Kotoba6.htm

 

 

kmon_opinion2

メルマ「頂門の一針」に書いたこと

[上西俊雄氏の言葉についての意見集(2)]

 

                                                    2010/06/06

上西俊雄

mokuji1

目 次


でん気掛かりとは何だ
地方參政權反對運動に參加して
ハハが老いてババ、チチが老いてヂヂ
一眼國に迷ひこんだやうな氣分だ
アメリカ英語とイギリス英語
  はじめに  發音表記 米音の表記
英語教育の「徳川モデル」?
玉を改むれば行を改む
安心して辭書や字典を使ふことができない
國語音韻體系に變化はあったのか
  日本語腦 上代特殊假名遣  子音の場合
  
ハングル  をはりに
古典隔離政策を排す
現地音カタカナ表記は勘辨してくれ
おまはんが惡いのぢゃ
新黨「たちあがれ日本」
國語における倒錯の數々
シルバー新黨に期待する
安以宇衣於と伊呂八
  
日中韓賢人會議  イロハ順 學力テストの形式
  
學力テストの内容 をはりに
不磨の大典│善意に滿ちた迷惑なこと
  はじめに 假名字母の制限 小學校で英語が必修
  
をはりに 附記
文化審議會國語分科會を傍聽して
  
常用漢字表の改訂 外國人に對する日本語教育
  
固有名詞
この文書について


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

denkigakari

でん気がかりとは何だ

の江戸屋猫八、本名は長男であるのに八郎。三代目の父親(本名六郎)が八にこだはってつけたのださうだ。役所の戸籍係の人が、長男の名前としては變だと受附けてくれないので、その人の居ない隙をみてやっと屆を出すことができたといふ話を先日のラヂオ深夜便で聽いた。

おせっかいといへばおせっかい。しかし、かういうふうに注意し注意されて言葉の標準といふのは護られてゐたのだと思ふ。それが廢れてきた。表音主義者が跋扈して、表記のことが輕んじられるやうになったこと、それに標準からずれることを變化と捉へるために、一般に誤用といふ考へ方が薄くなったためであるが、何より、役所がかかはってゐるために、何が標準かいふことが難しくなったことがある。

小學校のとき教はったのは代用教員であった。敗戰時、どういふ資格が必要とされたか知らないけれど、言葉について、文字について何が正しいかは自づと決ってゐたから融通がきいたのだと思ふ。

孫が通知表を貰ってきた。「でん氣がかり」と書いてある。すぐには電氣係といふことだと判らなかった。娘は學年配當があるから仕方がないと言ふが、私だったら、きっと文句を言っただらうと思ふ。辭書で調べて教へれば字體が違ってくるだらうし、學年配當のことも考へなければならないとしたら、ヂヂババが孫の勉強をみることだってできはしない。

ウィキペディアで調べると、「氣」は一年、「電」は二年、「係」は三年の配當だ。孫は二年生。先生は學年配當を間違へたのだらうか。それとも二年配當の漢字は、三年になって始めて使用可能とするのだらうか、或は「電」は三學期で習ふことになってゐたので二學期の通知表に用ゐることを憚ったのだらうか。

年末、海外旅行に出かける人が多い。傳染病に對する注意がラヂオから聞えた。「犬に噛まれたらすぐに病院を受診すること」とある。救急車を效率よく運用しようと相談センターなるものが出來たらしい。そのことがあまり知られてゐないので「東京消防廳救急相談センターを周知する」といふ。どうもサ變動詞の作り方が變だ。「受診する」は、はしょって言へば自動詞ではないか。「病院を」が餘計だ。しかし「病院を」がなければ耳で聽いた場合に意味が判りにくいと思ふのなら「病院で診察してもらふ」とか「病院でみてもらふ」とか言ひやうがあるだらう。「周知」は状態を指す語で行爲を指す語ではない。サ變動詞が變だ。「周知徹底を圖る」と何故言はないのだらう。間違がまかり通る。國語の復元力が失はれてゐる氣がしてならない。

かういふ言葉遣は役所の人がしてゐるのかもしれない。さうであれば、公務員試驗の國語を嚴しくして貰ひたい。また、それを受取る記者の人には辭書や字書を引く習慣を身につけて欲しいものだ。

少し脱線するが、時代考證といふこと、言葉の上のことも氣をつけて貰ひたい。明治時代の人が上官に向かって、「一つ訊いてもよいですか」と斷ったりするだらうか。かういふ科白を訊くと鳥肌が立つ(おぞけだつといふ意味で)。

なほ、「孫」といふ字は四年配當。「係」「孫」に共通の要素「系」は六年配當だから易しい字から教へるのでなく、語として使用するかどうかを基準にしたものであるやうだ。これこれの語にはいつごろ出逢ふだらうと豫測したわけだ。馬鹿げたことだと思ふが、それはそれでよい。しかしスイス陸軍では地圖と地形が異なるときは地形を信ぜよと教へるとのこと、實際に、その語に遭遇したときに教へるのが筋だ。さういふ風にやるどころか「でん氣がかり」では一つの漢語を二つにぶった切って見る惡い癖を教へこむのだから負の教育だ。

「頂門の一針」十二月八日號反響欄に

國語論を書いた文藝評論家に福田恆存がゐます。

『福田恆存全集』文藝春秋に、「『國語改良論』に再考をうながす」、「私の國語教室」、「國語審議會の愚民政策」、「言葉と文字」、「陪審員に訴ふ」、「新國語審議會採點」、「日本語は病んでゐないか」、「國語審議會に關し文相に訴ふ」、「敬語について」、「國語政策に關し總理に訴ふ」、「輕率な言文一致論」、があります。(まこと)

といふ書込みがあったので、手始めに、『私の國語教室』増補版の第五章、第六章と増補部分を讀んでみた。第六章第四節の國語國字改革論者の言ひ分を五ヶ條にまとめたところの第五。

專門家や知識階級は文化の「頂點」に位するものであり、その「底邊」には一般大衆がゐる。目的はこの「底邊」を擴大することによって、「頂點」を安定させることにある。古典の言葉および文字はそのまま「頂點」に置いて保存し、新聞や日常用語は「底邊」を這はせて簡易化するのが理想である。

とあるところ、我國に文化の頂點に位する人達を育成する方途があるのか怪しい。むしろ、業務仕分け人蓮舫參議院議員の「何故一番でなければならないのか」といふ發言に通じるものを感じる。

教育は機會均等。假名字母を制限したり、漢字を制限し簡略字體で教へたりせず、最初から、文化の頂點に通ずる一歩として教へるべきだらう。

(21.12.30)

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sanseiken

地方參政權反對運動に參加して

郷さんからのメールに地方參政權反對の集會があるとあったので十六日土曜日十一時頃日生劇場のところに行ったら機動隊ばかり。日比谷公園の大噴水場前に殘ってゐた人から教はって富國生命ビルの方へ行ったところ丁度行列の動きの止るところで、その最後尾につくことができた。

道路を挟んで東京市政會館といふ額がよく見える。民主黨大會がこの中の日比谷公會堂であるらしい。そこに向けてシュプレヒコールをやる。

どんどん人數が増へて最後尾だった筈がかなりプレスセンターよりに押されてしまひ、途中で拔けるのも難儀さうだったのだが、第一、とても拔け出せる雰圍氣ではなかった。前列右手に赤ん坊を抱いた女性もゐる。眠ってしまった赤ん坊の手が裸ででてゐるのが可哀さうでたまらない。

いつの間にかプラカードを持ち、それからメガホンまで持ってしまった。風がつよく、風に抗してプラカードを保持するには右手で高いところを握る。下にした左手の高さだと、さう風はあたらない。右手はすっかりかじかんでしまった。プラカードを下ろして右手を擦ってゐたら、左手の女性がホカロンを一つくれた。それを赤ん坊を抱いた女性に渡したら赤ん坊の手のところに置いた。みんななんとなく聯帶感がある。午後になると飴やチョコレートを配る人もゐる。こちらは用意するのを忘れて專ら貰ふばかり。

シュプレヒコールの合間にチャンネル櫻の水島氏のほか、何人かの辯士の演説があるけれど、風のせいでマイクによくのらない。シュプレヒコールで「ヲザハ」といふ音頭に對して「タイホ」と叫ぶのがある。右手のワイヤレスのラウドスピーカーからは「ヲ」しか聞えないことが多い。だから「ヲ」と聞えたら二拍置いて「タイホ」と叫ぶ。だんだんテンポが早くなる。

途中で小澤鳩山會談で幹事長休職と決ったとの情報が流れた。だれも思ひつかないやうな獨創的な方法だから實際にさういふ言葉が出たのだと思ふ。とにかくそれを聞いたためにで一層シュプレヒコールに熱が入った。しかし「ヲザハタイホ」と叫ぶのは少々他力本願のやうな氣がしないでもない。何人かの議員に對しては一人一人名前を擧げては「落選サセルゾ」と叫ぶのもあった。このあたりになると無力感に襲はれる。「落選サセル」などといふ方法はない。本當は「當選サセナイゾ」で、次の選擧までまたなければならない。

「民主黨員である前に日本人であることに思ひをいたせ」、「小澤を怖がる必要はなくなったぞ。民主黨の議員諸氏よ、勇氣をだして發言せよ。」(文言は正確でない)といふのは、長すぎてシュプレヒコールには向かなかったけれど、かういふ辯が聞えると、「サウダ」と叫んだりしての四時間半。すっかり喉を嗄らしてしまった。

よくマイクに載って聞えたのは民主黨議員に對して「御先祖樣や家族に見られて恥づかしくないのか」と問ふもの。辯士紹介のときの名前は聽き取れなかったが荒川區議とあったので、昨年NHK抗議デモのときに名刺を貰ってゐた小坂といふ人にメールで確かめたら御當人であった。

小澤一郎といふ權力の亡者によって日本の國柄と民主主義が壞されていくことに何度でも聲を擧げねばと、黨大會が行はれているこちらに自轉車でかけつけて參りました。

小澤一郎幹事長は元祕書の國會議員が逮捕されても議員辭職はおろか、幹事長職に居座り續けるさうです。民主黨の國會議員・地方議員、そして黨員の皆樣に問ひたい。

金權腐敗の獨裁者支配の下で己の良心を封印して、今の地位にしがみつくことが、貴方達の生き方なのですか。御先祖樣や家族に見られて恥づかしくない態度を政治家として示してゐますか。

民主黨の皆樣に問ひかけたいです。長い歴史の中で培はれてきた日本國の國柄を破壞する政治に手を貸すことは祖先や子孫への犯罪であるといふことを今一度考へて下さい。

視野の狹い輕薄な合理主義、現實を踏まへない人道主義に乘っかることで、日本の國柄の中心である御皇室を蔑にし、夫婦別姓で家族の絆を破壞し、外國人參政權といふ世界でも稀な賣國政策や自衞隊敵視で日本國民の國益を損ねることが、貴方がたのやりたいことなのか。

それがをかしいと思ふ良心が有るのなら、勇氣を出し聲を擧げ、行動をして下さい。

ここで民主黨幹部が大勢出てきた爲、シュプレヒコールに切替へることになり中斷。氏の用意された演説送稿全文は「荒川區議會議員小坂英二の考察・雜感」で讀むことができる。氏はもと新進黨本部職員。その後、代議士祕書として小澤氏の活動を近くで見た人だといふことは今回はじめて知った。

外國人參政權附與といふことになれば、その人達への公民權を保證するために關聯する法律はその言語でも用意すべきだとすることを言ひだす表音主義者が出てきさうな氣がする。

日本は日本人だけのものではないと言った人があるらしいが、日本に長くゐるから日本人だといふわけでもないのだ。

ジャック・アタリ『所有の歴史』にはこんなところがある。

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北歐では、土地は何よりもまづ、祖先の所有物であり、占有が所有になりえたのも、遠い祖先てくれたばあいに限られてゐた。最も古いスカンヂナヴィアの神話の一つ、ヒュが正當化しンドリュリョドルヴィッチの引用によると、かう歌はれてゐた。「祖先がのこしての歌では、ギュくれたルの人と一緒に裁判に出頭したヒュンドラに、フェ遺産にかんして、あるアルガンチュリュイアたくさんあげることができた方が勝訴は尋ねた。その土地を占有してゐた親族の名をするだらうとに連なる、南ドイツ、スカン。そこでヒュンドラは、神々の死を預言した神話のなかヂナヴィアた。」 の傳説的英雄の七十人の名を記した家系圖をくりひろげてみせ

 

(字體假名遣など修正しての引用。「ヒュンドリゥリョド」は「ヒュンドリュリョド」、「スカンジナヴィア」は「スカンヂナヴィア」とした。)

小澤さんは徹底的に鬪ふしかないのだらう。國民にとっては小澤さんがすぐやめないのがよいのかもしれない。八ッ場ダムは獻金しなかったからなのかなどと民主黨の欺瞞性が多少は見えてくるのではあるまいか。

(22.1.19)

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hahagaoite

ハハが老いてババ、チチが老いてヂヂ

先日、遠藤浩一氏の「生き方としての國語││國語への構へ方から「保守」について考へる」と題する講演を聽き、一般に假名遣といふものがどう考へられてゐるかに思ひ至った。

恐らく、歴史的假名遣は現代假名遣に比べて不便なもの不合理なものと考へられてゐるのだ。たとへ不合理であっても安定してゐるものの方が不合理なものよりよい。つまるところさういふことなのだらうか。

瑞々しいは緑に縁がある語。ミヅミヅシイだとこだはる人がある。確かに戰前はさう書いたし、水はミヅであった。

チチが老いてヂヂとなり、ハハが老いてババとなるとするのは民間語源かも知れないが、爺は戰前はヂヂイと書いた。これをジジイと書くのは、文部省の制限假名字母表記に盲從するものだ。

文部省は戰前の表記は古代の音韻に基づくものだからとヂヅの假名の使用を禁止した。恐らく、この判斷は間違ひ。禁止するならジズの方であるべきだったのだ。

過去に罪を着せて、未來のために最適なものを工夫するといふことでは表記改革は當時の時代精神に見事に合致してゐたわけだ。

現代假名遣なるものが導入されて六十有餘年。言葉を文部省が仕切るといふ感覺は國語の復元力を大きく損なった。先輩が後輩の間違ひを指摘してやらないのではないかと思はれることが多い。

最適化はずだったことが、四假名(ヂジヅズ)についても未だ結論が出てゐない。所詮、ローマ字化で消滅する「表記のゆれ」と捉えてゐるのだらう。

外來語の表記からして、この六十有餘年は音韻論的に同時代ではない。「現代」と一括りにするには無理がある。

たとへば「スカンジナヴィア」。「ヴィ」といふ國語音韻に本來屬してゐない音まで書分けようとしてゐるわけであるが、さうであれば何故「スカンヂナヴィア」としないのか。

戰前の「ビルヂング」といふ表記は今なら「ビルディング」としたはずだ。外來語音もなるべく手持ちの假名で書かうとして「ディ」のところに「ヂ」とするのだから、本來のイ段音は「ジ」で代用表記せざるを得ない。「ディ」や「ヴィ」など本來の五十音圖にない音節を書きわける場合であれば「ヂ」は解放される。だからイ段音(口蓋齒莖破擦音)を「ヂ」とするのが先のはずだが、制限假名字母に呪縛されてゐるわけだ。

kid の複數を「キッズ」と表記するのも同斷。英語音の説明もままならないわけで英語教育の效率が惡いのもむべなるかなと言ひたい。

アンドレ・マルティネは音韻論で二重分節といふことを唱へた。音聲言語は語より成り、語は音韻より成るとするわけだ。表記をこれになぞらへて言へば、漢字は表語文字であり、假名は音韻文字だ。歐米の言語のやうにアルファベットを用ゐる言語からすれば、假名は音韻文字といふより音節文字といふべきかも知れない。

かつては表記通りに讀まれてゐたのが音韻變化の結果、讀みと假名とにずれを生じたので、それを修正するのだといふのが表音主義者の説明。コホリと書いてコオリと讀む、或は蝶々をテフテフと書くのは變だらうと言へば、誰でもさうだと思ふだらう。音と假名との關係を一對一でみようとすると、確かに歴史的假名遣は分が惡い。現代假名遣の力の源泉はここにあるのではないかと思ふ。

しかし、ここに語といふ水準を考へてみればどうだらう。英語の場合、たとへば、E といふ字は開音節(母音字だけの音節)ではイーといふ音を表し、閉音節ではエといふ音を表すのが原則だ。閉音節でイといふ音を表すのはとんでもないことではないか。(この場合、economy のやうに弱音節でイとなる場合は勘定に入れない。)しかし、そんなへんてこな綴りの語が英語には存在する。たとへば English がさうだ。外に思ひつくのは Englandpretty くらいだらう。語の形で認識するからこれで良いのであって、これを Inglish とすることはない。

假名は分かち書きをしない。ハ行轉呼音は語中に限るのだから、語頭の場合と區別して逆アポストロフィで表すことにするとコホリは ko`ori で、テフテフは te`ute`u だ。コホリが English ほどでたらめな表記でないことがお判りになるだらうか。テフテフにしても、要するに eu の問題であって、euEurope のそれのやうに發音されることは、例外でなく規則なのだ。少し例を擧げてみよう。

要約(euyaku)、萬葉(man'e`u)、

教育(keuiku)、今日(ke`u)、

昭和(seuwa)、妾宅(se`utaku)、

朝廷(teutei)、間諜(kante`u)、

泌尿器科(hineukika)、

妙齡(meurei)、

料簡(reuken)、獵犬(re`uken)

ハ行轉呼音には切離すべきでないとする機能があるやうに感じられはしないだらうか。タ行のイ段の音はいささか拗音化してゐるわけであるが、英語の question t の音價が tsh になることと竝べてみると、テフテフも English といふ綴りよりは遥かに納得しやすいものだ。

この eu といふまとまりは、語(單語)といふより、言語學でいふ形態素のやうなものだが、このまとまりが Europe のそれのやうに發音されるといふ解釋規則が歴史的假名遣の場合には必要。現代假名遣は假名の音價を一義的に定めて解釋規則を不要とした。しかし、たとへば女王とか硫黄とかいふ語を現代假名遣に從って書かうとすると音節單位に切るのが難しいことが理解できよう。

調布といふ町は歴史的假名遣ではテウフ、現代假名遣ではチョウフ。語頭をテでなくチョとすることによって eu が語頭のタ行音に及ぼす影響をいふ必要はなくなる。しかし、次の「ウ」と合してチョといふ音をもう一拍延ばして讀むのだといふ解釋規則を不要とすることはできない。やはり假名のまとまりで見るより仕方がないのだ。

ところで、ハ行轉呼音といふのは、ア行やワ行のやうに讀むハ行の假名のことといふ意味だらうが、ひょっとしたら捉へ方が逆なのではないだらうか。このハ行音は、いはば一種の境界符號であって、なにか特定の子音を表すものではなく、ただア段のときにのみ、兩唇半母音の渡り音になるといふだけではないか。さう考へると、これはワ行の場合とまったく同一であって、ワ行の場合とは前後を區切るのか繋ぐのかといふ違ひがあるだけのやうに感じられる。

なほ、たとへば「琉球」は歴史的假名遣ではリウキウだが現代假名遣ではリュウキュウ。點字の場合、負荷が増えたといふべきだらう。

付記

トヨタの社長が米國に行くことになったといふのをアナウンサーが「米國をおとづれる」と言った。違和感があった。

「おとづれ」といふ語は吉田松陰の「親思ふ心に勝る親心、けふのおとづれ何と聞くらん」で知った。子供時代に讀む本はあまりなく、わづかに殘ってゐた子供向の偉人傳で讀んだのだった。「おとづれ」とは便りのやうなものといふ感じで、當然「音つれ」と理解したはずだ。「訪」をオトヅレと訓ずることがあり、訪問の意味に使ふことはあるだらうが、英語で言へば come のやうなつかひ方でないと變だといふ氣がする。

平成七年三月三十一日發行の文化廳文化部國語課『言葉に關する問答集』では「おとづれ」は一貫して、現代語として語構成の分析的意識がないものとしてゐる。現代語として使ふ人がどの程度あるのだらうか。むしろ現代語ではないからこそ、使はれる場合は語源の色が濃くでるのではあるまいか。

手許の辭書はオトズレで立項。これでは音が外れるか擦れるかするやうだ。ここは是非「連れる」として欲しい。

萬葉集は萬葉假名。「カ」の音の表記には可何加架香蚊迦の七字、「ガ」の音の表記には我何賀の三字が用ゐられた(ウィキペディアによる)。これでは語の認定は難しかったらう。

萬葉假名では清濁は原則的に別の字であった。假名が成立したとき、清濁の書分けがなくなったのは何故か。

國語音韻の變化があったといふのが文部省の立場。しかしこの場合に音韻變化があったとするのは無理だ。

假名の成立によって語の認定が容易になった。だから清濁まで書分けずとも濟むやうになった。それだけのことではないか。

1815(22.2.12)

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ichigankoku

一眼國に迷ひこんだやうな氣分だ

或る男が天も恐れぬことを口にして、せめて「お尋ね申上げる」とでもいふべきところを「きく」とした。その報道が「訊く」でなく「聞く」となってゐたので、てっきり誤記だと思ってゐたところ、幾度となく同じ表記が繰返される。

孫に『ポーランドのむかしばなし』(昭和四十一年福音館)の「王樣になった陽氣な仕立て屋」を讀んでやってゐたところ

ニテチカさんはタイダライダの町で、あふ人ごとに西の國はどこにあるのかと聞きましたが、だれにもわかりませんでした。

とあった。一體どうなってゐるのだらう。まるで一眼國に迷ひこんだやうな氣分だ。

「訊」は表外字つまり文部省の制限漢字なのだ。だから「聞」で代用する。漢字には意味があるのを、無視するやうに訓練するわけだ。

今、同文同種といふこと言ふ人は少ない、しかし同文だとは思ってゐるのではなからうか。意味を間違って覺えるならば同文であることが却って問題だ。

漢字の意味をないがしろにするだけではない。英會話は多少の間違があっても構はないと教へる。鳩山さんなどは定めし文部省教育の申し子。

phatic といふ言葉を想ひ出した。三省堂『言語學辭典』によればポーランド出身のイギリスの文化人類學者マリノフスキーが用ゐ始めたもので、「仲間意識が創り出され、かつ維持される」やうな言語の交感的機能、たとへば挨拶のことばや決まり文句、社交辭令など、人と人とが共感し合ひ、友好的・社交的な雰圍氣をかもし出す、ことばによる交はりをいふとある。

まさに鳩山さんの場合にぴったりではないか。

敗戰後、我國は資源がないから學力を身につけることが大事だと聞かされたものだ。昨今、親の收入と學力と相關關係があるとの報道に接することがあるが、どこか可怪しい。

假名字母制限や漢字制限下では、國語教育は國語の教育ではなく内容の教育になってしまふ。學力を測ることなどできはしない。いきほひ業者まかせになる。

大勢で採點するとなるとマニュアルによるしかないだらう。模範解答を幾つか用意して、必ず出現するであらう語句を選び、それぞれの語句ごとに點數を決めて加算する、さういふ方法になるのではあるまいか。

優秀な子は、さういふ模範解答を出し拔くかもしれない。すると零點になる。國語は文法形式と単語や漢字の問題だといふ基本に戻らなければ根本的解決はない。

高等學校無償化は誤った對症療法だ。費用面で手當てする前に小學校、中學校で基礎學力をしっかり教へて獨り歩きできるやうにすることが先決。

小學校低學年では國語辭書を使へるやうにする。それには假名字母の制限をやめなければならない。高學年では漢和辭典を使へるやうにする。部首を教へ系統的に漢字をみることを教へなければならないから、漢字制限の撤廢が必要だ。

枝野さん、事業仕分けをなさるなら、假名字母制限、漢字制限、それからALT(外國人語學指導助手)制度をまづ片附けることからはじめて欲しい。

1819(22.2.16)

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american

アメリカ英語とイギリス英語

hajimeni2

はじめに

標題のことが話題になってゐる。實地の觀察に基づくものでないが英語辭書の編集に携はった立場から記憶にあることを書いてみたい。

英語學の大塚高信先生の最晩年に知己を得て、御著作を増刷のつど送っていただくやうになった、その中の一つで讀んだことだと思ふけれど今手許で確かめることが出來ない。

ハムレットの決鬪の場の王妃の科白

He's fat, and scant of breath.-- Here, Hamlet, take my napkin, rub thy brows.

が問題。ロシア映畫のハムレットが太ってゐたのもこの科白のせいだらう。米國の女子學生がハイキングの途中に或る農家で「fat だね」と井戸のところへ案内してもらったといふのだ。fat は「汗かき」の意味であった。シェークスピアの地方の方言が米國の或る地方に保存されてゐたわけだ。

インドでは biscuit をビスクーイトと發音するのだといふことを聞いたこともある。

hatuonhyouki

發音表記

英國にも米國にもいろいろ方言がある。一般に英語發音と言はれるものは Received Pronunciation と呼ばれるもので、ヂョーンズの發音辭典で確かめることができる。米發音といふのは難しい。ケニヨンとノットによる發音辭典にはいくつもの發音が併記してあるからだ。

昭和六十一年日英協會第一回講演は文法學者Rクワーク教授によるもの。英語の種類といふことが主題で、アメリカ英語とかイギリス英語とかが話題になった。同行した夫人はヨーロッパ辭書學會初代會長のガブリエル・シュタイン女史。前年、リーヅのセミナーのディナーパーティーで向ひ側の席だったので面識があった。懇親會でアメリカ英語とは何を言ふのだらうと言ったところ、ややあって、米國で、アメリカ發音のコンテストをやって、その優勝者の發音がアメリカ發音だと言ったのだった。

大塚先生との關係も海外に出かけたのも『表音小英和』(昭和五十五年)といふ辭書が切っ掛けだった。書名に表音と冠したのは綴りがそのまま發音を表してゐるのだといふ主張からだ。しからば、その發音は米音なりや或は英音なりや。

見返しに綴りの解釋規則を載せた。裏見返し冒頭はいささか人を食った表現になってゐる(歴史的表記に變更しての引用)。

米發音は英音(Received Pronunciation)のやうに規範的な發音がない。こゝに掲げた米音は日本で一般に米發音として表記される發音であり、それに應じて表見返しの「手引き」に必要な變更を加へる

米音と英音との違ひを『表音小英和』の方法から概括すれば次のやうになる。

  • 英音で長く發音される閉音節の a が米音では一般に ash の母音のやうに發音される。例: pass, after, bath. なほtomato のやうな外來語の場合は別。また father は例外。これらは米英で發音が異ならない。
  • 英音で短母音(圓唇母音)となる o が米音では非圓唇母音となる。但し f, s, th, ng の前では圓唇母音のまま長くなる。なほ dog は條件が異なるが長くなるので例外とする。例:dock, holiday, gone: off, cross, cloth, long
  • 英音で閉音節を閉じる子音として發音される r が米音では母音のやうな役割を演じる。例: hurry, courage, worry, orange
  • 音聲記號[j]で始る弱音節が直前の齒莖音を口蓋化するとき米音の方が強い。例:educate, situation
  • 米音の場合、強弱のリズムが音節單位であるといふこと。例: missile, fertile; dormitory, cemetery
  • 英音でなら音聲記號[j]で始る強音節の母音が米音では奧舌寄りになる。student
  • 英音で二重母音に r が續くとき、米音では閉音節のやうに發音される。例: Mary, serious

ここにまとめたことは、發音表記を整理したもの。米音とされるものは必ずしも一つではないが、とにかく英音と異なる發音を導くために定式化を試みたものだ。

beion

米音の表記

綴りから發音を導く方法について書いたのは研究社『現代英語教育』昭和五十二年二月號「英語の振假名」が最初。この中でヂョーンズの發音辭典の序文から次の一節を引用した。

RPは、私が確かめることができた限りでは、南ア、オーストラリア、ニュージーランド、英語圈カナダで通用するし、米國英語はイングランドでは必ずしも常に通じるわけでないことからを思へば妙なことではあるが、方言の多い米國でさへ、この英國英語がかなり一般的に通用すると思はれる。

ヂョーンズの發音辭典(初版は千九百十七年)の影響は戰後も大きかった。そのあたりのことを昭和六十年ソウルでの異文化間交流國際會議といふ會にパネリストとして參加したときに「日本における英語辭典の發音記號表記の問題」といふ題で發表、始めに概略次のやうなことを述べた。

IPA(國際音標文字)は大正十二年以來ひろく用ゐられるやうになった。米國英語が前面に出てきたのは戰後の占領下。しかし表記法が確立してなかった。昭和二十三年には表記法統一のために關係者の會議が何度かもたれ、そこからSSN (Standard Simplified Notation)が生れたとある。このあたりはゲルハルドのGeneral American Pronunciationによる。SSN は昭和二十六年のコンサイス英和辭典に採用。昭和三十年の版ではヂョーンズ式も併記されるやうになり、昭和四十五年版でSSN式は消えた。なほ、英音優先の併記が米音優先になったのは昭和五十年。その頃からほとんどの英和辭典が米音優先になった。

米國發音の表記で用ゐられる發音記號にhooked schwa と呼ばれるものがある。schwa は inverted e とも呼ばれるもので曖昧母音といふ名前で知られる或る一群の音聲を指す。この曖昧母音が米國發音で r がかってゐると言はれる。この r がかったといふことを示すためにschwa の右方に鉤をつけたやうな字母が hooked schwa だ。

r がかった母音を示すために r をイタリックにして母音の次に置く方法、或は丸括弧に入れて示す方法も取られた。しかし昭和五十年代には hooked schwa を利用するところはなくなってゐたと思ふ。

平成十年六月南條健助氏の發表を聽く機會があった。氏は『ジーニアス英和辭典』の發音を擔當するとのこと。私は米音を表記するなら hooked schwa を使ふべきだと強く主張したのだった。

hooked schwa が廢れたのは文部省が字母が増えるのを嫌ふためだといふことを聞いたことがある。如何にもありさうなことだ。

ソウルでは次のやうに述べたのであった。

Here the author proposes a `General Englis Phonology Table' which employs an antipodal approach' in contrast to the traditional phonetic/phonemic one.

つまり『表音小英和』の方法である。實は同じことはリーヅでも述べた。ロンドンからリーヅへ向ふ列車で同じ資料を開いてゐる者が何人かゐたので、論文が受理されなかったと言ったところ聽衆席から發言すればよいではないかと言ふ。それでセミナー初日に擧手して發言をもとめ、「綴りと發音の關係を身につけずんば如何にして耳より入りし語を辭書に求めん」と述べた。

セミナーの最後の日、後ろの方に坐ってゐたら鄰のチェーンバーズの編集者シュヴァルツ女史が「貴方のことよ」と言ふ。ロングマン英語辭書の初代編集者エイトー氏が日本人代表の發言を高く評價すると述べてゐる最中であった。さう教へてもらって耳を澄まして始めて聽き取ることができる程度の英語力であった。

英語を實際に使ふことのない職業。海外に渡航して比較的短期間で英語が話せるやうになる。これは辭書を引くくせが役立ってゐると思ふ。辭書を引くために綴りを覺えなければならない。綴りは舌で覺える、これが訓練になってゐたのだ。聽く方はだめ。これは全く訓練する機會がない。

始めての海外渡航のとき、水盃まではしなかったけれど紹介状を何通か書いてもらった。アジアアフリカ語學院長の菊池先生の紹介でロンドン在住の先生を訪ねたときは、奧方より、よく訪ね當てたと感心された。コックニーの地域。滯在二年めでもまだ聽き取りに難儀するとのことであった。

タイムス社に朝日新聞の人を訪ねたところ出社が遲い。タイムス社の受附の男と話をしてゐたら、女學生の一團が來た。やがて彼女達が去って、受附の男が言ふには、今の連中の英語は少しも解らん、貴君の英語の方がよほど判りやすい。

パリからデンマークへの列車で乘り合はせた男からベトナム人かと訊ねられた。パリに一泊したためにフランス語訛りがあったのかもしれない。

二度目のときは世界辭書編集者會議。行ってみたら或る分科會を司會することになってゐた。質問を聽き取ってさばくことはできなかった。

辭書學の長老ズグスタ先生はチェコの人。訛りの強い英語で、ドイツ語のやうに聞える。懇親會でズグスタ先生と話をしてゐたら後で文部省調査官の小笠原先生から、よくあんな訛りの強い英語の人と話ができますねと言はれた。文法的に正しい英語であれば訛りの強い方がよく綴りが見える。

スコットランドで乘り合はせた米國のティーンエイジャー、筆者の英語を米國式だから判りやすいと言った。

このときはインヴァネスで一泊した。英國でもっとも美しい英語の町と聞いてゐたからだ。パブに飮みにいってもグラスゴーから來てゐる人ばかり。翌日の早朝、或る店の表を掃除してゐた女性に事情を話すと、特別に店をあけて招じいれてくれて話相手になってくれた。訛りを感じない英語ではあった。

三度目がリーヅのセミナー。セミナーの後、ロンドン大學にギムソン教授を訪ねた。教授はヂョーンズの後繼者。教授からイギリス發音の變化といふことについて聞いた。

『岩波英和大辭典』(昭和四十五年)がでたとき、boatの二重母音を [ou] でなく第一要素を schwa にしたことを、イギリス發音の實體に即したものと高く評價した人があった。それがまたもとに戻ってゐるといふのだ。教授のところのラムサランといふ若い女性の發音の方がヂョーンズの發音に近いとのこと。ヂョーンズの發音の録音があったのだ。ラムサランならリーヅからロンドンへの列車で一緒だった印度系の女性。ギムソン亡き後にヂョーンズの發音辭典の改訂をした人だけれど、ギムソンがイギリス發音として發音辭典に記載した發音の標本提供者の一人であったとのことも聞いた。もう一人は BBC の女性アナウンサーだと聞いたけれど名前は記憶してゐない。

其の後、ウェールズの首都カーディフに行ってみた。タクシーの運轉手が案内した小さな宿屋。亭主と話があった。日本人が來たから通譯しろといはれたこともあった。ケンブリッヂで相當程度の高い語學研修中の商社マン夫妻であった。

この宿にスコットランドから來た少年ラグビーチームの一行が分宿することになり、亭主の紹介で試合にもついていった。惡戲好きのヂェイソンといふ少年がゐた。お父さんはあんたを船乘りにしたかったのではないかと言ったら、そんなことはないといふ返事。その晩、親父さんから「あんたは博士だ」と言はれた。ヂェイソンからギリシャ神話のイアソンを聯想したにすぎない。イアソンの黄金の羊の毛皮探索の航海の話を知ってゐる人は多いはずだ。

ソウルでこの話を引いて綴りの重要性を説いたところ、その晩、W.フォン・ラフラーエンゲルといふ長老(ランダムハウス英語辭典の語源擔當)にホテルのロビーでつかまって、内容は素晴らしかったがあんな題では聽きにきた人が少ない。さいはひ某大先生も來ておいでだ。たたき起こして資料を渡すべきだと説教された。まあ綴りを媒介にするといふ發想は言語學にはないかもしれない。

ガブリエル・シュタイン女史のことはてっきり英國人だと思ってゐたけれど figure をフィガーと發音しなかったのでさうでないことが判ったのだった。

米國英語とか英國英語とか言へば綴りの違ひが判りやすい。語尾の ise が ize だったり、centre center だったりする。これは獨立運動にもかかはったノア・ウェブスターの影響だとされる。文部省の表音主義者なら共感するやうな變更だが、一つには獨立して英國から自らを切離したいといふ氣持もあったのかもしれない。

しかし、その違ひはささいなものであり、フランクリンの案のやうな過激なものではなかった。なほ、英語の綴り字改良案は多くの場合、字母の増加を伴ふ。我國のやうに字母の削減を伴ふのは珍しい。ウェブスターの案とて濁る場合は濁點を附すといふやうなもの。ムツカシイとムズカシイと二とほりに書きわけよとするのは氣狂ひ沙汰だらう。

イギリス發音のつもりの英語がアメリカ英語だと言はれるのはリズムのせいではないかと思ふ。筆者のやうに英語に慣れてゐなければリズムは相手によって變りやすいのかもしれない。子音に注意を集中すれば、方言の差はあまり問題にならないのではないだらうか。

以上、歴史的假名遣でALTに反對し「英語は日本人教師だから教へられる」と主張する理由の一端を述べた。

1827(22.2.23)

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tokugawa_model

英語教育の「徳川モデル」?

二月二十二日の日本經濟新聞「教育」の頁、冒頭に「日本人が英語下手なのは、英語の教育に問題があるためとの指摘が絶えない。英語教育に力を入れる新潟縣立大學の猪口孝學長は、日本の英語教育が「徳川モデル」を捨てきれてゐないからだと指摘する。」とあり、「英語教育の鎖國五年内に脱却を」、「通譯任せの組織上層部 日本人「締め出し」招く」との大見出しに「まづ官僚採用で」と「授業半分英語に」との小見出しが踊る。

しかし、肝心の徳川モデルといふことの意味がさっぱり解らない。「今や、アジアのどこでも英語は普通なのである」とか「政府間會議でも通譯を使ってゐるのは日本政府だけで、他のすべての國は英語を使ってゐる。」とまるで我國が遲れてゐると言はんばかりであるが、先人の努力で國語ですべてまかなへるやうになったからだといふことをどう考へるのだらう。

米國に留學して學位を取った人が政府にゐて、通譯を交へずに會話は phatic expression (交感的表現)だとばかりに挨拶して、翌日、「え、そんな意味があったの」と言はんばかりの發言をしたことはまだ記憶に新しい。

「まづ官僚採用で」といふことが、どれほど國力を削ぐ結果になるか空恐ろしいものがある。この「まづ」といふところ、實際は「まず」と制限假名字母表記であった。

英語の場合にまづたたき込むべきは子音の發音なのだ。制限假名字母のためにヅズの書分けを無用とすることの意味を考へて欲しい。徳川時代にはそのやうな制限はなかったはずだ。

更に言へば、我々と言はず、日本人と言ひ、我國と言はず、日本といふのも氣になる。自決は強制されたものであったかどうかを巡って教科書の記述が問題になったことがあった。當時話題にならなかったが、日本軍となってゐたのだ。問題提起が外國人によってなされたことを窺はせる。

「授業半分英語に」のところにはかうある。

一方で、大學の入學試驗に英語を入れると、難問、奇問、愚問が多くなりすぎるので、英語を受驗科目から外さうではないか。英語能力資格試驗の點數をもってよしとしよう。その代り、入學したら、教科書の半分は英語、授業は半分以上を英語とすべきである。

專門分野の教科書が母語で揃ふ國はそんなに多くはないと聞くが、我國もそのハンディを背負へといふのだらうか。我國は國語について假名字母を制限した。このハンディ撤廢が先だ。

1828(22.2.24)

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gyokuwoaratamu

玉を改むれば行を改む

擴張ヘボン式で轉寫してみて歴史的假名遣の合理性が判然としたので歴史的假名遣に切替へたと書くことがあるが、さう言ってよいのかといふ内なる聲がある。

歴史的假名遣が廣く行はれてきた、だからそれに從ふといふのが本當ではないかと思ふのだ。ことさらにさかしらを立てて、合理的だからそれにつくといふのでは、いはゆる現代假名遣論者とさして變らないのではないかといふ氣がしてならない。

障害といふ語はかつては障碍と書くのが普通であった。しかし碍が制限漢字であったため、障害の方が廣く行なはれるやうになったが、今度は害の字義のために忌避されて「障がい」のやうに、いはゆる交ぜ書きが行はれるやうになり、揚句、もっと良い言ひ方を工夫しようといふ議論になった。

この「もっとよい言ひ方を工夫する」といふのが曲者。理屈をたてると結局、かういふことになる。戰後の、いはゆる現代假名遣が問題なのは、一つには、表音主義的表記といふ虚妄の論のためであるが、もう一つには、そして恐らく此の方がもっと重大であったの思ふのだが、表記は自分たちで決めればよいとする風潮を釀成したことだ。

産經新聞「話の肖像畫」で知ったことだが、創作漢字コンテストなるものがある。立命館大學白川静記念東洋文字文化研究所長加地伸行氏の提案になるもののやうだ。

コンテストの狙ひを訊かれて、氏は始めに次のやうに答へる。以下、引用も傳統的表記に從ふ。

ここに常用漢字の成り立ちを分かりやすく解説した『常用字解』(平凡社)があります。この冒頭で白川博士は次のやうに書かれてゐます。

戰後のわが國の國語教育政策は、漢字の字數とその音訓の用法を制限するといふ、誤った方向をもって出發した。わづかに千八百五十字の漢字と、その限られた音訓とによって、國民のことばの生活をすべて規制しかねないものであり、それが直ちに傳統的な文化との斷絶に連なるものであることは、容易に豫想することができたはずである。(中略)古典は輕視され、文化の傳統の上にも大きな障害があらはれてきてゐる。古典語で詠まれる短歌が、おほむね現代假名遣で表記されるといふやうな事態が日常化してゐるのである。殊にわが國のやうに、歴史も古く、多くのすぐれた古典を持つ民族にとって、その理解が失はれ、受容の機會が狹められてゐるといふことは、わが國の文化の繼承の上からも、容易ならぬ事態といふべきだらう

ここはその通りだと思ふ。しかし問題は漢字だけのことではなかったのだ。このところが實際は制限假名字母で表記されてゐること、そこに限界があったのかもしれない。續けて氏の辯。

白川先生は、戰後の當用漢字の制定をはじめとした政府の國語政策を批判され、漢字の本來の姿の尊重を主張してこられました。特に新字體の採用によって、當用漢字だけの知識では古典をまともに讀めなくなってしまひました。さらに漢字そのものの成り立ちも分からなくなってしまった。かうした状況の中で、私たちがなすべきことは、漢字が本來持ってゐる生命力の豐かさをいま一度、國民のみなさんに實感してもらふことではないかと考へました。

漢字能力檢定と「創作漢字コンテスト」との違ひを訊かれて、氏は次のやうに續ける。

漢檢のやうな單に知識の多寡を問ふ受け身のものではないといふ點です。漢字のすぐれた表現力を感じ取りながら、將來、字書に收録されうるやうなアイデア豐かな漢字を創作していただきたい。

氏の熱意は理解できる。しかし未だ漢字を正しく教はってない子供に、傳統によって確立し、傳統を繋ぐ紐帶である漢字と自分たちで新たに作ったものとをひとしなみに見ることを教へてどうするといふのだ。

米國人に漢字を教へたところ、犬に「連火(レングヮ)」(「熱」の脚、火の燃えてゐる樣。「列火(レックヮ)」とも言ふ。)を附けて hotdog だとしたといふ話を聞いたことがある。漢字を部首(部の第一の字)や偏旁冠脚(漢字の部品)から説明すれば、かういふ當意即妙の思ひつきは出てくるかもしれない。それは教室の中の、或は仲間うちの遊びのはなし。

漢字は形だけではない。音(名)も義(意味)もともに歴史を閲してきてゐるのだ。思ひつきのものが字書に收録される、或は誰かが記録に殘すことになれば言語空間の汚染といふべきだらう。

ことのついでに言ふが、最近の電車はモニター畫面で漢字やローマ字を切替へて案内する。ハングルにも切り替はる。先日、府中驛の表示が變だといふ氣がして注意してゐたら調布驛も母音の數が足りない。鐵道會社に問合はせると、韓國の「外來語表記法(文教部告示第八十五│十一號(昭和六十一年一月七日))」における「日本語のかなとハングル對照表」に基づいて變換してゐるとのこと。

教へられたURLでみると表記細則に「長母音はべつに表記しない」となってゐた。翻字式ではなかったのだ。府中はフチュ、調布はチョフ、ひょっとしたら東京はトキョなのかもしれない。

ローマ字に重ねてハングル表記を行ふことの無氣味さを別にして言ふが、朝鮮語を母語とする人にとって全く無益ではないだらうくらいに考へてゐた。ところが實際は間違った發音を教へてゐたのだ。

表音主義者の引いたレールで、表音主義的表記が破綻してゐるわけだ。其のレールの上で傳統を復活することが容易でないのは當然。

常用漢字表に登録する漢字が増え、指導要領に古典教育のことが取り上げられ、文字・活字文化の日(十月二十七日)が制定されるかと思へば、東京世田谷區や新潟新發田市のやうに教育特區で國語教育に取組むところもあって、傳統復活への動きは殷賑を極めてゐるやうに見えるかもしれない。

しかし、國語教育と言はず、日本語教育と言ひ、コミュニケーションを標榜するあたり、意圖に反した結果に繋がるやうに思はれることは加地氏の場合だけではない。

玉を改むれば行を改むといふ。ここは一番おほもとを斷って、漢字及び假名字母の制限を撤廢すべきなのだ。

この熟語は最近知った。念のため簡野道明『故事成語大辭典』の解説を掲げる。

玉は佩玉なり、行は行歩なり、佩玉は行歩を節する者にて尊卑に由り遲速の度を異にす、故に佩玉を易ふれば歩調を亦改めざるべからず、以て法を變ずれば事も亦革まるに喩ふ

ウィキペディアの石帶の項に佩玉のことが出てゐるが、歩調のことは書いてない。

「頂門の一針」1836(22.3.3)

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ansinshite

安心して辭書や字典を使ふことができない

大西洋クロマグロの國際取引禁止といふことが話題になってゐる。濫獲が根本原因。この濫獲を亂獲と表記することが我國の漁業が惡と看做される原因の一つだとする議論がある。(眞道重明氏のサイトの「水産雜記(三)」)

林繁一といふ方のコメントに旺文社の『漢和辭典』と岩波書店の『廣辭苑』では「亂獲」と「濫獲」が同じ言葉として扱はれてゐるとあった。

漢字制限のために同音による書換へが行なはれた。出版社は勞組が強かった。權力の介入に敏感なはずのところの辭書や字典が役所の指示に唯々諾々と從ふ。いや、戰後の文部行政を領導したのは辭書の編者であった。そのことが關係するのかも知れない。

出版社に入って最初に擔當したものに超小型の英和和英辭典の改訂がある。和英はローマ字引。「杜撰」をヅザンと讀むことは高校のときに西尾といふ廣島高等師範出身の先生に教はってゐたので zuzan のところにあるのは納得できたけれど、當時はすでにヅサンと讀む人が多く、zusan のところへ移すべきか惱んだことを覺えてゐる。

ローマ字では清濁で位置が大きく變る。だから見出しを清濁の二箇所に立てて、どちらでも見落すことがないやうにした方がよい。この點、假名引きであれば清濁どちらでも位置は變らないから、一ヶ所だけで濟む。

では假名引きなら問題はないかといふと、四假名(ヂジヅズ)の場合が困る。「難」はムヅカシイかムズカシイか、「絆」はキヅナかキズナか、「直談判」はヂカダンパンかジカダンパンか、「地震」はヂシンかジシンか、「地圖」はチヅかチズか。

かういふのを二ヶ所に立てて行けば頁が無駄、全部サ行音にまとめてしまへば一ヶ所ですむ。ズザン、ヅサンはズザンの位置で立項して、正しい表記を示すのが一番便利ではなからうか。辭書で頁數に苦しめば誰でも思ひつく方法だ。

だから、四假名は發音からすればダ行音であったのに、さういふこととは無關係に、配列上若い方のザ行音のところに置かれることになったのではないか。そして、音が基本であれば正しい表記といふのはないのだからと、見出しをそのまま標準としたのが戰後の表記改革だったと思はれる。

といふのも、もしダ行音かザ行音かをまともに檢討してゐれば ji をジにあてることなどできなかっただらうし、ヘボンが最初、ヅズともに dz としてゐたことの意味も考へたに違ひないからだ。

しかしヂヅを無用とする假名字母の制限は今では漢和辭典にも及んで、字音のヂヅまでザ行になってしまった。地圖を文部省式でチズとするのは「圖」の音がもともとヅであって、元來のツが連濁の結果ヅになったわけでないからだが、そのことを確かめることも出來ない。

「頂門の一針」二十二年二月十二日號で「おとづれる」といふ語の用法を問題にして、英語の come のやうなもののはずと書いたけれど、これは「おとずれる」と書かなくてはならないらしい。戰前の用法を知る術を失ったわけだから、go の意味で使ふ人がでてくるのは仕方がない。

最近、驛名表示のことからハングルで假名をどのやうに轉寫するかを知った。四假名はいはばタ行音にとるのだ。

これは盲點であった。オトヅレとオトズレと同じやうに聞えるとしても、濁點を落としてみれば、オトツレとオトスレとのどちらの響きが似てゐるか。朝鮮語の人がタ行音にとるのはもっともだといふ氣がする。

表音といふことからすれば、ダ行音を原則として、例外的にジズを認めるべきだった。しかし、とにかくこれは形式の問題。意味の記述に關係するとは思ひもしなかった。

同じやうなことが漢字制限でもあったのだ。冒頭に擧げた例は漢字熟語の場合。しかし、「頂門の一針」1819號で「聞く」といふ語に訊ねるといふ意味があるものかと書いたのは和語の問題だったからだが、調べてみると市販の辭書は、この意味を記載したものばかり。

「聞」は、「聽けども聞えず」のやうに對比的に用ゐて意味が明解。これに「訊く」の意味を記載することは編集者にとって苦痛だったらう。意味記述まで役所の支配下にあるのでは安心して辭書や字典を使ふことができない。

假名の成立のときに清濁の書分けが行はれなくなったのは語の認定が容易になったからだと書いたが、ハングルを介してタ行サ行が入かはることをみれば國語の本質は變ってゐないわけだ。戰後の國語行政を前提に立返って見直す必要があらう。

1841(22.3.8)

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kokugo_onintaikei

國語音韻體系に變化はあったのか

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日本語腦

『日本邊境論』(内田樹著、新潮新書)が新書大賞、千五百册の中からトップの賣り上げを得たと言ひますから、なんとも大變なものだと北郷山人のサイトの月譚「遠景」10/03/10にある。

授賞式のスピーチを開いてみた。養老孟司先生の話として、失讀症が日本人では漢字と假名と分かれて現れることからして、我々の腦内處理は併行して行なはれてゐるといふところがあった。これは初耳。

「頂門の一針」平成二十一年七月八日號「發音論考察若干」で「我々の腦中のありやうは決して音が主で表記が從だとばかりは言ふわけにはいかない。」と書いたけれど、これは腦の專門家の知見に照らしても的外れではなかったことになる。いやそもそも音と訓が別々に格納されてゐるのではないかといふ感じは昔からあって、ウィキペディアの表記を巡る議論に次のやうに書込んだことがある。(平成十九年)

最近、腦についての研究者が表記について言及することがあるらしい。昔から漢字の後に假名があれば、訓といふファイルから候補を選ぶし、漢字が竝んでゐれば音といふファイルから候補を選ぶといふやうな、つまり、音と訓は腦内の格納場所が異なるといふ感じを持ってゐた。研究が進めば交ぜ書きを前提とする義務教育表記の不合理なことが一層はっきりすると思ふ。

 

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上代特殊假名遣

[(イ)山口説]

同じ月譚「遠景」に山口謳司氏の著作が二點取り上げられてゐる。その一つ『日本語の奇跡』(平成十九年七月新潮社)を讀んでみた。興味をもったのは上代特殊假名遣についての箇所。

上代特殊假名遣とは萬葉假名の漢字の遣ひわけから、上代の國語音韻は八母音であったとする説。橋本進吉博士が獨自に發見、その後、すでに江戸時代に石塚龍麿がこの問題に氣づいてゐたことを知ったことは有名。

上代特殊假名遣の説に從へば國語は八母音から五母音に變化したことになる。母音體系が變化する程の如何なる大事件があったとするのか、その説明を聞いたことがないが、とにかくこれは國語學會の定説。音韻に對應してゐない假名字母の消滅が過去にあったとするわけだから、戰後の表記改革の免罪符だったと思ふ。

もし、音韻體系の變化がなかったといふことになれば國語學者や文部省の役人にとっては大事件だ。

[(ロ)藤井説]

實は藤井游惟著『白村江敗戰と上代特殊假名遣い―「日本」を生んだ白村江敗戰 その言語學的證據』(平成十九年)も同じ説。藤井さんの説を始めて聽いたのは平成十六年七月十七日。まだ北區西ヶ丘にあった國立國語研究所の一室でのこと。

朝鮮からのボートピープルが大量に書記官に採用されただらう。朝鮮語は恐らく當時も八母音體系であったはずだ。朝鮮人の耳で日本語を聞いたから、異音を聞き分けてしまった。しかし、日本語音韻體系が身につくと、同一音韻として聞へるやうになった。だから表記にぶれがあったのであって、音韻變化があったわけではないとする。

朝鮮語は清濁を區別しない。萬葉假名は清濁を書分けてゐたが假名の成立で書分けが消滅したことは朝鮮系書記官説では説明が難しいのではないかと質問したことを覺えてゐる。

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子音の場合

最近ハングルと假名との變換表をみる機會があり、氣づいたことを或るブログに書込んだところ、日本語のサ行は古くはツァ・ツィ・ツ・ツェ・ツォだったとされるが關係ないかとのコメントを受けた。これも初耳だった

サ行がさうであったとする時期のタ行が如何なる音であったとされるのか知らないが、他の行はいざ知らず、もしサ行だけの問題だとするなら、そんなことは考へにくい。

何故なら、音韻は他との區別の體系だから、ツァ・ツィ・ツ・ツェ・ツォではタ行に接近しすぎるし、とくに s より發音しやすい音でもないから、せいぜいが、さういふ發音をする人もあったかもしれないといふ程度だらう。

しかし、何故ツァ・ツィ・ツ・ツェ・ツォだったとされるのだらうか。上代特殊假名遣は母音の問題。しかし、異音は子音にも現れてゐたはずだ。

異音とは當該言語話者にとって同一の音(音韻とか音素とかいふ)とされるものも音聲としてはある幅があるのであって、その出現する條件が異なるのであれば(相補的分布をなせば)、それは同一音とされる。しかし別の言語話者は違ふ音として聞く場合があり得るわけだ。

英語の猫 cat 發音記號では [kæt] となる。これをキャットと寫すのだから、これは母音 æ の問題だと思ふだらう。だから地圖 map [mæp] をミャップとする人は多い。しかし、これは母音 k を音素表記したためで、實は子音の問題。ベルリン工科大學教授ベイリー博士からの書簡に [cæt] とあることでその事を知った。k の異音表記に出逢ったのはその一度きり。

hanguru

ハングル

ローマ字で轉寫して示すことにする。

朝鮮語のローマ字表記にはマッキューンライシャワー方式(MR式)といふのが普及してゐたとのことだが今世紀に入って韓國では改訂ローマ字方式(RR式、Revised Romanization)にしたとある。MR式では二種類の o や u を示すのに非圓心母音の方にブリーヴを冠して區別するが、RR式ではeo eu のやうにする。アクセント符の廢止はインターネット時代に對應してのものとみてよい。

また平音と激音(帶氣音)とをMR式では、t と t' のごとく區別するが、RR式では d t で區別する。

朝鮮語には清濁の區別がない。そのことを辨へないと d は濁音のやうに思ふ人が多いだらう。濃音は子音字を重ねる。

s は平音激音の別がないのでMR式でもRR式でも同じであるが、MR式のイ段は shi とすることが韓國では行なはれてゐたとのこと。

ハングル假名變換表でサ行ザ行タ行ダ行をみると次のやうになる。なほ、ウ段の母音はサ行タ行の場合に限って非圓心母音(ハングルで下部の横線、RR式なら eu)であるが、便宜 u と區別しないことにする。一行めに假名、二行めにMR式、三行めにRR式を掲げる。

sa shi su se so
sa si su se so
cha chi chu che cho
ja ji ju je jo
ta chi ssu te to
da ji ssu de do
ta chi chu te to
da ji ju de do

 

owarini1

をはりに

ツの ss s の濃音。朝鮮語入門書によれば濃音とは喉を緊張させ、息を止めるやうにして出すもの。ウ段のタ行音をみればサ行音に近く、ザ行音をみればダ行音に近い。稗田阿禮の役柄の人の發話は緊張をともなったはずだから、書記が朝鮮人の耳であればタ行のウ段のやうに聞へた可能性は高い。

清濁の書分けの消滅といふ、朝鮮人書記官説にとって不利な事情は語の認定といふことから説明できる(1815號「ハハが老いてババ、チチが老いてヂヂ」參照)。もしサ行音が ts であったとする主張が、當時の漢字音に基づくものならば朝鮮人書記官の可能性は一段と高くならう。

これまで、戰後の國語行政は明治期のローマ字論を前提にしたのが間違ひと書いてきたが、そもそも上代に變化があったといふこと自體が間違ってゐたのかもしれない。

以上、文部當局に見えてゐなかったと思ふことを二點擧げた。

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kotenkuriseisaku

古典隔離政策を排す

卒業式で「あふげば尊し」が歌はれなくなった。これは古典隔離政策の一環であり、またその結果であると思ふ。

忘却散人ブログ(二月二十七日)に水鳥莊といふ先生から教はったこととして、岩波の新日本古典文學大系の明治編、「教科書 啓蒙文集」に「いまこそわかれめ」に「別離の時、進路の分かれ目」と注があるとあった。

これは非常に怖いことだ。我々の頃は、古文で係り結びを習ふときにこの箇所のことを聞いた。どこでもさうだったのではあるまいか。つまり學生の常識であったはずだ。

これは勿論、注釋を書いた國語學者の問題ではあるだらうけれど、別格とされたI社の編集者も氣づかなかったのだから、國民全體が劣化したといふよりない。

福田恆存は『私の國語教室』第六章第四節で表音主義者の主張を次の五ヶ條にまとめてゐる。

(一)日本の近代化が遲れたのは漢字が難しく、知的特權階級を除いて、一般大衆が讀み書きに習熟しえなかったためである。

(二)漢字は封建時代に支配階級が自分の權威を誇示し、大衆を政治から遠ざけるために利用されてきた。

(三)言葉も文字も、人間の意思を傳達理解するための道具であるがゆゑに、專ら傳達と理解といふことを目やすに改良されなければならない。

(四)まづ考へなければならぬのは能率である。「すばらしい働きをする」事務機械、すなはちタイプライター、テレタイプ、電子計算機、穴あけカードなどによる事務のオートメーション的處理によらねば、「國際的な競爭」に勝てるものではない。それには表音文字の採用が必要である。

(五)しかし、それは古典の破壞を意味しない。專門家や知識階級は文化の「頂點」に位するものであり、その「底邊」には一般大衆がゐる。目的はこの「底邊」を擴大することによって、「頂點」を安定させることにある。古典の言葉および文字はそのまま「頂點」に置いて保存し、新聞や日常用語は「底邊」を這はせて簡易化するのが理想である。

底邊のないところに頂點がないこと、これが無殘にも證明されたといふべきだらう。

丁度、同世代の著者、和田正美氏の『文明批評の系譜』を讀んで、明治期における「立身出世」といふ言葉が我々にとっては理解の難しいものであることを納得したところであった。水島氏は新日本古典文學大系が「身を立て名をあげ」に「立身出世すること」と注してゐること自體を間違ひだとする。孝經に基づくものなのださうだ。

孝經で探すと次の箇所だ。

身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝至始也。

身體髮膚これを父母に受く。敢て毀傷せざるは孝の始めなり

立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。

身を立て道を行なひ名を後世に揚げ以って父母を顯はすは孝の終りなり。

前半は字も書けない時分に父から何度も聽いた。子供を持てば、言い聞かせたくなる言葉だ。

問題の後半は「名を揚げ」といふ箇所しか覺えてなかった。とにかく、徹頭徹尾、孝のことなのだ。この文脈で眺めると、「立身」が自立する一人前になるといふ意味だと見えて來る。

和田正美を讀んで鴎外の『舞姫』をみたくなり最寄りの圖書館(分館)に行ってみたけれど置いてなかった。M市に住んでゐたころ、鴎外の文で確かめたいことがあって、市の圖書館に行ってみたが開架に鴎外全集はなく、卷を指定して地階の倉庫から出してきて欲しいと頼んだところ、整理が惡くて出せないと斷られたことがあったことを思ひ出した。

私は田舍育ち。本のある家は少なく、圖書館らしいものもなかった。あの當時、古典が身近にあったらどんなによかったかといふ思ひが強い。和田はポツダム宣言に違反して行なはれた占領下の檢閲を問題にする。表音主義者による古典の隔離は占領下の檢閲が自己檢閲と姿を變へて生きつづけてゐるやうなものだ。

強風の被害が春日大社の石燈籠に及んだといふニュースをアナウンサーはトウロウと清音で讀み上げた。このやうな結果になるとは表音主義者も考へてゐなかったのではあるまいか。

1859(22.3.23 夕刊)

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genchion_katakana

現地音カタカナ表記は勘辨してくれ

[はじめに]

現地音カタカナ表記について考へてみたい。長くなるので適宜見出しを立てた。なほ表記は引用の際も好みに從ふ。

最近のものから例を擧げると「頂門の一針」四月四日 の古澤襄氏の記事「韓國メデイアに踊る金正日訪中説」には次のやうな人名が出てくる。

金正日(キム・ジョンイル)總書記

金永南(キム・ヨンナム)最高人民會議常任委員長

金桂寛(キム・ゲグァン)外務次官

金正雲(キム・ジョンウン)

これらに漢字がなかったらどうだらう。ジョンウンは漢字が當ててなかったので「金正日」と「後繼者」の二つを鍵に檢索して得た表記。最初は新字體で檢索して得るところがなかったので鍵を正字に變換して得た結果である。

古澤氏がこれを當てられなかったことからすると、正雲ではない可能性があるのかもしれない。

實は、昨日(四月三日)の早朝、ラヂオを附けてゐたらキンシジュンといふ人のインタビューがあった。韓國の詩人とのこと。聞き手が名前を現地音で言ふので解りにくいことおびただしい。聞き手がフッカンドンといふとキンシジュンさんがキタカントウと日本式に言ひ直してくれる、さういふところだけが音としてわかる。要するに漢字語を外國の字音でいふのが無理なのだ。

抗日運動に殉じた朝鮮の詩人ヨンドンジュとその從兄弟ソンモンギュといふのも後で調べて、さう言ったはずと思ふだけで、ソンモンギュだったかソンギュムンだったか寢ぼけながらもメモをとらうと用意したときにはもう記憶が定かでない。

後で調べてみると金時鐘、尹東柱、宋夢奎だから日本式の字音ならキンジショウ、イントウチュ、ソウムケイとなるところだ(イントウチュはイントウチュウと讀む人もあるかも知れない)。もちろん字音だけでは駄目だから昔だったら漢字を説明しただらうと思ふ。何故さうしないのだらう。

後で調べるにもカタカナだけでは何もでてきはしない。結局、韓國の詩人の一覽から選んで金時鐘を知ったのだった。

[何が問題か]

昨日の日經夕刊に高校生に裁判員裁判の判決文を採點させたとの記事があった。

法教育の一環として、京都の高校生が裁判員裁判の判決文を採點し たところ、「一度聞いただけでは頭に入ってこない」などと嚴しい 判決が言ひ渡された。平易になったと考へてゐた司法關係者からは 「市民感覺とのずれに氣づかされた」と反省の辯も聞かれた。

二月に京都教育大附屬高校(京都市伏見區)であった法教育の公開 授業。

(中略)

「一度聞いただけではすっと頭に入ってこない」「同人と同日とい ふ言葉は耳で聞くと混亂する」などの意見が出た。

授業を擔當した國語科の札埜和男教諭は「判決文は格調の高さはあるが、高い讀解力が必要。裁判員裁判が始る前に比べ改善されたとしても、市民にとってのわかりやすさにはほど遠い」と指摘。授業 に參加した福岡高裁の森野俊彦裁判官は「相當分かりやすくなって きたと思ってゐたので(生徒らの)判決はショック」と苦笑ひした。

高校生が解らうが解るまいが關係ないだらうと思ふが、もし判る必要のあるものなら高校生が努力して解るやうにならなければならない。判決文の方を變へろといふのは逆立ちであり教育の放棄だ。

しかし、外國の字音を持込むのは問題の性質が違ふ。市民にとって判りやすくするのでなく判りにくくすることだからいふのではない。アメリカ人に對して Jesus をイェススと發音しろと注文するやうな理不盡なことなのだ。

以前、明木茂夫『オタク的中國學入門』のカタカナ現地音表記批判を紹介したことがある。(平成二十年五月七日號「缺損五十音圖の復元を(六)」參照)

その明木さんから中京大學『國際教養學部論叢』の拔刷『地圖帳の怪(四)』 が屆いた。同封の小册子『オタク的翻譯論││日本漫畫の中國語譯に見る翻譯の面白さ』卷六の序文が判りやすい。

實はこの卷六は、夏休みの内に書き上げる豫定だった。ところがこのところ他の仕事に追はれてすっかりおそくなってしまった。で、何をやってゐたかと言ふと、「地圖帳論」だったのである。

學校の社會科の教科書や地圖帳の中國地名が、中國語發音に基づい たカタカナで表記されてゐることに皆さんお氣づきだらうか。「チョンチン」だの「チョンチョウ」だの「チョンツー」だの「チンチョウ」だの、もうカタカナばかりなのである。

これでは、我々中國語の教師でもどこのことだか分からない。語學 的な誤りも多い。さらに「ワンリー長城」だの「ター運河」だのといふ獨特の書き方は、間拔け以外の何物でもない。

入試や採用試驗など、いろいろな試驗でもカタカナで出題されるや うになってゐるやうだし、最近の中學生は漢字なしのカタカナのみで覚えさせられてゐるらしい。うわ、こんなの覺えろってのか…。

で、誰がこんなことをはじめたのだらうと、文部省關係の文獻をいろいろ調べてゐたら、どうもこのカタカナ現地音表記を作った人たちが、當初からかなり變なことを言ってゐるのが分かってきた。

中國の地名に限らず、「地名表記の手引き」關係の文獻にはをかしなことがたくさん書いてある。例へば、「原語が『Ye』となってゐたら一律『エ』と書く」といふ原則を決めておいて、「だから『イェルサレム』ではなく『エルサレム』と書く」と言ふ。なるほど、それはよしとしよう。

ところがその後、「よって『イェロー』は今後『エロー』と書く」と堂々とおっしゃってゐるのである。は?エローって…。そればかりか「ゆゑに『Yemen』は『エメン』と書くことになるが、慣用として熟してゐるので『イエメン』と書くことにする」などとひとり相撲まで演じてゐるのである。

他にも、「『紅海』は『レッド海』ではなく慣用により『紅海』とする」とも述べてゐる。おいおい、誰が「レッド海」にしようなんて言ってるんだよ。それから「『Jo』は『ジョ』だが、『ジョルダン』ではなく慣用により『ヨルダン』にする」ともおっしゃる。あの 、「ジョ」といふのは英語式の讀みなのでは?「ヨルダン」を「ヨルダン」と書くのにそんな理屈は要らないと思ふぞ。

私の本來の專門は中國古典なのだが、このところ副次的なテーマとして、「漫畫翻譯論」と「地圖帳論」とを竝行してやってゐる。漫畫の翻譯論はやってゐてとても樂しい。

ところが地圖帳の方は、社會的な影響の大きさを考へるととても笑ってゐられない。ツッコミどころ滿載の地圖帳關聯文獻を精讀してゐると、殘念ながら、地圖帳のカタカナ表記を作った人たちの中には、本稿で採り上げてゐる漫畫の翻譯家たちの知的レベルには遠く及ばない人たちが交じってゐたと感じずにはゐられない。

もし地圖帳のカタカナ問題にご興味がおありならば、拙稿「地圖帳の怪一 四」(中京大學『國際教養學部論叢』及び『文化科學研究』所收)をご覽いただければさいはひである。

戰後の國語行政がこんな結果になってゐることは恐らく文部當局も御存知ないのではあるまいか。國聯地名會議やその專門家會議 (UnitedNations Group of Experts on Geographical Names = UNGEGN) に出席するのは國土地理院や外務省國際協力局專門機關課の人たちであって、文部科學省は我不關焉らしい。

[關聯する問題]

「頂門の一針」四月二日號の毛馬一三氏の記事によれば、四條畷の戰で有名な四條畷市では傳統的な地名を繼承すべきだと一貫して「條」の字を使ってきたが、警察や府立高校、國道の道路標識、そしてJR驛などでは新字體であったので、大阪府に要請し、市條例を制定。その結果、それまで新字體を使ってきた警察署、保健所、國道標識、公立高校など民間も含め公的機關のほとんどが、「條」に改めたといふから大したものだ。

JR片町線の驛名だけは新字體だといふが、JR全體としてみても三鷹や鹿兒島など表外字を使はざるを得ない以上、字體は正字體で通すしかないと覺悟すべきだらう。電子化時代を見通せば、檢索の效率からしてその方が有利なのだ。

昨日讀んだ金谷武洋『主語を抹殺した男││評傳三上章』に戰後の國語施策をめぐる福田恆存と金田一京助の論爭に觸れたところがあった。

結果としては福田が正しかった、と金田一は讓歩し、自分たちの非を認めた。敗北を認め、相手を勝者と褒め稱へることは何ら恥ではない。誤りと知りつつそれを認めない虚榮心が恥なのだ。舊制浦和 高校時代の同級生であった福田との論爭を振り返って、父子二代の敗北を認め「參ったと頭を下げざるを得ない」と書いた金田一春彦 は君子であった。

誤りと知ったのなら、なぜ傳統的表記に復さなかったのか、また、なぜ傳統的表記に復すように文部省を説得しなかったのだらうか。著者金谷氏はモントリオール大學東アジア研究所日本語科科長。

森有正『日本語教科書』(昭和四十七年、大修館)で、外國人には舊假名の方が教へ易いと讀んだ覺えがあるが、萩野貞樹『舊かなづかひで書く日本語』(平成十九年、幻冬舍新書)ではギリシャ美術史の澤柳大五郎氏から聞いたこととして外國人は歴史的假名遣ひの方がはるかによくわかるといふ話が出てくる。金谷氏の本が傳統的表記になることを期待したい。

[附記]

始め「頂門一針」二十二年四月六日號に掲載。同日「(有)ネットメディアおおさか」のサイトの「百家爭鳴」に掲載のものは少し加筆して再度投函のもの。本稿は後者に從ふ。

1873(22.4.6)

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omahangawarui

おまはんが惡いのぢゃ

[最高裁判決]

四月九日の報道によれば、

玻といふ漢字を子どもの名前につけた兩親が、出生屆を不受理とした名古屋市の決定を不服とした審判で、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は八日までに、兩親の抗告を棄却する決定をした。

兩親は平成二十年に生れた次女に玻南と命名したが、戸籍法は「子の名には常用平易な文字を用ゐなければならない」と規定。同法の認める漢字でなかったため、市は出生屆を受理しなかった。

兩親はワープロ入力でも表示されるものなどとして不服申し立てしたが、名古屋家裁は却下。名古屋高裁も「日常的に接する報道や書物等で、廣く國民に知られてゐると認められない」として退けてゐた。(西暦は年號に換算。傳統的表記に直しての引用)

とのこと。報道や出版は概ね文部省式の制限字母表記を行ってゐるのだから、この場合の不服申し立てを退ける理由としては論點先取といふか、循環論法ではないか。

昨年十月十八日號の「人名漢字變遷の目まぐるしさ」で書いたことだけれど平成十六年の場合、二月二十三日に一字を追加。六月七日に更に一字の追加。七月十二日に三字を追加。九月二十七日には「漢字の表」に四百八十八字を追加するとともに、「人名用漢字許容字體表」の二百五字を「漢字の表」に統合したとある。

役所の都合で漢字表が變更され、結果、いつ生れたかによって命名できたりできなかったりすること、そのことが問題だったはずだ。しかし最高裁の判事はこの問題の議論を避けてしまった。制限字母といふ空氣の中で生活してゐると、そのことを客觀的にみることは難しい。

漢字は字形の問題だけではないのだから、漢字さへ役所のいふ通りにすれば名前が判りやすいものになるといふのは勘違ひ。漢字教育を輕んじたために、變った表記の人名が増えた。以下の例は或る小學校の先生からきいた難讀例。瑛里樹(エリナ)、秋波(アキハ)、彩味(アミ)、若佳菜(ワカナ)、萬櫻(マオ)。

どこの局だったかまでメモしてないが、平成十九年十二月二十二日のテレビでみた名前には麻亞、不思議、香菜、眞咲や在波、紅多、紅甘、出誕といふがある。兄弟姉妹の名前。續けて讀めば、「まあ不思議かなまさか」と「アルファベータガンマデルタ」となる。

「子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ」といふサイトまである。古いのは書庫に格納されてゐて專用のソフトでないと讀むことができないが、最新のところに出てゐる名前には美櫻(みゆ)、花微(はなび)、麗愛(れいあ)、歌艶(かえん)、光紗(みすず)、巴鈴(ぱりん)、日翔(はると)、歩智(ほと)、琴月(ことみ)、楓戰(えでん)、朝郎(ともろう)、花戀(えりーな)、百合空(ゆりあ)、遥優(よう)、壽二(じゅじゅ)、莉彩(りさら)、風舞羽(ふわり)、希果(ののは)、叶愛(らむあ)、眞純(ぴゅあ)などがある。

それだけではない、子供を憎んで附けたとしか考へられないやうな、口にするのもはばかられるやうなものまである。まさに子供が可哀想だ。

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sintou_tatiagare

新黨「たちあがれ日本」

平沼赳夫元經濟産業相、與謝野馨元財務相らが新黨「たちあがれ日本」を結成した。その記者會見には、兩氏と園田博之前自民黨幹事長代理、藤井孝男元運輸相、中川義雄元内閣府副大臣の國會議員五人と、應援團長を自任する石原愼太郎・東京都知事が出席。石原さんの發言に次のやうなところがある。

年寄りだよ。私たちはまさに年寄りだよ。年寄りがかうせざるを得ないやうに誰がしたんだい。年寄りばかりだといふのは簡單だよ。諸君、三十代、四十代、五十代の中に、我々と同じくらいこの國を憂へてゐる人間がどれだけゐるんだよ。

翌日の月曜日の「頂門の一針」に掲載の「宮崎正弘の國際ニュース・早讀み」平成二十二年四月十一日(日曜日)の讀者の聲五は新黨に期待することとして占領期の諸施策(東京裁判史觀、憲法、教育基本法、など)の改定や脱却、また、村山談話や河野談話の破棄、三原則の見直しなどを擧げてゐるが、占領期の諸施策の一つとして表記改革が拔けてゐる。

『アメリカ教育使節團報告書』(講談社學術文庫)をみると占領政策としてローマ字化があったがこれは行なはれなかった。しかし、ローマ字化に備へたとしか思はれない漢字制限、假名字母制限の結果、戰前のものは讀めずともよいといふ風潮が教育界を覆ひ、傳統の斷絶が生じたわけだ。問題はかへって判りにくくなったしまった。

擴張ヘボン式でいろいろ轉寫を試みたものが眞道重明さんのサイトの閑人妄語(四)にある「懷かしい唄(二)」、卷頭は鐵幹の「人を戀ふる歌」だ。

明治三十年八月京城に於ての作。閔妃暗殺事件の二年後。日本人の關係が疑はれたこともあり、鐵幹も裁判を受けてゐる。詩人鐵幹は國士であったのだ。その孫が制限漢字のために姓を正しく書くことができない。

詩人や作家は國語改良みたいなものに本能的に反撥するものだと思ってゐたけれど、我國の場合は字母制限に與する作家が少なくなかった。辭書出版社にゐて表記改革側の恩惠に與った身として言ふのははばかられるけれど、都知事の發言に對しては「おまはんが惡いのぢゃ」といひたい氣持を禁ずることが出來ない。

「みんなの黨」の渡邊喜美氏の感想、テレビの字幕でアジェンダとあったけれど第二音節の頭音は強い d であった。これをアヂェンダと表記できないことがどれほど教育を阻害してゐることか。そのことに氣づいて欲しい。

國語問題はきはめて重大。作家や詩人の家系の人がゐることに大いに期待する次第。

1883(22.4.14)

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kokugoniokeru

國語における倒錯の數々

鳩山さんは發言の意味を忘れるといふか、そもそも意味を解って發言したのか怪しい場合が多い。綸言如汗とか駟不及舌といふのは王侯について言ふ表現。せめて男子の一言金鐵の如しくらいは辨へてゐて欲しい。

かういふ人が上に立てば、下これに從ふ道理で、人と人との約束に重きを置く風潮が薄れてしまふだらう。たとへ法律で決ってゐなくても、相手に何時までと言ったからには、その期限を守らなければ、次々と波及して經濟活動にいいわけがない。

だからこの不景氣は民主黨政權を倒さないかぎりどうしようもない。しかし問題の根っこはもっと深い。

鳩山さんは、なんでもかんでも申上げるといふ。まるで八五郎出世のオッタテマツルのやうだ。ラヂオで緊急雇用對策のニュース、「就職して貰ふために」パソコンの訓練をするのだと言ふ。いや、パソコンの訓練を受けて貰ふと言ったのだったかもしれない。とにかく文脈と無關係に申上げるとか、貰ふとかを亂發する。

天氣豫報で明日は曇と言った後に續けて、未明から晝まで雨といふ。かういふ文脈に依存しない語法は何時から使はれるやうになったのだろうか。

國語を後回しにして英語でのみ文法を教へる。主語を明示すれば敬語のやうに文脈に依存しなくても誤解は生じないと考へるのかもしれない。一刻を爭ふ現場で事故が増えるのは當然だ。

では、國際化時代に對應するやうにはなったのだらうか。

二年前に國語を考へる國會議員懇談會が發足したとき、その趣旨に即して報道したメディアはなかったのではないか。だから外國人が、會長が平沼赳夫といふだけで、すは保守派の時代錯誤的蠢動と捉へたのは無理からぬところがある。

この國語議聯のことでMTC氏のブログを知ったのであるが、ローマ字がヘボン式で、いはゆる長音をマクロンを冠した字母で表してゐたこと、それから姓名の順序を日本式にしてゐることが目についた。麻生太郎は As\={o} Tar\={o} となるわけだ。

昨日(七日)のMTC氏の題は The Imperative Case in Japanese Party Names、要するに「立上がれ日本」を問題にしたものだ。平沼、與謝野のお二人は姓だけ。問題になる音節はない。外に登場する人は石原愼太郎、中川義雄、中川昭一、藤井孝男、中山恭子、中山成彬、鴻池祥肇。

變だと思ふ箇所を假名に轉寫して示せば、愼太郎がシンタロ、昭一がショイチ、恭子がキョコ、鴻池がコノイケ。いはゆる長音であれば藤井も問題のはずであるが、これは Fujii と字母を竝べた表記なので、その點では問題ではない。なほ擴張ヘボン式で歴史的假名遣を轉寫してみれば Fujiwi であって、二つの i が別の音節に屬してゐることが解る。

内閣告示には大文字の場合はアクセントでなく、字母を重ねてもよいとなってゐるが、i の場合も dotless の字母がないとアクセントを冠するわけにいかない。だから i のときに ii とするのはタイプライターに合せた便法であったはずだ。

どうも、姓名の順序を日本式に改めたところ以外は、日本の新聞社の方式をそのまま寫したもののやうでMTC氏らしくない。問合せたら、專門家でない人にも自分のサイトを見つけて欲しい。マクロン附字母を使用すると檢索エンヂンにかかりにくくなるため、その使用を暫時見合せてゐるとのこと。

四月六日號「現地音カタカナ表記は勘辨してくれ」で採り上げたラヂオでは、朝鮮人の詩人と日本人のアナウンサーで日本語式に言ふか、朝鮮語式に言ふかが轉倒してゐたけれど、姓名の順序も外國人が日本式、日本人が歐米式と、ここにも倒錯があると思ふ。しかし、姓名の順序の前に、まづもってローマ字の方式がまちまちなのは經濟活動にとっても大問題のはずだ。

ヘボン式ならマクロンを冠した字母の使用を認めなければなるまい。インターネット時代にアクセント使用の字母は不便だ。だから、その字母の使用をやめるといふのでは安易にすぎる。韓國のやうにアクセント使用のローマ字の方式を改めることが必要なのだ。

方式を考へる場合、字母を竝べても、アクセント附字母を用ゐても發音が同じならどちらでもよいとせず翻字式つまり假名の轉寫にすべきなのだ。その假名に字母制限があることが問題になる。

朝鮮語のチの子音は母音と母音の間もしくは有響子音と母音の間にあるときはヂのやうに實現される。ところがヂは制限假名。冬のソナタの主人公の名前はチュンサン。姓がつくとカン・ジュンサン(字幕もHPもシナリオも)、これでは別人になってしまふと友人の數學者黒田俊郎さんが教へてくれた。

字母制限を撤廢すればイロハを教へることができる。

四月六日號掲載の記事によれば志布志通山保育園の横峯吉文氏は幼兒にはカタカナの方が教へやすいことを發見されたやうだ。

徒然草に

延政門院いときなくおはしましける時、院へ參る人に御ことつてとて申させ給ひける御歌、

ふたつ文字牛の角文字すぐな文字ゆがみ文字とぞ君は覺ゆる

戀しく思ひ參らせ給ふとなり。

といふところがある。

ふたつ文字(こ)、牛の角のやうな文字(い)、まっすぐな文字(し)、ゆがみ文字(く)、そのやうにあなた樣のことが思はれますといふ意味であるが、正しくは「こひしく」、それを「こいしく」と間違ったところが、いときなくおはしますところで、つまりは幼い可愛らしさがでてゐるのだけれど、元來カタカナを先に習ふもので、平假名が難しかったといふことも考へるべきなのだと、小松英雄『徒然草拔書』で讀んだ覺えがある。

戰後、片假名をやめたのは、二とほりも教へるのは無駄だとする事業仕分けに通ずるやうな發想、つまり字母制限主義があったのだと思ふ。しかし實際は子供の繪本は片假名オンパレードだ。そして子供は片假名を教はってないことになってゐる。だから片假名には平假名のルビがついてゐるのだ。

アルファベットを教へる教育玩具といふもの、四歳の孫がみごとにやってみせたので驚いた。買ってもらって數日しか立たない玩具で全部正解する。實に幼兒は天才だと言ひたいけれど、平假名の玩具では何ヶ月經っても身につかなかったのだ。あっと思ったのは、大文字の活字體であること。横峯氏の言ふやうに直線が基本で畫數が少ないのだ。

アルファベットは活字體から入って、筆記體はあと、おまけに大文字も小文字も教へる。假名は平假名から入って、片假名はなかなか教へない。これは倒錯でなく轉倒といふべきかもしれない。

三月二十三日號「古典隔離政策を排す」で圖書館(分館)で鴎外の原文をみることができないと書いたが、本館でもできなかった。別の分館にしかなかったのだ。開架のところにあるのはすべて制限假名字母表記。戦前通りの表記かと思ったものもあったけれど、漢字の振假名が制限假名字母表記だった。

國土地理院の人に訊くとローマ字は陸圖と海圖で異なり、地質圖はまた別らしい。假名がぐらついてゐてはまともな議論ができないわけだから、めいめい蛸壺的に解決を圖ってきたのが實體なのだらう。

問題の根は深い。難しい問題ではあるが、假名字母制限の撤廢を新黨に期待したい。教育に資することはもちろんであるが、景氣刺戟策としても大きいはずだ。

1877(22.4.9夕刊)

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silver_shinto

シルバー新黨に期待する

「立上がれ日本」黨、鈎括弧の附け方が難しい。1884號を見ると平沼新黨と呼ぶ人もあるが與謝野さんのこともあり、さうも呼びにくい。平井さんがシルバー新黨「たちあがれ日本」と書かれた。これに從ふこととする。

みんなの黨といふのもある。これも鈎括弧の附け方が難しい名前の一つだ。その黨首がシルバー新黨について感想を求められて一言アヂェンダと言った。

柳父章氏の言ふ外來語のカセット效果を思ひだした。カセットは寶石箱の意味。聽いた人がめいめいに美しい内容を想像するといふのだ。制度設計拔きの政策でも政治的效果は大きいだらう。シルバー新黨の發表にはさういふものがないのが清々しい。

常用漢字表、當局は定期的に漢字表を見直すと言ってゐたが、今回は碍、玻、鷹などの追加は見送ったとのこと。よかった。これで三鷹市民は大手をふって常用漢字表を無視することができる。「玻」は人名漢字どころではなく常用漢字への追加候補だったのだ。その使用を禁止することを最高裁判所は是とした。もし玻が追加になってゐたらどうするつもりだったのだらう。

一體、裁判官や文部當局は表記を如何なるものと考へてゐるのだらうか。表音といふことからその時代時代で變るべきものだとする前提があるやうに思はれてならない。

眞道さんのサイトの「自傳とESSAY」其の4に「HPBlog の永久保存の問題」と題して、

世界中には膨大な數のホームページやBlogが存在する。それらの開設者の中には何らかの理由で、本人の意に反して、閉鎖せざるを得なくなり、續けられなくなる場合が起こ得る。開設した以上多くの閲覽者に讀んで貰ひたい。どうすれば良いのだらうか?(國會圖書館での保存を期待したい)

との問題提起があるが、表記を定期的にいぢられてはたまったものではない。

「自傳とESSAY」其の4には「外國人の日本語の習得」といふところがある。インドネシア人の介護士の場合、「心筋梗塞」、「膨滿」、「嚥下」、「腫瘍」「脾臓」・・・などの醫學用語について讀み書きが出來ることが前提なのださうだ。手許の辭書では梗塞嚥腫瘍脾臓が表外字。

日本人に表外字だからと使用を禁止しながら、外國人には表外字の讀み書きができないからと不合格にするのはあまりに阿漕ではないだらうか。

漢字が難しいからと厚勞省は難解用語の言換へなどの檢討を始めるとあるが、見當違ひだと思ふ。試驗に通るかどうかが問題ではなく、彼ら彼女らが介護士として役立つかどうかが問題だからだ。

介護の現場で漢字が使はれる以上、漢字は讀めた方がよい。しかしそれはだんだんと覺えるしかないのではないか。音を教へるならルビでなくローマ字の出番だらう。但し、通行のローマ字はヘボン式にしろ訓令式にしろ、日本語を習得してゐることが前提だ。

少しローマ字のことに觸れる。

國土地理院時報 平成十七年第百八集「地名のローマ字表記」によれば、國土地理院長達第三十四號(平成十六年十一月十一日)によって陸圖も海圖も地質圖もこれで統一されることになるやうだが、長音記號は用ゐないとなってゐる。つまり大黒も小黒も oguro と書くわけだ。これでは日本語教育に用ゐることはできない。

基本は日本語が等時拍であって、長音といふものはなく、長さは母音の數に比例するといふことだ。だから 小黒は oguro 大黒は o`oguro のやうな書き方が大事。これを一方を長音だとしてアクセント符號でまとめたのは歐米人にとっての便法ではあっただらうが、まとめた上でアクセント符號を省くのは本末轉倒。なほ o`oguro は大黒の歴史的假名遣を擴張ヘボン式によって轉寫した綴り。

眞道さんのサイトの引用に戻る。

千九百八十年年代初期だったと記憶するが、「國際シルバー・ボランテイア」と言ふ名前だったと思ふが、一連のプロジェクトが實施され始めた。發想は中々良いとは思ふが、企畫した國會議員は頭の中でイメージしただけで、現地經驗は全く無い人らしかった。私はこのプロジェクトで派遣された數名の方々の苦勞を眼前で見たが、言葉の障壁で二進も三進も行かず、食事も口に合はない。

發案した國會議員さんは受け入れる受益國が當然通譯を附けるものと思ってゐたやうだが、受益國側は英語はある程度は喋れると思ってゐる。萬事が食違って、僅か一回か二回で苦難ばかりを殘し引き揚げてしまった。餘りにも杜撰な話だ。上述のインドネシアからの人達の話を聞いてこの經驗を想ひ出した。

蛇足になるが、表音文字に慣れた多くの國の人達には表意文字である漢字には戸惑ふやうだ。漢字の元祖である中國では發音を示すのに註音符號などが考へ出されたが、今では殆ど廢れ、ローマ字によるピンインが使はれる。例えば「中國」は「Zhong1 guo2」と書く。數字は聲調を表す。「漢字假名混じり文」で書かれる日本語では表音文字である「假名」で「にほん」または「ニッポン」などと書くことが出來るし、ローマ字化して「Nihon」、「Nippon」とも書ける。

だから日本語は「表意文字の假名」と「表音文字の漢字」が混じり合って書かれる。考へようによっては不思議な表記法だ。漢字圈でも朝鮮半島では表音文字の「ハングル」で書かれるのが普通だ。また漢字圈のベトナムではローマ字化して居る。しかし最近では漢字を習ふ人が増えてゐるやうだ。

日本語を習得しようとする外國人は、「何故日本語を假名ばかりで、またはローマ字化して書かないのか?」と誰でも思ふらしい。

日本人と結婚した香港の女性、母子手帳の中の記載が正字體であれば、少しは理解できるものをといふことを新聞で讀んだことを思ひ出した。

漢字學習を強要した揚句に國外追放になり、しかも、その學習した漢字の知識が他の國では通用しない字體であることの恨みを當局は考へたことがあるだらうか。

以上、表記の問題がきはめて今日的問題であること訴へたく目に觸れたものを擧げ、併せてローマ字方式の問題を論じた。

1886(22.4.17)

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安以宇衣於と伊呂八

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日中韓賢人會議

日本經濟新聞四月十九日夕刊一面トップの見出しは日中韓賢人會議のこと。二面の關連記事の見出しは李韓國元首相の提言として「IT使ひ交流促進」。

ITとなれば我國のローマ字の方式の拔本的再檢討が必要だ。また日中韓といふことからすれば漢字の字體について戰後始めた國ごとの獨自性、すなはち我國の新字體、中國の簡體字は考へなほすべきだし、輸出製品の説明の字體にも及ぼすべきだらう。

さう考へてゐたら翌二十日の朝刊に日中韓賢人會議閉幕の記事に漢字に觸れたところがあった。紀寶成中國人民大學長と韓國の梨花女子大總長が三ヶ國が共同で使用する必須漢字を五百字程度選び、これを教育に採用すれば、より活發な交流につながると強調し、參加者は贊意を示したのださうだ。

ひょっとしたらまた漢字表をつくることになるのではあるまいか。戰後の文部行政をやめさへすれば濟むものを、逆に文部省の燒け太りといふことになるのかもしれない。

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イロハ順

「頂門の一針」1889號(四月十九日)に主宰者の「色は匂へど散りぬるを」がある。カルタのこと、それに盛られた諺についての文章。最後に次のやうにある。

なるほど古い物を拒否した敗戰後の教育は「いろはかるた」を捨て、内閣はあいうえおを推進してゐては、「ゐ」だの「ゑ」だのが出てくる「いろは」はすたれていくだらう。

廢れさせてはならないと思ふ。第一、アイウエオでは言ひにくい。イロハ順とは言ふが、アイウ順は言ひにくい。我々は五十音順と言った。アイウエオ順といふのを聞いたことがあるが、今はアイウ順といふ人もある。錢湯でさう言はれて何のことか解らず三回聞き直したことがある。

母音連續だから普通に喋ったら解らない。音節ごとに區切ってゆっくり言ふ必要があるのだ。イロハ順とかABC順ではそんなことはない。

辭書の配列が五十音順になってから久しい。もうイロハ順の辭書など考へられない。しかし、イロハ順は廢れなかった。下足札がさうだった。しかし今では錢湯でも數字のところが多い。近くの多摩川住宅はブロックがイロハ順。自轉車で通って知った。これは珍しいのではなからうか。

公團住宅に國旗掲揚のための設備がなく正月に注連縄を張る仕掛けもなく、間取りに床の間がなかったことが戰後の日本を駄目にした一因ではないかと思ふことがあるが、しかしイロハ順の住宅があったのは愉快だ。

勿論、事業仕分け人に言はせれば、床の間は無駄なものだし、五十音順があればイロハは無駄だといふことになるだらう。

ところで、何かを順序立てて述べるとき、多くは一桁どまりで、後はその繰返しだ。だから十進數も生れたのだとおもふ。桁の違ひは言はば階層の違ひ。歐文だと數字にアラビア數字のほかにローマ數字があり、こちらは大文字小文字の別がある。ローマ數字も十進數で一桁どまりが多い。後はアルファベット順と組合せる。これも大文字小文字の二つがあるから階層の區別には便利だ。

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學力テストの形式

我々もこの便法を利用できないわけではない。しかし、まづはイロハであった。今回話題の全國學力テスト、小學校の國語Aの問題をみてみた。内容のことはおく。といふのも、筆者の力では滿點は取れなかったからだ。

さて、設問の穴埋めの穴の名前はカタカナ一字。アイ、アイウ、ア、アイウエ、アイ。つまり、せいぜいが三つどまりだ。

國語Bをみると、アイ、ア、AB、アイウエオとあって五つの場合が出てくる。ABといふやうにアルファベットにしたところもあるが、これは何故さうしたのか解らない。階層の區別のためではないから、問題作成者が異なったためだと思はれる。つまり、五十音順方式は今やアルファベット方式に座を奪はれかねない状況なのだ。

しかし、たかだかア行の五文字で、もしくはイロハニホヘトで足りるやうなものを五十音順といふのは變だらう。それに五十音順といふからにはヰもヱもなければなるまい。これを教へておかないと、古語辭典を引くことができない。

だから錢湯で聞いたやうにアイウ順となるのは仕方がない。これがどんなに言ひにくいか、また聽き取りにくいか試してみて欲しい。

このやうな感覺は文部省の役人にも、國語教育の指導者にも具はってゐるはずだ。しかし彼らは表音主義者特有の事業仕分け人的發想で自分の感覺を押しつぶした。國語における自虐思想だと言ひたい。

民主黨政權のやうな手合を育て、またそのやうな人間を選ぶ國民を育てたのは自民黨政權下の文部行政だ。立ち直るには時間がかかることを覺悟しなければならない。

まづは、片假名先習で伊呂波歌を教へることだ。なほ、標題は「アイウエオとイロハ」を元の漢字で表したもの。アイウエオは平假名の元の字、イロハは片假名の元の字を當てた。イロハは普通には伊呂波と書く。波は平假名の「は」の元の字。伊呂八では、數字の八がすでに片假名のやうなので、語としてのまとまりに缺ける。だから或る意味ちぐはぐな字の組合せが行はれるのだと思ふ。

 

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學力テストの内容

ところが、學力テストの問題は語としてのまとまりのことなどおかまひなしだ。たとへば「開會式の集合時こくにおくれた人」などといふ書き方がある。

最初の書取りの問題にしてからが、「ひさ しぶりに」と分かち書きしてあって、「ひさ」の部分に傍線。これで久といふ漢字を書けといふのだ。どうも漢字を漢字として教へてゐないやうに思はれる。

もし、漢字には音と訓があり、訓が意味のことであると教へてゐれば、久は意味が「ひさしい」であって、「ひさ」なる音に對する記號だなどと刷込むやうなことはしないのではあるまいか。

しかし、どうして單純に書取りの試驗としないのか。目次の場合なら「もくじ」とすれば濟むところを「本の もくじ を見る」とする。まるで語の意味は文脈の函數であるとしてゐるやうだ。

先日、郵便振替による送金を機械でやった。最後に送金者の電話番號を入力するところがある。その畫面に「ハイフンは不要です」とあった。數字だけで入力したら、入力に間違ひがないか確認するところがあり、ハイフン附で入力すればよかったと思った。

念のため、窓口で「ハイフンは不要です」の意味を訊いてみた。すると、不要ですと力を込めていふ。「いや、だからハイフンを入れてもよいのか」と、その質問の意味がなかなか通じない。

ハイフンは入れるべき、もしくは入れてもよいのだけれど、それには及ばないといふ意味のやうに思はれたので確かめたのであるが、入れてはならないといふ意味であった。さうなら、數字だけと書くべきだ。

もともとハイフンや空白を入れるのは讀みやすくするためのはず。ソフトの方で數字だけを拾ふやうにすればよいではないか。だから不要の意味を訊いたのに窓口の男は意味は文脈で決るものと怒氣を含んだ返事をする。

朝鮮を植民地であったといふのは定義上間違ひだと言っても通じないことが多い。植民地といふ語の意味を文脈で見るためではあるまいか。「頂門の一針」1892號(4.21)反響欄、まことさんの「大日本帝國は大韓帝國を併合したのであって、植民地にしたのではない」は「郡守、邑長(町長)、面長(村長)のほとんどが朝鮮人だったので、日本本土から移住した農民は、朝鮮人の郡守と面長の行政の下に置かれてゐた。」と具體的で、明解であった。

 

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をはりに

書取り試驗の形式化をはじめ、今の學校教育では嚴密に語の意味を教へてゐないのではないかと思はれる試驗問題だ。

滿點が取れなかったと書いた問題は、「クラスの團結がかたい」といふときの「かたい」の意味を問ふもの。選擇肢が五つ。

  1. 物に力を加へてもくずれにくくて、じょうぶである。

    (例)ダイヤモンドはかたい。

  2. 思ひや考へがしっかりしてゐて、簡單にはゆるがない。

    (例)わたしの決心はかたい。

  3. 考へ方をその場にうまく合せられない。がんこである。

    (例)頭がかたい。

  4. こはばってゐて、動きになめらかさがない。ぎこちない。

    (例)表情がかたい。

正解は2だといふのだ。どうして1だと考へないのだらう。クラスの團結がかたいといふのは、ばらばらにならないといふ意味の筈。いはば桶の箍がしっかりしてゐるといふやうなもの。決心といふのは、要素に分けられるものではない。

ダイヤモンドは炭素原子が固く結びついた結晶として知られるものだ。ひょっとしたら團結といふことを、文脈から團結心だと思ひ込んだのだらうか。

ほかにも氣になるところがあるが、最後に一つだけ擧げると「解る」といふ言葉がよく出てくることだ。

たとへば、「次は、竹内さんが、自動車工場で見學したことをもとに、解ったことや考へたことを説明した内容の一部です」の「解った」がさうだ。どうも、知ったといふ程度のことのやうなのだ。人間、なかなか何かを解ることなど出來ない。知るといふことでも大變なことだと思ふ。

解るといふことは、ものの見方が變るわけで二度と解る前に戻ることはできない性質のものだ。蒙を啓くといふこと、三國志であれば呉下の阿蒙にあらずといふやうなものだ。

1から20迄は解るが21以上は駄目だといふ解りやうはないはず。しかし、今の國語教育は漢字教育の學年配當にみるやうに體系的に教へてはいけないと縛りをかけてゐる。そのことが、問題文にみてとれるわけだ。

解ってゐないのは、このやうな問題で學力を測らうとする文部當局であり、業務の實態をみない仕分け人であり、マスコミであるが、考へてみれば、皆戰後教育の申し子の世代。問題の根は深い。

(引用部分も表記は好みに從った。字體や送假名を改めただけでなく、「分かる」を「解る」とし、「頭が、かたい」のやうな場合の讀點を省いた。)

1894(22.4.23

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附記

善意に滿ちた人の五月四日の沖縄での發言を西村眞悟氏は「實は、今まで何も考へてゐなかった。しかし、考へてみれば、以前私が言ってゐたことは實現不可能なことでした」と要約(1908號)。

阿比留瑠比氏はこの發言に感銘を受け、魂が震へる思ひがしたと次のやうに書く(1907號)。

何といふ率直にして正直、簡にして要を得たお言葉でせうか。まるで、母親の腕の中で、自分の存在すべてが世界に祝福され、また許されると信じ切ってゐる赤子のやうなピュアで高貴なものを感じます。心が洗はれ、自然と兩の目からは涙があふれて…。この素晴らしい、それ自體一種の奇跡のような人物をわれらが首相として戴くこの幸福感に酩酊し、惡醉ひして宿醉ひになりさうです。

別の善意の人について最近讀んだことを思ひ出した。『主語を抹殺した男││評傳三上章』に戰後の國語施策をめぐる福田恆存と金田一京助の論爭に觸れたところ。

結果としては福田が正しかった、と金田一は讓歩し、自分たちの非を認めた。敗北を認め、相手を勝者と褒め稱へることは何ら恥ではない。誤りと知りつつそれを認めない虚榮心が恥なのだ。

舊制浦和 高校時代の同級生であった福田との論爭を振り返って、父子二代の敗北を認め「參ったと頭を下げざるを得ない」と書いた金田一春彦 は君子であった。

いや、勿論、この場合は、何も考へてゐなかったわけではないけれど、結局解決不能の領域に船を乘り出させてしまったわけだ。今や航行不能であること、このことをどこへ訴へればよいのか、絶望感に惡醉ひするばかり。

    1909(22.5.8)

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不磨の大典│善意に滿ちた迷惑なこと

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はじめに

「頂門の一針」1890號の「話の福袋」に「早期教育效果は小學生で消える」といふ記事があった。てっきり英語教育のことかと思ったところ讀み書き能力のことであった。なんにせよ、系統的に教へなければ早期教育の效果など數年しか續かないのは當然。

戰後教育の第一期生で田舍育ち。幼稚園といふものがこの世にあることも知らなかった。小學校に上がるときに名前を片假名で書くことができるだけで得意だったものだ。

孫は幼稚園。字が讀めるやうになったと繪本をもってきて讀んでみせた。一字づつ息をはづませながら讀んでいく。「いもうと」はイモウトと四拍に切れて決してイモートのやうにはならない。語として認定する段階に至ってゐないのだ。

助詞の「を」をウォのやうに讀んだので驚いた。「を」をウォと習ってゐるのだ。文部省はそんな教へ方をするやうに指導してはゐないといふかもしれないが一字一音といふ表音主義的表記の當然の結果だらう。しかしイモウトは一字一音では説明できない。強いて一字一音で説明しようとすれば、ウには二つの音價を認めなければなるまい。

因みに上の子は、既に小學校に上がってゐたときのことであるがイモウトのやうな場合には切れ切れながらイモオトと讀んだことを覺えてゐる。既に語を認定してゐて、語に向かって音節を統合するといふ意識が働いてゐたわけだ。

下の娘のところの孫は教育玩具を與へた人があって字を少し早く覺えたのだが、すでに「大きい」をオウキイと書く。ウといふ字を直前の假名と一續きののものとして讀む能力は雙方向に働くわけだ。四歳兒にして、すでに一字一音ではないのだ。

イロハの場合、一字づつ讀む場合はイロハニホヘトであって、續けて讀めば「色は匂へど」や「淺き夢見じ」で、ハ行の轉呼は勿論、清濁も融通無碍だから一字一音ではない。

字を覺えたばかりの孫は濁點半濁點のところでつまづく。濁點か半濁點かが目を凝らしても解らないらしい。視力の劣った年寄りが迷はず讀むことができるのは、そこに或る語形を認めるからだ。清濁の別を濁點で示すといふ發明自體、この區別が國語音韻にとって二次的であるといふことを示すものだ。

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假名字母の制限

ヂとジ及びヅとズの發音が同一音に收斂したから一方の假名字母は節約できるとした文部省は二重に間違ってゐた。二次的な濁點をとってみればチとシ、ツとスは全く別な音韻であり、語の認定にとっては濁點以上に重要なものだ。

節約の結果、「難」はムズカシイ、「地震」はジシンと書くことになった。濁點を外したらどうなるか。「難しい」をムツカシイとしても解るけれどムスカシイではまったく通ふところがない。

「地震」の場合もシシンよりチシンの方が近く感じられる。收斂したのがダ行音であったのに、あべこべにザ行音の方を選んでしまったためだ。表音主義者の立場からしても間違ってゐたと言ふべきだらう。

明星大學のサイトで古田島洋介教授の「歴史的假名遣と舊假名遣を峻別せよ」といふのがある。

假名遣も實態としてみれば樣々だ。規範としてのものを歴史的假名遣とよび、實態の方は舊假名遣と讀んだらどうかといふ趣旨。氏は現代假名遣にも同じやうな區別が必要だと、實態としての現代假名遣を新假名遣と呼ぶことを提唱して次のやうに續ける。

現代假名遣と新假名遣を區別する必要については疑問の聲も擧がると思ふが、取り敢へず區別を設けておくのが便利かと愚考する。

なにしろ、いつぞや文部科學省から送られてきた文書に「以前お知らせしましたとうり」と記されてゐたのだ。この「とうり」は新假名遣、「とおり」は現代假名遣と規定しておけば、問題の考察に便利だらう。

現代假名遣を公布した文部省の後繼たる文部科學省が《規範》としての現代假名遣を遵守せず、《實態》としての現代假名遣の一例「とうり」を提供してくれたのだから、これを新假名遣と呼んでも不當ではあるまい。

言ふまでもなく、歴史的假名遣では「とほり」と書き、それに基づいて現代假名遣「とおり」が決められたのだけれども。

つまり文部科學省は四歳兒の水準には達してゐるわけだ。なほ、私の場合は現代假名遣なるものは實態としてしか存在せず假名遣の名に値しないとして制限假名字母表記と呼ぶことにしてゐる。假名遣は究極のところ歴史的假名遣でしかあり得ない、さう言へば嚴しすぎるだらうか。

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小學校で英語が必修

ところで、いよいよ小學校で英語が必修になるらしい。五六年から始めて、その續きの英語教育を中學校でやるにもかかはらず效果がなかったことは洋泉社刊の小著で觸れた。

早期英語教育の先驅的試みとしては、鳥取大學が昭和三十年に始めた附屬小學校五、六年生に對する週二時間の授業がある。二年間で中學一年に相當するリーダーを習得させることを意圖したものだったが、やがて沙汰止みになってしまった。その理由は、中學卒業の時點では小學校から始めた生徒とさうでないものと差がなくなってゐたからだと聞いた。中學入學時の英語力に應じてそれを延ばすやうな教育課程になってゐなければ、當然豫想されたことではある。

(中略)

現在、文部科學省が進めようとしてゐる英語教育改革は早期學習についての先行する試みの失敗をどう見てゐるのだらうか。

小著は英語教育におけるアルファベットの重要性を訴えたもの。英語を教へるなら最初に身につけさせるものの一つがNMの區別。FUTENMA FUTEMMA は別だといふことが反射的に解るやうでなければならない。さうして初めて國語の音韻と異なるものとして英語の音韻を呑み込ませることができる。

アルファベットは假名より分解能が高い。假名で書分けられるズヅやジヂを書分けられない方式が變なのだ。その變なローマ字に合せて假名字母を制限したのがいはゆる現代假名遣なのだ。

ローマ字に合せて假名字母を制限するのでなく、假名に合せてローマ字を構想すべきであった。さうすると歴史的假名遣の合理性が判然とするはずだ。戰後の表記改革は拙速だったと言はれるが、前提となったローマ字が翻字式でなく、五十音圖を否定してかかってゐたのだ。

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假名遣だけではない。漢字についても國際化などといふことは念頭になかったはずだ。漢字は廢止するか、つかふにしても筆畫を減じてやさしくすべきだと新字體を導入したため、介護福祉士にならうとしてインドネシア人が學んだ漢字は我國でしか通用しないものであった。

日中韓賢人會議で紀寶成中國人民大學長と韓國の梨花女子大總長より共通漢字の提案があったとき、我國の委員は略體でと應じたさうだ。勘違ひだと思ふ。漢字表を廢止し、新字體や簡體字はそれぞれの國内に封じ込めさへすれば濟む話だ。

憲法改正が政治課題となって久しい。憲法は理想的には不磨の大典であるべきもの。常時改正される漢字表ににしばられるやうな性質のものではあるまい。公用文は常用漢字で書き、常用漢字表にない漢字を使用する場合は振假名を附すのださうな。振假名はいはばトラノマキのやうなものに用ゐるもの。格式を重んじる場合では外すのが禮儀だらう。

いや、そもそも常用漢字は何時最終的に決るのだらうか。當局は永遠に改訂を續けるのだと言ふ。それに振假名の必要は常用漢字であるかどうかとは無關係なことは、「未曾有」の例もあったではないか。これをミゾウウと四拍に讀んだ人はほとんどなかったのだ。

ウィキペディアで「公用文表記の要領」をみると現行憲法がすでに表記改革の一翼を擔ってゐたことがわかる。昭和二十一年三月二十六日に「國民の國語運動聯盟」が内閣總理大臣幣原喜重郎に對して「法令の書き方についての建議」を提出してゐるからだ。關聯する告示や通達などの多さも驚くほどだ。漢字の學年配當でどんなに教師の仕事が忙殺されるかを1771號で書いたが、教師だけではなかった。これでは役人も法律の内容に頭を集中させることなどできないだらう。

善意に滿ちた人の方針がどんなにはた迷惑なことかを我々は目下いやといふほど經驗してゐるではないか。戰後の表記改革は山本有三はじめ善意の人によって發案された。そして恐ろしいことに文部省はじめ教育關係者は今以って善意に滿ちあふれた人々だ。

今は未曾有のとき。善意に基づく案であっても混亂を招くだけのことはやめるべきときだ。さうして教師も役人も本來の業務に集中してもらったがよい。

表音主義者からすれば「とうり」だらうと「とおり」だらうとローマ字表記にすれば吸收されるもの。問題にするほどのものではないのだと思ふ。いや、ローマ字などまだるっこしい。音こそ究極のものであるのだから、技術の進歩した今日、文字といふ恣意的記號に頼ることなく、録音すればよいはず。つまりCDこそ憲法本文とすべきなのではあるまいか。

文字にする場合は語の認定が基本。表音的表記といふ考へにとらはれることなく、また假名字母の使用を制限することなく、記して貰ひたい。つまり歴史的假名遣だ。汎時的表記の歴史的假名遣こそ不磨の大典にふさはしい。

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附記

善意に滿ちた人の五月四日の沖縄での發言を西村眞悟氏は「實は、今まで何も考へてゐなかった。しかし、考へてみれば、以前私が言ってゐたことは實現不可能なことでした」と要約(1908號)。

阿比留瑠比氏はこの發言に感銘を受け、魂が震へる思ひがしたと次のやうに書く(1907號)。

何といふ率直にして正直、簡にして要を得たお言葉でせうか。まるで、母親の腕の中で、自分の存在すべてが世界に祝福され、また許されると信じ切ってゐる赤子のやうなピュアで高貴なものを感じます。心が洗はれ、自然と兩の目からは涙があふれて…。この素晴らしい、それ自體一種の奇跡のような人物をわれらが首相として戴くこの幸福感に酩酊し、惡醉ひして宿醉ひになりさうです。

別の善意の人について最近讀んだことを思ひ出した。『主語を抹殺した男││評傳三上章』に戰後の國語施策をめぐる福田恆存と金田一京助の論爭に觸れたところ。

結果としては福田が正しかった、と金田一は讓歩し、自分たちの非を認めた。敗北を認め、相手を勝者と褒め稱へることは何ら恥ではない。誤りと知りつつそれを認めない虚榮心が恥なのだ。

舊制浦和 高校時代の同級生であった福田との論爭を振り返って、父子二代の敗北を認め「參ったと頭を下げざるを得ない」と書いた金田一春彦 は君子であった。

いや、勿論、この場合は、何も考へてゐなかったわけではないけれど、結局解決不能の領域に船を乘り出させてしまったわけだ。今や航行不能であること、このことをどこへ訴へればよいのか、絶望感に惡醉ひするばかり。

    1909(22.5.8)

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文化審議會國語分科會を傍聽して

五月十日は母の日。娘が孫を連れてやってきた。カミさんが單身赴任で面倒をみてゐる四歳の孫のババの似顏繪つきの感謝状、バウバアリガトウとあったので驚いた。いや、勿論、カタカナでなく平假名なのだが、ア段もオ段も音を延ばす場合にウをあててゐるのだ。

ババがダンボールで家を作ってやったら、マヂックで父親入るべからずと書いたのが「るうるぱぱははいれません」。書き直せば「ルール パパは入れません」、ウ段も勿論ウ、「は」の連續を片方はワの積りで書いてゐるのだ。

ヂイヂだったらどう書くか興味がある。まさかヂウヂとは書くまいが、それよりジとするかヂとするかも知りたいところ。孫はヂイヂには感謝状を書く關係がないとにべもない。まだ平假名を全部覺えたわけでなく、ヂもジも書いたことはないらしい。

しかし、とにかく幼兒の言語能力には端倪すべからざるものがある。アリガタクのウ音便はアリガタウであったが當局は表音性に缺けるからとアリガトウとした。そのウが、しかく表音的ではなかったのだ。だからア段のところに用ゐることが可能となる。しからばアリガタウとなってゐたとて幼兒にとって何の不都合もなかったであらうことを窺はせるものだ。

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常用漢字表の改訂

文部科學省第二講堂で開かれた文化審議會國語分科會を傍聽。出がけに口蹄疫のことを思った。蹄は形聲字。足に縁のある語で音がテイであることは、普通に育った日本人なら誰でも解る易しい字だ。これを口テイ疫とするテレビがある。常用漢字ではないことが解る。もし、口蹄疫のことを質問されたら、どう答へるのだらう。恐らく當局にとっては、疫病が起ったのが間違ひなのだ。

配布資料の一つ、常用漢字表に關する意識調査速報値についての解説があった。調査對象は全國十六歳以上の男女だとのこと。もうすっかり文部省方式に馴育された人達だ。調査の目的といふのはない。調査項目の第一は常用漢字表の認知度だ。

次のやうな設問及び回答がある。(表記は好みに從ふ。句讀點も氣持が惡いくらいに多かったので少し削除した。以下、このことを一々は斷らない)

  1. 法令、公用文書、新聞、雜誌、放送など、一般の社會生活の中で漢字を使用する場合の目安として、昭和五十六年に内閣から「常用漢字表」が示されてゐます。この「常用漢字表」は、それ以前の「當用漢字表」を引繼いだもので、この表には全部で1945字の常用漢字が掲げられてゐますが、あなたは「常用漢字表」といふものがあることは御存じでしたか。

    知ってゐた    57.4%

    知らなかった    40.6%

    分からない    2.0%

  2. パソコンや携帶電話などが普及し、常用漢字でない漢字も簡單に打ち出せるなど近年の情報化の進展を受けて、現在「常用漢字表」の見直しが行はれてゐますが、あなたはこのことは御存じでしたか。

    知ってゐた    23.8%

    聞いたことはあるが、よくは知らなかった    15.9%

    知らなかった    59.3%

    分からない    0.9%

  3. 今回の見直しによって、これまで常用漢字表に入ってゐなかった都道府縣名に使はれてゐる漢字、例へば大阪の阪、岡山・静岡・福岡の岡、埼玉の埼など11字を追加する方針が示されてゐますが、あなたはこのことについてどのやうに考へますか。

    追加することは望ましい    68.4%

    追加することは望ましくない    3.4%

    どちらとも言へない    24.0%

    分からない    4.2%

認知度は結構高い。認知度が高いといふことは事業仕分け人に對して有利なことではあるだらう。しかし、知ってゐるといふのはどういふことを意味するのだらうか。

次のやうに設問すべきではなかったか。

  • 常用漢字音訓表といふ言葉を聞いたことがあるか。
  • それがどのやうなものであるか説明が出來るか。
  • 常用漢字表をもってゐるか。
  • 自分の書く字が常用漢字であり、且つ、音訓が音訓表にあるかどうか確かめて書いてゐるか。
  • 表外字だと解ったらどうするか。
    1. 振假名をつける。
    2. 假名にする。
      1. その字の部分だけを假名にして交書きにする。
      2. 全體をカタカナにする。
    3. 別の表現を工夫する。
    4. どうもしない。

實際、NHKのやうに餘分な人間がゐて調べるのでないかぎり、自分の書く字が表にあるかないか誰が覺えてゐるものか。まして音訓が表に適ってゐるかどうかを知って生活してゐる人はあるまい。

ムカデが使ひに行く。もう歸った頃だらうと覗いてみたら、まだ草鞋を全部穿きをはってゐなかったといふが、國民に百足どころか二千足の草鞋を穿かせてゐるのだ。それがばれてしまふからまともな調査などやるわけがない。

勿論、電腦時代、テキストデーターであれば表外字を使用してゐるかどうかは瞬時に知ることができる。音訓の方まで調べるのはやっかいだ。

東京檢察審査會は小澤一郎民主黨幹事長の不起訴處分を不當としたが、恐らく檢察廳の處分は「くつがらないだらう」と、これは專門家の發言だ。「覆らない」といふ文字から言葉を覺えたものか、つい文字を追ひかけて、漢字も表音文字といふ考へ方に馴致したための間違だらうが、當日配布された「改訂常用漢字表に關する答申案」(實際は最初の表の名前のところが鈎括弧でくくられてゐた)では覆の送假名はこれしかない。

前文「基本的な考へ方」の修正箇所についての説明があった。「漢字を手書きすることの重要性」のところ。

漢字を手で書くことをどのやうに位置附けていくかについては、情報機器の利用が一般化する中で、早急に整理すべき課題である。その場合、文部科學大臣の諮問理由で述べられてゐたやうに「漢字の習得及び運用面とのかかはり、手書き自體が大切な文化であるといふニつの面から整理していく」必要がある。

このうち前者については、漢字の習得時と運用時に分けて考へることができる。情報機器を利用する場合にも、後述するやうに情報機器の利用に特有な漢字習得が行はれてゐると考へられるが、情報機器の利用が今後、更に日常化・一般化しても、習得時に當たる小學校・中學校では、それぞれの年代を通じて書き取りの練習を行ふことが必要である。

元は「反復練習を行ふことが重要である」と結んであったのださうだ。しかし、その重要性がむかしほどではなくなってゐるといふので、反復練習を單に練習にし、重要を必要に變へたと言ふのだ。重要より必要が弱いと思ってゐるらしい。

重要は程度問題。必要は絶對的なもののはず。重要の方が重く響くからなのだらうか。どうもいい加減な教育を受けた人のやうだ。

「改定常用漢字表の性格」といふところの「基本的な性格」といふ箇所に加筆した部分だと、特別の説明があったところ。

上述のやうに改訂常用漢字表は一般の社會生活ににおける漢字使用の目安となることを目指すものであるが、表に掲げられた漢字だけを用ゐて文章を書かなければならないといふ制限的なものでなく、必要に應じ、振假名等を用ゐて讀み方を示すやうな配慮を加へるなどした上で、表に掲げられてゐない漢字を使用することもできるものである。文脈や讀み手の状況に應じて振假名を活用することについては、表に掲げられてゐる漢字であるか否かにかかはらず配慮すべきことであらう。このやうな配慮をするに當っては文化廳が平成二十二年二月から三月に實施した追加及び削除字種にかかはる國民の意識調査の結果も參考とならう。

この部分を聽いてゐて驚いた。「表に掲げられた漢字だけを用ゐて文章を書かなければならないといふ制限的なものでなく」といふところ、まるで、日本語は漢字だけで書くもののやうではないか。「表に掲げられてない漢字を用ゐることなく書かなければならないといふ制限的なものでなく」とどうして書かないのか。

國語を論じる者は言葉についてもっと嚴しくあるべきだらう。

配布資料にA3サイズのものがあった。追加候補漢字の印象といふもので、アンケートの設問の回答欄が五つ、その回答欄ごとに上位二百弱を竝べたもの。その中に未曾有の「曾」があった。

配布資料の答申案本表には「下線は現行常用漢字表に追加した字種、音訓等」と注記がある。配列は音による。ソウのところを見ると、下線附で「曾」が擧げてあった。カツテといふ訓はない。漢字の形音義といふ三要素を教へるつもりはないわけだ。

ソウの語例としては曾祖父と曾孫だ。後者をヒマゴと讀んではいけないのかもしれない。もう一つ語例があるのは未曾有、しかし、この音はゾとある。知らなかった。ひょっとしたら委員は未曾有をミゾウと讀んでゐるのだ。そのうち、「覆る」のところに「くつがる」といふ訓を認めることになるのかもしれない。

字典で調べればミゾウウと読むことになるが、今やさう読む方が肩身が狭いことになる。しかし、自分が間違ってゐるから、それに合ふやうに基準たるべき表の方を訂正するといふのは規則違反も甚だしい。

かういふ議論に堪える委員は餘程人格の出來た方々だと思ふけれど、ひょっとしたら、御自分が知らなかったといふ場合もあるのかもしれない。しかし、とにかく十六歳以上のアンケートで表記に關することを決めようとするのだから、それこそ、皆で渡れば怖くない口だらう。もはや何をか言はん。

 

gaikokujin_nihongo

外國人に對する日本語教育

常用漢字表のことのほかに、生活者としての外國人に對する日本語教育の標準的なカリキュラム案についての説明があった。

生活上の基盤を形成する上で必要不可缺の行爲の事例を列擧したものとのこと。配布資料は百五十四頁。學習項目が體系的に分類して竝べてある。生活者としてみれば各地域に等しく適應する標準的なものをつくることは容易ではあるまい。

中核となるのは、表記のことであるはずだ。道路標識のローマ字の讀み方などまづ外せないところだらうと思ったけれどさうでなかった。カリキュラム案の學習内容、學習時間及び學習順序について説明したところにこんなことが書いてある。

なほ、具體的な學習項目の記述に當っては、文字や發音といった言語事項の學を個別に取り上げてはゐない。「生活者としての外國人」が日本語を學習する上で、文字や發音、基礎的な文法事項などの學習は必要であるが、個別にそれらだけを取り上げて學習することを想定してゐない。文字や發音、基礎的な文法事項などは、各地域が域内の學習者や日本語教室の實情に合はせて、具體的なカリキュラムを編成し、實際に日本語教育を行ふ中で、必要に應じて扱ふことを想定してゐる。

文字のことを取上げにくい事情は察しがつく。表記をないがしろにしてきた結果だと言ひたい。しかし、これで文明國を名告ることができるだらうか。

   

koyu'meisi

固有名詞

文化審議會國語分科會傍聽記(1924號)に札幌の方が讀後感を寄せて下さった(1926號)中に三鷹市のことがあった。實は固有名詞のこともあったのである。

辭書の出版社に入って最初に覺えたことの一つに gazetteer といふことがある。地名辭典のことだ。

Gazette と言へば新聞のことだから新聞に縁のある言葉だらうといふ見當はつく。辭書を引いてみると gazetteer は新聞記者のために生れたものだとある。

人名辭典を biographical dictionary といふのは項目の一つ一つが、いはば一つの傳記であるからだらう。

地名や人名の類を固有名詞、英語でなら proper name と呼ぶ。proper は「本來の」、「まっとうな」といふ意味だから、簡單に言へば name だ。辭書の項目は name でなく word が基本。word には意味がある。name は指し示すもので意味は外にある。

しかし、word name も音韻上は區別するところはなく、また表記においても書分けることなど思ひもよらないことだ。

ところが我國においてはどうもさうではないらしい。そんなべらぼうな話は理解を超えたことなので先日の文化審議會國語分科會の傍聽記でも觸れなかったが、確かに三鷹市のことも話題になってゐたのだった。

札幌生れの鹿兒島育ち。半世紀も三鷹市民だった。「鹿」が常用漢字でなかったことは最近知った。配布資料の「改訂常用漢字表」(答申案)で檢索してみると出てゐない。訝しく思って、念のためシカと訓で引いてみたら出てきた。これも驚きだった。

漢字を配列するなら音といふのが本來ではなかったのか。音も訓も、その漢字の表す音一般だと考へてゐるのかもしれない。

鹿兒島に愛着のある者としては、折角、役所の頸木をのがれて字を使ふ權利があったのに常用漢字として認められたのは殘念。鷹の字については1886號(四月十七日)「シルバー新黨に期待する│國語が基本だからだ」で書いたやうに、もと三鷹市民として國の不當な干渉を無視する權利がのこったことを喜ぶものだ。

鷹と鹿、どちらも追加候補として檢討したことになってゐる。配布資料の答申案の前附け「はじめに」の第一章「基本的な考へ方」の第一節は「情報化社會の進展と漢字政策の在り方」。漢字政策と入力しながら吐き氣をもよほすのであるが、その第五は「名附けに用ゐる漢字」

人名用漢字は、平成16年9月27日附けの戸籍法施行規則の改正により、それ以前と比較して、その數が大幅に増えた。このこと自體は名附に用ゐることのできる漢字の選擇肢が廣がったといふことであるが、一方で、このやうな状現を踏まへると、名の持つ社會的な側面に十分配慮した、適切な漢字を使用していくといふ考へ方がこれまで以上に社會全體に廣がっていく必要がある。具體的には「子の名といふものは、その社會性の上からみて常用平易な文字を選んでつけることが、その子の將來のためであるといふことは社會通念として常識的に了解されることであらう。(國語審議會「人名漢字に關する聲明書」昭和27年)」といふ認識を基本的に繼承し、

  1. 文化の繼承、命名の自由といふ觀點を踏まへつつも、社會性という觀點を併せ考へ、讀みやすく分かりやすい漢字を選ぶ。
  2. その漢字の意味や讀み方を十分に踏まへた上で、子の名にふさはしい漢字を選ぶ。

といふ考へ方が社會一般に共有される必要がある。

「廣がっていく必要がある」といふことがまづ解らない。「廣がっていくやうにする必要がある」といふことなのかもしれないが、不思議な日本語だ。また「子の名といふものは、その社會性の上からみて常用平易な文字を選んでつけることが、その子の將來のためであるといふこと」は常識的に了解されるとあるが、はたしてさうか。常用平易な文字であるのは社會にとって望ましいことなのではないか。

「情報化社會の進展」といふことからしてもJISにあるやうな文字であった方がよいだらう。その點で言へば、この文化の繼承、命名の自由云々と、その漢字の意味や讀み方云々の項は丸圍み數字で(1)(2)となってゐたのは問題だ。

丸圍み數字と、それから時計數字(ローマ數字で12まで)がJISの規定にはなく、文字化けをするので避けることとされてゐたと思ふが、事情が變って、常用平易な文字になったのかもしれない。

第六は「固有名詞における字體についての考へ方」

固有名詞(人名・地名)における漢字使用についでは、特にその字體の多樣性が問題となるが、その中でも姓や名に用ゐてゐる漢字の字體には強いこだはりを持つ人が多い。そこ用ゐられてゐる各種の異體字は、その個人のアイデンテイテイーの問題とも密接に絡んでおり、基本的には尊重されるべきである。しかしながら、一般の社會生活における、コミュニケーションの手段としての漢字使用といふ觀點からは、その個人固有の字體に固執して、他人にまで、その字體の使用を過度に要求することは好ましいことではない。

公共性の高い、一般の文書等での漢字使用においては、「一字種一字體」が基本であることを確認していくことは「コミュニケーシヨンの手段としての漢字使用」といふ觀點からは極めて大切である。姓や名だけでなく新たに地名を附ける場合などにおいても、漢字の持つ社會的な側面を併せ考へていくといふ態度が社會全體の共通認識となっていくことが何より重要である。

「用ゐてゐる漢字の字體」ももっちゃりした表現だ。「用ゐる漢字の字體」でよい。「個人固有の字體」といふ表現もある。個人固有の字體といふものがあるはずがない。社會性がなければそんなものは文字ではないはずだ。

「姓や名に用ゐる漢字の字體には」とあるのも變だ。「は」とあることによって、その他の場合を除外してゐるのだらうが、その他の場合の漢字についてもこだはりを持つ人は多い。また個人固有の字體であれば、どんなにこだはりを持つ人が多からうと、累積して算へるべきものではないだらう。字體ごとにばらしてみるべきものだ。しかし、たとへば藝の場合についての意識調査をすれば、個人固有でないだけにはるかに高い結果が出るはずだ。

一字種一字體が基本であることを確認することが大切だとあるところ、女性の表現なのだらうか。普通なら重要とか大事とか言ふところではあるまいか。そのことはとにかく、字體といふことからして一字種一字體といふことはありえないことだ。それを無理に一字種一字體とするから混亂が生じる。漢字は字形だけでない。音も義もともなってこその字體。急いで書くときは略體でも正式の場面では丁寧に書くのが本來。データー入力では略體の必要がない。檢索の點からも本字を本字とする方が有利のはずだ。

前附け「はじめに」の第二章「改訂常用漢字表の性格」の第二項に「固有名詞に用ゐられる漢字の扱ひ」といふのがある。

改定常用漢字表の中に、專ら固有名詞(主に人名・地名)を表記するのに用ゐられる漢字を取込むことは一般用の漢字と固有名詞に用ゐられる漢字との性格の違ひから難しい。したがって、これまでどほり漢字表の適用範圍からは除外する。ただし、都道府縣名に用ゐる漢字及ぴそれに準じる漢字は例外として扱ふ。

適用の對象としない理由は既に述べた兩者の性格の違ひからといふことであるが、もう少し具體的に述べれば、使用字種及び使用字體の多樣性に加へ、使用音訓の多樣性までもが絡んでくるためである。一般の漢字表記にはほとんど使はれず、固有名詞の漢字表記にだけ使はれる〈固有名詞用の宇種や字體及び音訓〉はかなり多いといふのが實情である。

ここもさっぱり解らない。三鷹の鷹の字は專ら固有名詞を表記するのに用ゐられる漢字ではない。

都道府縣名に用ゐる漢字は例外とは、たとへ專ら固有名詞を表記するのに用ゐられる漢字であっても常用漢字とするといふことなのだと思はれる。「それに準じる漢字」といふ場合の「それ」は何を指すのか。都道府縣に準ずる地方自治體の名前に用ゐられる漢字といふことなら三鷹は例外で認めるといふことのやうでもあるが、結局、認めなかったところをみると、「それに準じる漢字」は削除すべきものが間違って殘ってしまったのかもしれない。

それにしても、意識調査には笑ってしまふ。「今回の見直しによって、これまで常用漢字表に入ってゐなかった都道府縣名に使はれてゐる漢字、例へば大阪の阪、岡山・靜岡・福岡の岡、埼玉の埼など11字を追加する方針が示されてゐますが、あなたはこのことについてどのやうに考へますか。」といふ設問に對して「追加することは望ましい」といふ回答を選んだ人が 68.4% だったといふのだ。(この選擇肢、テニヲハはハでなくガでないと變だ。)

あたかも、これらの漢字の追加は根據に基づいたもので恣意的なものではないと言はんばかりだ。しかし同じ設問を三鷹市の鷹について問うても同じ結果が得られただらう。追加を望ましくないと思ふ筆者のやうな人間はまだ少數派のはずだからだ。

    1927(22.5.26)

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RepublicChn

中国にとって支那とは何か?

中国では自国を「支那共和国」と呼んだこともあった

 

 

                                  2011/06/23

真道 重明

 

国の人々にとって漢字を使う日本人が中国のことを「支那」と表記するのを嫌う人が多い。自らを美称とはいえ「中華」(中央に位置する華)と呼んでいるのに対し、「支」(「支離・支店・気管支」などのように「中央から分れたもの」ないし「えだ=枝 」を意味する文字を当てるのは侮蔑ではないか・・・と云うのが理由のように私は解していた。

1946年に日本の外務省の通達により日本の公務員、公的な出版物に「支那」呼称は禁止となるが、その理由は明らかにされていない。そしてその代わりに「中国」の呼称が一般化されるようになる。現代の日本で「中華人民共和国」を指しての「支那」、「支那人」という言葉は半ば死語と化しており、一般的には中国、中国人という呼称に取って代わられている。「支那」という呼称は「嫌中」派の一部が使用しているため、中国に対し否定的見解を持っている者が使う言葉と認識されている・・・と考えてる人が多い。

元来、この問題は歴史的、且つ、学問的考証の問題として扱うか、日清戦争後の戦勝国側の日本の一部民衆の「戦勝により敗戦国を見下す傲慢な感情問題」、または「敗戦国側の中国の民衆の見下された側の不愉快な感情問題」として扱うかによって、事情は大きく異なると私は思う。日本版 Wikipedia の記載による「中国」を見ると:−

//引用開始 (省略部分を含む)//

中国の古典の『詩経』で「地理的中心部」と言う意味で初めて用いられ、従って本来は特定の民族ないしは国家を指す語ではなく、ベトナムでは阮朝が自国を中国(チュンコック)と呼び、日本でも自国に対して葦原中国(あしはらのなかつくに)、あるいは中国(なかつくに)という美称を用いている。

一方、黄河流域で黄河文明を営んでいた漢民族の間では、「中国」という語は、孔子とその他思想家たちによる潤色を経ながら、中華思想に基づく「文化的優越性を持った世界の中心」という意味を帯び、中国歴代王朝の政治的・軍事的な境界を設定する中で、徐々に民族のアイデンティティを境界づける自称として拡張されて来た。

清代後半になると、近代化を果たした欧米諸国の圧倒的国力が中国周辺にも波及し、中国は諸外国と対等な国際社会の一員として自己を再定義する必要に迫られた。「中国」という用語の近代的な主権国家の概念での使用は、1842年阿片戦争の敗北で中国清朝がイギリスと結んだ南京条約で、漢文の「中国」が使われた事例が最初であると知られている。1869年に調印されたネルチンスク条約では、清朝の外交使臣が自らの身分を称する時に、「中国」という用語を満州語で使った。

【真道 注。 20世紀初期に、梁啓超(清末民初の政治家、ジャーナリスト、歴史学者。字は卓如、号は任公)が、自国の名前をどうするか悩み、「中華」、「支那」、「中国」の中から、「中国」を選んだ。しかし辛亥革命では、「支那共和国」と呼称されていた・・・中国のサイトの中の文章(中国語)を真道が和訳した】。即ち中国の学者も自国を支那と呼称する案があった。

辛亥革命では、「支那共和国」と呼称されていたが、共和勢力による政権獲得が現実のものとなっていくのに伴い、支那の独立という理想論は影を潜め、清朝が1912年の段階まで確保していた「支那・満洲・モンゴル・チベット・東トルキスタン」の範囲をそのまま枠組みとする「中国」で、近代的な国民国家の形成が目指されることとなった。

日本における「中国」;− 日本で「中国」という用語が「中国という名称の国家」を指す意味で使用され始めたのは、中華民国政府の要求で外交文書の中に登場した1930年からであり、一般的にも使用されるようになったのは第二次世界大戦後のことである。それ以前の時代にこの意味で用いられていた用語は支那もしくは清国であり、さらに古くは唐(漢)(から)、唐土(漢土)(もろこし)などと呼んでいた。

日本ではまた、山陽地方と山陰地方を合わせた地域を中国あるいは中国地方と称する。この呼称は南北朝時代以降に見られる。中国探題、中国攻め、中国街道など。

「中国」の呼称の変遷 、セーレス」、古代ギリシアでは、中国の商人は「セール」(σηρ)(複数形:「セーレス」(σηρεσ, Seres))と呼ばれた。これは彼らがもたらした絹(絲)の読みに由来するとされる。古代ギリシアでは絹は「セーリコン」(σηρικον)と呼ばれ、英語やロシア語などで「絹」を表す言葉の由来ともなっている。その後、後述する「チーナ」に由来する「スィーン」が伝わるとその系統の呼称に取って代わられた。

「秦」に由来する呼称:− 漢字文化圏以外からは、古くは秦に由来すると考えられるチーナ、シーナという呼称が一般的に用いられ、古代インドではチーナスタンとも呼んだ。これが仏典において漢訳され、「支那」「震旦」などの漢字をあてられる。この系統の呼称はインドを通じて中東に伝わってアラビア語などの中東の言語ではスィーン (S?n) となり、ヨーロッパではギリシャ語・ラテン語ではシナエ (Sinae) に変化する。また、更に後にはインドの言葉から直接ヨーロッパの言葉に取り入れられ、China(英語)、Chine(フランス語)などの呼称に変化した。日本でも「秦」に由来して、江戸時代初期より「支那」の呼称も使用されていた。

//引用終り//

 

一方、「百度 Bai du」などの中国の検索エンジンで「中国」ないし「支那とは何か?」(支那是甚麼意思?)を見ると(中国文)、中国版 Wikipedia を始め無数のサイトが閲覧可能(中国文)である。内容の多くは日本での侮蔑的用語としての「支那」という漢字の近世に於ける用法や使用の実態を紙面を割いて詳述している。しかし、上記に引用した諸事実に伝手も、辛亥革命では、「支那共和国」と呼称されていたことも含め、日本版 Wikipedia と概ね同様の歴史的由来や過去の用例を述べて居り、漢字で表記した「支那」と云う言葉が元来侮蔑的な呼称ではないと明かに述べて居る。

また、中国版 Wikipedia では、『目前,中國人一般認為“支那”是一個蔑稱。但是,也有人指出將“支那”視爲蔑稱是由于誤解』 (現在、一般の中国人が“支那”を一つの蔑称と認識している人がある。だが、「支那」を蔑称語であると考えるのは誤解である。

しかし、中国の多くのサイトに「支那は日本人が中国を蔑視する時の言葉である」と云う説明が多いのは、本項の冒頭で述べた日清戦争後の中国側の意見であり、中国のサイトでも同じことを述べている。

日清戦争前の若い日本人は、今のエレキギターの流行同様、月琴で「九連環」・「太湖船」などを弾じていた。長崎では今も伝えられ演奏されている。刀を二本差していた1857年(安政4年生)まれの祖父のことを私は生前の祖母から子供の時良く聞いた話である。幕府時代から日清戦争前までにはこの様な日本の国民感情が存在した時もあったようである。

戦勝を境に感情が一変した感がある。勝った勝った・・・で日本が中国の上位にあるような錯覚に囚われたようだ。母の憶えている尻取り歌に「負けて逃げるはチャンチャン坊・・・」などその例だ。ちなみに、チャンは中国の意。チャンチャンコは中国人の意味。中国酒をチャン・チュー(酒)、チャンチャンコは「そで無し」(和服用語、袖のない羽織のような形状の防寒着(還暦のお祝いに赤いものを贈る習慣がある。元来は中国語の「背心」に由来する。長崎では今でもポイシンと呼ぶ人が居るが背心の訛り)。広辞苑に依るとチャン−チャンは中国人(満州族)の弁髪、唐子(からこ)とある 。

面白いのは「チャンコ鍋」で、力士社会独特の手料理の意味であるが、江戸時代に長崎巡業へ行った際、中国から長崎 に伝わった板金製の鍋「チャン・クオ」(中華鍋のこと、中国語では鍋子・炒菜鍋)の料理法を取り入れたため「チャンクオ」が訛っ たとする説がある。

閑話休題。いずれにせよ、中国を漢字で支那と書き、シナと発音する日本人は現在概ね50歳代から上の人の多く、中には侮蔑的意味があると中国人の一部の人々が思っていることさえ知らない人も多い。中国に於ても日本人に対して似た事情にあることが分かる。

私自身の凡庸な知識や記憶では、支那が脂那などと共にサンスクリットの中国(秦)を意味するティン Thin の漢字の音訳であると言う程度であったが、音訳であるから侮蔑などには無関係である。また、支那という漢字を日本人が使うのを嫌う一般の中国人が多いのは、それが歴史的検証では日本だけでなく中国の学者も「誤り」であると断じているとは云え、その存在は事実であり、この問題を云々し「支那を日本人が中国を指す侮蔑語である」と述べて居る中国のサイトは実に多い。

中国語に「八零后」(1980年以降に生まれた世代の若い人達を指す流行語)の人々には支那という漢字があることは知っていても、嘗て日本人が中国を指す侮蔑語と考える人々が居ることすら知らない人が多い。何れ後50年も経てばこの問題は忘れ去られるか笑い話になるように思うのだが・・・。

私は漢字では中国のことを支那とは書かない。

たとえ、それが理論的考証と関わりなく

先方が不快感を持つのであれば避けるべきだと思っている。


 

参考コメント(再録)の追記 @ (2011/7/26)

 

頂門の一針 2330号  11・7・26(火)

━━━━━━━━━━━━
「支那」は次官通達で禁止
━━━━━━━━━━━━

     渡部 亮次郎

私のメルマガ「頂門の一針」に読者から投書があった。

<渡辺はま子のヒットソングを挙げると、まず昭和15年の東宝映画「蘇州夜曲」の主題歌「支那の夜」でしょうが、「ウィキペディア」でも「支那」という言葉は使いたくないのでしょうか。

「渡辺はま子」の検索では出てきませんね。「支那の夜」で検索すると出てきますが。

私は、子供の頃、父がこの歌が好きでよくレコードを聞いておりましたので、しっかりと記憶しております。

戦後「支那」という言葉がタブーになりましたので、「支那の夜」を聞く機会がなくなってしまい残念に思っておりました。渡辺はま子が亡くなった夜かそのあくる夜か、NHKで渡辺はま子の追悼番組がありましたが「支那の夜」は最後まで放送してくれませんでした。

NHKは「ラジオ深夜便」で09・7・6にも「日本の歌・こころの歌」で渡辺はま子を特集したが、「支那の夜」には一言も触れなかった。

支那事変の始まったのは小生の誕生1年後の1937年。事変など知らずに育ち、対米戦争では田圃の中で艦載機に狙われて胡瓜畑に隠れた。長じて特派員として北京に飛んだが、すでに「支那」でなく中華人民共和国になっており、爾来「支那」に無関心で来た。大方もそうであろう。

「ウィキペディア」は<支那(しな)は、中国または「中国の一部」を指して用いられる、王朝や政権の変遷を越えた、国号としても使用可能な、固有名詞の通時的な呼称。本来、差別用語ではないが、何らかの圧力などにより、差別語とみなされる場合が殆どである>と説明している。

詳しく調べてみると「何らかの圧力」とは、敗戦と共に加えられた「中華民国」からの「圧力」だった。大東亜戦争で日本の敗戦後は戦勝国陣営である中華民国政府からの呼称をめぐり「支那」を使うなという圧力がかかった。

これを承けて日本外務省は1946(昭和21)年に事務次官通達により日本の公務員、公的な出版物に「支那」呼称は禁止され、その代わりに「中国」の呼称が一般化されるようになった。マスコミもこれに準じた。

現代の日本で「中華人民共和国」を指しての「支那」、「支那人」という言葉は半ば死語と化しており、一般的には中国、中国人という呼称に取って代わられている。学術用語や「支那そば」は「中華そば」という言い換え語がすでに一般化している。また、「沖縄そば」を支那そばと呼称していた時期もあるが、これも今日ではほとんど使われない。

「東シナ海」等の、国家のことではなく地域のことを指す場合や「支那事変」などの歴史用語として用いられている場合はある。中国では、世界の中に中国を客観的に位置づける場合に「支那」の呼称が学者の間で広く永く使われていた。早くから異文化に学んだ仏教徒の
間では特にその傾向が顕著である。

また清の末期(19世紀末―1911年)の中で、漢人共和主義革命家たちが、自分たちの樹立する共和国の国号や、自分たちの国家に対する王朝や政権の変遷をこえた通時的な呼称を模索した際に、自称のひとつとして用いられた一時期がある。

日本では、伝統的に漢人の国家に対し「唐」や「漢」の文字を用いて「から、とう、もろこし」等と読んできた。明治政府が清朝と国交を結んでからは、国号を「清国」、その国民を「清国人」と呼称した。

支那という言葉は、インドの仏教が中国に伝来するときに、経典の中にある中国を表す梵語「チーナ・スターナ」を当時の中国人の訳経僧が「支那」と漢字で音写したことによる。「支那」のほか、「震旦」「真丹」「振丹」「至那」「脂那」「支英」等がある。

日本においては、江戸時代初期より、世界の中に中国を位置づける場合に「支那」の呼称が学者の間で広く使われていた。これは中国における古来の「支那」用法と全く差がない。江戸後期には「支那」と同じく梵語から取った China などの訳語としても定着した。

日本人が中国人の事を支那人と呼ぶようになったのは江戸時代中期以降、それまで「唐人」などと呼んでいた清国人を「支那人」と呼ぶべきとする主張が起こり、清国人自身も自らのことを「支那人」と称した事に因む。

戦前・戦中は中国人を日本人に敵対する存在として、「鬼畜米英」などと同様に、「支那」が差別的ニュアンスと共に使用される場合もあったが、「支那」自体が差別語であったわけではない。

しかし、戦後、中国人・台湾人が差別的ニュアンスとともに使われることもあったことへの反撥を表明するようになってからは、差別語であるという感覚が生じた。

--- END ---

 


 

参考コメント(再録)の追記 A (2011/7/29)

 

頂門の一針 2333号  11・7・29(金)

━━━━━━━━━━━━━
支那がだめなら朝鮮語はどうか
━━━━━━━━━━━━━

        上西 俊雄

2330號(7月26日)で支那といふ呼稱のことが話題になった。

もう一つ使ひにくいとされる呼稱に朝鮮がある。これには差別の意識があったといふ記憶がない。朝鮮人には何かあげるものだといふやうに母親が思ってゐたらしいことは感じることがあったけれど、子供時代に見た繪本でチマ、チョゴリ---この語は當時知らなかった--を見て、さういふ人ばかりではないことを知ってゐたからかもしれない。

NHKが朝鮮語講座を始めるときに朝鮮語を避けてハングルといふ語をつかったのは異常に感じられた。韓國に一度だけ行ったことがあって、向うの出版社の人に御馳走になったことがあるが、チョソノーといって何の問題もなかった。NHKのためにハングが文字を指す語であるといふことを間違ってしまふ人が大勢あるだらうと思ふ。

とにかく朝鮮人とか朝鮮語とかいふ語を用ゐても差別語だと言はれることはない。支那はどうか。戰前の本で、支那といふ語が舶來といふか新知識というやうなプラスの差別語としてつかはれてゐた例にぶつかってそんなこともあったのだと思ったから支那がマイナスの差別語とされてゐることは辨へてはゐたのだ。

しかし蔑稱ならチャンコロだ。シナ・チベット語族などといふ呼稱にはしばしばお目にかかったので、支那といふ語をつかふことにもあまり抵抗はない。

2298號(6月21日)の「君が代起立條例と敬語表現」で露伴の「藝術的文獻に現はれたる日支兩國の國民性」を紹介した。支那といふ語が頻出するが差別的なものでないことは斷るまでもない。

眞道重明先生のサイトの言葉の詮索(その3)

http://home.att.ne.jp/grape/shindo/kotoba5.htm#kotoba3

に最近「支那共和國(中國で云う支那とは?中國での自國の國名の呼稱)」といふ表題の頁ができた。支那語のサイトからの引用もある。眞道先生の表現では支那語でなく中國語。

中國語專攻の若い世代は中文といふこともあるやうだ。支那先哲のやうな場合は文脈から差別的でないことが明白。支那語もさうではあるまいか。

尻取り歌のことが出てきた。子供の頃に歌った覺えがある。鹿兒島で覺えたのだけれど、北海道育ちの兄や姉から覺えただと思ふ。擴張ヘボン式で書いてみる。

Nipponno Nogisanga Gaisensu Suzume Mezhiro
Roshiya Yabankoku Kuropatokin Kinnotama
Maketenigeru`a chanchanbau
Baude tataku`a inugoroshi
Shiberia tetsudau nagakeredo
Dobinno kuchikara hakidaseba
Baasanno memoto`a shi`a sanzhi`uni

逆アポストロフィは語中のハ行音。棒は bau なのは歴史的假名遣の轉寫だから。なほ其の場合の au は autumn のそれのやうに發音するといふ規定がある。

最後の sanzhi`uni は三十二のこと。i が拗音性を帶びることはprevocalic "i" つまり母音直前の i の問題。Shiberia の場合とを比べてみると母音一般ではなくu の方がなりやすい。このあたりのことは細かく規定してゐるわけではない。

--- END ---


うに侮蔑的な意味を持つと考えられている国名(またはその国の人々を意味する言葉、例えば「朝鮮と朝鮮人」など)の多くは、時としてその時の両国の置かれた立場や政治的局面によって、各当該国の一般民衆の感情がそうさせる様な気がする。

嘗てタイ国では日本人を侮蔑的な気持ちで指す場合「テア」と云った。本来は「背が低い」の意である。処が戦後食糧や生活様式の変化によるらしいが、若い日本人の身長は高くなった。この「テア」と云う言葉は状況に則さないから、今では死語となってしまった。

繰り返すが:−

私は漢字では中国のことを支那とは書かない。

理論的考証では誤りであるとしても、そのこととは関わりなく

先方が不快感を持つのであれば、避けるべきだと思っている。

 

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