●手を取り合って (後編)



             ◇  side 士郎  ◇


 入院は三日ですんだ。
 遠坂の魔術薬と治癒魔術のおかげとはいえ……自分でもあきれる頑丈さだ。
 頑丈と言えば、エルンストと戦ったときも妙だった。足を噛み裂かれたのに、気合だけで立ち上がれるわけがない。

 ――この身は剣。血潮は鉄で、心は炎。

 心の奥底から聞こえてきた、奇妙な言葉と鉄を打つ音。
 あれ以来、自分の身体を解析すると、必ず『剣』のイメージが混ざる。
 話に聞く『起源の覚醒』とも違うようだ。コレについても、遠坂に相談したい。
 一歩一歩確かめるように、ゆっくりと遠坂の家に続く坂道を上がっていく。
 病院では、看護師さんや藤ねえたちの目があって、魔術に関わる会話はできなかった。今日こそ、遠坂に俺の意思を伝えなければ。
 やがて遠坂の家が見えてきた。尖塔のような屋根をもつ異国風の屋敷。あいかわらず他人を拒絶するような雰囲気を放っている。
 臆することはない。この屋敷に住む者の情け深さを、俺はよく知っている
 念のため、呼び鈴を鳴らした後、結界を解除する言葉を呟いた。屋敷の結界が揺らぎ、中に入れるようになる。
 結界の解除コードは変わっていなかった。そんな当たり前のことがとても嬉しい。もし遠坂が本気で俺を拒絶するのなら、このコードだって変わっていたはずだ。
「遠坂ー。いる……かぁ?」
 玄関を開け、遠坂の在宅を確かめようとして絶句する。
 玄関から中に続く廊下には、段ボール箱が山積みになっていた。小さいものから、大きなものまで様々だ。どの箱にも『天地無用』だの、『割れ物注意』だのと書かれている。
 引越し……にしても妙だな。
「おーい! 遠坂ー! あがっていいかー?」
「士郎ー? 居間に来てー」
 返事だけが返ってくる。手が離せないといった様子だ。
 勝手知ったるなんとやら。居間へ向かう。
 居間の扉を開ける。ここでも段ボール箱が所狭しと置かれていた。うず高く積まれた段ボールの山は、地震が来たら崩れてしまいそうだ。
 少し片付けた方がいいかと思ったところで、段ボールの影から遠坂がひょっこり出てきた。片手に赤ペン、小脇に紙束を抱えている。何かのリストをチェックしていたらしい。
「なんなんだ? この箱の山は?」
「貴方の魔術の修練に関係あることよ。あちこち手配するのに、苦労したわー」
 遠坂は疲れた様子で、トントンと自分の肩を叩く。
「そうか。色々と迷惑をかけて、すまないな」
「気にしないで、その分しっかり元を取らせてもらうから」
 遠坂がニンマリと笑った。嫌な予感がする。ろくでもないことを企む『あくま』の笑顔だ。しかも、極上。

 ――問題ない。気にするな。どうせ問題があっても逆らえない

 心を落ち着けるために、呪文じみた独り言を脳裏で繰り返す。
 三回、深呼吸。よし、落ちついた。
「……俺の魔術のための品を集めてくれたということは、師匠を続けてくれるって考えていいんだよな?」
「……その話がまだだったか。
 この品を無駄にするつもりはないけど、ずっと師匠を続けるかどうかは、士郎の話を聞いてから決めるわ」
 遠坂は渋い顔をした。座って、とソファーを指し示す。俺が座ったのを確認して、遠坂も向かいのソファーに座った。
「今日、ここに来たということは、結論がでたということでいいのね?」
「決めた。病室でじっくり考えた」
 遠坂と正面から見つめ合う。緊張で手のひらの汗がじっとりと濡れるのがわかった。遠坂も背筋を伸ばし、緊張した面持ちだ。
「士郎は……聖杯戦争に参加するの?」
「ああ。俺は聖杯戦争に参加する」
 自分の意思を伝えるために、はっきりと言い切った。
 遠坂の目が見開かれ、息を呑む音が聞こえてきた。遠坂の表情がこわばる。だがそれも一瞬のこと、遠坂は静かに目を伏せた。
「…………そっか。参加するんだ。予想通りだけど、期待通りじゃなかったな」
 遠坂の声は隠し切れない何かに震えている。動揺しているのか。
 予想通りというのは、俺が敵に回るということだろう。
 期待していたのは、俺が聖杯戦争に関わらないことか。
 遠坂の考えに腹が立つ。人のことを変に予想したり、期待したりするな。
「――士郎が六年前の戦いの犠牲者だと知った時から、そんな予感があったんだ。
 士郎、今でも生き残ったことが苦しいんでしょう?」
「……そうだ」
 俺の心には、深く焼きついた火傷の跡がある。言峰のせいで、遠坂には何度か見せてしまった。いまさらそれを隠しても仕方がない。
「士郎の『正義の味方』を目指す姿勢は尋常じゃない。自分の身を振り返らず、誰かのためになろうとする姿には、寒気さえ感じる程よ。
 ……六年前、貴方が何を見たかはわからない。でも、それが文字通り地獄だったことくらいは想像がつく」
 そうだ、あの日は地獄だった。燃える炎の中で、誰もが『死にたくない』と『助けてくれ』と叫んでいた。生きながら炎に焼かれる絶叫を、数え切れないほど何度も聞いた。
「そんな中、生き残った貴方が、心に傷を負わなかったわけがない。生き延びたことを罪と感じないわけがない――」
 親しい誰かを助けるために死んだ人がいた。見知らぬ誰かのために力尽きた人もいた。
 助けてくれと叫んだ人も、助けようとした人も、誰も助からなかった。
 生き残ったのは、助けを求める声を全て振り払った子供だけ。
 法に問われる罪ではない。魂に刻み込まれる罪だ。
「――聖杯。あらゆる願いをかなえる奇跡の杯。聖杯なら貴方の傷を消せる。六年前の大惨事さえも、なかったことにできる。
 聖杯を求める理由としては充分。士郎が聖杯に選ばれることは必然だと思う。誰よりも聖杯にふさわしいのは、聖杯戦争の犠牲者である士郎かもしれない……」
 でもね、と遠坂は顔を上げた。硬い表情は魔術師としてのソレだ。あらゆる情をそぎ落とし、死ぬことと殺すことを覚悟したあり方。
「わたしも、負けるわけにはいかない。聖杯戦争で勝利することは、遠坂家の悲願なのよ。父も、母も、聖杯戦争にその身をささげたのに、わたしだけが逃げることなんてできない!」
 遠坂は決意を全身にみなぎらせて立ち上がった。火のつきそうな視線で俺をにらむ。
 前回の聖杯戦争は六年前だ。遠坂の家族は、その時にいなくなったのだろう。
 遠坂も、決して譲れないものを持っている。聖杯戦争に参加しない選択肢は、もともと遠坂の中になかった。
 だから、俺の選択肢も決まっている。迷うことなどない。

「――そうだな。勝とう。遠坂」



 カチコチと柱時計が時を刻む音がする。
 五秒……十秒……長いな。
 遠坂は、あっけにとられた顔のまま固まっている。
 ……二十秒経過。呆然とした遠坂などめったに見られない。かなりレアだ。めずらしいのはいいが、そろそろ帰ってきてくれないものか。
「……………何て言ったの?」
 二十四秒、ようやく自分を取り戻したか。もっとも、まだ俺の言葉の意味は通じていない。遠坂は予想外の出来事に弱いようだ。
 まったく、人が聖杯を求めると勝手に予想したり、聖杯戦争に参加しないことを期待したりするからだ。
「勝とう、と言ったんだ」
「……士郎、聖杯戦争に参加するのよね?」
「そう言っただろ。参加するぞ」
「――なんで『勝とう』なワケ? そこは『俺も負けない』じゃないの?」
「遠坂と一緒に戦うなら『勝とう』だろ」
 頭をかきながら返事をする。そこまで予想外だったとは、実に心外だ。
「……聖杯は?」
「――要らない。そんなものは、求めない」
「なんで……?」
 理解不可能なモノを見る視線と、心底不思議そうな声。
 遠坂が疑問に思うのもわかる。切嗣の過去と聖杯戦争を知った時、俺も自分を見失うほど動揺した。
「聖杯のことを知ったときは、正直迷った。聖杯の力で、六年前の火災がなくなるのなら、それはすばらしいかもしれないと、そう思った。
 ――でも、違うんだ。聖杯による救いは本当の『救い』じゃない」
「何もかも、なかったことにできるのに? 幸せな日々を取り戻せるのに?」
「大災害の真っ最中なら、『救い』になると思う。でも、もうアレから六年もたっている。生き残った人たちは、悲しみをこらえて生きてきたんだ。
 もし、何もかもなかったことになるなら、その人たちの思いはどこに消えてしまうんだ?」
 家族を亡くしたのは、俺だけじゃない。病院には大勢の孤児がいた。子供をなくした親もいた。
 みんな悲しんでいた。家の焼け跡で呆然としていたのは、俺だけじゃなかった。
 大きな建物の中で行われた合同葬儀で、涙にくれる人たちがいた。
 人が死ぬのは悲しい。当然のことだ。

 だけど、人が死ぬのも、当たり前のことなんだ。
 この世に奇蹟などない。死んだ人は生き返らない。
 どんなに親しい人でも、どれだけ愛した人でも、いつかは死に別れる。亡くした人の命を悲しみ、それでも前に進む。みんな、そうやって悲しみをこらえて生きている。
 『聖杯で何もかもなかったことにする』――それが本当に救いか?
 それで救われるのは誰だ?
 何も起きなかったことになるなら、死んだことも、死を悼んだこともなかったことになる。
 死ななかったことになる人たちは、救われたことを意識できない。
 生き延びた人たちは、親しい人たちが死んだことを知り得ない。
 『なかったことにする』……それは救いではない。事実の消滅だ。
 何もかもなかったことにして救われるのは、ただ一人。

 ――救われるのは、聖杯に救いを願う誰かだけ

 悲しみにくれた人々の六年間を踏みつけて、なかったことにしたいと願ったヤツだけが、救われる。
 かと言って、死んだ人たちが生き返るなんて論外だ。五百人もの死者が生き返れば、世界中に知れ渡る。そんなことになれば、聖杯を巡って、どれだけの争いが起こるか想像もつかない。
「――聖杯による救いなんて、本当の救済じゃない。それはただの逃避だ――」
 悲しい別れをしたのなら、その別れを忘れないで生きていく。
 罪を背負ったなら、その重さを生涯抱えて歩み続ける。
 それが、生き残った者の義務だと信じている。
「――それに」
「それに……?」
「新しい家族を見つけ、共に生きている人たちがいるはずだ。
 六年前に戻るのなら、消えるのは悲しい出来事だけじゃない。
 差し伸べられた手も、与えられた幸せもなかったことになる。そんなこと、あっちゃいけないんだ――」
 俺だって悲しい記憶だけじゃない。嬉しい思い出がある。他の人たちだって同じはずだ。
 悲哀も絶望も、いつかは癒える。人は新たな幸せを求めて立ち上がる。
 六年の歳月の中、積み重ねられた小さな喜び。聖杯がすべてを過去に戻すなら、それさえもなかったことになる。
 切嗣に助けられて、その背中を追った。
 旅に出た切嗣の帰りを、藤ねえとケンカしながら二人で待った。
 月夜の縁側で、切嗣は『安心した』と呟いた。
 そして――遠坂と知り合えた。その出会いに感謝している。
 すべてをなかったことになど、できるわけがない。
「良いこともたくさんあった。みんな無くしたくない大事な思い出だ。
 ――もちろん、遠坂と知り合えたことも」

 万感の思いで呟く。遠坂と目を合わせようとして……空振りした。遠坂は顔を赤くして、頭を抱えている。
「なんで……そんな恥ずかしいことを平気で言うのよ……アンタは」
「そっちこそ、なんですぐ恥ずかしがる。真剣に話しているのだから、真面目に聞いて欲しいぞ」
 遠坂は顔色を落ち着けると、とりつくろうように咳払いをした。
「士郎は聖杯を求めない。それは納得したわ。
 ――でも、なんでわたしと一緒に戦うの? 士郎は犠牲者を出したくないんでしょ。
 それなら、聖杯戦争に参加するのはおかしくない?」
「聖杯戦争なんて、馬鹿な争いに納得したわけじゃないぞ。
 ――納得はできないけど、放置することもできない。俺はこれから起きる悲劇をなくしたい。自分の手を汚すのが嫌だからって、逃げるつもりはない。
 遠坂。俺は聖杯戦争でマスターからも、一般人からも犠牲者を出したくない。戦いで犠牲を出さないために、俺に協力してくれ」
「言うは易く、行なうは難しよ。綺礼が『英霊は英霊でなければ倒せない。だからマスターを狙うのだ』って、言ったでしょう。わたしたち二人が組んだところで、無理だってわからない?」
 遠坂はやれやれと首を振った。あいた口がふさがらないといった様子だ。
 まだ俺が『聖杯戦争に参加する』と言った意味をよく理解していないらしいな。
 俺は『マスターとして参加する』つもりなんだぞ。
「英霊二体と、俺たち二人ならどうなんだ?」
「む――」
 俺の反論に、遠坂は黙り込んだ。俺が英霊を召還することを、まったく想定していなかったらしい。
 エルンストとの戦いは、いい経験になった。頭数を揃えることが、どれほど有利か身に染みた。
 英霊同士の実力が拮抗していれば、勝利するのは難しくないはずだ。まずはこちらの英霊一体で、相手の英霊を押さえて貰う。その間に、もう一体の英霊と俺たちで、対立する魔術師を無力化してしまえばいい。
「……確かにそれなら、無傷で勝てる確立は高くなるわね。でもお互いの英霊が納得するかどうか……あ、令呪を使えばいけるか」
 レイジュ? よくわからないが、遠坂から見ても成算があるってことか。
「遠坂は冬木市の管理人として、街や人に被害がでることを良しとしないだろう? なら、俺たちは協力できるはずだ」
 遠坂は腕を組んでうなり始めた。俺の提案に心惹かれる反面、それでいいのか迷っているのだろう。
 言峰に聞かれたとき、遠坂は俺を盾にする気はないと言った。遠坂はあくまで一人で戦うつもりだったのだろう。
 そんなことは認めない。ましてや、遠坂が俺の知らないところで傷ついたり、死んだりするなんて絶対に認めない。
「遠坂。俺は遠坂を守りたい。そう言ったよな。もう、それだけじゃないんだ。
 ――俺は遠坂の力になりたい。遠坂の手助けがしたい」
「……本気? 聖杯戦争に参加したら、生き残れないかも知れないのよ?」
「本気だ。遠坂が嫌だといっても協力するぞ」
 今度こそ、強く思いを込めて遠坂の瞳を凝視する。
 先に目をそらしたのは遠坂だった。どこか悲しげな顔をする。
「士郎……自分を犠牲にする行動はやめて。
 貴方は自分が犠牲になってでも、誰かを救えればそれで満足かもしれない。けれど、助けられた方は、貴方の死にずっと苦しむことになるのよ」
 遠坂の言葉も頭では理解できる。俺だって、遠坂を犠牲にして生き延びたいとは思わない。

 それでも俺は――――誰かが犠牲になることに耐えられない。

 そのことは口にしない。遠坂が意固地になるだけだ。
 遠坂がそう言ってくるのなら、こちらの頼みごとを提示すればいい。魔術師の基本は等価交換。遠坂はそれで納得するはずだ。
「一方的な献身じゃないぞ。等価交換だ。他にも協力して欲しいことがある」
「協力? わたしが?」
「遠坂の家にある聖杯戦争に関する蔵書を見せてくれ。それに聖杯戦争を止める為のヒントや、犠牲を出さないようにする方法があるかもしれない。例えば、聖杯戦争が起こる場所を郊外に移す手段とか」
「……郊外に場所を移す方はともかく、聖杯戦争を止めることには協力できないわよ」
 黙ってうなずく。それは予想の範囲内だ。むしろ、聖杯戦争を止める手段が見つかった時には、遠坂を出し抜く方法を考えないといけないだろう。
 そんな俺の思いも知らず、遠坂はいっそう顔色を曇らせた。
「……あまり期待しないほうがいいと思う。わたしも家にある聖杯戦争関連の古文書にはざっと目を通したけど、聖杯戦争の始まりに関する記録はなかった。正直、等価交換にはなりそうもないわね」
 むう。聖杯戦争の御三家って言われてるクセに、始まりの記録すらないとは。
 まさかとは思うが、先祖伝来の呪いとやらのせいで、なくしたのか?
 普段の遠坂を見てると、あながち否定できない。こまった一族だ。
 遠坂が納得できないなら、もう一つの希望を伝えよう。

「もうひとつ遠坂に助けて欲しいことがあるぞ。
 遠坂。俺は人を救える『正義の味方』になりたい。それには治癒魔術がないとダメなんだ。才能がないのはわかっている。難しいことなのもわかっている。
 ――それでも、あきらめたくないんだ。俺に、治癒魔術を教えてくれ」
 テーブルに手をつき、頭を低くして頼み込む。
 俺の属性は『剣』。極端なまでに特化した属性だ。治癒魔術を習っても、まともに使えず、無駄に終わる可能性は高い。俺に治癒魔術を教えようとするならば、遠坂の手をかなりわずらわせることになるだろう。
「そんなに、治癒魔術を身につけたいの?」
「絶対に、身につけたい。俺には治癒魔術が必要なんだ」
 これまでも、治癒魔術を習いたいとは何度か言った。ここまで真剣に頼み込むのは、これが初めてだ。
「……士郎の魔術の才能は、特化しすぎている。ぶっちゃけた話、まともな手段で治癒魔術が使えるようになるとは思えないわ」
「……ダメ、なのか?」
 分かっていたことだが、改めて遠坂にそう言われると気が重くなる。
 思わず、すがるような目で遠坂を見てしまった。遠坂は顔を赤くして、ぷいと横を向いた。
 なにか、反応がおかしくないか? 気の毒そうな顔をするならわかるが、なんで赤くなるんだ?
「ねえ――士郎」
「なんだ?」
「本当に、わたしを勝たせてくれるの?」
 遠坂は恐る恐る、そんなことを聞いてきた。いつも自信に満ちた遠坂らしくない発言だ。
 話題が元に戻ったことに戸惑う。遠坂の意図がよくわからない。
 わからないが、俺の答えが変ることはない。
「きっと遠坂を勝たせる。約束だ」
 衛宮士郎は、遠坂凛を聖杯戦争で勝利させる。絶対に。


「ひとつだけ――方法があるわ」
 俺の返事を聞いた後、遠坂はしばらく迷ってから切り出した。
 治癒魔術を習得できる方法がある。期待を込めて、身を乗り出す。
「貴方の才能は、たぶんある魔術に特化したものよ。これほど特化していると、さまざまな魔術を行使する魔術師としての大成は難しいわ。
 士郎は多くの魔術を身につけるよりも、ひとつの魔術を極める方が向いている。
 貴方は魔術師として五年間修行しても、一人前になれるかどうか怪しい……。
 逆に、魔術使いとして五年間修行すれば、超一流になれる資質を持っていると思う。  半端に治癒魔術を求めるより、得意な魔術に磨きをかけたほうが、大成できるのは間違いない。その方が修練に費やす時間も少なくて済むはずよ」
「治癒魔術をあきらめて、投影や強化の修行に専念した方がいいってことか?」
 遠坂は無言でうなずいた。目線で「どうする? 続きを聞く?」と問いかけてくる。
 少し前の俺ならば、親父と同じ『魔術使い』でかまわないと思っただろう。
 今では、そう思わない。親父と同じ生き方では、受け継いだ夢がかなわない。
 月夜に聞いた言葉を思い出す。
 物語に出てくるような悪の化身など、どこにもいない。そいつを倒すことで、みんなが幸せになる、都合のいい悪役などいない。人を殺すことはまぎれもない罪だと。
 言峰が語ったことが胸に響く。
 暗殺者と呼ばれるようになっていた親父のこと。すべての悪を押しつけられた青年のこと。
 俺はすべての人を救いたい。だが、その理想がかなわないことぐらい知っている。いつかは俺も、救えない相手に出会うだろう。
 それでも、その誰かを切り捨てることが正しいなんて、決めつけない。もし誰かの命を奪ったならば、それを罪として背負っていく。
 誰かを殺すことが救いになるなどと――自分に嘘はつかない。
 断罪の剣。倒す力。それだけでは駄目だ。罪の重さに負けて、道を誤る。
 人を救い、癒す力が欲しい。
「治癒魔術を習得するのに、時間がかかっても構わない。その方法というのを教えてくれ。俺は親父に憧れていた。いつか親父のような『魔術使い』になるのが目標だった。
 だけど、それじゃ足りないんだ。親父と同じ過ちを犯してしまう。俺は別の道を探したい。俺一人じゃそれを見つけられないけど、遠坂と一緒なら見つかりそうな気がする。もちろん、助けて貰うだけじゃ駄目だ。いつか、遠坂の横に並びたい。遠坂を助けられる存在になりたい」
 今の気持ちをそのまま口にした。
 これまでとは違う道を選んだことを自覚する。
 親父の背中を追う生き方から――遠坂の背中を追い、さらには横に並ぼうとする生き方へ。

「…………覚悟ができていないのは、わたしの方だったか」
「覚悟って何の?」
 遠坂は答えない。腕を組んで、ふかぶかとため息をつく。愚痴をこぼしつつも、どこか嬉しそうに見えた。
「士郎。遠坂家には、聖杯戦争で勝利する以外に、もうひとつ先祖代々の宿題があるの。そしてそれを達成するためには、あるパートナーが必要なのよ」
「ぱーとなー?」
「そう。研究面と資金面でのパートナー。もちろん、見習い弟子の士郎じゃ、パートナーとは言えないわ。でも士郎が十年かけて、ある専門家になるために研鑽すれば、りっぱなパートナーになれると思う。
 そして士郎の望む『治癒魔術の使用』も、その方向性なら可能なはず」
「――それは、どんな方法なんだ!?」
 興奮のあまり、テーブルから身を乗り出す。
 遠坂の助けになれて、俺も治癒魔術を身につけられるなんて、うまい方法があるのか? それならそうと早く言ってくれ! 人が悪いぞ、遠坂。
 勢い込んでせかす俺の前で、遠坂はニヤリと笑って、チッチッチと指を振った。
「はい。ここで衛宮くんに質問です。力が足りないとき、魔術師はどうするでしょうか?」
「は……? ええと、気合で何とかする?」
「――不正解。変な治癒力が備わっているからって、無茶しないように。ポンポン限界を超えていると、いつか壊れるわよ」
 はあ、と失望もあらわに嘆息する我が師匠。
 いや、俺だって好きで限界を超えているわけじゃないぞ……。
「力が足りないなら、よそからおぎなうのが魔術師――例えば、コレよ」
 遠坂は腰の後ろに手を回すと、一本の短剣を取り出した。
 柄頭に赤い宝石をはめた短剣……遠坂のアゾット剣だ。
 補助の魔術礼装であるアゾット剣には、術者の魔力と魔術を増幅し、強化する機能がある。
 もっとも、俺は何故かロクに使えないのだが……。
「遠坂……俺がアゾット剣をまともに使えないことぐらい、知っているだろう」
「普通のアゾット剣ならね。大抵の魔術師は物の本質や全体に対して魔術をかけるけど、貴方の場合は物の細部をトコトンまで把握して、細部から浸透するように魔術をかけている。一般的な魔術師とは有り方が逆なの。
 だから、士郎には普通の魔術師向けの品物なんて役に立たない。でも魔術礼装っていうのは、これだけじゃないのよ。魔力を注ぐことで決まった魔術を発動させる、限定魔術礼装だってある」
「まさか――限定魔術礼装を買えってことか!?」
 すごく金がかかりそうだ。限定魔術礼装って幾らぐらいなんだろう?
 それ以前に、治癒魔術が使える限定魔術礼装を買ったとして、治癒魔術を使えるようになったと言えるのか?
 応用も効かなそうだ。切り傷は治せても、骨折は駄目だとか。
「限定魔術礼装なんてあまり売りにでないし、出ててもめちゃくちゃ高いわよ。汎用性も無いから、使う魔術ごとにいちいち買っていたらお金が幾らあっても足りないし」
「そりゃそうだな……じゃあ、どうするんだ?」
「限定魔術礼装は、まったく適正の無い魔術だけにしなさい。
 基本的には、士郎の魔術特性に合わせた補助の魔術礼装を手に入れるの」
「具体的には、どんな補助をするんだ?」
「たとえば、怪我を治すなら……貴方の場合、修復魔術の応用になるでしょうね。
 人体構造の解析を元に『治癒』する部位を限定して、細部の組織を一つ一つ治す。最初に神経を一本ずつつないで、次は血管、筋肉と順番に治していくわけ。この場合に必要なのは、顕微鏡で見るみたいに、細かな人体解析をサポートしてくれる礼装かな」
「そんな特殊な物、どこにあるんだ!?」
「そんなもの、あるわけないじゃない。普通の魔術師は全体や概念に対して魔術をかけるんだから、そんな細部にこだわった魔術礼装なんて、この世に存在しないわ」
「……おーい。無いものなんて手に入らないだろ……」
「手に入るわよ。自分で作ればね」
「……は?」
 遠坂の言葉の意味がわからずに、首をかしげる。
 自分で作れって……俺に作れって言ってるんだよな。そんなことできるわけがない。
 思わず『正気か?』という思いを込めて、遠坂の顔をまじまじと見る。
 呆れた思いが顔に出たのだろう。遠坂がムーッと不機嫌になった。
「あのね、宝具とか聖遺物とかの例外を除くと、魔術礼装っていうものは、大抵誰かが作ったものよ」
「……そりゃ、そうだな。作る人がいなけりゃ品物ができるはずがない」
 蛇を退治したら尻尾から出てきたとか、神様から授かったとか、そういうモノは宝具だ。魔術礼装とは呼ばない。魔術礼装とは、魔術師が作るモノだ。
「でしょ? だから専用の魔術礼装が欲しかったら、自分で作ればいいの」
「か、軽く言ってくれる。それって、素人に月までいけるロケットを作れって言ってるのと大差ないぞ。魔術理論とか、儀式魔術も知らないのに、どうしろって言うんだ!?」
「勉強しなさい。魔術理論だろうが、儀式魔術だろうが教えてあげるわよ」
 そうか勉強すれば……って、年数がかかると言うのはそういう意味か!
 十年で足りるんだろうか、それ。
 途方にくれる俺の前で、遠坂は「その前に魔術書が読めないとね。英語とドイツ語……いや、いっそラテン語から始めた方が……」とか呟きだした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺は一般的な魔術すらまともに使えないんだぞ? 魔術礼装を作るなんて、魔術を使うよりも難しいんじゃないか?」
「普通の魔術師ならね」
「じゃ、魔術をまともに使えない俺に、魔術礼装の作成なんて無理だろ」
「貴方は『作る者』だって言ったでしょ。貴方は呪文を唱えて多彩な魔術を行使するより、むしろ魔術礼装を作る方が向いてるのよ」
「あ――『作る者』ってそういう意味だったのか。
 でも、俺に魔術礼装なんて、本当に作れるのかな」
「アンタね……」
 遠坂はこめかみを抑えて、いかにも頭痛がします、と言わんばかりの態度になった。むう、そんなに変なことを言ったかな?
「いや、だってやったことないし……、だいいち、それってすごく難しそうだろ」
 あ、まずい。遠坂が体を震わせ始めた。
 これは間違いなく地雷を踏んだ。
 そう思った瞬間、遠坂はいきなり俺の耳を捻り上げて、自分の口元まで力ずくで引き寄せた。
「ち、ちぎれる! 離せ! 耳がちぎれる!?」
「あほかああぁぁあああ!!!!
「み、耳元で叫ぶなー!?」
「アンタは! 呪文一つで! アゾット剣も! 黒鍵も! 作っておいて!
 アレは魔術礼装や! 概念武装の一種なのよ! それが手で! 作れない!?
 ふざけるんじゃないわよー!!」
 シェイク、シェイク! 脳がシェイク! 
「あああ……耳が、頭が……」
 一言一言、念入りに脳みその奥まで叩き込まれた言葉が、頭の奥でオーケストラを奏でている。あまりの衝撃に立っていられなくなって、ソファにへたり込んでしまった。
 遠坂はそれですっきりしたのか、腰に両手をあてて「フン!」と横を向く。
「アンタは解析するだけで、創造の理念に材質、おまけに製作技術まで読み取れる。投影のときは、その情報を使って完成した剣を作っているじゃない。
 つまりアンタは完成されたお手本さえあれば、それを作る方法とか技術とかがバンバン盗めるのよ。単にそれを応用するだけの話でしょ」
「ううう、まだ耳が痛い。……もしかして、解析魔術ばかり鍛えていたのは、それを見越してのことだったのか?」
「当然でしょ」
 何ヶ月も前から、そんなことまで考えていたのか。
 考えてみれば、思い当たるふしもある。
 魔術礼装は貴重品だ。それなのに遠坂は、俺に工房の魔術礼装を積極的に見せ、解析させて来た。
 パスポートを作らせたのも『時計塔で魔術礼装を見せるため』と言った。
 時計塔の魔術礼装を片っ端から解析……確かにそれなら、とんでもないショートカットで、魔術礼装の作成技術を学べるかもしれない。
 テストを受けるのに、カンニングがオッケーだと言われているようなものだ。
 でもそれは、『既存の技術を盗む』のであって、独自開発には結びつかないんじゃないか?
「うーん。仮にソレができたとしても、だ。
 自分専用の魔術礼装って独自開発が必要だろう? 俺にできるんだろうか?」
「……この間、リビングデッドを退治した時、ぶっつけ本番でアンタ、なにやった?」
「……黒鍵を改造しました……」
 …………あったな、そんなことも。
 そうか、アレが遠坂の深謀遠慮のきっかけだったのか。
「思いつきのでたらめで、あんなことをやっておいて、普通の魔術師が時間をかけてできることが無理なんて言ったら……殴っ血KILLわよ?」
「待った。わかった。納得した。だから、ニコニコしながらこぶしを震わせるな」
 落ち着いて考えてみよう。
 多少使える魔術なら、自分に合わせた補助の魔術礼装でサポートする。
 まったく使えない魔術なら、限定魔術礼装で対応する。
 元ネタは時計塔にいくらでもある。
 解析して技術を盗めるのか、という心配は……杞憂か。料理のレシピとか、さんざん盗んできたしな。
 ここ数ヶ月の間に、遠坂は解決策の実証から鍛錬まで済ませて来たワケだ。
「うん。その方法なら、治癒魔術を使える可能性が高いのはわかった。
 でも、それがどこで遠坂のパートナーになるという話につながるんだ?」
「……遠坂家のもう一つの宿願、それはある限定魔術礼装の開発なの」
「どんな限定魔術礼装なんだ?」
「それも『剣』よ。だから、属性が『剣』で『作る者』の士郎なら、研究パートナーとしてぴったりなワケ。
 この開発にどのくらいの期間がかかるか、それはわたしにもわからない。
 でも、わたしの才能に加えて、アンタが遠坂家専属の魔術礼装開発の専門家になって協力してくれるなら、いけるんじゃないかと期待している」
「期限が不明か……。それって終わるまで、うかつに正義の味方としては活動できないってことだな」
「そうね。アンタを魔術礼装の専門家として育てるのは、遠坂家の宿願のためでもあるんだから、勝手に行動してポックリ死なれちゃ困るわ。まあ、わたしと一緒に行動するなら多少は行動の自由に融通を利かせてもいいけど」
 む、それは逆にありがたい。将来はともかく、今の俺は治癒魔術が使えないからな。
 親父のように世界中を放浪するのは無理だろうが、日本限定の正義の味方なら、むしろ遠坂と行動を共にできた方が有利だ。
 無期限と言われているわけじゃないし、なんとかなるだろう。
「わたしからの提案は以上よ。
 それで、衛宮くんはどうする? わたしの……パートナーになる気はある?」
 そっけない、突き放すような口調。
 横を向いた遠坂の顔は、服の色に負けないほど真っ赤だ。しらんぷりをしようとしているくせに、横目でチラチラとこちらをうかがっている。
 口調と態度が合ってない。思わず笑みがこみ上げる。
 そういうときは、思い切って背中を向けないと誤魔化せないぞ。
 こういうのを見ると、遠坂が俺をからかいたくなる気持ちもわかる。
「そうだな……」
 考え込むフリをしてみた。
 遠坂の顔色が変り、怯えた子猫のように落ち着きがなくなる。
 軽い罪悪感。プライドの高い遠坂がここまで譲っているんだ。ここは俺が折れるべきだし――なにより、これ以上は俺自身が我慢できない。
「遠坂さえいいのなら……俺は遠坂のパートナーになりたい」
 遠坂の前に右手を差し出す。遠坂も手を差し出して、俺の手を取った。
 必ず、遠坂の期待に応えよう。この想いを決して忘れない。
「うん――じゃあ、これからよろしく。士郎」
 にっこりと、普段の遠坂からは想像もつかないほど素直で、嬉しそうな笑み。

 ……不覚だ。返事を忘れるほど、見ほれていた。
 ゴッド。もしかして俺って、節操なしですか?



「そう言えば、資金面でのパートナーというのは何だったんだ?」
「あ。――忘れるところだった。この箱を開けて」
 遠坂は居間に積んである段ボールの山から、無造作にひとつ選んでテーブルに置く。
 箱を開けてみると、中からは厳重に梱包された小さな木箱が出てきた。美術品や陶器を入れる桐箱というヤツだ。ふたをあけると、中にはバラバラになった陶器の破片らしいものが、みっちりとつまっていた。
「なんだ、これ? ゴミか?」
「元は茶碗だったらしいけど、今はゴミね。さて士郎。元の形を把握できるように、その破片を解析してみなさい」
 言われるままに解析してみる。かなり年代物だ。破片から創造の理念、基本骨子や製作技術を読み取って、元の形状を把握する。
「元の形、わかったぞ。関係ない破片もずいぶんあるが」
「この写真と一致しているか見てみて」
「問題ない」
「よし。じゃあ、その破片を修復してみて。足りない破片があったら、投影で適当におぎなってね」
          トレース オン
「了解。――――同調、開始」
 茶碗の完成形を脳裏に浮かべ、修復魔術を発動させる。
 本来、修復魔術はその物体が持っていた『過去の状態』に働きかけて修復するらしい。そのため、物が壊れてから時間がたてばたつほど、完全だった状態という過去が失われて、修復魔術は困難になっていく。
 ところが、俺の修復魔術は物体の構造を完全に把握した上で、その設計図を元に実施する。その特性上、時間制限に囚われない。
「できたぞ」
「よっし、完璧! ヒビ一つ無し!! でかした、士郎!!」
 茶碗は完璧に元の姿を取り戻していた。なんだか知らないが、遠坂はやたら喜んでいる。いまにも踊りだしそうだ。
「これ、どこのゴミ捨て場から拾ってきたんだ?」
「失礼ね。ゴミ捨て場からなんて拾って来ないわよ。
 知り合いのツテで買い取って来たの。ある家の家宝だったらしいんだけど、先代が人に貸し出したら、恨みを持つ人間の手に渡って叩き壊されたらしいわ。その時、ご丁寧にもよく似た陶器の破片を混ぜて突っ返されたらしいのよ。修復は到底無理だって言われても、未練がましく保管していたワケ」
「はあ? わざわざ、ゴミを買ったのか?」
 遠坂は宝石以外の買い物に関しては、かなり財布の口は堅い方のはずなんだが。わざわざ、俺の魔術の修練の為の素材として購入してくれたのか?
「なに言ってるの。もうゴミじゃないじゃない」
「それはまあ、確かに。でも、そんな茶碗をどうするんだ?」
「ブラックマーケットで売りにだすわ。うまくすれば数百万円でさばけるかも」
「はあああっ!? お前、それ、いくらで買い取ったんだ!?」
「んー。十万円だったかな?」
「さ、詐欺かっ!?」
「アンタってば、かさねがさね失礼ね……。
 安く買い叩いて、高く売る。これって商売の基本でしょ。それにちゃんと修理してみると言って買ったんだし、修理したって言って売るんだから、詐欺なんかじゃないわよ」
「……いや、理屈はわかるが……。
 その桁の跳ね上がり方は、詐欺としか言い様がないというか……」
「ごちゃごちゃ言わないの。さて、まだまだあるから、どんどん直してね。人間国宝が『気に入らない』とか言って叩き割った作品もあるわよ」
「こ、この荷物の山は、全部修理する美術品か!?」
「そうよ」
「なんだって、こんなことを……」
「研究面と資金面でパートナーになるって言ったでしょう!
 遠坂家は宝石魔術だからお金がかかるのよ。アンタの魔術礼装の開発だって、資金が必要だし。わかったら、キリキリ働きなさい!」
「むう。しかたがない。
 ……ところで、俺にも報酬を受け取る権利はあるよな」
「何言ってるのよ。パートナーなんだから、貴方の収入もわたしのモノに決まっているじゃない」
 決まってない! というか、なんだそのジャイアニズムは!
 この間、財産管理はしっかりしろとか言っていたくせに、自分が一番あくどいじゃないか!
「なに? 士郎――逆らう気? 病院で、罰金でも強制労働でもするっていったじゃない」
「忘れた、そんなこと。誰かさんが、人の脳にやたらとダメージを与えてくれたからな」
 遠坂はゆらりと不気味に立ち上がった。遠坂と俺の視線が火花を散らす。
 ここのところ、遠坂にはさんざんおごらされている。このままズルズルと金銭的敗北を重ねるわけにはいかない。このままでは親父の遺産を食い潰し、最後には破産してしまう。
 労働に対して報酬を要求するのは正当な行為だ。遠坂のギアスも発動しない。
 だから、俺の選択肢も決まっている。迷うことなどない。
               守銭奴
「――ふん。負けないぞ。遠坂」



              ◇  ◇  ◇



 妄執に憑かれた者達が住む冬の城。
 その城の奥――暗い礼拝堂の中に、三つの人影があった。
 祭壇の前に二人。
 一人は炯々とした眼光を放つ老人。その脇に、銀髪と赤い目をした少女。
 その二人を前に、直立不動の姿勢で中年の男が報告をしていた。
「……では、エルンストめは、トオサカとエミヤに討たれたと?」
「まず間違いありません。エルンストからの最後の連絡は、『エミヤに接触し、鞘について調べる』でした。エミヤの息子はトオサカの下につき、我々に敵対するつもりです」
 老人の険しい視線を前に、中年の男は緊張を隠せない。脂汗を流しながら報告を続ける。銀髪の少女は、そんな二人に視線も向けずに、ぼんやりと前を見ていた。
「魔術協会からも、聖堂教会からも『冬木市での無法は許さない』と警告が入りました。
 ふざけた話です。あちらが先に仕掛けておいて! アハト様、戦闘用ホムンクルスを投入する許可を!」
「ならん」
 老人の返答は、いっそそっけないと言っていいほど冷淡だった。
「な、何故ですか? エルンストは傍流とはいえ、我が一族。我等の鉄の結束を示すためには……」
 ジロリ、と老人がひとにらみするだけで男は黙った。
 老人は無言で礼拝堂の天井を見上げる。男の視線も釣られて上を向いた。
 礼拝堂の天井には、見事な意匠のステンドグラスがはめ込まれている。そこにはこの一族の一千年にも及ぶ執念の探求が刻み込まれている。

 ――聖杯を求めた、挫折と屈辱に満ちた一千年が。

「エミヤだけならともかく、トオサカは聖杯戦争に選ばれることが確定した一族。
 聖杯戦争と無関係に討ち滅ぼせば、聖杯が与える試練に対する妨害とみなされかねん。
 もし仮に、次の聖杯戦争において、我が一族に聖痕が現れなかったとしたら、お主はどうするつもりだ?」
 老人の言葉に、中年の男は恐縮した表情で、深々と頭を下げた。
「――では、鞘に関しても放置ということでよろしいのですか?」
「かまわん。次の聖杯戦争で、トオサカが騎士王を呼んだとしても支障はない。
 むしろ好都合というもの――我々は既に大英雄の触媒を手に入れた。大英雄の力があれば、裏切り者の倅と、聖杯を破壊した騎士王、その双方に制裁をくだすことなどたやすいこと」
「なるほど。浅慮をお詫びいたします」
 老人と男は歪んだ笑みを浮かべた。彼等の脳裏には、報復と勝利しか写っていない。
 人間らしい感情、家族を求める人の心など、彼等の眼中にはない。
 だから、自分たちの傍らで、白い少女が虚ろな目をしていることに気がつかなかった。
 


              ◇  ◇  ◇



《嘘分岐》


「怪我人のくせに、よけるな!」
「お前こそ怪我人を殴るな!?」
 遠坂は立て続けにこぶしを振るう。すっかりキレているらしい。最初の一撃以外は、全部大振りだ。
 こちらは寝転がっているので、ろくに動けない。それでもなんとか、芋虫のように体をひねって致命打をさける。
 とはいえ、一発、二発ならともかく、連打されるとさすがによけきれない。
 パカンと鼻っ柱に一発くらった。
 つんとした痛みが鼻を突き抜ける。動きが止まったところで、そのままポカポカと叩かれる。
「いてっ!? 痛いって! こ、こら! どこが一発だ、どこが!?」
「うるさいー! 納得いくまで殴らせろ!」
「無茶苦茶だー!?」
「よけるなって! 言ってるでしょうがー!」
 下手に避けたのがまずかったのか。遠坂は業を煮やして、ベッドの上にあがりこんできた。そのまま俺の腹の上に体重を乗せてくる。
「待て待て待て待てっ!? ミニスカートでマウントポジションはやめろっ!?」
「見たら殺す!!」
「不可抗力だっ!? なんでそこまで怒るんだよ!?」
 やけくそで叫んだ瞬間、遠坂の動きがピタリと止まった。
「……士郎。何が『不可抗力』なの?」
「――あ」
 正面から吹きつける殺気と魔力。魔力的に見ると、遠坂はまるで暴走する小型台風だ。
 顔面から脂汗がダラダラと出てくる。マズイ、とてつもなくマズイ。
 打開策を求めて思考が走る。
 身体は動かない。ここは言葉だけで何とかするしかない。

 ――模索し検索し想像する。この場をうまく凌ぐには。
   明瞭だ。
   親父に習った『女性を褒める言葉百選』以外にあり得ない――!

「遠坂」
「……何よ? 遺言?」
「その下着、とても似合ってる。すごく『せくしー』だ」
「――オッケー。手加減はいらない、ってことね」

 あれ?


 DEAD END