朝日新聞2007年7月28日朝刊 beより

ウィーン弦楽四重奏団(ウェルナー・ヒンク(第1ヴァイオリン)、フーベルト・クロイザマー(第2ヴァイオリン)、ハンス・ペーター・オクセンホファー(ヴィオラ)、フリッツ・ドレシャル(チェロ))とは、お互いが大切なパートナー。付き合いは最長のヒンク氏で34年、最短のオクセンホファー氏でも9年だ。=ウィーンのカジノ・バウムガルデンで。

最上級の音楽を後世に残す。

「テークワン」

 緑濃いウィーンの住宅街にある、かつての社交場「カジノ・バウムガルテン」。いまは録音スタジオとして使われるホールに合図の声が響くと、高く豪華な天井いっぱいに、美しく豊かな弦の音が広がった。

 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、ウェルナー・ヒンク(64)率いるウィーン弦楽四重奏団がブラームスを録音していた。

 スピーカーから寸分たがわぬホールの響きが届く小部屋の、録音機器をにらむエンジニアの後ろで、プロデューサーは目で楽譜を、耳で音を追っていた。演奏を中断しては議論を繰り返す4人の気配を、スピーカー越しにじっと読む。「最初は何も言わない。どうするか決めるのは彼らだからね」

 機が熟したとみるやホールに向かい、なかなか結論が出なかった議論に決着をつけた。すると、音はみるみるうちに輝きを増し、ハーモニーは頂点をきわめた。

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 73年、日本ビクターの社員として名門レーベル「RCA」に入り、同弦楽四重奏団の録音のため、ウィーンを訪れた。シェーンブルク宮殿を目指したが、タクシーは「シェーンブルン宮殿」へ。新参のうえに遅刻。「プロデューサーとして認知してもらえなかった」

 世界屈指の演奏家たちの認識は5日で変わる。

 ヒンクに向かって切り出した。「そこは(弦を押さえない)開放弦を混ぜない弾き方で聞きたい。せっかくの歌が途切れてしまっていますよ」

 小柄な日本人の率直な物言いが琴線のどこかに触れたのか。ウィーンフィルのコンサートマスターは指使いを直し始めた。井阪を「イサカサン」と敬意を込めて呼ぶヒンクは、「その5日間でイサカサンは、ぼくらの演奏のウィーンなまりを大切にし、表現したい方向へ引っ張っていってくれる人だと感じたんだよ」と振り返る。

 数限りない音楽を聴き、本を読む。楽譜を深く読み込み、その演奏家の魅力をできうる限り引き出す。その仕事ぶりは、ブルックナー指揮の第一人者だった故クルト・アイヒホルンをうならせ、名ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ、アンドラーシュ・シフらの敬愛を集め、音楽の都ウィーンの人々に愛されている。

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 昨年のモーツァルト生誕250年、音楽マンガ「のだめカンタービレ」のヒット……日本クラシック音楽界はクラシックブームに沸く。しかし、売れるCDは大手による過去の録音を集めた名曲集ばかりだ。

 そんな中、こつこつと質の高い新作を生み出し続けてきた。かつてスパイダースをヒットさせ、ジャズピアニスト秋吉敏子の名盤「孤軍」を世に問うた名プロデューサーは、「録音という財産を後世に残す」ため、クラシックをはじめ、ジャズ、邦楽、邦人作曲家の作品の録音にも力を注ぐ。

 自称「レコーディングプロデューサーのラストランナー」は今日も世界のどこかで音楽と戯れている。

文・魚住ゆかり
写真・南部泰博



「そこはもっとピアニシモで聞きたい」。彼らとのやりとりは、お互いの第二言語の英語だ。

演奏家の一番いいものを引き出す

 ――思い切った直言で一流の音楽家の信頼を得ています。

 井阪 実は、僕は正規の音楽教育を受けていない。ぜんそくで体が弱かったので、楽器も中学の時、ベニー・グッドマンにあこがれて買った中古クラリネットを少しだけです。

 ――音楽に精通した訳は?

 井阪 とにかく音楽が好きで小学校のころ、学校から帰ると蓄音機でおやじのクラシックのSPを毎日、全部聴いていた。高校では合唱部、大学はグリークラブに入りたくて同志社へ。3年生で指揮者になるはずが、降りる羽目になり、悔しくて音楽を究めようと、作曲と指揮と和声を習ったんですよ。

 ――そしてビクターへ。

 井阪 営業を2年やった後、クラシックからフォークまで、いろいろ手がけたけど、プロデューサーデビューは、谷川俊太郎、金子光晴らが自作を朗読した「日本現代詩大系」。一流の人たちとの業界初の仕事は自信になりました。

■楽譜に正解

 ――なぜクラシックへ?

 井阪 レコーディングプロデューサーにとって、クラシックほどやりがいのある仕事はないと思う。ジャズもポピュラーも楽譜が流動的で演奏者に左右される部分が多く、僕がいることで質が大きく変わることはないが、クラシックは楽譜に正解がある。ある程度好きなことはできるけど、譜面を変えたら絶対にいい答えは出ない。モーツァルト以上の才能があれば別ですが(笑)。曲のあるべき姿と、演奏者の表現とのバランスを取りながら、演奏家の一番いいものを引き出し、いい作品に仕上げる醍醐(だいご)味がある。

 ――それには?

 井阪 演奏家の美点は絶対にいじらず、放っておく。そこが崩れた場合だけ指摘します。欠点は話し合いながら直しますが、「ここができていない」と直接言った方がいい人もいるし、何も言わずにできるまで待つ方がいい人もいます。

 ――どんな人にも対応を?

 井阪 名指揮者カルロス・クライバーは、嫌いな曲は振らなかった。仕事ならやるべきだという考え方もあるが、音楽の場合やらないのが正しいと思う。プロデューサーも合わない人と本当にいいものはできない。一生懸命相手のいいところを探すけど、これ以上は手伝えないと思うことは正直ありますよ。

 ――人間的な仕事ですね。

 井阪 自分の能力の範囲内で誠実にやった上で、さらに成長できるよう努力する以外ない。もう66だから、成長できるかどうかわからないけど(笑)。

 ――必要なことは。

 井阪 知識と経験を重ねることかな。この仕事は、あらゆるものを栄養にして、成り立っている。僕の場合、ジャズもロックもポップスも、あらゆるジャンルの音楽を聴いてきたのがよかった。できるだけ多くのものを吸収しておけば、多くのことに正しく反応できますから。

 ――録音の本拠はウィーン。

 井阪 独立後、約10年かけて拠点をつくりました。機材を少しずつ運び、90年ごろ、すべて自前で録音できるようになりました。住居も借りています。

 ――なぜウィーンに。

 井阪 録音に足しげく通ううちに、「住んだ方がいい」とウィーンの友人たちが勧めてくれました。かつてここに暮らした多くの音楽家の存在を感じることで音楽の理解も変わった。たとえば僕の好きなシューベルトの音楽は、ウィーンの自然と人が持つ優しさと、人なつっこさ、寂しさでできていると、初めて深く理解できました。

■作り続ける

 ――日本では、クラシックブームが続いています。

 井阪 TV版「のだめカンタービレ」の監修は、うち所属のオーボエ奏者・茂木大輔です。でも、クラシックがブームというより、ポピュラーがプアなのでは。今はヒットしていても、エバーグリーンになれるメロディーがない。みんなが聞ける音楽となると、結局、クラシックになっちゃうんですよ。

 ――原因は何でしょう。

 井阪 業界が、20歳以下を対象にした音楽にばかり力を入れてきた弊害でしょう。最近はクラシックもコンビニのように、店頭で動かない商品は1カ月くらいで入れ替えられることも。マイノリティーを切り捨てたら何がマジョリティーかわからなくなって、すべてがなくなる恐れがある。音楽産業は大きな曲がり角に差しかかっています。

 ――カメラータ・トウキョウは流れに逆らっています。

 井阪 ほしい方に必ず買っていただけるよう、廃盤にせず在庫を持ち続けます。自分の小さな会社だからできるんですが。

 ――井阪さんは本当にラストランナーになりそうですか?

 井阪 いや(笑)。きっと音楽ソフトをつくる仕事はなくならない。だから、これは作っておくべきだと思うものを、アーティストと一緒に一枚一枚残します。メディアは変わっても提供され続ける、百年、二百年の命をもてる価値あるものを。そのディスクを理解し、愛聴してくださる方がいれば、それ以上の喜びはありません。


朝日新聞 2007年7月28日 朝刊 フロント・ランナーより引用。