[本の感想] [官能小説]

本の感想

「スカートの下の劇場」 「パンツが見える」

「パンツが見える」  井上章一著、朝日新聞社、2002年


1、本との出合い

2、本の概要

3、服装の疎外


1、本との出合い
パンチラに関心を持ち、調べていたら、三橋順子さんのサイトに出会い、そこで パンチラと女装者の羞恥心のエッセイを読みました。 そこにこの本が紹介されていたのがきっかけです。

以前より、男性から見た「パンチラ」と女性から見た「パンチラ」では 極端な差があることに気づいていました。女性から「なぜそんなそんなことがいいの」 と言われる場合もあれば、「見られて恥ずかしい」、「恥ずかしいから見られたい」まで さまざまです。男性側は「是非見たい」というのが圧倒的です。

男性側には「パンチラ」が魅力的にさせられる環境的な要因があるだろうとは思っていましたが、 それが何かよく分かりませんでした。この本によって、それが歴史的、社会的に作られたものであると 知ることができました。

2、本の概要
作者は風俗史の研究家で、国際日本文化研究所の助教授の井上章一氏。彼はもともと日本の女性は着物で 下穿きをつけていなかった。それがズロースを穿くようになった のは白木屋の火災であると一般に言われているが、そうではなかったと、当時の資料を 元に解説しています。股間が見えても助たかりかったのが多くの女性の心境だったのです。 ただこの事件の後、ズロース着用が話題にはなりました。しかし、実際にはそれほと着用者が増えなかった そうです。今から見てもズロースは下着というよりも短パンみたいな感じで、見て魅力的でもないし、是非見てみたいものでも ないと思われます。

以前のズロースは確かに見かけが悪く、だぶだぶとしており、しだいに普及していったものの、それほどの 愛用者が伸びなかったのは、和風姿の輪郭を損なうだけでなく、女らしさを損なうものとして認識されていたためである。 それが敗戦と同時にアメリカ軍が日本に駐留し、アメリカ軍関係者たちと関係を持つ女性たちからパンティが 広まり出します。それがやがて一般の女性たちに急速に広まっていったのです。 その理由としては美的に魅力があったことでしょう。特に影響が大きかったのは1955年、マリリン・モンロー が映画「7年目の浮気」で見せた地下鉄の排気口から噴き出す風で彼女のスカートがめくれ上がり、白い パンティがはっきりと見えたシーンでしょう。

このパンティ着用が広まると、女性たちは下着を見せるのを恥ずかしがるようになります。魅力的な下着だからこそ 逆に見られるのが恥ずかしくなったのでしょう。 しかし女性側が恥ずかしがって見せなくなればなるほど、それに触発されて男性側はますます見たくなっていきます。 パンチラの魅力に火がついたのです。

3、服装の疎外
以上が本の概略です。 女性側からすれば、パンティを見てもたいしたことでもないのに、男性は女性が隠すからこそ逆に見たくなるのです。 一種の妄想を作り上げてしまっているとさえ言えるかもしれません。 男性側がこの妄想から抜け出すには、女性のパンチラ姿に馴染むことが必要でしょう。それができなければ 自分でスカートを穿いてみるのも1つの方法でしょう。もともと私は不満に思っていました。 女性にはズボンもスカートもあるのに、なぜ男性にはスカートがないのかと。スコットランドには男性が穿く スカートがあるではないか。もっと男性にも多様な服装が許されるべきだと思っています。

服装に関して言えば、世の中には女性専用の下着が多くあり、これらから男性は疎外されています。 この疎外が男性に女性の体ではなく、下着に対する興味や執着を生じさせているように思います。 ブラジャーは乳の大きくない男性には不要のものですが、男性の中にはブラジャー愛好家がいます。彼らは 一片の布切れに女性性の象徴を見出し、自分たちに欠如している要素を着用することで補っています。 しかし、三橋順子さんによれば、彼女はブラジャー対する愛着も執着もなく、外出から帰れば、すぐ はずしてしまうと言う。外では形を整えるためにやむなくつけているといった感じである。 女性の側からすればブラジャーとはそういったもののようである。

また男性がブラジャーを着用しないからこそ、女子のブラジャーのつけ方にこだわり、 その見え方に過大な期待をしていると言えよう。 パンストについても同様なことが言えるでしょう。これらは服装の分離があり、男性が着用すべきでないと 社会的に規定されているからこそ起こる現象です。

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