1.プロロ−グ-------------------------------
私は4/19(水)7:55羽田発鹿児島行きのJASに乗り、無事9:40
鹿児島着。10:45鹿児島発JACで屋久島へ無事11:25ごろに着
きました。
 あたりまえの話しですが、雲の上を飛んでいるときは、晴れていて、空港に
近くになると、雨が降ってきました。ところが、ジェット機はすごいもので、
飛んでいるときは、水滴が窓にも機体にも着かず、ただの曇りの印象。空港を
降りて、始めて天候が大雨だと分かる始末。屋久島までのプロペラ機YS−
11が飛行機らしくていいな。なんてつまらないことを考えていました。
 予定では屋久島の北側の宮古之浦港入港予定でしたが、鹿児島で、池内氏に
確認の電話を入れると、東側の安房港に入っているとのこと。着いたらまあ、
タクシーかなと思っていたところ、テティスのボースン伊藤氏の恩師の旦那さ
ん(兵頭氏)の車で、伊藤氏、池内氏、そして兵頭氏が出迎えてくれて、雨の
中さっそくドライブです。
 テティスは鹿児島<−>屋久島を結ぶ、高速船トッピーの桟橋のすぐ横に係
留されています。潮がだいぶ引いているようで(大潮が近いようです)簡易の
梯子がありましたが、乗り降りはちょっとつらいものがあります。留守番のケ
ロニア大谷氏、イクゾア?畑中氏と合流し、さっそく昼食。近くの食堂で鹿の
焼き肉を、皆で食べました。ひじょうに柔らかな肉でくせもなく、美味でし
た。まあ私の場合、食物はなんでも美味なので、あてになりませんので、その
辺は池内氏にまかせましょう。
 昼食後、雨の中、兵頭氏のガイドで、車で行ける島の滝見物です。屋久島は
それこそ滝だらけだそうです。大きな一枚岩?から流れる滝はやはり迫力で
す。この滝は、”ファイト一発”で有名な、リポDのロケ地にもなったそうで
す。その後ヒュッテ、フォーマンサンヒロ(日本野鳥の会指定協定旅館)でお
茶タイム。ここのオーナーは、野鳥に魅せられて、ここに居着いてしまったよ
うです。宿泊だけでは、物足りなくてか、喫茶部も開店したようです。私と池
内さんは、自家製のフレッシュジュースを飲み、これも美味でした。東京より
ヨットで来た旨を話すと、ここのオーナーも一度乗ってみたいとのことです。
一般の人がヨットに関心を寄せる、少しは草の根運動になったでしょうか?
 雨は降ったりやんだりの天気のまま、今度は部落の温泉に行きました。入浴
料は¥200!村民は無料のようです。温泉の支度をしてこなかったので、タ
オルを買い(これも¥200)いざ湯船に。奇麗な透明はお風呂ですが、なん
とも熱い!最初は体が冷えているせいかと思い、がまんしてはいるが、やはり
熱い。足元にはこぶし大の石が敷き詰められており、その下から、お湯が湧い
てくるようです。
 お風呂からあがり、テティスに戻るのですが、途中、テティス伊藤氏は友人
におねだりしたのか、ジムニー(軽自動車。でも本格的4輪駆動車)を借用し
たようです。テティスで夕食&酒盛り後、就寝で、私にとっての回航1日目(
4/19)が終わりです。と思いますが、どうもこのへんの記憶が定かではあ
りません。池内さん、フォローを宜しく!

2.屋久島観光 ---------------------------------
私にとっての回航2日目(4/20)の様子です。
 天候は明るい曇りで、朝7:00ごろにほとんどの人がめざめ、洗顔等朝の
個人のお勤め後、圧力鍋を使用して、お粥作りが始まります。お米は、無洗米
で、航海中は清水が節約できる便利ものです。シャケフレーク、サラダ、野菜
いため、お味噌汁、たまご等がおかずだったと思います。
 朝食後、淦汲み、艇内整理、シュラフ、オイルスキンのむしぼし等で、みる
みる豪華外洋クルーザーテティスは、難民船に風体を変えていきます。淦汲み
は新人の勤めですが、ボースン伊藤氏もいっしょにやってくれました。テティ
スはマストが艇内に貫通している、いわゆるスルーデッキマストで、貫通部分
はもちろん、パッキン、ブーツ、ビニールテープ等で処理されているのです
が、それでも水は侵入してきます。淦はバケツで約1杯と半分ぐらいでしょう
か。淦汲みなどをやっていると、船形が、たかとりとはっきり違うことが、実
感できます。
 ここで陸上でのトラブル!
ケロニア大谷氏、イクゾア?畑中氏が、借りたジムニーに乗るが、シフトレバ
ーが2本あり、副変則機に主変則機のシフトパターンのシールを張り替えてあ
る改造?で、副変則機を中立に入れてしまい、車が動かなくなり、お助けの無
線が入りました。昔スーパースージー(2ストロークジムニー)を華麗に扱っ
て、丹沢の中を駆け巡った自称ふろふぉとぐらふぁー脇の的確な指示で、むろ
ん大事にいたりませんでしたけど・・・
 一騒動の後、軽油、清水、プロパンの充填等を行なう。島のせいか軽油が、
リッター¥100で、やはり高い。清水は軽油を買ったガソリンスタンドで分
けて貰い、プロパンは桟橋のすぐ近くにプロパンのスタンドがあり、ボンベの
耐圧の確認後、すぐ充填してくれました。耐圧といえば、ノアノアで大島に行
ったとき耐圧が切れていて、髭の虎秋氏と泣きついて、充填してもらったこと
を思い出します。
 この間池内さんは散歩に行ったらしく、どこかでパンを買ったとか、”クラ
ブがあったよ!”なんていう無線がはいります。この日のお昼って、どうしん
でしたっけ?各自カップヌードルやパンなのどで軽くすましたんですよね?記
憶がよみがえりません。

 午後から、名ガイドの兵頭氏登場。屋久島観光です。しばらくヨットを離れ
観光記になります。今度の車は5ナンバーのワゴン車です。有名な縄文杉はち
ょっときついので、車でも行ける紀元杉を見に山の中へ。車道から、数分歩く
とありました、ありました。いわゆる屋久杉というやつが。紀元杉というので
すから、樹齢2千年なのでしょうか。ここでは千年2千年は、若輩者だそうで
す。杉以外に色々な植物がからみ共生し、大木を形成しています。近くに清水
が湧いており、喉をいやしました。このとき、清水タンクのひとつ、いや空の
ペットボトルでも持ってくるべきだったと皆で悔やむこと悔やむこと。ごたぶ
んにもれず美味な水です。
 次に行ったところが屋久杉ランドで、中には色々なコースがあり、スニーカ
ー感覚で、各自の体力、意気込み、年齢でコースを選べば、無理なく屋久杉を
堪能出来ます。名ガイド兵頭氏の話しでは、今ある杉は、あまり良い杉(木材
資源としての)ではないそうです。良い杉は江戸時代に年貢として、そしてチ
ェンソーが導入され始めた’50年代にだいぶ切り倒されたそうです。チェン
ソーが導入される前は、一本倒すのに相当な人力を必要とし、試し切りを行な
って、銭になる杉かどうか判断したそうです。当時の試し切りした杉が今でも
残っています。別世界ですね。ここは。
 次は屋久島環境文化村センター?です。この近くには他に2つほど、その手
の博物館があるようで、名称がはっきりしません。靴を脱ぎ、スリッパにはき
かえ、中に入ると、屋久杉を加工した板が敷き詰められている床です。この床
はコンクリート?の上に直方体の木をすき間なく置いただけのようで、歩く
と、カタコトと音がし、なかなか良いものです。
 兵頭氏の話しでは、地方に行くと、その土地の名産の建築物があるそうです
が、屋久杉はそれほど利用価値がないようで、この文化村センター?が屋久杉
を主に使った始めての建物だそうです。さっそく館長があいさつをしていき、
次に説明員(女性)がいろいろマニュアルどおりの説明します。
 屋久杉は、主な用途としては、平板にし、屋根を葺くそうです。ここまでは
女性の説明員。”平板を表裏前後と位置を変えて葺いていくと、十数年同じ平
板が使える”は兵頭氏。今では平板で葺いている家なんてありません。私は身
近で見たものはせいぜい、横浜三渓園の茶室ぐらいです。
 このセンター内では、過去NHKが新日本紀行等で、放映されたビデオを流
していました。古いのが’60年代でモノクロ。2番目が’70年代、そし
て、世界遺産に登録された最近のもの。圧巻だったのが、切り倒した大木をト
ロッコで運ぶシーンです。なんと大木の上に人間が一人づつ乗り、トロッコを
操作しながら運ぶのです。そんじょそこらのプレジャーランドの最強のびっく
り系の乗り物なんぞ、目ではないといった感じです。外に実物のトロッコが展
示されています。また、軌道も残っており、これは現在も時々ダムの管理等で
使用するそうです。
 屋久島観光を堪能し、兵頭氏と別れテティスに戻ると、宮之浦にIMS X
−38のヨットファーストが入港しているとの情報がはいり、面々がレンタカ
ーで逢いに来てくれました。そこで、”晩飯でもいっしょに”とのこと。兵頭
氏の紹介で、”ふるさと”というところで19:00を約束し別れます。
 池内氏は、後学のため、宮之浦港を見たかったようですが、時間がないの
で、あきらめ、皆で風呂に行くことになり、ジムニーに4人乗り、一人は荷物
に化けて(池内氏)荷物室へ、いざ出発。初日に入った温泉にまた行き、今度
は水道ですこし温度を下げ、ゆっくり入ることができました。
 湯上がり後、外で皆さんを待っていると、大きなリュックをもった、若い女
性が一人で、出て来ました。地元のおばさんと湯船がいっしょだったのか、外
でも会話がはずみ、耳に入ります。一人旅で、今日は、宮之浦岳(1935
m)に登り、頂上で携帯がつながり、家に連絡がつき、家族を安心させたとの
こと。そんな話しが一段落すると、おおきなリュックを苦もなく背負い、歩い
ていきました。
 我々はジムニーで、今度はイクゾア?畑中氏が、荷物に化け、テティスに戻
ります。荷物化けの経験者池内氏から、すかさずバケガクのアドバイスがあ
り、途中スーパーで買い物をしていると、先ほどの大きなリュックの若い女性
といっしょになりました。むこうは徒歩です。まあ元気なことです。

 さあ、ヨットファーストとの夜の宴会です。

3.ファーストとの宴会 ---------------------------
私にとっての2日目の夜(4/20)は、ファーストとの宴会です。
 場所は兵頭さんの紹介で”ふるさと”だったと思います。突出しは、フジツ
ボみたいな貝と亀の手で、亀の手は、だしをとるくらいの大きさのものしか見
たことがない私には、中味を食べられる大きさのものは驚きです。すでにファ
ーストの面々は集まっており、さっそく食べ方の講義があり、塩味ですが、濃
くがあり、これも美味です。
 適当に料理を頼み、乾杯。そして、メンバー自己紹介。ファーストは、レー
スメンバーが一人乗っていたが、家族に不幸があり、回航途中で降ろしてしま
ったこと。回航メンバーを集めるのに、ナイスミドルをとうに過ぎた面々に、
あることないこと、寝起きの電話攻撃とかで説得し、とにかく載せてしまえ
ば、こちらのものと、なかば詐欺同然?で乗ってもらったこと。シャークJ(
シーボニア陸置き)に半年前から、お世話になっている女性は、陸上で観光し
ていたせいか、なかなかヨットの寄港地に来なかったこと。海図は読めないけ
ど、陸の観光案内は抜群であること。メインをツーポンで、綺麗にリーフして
いたのに、彼女のパワーで、メインをあげたところ、セールが裂けたとか。寄
港地では必ず、レンタカーを借り、ヨットには泊まらず、観光協会に連絡し、
ホテル、ペンション、民宿に泊まること。No4のジブだけあげ、機帆走で
7Kはでるとのこと。ファーストにはクリートが一つもないので、今回の回航
では、アンカーは打ったことがないし、これからも打たないだろうとのこと。
実はメンバーの平均年齢が非常に高いので、セールの上げ降ろし、アンカー作
業は全部ファースト池田氏がやることになり、どうもそれがいやで、上げやす
く降ろしやすいセールを選び、どうにかアンカーを打たない算段をしていたそ
うです。その他、ホールディングペラに海草かなにかが絡み、エンジンが止ま
ってしまい、潜って取った(もちろん池田氏が)とか話しはつきません。
 ”クリートがない”とは驚きでしたが、陸置きのレース艇では、あたりまえ
なのかもしれません。ケロニア大谷氏曰く、今のケロニアも最初はついてなく、
袋に包まれた数個のクリートを別にもらったそうです。
 ここまで、ファーストの話しばかりですが、なにしろ、ファースト池田氏は
沖縄レースの実行委員長ですし、その意気込み?に我等小網代艦隊(テティ
ス、イクゾア、たかとり)は陸のうえではたじたじです。やはり陸置き艇と、
海上係留艇との違い?でしょうか??
 アルコールもだいぶまわり、私はその昔、ヨットのレーティングはこのよう
なことから最初に決まったのではないか、という歴史をさかのぼる瞬間を幸い
にして目撃できました。
 それは、ファーストとテティスでの賭けです。商品はビールとすぐ決まった
のですが、勝敗のつけかた、ビールの量などなかなか決まりません。なにしろ
相手は船齢5年で、ぱりぱりのIMSクラス。それに聞くところによると、レ
ースメンバーは10名で、池田氏以外は、直接沖縄入するとのこと。それにひ
きかえ、テティスは船齢20年で、レース要員は6名。ハンディのつけかたが
問題です。例えば”単純な着順では、ファーストが勝つに決まっているので賭
けにならない。”と言うと”ドン吹きになって、IMSクラスの細いマストが
折れたら、リタイヤじゃないか、テティスは太平洋シングルハンドにでようと
したヨットだろ?マスト含めて頑丈だよな”と応酬される始末。”クラス分け
での順位にしよう”、”テティスが負けたら、6/24、25のダブルハンド
でリベンジを条件に”、”ファーストが勝ったらアサヒスーパードライ3ケー
ス、テティスが勝ったらエビスを10ケース”などと、なかなか結論は出ずに
話しは、盛り上がること盛り上がること。そのうちテティスのボースン伊藤氏
は、オーナーグループの児玉さんに携帯で連絡をとる始末。さあ、この賭けは
どうなるのでしょうか?
 世界では沢山のレースがあり、難しいレーティングの算出に苦労するようで
す。勝敗の裁判沙汰も結構あるとのこと。でも最初はこのような宴会から、和
気藹々と、たわいもないところから始まったのでは・・・
 そうこうしているうち、あらかたご馳走も食べ尽くし、おひらきです。店の
外にでて、おたがい記念撮影。異口同音に出る言葉が、”これが最後かもしれ
ない。”と。とにかく安全に事故がないことです。
 さあ、いよいよ、明日は、奄美大島めざし、私にとっての初めての帆走。そ
れもオーバーナイトもあります。この歳でも期待と不安で、胸が一杯です。

4.アタック奄美大島------------------------------
 さあ、今日は3日目の4/21。屋久島出航の日です。めざすは、奄美大島
名瀬湾。ざっと130M。4Kで1日と8時間30分。5Kで1日と2時間。
夜の名瀬湾入港は避けるため、朝の10:30出航。ライフジャケットにオイ
ルスキン、そしてハーネスをきっちり装着します。
 他の4名(テティス伊藤ボースン、ケロニア大谷、イクゾア畑中、たかとり
池内)の皆さんはベテランで、すでに四国の土佐清水から乗っており(除、伊
藤ボースン。ボースンのみ三崎からです)慣れた雰囲気で、まったく気負いも
なく、勝手知り足る相模湾でのセーリングと何も変わらない様子。その中で自
分一人興奮し、怯え、そして”これは夢ではないのか”と思い、肩からずり落
ちるハーネースたくしあげる始末。
 ボースン伊藤氏のナビゲーションで、港を出て最初にラット(舵輪:たかと
りではティラー)を握ったのは池内氏。ツーポンのメインだけをあげ、機帆走
です。風は西で、波が悪いようですが潮はまあまあのようです。コースは
210度から205度(南南西)。艇に比較(比較する方がおかしい!)して
島があまりにも大きいためか、離れているはずなのに、島の外周を回っている
ように感じます。後方には種子島が見えます。YS11で空から見たものと、
また違った風情。
 ”昼間の内うちに、ラットを握って慣れててね”と、ボースン伊東氏。そう
です、少しは戦力にならないと。現在予定では、大島でベテラングループのケ
ロニア大谷氏、イクゾア畑中氏、たかとり池内氏は下船してしまい、奄美大島
−>沖縄の約150Mは、ボースン伊東氏、それから、大島で乗るナジャの武
田氏と私の3名だけになってしまうのですから。
 さっそく、初めてラットを握りヘルムをとります。池内氏から、コース
210度を保つ旨の指示をもらい、ラットの感触を楽しみ、コンパスの動きを
見ます。テティスは、ラットを握って正面にメインのコンパスが見え、なおか
つ座れます。コンパスの行きたい方向にラットを切ると、そのとおりに艇は動
きます。たかとりのような、ティラーでは正面に座れず、コンパスも確か逆の
動きだったと思います。そのあたりは、初心者にも扱いやすいのですが、人間
長い時間同じ姿勢は保てません。体をよじたったり、用もないのに立ったり座
ったり、また、いつも10時10分に、ラットを握っているのも、辛くなって
きます。
 そういえば、たかとり池内氏は、適当に風上サイドに体を移して、ラットの
3時付近を両手で持ったりしていました。池内氏曰く”サイドでラットを握る
と、コンパスが見にくい”と。メインのコンパスは、度数を見るマーカーが正
面しかなく、サイドに行くとそれが見えないのです。ドッグハウス横のコンパ
スのように30度?ずつ左右にマーカーがあると良い?ようです。
 昼食は各自、適当にカップヌードル、バナナ、トマトをほおばり、すまして
います。私も約3時間ぐらいラットを握ったあたりで、イクゾア畑中氏と交代
しました。
 出航後、12:00ごろから、ボースン伊東氏の指示で、マゼランのハンデ
ィGPS(かまくら平賀氏のおみあげ?)で1時間措きにポジションをとり、
チャートに書き込むのはケロニア大谷氏。
 船内に入り、ハーネス、オイルスキン、ライジャケ、ブーツを脱いだあたり
で、ちょっとおかしい。お湯を沸かし、カップヌードルを作って食べるが、半
分ぐらいしか食べられない。調子が悪い。とりあえず3時間ほど眠れるので、
クォーターバースで眠る。
 エンジンの音が盛大(でもたかとりに比べれば格段に静か)に聞こえるク
ォーターバースですが、すぐ眠れます。しばらくすると、眠りが浅くなり、コ
ックピットが騒がしい。どうやら、魚が釣れたらしい。かつおとまぐろだそう
です。さっそくケロニア大谷さんがスターンデッキでさばき、厳重にビニール
に包みアイスボックスへ。
 私はそろそろ時間ということで、オイルスキン、ブーツ、ハーネスをライジ
ャケにセットし、外へ出る。どうも調子が悪い。ここで例のように風下のポー
トサイドで、豪快にこませをまく始末。でも魚釣りはすでに終わり。こませを
まくと気分はだいぶよくなり、またラットを握る。すると、
 ”もうヘルムも大丈夫じゃないか”とおだてるボースン伊藤氏。
 ”ぶたもおだてりゃラットも握る”と私。
ここから私は睡眠以外で、しばらく艇内に入れなくなってしまいました。食も
あまり進みません。体内に脂肪をだいぶ蓄えているので、まあ大丈夫でしょ
う。そのうち何か食べられるようになるでしょうと、たかをくくっています。
 そのうち、池内氏が携帯をしまおうとしてふと見ると、なんとアンテナが三
本立っているではないですか。さっそく自宅に現在の様子を電話したようで
す。これは後から知ったのですが、保安庁の連絡は118番の緊急が使え(
5/1より)、灯台のある場所には中継所を作っていくそうです。ですから、
島が見えたら、携帯は繋がる可能性は大きいでしょう。後は、落水したとき、
すぐだめにならないように、防滴ケースに入れておけば、助かる可能性は高く
なるでしょう。でもパニックになって、ポジション等を伝えられないといけま
せん。GWのいたずら電話が多かったことが、新聞報道されていました。
 曇り空の一日の日が暮れていきます。いよいよナイトクルーズです。本格的
な闇が来る前に、可愛い、可愛い訪問者がテティスに現われました。さてその
正体は?

5.可愛い訪問者-------------------------------
 可愛い訪問者とは、この時期ですから、大体想像出来るでしょう。そうです、
つばめです。それもどうやら、つがいのようで、2羽です。4/21の日
も暮れようとしたときやって来ました。最初テティスの周りをぐるぐると飛
び回り、どうやら留る場所を捜しているようです。
つばめになったつもりで、ピッッピッピピ語を翻訳すると
 バウのライフライン    ;揺れるなー
 ラットを握っていた私の頭 :頭悪そーで移ったらやだなー
 ラットを握っていた私の親指:せわしなく動くなー、休めないよー
とさんざん捜しまわり、最終的にどこに留ったと思いますか?スターンのポー
ト側のパルピットです。
 艇内はもう大変、にわかフォトグラファーがデジカメ、キャノン、防滴カメ
ラにコンパクトカメラ。出るは出るはで、大撮影会。一人が言います”ストロ
ボを、たいたら逃げるぞ!”でもだいぶ闇いので、たかないとちょっと写らな
い。恐る恐るたいてみると、別段逃げる気配はない。
 ”早く撮ってよ!ポーズ決めるのも大変なんだから”とつばめさん。
ということで、そうそう撮影会はきりあげます。2羽が並んで動きもせず留っ
ています。意外にも小さい。まあ、とにかく可愛い。ここで人間共の会話。

”何処から来たんでしょうね?”
”大島から来たのだったら、大変だ。戻っちゃうよ”
”どうやって行く場所、方向が分かるんでしょう?”
”闇くなって目は見えるのでしょうか?”
”食料はどうするのでしょう?”

 しばらくは居たのですが、逆コースに気が付いたのか、来た時のようなつば
め語を発することなく、無言でさって行きました。残念ながら見送ったクルー
はいなかったようです。
 可愛い可愛い訪問者がいなくなったころには、日もとっぷりくれました。さ
ていよいよナイトクルーズです。落水したらまず、おだぶつですが、それでも
フラッシュライトが配られ、各自、腕にマジックテープでつけます。もし落水
したら、落ちた方も大変ですが、(なにしろおだぶつですから)捜す方も大変
です。いくら見つかりっこない。と思っていても、見つかるまで見つける作業
はつづくでしょうし、関係各所に連絡を入れ、マスコミの”報道”とは、かけ
離れた記事に耐えなくてはならなくなります。とにかく安全に安全にと思いな
がら、ラットを握っていました。

6.ナイトラン見えたぞ名瀬-----------------------
 21:00ごろに月が上がってきます。右上がちょっと欠けていますが、充
分大きく、明るい。そのせいか、星があまり見えません。ヘルムを変わっても
らい、クォーターバースで眠ります。寝付きは早く、最初の眠りは深いようで
す。その後、数度眠りが浅くなり、夢か現実か区別のつかない世界をさまよい
ます。だいぶ慣れてきたのか、夢ごこちで、”呼ばれるまで寝ていましょ!”
と思ったりします。外では、ボースン伊藤氏が”ねえ呑みましょう”の声が。
すかさず、何かつまみも出てきたようです。夢か現実か、よく分からない。バ
ースの中からは、その声に誰が答えたのか、今のワッチが誰なのか分かりませ
ん。結局全部夢なのかもしれない。
 22日03:00ごろでしょうか、ボースン伊藤氏に起こされます。寝起き
はいいほうなのですが、深い眠りと浅い眠りのサイクルの悪いところだったの
か、ぼーっとしています。オイルスキンを着るとスターンで用をたすのに苦労
するので、とりあえず、ライジャケとハーネスをつけ、まず用をたします。用
をたすときの落水が多いようなので、寝ぼけて行なうのは危険です。再度艇内
に戻り、防寒、防水、フラッシュライト、ライジャケとハーネスをつけワッチ
にでます。コックピットは良い匂がします。眠りが浅かったときの夢とも現実
ともつかぬ”呑みましょう”は現実だったようです。しばらくコックピット
で、体、頭をを外気に慣らし、またラットを握ります。ボースン伊藤氏がポジ
ションをチェックした後、仮眠。コックピットには、良い匂をさせてご機嫌?
のケロニア大谷氏と私の二人。そして会話。
 ”00:00から4:00までのワッチがいちばん辛い”
 ”ワッチが終わって仮眠していると、朝飯だ!といって起こされる”
 ”何も目標物がないときはコンパスをたよりに。でもヘルムは難しい”
 ”遠くの星や雲を目標にするとヘルムはとりやすい”
ボースン伊藤氏から”残航20M”の声がかかると、私は
 ”5Kで4時間ぐらいかな”と思いますが、ケロニア大谷さんは
 ”初島ぐらいだな”
 ”いつもセーリングする相模湾に置き換えると実感が湧く”
とのコメント。
 月がだいぶ西の方に傾いていき、サイドステーの内側に見えるようになりま
した。ときどきコンパスでコースを確認しながら、月を目標にヘルムをとりま
す。東の空も明るくなります。海から昇る太陽を期待するのですが、日の出の
常で、雲が、かかりやはり見えません。
 あたりが明るくなり、皆様お目覚めです。一息ついたところで、朝食です
が、私はまだあまり食欲が湧きません。その旨を伝えると、”じゃあ、まだヘ
ルムをとっていてね”とボースン伊藤氏。ボースン伊藤氏が、下ごしらえした
素材(サラダ、ウィンナー等)に皆さんは、それらを適当にロールパンにはさ
み、ぱくついています。それを見ているうちに、何か食べられそうになり、そ
んな気配を察知したのか、すかさず池内さんが”サンドイッチ作ろうか?”の
暖かいお言葉。さっそくお願いし、おっかなびっくり、食べてみると、食べら
れる。だいぶ海に体が慣れてきたのでしょう。朝食及びかたづけが終わったあ
たりで、ヘルムを交代してもらいました。
 最初に島影らしきものを見つけたのは池内さんです。明るい曇りの天気で
は、雲の色に溶け込んで島は、なかなか確認出来ません。やっとクルー全員が
それと分かるまでは、もうしばらくの時間を必要としました。
 もやもやした中の島影でもうれしいものです。やはり”きたぞー!”という
気分でしょうか。グレーの島影から、はっきり島の輪郭が分かり、やがて緑も
見えてきます。
 湾の中央には、小さな島があるようです。それにしても驚いたのが、湾の広
さです。湾に入ってから、1時間以上かかったと思います。携帯が繋がりま
す。すでに港ではナジャの武田氏が着いており、漁協の人から係留の了解を得
た等、情報が入ってきます。湾の一番奥に係留しました。水はとても綺麗なの
ですが、ごみが結構浮いています。
 ついた早々保安庁の人間が、3名ほど乗り込んで、いわゆる臨検です。さ
あ、ボースン伊藤、関係書類等大丈夫ですか?

7.臨検そして昼間の宴会-------------------------
 名瀬には10:30ごろ入港したと思います。桟橋では、ナジャ武田氏が係
留の準備をしていますが、横にはすでに、3人もの保安庁の人間がいます。最
初の挨拶等はやんわりでしたが、”ではちょっと中を更めます”といいうこと
で、3名乗船し、そのうちの1人がキャビンに入り、根堀、葉堀ボースン伊藤
から、何か不具合の書類がないか聞いているようです。外では、2名と我々が
懇談。”沖縄−>東京レースにでるため船を回航してきた”、”ふーん、すご
いですね。”とまあ、外では、とるにたらない話しがつづきます。
 やっと書類が完備していることが確認でき、ボースン伊藤が”明日、古仁屋
に行くのだが、潮は大丈夫ですか”と聞くと、”リーフさえ気おつければ、大
丈夫です”との答え。でも”今年単身赴任してきた”とか”私達も行ったこと
がないので、あまりよく分からない”とかで、自信のない言葉がつづきます。
 海に関しての有用な情報はあまり出てきません。聞くところによると、陸上
勤務だそうで、これでは仕方がないのかもしれません。うわさでしか聞いてい
ませんが、オーストラリアのコーストガードの対応とは随分違うようです。結
局良い情報は、格安の航空券が手にはいる、旅行会社まで案内してくれたこと
ぐらいでしょうか。(イクゾア畑中、ケロニア大谷、たかとり池内はここで下
船のため)さすが単身赴任!!
 船内をかたずけ、昨日釣った魚を鮪は刺身に、鰹はたたきにし、昼の宴会の
はじまり。1日、おいたせいか、丁度良い味。そしてなんといっても、一切れ
のその厚み。街では、まず出会えない厚みです。
 ビールが残りわずかになってきてますが、さしみは、まだ沢山あります。そ
うこうしているうち、やってきました、ビール、じゃなかった、ファースト池
田氏。ところが、なにを血迷ったか、ファースト池田氏は手土産げがありませ
ん。ボースン伊藤の怒涛のつっこみに、ファースト池田氏、すかさず、市内観
光に行っているメンバーにTELを入れ、ビールの手配。やがて、ビールもそ
ろい、いや違った、ファーストのメンバーもそろい、昼から大宴会が始まりま
す。ファーストが5名テティスが6名、合計11名がテティスに乗り、刺身を
食べて、やっと刺身がなくなります。2匹でちょうどいい量。あれ以上釣って
無駄にしなくてよかった。あの時の判断は正解でした。
 この宴会でも話しは盛り上がり、いつのまにか、明日古仁屋まで、クルー交
換が成立し、私がファーストへ、そして、シャークJに半年前から乗っている
女性がテティスに乗ることになりました。女性が言います。”何時にくればい
いですか?”、”6:00出航だから、5:30ごろでしょう”
 夕方、夕食の買い出しを、池内氏と近くのダイエーで行ない、(今まで入っ
た港でいちばんにぎやか:池内談)池内氏の定番メニューの納豆、その他、私
は豆腐を買い、テティスに戻り夕食です。
 近くの漁協は、魚祭の前夜祭で、飾り付け行ない、若い衆が宴会です。こち
らは朝が早いものですから、21:00ごろには消灯。消灯間際、ケロニア大
谷さんが、”君は朝が強そうだから、明日5:00に起きなかったら、起こし
てくれ”と、人間目覚まし時計の依頼。それでは皆さんお休みなさい。

8.古二屋の宴会--------------------------------
 ”大谷さん、朝ですよ”定刻の5:00に人間目覚ましに化けた私は、遠慮
しながら鳴ります。そして皆さんが起きてきます。近くの漁協で、朝の個人の
お勤めをすますと、なんとやってきました、交換クルーの女性。よく起きられ
たものだ。朝食を進めるが、コーヒーだけ飲んだようです。私も交換の準備を
します。6:00出航。途中ファーストが、係留してある桟橋によって私を降
ろし、テティスは古仁屋に向かいます。朝日に照らされ、ドラマチック?
 ここから古仁屋までは、ファーストでの模様です。
さっそくファーストに乗ります。もちろん誰もいません。艇はX−Yachの
IMX38。大きさはテティスとほぼ同じですが、こちらはIMSレーサー。
さっそくクリートを捜しましたが、話しどおりありません。コックピットは平
たくて広い。メインシートの取り回しなんぞは初めて見るものです。
 ひととおり見ていると、桟橋には、散歩の人々が。そのうちの何人かは話し
をしていきますが、沖縄レースなんて知っている人は誰もいない。アメリカズ
カップに挑戦している国とは思えない。やはりここは日本だ。
 キャビンには鍵がかかっているので、コックピットで朝寝。8:00ごろフ
ァーストの面々到着。そして出航。真向かいの風。波も悪く、定石どおり、波
にたいして30度ぐらいの角度で、タックタックの繰り返しで、コースをとり
ます。
 航海計器は充実しています。マストに風向風速計、ログメーター、GPS、
キャビンにログメーター、デプスメーター、GPS等に切り替えられるマル
チメーター。レーサーとしてはあたりまえの装備かもしれませんが、みな初め
て見る物ばかりです。艇速はベアポールの機走で、4Kぐらいでしょうか。
 風、波が落ち着いたところで、No4ゼノアを上げます。小さいセールです
が、6〜7Kに増速です。そのうち、”ラットを握るか?”ということで、ヘ
ルムをとることになりました。まず、足場を固めて、210〜205度にコー
スをとります。
 そうこうしているうちに、”朝のティータイム”ということで、11:00
ごろなんと、ケーキが出てきました。最年少でも?0才を越えた面々ですが、
皆さんおいしくいただいきました。機帆走中でのケーキも初体験です。
 海ではいつのまにか、イルカがやって来てます。相当好奇心が強いのか、逃
げるどころか、コースを右へ左へ横切り、ときどき小さなジャンプまでして、
遊んでくれます。ファースト池田氏も童心に帰って、イルカが横切りそうにな
ると、スロットルをあげて、艇をぶつけようとしますが、まったく無駄。海で
はかないませんね。
 昼食の豪華なサンドイッチを食べ、気持ちいい風を受け、日差しはそれほど
強くなく、ヨットは軽快に走ります。最高ですね。”南の島に来た”って感じ
です。
 やがて、大島海峡にさしかかり、先に入ったテティスから、風、潮の情報が
無線で入ります。潮流が若干速いところがあるそうですが、まあ大丈夫とのこ
とです。ここは本当に別世界。両岸の山の緑が美しく、人家がほとんどありま
せん。浜辺も人がほとんどいません。上陸すれば、完全にプライベートビーチ
です。もしここに飛行艇が桟橋に止まっていれば、もうそこは、映画のワンシ
ーン。”こんなところで、ディンギーでも走らせてのんびりしたいな”と言え
ば、”1ヶ月であきるだろ”との返事は、都会暮しの悲しさか。確かに、初め
てくるから、新鮮なのでしょう。
 海峡を楽しみ、やがて、古仁屋港に入港です。伊豆から沖縄レース参加のラ
ッキーレディーが、すでに入港しており、ラッキーレディー稲葉氏のはからい
で、地元の葛西氏が、ボートで出迎えてくれて、係留場所を指示してくれま
す。ありがたいことです。最初は漁港に入りましたが、漁船が戻ると、スペー
スがとれなくなり、按配が悪いのと、テティス、ラッキーレディーと離れてし
まうので、地元のプレジャーボートが、集まっている港に移動し係留しまし
た。
 テティス、ラッキーレディー、ファーストと、沖縄レース参加13艇のうち
の3艇が集まりました。ただ、こちらの港は、スクラップ運搬船が横着けされ
ており、日曜だというのに、ずっと作業をしていてます。その騒音と、埃には
閉口しました。
 ここで、イクゾア畑中氏、ケロニア大谷氏、たかとり池内氏は下船し、温
泉?に入った後、バスで、奄美空港に向かったそうです。
 3艇も集まれば、そうです、夜は大宴会です。地元の葛西氏より、味園とい
う店に予約をとり、日は暮れていきます。大宴会の模様は次回ということで。