが嚴格に表記するときには di du とするのだといふ意味。同樣に表2-28, 29, 30はヂャヂュヂョを zya zyu zyo としてゐたが嚴格に表記するなら dya dyu dyo といふ意味。(平成22年7月18日)

 

OWARINI_1

をはりに

内閣告示のローマ字がそもそも二重基準であったが、國際規格も二重基準。そして今は、國内では長音なるものの後半を落とした表記が標準であるにもかかはらず、文化廳は外國人に後半も書くやうに教へる。外國人が放送のつもりで hoosoo と書けば、文化廳方式を知らない人は、法王相應のやうに讀むかもしれない。實際、文化廳のハンドブックには許可證と教科書とを間違ふ話がでてくる。しかし、その解決策はないのだ。

いや、文化廳は解決策を見つけたつもりかもしれない。許可證は kyokashoo とし、教科書は kyookasho とすればよいのだと。それは、文化廳のハンドブックで學び、且つ、他の方式について學んでゐない人にしか通用しない、蛸壺のやうに閉じた世界での話だ。

文化廳のハンドブックには;−

Non-Japanese names are written in katakana. However, those who are from a country which uses kanji may write their names in kanji.

とある。外國人の場合は、常用漢字表や人名漢字表にない漢字でも使用してよいといふことのやうだ。字體が違ふことについての説明もない。

戰後の表記改革が國際化のことなど考へず、もっぱら國内だけのことの考慮からなされた、まことに蛸壺的なものであったことからすれば、漢字文化圈からの人に對しては字體について一言あってしかるべきではあるまいか。

蛸壺的問題解決は戰後の文部省の基本方針。まづは萬葉から敗戰時までの一切を閉出し、かつ戰前に教育を受けた世代の言語世界をも表記に關する限り無視することで問題解決を圖ったのだった。

いはゆる現代假名遣(昭和61年7月1日内閣告示第1號)の前書:−

この假名遣は、法令、公用文書、新聞、雜誌、放送など、一般の社會生活において、現代の國語を書き表すための假名遣のよりどころを示すものである。

この假名遣は、科學、技術、藝術その他の各種專門分野や個々人の表記にまで及ぼさうとするものではない。

がすでに蛸壺の宣言であった。個々人の表記にまで及ぼさないのであれば、なぜわざわざめんどくさいことを教へようとするのだらうか。いや、彼らはよかれと思ってやったのだ。假名字母を制限する方が簡單で便利になると本氣で信じたのだ。

間違ってゐたと悟った人もあったといふが、問題が大きくなりすぎてゐるので今になって取り消すのも氣が引けるだらう。今度の常用漢字の改訂、字體についての議論を聞くと、教育界といふ蛸壺から委員を選んでゐるらしいことが解る。子供が育って世の中に出て行くといふこと、むしろ、そのための準備であることいふ構へが感じられない。

國會圖書館の假名表記、ヂとの關聯でディに對應するところまでは考へたやうだけれど、ヅの場合のことまでは見えなかったのだ。いや、ヂやヅを見ないやうにしてゐることが問題なのだと思ふ。とにかく假名といふか、國語音韻は閉じた系。追加したり削除したりするものではない。

もっと眼球を高くして取組んでもらひたい。(H22.7.17

 

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KMNSnew1

拡張ヘボン式とは

KMNS氏による翻字式ローマ字の発見

 

(2010/12/24)

真道 重明 

 

上西俊雄 氏(KMNSはハンドル名)からPDFファイルの添付付きメールを頂いた。同氏の主張して居られる「拡張ヘボン式ローマ字」については、このホームページでも数個の項目でその論旨や懐かしの歌などの記述例を紹介しているが、此処に同氏による最新の説明が述べられているので、原文(PDFファイル)を載せた。

日本語をローマ字 (the Roman alphabetに翻字することは、日本語の長音などに問題はあるものの「容易いことだ」と思っていた私は素人の浅ましさで百年以上に亘って多くの専門家により色々な面からの多数の論争が行われていることを知り驚いた。

数年前に上西俊雄氏の提案や論説を Web で見付け、小学校で昔習った「え」・「ゐ」・「ゑ」などの平仮名の文字や使い方は何処に行ったのだろう?「づ」と「ず」はどう違うのか?など普段何気なく意識していなかったことに興味を感じるようになった。此処で私がゴチャゴチャ論ずるのは面映ゆい。下記を一見されたい。

なお、英文を見たい人は下の「同上の英文」をクリックすること。

 

KMNS氏のこの項目を見るには此処をクリック

 

同上の(英文)

 

関連事項は下記をクリック↓

「教育新聞」「月刊國語教育」に書いたこと [上西俊雄氏の言葉についての意見集(1)]

http://home.att.ne.jp/grape/shindo/kotoba5.htm#kmns_opinion

 

上西俊雄氏がメルマ「頂門の一針」に書いたこと、その他のエッセイ集(2)

http://home.att.ne.jp/grape/shindo/kotoba7.htm#KmnsEessy2

 

言葉の諸問題 (kmns氏の「頂門の一針」に書いたエッセイ集)

http://home.att.ne.jp/grape/shindo/kotoba5.htm#KMNS10PDF

 

 

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KANBUNkundoku

漢文訓読と現代中国語会話

 

                                 (2011/01/01)

真道 重明 

今年米寿を迎えた私達は中学生の頃に「漢文」という授業課目が在った。中国の古典の四書五経や漢詩などを訓読(返り点などを附して漢文を日本語の言葉の排列順に置き直して読むこと)することが主たる内容であった。一方、私は現代の中国語の会話に興味を持ち、独学でラヂオ講座を聴き、東京に進学してからは東京外語(現東京外国語学校)の支那語専修科(夜間講座)で北京官話を習った。

中学校の漢文と中国語会話との間には、当然のこと乍ら文語と口語・古典語と現代語の差はあっても、同じ中国語として「密接な関係がある」と同時に、現実には「全く異なった内容の課目」である。

この問題について素人なりに感ずるので、愚考の一端を述べた。

 

中学校で習った「漢文」

 

@ 「論語」の学而篇に誰もが知る有名な下記の句がある。元来は句読点のない「白文」と云われる漢字の羅列だったのだろう。(原文は縦書き)。

子曰学而時習之不亦説乎有朋自遠方来不亦楽乎人不知而不慍不亦君子乎

A 此れでは何処で区切ったらよいのか迷うので、「句読点」を附けたら次のようになる。

子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、不亦君子乎。

B 白文を日本文の語順に置き換える目的で、「返り点」という符号や、「送り仮名」及び文章の区切を示す「句読点」を加えた文章にし、それを下記のように読む。例えば:−

子曰く、学びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや。朋遠方より来たる有り、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずやと。

C 現代の口語にすれば:−

先生(孔子)がこの様に言われた。「物事を学んで、後になって復習する、なんと楽しいことではないか。友達が遠くから自分に会いにやってきてくれる、なんと嬉しいことではないか。他人が自分を知らないからといって恨みに思うことなどまるでない、それが君子というものだ」。

D 上記の例示のような方式で論語や孟子などの四書五経(儒教の経書や十七史や此れに宋史を加えた十八史略などの史書、漢詩などを学習した。それらの内容は西洋のギリシャに於ける思想体系に匹敵し併呑する程に優れたものと云われる(貝塚茂樹)。

E 漢文は「基礎教養の一つ」として課せられたものと思われる。なお技術的には上記 B に言う「日本文の語順に置き換える」方法で、元来シノチベット語族である中国語とウラル・アルタイ語族(?)の日本語という全く異なる言葉の語順の「体系的な方法による置き換え」によって読むと云うことを「漢文訓読」と称し、この様な例は世界で他に例を見ないのでは無かろうか?

F 漢字を知る儒教圏のベトナムや南北朝鮮では原典の「白文」を素読(意味を考えることなく、音読のみをすることで繰り返し、また繰り返し暗記するぐらい迄音読する学習方法。日本でも素読を薦める人は多い。日本語の素読は上記 B の丸暗記を指す。だがその苦労は大変なものである。

G 一つの外国語を習得するのも容易ではないのに、その古典を読むというのだから「実に多くの努力が必要」というのは当然と云えば当然である。四書五経が書かれた以前の時代から明朝や清朝、更には現代に到る数千年の間には中国語自身も時代に応じて次々変化してきただろうから、訓読も大変であるに相違ない。

 

 

漢文訓読は中国古典文だ
けに対応するのだろうか?

 

文訓読は「古典中国文語文だけに対応する」と言われる。果たしてそうなのだろうか?口語の入った露伴訳『国訳忠義水滸伝』から:−

【以下の文中の□は日本のワープロにない字、但し無視して速読しても云わんとすることは分かる】

(原文)

智深也乗着酒興、都到外面看時、果然漉k樹上一箇老鴉巣。衆人道、「把梯子上去拆了、也得耳根清浄。」李四便道、「我与尓盤上去、不要梯子。」智深相了一相、走到樹前、把直綴脱了、用右手向下、把身倒檄着、却把左手反住上截、把腰只一尓、将那株漉k樹帯根抜起。衆溌皮見了、一斉拝倒在地、只叫、「師父非是凡人、正是真羅漢身体。無千万斤気力、如何抜得起。」智深道、「打甚鳥緊。明日都看酒家演武器械。」衆溌皮当晩各自散了。従明日為始、這二三十個破落戸見智深□□的伏、毎日将酒肉来請智深、看他演武使拳。

(露伴訳「国訳忠義水滸伝」)

智深(ちしん)また酒興(しゆきよう)に乗着(じようちやく)し、都(すべ)て外面(がいめん)に到(いた)り看(み)る時(とき)、果然(かぜん)漉k樹(りよくようじゆ)上(じよう)、一箇(いつこ)の老鴉巣(ろうあそう)あり。

衆人(しゆうじん)道(い)う、「梯子(はしご)を把(と)りて上(のぼ)り去(さ)って拆了(たくりよう)せば、也(また)耳根(にこん)の清浄(しようじよう)を得(え)ん。」

李四(りし)便(すなわ)ち道(い)う、「我(われ)爾(なんじ・尓)が与(ため)に盤上(はいのぼ)り去(さ)らん、梯子(はしご)を要(よう)せず。」と。

智深(ちしん)相(そう)し了(りよう)する一相(いつそう)、走(はし)って樹前(じゆぜん)に到(いた)り、直綴(じきとつ)を把(と)って脱了(だつりよう)し、右手(ゆうしゆ)を用(もつ)て下(した)に向(むか)い、身(み)を把(と)って倒(さかさ)まに□着(しやくちやく)<注:纏(まと)わり着(つ)くる也(なり)。本(もと)へ反(かえ)る勢(いきおい)をなしてというも非(ひ)也(なり)>し、却(かえつ)て左手(さしゆ)を把(と)って上截(じようせつ)<注(ちゅう):上截(じようせつ)は上(うえ)の方(ほう)を捉(と)らえとどめる也(なり)。>を□住(はんじゆう)し、腰(こし)を把(と)って只(ただ)一□(いつちん)す<注(ちゅう):□(ちん)は趁(ちん)に同(おな)じ、追(お)う也(なり)。勢(いきおい)に乗(じよう)じて追求(ついきゆう)するを趁(ちん)という、ここは腰(こし)をのしたる也(なり)>、那(か)の(一(いつ))株(しゆ)の漉k樹(りよくようじゆ)を将(ゐ)て根(ね)を帯(お)びて抜起(ばつき)す。

衆(しゆう)溌皮(はつぴ)見(み)了(おわ)って、一斉(いつせい)に拝倒(はいとう)して地(ち)に在(あ)り、只(ただ)叫(さけ)ぶ、「師父(しふ)は是(こ)れ凡人(ぼんじん)に非(あら)ず、正(まさ)に是(こ)れ真(しん)の羅漢(らかん)の身体(しんたい)。千万(せんまん)斤(きん)の気力(きりよく)無(な)くんば、如何(いかん)ぞ抜(ぬ)き得(え)起(おこ)さん。」

智深(ちしん)道(い)う、「甚(なに)の鳥緊(ちようきん)を打(な)さん<注:緊(きん)はしっかり也(なり)。切(せつ)也(なり)。鳥(ちよう)は軽(かろ)しめ侮(あなど)る辞(じ)。打(だ)はなす。一句(いつく)、なんでもないことというなり。>。明日(みようにち)都(みな)酒家(わ)が武(ぶ)を演(えん)じ器械(きかい)を使(つか)うを看(み)よ。」

衆(しゆう)溌皮(はつぴ)当晩(とうばん)各自(かくじ)散(さん)じ了(おわ)る。明日(みようにち)より始(はじめ)と為(な)して、這(こ)の二三十(にさんじつ)個(こ)の破落戸(ごろつき)、智深(ちしん)を見(み)て□□的(へんへんてき)に<注:ひれふして>伏(ふく)し、毎日(まいにち)酒肉(しゆにく)を将(も)ち来(きた)りて智深(ちしん)を請(こ)い、他(かれ)の武(ぶ)を演(えん)じ拳(けん)を使(つか)うを看(み)る。

 

露伴訳では立派に漢文訓読されている。もう一つ例示しょう。平岡龍城訳の「紅楼夢」(『国訳漢文大成』所収、大正10年)。

(原文)

這裏宝玉忙忙的穿了衣服出来、忽抬頭見林黛玉在前面慢慢的走著、似有拭涙之状、便忙□上来、笑道、「妹妹往那裏去、怎麼又哭了、又是誰得罪了□。」林黛玉回頭見是宝玉、便勉強笑道、「好好的、我何曽哭了。」宝玉笑道、「□□□、眼睛上的涙珠儿未乾、還撒□□。」一面説、一面禁不住抬起手来替他拭涙。林黛玉忙向後退了幾歩、説道、「□又要死了。作什麼這麼動手動脚的。」宝玉笑道、「説話忘了情、不覚的動了手、也就顧不的死活。」林黛玉道、「□死了倒不□什麼、只是□下了甚麼金、又是甚麼麒麟、可怎麼様□。」一句話又把宝玉説急了、□上来問道、「□還説這話、到底是呪我還是気我□。」林黛玉見問、方想起前日的事来、遂自悔自己又説造次了、忙笑道、「□別著急、我原説錯了。這有什麼的、筋都暴起来、急的一臉汗。」一面説、一面禁不住近前伸手替他拭面上的汗。宝玉□了半天、方説道「□放心」三個字。林黛玉聴了、□了半天、方説道、「我有什麼不放心的。我不明白這話。□倒説説怎麼放心不放心。」宝玉嘆了一口気、問道、「□果不明白這話。難道我素日在□身上的心都用錯了。連□的意思若体貼不著、就難怪□天天為我生気了。」林黛玉道、「果然我不明白放心不放心的話。」宝玉点頭嘆道、「好妹妹、□別哄我。果然不明白這話、不但我素日之意白用了、且連□素日待我之意也都辜負了。□皆因総是不放心的原故、纔弄了一身病。但凡寛慰些、這病也不得一日重似一日。」林黛玉聴了這話、如轟雷掣電、細細思之、竟比自己肺腑中掏出来的還覚懇切、竟有万句言語、満心要説、只是半個字也不能吐、却□□的望著他。此時宝玉心中也有万句言詞、一時不知従那一句上説起、却也□□的望著黛玉。両個人□了半天、林黛玉只咳了一声、両眼不覚滾下涙来、回身便要走。宝玉忙上前拉住、説道、「好妹妹、且略站住、我説一句話再走。」林黛玉一面拭涙、一面将手推開、説道、「有什麼可説的。□的話我早知道了。」口裏説著、却頭也不回竟去了。

 

這裏(こちら)には宝玉(ほうぎよく)は忙忙的(いそいで)衣服(きもの)を穿了(きて)出(で)て来(く)ると、忽(たちま)ち頭(あたま)を抬(あ)げて林黛玉(りんたいぎよく)が丁度(ちようど)前面(むこう)を慢慢的(そろそろと)走著(ゆく)のを見(み)たが、どうも拭涙(ないて)る様子(ようす)があるので、便忙(いそいで)□上来(おいかけていつ)て、笑(わら)いながら、「妹妹(たいさん)那裏(どこ)に往去(ゆき)なさる、して又(また)怎麼(なん)で哭了(なき)ます、是誰(たれ)か尓(あなた)に得罪(わるいこと)でもしたのではありませんか。」

説(い)われて林黛玉(りんたいぎよく)は回頭(ふりかえ)って見(み)ると宝玉(ほうぎよく)なので、勉強(つとめ)て笑(えがお)をつくり、「好好的(まあまあ)、我(わたし)何曽(なん)で哭了(なき)ましょう」、と道(い)う。

宝玉(ほうぎよく)は、「□□□(そら)、眼睛(め)の上(うえ)の涙珠儿(なみだ)は未(ま)だ乾(のこつ)ているではありませんか、撒□(うそをつい)てはいけません」と、説(い)い一面(ながら)、禁不住(おもわず)手(て)を抬起来(あげて)他(そ)の替(ため)に涙(なみだ)を拭(ふ)いてやった。

林黛玉(りんたいぎよく)は忙(さつそ)く幾歩(いくあし)か後(あと)に退了(ひいて)、「死(しつけいなこと)を要(します)ね。什麼(なん)で這麼(こんな)に動手動脚(いらぬことをなさる)。」

すると宝玉(ほうぎよく)は笑(わら)いながら、「説話(はなし)に忘了情(むちゆうになり)、覚(おも)わず手(て)を動(だ)す様(よう)なことをして顧不的死活(とんだそそうをし)ました」、と謝(ことわ)りを道(い)うた。

林黛玉(りんたいぎよく)は、「尓(あなた)が死(し)んでも倒(かえつ)て什麼(なに)も□(なり)ますまいが、只是(ただ)甚麼(なんだ)か金(きん)とか、麒麟(きりん)とか云(い)う様(よう)な物(もの)を□下了(ほつておいた)なら、それは怎麼様(どうなること)でしょう。」

この一句話(こと)は、又(また)宝玉(ほうぎよく)を急(はつ)と説(おも)わせ、□上来(さつそくやつてき)て、「尓(あなた)が這話(そんなこと)を説(い)いなさるは、到底(いつたい)是(それ)は我(わたし)を呪(のろ)うのですか、還是(また)は我(わたし)を気(しかる)のですか。」

林黛玉(りんたいぎよく)は又(また)そう問(と)われて、方(まさ)に前日(ぜんじつ)の事(こと)を想(かんが)え起(だ)して、遂(つい)に自(みずか)ら自己(じぶん)も造次(そそう)なことを説(い)うたと悔(く)いて、忙(さつそ)く笑(わら)いながら、「尓(あなた)もそう著急(せきこみ)なさるな、それは我(わたし)が説(い)い錯了(そこない)ましたのです、這(それ)に什麼的(なにも)そう筋都暴起来(あおすじたてて)、急的一臉汗(あせをたらして)おさわぎなさることも御座(ござ)いますまい」、と説(い)い一面(ながら)、禁不住(たえかねて)近前(すすみで)て手(て)を伸(だ)し他(ほうぎよく)の面上(かお)の汗(あせ)を拭(ふ)いてやった。

宝玉(ほうぎよく)は半天(じつと)□了(ながめ)て居(い)たが、方(やが)て「□放心(ごあんしんなさい)」との三個字(さんかのじ)を説道(いう)た。

林黛玉(りんたいぎよく)は聴(き)いて、也(また)半天(じつと)□了(して)居(い)て、「それじゃ我(わたし)に什麼(なに)か放心(あんしん)のできぬ的(こと)でもありますのですか。我(わたし)は這話(そのわけ)が明白(わかり)ません。(尓(あなた)は倒(かえつ)て怎麼(なに)を放心(あんしん)とか不放心(ふあんしん)とか説説(いい)なさるのですか。」

すると宝玉(ほうぎよく)は一口気(しきりと)嘆息(たんそく)して、「尓(あなた)が果(はた)して這話(そのこと)が明白(わかり)ませぬ様(よう)では、難道(どうも)我(わたし)が素日(ふだん)(尓(あなた)の身上的(ことを)心(おもう)て在(い)たことは都(み)な用錯了(おもいちがい)でした、(尓(あなた)の意思(いし)でさえも体貼(すいりよう)し著(きれ)ぬ様(よう)では、我(わたし)が天天(いつも)(尓(あなた)に生気(おこられ)たのは難怪(もつとも)な訳(わけ)です。」

林黛玉(りんたいぎよく)は、「果然(どうしても)我(わたし)は放心(あんしん)とか不放心(ふあんしん)とか話(いうこと)は明白(がてん)がゆきません。」

宝玉(ほうぎよく)は点頭(うなず)きながら嘆(たん)じて、「好妹妹(たいさん)、(尓(あなた)は別哄我(どうかかくさずにいうてください)。若(も)し果然(はたして)這(こ)の話(こと)が明白(がてん)がゆきませぬ様(よう)では、但(た)だ我(わたし)の素日(ふだん)の意(こころづかい)が白用(むだ)になるばかりではありません、且(か)つ(尓(あなた)が素日(ふだん)我(わたし)に待(たい)する意(い)にも也(また)都(まつた)く辜負(そむく)様(よう)なわけになります。それは(尓(あなた)が皆(みな)総(すべ)て不放心(ふあんしん)な原故(ために)、纔(まさ)に(尓(あなた)の一身(いつしん)の病(やまい)を弄了(つくつ)ている様(よう)なわけでしょう。但(た)だ凡(およ)そ寛慰些(きをひろくもて)ば、這(こん)な病(びようき)でも一日(いちにち)は一日(いちにち)似(より)重(おも)くなると云(い)うことは得(あ)りません。」

林黛玉(りんたいぎよく)は這(こ)の話(ことば)を聴(き)くと、宛(あだか)も轟雷掣電(かみなりにうたれた)様(よう)に感(かん)じ、細細(よく)之(これ)を思(おも)うと、竟(つい)に自己(おのれ)の肺腑中(しんちゆう)から掏(しぼ)り出(だ)して来(き)たよりも、還(な)お懇切(こんせつ)な覚(かんじ)がして、竟(つい)に万句(ありたけ)の言語(ことば)を満心(つくし)て説(いお)うと要(して)みても、只是(ただ)半個字(はんじ)も吐(い)えず、却(かえつ)て□□的(じつと)他(ほうぎよく)を望著(のぞみ)見(み)て居(い)た。

此時(このとき)宝玉(ほうぎよく)の心中(しんちゆう)にも也(また)万句言詞(いろいろいいたいこと)があっても、一時(いちじ)那一句上(どこ)から説(い)い起(だ)したものか考(かんが)えがつかず、却(かえつ)て也(また)□□的(じつと)黛玉(たいぎよく)を望著(みつめ)て、両個人(ふたり)は又(また)半天(しばらく)□了(じつと)して居(い)るばかりであった。

頃之(しばらく)すると林黛玉(りんたいぎよく)は只(た)だ咳了一声(せきばらい)して、覚(おぼ)えず其(その)両眼(りようがん)から涙(なみだ)を滾下(ながし)ながら、身(み)を回(かえ)して走(ゆこ)うとした。

宝玉(ほうぎよく)は忙(いそ)ぎ上前(すすみ)いでて拉(ひ)き住(と)めて、「好妹妹(たいさん)、且(ま)あ略(ちよい)と站住(おまち)なさい、我(わたし)の一句話(いうこと)を説(き)いてから再走(おいで)なさい」と説道(いう)た。

林黛玉(りんたいぎよく)は涙(なみだ)を拭(ふ)き一面(ながら)、手(て)で推(お)し開(の)けて、「什麼(なにも)説様(きくよう)なことはありませんし、尓的話(あなたのこと)は我(わたし)早(はや)知道(わかつ)て居(い)ます」と、口裏説著(いうて)、頭也不回竟(ふりかえりもせずさつさ)と去了(いつてしま)った。


「紅楼夢」は古い北京語で書かれていますが、中国語が分かる人なら、この訳が如何に正しいかが分かる。だが、中学校で漢文の訓読は習っていても、中国語を習っていない人にはどの程度分かるだろうか。慢慢的走=ゆっくり歩く、忙忙的=いそいで、放心=安心、什麼=何・どんな、天天=毎日、甚麼=どの様な・・・等々の口語が理解できないと戸惑うに違いない。もはや「訓読」というより翻訳に近い。

白話文の訓読訳は、この平岡龍城訳『紅楼夢』を、最初で最後の傑作として、歴史のかなたに消え去ってしまい、平岡龍城先生が、いかなる人であったのかさえ、今日では全く分からなくなっていると言う。

【真道:追記】 「奥野信太郎 中国随筆集」(慶應義塾大学出版会)に、「美しい訪問者」という随筆が掲載されている(同書65ページ)。その『紅楼夢』は「最初から最後まで、龍城が丹精こめて自注を注記し、またその一字一字に、全部四声の圏点をつけてある」という。戦後間もなく、困窮した親族が処分したものを、奥野氏がたまたま購入していた。ただ、奥野氏がこの文章を書いたのは、恐らく昭和二十年代か三十年代であり(未発表原稿だったので、はっきりしない)、奥野氏も昭和43年に他界、平岡龍城先生を知る人は、もはや誰もいないのかもしれない・・・云々。以上はWEB サイトの「日本漢文の世界」を多いに参考にした。厚く御礼申し上げたい。


とは「山」を「やま」、「飲」を「のむ」と読むと言うように「漢字に、その漢字が表す意味に相当する日本語を当てた読み方である。この様な例は朝鮮半島やベトナムなどの漢字圏諸国でも他に類を見ないのでは無かろうか。

「訓読」は私には「翻訳」という仕事の或る段階で、日本人が内容を憶え易いような形に特化したものではないか?と思っている。英語を学習するに当たって「英語訓読」をすることも可能である。英語の語順を「返り点」などの符号を付けて日本語の語順に置き換えればよい。しかし、これは行われなかった。英語という他国語の読み書きの習得が目的だからである。

論語や孟子など四書五経の学習に「訓読」という方法が発展したのは古典中国語を言語として習得すると云うよりも、其処に書かれて居る文章の思想内容の理解が目的だったからであろう。漢文を学ぶに当たり、(私の場合だけかも知れないが)「次の白文(未見)を訓読せよ」と云った出題は一度も無かった。先人が訓読したものを「ただ一途に憶え」た。文章の意味を理解することが目的だったからだと思う。英語やフランス語などの語学勉強とは目的が異なっていたからだと思う。

 

【蛇足、序でに書いた漢字論】

 

中国から来日している留学生に四書五経の中の一節をを示しと、中国の古典であることは分かるが、読めない(理解できない)人が多い。学生時代には古典を専攻する人は別として「教養科目としても習わなかった」という。

敗戦直後、毛沢東率いる解放軍と蒋介石率いる国民党軍との内戦が始まる前、私は日本軍からの転属命令で中国空軍第四方面軍の司令部で通訳勤務に当たったが、当時の国民党軍の人々は孔子や孟子などの思想は「現代社会に適わぬものとして否定されている」と私に語った

現在では大陸でも台湾でも問題が見直されつつあるようだ」。上海の大学で講義中、井上 靖の小説「孔子」が中国文に翻訳されて大ヒットしたのを憶えている。膨大な中国古典に含まれる多種多様な思想は、西欧ギリシャに於けるソクラテス・プラトン・アリストテレスらを祖とする哲学的思想の古典に匹敵する「宝物」である。

問題の価値を「元祖の中国を差し置いて、公正にそれらを中国の大衆に知らしめるのに日本の学者や作家が一役買った事実は、漢文を習った我々にとって感じるところが大きい。


話は漢字論に変わるが、昨年広州市で開かれたアジアオリンピック競技大会絵では温家宝総理が開会を宣言した。その文言は「大会開幕」(da4 hui4 kai1 mu4 )である。この開幕と云う言葉は「中国に昔からあったが、現代では殆ど使われて居なかった。但し日本では良く使われる便利な表現なので中国でも日本からの影響で最近は良く使うようになった」と戦前東京外語で北京官話習っていたとき先生から聞いた。

更に和製漢字熟語の「資本論」やその中の「有産階級・無産階級」、「市場論」など多くの和製単語は今や中国では普通の言葉である。近代の科学技術用語の和製漢字の大半は中国でごく普通に使われており、簡体字と繁体字(正體字)の違いとそれに伴う諸問題は在るが、その点を除けば、「日中両国にとって漢字はもはや共有されて居る表意文字であり、共に夫々の国語を表記する文字と理解すべきであろう。

 

 

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KMONSnew2

メルマガ「頂門の一針」に書いたこと(四)

[寄稿]

上西 俊雄

                                        22.7.23 - 12.27

MokujiKMNS4

目 次

眞道先生のサイトのこと、ハ行轉呼音に逆アポストロフィを當てたこと
簡體字を含むデーターのこと
「日韓併合百年」菅首相の謝罪談話のこと
看護士試驗、病名に英語併記
もっくりこっくり(恨みの記憶)
ザッケローニといふ表記のこと、中國人が日本史を講じること、ローマ字に個別大學推奨方式が生れたこと
菅首相の謝罪談話にある「民族の誇りを深く傷附けられました」といふ表現について
「爪をはがした」について及び促音の表記のこと
   「爪をはがした」について
   促音のこと再論
押收資料改竄疑惑
尖閣列島のこと竝びに西房氏の國防論をめぐる議論
第四回「守れ!我が領土」國民決起集會
皇室敬語のこと、西房虎次郎氏の国防論のこと
平井修一氏の「戲れ唄」補作
皇室敬語のこと(二)、博多子守歌
博多柳町 柳はないが 娘姿が柳腰
錢湯でみる入れ墨のこと
敢へてキズナと書く人のなからんことを
人名となれば、一轉して箍の外れた漢字政策
蛍の光の歌詞
南沙諸島で漁民が漁に出られず
字母制限と平板化のすすむ國語表現
ウィキリークスの讀みかたのこと
裁判員制度と文部省式表記は共に廢止すべきものであること竝びに押收資料改竄疑惑について
この文書について.

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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眞道先生のサイトのこと、

ハ行轉呼音に逆アポストロフィを當てたこと

 

「頂門の一針」にこれまで書いたもの、最近のものまで眞道重明先生のサイトの言葉の詮索(三)で公開になった。

眞道先生は學徒出陣のときに總代、敗戰時に蒋介石軍の通譯將校、SEAFDEC(東南アジア漁業開發センター)に長く勤められた國際人。言葉の詮索(二)にある「何故漢字で表記しないのか?」は是非讀んでいただきたいものの一つ。

言葉の詮索(三)で公開の小文は四點。

(イ)言葉の諸問題 (ロ)意見集(1)(ハ)意見集(2)(ニ)言葉の諸問題(2)

(ロ)が、教育新聞(平成12年10月19日から15年12月8日及び18年2月22日)、月刊國語教育(17年8月から22年3月)に書いたものであることを除くと、他はすべてメルマガ「頂門の一針」に書いたもの。(イ)が1406號(20年12月26日)から1756號(21年12月16日)まで、(ハ)が1771號(21年12月30日)から1928號(22年5月26日)まで、(ニ)が1951號(22年6月17日)から1981號(7月17日)まで。

(イ)には懷かしい唄や濫獲の表記を巡る問題へのリンクがある。懷かしい唄(その1)にはローマ字論へのリンクが三點。Bは「擴張ヘボン式の提唱」、Cが「擴張ヘボン式の發見」。

BとCの實質的違ひはハ行轉呼音を語中の h と捉へて逆アポストロフィで表すとしたこと。語頭(initial)、語中(medial)、語尾(final)で字母が異なる形をとることがあるといふことを聞いたことがあるが、ギリシャ字母のシグマの小文字くらいしか知らない。

英語の y と i の關係には、それを思はせるところがあって、city の複數形は y を i に變へて es を附けるし、lie の ing は e を落として ing を附すときに、i と i が竝ぶのを避けて、片方を y にし、lying とする。だからアルファベットとしては二つの字形を位置によって使ひ分けることはあり得ることだし、變態假名にも、そのやうな役割分擔があったことは、かつて高野切をコピーして假名文字單位に切離し、語頭語中に分類する作業を手傳って知った。

ハ行子音の H はギリシャ字母のイーターに由來する。三省堂『言語學大辭典』のギリシャ語の項目には次のやうにある。(表記は好みに從ふ。音聲記號もASCIIで轉寫できる範圍。丸括弧の部分は補足。)

なほ、イオニア方言では語頭の /h/ も失はれ、そのために不要となった文字 H が、長母音 /e:/ を表記するために轉用されたが、アッティカ方言では保たれてゐた。この /h/ は H を半分にした(T の足を短くして左に九十度回轉した)形で表記された。すなはち、氣息記號の /`/ である。

語中のハ行子音に逆アポストロフィを選んだ理由。自分でも逆アポストロフィの使用を考へたことがあるが實際に採用した方式があるとは知らなかったとメールを貰ったことがある。「擴張ヘボン式の發見」と題した理由。以上、眞道先生のサイトの御案内のついでにハ行轉呼音に逆アポストロフィを當てた理由を述べた。 ◎1990(22.7.26)



toshiwo 平成22年12月27日

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$02$

簡體字を含むデーターのこと

 

もう十年以上前のことになるが、中國語辭典のデーターのことで相談を受けたことがある。簡體字を含むデーターは中國語入力ソフトを利用して入力するのが普通だが、簡體字部分を對應するJIS漢字に置換へて入力したデーターがあったのだ。仕切りがあって和文とは區別できるやうになってゐる。

對應するJIS漢字がない場合がどうであったか覺えてないが、ある表に從って十六進數四桁をブレースで圍んだ形に整理した。かういふ整理がつけば、中國語入力ソフト利用の標準的データー形式に變換するのは難しくない。要するにJIS漢字を簡體字に變換し、十六進數コードを文字として書出せばよいわけだ。それで中國語の專門の編集者に協力してもらって變換テーブルを作成した。

内容上のことで問題のデーターは破棄することになり、結局、變換プログラムを役立てることはなかった。そのとき知ったのは變換テーブルを切替へるだけで簡體字にも繁體字にもなるといふこと。

平成十四年のアジア太平洋ジャーナリスト會議のお茶の時間に中國青年報東京支局長といふ人に簡體字はどうなるのだと訊ねたところ、ちょっと困ったやうな顏で、新しく作るのは止めたのだからといふ返事。

岩波の『圖書』で中國の人が、自分たちは簡體字と繁體字を混用することはないと書いてゐるのを讀んだこともあった。

それで、平成十五年四月七日の教育新聞に「我國の漢字體系に簡體字は異質」と題して次のやうに書いた。

中國では簡體字と繁體字を混用することがないので、我が國のやうに一つの文書で漢字が増えるといふことにはならなかった。また中國の辭典の索引を見ると複數の繁體字に對應する簡體字はあたかも別個の文字であるかのやうに繰り返して掲げてゐる。このことから、中國においては整理の枠組みとして繁體字の體系が生きてゐることが窺はれる。データー上では中國と臺灣の統一に大きな問題はないのではないかと思はれるのである。

このこと、眞道重明先生のサイトの言葉の詮索(三)の意見集一に納めたつもりであったが拔けてゐた。

【真道:注】中華人民共和国が成立して十数年間は簡體字の活字の作成が間に合わず、新聞紙面や書籍には両者が混在した。大陸ではその後は簡體字に統一されたとは言え、繁體字は社会の居たる処(仏閣や書道の碑林など】で見られる。「両者を混用することは現在は無いと云って良いようだ。21世紀の現在では多少教養のある人は大陸・台湾・香港を問わず両者を読める人が増えつつある。

HOKUGO山人のサイトなら小字報「近況」03/05/25

1990號反響欄に眞道重明先生のサイトのことを書いたらメールを頂いた。その中に「話は變りますが、中國の簡體字について繁體字との「交ぜ書き」を當局は禁止する警告を出した」といふやうな話を何處かで讀みましたとある。當局の意識において、またしても我國が後れてゐることを知った次第。

またしてもと言ふのは韓國がMR式ローマ字をやめたからで、これについては1852號(三月十七日)「國語音韻體系に變化はあったのか」 を參照されたい。 ◎1992(22.7.28)


toshiwo 平成22年12月27日

 

もう十年以上前のことになるが、中國語辭典のデーターのことで相談を受けたことがある。簡體字を含むデーターは中國語入力ソフトを利用して入力するのが普通だが、簡體字部分を對應するJIS漢字に置換へて入力したデーターがあったのだ。仕切りがあって和文とは區別できるやうになってゐる。

對應するJIS漢字がない場合がどうであったか覺えてないが、ある表に從って十六進數四桁をブレースで圍んだ形に整理した。かういふ整理がつけば、中國語入力ソフト利用の標準的データー形式に變換するのは難しくない。要するにJIS漢字を簡體字に變換し、十六進數コードを文字として書出せばよいわけだ。それで中國語の專門の編集者に協力してもらって變換テーブルを作成した。

内容上のことで問題のデーターは破棄することになり、結局、變換プログラムを役立てることはなかった。そのとき知ったのは變換テーブルを切替へるだけで簡體字にも繁體字にもなるといふこと。

平成十四年のアジア太平洋ジャーナリスト會議のお茶の時間に中國青年報東京支局長といふ人に簡體字はどうなるのだと訊ねたところ、ちょっと困ったやうな顏で、新しく作るのは止めたのだからといふ返事。

岩波の『圖書』で中國の人が、自分たちは簡體字と繁體字を混用することはないと書いてゐるのを讀んだこともあった。

それで、平成十五年四月七日の教育新聞に「我國の漢字體系に簡體字は異質」と題して次のやうに書いた。

中國では簡體字と繁體字を混用することがないので、我が國のやうに一つの文書で漢字が増えるといふことにはならなかった。また中國の辭典の索引を見ると複數の繁體字に對應する簡體字はあたかも別個の文字であるかのやうに繰り返して掲げてゐる。このことから、中國においては整理の枠組みとして繁體字の體系が生きてゐることが窺はれる。データー上では中國と臺灣の統一に大きな問題はないのではないかと思はれるのである。

このこと、眞道重明先生のサイトの言葉の詮索(三)の意見集一に納めたつもりであったが拔けてゐた。

HOKUGO山人のサイトなら小字報「近況」03/05/25

1990號反響欄に眞道重明先生のサイトのことを書いたらメールを頂いた。その中に「話は變りますが、中國の簡體字について繁體字との「交ぜ書き」を當局は禁止する警告を出した」といふやうな話を何處かで讀みましたとある。當局の意識において、またしても我國が後れてゐることを知った次第。

またしてもと言ふのは韓國がMR式ローマ字をやめたからで、これについては1852號(三月十七日)「國語音韻體系に變化はあったのか」 を參照されたい。 ◎1992(22.7.28)


toshiwo 平成22年12月27日

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「日韓併合百年」菅首相の謝罪談話のこと

 

1995號の「「日韓併合百年」菅首相の謝罪談話を阻止」」は新しい歴史教科書をつくる會の廻状。友人からの轉送で讀んだ。別の友人に轉送したら、つくる會のサイトで見つけたので、それを次の友人に傳へることにするとのメールがあった。その内容、

日清戰爭を戰ったのも、朝鮮半島を經由して襲ってくる脅威を除去するためだった。戰爭に勝った國は、講和條約の最初の條文にその國が最も欲することを書き込むものだが、日清戰爭の戰勝國である日本は、日清講和條約(下關條約)の第一條に、領土でも賠償金でもなく、「清國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス」と書き込んだ。

このことからも、日本が求めてゐたのは、朝鮮が外國に支配されない國家になることだったのがよくわかる。日韓併合に至ったのは、當時の歴史的事情と重なったものであり、さうした歴史の流れを一方的に無視して我が國の先人の苦鬪の歴史を現代の政治家が安直に裁くことは、歴史に對する許されざる冒涜である。

と條約を引用しての説明のところ、始めて知ったことだが、しかしなぜ、これを廻状として送らなければならないのか。我々は一方的な教育を受けて育った世代。外務官僚ともなれは、このくらいのことは知ってゐなければつとまるまい。閣僚もさういふ支へがなければやっていけないはずだ。こんな基本的な事實さへ、今の政權は知らないといふことなのか。知ってゐてなほ、謝罪談話をすることがありうるのだらうか。

この檄文を廻さなければならないといふことはとんでもなく恐ろしいことだ。前の總理は宇宙人だったと言はれたが、Kさんも日本人ではないといふことになる。さう言へば昨日はKさんの記者會見があった。或る質問にルース大使の廣島式典參加についての感想を問ふものがあった。おざなりの解答であったが、それだけなら何のための質問だったのだらうか。

先年他界した先輩、廣島通産局長時代、日米交渉でトルーマン大統領から手を差し伸べられたとき、廣島に原爆を落とした男だと思ふと握手に應じることができなかったときいた。かういふことはサヨクとかウヨクとかいふ以前に日本人であるかどうかの問題だ。 ◎1996(22.8.1)


toshiwo 平成22年12月27日

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看護士試驗、病名に英語併記

 

看護士試驗、病名に英語併記との記事があった(日經8月25日朝刊)。

併記して「外國人受驗者を支援」とあったから、これは患者のためではない。厚生勞働省の有識者委員會で24日まとめた對策だといふ。

久し振りに大學病院に行ったら、名前でなく番號で呼ばれる。番號札などすぐ無くなってしまふから、落着かないこと夥しい。下肢の血流の動態撮影。「おズボンを脱いで下さい」とまるっきり子供扱ひだ。

ひょっとしたら、これから患者は英語の説明を受けることになるのだらうか。

記事にはつぎのやうにある。

醫學や漢語の專門用語については、英語に馴れてゐる候補者が理解しやすくするため糖尿病のやうな病名や外國人名などに限り、日本語の下に英語名を併記する。

日本語での平易な言葉への言換へについては、醫療現場で別々の單語が飛交ひ混亂を招く恐れがあり見送った。そのため褥瘡などの專門用語は、言換へや振假名を浸ける對象とはしない。

專門用語に當らない一般的な用語では、「症状を呈する」のやうな難解な言葉を「症状がある」と分かりやすく表現する。

「症状がある」と「症状を呈する」とどちらが難解だらうか。子供が言葉を覺えていく場合であれば、「症状を呈する」の方があとになるといふことは解るが、外國語として日本語を學ぶ立場であれば、事情が異なる。意味の説明をする立場からすれば、「症状を呈する」の方が易しいし、また嚴密だとも言へやう。

さて褥瘡の何が難しいといふのだらうか。どちらも形聲字。zhokusau としか讀みやうのない熟語だ。英語では何といふのだらうと辭書で調べたら decubitus ulcer と出てきた。多分、この英語は正確でない。decubital ulcer といふところではあるまいか。

decubitus から decubital が簡單に出て來ないやうな難しい語だと思ふ。

語彙の非對稱性とでも言ふか、日本語にあるから英語にもあると決ってゐるわけではない。我々は胃下垂などとよく言ふが、gastroptosis などといふ語は英語といふよりラテン語だ。

いささか舊聞に屬するが、鳩山さんが朝令暮改と朝三暮四とを混同したといふことが話題になった。これはちょっとした錯覺かもしれない。しかし、アナウンサーや解説者のくせにと思ふこと、これは多い。

最近耳にしたもの。

民主黨代表選についての報道番組で解説者がキショクをを鮮明にすると言った。これについては主宰者が書かれたことがある。旗幟鮮明のことだ。

漢字の意味を考へてゐるのかといふ表現。「木っ端微塵に大破した」「自殺未遂を圖った

日本語だらうかと氣持が惡くなった表現。「行方不明と見られる一人の遺體が發見された」、賣行きのよいかき氷について一日に「200ハイも賣れた」

委員にもかういふ人達がゐるのかもしれない。◎2022(22.8.27)



toshiwo 平成22年12月27日

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もっくりこっくり(恨みの記憶)

 

「頂門の一針」2019號(八月二十四日)に謝罪外交について觸れたものが幾つかあった。西村眞悟氏が「虚僞と妄想を放置した代表選び」の最後で

後に、日韓併合のことであるが、菅談話は虚僞と妄想のもとに我が國家を謝罪させるものである。菅氏が總理大臣としてそれをした以上、即更迭に至らねばならない。また、更迭してすむはずが無く、萬死に値する歴史への裏切りだ。

と述べられてゐるが、その通りだと思ふ。氏は「このことに關して、次に發賣されるWill誌に原稿を送った。是非、ご一讀いただきたい。そもそも日本の近代とは何のための戰ひだったのか。日本は朝鮮を「搾取」したのか。このことについて、書いた。」とのこと。

書けば「日韓併合開始以來、我が國は國家豫算の二十パーセントを朝鮮近代化につぎ込んできた。併合時の朝鮮人の平均壽命二十四歳、人九百六十萬人。昭和二十年の朝鮮人の平均壽命日本人と同じ四十六歳、人口二千六百萬人」といふやうなことをあげつらふことになる。

同じ2019號の反響欄には「菅首相の韓國併合百周年メッセージ論爭の結末」といふ投稿がある。書出しはかうだ。

漸く、贊否兩論が出盡くした觀があるが、ボクの見るところ、兩者の主張は、良し惡しの論點が一方的、どっちもどっちで、目糞鼻糞の域を出ない。

筆者は目糞鼻糞だとは思はないが、この方の言はれる「自分側だけの勝手な事實認識と考へだけが正しいと主張し、相手を否定して、ヒステリックに攻撃してゐる」といふ感じも解らないではない。

合併でなく合邦といふ考へ方でやるべきであったとする議論が當時からあったやうだし、施す側と施される側といふやうな關係があれば、どんなに善意であらうと面白からうはずはないだらう。それに後半は戰時體制。いろいろ嚴しい時代であったはずだ。

我國の戰後教育は一方的、逆の意味で偏向教育であった。歴史認識を糺すためにも、當時のことを知ることは必要なことだと思ふ。

八月二十一日星陵會館での謝罪外交抗議集會、加瀬英明先生の話で、合併當初の小學校教科書にハングルがあったこと、日本人も朝鮮語をやったと聞いて驚いた。合併百年、李明博大統領が感謝聲明を出してもをかしくないと結ばれたが、きはめて説得力のある話であった。

創氏改姓が強制でなかった例として、洪思翔陸軍中將や金國會議員の名前を擧げられたが、朝鮮人の名前は元來、多音節であったのであって、彼らが自らの名前だといふものがすでに中國式創氏改姓の結果だといふ話は目から鱗の落ちる思ひであった。

後で會場で求めた資料にある内地人職員に對する朝鮮語の獎勵といふ記事も改めて納得した思ひがした。

警察取締まり・産業獎勵・租税徴收等に於いてややもすれば人民の誤解をまねくおそれありしがごときは、その局に當るものが朝鮮語に通ぜざるに起因すること多きに鑑み、本府は朝鮮總督府及び所屬官在勤の内地人職員特に常に民衆に接する地方廳の職員に對し、朝鮮語の學習を獎勵する必要を認め、朝鮮語獎勵規定を發布し内地人職員にして朝鮮語に熟達せる者に對し、獎勵手當てを給與することとなせり、鋭意之が獎勵に努めつつあり

これは昭和十六年度朝鮮總督府施政年鑑記載の文言だとある。

しかし、このやうなことを數へあげることは本來自分でやることではない。「人不知而不慍、不亦君子乎」といきたいものだ。

なみおさんが(なみをさんと書きたいけれど、ここは憚る。その他の部分は傳統的表記に從っての引用)同じ反響欄に書いてをられるところを引く。

昔から、日本は單一民族でお互いの意思疎通は、阿吽の呼吸で通じると言はれて來ました。そこには纖細な相手を思ひやる氣持も生まれ、他者を押しのけ、土足で踏み込むやうな利己的な態度はもっとも嫌はれる性格として輕蔑されてゐました。

それが戰後の洗腦教育により一變して失はれ、時間を經て今日の社會不安を増大させて來てゐるのです。

では、戰後の洗腦教育とはどういふものかといふと、「三教科停止命令」といふものです。

GHQにより出された日本弱體化政策の根幹がこれでした。内容は歴史・修身・地理を停止するといふマッカーサーの命令です。

敗戰をきっかけに左翼勢力や進歩的知識人と稱される人たちが飛びついたのがこの政策でした。過去の民俗的歴史の記憶を消しさり、愛國心を削ぎ取る教育がこれだったのです。

過去の榮光を知らされず、他國から非難された事のみを針小棒大に喧傳するかうした教育は、國民の大半の層に自虐史觀だけを植え附けることとなり、先の日韓併合の謝罪談話、曳いては村山談話などとなって政界をも席捲するに至りました。

筆者は三教科の前に國語の問題があると思ふ者だ。自民黨の山本一太代議士が朝鮮學校に無償化が及ぶことを問題にして、朝鮮學校の教科書を取上げ、教へてゐる内容を問題にした。まと外れだと思ふ。法律の枠組からすれば、インターナショナルスクールなど、外國人のための學校すべてを問題にすべきであって、つまりは、文部省の教育が本來、日本人のための教育であるべきだといふ根本問題に行着かなければならない。

我國の古來の美稱、瑞穗の國はミヅホと書いた。それを今はミズホと教へる。大伴家持の長歌(萬葉集4094番)は「海行かば水漬く屍山行かば草生す屍大君の邊にこそ死なめかへり見はせじ」でよく知られてゐるが、書出しの「葦原の瑞穗の國を天下り知らしめしけるすめろきの神の命の御代重ね天の日繼と」の原文はネットで公開の萬葉集檢索システムによれば

葦原能美豆保國乎安麻久太利之良志賣之家流須賣呂伎能神乃美許等能御代可佐禰天乃日嗣等

であって、瑞穗は美豆保。豆は漢音トウ、呉音ヅ。トウとヅは共にタ行音で通じる。それをわざわざ、ズに變へて原文を讀む場合の妨げになるやうに教育する。

漢字の學年配當、實施にあたっては、初期の手引書で、先生の見識によらざるを得ないだらうと書いてあるのを見た記憶があるが、今はまことに行き屆いてゐる。

孫の宿題、業者の作った算數の問題集、時間と時刻との違ひを教へるところ、時刻とは絶對に書かない。刻は假名になってゐるのだ。國語の書取りの問題、日用品は品が假名だ。

交ぜ書きに無神經になるのは、音と訓を區別せず、讀みといふ一つのものにくくってゐるせいだ。子供が交ぜ書き漬けになってゐるとは知らなかった。これでは國語の感覺が狂ってしまふのは當然だ。

山本一太先生には、是非、かかる學校に税金を使ふ必要を論じて貰ひたい。

韓國との關係で「もっくりこっくり」といふ文句を思ひ出した。蒙古高麗の意味で、むづかる赤子を泣きやまらせるための脅し文句だったとのこと。それほど元寇の際の敵軍は殘虐であったわけだ。軍歌元寇、筆者は一番しか覺えてゐなかった。

筥崎神社も燒け落ちたのださうだ。名前が燒け落ちたわけではない。ネットの歌詞では箱崎とあるが、JISにある漢字なので筥崎とした。なほ弘安四年はキリスト教暦では1281年。『コンサイス世界年表』の弘安五年のところに時宗が圓覺寺を建て敵味方の戰沒者を供養とある。

(一)四百餘州を擧る十萬餘騎の敵 國難ここに見る弘安四年夏の頃

何ぞ恐れむ我に鎌倉男子あり 正義武斷の名一喝して世に示す

(二)多々良濱邊の蝦夷そは何蒙古勢 傲慢無禮もの倶に天を戴かず

いでや進みて忠義に鍛へし我が腕 ここぞ國の爲日本刀を試し見む

(三)心筑紫の海に波押し分けてゆく 益良猛夫の身仇を討ち歸らずば

死して護國の鬼と誓ひし筥崎の 神ぞ知ろし食す大和魂潔し

(四)天は怒りて海は逆卷く大波に 國に仇を爲す十餘萬の蒙古勢は

底の藻屑と消えて殘るはただ三人 いつしか雲晴れて玄界灘月清し

2023(22.8.28)


toshiwo 平成22年12月27日

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ザッケローニといふ表記のこと、中國人が日本史を講じること、ローマ字に個別大學推奨方式が生れたこと

 

2032號(9.6)反響欄でZaccheroniをザッケローニと轉寫することについての疑問を前田さんが漏らされた。

そもそも轉寫といふのは、その言語の音韻に寫すといふことが前提だから外國語の音通りにならないことがある。

先日の日經でユーカラのラを下附きにした表記を見た。アイヌ語では最後の音節は無聲化するとでも言ひたいのかもしれないが、國語の表記としては無理。無責任な表記だと思ふ。

それから、外國語耳とでもいふか、同じ音聲でも、その言語に通じてゐなければ、さう聞へないといふこともある。日本語の撥音に當る音聲が英語に三通りあることはよく知られてゐるが、それを聞き分けるには、まづもって自ら調音、つまり發音しわけられることが前提だ。

イタリア語の ch は前舌母音の前で c の音を表すための工夫だから、この2字で kと看做すことができる。その前の c の音價も勿論 k だから、Zakkaroni といふこと。つまりここには重子音がある。重子音は英語では、その前の母音が短母音といふ目印の役目はあるけれど、單子音のやうに發音する。同じ子音の持續といふことは英語にはない。

英語やイタリア語には日本語のやうな促音はない。しかし、轉寫するときに促音を入れたくなることがある。

むかし『初級コンサイス和英辭典』といふ中學生用の辭典で英語の譯語にカタカナで發音を附けたことがある。發音記號を假名に轉寫するだけなら、促音は出てこない。それで、どういふ場合に促音を用ゐたくなるかを考へた。アクセントのある短母音が子音で閉じてゐる場合であるが、子音の種類により、また更に、その子音の後の環境によっても促音を用ゐたくなる度合は違ふ。

pot ならポットとしたい。Potter なら必ずしもポッターとせず、ポターでもよいやうに思ふ。Harry にハッリーとする人はゐないだらう。かういふ環境を單純にくくってしまふと、やたら促音の多い表記になる。

pot を例に擧げたけれど、アクセントのない母音ではないかと思ふ向きもあるかもしれない。「二語見出しにアクセント表示は必要か」といふ論を書いたことがある(研究社『現代英語教育』昭和50年7月號、8月號)。アクセントは單語に一つが原則。單音節語であればアクセント表示をする必要がないといふだけのこと。

Zaccheroni の場合、アクセントはpenultimate (語末の一つ前の音節)にある。だから、その他の音節に促音を用ゐるのは可怪しいやうに見えるかもしれない。

英語ではアクセントのない音節は弱化する。多音節語では、弱化しない音節も出てくる。アクセントのある音節の前、アクセントのあるから數へて奇數番めの音節の母音は、その他の母音と異なるところの其の母音本來の性質を失ってはゐない。そのやうな音節にもアクセントがあるといふことがあるが、その場合は第二アクセントとか副次アクセントとか言って區別する。

Zaccheroniは四音節。アクセントは第三音節にあるけれど、第一音節(主アクセントから數へて三音節遡った位置)にも副次アクセントがあるわけだ。

重子音のことで失敗したことを思ひ出した。

ハーバードの日本史學徒グループの一人KMローソン氏が「井の中の蛙」といふサイトで富田メモを採り上げたときに次のやうに書込んだ。 (平成18.7.28)

Benjamin Franklinの1761年8月の文章 ``The Jesuit Campanella's Means of Disposing the Enemy to Peace'' といふのがある。Campanella は英國を懷柔するには平和主義を説くことだ、さうすれば、彼の國の知識人は自ら平和を唱へるやうになるだらう。平和であれば經濟もうまく行くとの主張も生まれてこよう。そうして講和に持込んで時期を待つべきだと説いた。この文章の凄いのは平和を説くやからを唾棄すべき人として描いてゐるところ。

Franklin は英國とスペインの關係に植民地アメリカとフランスの關係を見た。我々は日本と戰勝國との關係をみることができる。戰後の日本は平和を唱へる人で滿ちあふれてゐる。それどころか、言葉自體が過去と切離された。敬語--これはmisnomerかもしれない。待遇表現といふ中立的表現なら違ったかもしれないが、敬語が廢れた。天皇のことを報道するのに敬語がない。それかあらぬか、富田メモにあるのが先帝のお言葉だと、いきなり内容を問題にしてしまった。敬語が身についてゐる人に用語からその可能性があるのか確かめて貰ふべきだ。

このことを或る酒席ではなしたところ桶谷秀昭先生からカンパネラでなくカンパネルラだと教へられた。宮澤賢治の『銀河鐵道の夜』にでてくる。つい英語的に言ってゐたわけだ。

イタリア語ではlを二回とも讀む。しかしルラのやうに發音してゐるかといふとl の調音が持續するのだからカンパネウラとした方が聞へとしては近いかもしれない。どちらにしろ、子音をその分だけ假名に寫さなければならない。

要するにZaccheroniはザケローニと聞えるといふことも、それをザッケローニと表記することも納得できると言ひたい。

ところで、イタリア語として轉寫する場合は重子音のところに促音を用ゐる傾向が強い。似た音節の竝びをもつ Botticcelli についてグーグルで調べてみると、

ボッティチェッリ 23800

ボッティチェルリ 9780

ボティチェッリ 428

ボティチェルリ 299

副次アクセントのある音節のあとでも、また流音の場合でも促音なのだ。

Zaccheroni をザッケローニと寫すのは傳統にも適ったことなのだと思った次第。

ここまで書いたところで、2032號が屆いた。直接關係はしないが觸れておきたい。

産經の古森義久記者の「アメリカでの日本沈沒 」の中に次のやうにある。(表記は好みに從ふ)

ワシントンにあるジョージワシントン大學で日本の歴史を教へる教授は中國人です。、アメリカン大學で日本の政治を教へてゐる正教授も中國人です。しかもこの2人の中國人先生は今の中國政府との絆を明らかに持ってゐる人たちです。從って今の中國政府が言ってゐるやうな日本の歴史、日本の政治についての教へ方をしてゐます。

つい最近まではアメリカの學界で活躍する中國の人といふのは、殆どが天安門事件で迫害されてアメリカに亡命してきた優秀な民主主義活動家で占められてゐました。

この人たちの考へ方は中國共産黨のテーゼとは違ひますから、教へる内容もいはゆる西側に近いものでした。しかし今日の主流派の先生は皆中國當局と何らかの形の絆を持っている人たちで占められてゐるといふ感じがします。

このやうなことを文部當局は知ってゐるのだらうか。少なくとも、東大あたりは、戰前のものを自在に讀みこなす學者の育成に意を用ゐてゐるはずだと思ふのだが、漢和辭典、その他、戰前のものを讀むための道具が古本屋で探さなければならないといふ實態から問題にすべきだらう。

明治期の政治結社、清國亡命客康有爲・梁啓趙なども參加、機關紙は漢文にしたといふ。漢字教育をないがしろにしたつけが廻って來てゐる。

國語教育にもっと時間を割けと言ってゐるのではない。せめて邪魔をしないで欲しいと思ふ。漢字の學年配當といふことをやめるだけで教師がどれほど自由になることか。

新聞で口蹄疫にルビを附けてゐるのを見ることがあるが、蹄が常用漢字でないとしても形聲字。テイとしか讀みやうがない。ルビが必要かどうかの判斷は書き手の見識にゆだねるべきなのだ。

その東京大學の教養學部英語部會/教養教育開發機構といふところで昨年「日本語のローマ字表記の推獎形式」なるものを出してゐることを先日知った。大學の學部でローマ字方式を決めなければならないといふこと、これも實に恐ろしいことではないか。

推獎形式について書いてあるところを引く。

主なローマ字表記の傳統的な形式は主に二つあり、それぞれ訓令式とヘボン式と呼ばれています。(中略)どちらの形式にも長所と短所があります。

これは誤魔化しだ。長所といふのは如何なる方式にもあるはずだから、「どちらの形式にも短所があります」といふべきではないか。

結局、推獎する方式は入力の面倒さにも關らずマクロンを冠したヘボン式なのだ。

最後に例文が擧がってゐる

日本國民は、正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたって自由のもたらす惠澤を確保し、政府の行爲によって再び戰爭の慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

Nihon kokumin wa, seit. ni senkyo sareta Kokkai ni okeru daihy.sha o ts.jite k.d. shi, warera to warera no shison no tame ni, shokokumin to no ky.wa ni yoru seika to, waga kuni zendo ni watatte jiy. no motarasu keitaku o kakuho shi, seifu no k.i ni yotte futatabi sens. no sanka ga okoru koto no nai y. ni suru koto o ketsui shi, koko ni shuken ga kokumin ni son suru koto o sengen shi, kono Kenp. o kakutei suru.

但しシフトJISで保存したので、アクセント符號附の文字はピリオドに化けた。分かち書きがアクセントに對應してゐるといふ感じがするかどうか、試してみて欲しい。

昨日(九月六日)の讀賣新聞をみると英語の公用語化を宣言するところが出てきて、またぞろ英語教育についての議論が盛んだ。國語は假名字母を制限して歴史的假名遣を追放したが英語はいはば歴史的假名遣のままだ。國語でイロハを止めたけれど、英語でもアルファベットの教へ方がいいかげん。國語教育も英語教育も問題の根は同じなのだ。


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$07$

菅首相の謝罪談話にある「民族の誇りを
深く傷附けられました」といふ表現について

 

「國語表記の問題から」で名前を出した梁啓趙、ネットでしらべると田村紀雄、陳立新といふ二人の共著の論文「梁啓超の日本亡命直後の「受け皿」」が見つかった。

次のやうなところが目についた。

犬養木堂はかつて梁啓超に次のやうに述べた。

「日本は明治維新以來、文明の普及には三種の神器がある。曰く學校、新聞と演説である。」......

つまり、識字率の低い時期には演説に頼らざるを得ないが、學校教育の普及が識字率の向上をもたらし、新聞による文明の普及が顯著に現れたのである。清國時代末期,日本はこの高い識字率と活發な新聞活動によって、アジアの大國であり、歴史的の附合ひの深い中國(清國)への國民的世論形成がすでに行なはれてゐたのである。

戰後の文部省は識字率の低下を目指した。英語教育についても、文字言語としての英語と音聲言語としての英語とを區別し、音聲面に傾斜してゐるやうだ。最近の學生は英語を話すのは上手くなったが讀解力は落ちたと聞いたのは昭和五十五年のことで、英語の優秀な學生を採ることで有名な東京銀行の人からだった。

漢字は表語文字。漢字の場合の識字率の低下はもっと怖いものがある。最近、久し振りに大義といふ語を耳にした。大いなる義、萬民の認めるところのもので、一命を賭すといふ場合に使ふのだと思ってゐたけれど、民主黨代表選に誰を支持するかといふ話だった。

菅總理の語感も問題だ。謝罪談話には「當時の韓國の人々は(中略)民族の誇りを深く傷附けられました」といふところがある。これが引っかかる。

英語版でみると、their ethnic pride was deeply scarred だ。pride を COD で引くと self-respect とある。

手許の漢和辭典はホコリと讀む漢字に誇、矜、伐の三字を擧げて次のやうに説明する。

矜は仰山にホコリいふこと。矜は我賢しと自慢すること。伐は自稱其功也(みづから其功をほむる也)と注す、手柄自慢すること。

つまり、自慢とか、self-respect と言ひかへられる心的状態だ。一人稱でなければ變ではないか。三人稱で直接法はないだらうと思ふ。

或は自分の弟分と看做して、自分のことのやうに解ると思ってゐるのかもしれない。

もしさうだとしたら、サヨクの人は結局のところ朝鮮人を一般の外國人より一段下に見て土足で相手の心のなかに踏み込んでゐるのではないか。英語で ethnic とあるのもその反映のやうに思はれる。この國だけ特別扱ひできるのもそのせいだらう。◎2038(22.9.12)



toshiwo 平成22年12月27日
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$08$

「爪をはがした」について
及び促音の表記のこと

 

「爪をはがした」について

 

勞働厚生省の村木厚子さん、とんだ濡れ衣を着せられたものだ。テレビ報道で知っただけでも檢察の杜撰さには呆れるより仕方がない。

いやしくも霞ヶ關の局長、起訴するなら、恆にもまして裏づけ搜査をしっかりやるのが當り前だと思ってゐたけれど、今では役人は惡と決めつけて、平凡な一市民ほどにも證據調べもしなかったと思はれる。證人がみな證言をくつがへした。

證人のいふところがまともに通じてなかったのだ。檢察官が劣化したといはざるを得ない。ところが、だから取調べの可視化が必要だといふ議論があるらしい。

そんなことをしても事態は改善されないだらう。ただ、冤罪を免れるための保險を掛けるだけだ。

言葉が通じなくなってきた。それがために我々の營みの一つ一つのコストが高くなるのは勘辨願ひたい。

さう思ってゐたところ、博多の方で看護婦の方が爪をはがしたといふ事件の無罪判決があった。爪を切るのと、爪をはがすのは大違ひだ。しかし、「爪をはがす」といふことは聞いたことがなかった。常に「生爪を剥がす」といふ形であり、人爲的ともなれば拷問と決ってゐた。檢察官は深づめをすることの延長上に爪をはがす行爲を見てゐたのではないだらうか。

とにかく、言葉が通じにくくなってゐるから、檢察官が實際のところ、どう認識して「爪をはがす」と言ってゐたか疑問。途中から、表現が獨り歩きした可能性がある。

新聞のパソコンの解説記事、「ハードディスク容量も640ギガバイトと多い」とある。これが日本人の表現だらうか。普通なら「大きい」といふのではないか。かういふレベルで世代間の意思疎通がうまく行かない場合もあるはずだ。

幹事長就任要請を受けた岡田氏は、外務省の玄關で待ち構へた記者團の質問に「政權交代をしていただいた國民の氣持を考へたら、天命でせう」と答へた。謙讓の「いただく」を逆に用ゐるのは御愛敬としても、「政權交代をしていただいた」は變だ。當事者意識を缺く。ここはどうしても「政權交代をさせて下さった」だらう。

言葉を輕く使ふから、こんな表現になるのかもしれないが、いろいろの言葉をマニュアルに從って運用する人が増えてゐるやうな氣がする。先日は銀行の窓口で「お日附を御記入願ひます」とやられてしまった。國語に行政が介入したための影響だと思ふ。

言葉に行政が介入したために教育コストが脹れ上がってゐる事情については何度か觸れたし、平井さんも2026號(10.8.31)の「軟弱日本、斜陽の時代へ」で小人數學級の效果について體驗に基づいて疑問を呈してをられたが、日經新聞九月十七日の「經濟教室」は日大准教授安藤至大氏の「不確かな少人數學級の效果」といふ見出しで學力調査での實證必要とするもの。大いに論じて貰ひたい。

しかし、國語行政の失敗による損失はそんな程度ではない。教養學部英語部會教養教育開發機構の推獎するローマ字方式と文化廳文化部國語課が外國人のために用ゐるローマ字、どちらも平成二十一のものであるが、等しくヘボン式と稱しながら全く異なるものであることなど、意思疎通の妨げとなることを役人や學者がやってゐるわけだ。

國語行政の迷走の爲に空洞化したものに人名のでたらめな漢字字體の問題と、同じくでたらめな讀みの問題があるが、もう一つ、外來語のこともあると思ふ。

外來語の轉寫に用ゐるべき假名は國語音韻のための假名をどこまで逸脱してよいのか、原語音に忠實であらうとするとは如何なることか、かういふことを考へたのは、辭書出版社に入ったときだ。山本君といふロシア語の專門家と二人で考へたのが、擴張五十音圖とでもいふべきもので、これが擴張ヘボン式を考へるときも頭の片隅にあった。

ところで、前田さんの提起されたZaccheroniのカタカナ轉寫の問題(2032號(9.6)反響欄)に對して「頂門の一針」のブログ版(9.8)に、カタカナで英單語の發音表記を試みた經驗から、促音がアクセントだけでは必ずしも決らないこと、Zaccheroni の音節のならびからすれば、英語だとしても第一音節は副次的アクセントのある位置にあることなどを論じ、またイタリア語と英語とは重子音の發音が異なることを書いたが、舌足らずの上、我ながら論旨が明快でなかった。



toshiwo 平成22年12月27日

 

促音のこと再論

 

促音のこと、英語で glottal stop といふことを昔何かの辭書で知ったのだと思ふが、手許の和英辭書でみると、double consonant とか long consonant としか出てゐない。

「擴張ヘボン式の發見」で書いた通り擴張ヘボン式を英文で書いたのは平成十六年十二月。そのときは、syllabic glottal stop と書いた。後に syllabic phonemic stop と改めたのは静岡大學の服部先生よりの指摘があったからだ。

三省堂『言語學大辭典』術語編でみると次のやうにある。(表記は好みに從ふ。)

現代日本語の表記で、「っ」「ッ」の假名が當てられる音節。後續する音に應じて, [?] (あった)、[s](あっさり)、[sh](ぎっしり)などで實現される。それ自體が獨立のモーラを形成する點において、撥音、長音と共通してゐる。喉頭破裂音の調音、ないし、その聽覺印象を〈詰まる〉ととらへて、「つまる音」とよび、その急促性から「促音」とよばれる。[s](あっさり)や[sh](ぎっしり)はその條件に合致しないが、特徴的な機能が共通してゐるために、異音として包攝される。(以下略)

「異音として包攝される」とは、音韻的に同一と看做されるといふことで、その言語を母語としてゐる人には區別できない。

薩摩には促音が多い。好きな女性のことを「すっなをなご」といひ、鹿兒島辯のことを「かごっま辯」といふ。

ローマ字で促音をどう書くかは大問題。音韻論的表記であれば、何か一文字で表すべきだ。そのために通常用ゐられるのは q もしくは Q だ。しかし、ヘボン式や訓令式では、英語的表記で、實際の調音に從って書分ける方法をとる。

アッタ、アッサリ、ギッシリで促音は直後の子音と調音點を等しくする閉鎖音と看做すことができるから、アッサリは assari で問題ない。ギッシリの場合 [sh] が一字でないから s で代用して gisshiri だ。

アッタのときに、何故 t とせず、聲門閉鎖音と捉へるのか。鹿兒島育ちの當方からすれば、アッサリでもギッシリでも同じやうに感じられる。t が破裂音と規定されることが關係してゐるやうに思はれる。破裂音は持續して發音することができない。だから、アッタのときを別扱ひにしたのではないか。

2039號(22.9.16)にイタリア語の發音がドイツ人より日本人に解りやすいといふことが反響欄に寄せてあって勉強になった。ドイツ語より英語話者にはなほ聞えにくいことかもしれない。

英語では閉鎖音に始まる重子音は該子音が流音でない限り頭の閉鎖音を發音しないといふ規則があるほどだ。gnomon, bdellium, Ctenoid, knight, pneumonia, psychology, ptomain, xylophone などすべてさうだ。(true, plural では發音する)このこと、1446號(21.2.9)に書いた。

さて、聞える音を書分けることができるかといふと、ドイツ語の ö のやうにオかエのどちらかに振分けねばならない。アイヌ語で最後の音節が無聲化することを示すためにユーカラのラを、通常のラと區別しようとしても無理なのだ。

英語の r と l が假名では區別できないし、假名「ン」で書かれる音が英語には三通りあるといふことも同じ性質の問題だ。

促音をローマ字に轉寫する場合は、この關係が逆になる。假名一つのものがローマ字ではさうはならない。音聲學的に捉へれば、直後の子音と同じ調音器官の(homoorganic)閉鎖音だ。それで一般に直後の子音字を重ねた形になる。

擴張ヘボン式ではもう少し細かく規定した。

促音すなはち成節音素たる閉鎖音(ッ)は語末で t、語中では後續字母五十音圖行の父音とする。從って ch の前で t、j の前で d となる。しかしハ行音の場合はウ段の場合は別として促音を伴ふ場合は口蓋音であるので口蓋閉鎖音 k をあてる。また n の前で t、m の前で p とする。以上五つの場合を除き促音は同じ子音字の繰り返しとなる。

細か過ぎるやうに思はれるかもしれないが、音をアルファベットで書くといふことは、かういふことなのだ。英語教育の最初に教へるべきことだ。或は、英語教育でアルファベットをしっかり教へれば、かうでなければ我慢ができなくなるはずではないか。

j の前の促音は d といふことは、ji はヂと表記すべきだといふことになる。ヂもジも區別がないから、どちらでもいいではないかと思ふ向もあるかもしれない。

ポルトガル人が日本語をラテンアルファベットに轉寫したとき、ジを ji とし、ヂを gi とした。ポルトガル語で ji と gi は同じ音を表す。しかし書き分けが徹底してゐるのでジとヂを違ふ音であったはずだと橋本進吉は述べてゐる。同音のアルファベットを使ひ分けて原音の違ひを轉寫したわけだ。

meazure と major の語中の音は英語では全く別の音であるのだから、たとへ、國語で同じ音を表すものであってもジとヂと書き分けることには意味があると思ふものだ。

岡崎久彦氏に擴張ヘボン式について訊かれて「jiでジはないでせう」と言ひをはらぬうちに、「成る程、jiでジはフランス語式で英語式ならヂだ」と納得されたことを思ひ出す。

むかしギリシャの三大悲劇詩人の一人として教はったソフォクレスは後にソポクレスといふ形でみることが多くなった。恐らく音聲を耳にすればソポクレスが近いのだらう。だから、何となくソポクレスの方が正しいのだと思ってゐた時期がある。

ギリシャ語には、パ行音に聞える音に二種類あって、呼氣の強くない方、ギリシャ語アルファベット小文字の $\pi$ で表す方をラテンアルファベットの p で表せば呼氣の強い方は p と h と組合せたものになる。ソポクレスのポは ph の方なのだ。だからパ行とは別のファ行でもって轉寫することにも、それなりの合理性があると考へるやうになったのは、更に後年のこと。

前回は Botticcelli についてネットで調べたのであった。今回は Machiavelli についても調べてみた。

ボッティチェッリ 23800

ボッティチェルリ 9780

ボティチェッリ 428

ボティチェルリ 299

マキャヴェッリ 42000

マキアヴェッリ 36500

マキアヴェルリ 8220

マキャヴェルリ 1250

マッキアヴェッリ 266

マッキャヴェッリ 105

マッキアヴェルリ 1

Machiavelliの場合はヴェをベとする場合があるが、例外的なので割愛した。さて、第一音節における促音の有無といふ點に着目すれば Botticcelli の場合と異なり促音の無いのが通例であることが見てとれやう。

つまりイタリア語の場合、重子音の第一要素を、とくに破裂音に分類される音であれば、促音で轉寫する慣はしがあるといふことだ。Zaccheroni の第一音節も同一條件であることは言ふまでもない。◎2039(22.9.16)



toshiwo 平成22年12月27日
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$09$

押收資料改竄疑惑

 

押收資料改竄疑惑、2044號にある産經の記事は更新日時が改竄された疑ひとなってゐるが、データーを改竄した或はデーターを書換へたとする報道もあったやうだ。

更新日時をどうやって改竄したのか。ファイル管理のプログラムに touch といふツールがある。開發してきた種々のファイルの日時を最終日時に揃へるときなどに使ふ。ファイルの内容が書換へられるわけではなく、ファイルについての屬性といふか、ファイルについての記録を書換へるだけだ。

touch をつかふにしても OS の日時が押印されるだけなので、任意の日時にするのは OS の時計の設定を切替へなければならない。

ファイルについての記録は OS の方で自動的に行ふことなので、通常は意識されない。單に開いて讀むだけのつもりが、閲覽ソフトでなく、讀み書きのできるソフトで開いてゐた場合は、終了時に保存してしまふことがある。さうすると日時が更新される。

だから、讀み書きのできるソフトでファイルを開くのは危險なのだ。フロッピーには小さな穴があいてゐて、開閉できるやうになってゐるが、これを閉じておくと、書込むことができない。

ひょっとしたら、今回のことはファイル管理の知識が足りなかったために起きたことではあるまいか。

村木厚子さんの濡れ衣、檢察官と證人のやりとり、國語が劣化してゐるとしか考へられない。日附の矛盾も被疑者や證人の發言を聽く能力さへあれば、氣がついたはずだ。一度、さういふことを投稿しようとしたことがある。しかし、IT 時代のファイルなら日附はどうにでも動かすことができると氣がついたので、やめたのであるが、取り調べる側で動かす可能性には思ひ及ばなかった。

國語の劣化といふこと、改竄を改ザンと書くやうなことと言ひたいが、いささか牽強附會ではあった。◎2045(22.9.23)


toshiwo 平成22年12月27日
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尖閣列島のこと竝びに西房氏の國防論をめぐる議論

 

status quo(現状)といふ語句の存在理由をあまり納得できずにゐたけれど、現状は status quo ante bellum つまり、戰爭前の状態といふことで、それを國際秩序とすると言ふことではないか。尖閣列島も第二次大戰後の status quo の一環。中國はこの國際秩序に異議を唱へてゐるのだ。

フランクリン がパリからアメリカ獨立戰爭終結の前年に本國に書いた手紙の一節に獨立戰爭でフランスの貴族が米國に應援するのは利益のためではないと書いたところがある。

Trade is not the admiration of their noblesse, who always govern here. Telling them, their commerce will be advantaged by our success, and that it is their interest to help us, seems as much as to say, "Help us, and we shall noto be obliged to you." Such indiscreet and improper language has been sometimes held here by some of our people, and produced no good effects.

菅さんなどは商賣のことしか言はない。だから發言するつど我國を貶めることになる。

上に引用したのは下記の文に續く部分。

In my opinion, the surest way to obtain liberal aid from others is vigorously to help ourselves. People fear assisting the negligent, the indolent, and the careless, lest the aid they afford should be lost.

クリントン米國務長官が前原外務大臣との會談で尖閣列島は日米安保條約五條の適用對象と明言したとあるが、明言して貰はなければならないとしたら、そんな條約は條約ではない。普天間基地の問題など自ら條約の權威を貶めてきたために改めての保障が欲しくなったといふところだらう。◎2051(22.9.30)


toshiwo 平成22年12月27日
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第四回「守れ!我が領土」國民決起集會

 

十月五日、文京區民センターの「第四回「守れ!我が領土」國民決起集會〜中國の尖閣侵略を阻止せよ」に參加した。

集會の樣子の一端はやまと新聞のサイトで讀むことができる。

日本の首相が韓國の大統領に會って、尖閣問題について理解を求めたといふことが報じられたばかりであったが、菅さんの所業はあきれることばかり。ことさらにこのことを取上げる人はなかった。

辯士には本紙の讀者にはおなじみの加瀬英明、西村眞悟、宮崎正弘といふ名前のほかに稻田朋美さんの名前があった。稻田さんはいはゆる現代假名遣に疑義を唱へられてゐる一人(1958號(6.24)「國語國字のことは改めて問ひ直す必要がある」參照)

しかし、稻田さんの登壇はなく、司會者より、質問準備の方に勢力を傾注したいのでよろしくとの稻田さんの言葉が傳へられた。我等聽衆一同、拍手して不參加を了としたことは言ふまでもない。

2059號(10.8)で大谷英彦氏が「狂ったNHKに不拂ひは當然」で稻田さんの質問が期待を裏切らなかったと述べられたこと、まことに我が意を得た思ひである。

集會の決議文は當面とるべき施策として以下のことを強く要求するとして次の四條を掲げる。(表記は好みに從ふ)

一、尖閣諸島はじめ重要な離島に自衞隊を配備する。

一、領土・領海が侵犯された場合に自衞隊が軍事力を行使できるやうに法整備を急ぐ。

一、集團的自衞權の行使を認め、日米同盟を強化する。

一、中國の核戰力に對應するために核武裝の檢討を早急に始める。

最後の核武裝のところは2010號(8.15)の反響欄で國民皆兵制を唱へられた西房虎次郎氏の意見を聞いてみたいところだ。筆者としては、長期的には教育のこと、さらには國語のことをつけ加へて欲しい。

辯士の一人、藤井孝男參議院議員は菅直人が國旗・國歌法案に反對票を投じたと非難した。揚げ足をとるつもりではないが、西村氏も反對票を投じたはずだ。氏の場合は法案で國歌君が代の歌詞が改竄されてゐることを問題にしたのであった。

憲法改正もみな當然のごとく言はれたのであるが、小生は、國語表記の點で簡單に贊成できない。

加瀬先生は今度の問題を五度めの國難と言はれた。元寇から數へて三度目にあたる三國干渉のときの國是は臥薪嘗膽であった。今、我等は奮ひ立つべき言葉を見つけるのが難しい。

そよ風さんのブログでは「九月二十四日は國辱の日」といふ表現だ。このブログでは稻田朋美さんの質問の動畫を見ることができる。

ノーベル化學章の受賞者が我國から二人でた。日本人の優秀さをいふ人がある。確かに我國は母語で高等教育を行ふことができるやうになってゐたはずだ。しかしその母語を自由に使ふことができない。行政が國語に干渉して字母を制限し、論文もそれに從ふことが求められる。

内容を問題にして何かを讀んだり書いたりするとき、假名遣や句讀點など表記のことを氣にする人があるだらうか。もしさういふことをしたら、頭腦の一部を形式面に割かなければならない。ほらふき男爵の冒險に足の早い男が片足をかついでゐる話があった。日本人は優秀だからハンディーを負って當然だと考へてゐるのだらうか。

今のままではノーベル章は我國にとってますます縁遠いものになるだらう。◎2061(22.10.10)

(西房氏の投稿) 十月五日、文京區民センターの「第四回「守れ!我が領土」國民決起集會〜中國の尖閣侵略を阻止せよ」で決議された案文は一點を除けば全面贊成します。四條目のわが國も核武裝すべし、についてはノーです。上西俊雄氏からその理由を聞きたしとのこと。以下に申し述べます。

まづ、先の大戰で日本國指導者は國民に「一億總玉碎」の覺悟を迫ってゐたが、米國に廣島と長崎に原爆を投下されその想像を絶する威力に屈し結局「無條件降伏」を受け入れ負けた。

私は日本國が「一億玉碎」を堅持しその後も本土決戰に引き込み降參しなかったらあの戰ひには勝ってゐなかったにしろ「負け」てはゐなかったのではないか、と思ってゐます。

その論據はその後のアメリカの戰ひが敗北の連續で終はってゐることをみても明らかです。つまり、「核」を保持してゐたにもかかはらず負け續きだ。

私は「核」は人類の、否、全ての生きとし生けるもの「敵」でありこのやうな一瞬にして無差別、大量の無辜の民のみならず生命を絶滅させるやうな兵器は決して使ふべきでないと思ふ。戰爭は政治、外交の延長であって交戰國は各々の目的のために戰爭をする。

目的が達成されれば終結する。しかし、目的が果たせさうになければそもそも戰爭しないだらう。日本國が國民皆兵により、さらに對核防備を全國土にはりめぐらせ「いつでも來い」と構へれば敵はおいそれと仕掛けてこない。

それでも仕掛けてきたら何年でも何十年でも「徹底抗戰」する。決して「降參」しないことを宣言する。日本國と日本國民のこれが悠久不滅の「大和魂」である。(西房虎次郎)◎2062(22.10.11)


toshiwo 平成22年12月27日
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皇室敬語のこと、西房虎次郎氏の国防論のこと

 

孫の運動會が雨天順延の結果、やっと本番。玉入れのときに、「ひとつ、ふたつ」と數へたので感心した。先日、孫を迎へに行って待ってゐるときに門のところにゐた若い先生に話したことが無駄ではなかったのだ。

2062號反響欄の西房虎次郎氏の国防論は国民皆兵、但し核武装はしないといふもの。筆者のやうに戰後教育で育ったものにとって憲法改正には幾つか關門がある。西房氏の論はその關門の一つに對する答のやうに思はれる。驥尾に付して思ふところを書いてみる。

國歌國旗法で君が代の歌詞が改竄されたことが問題だといふこと、西村眞悟氏の指摘の通りであるが、國旗の寸法が變更になったことも問題だと思ふ。風に靡く旗は横に長い。旗の模樣は竿寄りの方が基本で風に靡く方は餘白のやうなところがある。年配の方なら御存知のやうに日の丸は竿の方に少し寄った位置にあった。

白地に赤く日の丸染めて、ああうつくしや、日本の旗は

日の丸をつくれば、大抵眞ん中にかくはずだ。そして何か棒に端を卷きつけて出來上がり。さうすると日の丸は竿の方に少し寄ってしまふ。

明治三年太政官布告第五十七號では「日章中心ハ旗ノ中心ヨリ旗竿ノ方ヘ横ノ長サノ百分ノ一近寄ル」となってゐたが、國歌國旗法ではこれを廢止、日章の中心を旗の中心に變更し、從來の寸法によったものは「當分の間」國旗と看做すことになった。

外務省が國旗の寸法の變更を諸外國に通知したとは聞いてゐない。當分とは何時までをいふのだらう。

とにかく戰後教育で育った世代は、その時點時點での最適化を圖る。これは音聲學のイデオロギー。過去のものを書換へるなどなんとも思はない。辭書にしてからが戰後のものは豐葦原の瑞穗の國をミズホノクニと書いたものがほとんどだ。

かういふものは古くから行なはれてゐるから價値があるのだ。

「頂門の一針」2057號(10.6)反響欄[5]に「臺灣の聲」(十月四日號)の「十月四日發賣『週刊ポスト』尖閣領有にトドメを刺す中國發行の尖閣の地圖」といふ記事の紹介がある。

その中に、神田古書店街を中國人が徘徊し尖閣諸島を日本領土と記載した中國發行の地圖を買ひ漁ってゐたとの話がある。中國の長期戰略たるや實に恐ろしいものがある。

古い地圖帳の一册が外務省に眠ってゐたのを發掘したのは水間氏の功績。記述が當時のままであること、そのことの重要性を證明する貴重な例だ。

唸聲さんの週刊AWACS(2010年10月11日號)が屆いた。天下の大新聞の見出しに「平城遷都1300年記念祝典 兩陛下らが出席」と兩陛下に「ら」をつけたものがあったとある。別の大新聞でも「天皇陛下ら出席、皇居でカンボジア國王歡迎行事」とやってゐたさうだ。

「ら」と付けたのは複數形のつもりだらうか。すると幾組も兩陛下があったといふことになる。いや、そんなことはあるまい。兩と同じ意味の冗語表現なのだらう。「ら」と「たち」の違ひを落語で聞いたことがある。嚴しく叱るときは「てめへら、何やってるんだ」でも、優しく言ふときは「てめへたちもまあ飯でも食へ」となる。要するに間違っても、陛下にむすびつけるべき語ではない。國語の劣化、ここに極まれりだ。かくしてマスコミは陛下への尊崇の念を毀損していくのだ。

フランクリンがロバート R. リヴィングストンにあてた長文の手紙のなかで憲法の佛語譯の話が出てくる。ときあたかも獨立戰爭も終結を迎へ、米國との通商關係を結びたいといふ國が出はじめた頃。關係を結ばんとする國に對して、新しい國が如何なる國柄(constitution)であり、如何なる國民であるかを知らしめることがきはめて有效だからと、憲法(constitution)を當時の國際語である佛語にして諸外國の大使に配った。その結果、「かの戰亂のさなかにあってさへ我が國の賢人が堅忍不拔、熟慮してかかる完璧な統治方式をつくりあげたことは、當地の政治家の等しく驚嘆するところであり、米國の評判をいよいよ高からしむるところだ。」といふわけだ。

憲法とは國柄を示すものなのだ。平成二十二年九月二十四日の事件で歴史と國防の重要性がはっきりした。我國は世界に冠たる歴史の連綿性を誇る。明治憲法の第一條は「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」であった。これにもどらなければならない。

西房氏の核兵器によらない國防論、これは我國の國柄に適ったもののやうに思はれる。但し、国民皆兵ともなれば、教育から改めなければなるまい。教育の根本は國語だ。そしてまた、國語に科せられた桎梏は憲法改正の前に脱却しなければならない戰後體制そのものだ。何度も書いて来たことだが現代仮名遣なるものは存在しない。かう言へば面食らふ人があるかもしれない。ヂヅやヰヱヲや語中のハ行音を用ゐなければ、それでまかり通るのだ。

明星大學教授古田島氏は現代假名遣など無いとはせず、規範的でないものは新假名遣と呼んで區別する必要があるとされる。(明星大學「ことばと文化のミニ講座」「歴史的假名遣と舊假名遣を峻別せよ」參照。)

現代假名遣と新假名遣を區別する必要については疑問の聲も擧がると思ふが、取り敢へず區別を設けておくのが便利かと愚考する。なにしろ、いつぞや文部科學省から送られてきた文書に「以前お知らせしましたとうり」と記されてゐたのだ。この「とうり」は新假名遣、「とおり」は現代假名遣と規定しておけば、問題の考察に便利だらう。現代假名遣を公布した文部省の後繼たる文部科學省が《規範》としての現代假名遣を遵守せず、《實態》としての現代假名遣の一例「とうり」を提供してくれたのだから、これを新假名遣と呼んでも不當ではあるまい。言ふまでもなく、歴史的假名遣では「とほり」と書き、それに基づいて現代假名遣「とおり」が決められたのだけれども。

字母制限が國語の連續に楔を打込んで、我國の歴史を昭和二十年に始るかのやうな教育體制を敷いたこと。それがために漱石や鴎外の作品の用語を調べる手だてがないこと。國語辭書は戰後の、制限假名字母表記の用語しか調べることができず、古語辭典もまた近代を對象とするものではない。實に恐ろしいことではないか。

筆者は戰後の文部行政が前提とした明治期のローマ字論に誤謬があったとするものだ。

檢察官が證據のフロッピーのファイルの日付を書換へたとのこと。日付を變更するソフトを持ってゐたのだ。日付變更が意圖的であったなら、最初から起訴が無理だと判ってゐたことになる。或る構圖を描いて、もう後戻りしにくい段階になれば、それにしがみつくといふことなのか。

間違った前提で描いた構圖が占領下のドサクサで實現。それにしがみついてゐるのが文部當局だ、婚活など無駄なことをやってくれてゐた方がまだましだと言ひたい。

制限假名字母表記、すなはち戰後の文部省式表記は表音主義を標榜して、表記は常に改められるべきものとするところが根底にある。言語學で言ふ共時態の考へ方だ。しかし、世に習ひ行なはれる表記は汎時態のものだ。おまけに理想的な表記が見つかるはずだった共時態では今以って正書法に到達できずにゐる。いやそもそも憲法が歴史的であらうとするなら、汎時態の表記によるよりないのだ。

なほ、2064號(10.13)反響欄で大河正泰といふ方が西房氏の論を受け、、自分は決して戰爭肯定論者ではなく、平和を愛する公正な人間であると斷った上で、我國は今や呪縛を解き、まづは核武裝の論議を開始すべきなのだと述べてをられた。◎2065(22.10.14)


toshiwo 平成22年12月27日
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平井修一氏の「戲れ唄」補作

 

(2050號の平井修一氏の「戲れ唄」を受けて)

戲れ唄、イロハ歌留多になりませんか。その場合、小澤ダムの句はヲになります。

ヲ ヲザハダム 鶴の一聲 イチの聲

試しに、ヰオヱを作ってみました。

ヰ 威嚇され尖閣列島さやうなら
オ 恐ろしや辯護士上がりの官房長官
ヱ 繪空事なりしを知りぬ友愛の海

◎2051(22.9.30)


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皇室敬語のこと(二)、博多子守歌

 

或る新聞社の人から「兩陛下ら」のこと、毎日新聞(十月八日夕刊)のことであれば、恐らく共同通信の配信記事だとのメールをもらった。共同通信の記事には、このやうな表現が前からあったとのこと。

そもそも英語の複數形の眞似のやうな形が變だ。國語には數といふ文法範疇はない。英語でしか文法をやらないせいか、變な表現が増えた。「複數の學者が云々」といふのがあった。「云々する學者もある」といふ意味なのか、或は「大半の學者が云々」なのか。「臺灣の活動家が一隻の船に乘り込んで」といふのもあった。

先日は、或る議員が「申す」を尊敬語で、つまり二人稱に對して使ってゐた。チリの坑夫救出作業、作業のピッチが上がって豫定より早く作業員全員出てきたと報じられたときは、救出作業に携はった人がまだ六人地底に殘ってゐた。坑夫といふのを憚ってゐるのかも知れないけれど紛らはしかった。

一瞬のやりとりでスイッチをどちらに切るかを決める場合、かういふことで事故になることがある。字母制限や差別語規制など母語に規制の枠をはめることは非常な損失なのだ。

その上、我々は正書法を失った。ローマ字表記が定まらないのも根本的にはそのためだ。

  • 我が住む町調布は東京大學教養學部英語科で推獎する方式では oの上にマクロンを載せなければならない。
  • 平成十六年の國土地理院院長通達の方式では chofu
  • 平成二十一年の文化廳國語課作成の『日本語學習・生活ハンドブック』の方式では choofu

ノーベル平和賞で劉さんといふ人の名前が出た。この名前の漢字には規制がない。外國人と國民とを表記の點で區別する。こんな馬鹿げたことがあるだらうか。英語が世界語になったのは、どんなに不合理に見える綴りであっても、それを權力で合理化しようとしなかったためだ。合理化しようとしても世界の英語に枠をはめることなど無理なことではあった。

日本語について表記や假名遣を變更しつづける場合、海外の日本語學習者の面倒をだれがみるといふのだらう。いいかげんに目を覺ましてもらひたい。

なほ、四假名について書いてきたこと、必ずしも正しくなかった。この場を借りて補足しておきたい。よしだみどり『知られざる「吉田松陰傳」』の紹介する Stevenson の作品は Yoshida Torajiro といふ題。この表記について作者は次のやうに書いてゐる。

The name you are to pronounce with an equality of accent on the different syllables, almost as in French, the vowels as in Italian, but the consonants in the English manner - except the J, which has the French sound, or, as it has been cleverly proposed to write it, the sound of ZH.

つまり、J だけが英語的ではなく、ZH と書くべき音だと言ってゐるのだ。さうすると、彼に吉田松陰について語ったMr. Taiso Masaki の發音では jiro の j は十分に破擦音ではなかったことになる。いづれにしろ、J の音價が文部省の人の考へるやうなものでなかったことの證左ではある。つまり英語教育がうまくいかない根本原因なのだ。◎2067號(22.10.16)


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博多柳町 柳はないが 娘姿が柳腰

 

柳腰といふ語が話題になってゐる。それで博多子守り歌を思ひ出した。こんな歌詞だったと思ふ。

博多柳町 柳はないが 娘姿が柳腰 ヨーイヨイ

ネットで調べたら次の歌詞が出てきたけれど柳腰の歌詞はない。以下、表記を好みに從って變へて紹介する。「守に惡すりゃ 子にあたる」は「守を惡すりゃ 子にあたる」となってゐたが記憶によって訂正した。合の手は「ヨーイヨーイ」であったが「ヨーイヨイ」に改めた。

うちの御寮さんな がらがら柿よ 見かけよけれど 澁ござる ヨーイヨイ

うちの御寮さんの 行儀の惡さ お櫃踏まへて 棚さがし ヨーイヨイ

御寮よく聞け 旦那も聞けよ 守に惡すりゃ 子にあたる ヨーイヨイ

うちの御寮さんな 手ききでござる 夜着も布團も 丸洗ひ ヨーイヨイ

土曜日に同窓會があった。歴史的假名遣で書いてみたいといふ人がゐた。五年前に表記を切替へた際は三省堂の『新舊かなづかい便覽』を利用した。この書名は『新舊かなづかひ便覽』として貰ひたいものだ。恐らく、新假名遣のためにこのやうなものを使ふ人はないはずだ。

傳統的表記で入力するなら假名漢字變換ソフト「契沖」が利用できる。ヒット率は當然高くなる。

杜撰はズサン、ヅサン、ズザン、ヅザンといろいろありうる。辭書ではズサンにまとめておいて、そこで正しい表記が示すやうにすればよいといふこと。辭書で紙幅の節約を圖れば誰でも考へつく便法だ。その便法の表記のままでよいではないかとしたのが、戰後の文部省式表記、いはゆる制限假名字母表記だ。

日曜日は以前住んでゐた三鷹の團地の人と飮んだ。風呂の話から三助のことになった。サンスケと言ったら三角スケールのことと受取った人があって、早速辭書を引いてもらった。ここの自治會室には大辭林が置いてある。

三鷹の鷹が常用漢字でないから、「三タカ」と書くのだといふ人がゐた。もちろん、「えっ、さうなの」といふ人がほとんどだ。そのくせ中國の劉さんのやうな場合には規制がない。何と不思議なことではないか。

パソコンユーザーの年齡が話題になったことがある。(1417號)

せいぜいが七十代であった。それで眞道重明先生は八十六歳と書いたのが二年前のこと。眞道先生から、猛暑の夏を過ぎて呆けが一段と進行とのメールをいただいたが好奇心ではなほ壯者を凌ぐものがある。繪で讀む般若心經の御案内であった。

盲暦といふもの、南部藩のものが有名であるが、その類。つまり文盲の人のための經文。先生の解説を引用する。

下圖の縱書きの右端中央にお經の表題がある。各繪の左に平假名でルビが振ってある。上端の繪は「ひっくり返した釜」であるが、「かま」をひっくり返すと「まか」となる。漢字で書くと「摩訶」に該當する。その下の繪は「はんにゃ」のお面で、漢字では「般若」である。その次の繪は「人間の腹」で、「はら」と讀み、漢字で書くと「波羅」となる。次の繪は「箕」で「み」、教典の漢字では「蜜」、次は田んぼの「た」(漢字の「田」)、教典の「多」に當る。最後は神社にある神鏡の繪で「しんきょう」この場合は「しんぎょう」、教典の「心經」に該當する・・・と云った具合である。

つまり、繪だけではなく振假名があるのだ。いや、假名に繪が振ってあるのかもしれない。兩兩相俟って音を示してゐるわけだ。しかし、音といっても假名の單位ではない、まして單音といったものでもない。

般若心經を擴張ヘボン式で轉寫したことがある。なほ、御興味のある方は眞道先生のサイトの懷かしい唄の最後の方にあるので御參照いただきたい。

このとき、漢字の一字、つまり一語が二拍になってゐることに氣がついた。さうなってゐないのは、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶の部分でここは梵語の音を寫したところと言はれる。

さう思って、文盲の人のための經文を見ると面白い。釜を逆さにした箇所の假名はマカだけれど、これが離してあるのだ。腹のハラも同樣。般若のハンニャはハンとニャに切れ目があるだけだ。箕にはミでなくミツと二字をあてるといった具合。つまり、假名一字の場合の直後の空白は一拍の持續を意味するのだ。

羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶のところも、同じやうな假名。しかし、擴張ヘボン式では次のやうに轉寫してゐる。

gyahtehgyahteh haragyahteh harasougyahteh bojiso`akah

母音が續かない h は音引き。逆アポストロフィは語中のハ行音、ア段でのみ兩唇半母音として實現される。

波羅がそれぞれ一拍。菩提薩婆訶も最後の拍を除いて一拍だ。なほ、boji はボヂ、つまり菩提の提はダ行音。しかし、繪による經文ではジだ。總じて、歴史的假名遣でなく、その限りで表語的表記でなく、制限假名字母表記になってゐる。

繪と假名との併用は腦中の記憶が別だからこそのもの。つまり重複でなく互に補ふシステムだといふこと。漢字の音と訓についても同じだと思ふ。文部當局はこの違ひを無視して讀みといふ一つのものにくくってしまった。交ぜ書きの氾濫する所以だ。我が國民の腦の毀れ方をみよ。◎2072號(22.10.21)


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錢湯でみる入れ墨のこと

 

「入れ墨者の入浴お斷り」といふ掲示をスーパー錢湯で見て、もやもやしたものを感じてゐたが2073號所載の馬場伯明氏の分析のやうに深く考へたことはなかった。

この掲示、普通の錢湯ではみかけない。「お役人でもボクらでも風呂に入るときゃみな裸」。ちょっと古いかもしれないが自宅に風呂を持つのは普通の收入では難しい氣がする。だから錢湯に入ることができなくなれば大變だ。料金も湯錢といふやうなものでなく、コンビニで買ふ辨當代ぐらいにはなる。

入れ墨、刺青、タトゥー、倶梨伽羅紋紋(くりからもんもん)などいろいろだ。

子供の頃に、よくきかされたのは「身體髮膚、これを父母に受く、敢て毀傷せざるは、これ孝の始也」であった。ネットでしらべると、最後の「これ」は原文にはない。怪我をするなといふ親の氣持であっただらうが、同時に、刺青を入れられるやうな犯罪者にはなるな、もしくは刺青をするやうな極道にはなるなといふ氣持でもあっただらう。今はピアスなどみな平氣でやってゐる。

タトゥーは映畫「バラの刺青」のバート・ランカスターで知った。倶梨伽羅紋紋のやうに背中一面といふやうなものではない。最近錢湯でみるタトゥーは、筋肉の發達した若者に多い。知り合ってみると格鬪技の人がほとんど。倶梨伽羅紋紋のやうに背中に負ふやうなものはあまりみかけなかった。

湯仲間にやくざの用心棒をしてゐたといふ男がゐる。何々組と入れ墨した男のことをテキ屋だからとちょっと下にみてゐるやうなところが出ることがあって面白い。しかし彼は背中の刺青を消さうとして、すっかりケロイドになってゐる。かういふ處置は病院でやってもらってゐるのださうだ。

錢湯だとどこでも大丈夫かといふとさうでもないらしい。露天風呂で一緒になった倶梨伽羅紋紋のお兄さん、普通に話し相手になってゐたら仲間だと思ったのか、或る別の湯がヤクザの人が入りやすいところだからと教へてくれた。

最近は、この倶梨伽羅紋紋の人が増えたやうな氣がする。若く力のありさうな男が三四人も一緒に入って來ると壯觀。威壓感すらある。

この倶梨伽羅紋紋、子供の頃によくみたのは八犬傳は芳流閣の決鬪の場面。この頃とんとお目にかからない。ひょっとしたら著作權のことでもあるのかと氣になる。といふのも、「一眼國に迷ひこんだやうな氣分だ」1819號(22.2.16)、「もっくりこっくり││恨みの記憶」2023號(22.8.28)で書いたことだが、昨今の漢文や古文の試驗問題、業者でなければ作成が難しい。漢字學年配當のことや常用漢字、あるいは音訓制限などがあるからだ。

業者となれば、營利が目的。著作權を犯してはならない。だから年配の者なら目にしたことのある國民共通の財産からの出題はなくなってしまふ。かくして國民的基盤は損なはれてきた。これは、各家庭に聖書が備へてあるやうな國柄とは大いに異なるところだ。

獨立戰爭後、マサチュウセッツの或る町がヨーロッパで外交に當ったフランクリンの功を稱へて新しい町の名にし、鐘樓をたてることにして鐘の寄贈を依頼してきた。フランクリンは Sound (音)より Sense (分別)、Bell (鐘)より Books と書籍を寄贈した。これがアメリカで最初の圖書館になった。我國は戰前のものを讀む能力を國民から奪った。奪っただけではない。國語が変質した。

天災があれば、死者何名と報じるのが當り前だった。それを今は何人が死んだといふ。「何人が」といふのは、その何人が特定できる、英語で言へば定冠詞が附く場合だったはずだが今は不特定の場合に用ゐて平氣なのだ。天災のところに、急に個人が立ち現れてくる。もちろん、縁のある人にとっては全く別のことではあらうが、何名といふときに死者として或る種の諦觀をもって聽くことができるのに對して何人といふだけで何かざわめくものがある。NHKの人などは、さういふ感情を押し殺して報道してゐて、そのうち、その感情を本當に殺してしまったやうに思はれる。◎2074(22.10.24)


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敢へてキズナと書く人のなからんことを

 

菅さんが我國と彼の國との關係をめづらしく漢語で一衣帶水とのたまうた。イチイタイスイと七拍の語。勿論イチイ タイスイ と二字づつに切っての發音だった。むかし、衣帶で帶を意味するのだと教はったことがあって私の切り方は違ふ。違ふと言ふだけで、それが正しく、皆もさうすべきだなどと言ってゐるのではない。

教はったのは衣帶の衣は限定詞で、帶にはいろいろあるだらうが衣の帶のこと、つまり二字で日本語のオビに當るといふことだ。しかし、手許の字書で衣帶をひくと、衣と帶もしくは、衣の上に締めた帶のこととあるのみで、衣を限定詞とした意味を記載してはゐない。まあ、この意味は辭書でいふ endocentric (内心的)結合體、要素の語の意味から全體の意味が類推できる。辭書で記載する必要のないものだ。記載しなければならないのは exocentric 結合體、いはゆる熟語の類。

「間髮を容れず」、これはカンパツと讀む人が多いのではあるまいか。意味からすればカンハツだと聞いた。まあ言はれてみればさうかもしれないが、カンハツ、ローマ字で書けば nh といふ結び附きは日本語では難しい。擴張ヘボン式で h は語頭音、切れ目にしか現れない。

h が、直前の子音で變化する例はビール壜を數へてみれば解る。ippon nihon sambon shihon だ。村田某といふひと、藝能關係の仕事で議事堂内で寫眞撮影したことが話題になった。もともと藝名で議員をしてゐるのだから特に問題にするほどのことではないのではないか。いや藝名といふのは正確でなく、元來は姓名の名の方。だから通稱といふべきところを、少し端折った。

ところで、あの通稱なら rembau だ。renhau と恰も姓と名であるかのやうに切れ目をいれた發音を強制するのは日本語の音韻を壞さんとする深慮遠謀と、まあさうまでは思はないけれど、せめて rembau と呼ばれることを、それだけ受入れられたのだと喜んで貰ひたいものだ。

政治家ともなれば言葉が命。できればしっかり紙をみて發言して欲しい。柳腰といふ語を間違った意味で口にしたのであれば、さう認めてもらひたい。さうでないと、日本語がそれだけ濁ってしまふ。

相手に對して「學習效果を學んで欲しい」といったのは單にいひ間違ひ。その間違ひを報道で何度も繰返されるのはつらいだらう。マスコミはいぢわるで直接話法を用ゐてゐるのでなく、ひょっとしたら間違ひだと思ってゐないのかもしれない。政治家だけでなく新聞記者の言葉にも變だと思ふものがある。耳では解らないけれど、文字で氣になるのは絆の表記。絆は民主黨の標語でもあった。結びつけるといふ意味からしてツナを含む語だ。

檢索してみると1428號で一度書いたことではあったが、自分でもどうであったかすぐに思ひ出せなかったので、あらためて書いておきたい。

(イ)戰前はキヅナと書くのが正しいとされた。

(ロ)戰後はキズナと書くのが正しいとされた。

これが一應はっきりしてゐることだ。では今、國語の試驗に絆の讀みを書く場合、どちらが正しいとされるのだらうか。

(ロ)のやうな事態に到ったのは、戰後、假名字母ヅの使用が制限されたためであるが、一律に使用禁止になったわけではない。語源も問題だった。しかし、語源でツであればヅと、これまた一律に決ってはゐなかった。語源が意識できるものであるかどうかも關係したのである。

昭和二十一年の内閣告示では、この語の場合は語源は意識されないとしてキズナと書くこととされた。語源といふのは時間が立つと忘却の度がすすむものだと思ふが、昭和六十一年の内閣告示には次のやうな一節が設けられた。

次のやうな語については、現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として、それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし、「せかいぢゅう」「いなづま」のやうに「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。

この適應例にキヅナが擧げてあるのだ。要するにどちらでも善くなったのだ。

そもそも、ズとヅの書分けを止めたのは、ズとヅは別の音であったが、その區別はなくなったこと。また同一の音を表すのに二つの假名は必要ないとする二つのことが前提であるが、第一の前提について、二つの假名のうち、どちらを殘すべきかの議論がどのやうになされたか寡聞にして知らない。

筆者は、ヘボンが最初ヅ、ズの兩方に dz を當ててゐたことからして、文部省はボタンを掛け違ったと見るものだ。更にまた萬葉假名で別の字であったものが假名の成立で共通の字母を使用して二つの音の違ひをせいぜい濁點で表記するやうになったことを情報處理に關する我等が父祖の最初の發明の一つだと思ふものだ。このことを眞摯に受け止めれば濁音であるかどうかよりタ行音かサ行音かの區別が重要だといふことが解ったはずだ。語源の意識の問題ではなく、現にそこにある假名文字列から如何なる語を讀み取ることができるかが重要であったのだ。

國語について役所が箍を嵌めようすれば、途端に誰一人自由に言葉を使ふことができなくなる。一度自由を失ってしまへば、役所の指示で覆はれてない場合だけは自由に振る舞ふといふわけにはいかなくなるのだ。指示がなければ、若しくは指示が明瞭でなければお伺ひをたてることになる。さういふ質問が多かったのだらう、役所が個々の質問に對して解答を示した『言葉に關する問答集』なるものがあるのだ。昭和五十年三月から毎年一册づつ發行された。

キヅナに關するところを拾ってみる。

★問 「一つずつ」か「一つづつ」か

「ず」と「づ」の書き分けも、基本的には前書「じ」と「ぢ」の書き分けと同じである。すなはち、原則として「ず」を用ゐる中で、「同音の連呼によって生じたヅ」と「二語の聯合によって生じたヅ」の二つが例外で、「づ」で書き表す。

まづ、「同音の連呼」は、「つづみ(鼓)」「つづく(續く)」などがその例である。歴史的假名遣で「ひとつづつ」と書くと同音の連呼のやうであるが、この「ずつ」はいつも「つ」で終はる數詞の後に附くわけではなく、「十ずつ」「少しずつ」「半分ずつ」などとも用ゐられるので、同音の連呼とは言へない。

次に、「二語の聯合」であるが、「こどもづくえ(子供机)」、「きづかれ(氣疲れ)」などがその例である。しかし、「ずつ」は、今日「つつ」と言ふことがなく、常に濁音で現れるので、二語の聯合とはし難い。そこで、「ずつ」、「一つずつ」と書くわけである。なほ、二語の聯合については、實際問題として、語の構成に對する分析の仕方で相違も出る。

「現代かなづかひ」では、次のやうな語は「二語の聯合」と認め、「づ」を用ゐることとしてゐる。

あいそづかし かたづく ことづて たづな 等

また、次のやうな語は、現代語として語構成の分析的意識がないものとし、「ず」を用ゐることとしてゐる。

うなずく おとずれ おのずから きずな 等

要するに、「たづな」に「づ」を用ゐ「きずな」に「ず」を用ゐるあたりがその境目である。

★問 「かたづく」か「かたずく」か

「かたづく」といふ語は、カ行五段に活用する動詞として、これを一語と認定するのが普通であるが、その「づ」か「ず」かといふ假名遣を問題にする場合は、現代語としてカタとズクとの間に語構成上の分析的意識があるかどうかといふ觀點から見る必要がある。例へば「くちづて、ことづて、ひとづて」は一方に「つてを求める」といふ言ひ方があるので、「…づて」となるやうに「かたがつく、かたをつける」といふ言ひ方があって、「かた」と「つく」とが合成して、連濁によって「カタズク」となったものといふことは現代語の意識としても、明らかであらう。したがって「かたづく」と書くことになる。「モトズク」もほぼ同樣の分析によって「もとづく」と書く。

(中略)

ただし、語構成の分析的意識には個人差があるので、個人の判斷によってはゆれる語もあるであらう。「正書法について」もゆれてゐるであらうとされた次の二語を例示してゐる。

ぬかずく…つく(突)

きずな…つな(綱)

最初はキヅナの語源は解らなくなってゐるとし、次いで語源のことがあるから一概に言へないこともあると齒切れがわるい。一度自由をうしなった教員は迷ひ續けるばかりだらう。昭和六十一年の内閣告示で、「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし、「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとしたのは、さういふ問答集の答の延長だったのかもしれない。

片方を本則とすれば、教員も辭書出版社も安心できる。試驗問題に出題することがないやうにするのが一番だらうが、もしも出題した場合は正解は本則とすればよい。ところが『言葉に關する問答集』總集編の刊行は平成七年。内閣告示より問答集が新しいからと誤解して、個人差を認める人が出てくるかもしれない。

いや、語構成の分析的意識といふものがあるとするなら、それは學習によって安定するものだ。だから、最初はキズナとしたものをあとになってキヅナでも善しとしたのは委員の學習が進んだせいだ。もっと進めば、意味の上からはもちろん、傳達といふ縱方向の聯絡の機能の上からもダ行の假名を當てるべきもの、すなはち、歴史的假名遣ひでよいといふことになっただらう。

最後に總集編の凡例から表記の基準について述べたところを引く。

原文における表記の基準は、漢字の字種・音訓・字體については、「當用漢字表」(昭和五十五年まで)及び「常用漢字表」(昭和五十六年以降)、假名遣については、「現代かなづかひ」(昭和六十年まで)及び「現代假名遣」(昭和六十一年以降)、また、改訂の前後で、若干表記の仕方の異なる部分があるが、本書にはあへて原本の表記のまま收録することとした。

役所の指示通りに書くことの困難さがよく解るではないか。もはや敢へてキズナと書く人のなからんことを念じつつ記す。平成二十二年十一月二日

(引用は支障のない限り傳統的表記に修正した)2085(22.11.4)


toshiwo 平成22年12月27日
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人名となれば、一轉して箍の外れた漢字政策

 

cybernetics(人工知能)はギリシャ語に由來する。これが舵手といふ意味だといふことは最近知った。なんとも含蓄のある言葉だ、

報道によれば、文部科學省は、パソコンが得意な小中高生を對象にした「デジタルネーティブ登龍門」講座を平成二十四年度に開講する方針とのこと。高度なプログラミング技術やデジタルコンテンツ製作能力などを早くから身に附けさせ、情報通信技術(ICT)分野で世界をリードするやうな人材を養成することが狙ひ。いはば官製の「ICTエリート養成塾」で、毎年千乃至千五百人を選拔して受講してもらふ考へだとある。

ネーティブといふ語、原住民とした方がよかったのではないか。片假名にするなら、なぜネイティブ或はネイティヴとしなかったのか。ティといふのは、本來の國語にない音だ。さういふところまで書分けるのなら、二重母音をその通りに書いてもよいではないかといふ氣がする。かういふ平衡感覺が舵手には大事だ。

最後の「受講してもらふ」といふ表現も氣になる。「養成する」と何故書かないのか。いづれにしろ、パソコンのネイティブ(現地語)は ASCII つまりキーボードを叩くだけで直接入力できるローマ字のことだ。ローマ字と言へば假名漢字變換のローマ字方式はどうするのか。通行のヘボン式や訓令式では間に合はない。

戰後の文部行政は表記に音が優先するといふ考へて來たが、にはかに表記自體が問題になってきた。小學生からも選拔するとなると、五十音圖に對應したローマ字が必要だ。いろいろやってみて結果がでればよいといふのではいい舵手は育つまい。

假名も英語もローマ字も、同じ腦で處理するのだから、相互に關聯する。假名遣では表音主義を標榜しながら、英語は歴史的綴りのままでよいとするのが矛盾。我國の英語教育の效率が惡いのも、根本的には歴史的綴りの合理性に目をつぶって、音聲言語としての英語と、文字言語ととしての英語を別々のものとして捉へて、アルファベットをきちんと教へないことが問題。假名漢字變換でンは nn だなどと教へてしまへば、英語を學ぶ上でさまたげになるのは誰にも解ることだらう。

ところで、戰後の國語行政は漢字廢止を目指したものであった。ただ、一擧には無理だかららと、移行措置として手つかずとされたものがあった。そして、漢字廢止を目論んだところの技術的な桎梏といふ根本的な理由は消えてしまったが、今でも移行措置のために膨大なエネルギーが無に期してゐる(常用漢字表の改訂、それに伴ふ教員研修、新聞、出版に對する影響、各家庭における知識傳達機能の斷絶等々)。このことがいっかな事業仕分けの對象にならないのは不思議であるが、そのことは置く。

手つかずの部分が野放圖になってもはや收拾がつかないほどだといふことに當局の注意を喚起したい。手つかずの部分とは戸籍及び住民臺帳の問題。人名漢字といふ枠を設けて、常用漢字以外にも使用を許可した漢字があるが、讀みについては何の制限もなかった。

戰前であれば、名前を附けるときは、字について知らない人は、近所のお坊さんや校長先生に相談するとかしただらうし、あまりに變な讀み方だと戸籍係が注意したこともあったやうだ。つまり言語空間について民間でそれなり秩序を保つことが行なはれてゐたと言ってよい。戰後、これが毀れて、戸籍係は役所の許容した字であるかどうかに血まなこになり、物知りだと言はれるやうな人の知識も役に立たず、漢和辭典も古いものは當てにならなくなったのだ。

或る小學校の先生から聞いた難讀例にはこんな名前がある。瑛里樹(エリナ)、秋波(アキハ)、彩味(アミ)、若佳菜(ワカナ)、萬櫻(マオ)。

ネットでは「子供の名前とんでもコレクション★あなたはいくつ讀めますか」といふサイトがある位だ。讀みの問題だけではない。字體についても問題なのだ。

西といふ字、丁寧に書けば、第五畫つまり中央の縱線の右側の下端は右に曲ってゐるところを、その部分を端折った形で登録してあったところ役所では通常の西とは別の字として分類したといふ話があるし、茂といふ字、草冠を四畫に數へると第七畫に當る斜め右下に走る線、最後を撥ねるかどうかが轉出した先で住民票をとるとき問題になった。當人としてはどちらでもかまはないつもりであったのだけれど、窓口の人が登録の字と異なるとこだはるので、原籍のある市役所に聯絡してファックスしてもらって、原籍の筆跡と一致してゐることを示さなければならなかったといふ。

漢字にとって本質的でない違ひを、まるで署名(サイン)のやうに、その書いた通りでなければならないと錯覚してゐる。かうして人名の方では讀みが破天荒になっただけでなく、むやみに漢字が増えてしまった。漢字一般として毛枷足枷をはめて筆畫まで注文を附け、讀みを限定し、學年配當といふ方式で、試驗問題の作成もままならないやうに規制してゐながら、人名となれば、一轉して箍が外れた状態。我國の情報通信の點からも、この點についての平衡を取り戻して欲しいものだ。2087(22.11.6),2095(22.11.15),


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蛍の光の歌詞

 

十一月六日の日比谷野外音樂堂の集會、田母神塾生といふ歌ひ手の登場があった。サヤさん、ネットでみると sayaさん。普通は歌はれることのない三番四番まで歌ふとの前置きでsayaさんが歌ったのは蛍の光。

ネットで歌詞を調べるとほとんどが制限假名字母表記。ウィキペディアは小學唱歌集初編(明治14年11月24日附)掲載のものを掲げてゐて、假名のほかに漢字版といふのがある。わざわざ略體にしてあるが、正字體に戻して示す。

また二番二行目の「互に」は「互いに」を、四行め「歌ふ」は「歌う」を修正したもの。假名のはうでは「うとうなり」となってゐた。樂譜の場合など、かういふ書き方が實際に行なはれてゐたのであらうか。)

螢の光、窓の雪、

書讀む月日、重ねつゝ、

何時しか年も、すぎの戸を、

開けてぞ今朝は、別れ行く。

止まるも行くも、限りとて、

互に思ふ、千萬の、

心の端を、一言に、

幸くと許り、歌ふなり。

筑紫の極み、陸の奧、

海山遠く、隔つとも、

その眞心は、隔て無く、

一つに盡くせ、國の爲。

千島の奧も、沖繩も、

八洲の内の、護りなり、

至らん國に、勳しく、

努めよ我が背、恙無く。

歌詞については次のやうな變遷があったとある。

千島の奧も 沖縄も 八洲の外の 護りなり(明治初期の案)

千島の奧も 沖縄も 八洲の内の 護りなり(千島樺太交換條約・琉球處分による領土確定を受けて)

千島の奧も 臺灣も 八洲の内の 護りなり(日清戰爭による臺灣割讓)

臺灣の果ても 樺太も 八洲の内の 護りなり(日露戰爭後)

また、二番の「互に」を「かたみに」としたものもある。sayaさんもさう歌ってゐた。この方が典雅な響きがある。ひょっとしたらこれが稻垣千頴の元の歌詞なのかもしれない。

といふのも三番の元の歌詞は次の通りだったといふのだ。

筑紫の極み、陸の奧、

わかるゝみちは かはるとも

かはらぬこころ ゆきかよひ

一つに盡くせ、國の爲。

文部省の役人が「かはらぬこころ ゆきかよひ」が、男女の間で交はす言葉だと難じたために變更になったとあるからだ。

sayaさんの歌、三番四番、とくに四番のときは拍手が高かった。YouTubeで聽くことができる。なほ、もう一つ聽くことができるのは二月二日の集會のときのもので、サクラサクラだ。「にほひぞいづる」と歌ってゐる。これを制限假名字母表記で書くわけにはいかない。係り結びの助詞「ぞ」があっての連體形の「いづる」だ。終止形「いづ」を「いず」とすることはできない。それで「朝日に匂う」となった。(1707號參照)

ふと氣になって國語辭書で引いてみた。何と「いず」で立項されてゐるではないか。但し説明はダ行下二段。つまりダ行動詞であることを變へるわけにはいかないのだ。あり得ない活用形を見出しにたてる、なんといふ倒錯だらう。2093號(22.11.12)


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南沙諸島で漁民が漁に出られず

 

十一月六日の日比谷の集會、sayaさんの蛍の光の四番で拍手をしたのだけれど、status quo ante bellum といふことが國際秩序の基準であるなら四番の歌詞は「臺灣の果ても 樺太も 八洲の内の 護りなり」でよかったのかもしれない。sayaさんは元の歌詞で歌ったわけだ。

2087號(11.6)の「南北聯合で領土問題の解決を」で Andy Chang 氏は「サン・フランシスコ條約で歸屬が未解決となった領土問題は、條約に署名した諸國と領土問題の關係諸國が聯合して解決すべきだ。」と説く。

米國はいざしらず、他の國が日本に對して領土割讓を要求できるやうな戰爭であったのかどうか。だから米國は沖縄を租借した。

その米國が沖縄を返還した後になって、他國が更なる要求をするのは理不盡。日比谷野外音樂堂で臺灣はじめ亞細亞各國各地の人が次々と立って訴へたのは、このことであった。

バングラデシュの人の訴へは特に強烈であった。明治維新で世界史に日本が登場したことの意味から説き起して、亞細亞の今日あるは日本のお蔭だと言ひ、大國を相手に四年間も鬪ったあの國はどこにいったのだとするどい語氣で三分間を超へてしまった。時間超過といふことだらうが何かメモを渡されてをはったのだった。

ベトナムの人の言葉は聽き取りにくかったが、ポル・ポト派がカンボジアで大量虐殺を行ってゐたのにベトナムが干渉した、それに對して中國が大軍でもってベトナムに侵攻したときの話に一月で撃退したことを述べて、中國がせめてくればまた撥ね返すのだと語った。南砂諸島では中國の進出でベトナムの漁民が漁に出られず苦しんでゐるとのこと。以って他山の石とすべきだらう。

南モンゴル人といふ人も滿州人といふ人もあって、まるで五族協和を地でいってゐるやうな氣がした。中國がどんどん周邊の國を呑み込んできて、自分のところはまだ喉にひっかかってゐるところだと表現したのは滿州人と名告ったジャーナリストだったと思ふ。

はっきり覺えてゐるのは我國に對する警告二點。中國の環境劣化のせいで毎年、日本人が百人も命を落としてゐるといふこと。「寫眞情報網・週刊AWACS」11月15日號「今週の氣になるニュース」の寫眞「山西省:四歳兒の奇病」は唸聲子の言はれる以上に衝撃的だ。中國で事業を展開するにはよほどの覺悟が必要だと思はれる。

もう一點は、來年は中國がいよいよ反日を本格化するだらうとの見通し。生かさず殺さずといふ程度に勞働爭議なども頻發するはずだと、或る自動車メーカーの名前を擧げての警告であった。

集會の最後にシュプレヒコールをやるとき、「核武裝するぞ」といふのがあったけれど、ベトナムは核兵器がなくても撥ね返したのだと考へてゐた。

ところで、2093號でサクラサクラで「にほいぞいづる」と書いたゐたが、「にほひぞいづる」の誤記。友人が教へてくれた。

十一日は、久し振りに都心にでた。歸りに靖國神社に寄って崇敬奉贊會に入會。

今日本人として爲すべきことは、皇室と靖國神社を護ることだ。さう考へて、崇敬奉贊會に入會の手續きをした。これで、日本を守る微衷を一つ行った。先日Nといふ友人が書いてきたことだ。

靖國神社へ、國民が波のやうに參拜をしてゐれば、政治家の誰某が參拜をしたの、しなかったのといふ下らない横槍が入ることは無くなるとはずだ、要は、國民の動きに政治家が乘るやうに仕向けることだとN君は言ふ。N君を見ならった次第。2100號(22.11.19)


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字母制限と平板化のすすむ國語表現

 

平成十四年十月十五日、當時内閣參與であった中山恭子さんが拉致被害者を平壌に迎へに行ったときの記録にこんなところがある。

もしも當日、一人でも出てこない人がゐたら、外務省の齋木昭隆さんと私はそのまま平壌に殘る覺悟で、一週間分の着替へを持ってゐました。平壌空港に着いて五人全員が揃ってゐることを確かめた時にはほっとして、「日歸りできますね」と齋木さんと言葉を交はしたことを覺えてゐます。

待合室に入り、かたまって話をしてゐた五人に、「おはやうございます」と聲をかけましたら、五人は一斉に振り向いて「おはやうございます」とはっきりした挨拶が返ってきました。

その瞬間、ああ、この人たちは日本の心を失ってゐない、と直感しました。きっとこの二十數年間、日本のことを思はない日は一日もなかったに違ひないと確信しました。

どうして「おはやうございます」の一言でここまで言へるのか。表情や聲音にさういふ人柄を自づと窺はせるところがあったのだとは思ふ。しかし、これが言葉の不思議なところで、反射的に挨拶を返すところに、言語表現として意味を超えた交感的交はり(phatic communion)の妙味がある。

先日、錢湯に行く途中で圖書館の分館に入って、ちょっと書棚を覗いてゐたら、「こんにちは」と聲がかかった。誰だらうと思ひながら「こんにちは」と返事をして相手を見たら、屈んで本を整理してゐる圖書館の職員で、全く面識のない人であった。どうもマニュアルで、外來の人にさう聲をかけるやうになってゐるらしい。これは市役所でも經驗した。

レストランなどで、「いらっしゃいませ」に續けて「今晩は」といふ場合もある。相互に應酬する挨拶と、「いらっしゃいませ」とは違ふ。「いらっしゃいませ」だけなら、客は氣を使ふ必要はない。丁寧に言ふ分には問題がないだらうと、表現を過剩にして、應酬の必要な挨拶といふものが消えてしまひさうだ。

次は今回の參議院選擧のときの話。立候補豫定の人、或る先生のところに挨拶に行って、「奧さんが車で」とやってしまった。「奧さんとは何方の奧さんですか」「いや、僕の」。これで立候補の資格なしと認定された。奧さんは敬稱。自分の連合ひを奧さんとは呼ばない。妻は反對に自分の場合。この區別も怪しくなってゐる。

國後に入ったロシア大統領の名前、キリル文字をラテンアルファベットに轉寫するとMEDVEDEV、 ネットで檢索すると Shuytalk-97 といふサイトにこんな文章がみつかった.

ロシア文字を英語表記すると、MEDVEDEVで、これはどの英字紙も同じだ。 日本語表記では、メドゥ・・・のあとはヴェーディエフだが、ロシア後の發音に近く、ヴェーディエフとするところ、『ヴェ』 は使はないことになっているさうで、結果、メドベージェフになるそうだ。 ……

「ロシア後の發音に近く云々」のところ、ロシア語の發音に近くならヴェーディエフとあるべきだと思ふ。ヴェを用ゐないとするのは、五十音圖でまかなはんとする見識。しかし、ディエフをいきなりジェフとするのは如何なものか。ヂェフとすべきところを假名字母制限に從ったためだ。字母制限が歴史の聯續を斷つ。我々はいつまでこの状況に甘んじてゐなければならないのだらう。

この人の名前の發音、英語圈でも問題になったらしい。ロシア語の場合、d といふレターの音價には硬軟の二つがある。e の前では軟音。英語圈にはそんな區別はないから問題の音節はデフとなるところを弱化ずるからダフくらいになるだらう。

延坪島(エンペイタウ)で事件が起きた。かういふ聯絡はどうやって屆くのだらうか。電話でヨンピョンドと言はれても、その音を國語音韻として聞き分けるのは難しい。名前を言ふときも漢字を説明して音を傳へるのが常道。ヨンの延、ビョンの坪、ドの島は無理だ。

そんなことが我國の軍隊の最高司令官に聯絡が後れた言ひわけにはなるわけではない。しかし、ロシア語の轉寫で假名字母を制限しながら、朝鮮語音となると逆に國語音韻をはみ出すところまで相手の音に忠實たらんとする、その倒錯が不氣味だ。

ところで管内閣が朝鮮學校への高校無償化を停止するといふ。法律とはかくも恣意的な運用を許すものなのか。法律の枠組が解らない。教への内容を問題にしないはずだった。今度も勿論、教への内容を問題にしたわけではない。ただ、米國が日系人を收容所に入れたのに通じるものを感じるのだ。反日教育をやってゐるからとの批判に對しては斷然一律を主張してゐながら、韓國に被害が出ると途端に態度を改めるところをみると、我等は韓國人の政府を戴いてゐるのかもしれない。

一度決めたからには、法律をまた取り消すまですすむしかない。朝鮮學校無償化が問題なのではなく、高校無償化一般が問題なのだと思ふ。法を恣意的に運用すると、行政の方も困るだらう。おまけにまた例の國聯高等弁務官のやうな人に何か言はれるのだ。

錢湯で北朝鮮から砲撃を受けた島の名前を知ってゐるか訊いてみたが、ほとんどの人が知らないとか、言へないとか答へる中に例外が二人あった。一人は自信ありげに「チョンビョンド」と答へた。貿易をやってゐた關係でアジアアフリカ語學院で朝鮮語を學んだとのこと。それだけに三音節のうち二音節は正しかった。いやひょっとしたら、さういふ呼び方もあるのかもしれない。もう一人は覺えなければと今日も新聞をみてきたといふ珍しい人。ビョンヨンドと、流石に三音節とも正しかったが順番が狂ってゐた。

念の爲につけ加へるが、この音節の數へ方は國語の流儀ではない。閉音節を認めた數へ方、漢字一字を一拍として發音する、しかも音節の開始の子音が國語としては落着きの惡いものだ。

朝鮮語音で覺えたり、言ったりすることがこんなにも難しいといふのにどうして識者は聲を擧げないのだらう。數年前、或るテレビ番組の司會者が朝鮮の船の名前を朝鮮語風に言はうとして苦勞したあげく、結局うまく言へなかったことを思ひ出した。政府高官や公黨要人に對しても居丈高な口のききかたをする人であっただけに、挫折した屈辱感は大きかったのではないかと思ふ。

發音に關してできないと言ひたくないのかもしれない。しかし、肝心の地名一つ簡單に言へないやうでは、いざ鎌倉となっても、どこへどうすればよいのかわからないではないか。言葉は危機管理の第一のものだ。

ところで、市役所や圖書館の職員、どうしてマニュアルに唯々諾々と從って言葉を發するのだらう。學校教育で言葉を管理されてきてゐること、コミュニケーションが基本だからと、言葉の機能を意味の傳達に絞って教へられてゐることが大きいと思ふ。

妻といふ語は自分の場合と書いたけれど、それは妻といふ語の外延(denotation)上の意味ではなく内包(connotation)にかかはることだ。だから他人の場合に使ふことがないではない。

(一)幼い頃に遊んでた

學生時代に附き合った

いろんな友はゐたけれど

みんなみんな今はない

ああ懷かしい古い顏

(二)戀をしたっけ素晴しい

美人だったあの人は

今ぢゃ逢へない他人の妻

みんなみんな今はない

ああ懷かしい古い顏

(三)夜遲くまで座り込み

笑って飮んだものだった

あの仲良しの飮み仲間

みんなみんな今はない

ああ懷かしい古い顏

先輩連がこの歌のルフランの「古い顔」のところを「他人の妻」と換へて歌ってゐたことを覚えてゐる。

データー入力を舊滿州の方にもっていくといふ話がある。滿州時代の日本語教育の流れがあって、中國の中では特別に日本語に強い地方だといふことを聞いたことがある。人件費が理由に擧げられるし、それはその通りだらうとは思ふけれど、漢字入力の場合、文部省の制限などにとらはれずにやってゐることが、強みであるといふことを思はずにはゐられない。

データー入力の場合、正字體から新字體への變換は簡單だから、場合によっては正字體で入力させてもかまはないのだ。賃金のことがあるとしても、文部省の威令の行なはれないところの人が日本語入力を請け負ふといふ事實に、文部省や文化廳の役人はどういふ言譯をするのだらうか。

戰後の國語行政を領導した人達は表音的表記の機能をカナ一字づつの音價の問題だとばかり考へてゐた。だから、君が代の「いはほとなりて」は「いわおとなりて」と書いても情報量は減じない、むしろ曖昧さがなくなるだけ優れた表記だと考へたわけだ。

しかし、「淺草に觀音樣があるのか」(2103號) で書いたやうに juncture が問題。「岩音鳴りて」ではないのだ。このことはハ行轉呼音が語中音(medial h)であることによって擔保される。

十一月三十日には常用漢字表の二十九年ぶりの改訂版が告示になる。どうして廢止でなく改訂なのか。文化廳が判斷するからだ。何故道路問題を論ずる委員にゼネコン關係者を選んではならないとされてゐるかを考へて欲しい。以上、文部省普及局のやうな會社の録を食んだものなので忸怩たる思ひで綴った。 2109(22.11.30)


toshiwo 平成22年12月27日
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ウィキリークスの讀みかたのこと

 

前田さんのお書きになること、多岐にわたるのですべて理解して讀んで納得できてゐるとは言へないけれど、わかった限りでは、感心することが殆どで、さほど違和感を覺えることはない。しかし、カタカナ語についてのことは、英語につきすぎてゐるやうに思はれることがある。

job の場合の o を日本語に轉寫する場合、オとするかアとするかは、それぞれの言語における音韻體系と關る。國語は五母音體系。英語の母音をその通りに區別することなどできない。o の短母音はオとするかアとするかは、その母音一個の響きが似てゐるかどうかだけでは決められないと思ふ。アの方が近くてもオとすることに合理性があることがあり得ることを認めるべきだ。

ペプチド。これはひょっとしたらドイツ語語源なのかもしれない。i の音價は元來イ。アイと二重母音に割れたのは、英語の場合は音癡が多かったからだとするとんでもない説明に出逢ったこともある。とにかく、アルファベットにおける English value と Continental value といふこと、私などは綴りがみえればよいではないかと、非常にいいかげん。先日、ロシア人と英語で話す機会があり、status quo を英語的に言ったら通じない。それですぐにContinental valueで、スタトゥス クォとやったら通じたのだった。

コーヒー・ピーク:これは辯解の餘地はない。強いてあげれば、スティックは國語の音韻としては成立しない構造ではないかといふこと。國語の中でこの語を發音すればどうしても變になる。音節が間延びするのも仕方がないのかもしれない。

ハリハリ:これが l だといふこと、前田さんの言はれることだから、きっとさうなのだ。しかし國語に關してであれば、この言表には意味がない。國語にはラ行音なるものに區別がないからだ。

以上、一般論として書いた。前田さんに對する言葉遣ではない。乞御容赦。

以下、前田さんの書かれたことを離れて一筆。

なんとかリークスといふのが話題になった。カタカナ表記ではウィキ。ハワイ語で早く早くといふのを wikiwiki といふと讀んだことがあるが、どういふ發音であるのか、ハワイ語の發音は知らない。テレビのアナンサーがいふ、その音が國語音韻として聽き取ることができなかった。完全な二音節、つまりあたかもヰキ、もしくはイキと二文字の假名として發音してゐたのだ。英語音のやうに語頭の兩唇半母音の響きがない。しかし、イでもない。一拍でいふやうによほど練習したもののやうに聞えた。例によって何人かどう聞えたから訊いてみたが、何だか變な音だといふばかり。外國語音とそれが國語に轉寫された場合とは切離してみることが必要ではないかと思ふのだ。

海津知緒氏のサイト「ローマ字相談室」のローマ字資料室(ヘボン式系統)にある二つの文書を最近書換へた。

「擴張ヘボン式の發見」と英文擴張ヘボン式(An Extended Hepburn System)

假名とローマ字の關係を長い時間をかけて少しづつ掘り下げてきた結果。御一讀いただけるとありがたい。 ◎2130(22.12.21)

2130號の反響欄に書いたこと、舌足らずであった。前田氏は job といふ語の轉寫でなく、good job と間投詞のやうにいふ場合の響きを言はれたのであった。さういふ場合であれば、米語の響きを傳へるべく、ことさらにアと書きたくなるといふことは判る。特に母音は響きの問題。氣になれば氣になるものだと思ふ。

子音は響きより調音、すなはち發する側の意識が問題。筆者はそのことにこだはるので、job ならヂョッブとしたい。英語では語頭でジ(zhi)とヂ(ji)を區別することがないので、英語でみれば、この區別は問題ではない。しかし國語では音韻としてシとチの區別があり、平安時代には清音濁音を共通の字母で表記するやうになってゐたのだから、これを書分けることは國語にとって必須であることは勿論、英語にもmajor と measure のやうに語中では區別のある音なのだから英語學習上もさうでなければ困る性質のものだ。ここに促音を用ゐるかどうは小さな問題。

j が ch と有聲無聲の關係にあるのに ch の場合の促音は t だとする規定がありながら j の場合に d だとする規定のないことが、ヘボン式に缺陷があると思った最初。フランクリンが綴り字改良案で j は sh に d を冠すれば濟むから不要だとしたこと、寶島のスチーブンソンが、吉田松陰傳 Torajiro を書いて日本語のローマ字について觸れ、子音は英語的だと斷った後に j だけは例外でフランス語的だと書いてゐたことを知ったのはずっと後になってのこと。しかし、我國の英語の先生方が案外この點について無頓着であることには今以って驚くばかりだ。勿論、福原麟太郎先生のやうに、ヂョンソン大博士と書いて、ジとヂの書分けに嚴しい先生がなかったわけではない。そして、かかることは、その道の權威に從ふべきものだと思ふのだけれど、何事も多數決で決める世の中。道理が引っ込むよりなかった。福原先生が自らのかかはった英語教科書が文部省の檢定に不合格になったとき、むしろ名譽と書かれたことを今になって思ひ出すのだけれど事態は惡化してゐるのかも知れない。

なほ、「私などは綴りがみえればよいではないかと、非常にいいかげん。」と書いたけれど、綴りがみえればよいと言っても、warning をワーニングとするのには反對だし、worm をウォームとするのにも反對だ。前者の母音はjobのoと似た響きで、worm の母音は whirl の母音と似た響きだと思ふからだ。前者をオ、後者をアとするのが順當だと思ふ。勿論、son や some の o は cut の u と同じくアとするのが順當だらう。

「綴りがみえればよい」といふ程度に考へたのかどうか、タ行は t で、ダ行は d で通すローマ字がある。日本式がさうで、これが目下のところの國際規格。ヂ は di で ヅは du と書く。ひょっとしたら、このことがあったから、福澤諭吉は middle をミッヅルと轉寫したのかも知れない。それを戰後の編集者はミッズルと書換へてしまった。お蔭で諭吉の英語力はきはめて低いものだったとの議論さへ生れてゐるしまつだ。チを ti としヂを di とする方式ではタ行にティやトゥ、ダ行にディやドゥがあってはならないことになる。ヂやヅに、今であればディやドゥの役割を押し附けてゐたのだから、英語における j の音はフランス語の場合と同じくジで轉寫せざるを得なくなり、kids はキッズ、foods はフーズといふ表記がまかり通るやうになった。いはゆる現代假名遣の出生の祕密。

筆者の場合は、ジもヂもズもヅも勿論であるが、ズィもディもドゥも國語に可能な音節とみて盆の中に入れ、また英語アルファベットで可能な子音組合せによる字母の積木を投げ込んで搖すってみたら、親和性の高い組合せが出來た。ジ(zhi)、ヂ(ji)、ズ(zu)、ヅ(dzu)、ズィ(zi)、ドゥ(du)、あるいはチ(chi)、ティ(ti)、トゥ(tu)はいはば發見したやうなもの。このとき、ヂヅなどをあらかじめ外しておくのは間違ひなのだ。

2130號に岩見隆夫氏の「新漢字表に嗅が採用されたワケ」といふ論が『サンデー毎日』12月15日號より轉載。「嗅」の字形を構成する犬の部分が舊に復したことについて、「機械が先を歩き」と必ずしも肯定的ではない。戰後の表記改革を共に歩んできた新聞社の立場では、この程度に切っ先を鈍くして書くことが求められてゐるのかもしれないが、戰後の表記改革のあやまりは、漢字より假名字母の制限にこそ深く根を張ってゐるといひたい。

『日本經濟新聞』12月20日號教育欄にお茶の水大學の耳塚寛明といふ人が我國の學力低下について寄稿。「ガリ勉にものをいはせたアジア勢が、知識の量ではなくその活用力や批判的思考力にウエートを置いたPISA調査で軒竝み好成績をあげたことに戸惑ひを禁じ得ない」と述べておいでだが、ガリ勉といふところに、戰後の文部行政が目指した假名字母制限や岩見氏の擧げられた犬の字の點一畫の有無の問題に通じるものを思ふのだ。たかがそんなことと言ふなかれ。それがために、正書法がなくなってしまひ、國語の授業がどれほど損なはれてしまったことか。

試驗問題で國語といふ形式について問ふのでなく、活用力や批判的思考力を問ふてゐるつもりかもしれないけれど、鹽を水に解いたとき、重量が變るかどうかなどといふ愚にもつかぬことを問題にしてお茶を濁してゐることが多いのは全國學力試驗のときなど新聞の問題をみてみれば判る。

それだけの犧牲を拂って表音的表記へ舵を切ったのに、今やローマ字はまるでバベルの塔。迂遠のやうだけれど、戰後の表記改革を撤廢するより方法がないのだ。嗅の字を舊に復さざるを得なかったのが機械のせいであるのは、データー處理の方から、あのままで行き詰まるといふ聲があがったとみるべきではないか。

なほ、PISA調査の表記、PISA を一字づつ切離して縱に組んである。一字づつ讀む略語(literation)なら、それでよいだらうが、PISA は acronym すなはち、一語のやうに讀む略語だ。アラビア數字と同樣、横に竝べてみるやうに組まねば讀みにくい。かういふ點を言ふのは耳塚氏にとっては酷かもしれないが、教育を論じる人の多くが戰後の文部省の敷いたレールの上でものを考へてゐるやうに思はれてならないので一言した。 ◎2131(22.12.22)


toshiwo 平成22年12月27日
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裁判員制度と文部省式表記は共に廢止すべきものであること竝びに押收資料改竄疑惑について

 

2135號(12月26日)の山堂コラム「裁判員制度はやはり止めよう」は、成る程さういふことかと思って讀んだ。

これほど無駄であることが明白なものはない。「無意味な出費は止めるべきだ。誰もが思ふのは裁判員制度に違ひない。私の場合は ALTだ。」と書いたことがある。丁度二年前の1406號。

「裁判員制度と小選擧區。どちらもつくられる時に新聞・TV、率先して大いに煽ってそして儲けた。」だから「マスコミは、テメヘらも手を汚して作らせた制度。さすれば何のカンバセこれありて、「間違ってゐた」と引き返す。そんな勇氣ある社説1つもありや。」(引用も表記は好みに從ふ)といふ事情。これは小選擧區を文部省式表記と置き換へても通じることだ。

いや、當時はTVはまだなかった。しかし、裁判員制度は愚民政策である點で國民を一段低くみる文部省式表記と同斷。そのことは昨年夏の1633號(裁判員の言葉遣のこと)及び1642號(猶豫といふ語のこと)で問題にした。本年4月の1873號では高校生に裁判員裁判の判決文を採點させて、まだ難しすぎると言はせてゐることを取上げた。教育しなければ判らない言葉をつかふのが惡いとは逆立ちしてゐる。これでは外國語も眞面目に勉強するはずがない。無駄であるといふより教育の荒廢をまねくものだ。

2135號反響欄(5)に「日本人の外國語の習得能力」といふ投稿は學習者の意欲が重要だと説く。2133號の投稿を受けてとあるが2133號にはみつからなかった。2134號の反響欄には、同じく學習者の意欲の問題だとする投稿がある。語學は結局は個人の問題。意欲がなければどうしやうもない。しかし、公教育における方法論の問題はあると思ふ。それは、我國ではアルファベットを表音文字として教へてゐないこと。文字言語としての英語と音聲言語としての英語と別々に教へて、綴りをみれば發音でき、音を聽けば綴りが見えるといふ風な訓練をしてゐないことだ。發音は通常のアルファベットでなく、發音記號やカタカナで表記するとしてゐること、これこそが、我國の英語教育が非效率であることの疫學的原因だと思ふものだ。だから dictation といふことがカリキュラムにない。

もし、アルファベットが表音文字であるといふことを基本に据ゑてみれば、たちどころに通行のローマ字が桎梏と見えて來るはずだ。英語教育についての議論は多いけれど、この點についてもマスコミは何も言はない。英語學習者のためのサイト「伊藤サム 英語の世界」はさすがにローマ字のことも取上げてゐてローマ字主要サイトには擴張ヘボン式へのリンクもある。擴張ヘボン式についてローマ字相談室のローマ字資料室(ヘボン式系統)で讀むことができると書いたけれど、眞道重明さんのサイトの言葉の詮索(その3)でも讀むことができるやうになった。眞道さんのサイトには「頂門の一針」で書いたローマ字論などもある。

2045號(9.23)に押收資料改竄疑惑について書いて檢察官がフロッピーの改竄などするはずがないし、また技術的にも難しいことだから「ファイル管理の知識が足りなかったために起きたことではあるまいか」と書いたが間違ってゐた。なんと檢察官がファイルの日附を書換へるソフトを購入してゐたのだ。ファイルの日附は作業の履歴を示すもの。一般の人がつかふものではない。まして檢察官といふ職務にあっては使ってはならないものではないか。

檢察官の暴走を防ぐために第三者機關を設けるべきだなどとの議論があるが、結局は人間性の問題。教育の問題に歸着するはずだ。もし、檢察官がかかることを犯したのであれば嚴罰に處す、それ以外にない。教育が現世的である限り、眞の意味のエリートの育成は難しからう。末代までの名を恥ぢよといふ戒めがきくやうでなければならない。國語をコミュニケーションの道具とのみ見て縱方向における文化を繼ぐ役割をみなかったところに問題があったと思ふものだ。 ◎2136(22.12.27)


toshiwo 平成22年12月27日
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メルマガ「頂門の一針」に書いたこと(四)

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