●再会(前編)――side 士郎


 遠坂と一緒に、新都の繁華街まで来た。飲食店のウィンドウを物色するように歩いている。
 今日の遠坂は妙に機嫌が良い。ちょっと立ち止まったり、ウィンドウの前で考え込んだりする動作に華があって、自然とすれ違う人達の注目を集めている。
 さすがに中学生をナンパしてくる男はいないが、すれ違うカップルの雰囲気が微妙に悪くなったりしている。
 男って悲しい生き物だなあ。
 こんな少女と並んで歩いていれば、普通はいい気分になるのだろう。あいにく俺の場合、遠坂の機嫌がこんなに良いと、何か企んでいるのではないかと不安になる。
 ようやく、とある料亭の前で立ち止まった遠坂に声をかける。

「なあ、遠坂。なんで今日もこのあたりまで来たんだ? 解析魔術は卒業なんだろ?」

 遠坂は腕を組んで、少し考え込むような表情をした。なんとなくしらじらしい感じがする。こちらの質問に対して、ごまかす方法を考えているような。

「そんなこと、言ったっけ? 何かの間違いじゃない? 士郎にはまだまだ解析の修行が必要よ」
「なんでさ! 言ったぞ。確かに卒業だって言った!」

 遠坂は掌をひらひらさせながら「気のせいよ」と言い切ってくる。
 いい加減、この修行だけは勘弁して欲しい。
 紅茶を入れる時、遠坂をうならせるような味を出したいと思い、遠坂の入れた紅茶を解析したり、最適な蒸らし時間を解析で調べたりしてみた。これは非常にうまくいった。
 そこまではよかったのだが、俺の紅茶の腕が急上昇したことに疑問を憶えた遠坂から追求され、解析魔術を使ったことがあっさりバレた。
 それで視覚や触覚だけでなく、味覚や嗅覚の方面からも解析魔術を鍛えることになった。その手段が、この冬木市の一流料理店めぐりだ。
 今から思えば、「解析魔術で、おいしい料理のレシピが分析し放題よ」という誘惑に負けたのがまずかった。確かにメリットは多いが、財政的なデメリットがそれを上回る。

「そんなことより、今日のお楽しみはここよ」

 ちょいちょいと合図する指の動きにつられて、店頭のお品書きが目に入る。
写真や絵などついていない。和紙に筆と墨で書いたお品書きだ。
 コース料理、お一人様○千円っ!?

「うわ、めっちゃ高! 中学生の来るところじゃないぞ! だいたい、これ以上解析の修行を続ける意味があるのかよ!」
「今日の修復魔術で、物の設計図の再設計という能力があるとわかったでしょう? ならまだまだ鍛える価値はあるわ」
「俺だけならともかく、例によって遠坂も一緒に食べる気だろ。
 ……太るぞ」

 反撃されるのを覚悟の上で、精一杯の皮肉を口にする。これは女性に対しては禁断の言葉だ。あの虎でさえ、この言葉には一瞬ハシの動きが止まる程の効果を持つ。
 本当に、一瞬だけど。

「カロリーは、夕方の稽古で頑張って消費するから大丈夫」

 精一杯の皮肉は軽く受け流された。やはり口で勝てる相手ではないか。
 だが、脱力して聞き逃すには、不吉すぎる内容が含まれていた気がする。
 それはなにか? 今日の夕方の稽古がよりいっそう厳しくなると言う意味か!?

「俺が大丈夫じゃない! 遠坂のカロリー消費に付き合わされる身になれ!」
「いいじゃないの。士郎は料理を作ったり、紅茶を入れるのがうまくなるし、みんなでそれを味わえる。なおかつ貴方の魔術や格闘の修行にまでなる。文句なしよ」

 遠坂はまるで俺が変なことを言っているような顔をしている。ここはきっちり反論すべきだろう。

「俺の体と財布にダメージが来るだろっ!」
「わたしの体や財布じゃないから問題ないし。ちゃんと怪我は治してるでしょ」
「せめて、財布のほうだけでも折半にするとかしてくれよ!」

 体の方はもう反論はあきらめるとして、財布の問題が深刻だ。なにしろこればかりは魔術でどうにかうなるものでもない。
 魔術師として遠坂に払うショバ代や授業料で、支出が増えている。その一方で修行ばかりしているから、バイトに行けず収入が無い。つまり、ただでさえ財政的には赤字なのだ。このままいくと、いつか親父の遺産を食いつぶしてしまう。

「士郎の魔術修行なんだから、士郎が費用を出すのは当然でしょ」
「ううう、このあくまめ」

 あまりといえばあまりな言い草に、思わずうめく。
 すると遠坂は人差し指を立てて、説明する時のお決まりのポーズを取った。ノドをなでられた猫のようににんまりと笑う。

「まあ、そんなに気にしなくていいわよ。財政問題については、近いうちに改善されるから」

 遠坂は妙に自信満々だ。何か収入のアテでもあるのだろうか?
 しかし、言ってはなんだが、将来的に遠坂家の財政が改善される可能性があるとは思えない。遠坂は普段は節約家と言ってもいいが、こと宝石になると途端に浪費家に変身する。収入が多少増えたところで、支出も正比例で増加していては財政の改善は見込めない。

        
フェイカー
「行くわよ、複製者。空腹の度合いは充分?」
「どちらかというと、財布の中身を心配して欲しい……」

 こちらの料亭には悪いが、気合を入れて解析させて貰うしかあるまい。完璧に解析して、ここのレシピは制覇したと言わないと、またやって来る羽目になる。それに、投資する以上はきっちり元はとらないとな。




「うーん。おいしかった。やっぱり、おごりで食べるご飯は最高よね」
「そりゃ、ようございました」

 満足げに椅子にもたれかかり、お茶を飲む遠坂。
 ちびちびとお冷を飲みながら、不満げに猫背になる俺。
 お茶とお冷のお代わりをいれに来た仲居さんが、俺たちの態度のあまりの落差に、不思議そうな顔をして戻っていく。
 そりゃあ、自分の財布が傷まない人と、財布の中身を気にしている人では、食後の態度も違いますよ。
 いや、もしかしたら、こんな場所で子供が食事をしていることが不思議だったのだろうか? 普通は場違いだと思うだろう。
 まあそんなことはどうでもいい。この後の予定を確認しよう。

「この後はどうするんだ? またデパートで品物を片っ端から解析か? それとも掘り出し物の宝石探し?」
「それはまた今度にしましょう。今日は、新都のビルを解析するわよ」
「ビル? いままで色々な物を解析してきたが、そんなにでかい物はやったことがないな。できるんだろうか?」

 今までやってきた解析修行は、コツコツとレベルを上げるような作業だった。俺の解析魔術は剣に近いものほど解析しやすい。それを剣から遠いものも解析できるようになるのが目的だった。小さいものからより大きいものへ。あるいは金属製品から非金属製品へ。
 今なら大きさで言えば車の一台くらいは解析できる。遠坂の工房にあった、剣以外の魔術礼装の解析も全部できた。だが、さすがにビルとなると話は別だ。

「今までは解析能力に頼って、力任せに解析してきたでしょう。これからは解析する要素を絞り込んで解析するのよ。例えば、全体の外観、柱や鉄骨、電気配線。そうやって解析する箇所を限定して、かつ下の階から上へ順番に解析すれば、大きなビルでもなんとかなるはずよ。それが全部終わったら、それまで得た細かい情報を組み合わせながら、ビル全体の解析を行うの」
「えらく時間がかかりそうだが、それは何が目的なんだ?」
「部分的な情報から、元の設計図を作り直す訓練よ。ビルでコツを掴んだら、学校でも休み時間に、校舎で練習しなさい」

 確かにそのやり方なら、解析能力の及ばないサイズの物にも手が届くかもしれない。だが、どう考えても時間がかかる。一応、終了時間に関しては確認しておこう。

「遠坂。今日は四時半くらいには一度家に戻りたいんだ。お客さんが来る予定だからな」
「そうなの? じゃあ、今日の夕食は遠慮した方がいい?」
「いや、それには及ばない。遠坂も一緒に家に来てくれ」

 あの子は五時くらいに来るはずだ。
 さて、その時に遠坂がどんな反応をするか、少し楽しみだな。

「士郎……? なにか珍しく悪っぽい顔をしてない?」
「いやいや、お代官様ほどではございません」
「アンタは越後屋か! じゃなくて、わたしはそんな顔しないわよ!」
「それは自己認識不足だな。今度から鏡を持ち歩くことにするか。
 ――あ、待てよ。投影したほうが早いか?」
「しなくていいっ!」



                 ◇  ◇  ◇



 四時半を少し過ぎたくらいに、自転車で衛宮邸へ戻ってきた。
 学校の制服を着た女の子が、門の横にたたずんでいる。予定より早いが、それが誰なのか確認するまでもない。

 門より少し手前で自転車を止めた。俺の後ろでよそ見をしながら、今後の課題がどうのこうのと言っていた遠坂の頭が、軽く俺の背中を叩く。いつもより少し早いタイミングに対応できなかったらしい。

「士郎。止めるなら止めるといいなさいよ」

 遠坂は文句をいいつつ、自転車から降りた。こちらも自転車から降りながら、さりげなく門と遠坂を両方とも視界に納められる位置へ移動する。
 やはり、門の前にいたのは――

「さ……くら?」

 驚いたことに、あの遠坂が呆然として立ちつくしている。こんな姿を見るのは始めてだ。
 普段から心がけている優雅さも、今はどこかに落としたらしい。
 妙に顔色が青ざめている気がして、少し心配になってきた。
 一方、間桐さんの方は、俺達が帰って来るのを待っていた分、余裕があったのだろう。遠坂に名前を呼ばれた時は、一瞬だけ怯えたように目をつむって身を硬くしていたが、ゆっくりと気を取り直した。
 おずおずと俺たちにお辞儀をすると、無言で遠坂を見つめながら反応を待っている。こちらも少し、顔色が青い。
 ただの幼馴染との再会にしては、二人とも様子が変だ。まさか、お互いトラウマになるようなことでもあったのだろうか?

 ……ちゃんと説明しておくべきだったか?
 しかし遠坂が「会うのは嫌だ」とか言い出したら、俺では連れて来れない。それで遠坂が来なかったら間桐さんに申し訳なかったし。

「アンタ……なんで、ココに。いや、そうじゃなくて――」

 今日は色々と珍しいものを見る。あの遠坂が言葉に詰まっている。
 狼狽する遠坂と、それを不安げに見つめる間桐さん。このままだと話が進まない。
 ここは少々強引でもいいから、とっとと家の中に入ってもらおう。
 ご近所さんの目も怖いし。

「あー。話は後だ。とりあえず、二人とも家に入ってくれ」

 門の鍵を開け、自転車を押してさっさと中へ入る。間桐さんが後ろを気にしながらついて来た。遠坂は……まだ混乱しているのか。
 意外に不意打ちに弱いな。しかし、これはアレだな。反動が怖い。

「さ、間桐さん。上がって」

 玄関を開けて中に入り、後ろを気にしている間桐さんを手招きする。

「し、士郎ーー! どういうことよーー!」

 響き渡る大声。嫌な予感……。
 このまま扉を閉めて、鍵をかけようか。




 居間に移動し、とりあえずテーブルの周りに座った。俺の正面に遠坂、間桐さんは俺から見てテーブルの右側に遠慮がちに座っている。

「うう。あやうく昼食をリバースしそうになった。ストマックはやめれ」

 激昂する遠坂を「居間で説明するから」と説き伏せたのだが、移動前に軽く一撃食らったのだ。

「そんなことより、事情を説明してもらえるんでしょうね!?」

 なんでか知らないが、遠坂はやたらとぴりぴりしている。
 間桐さんがちょっと怯えてないか?
 なだめたいのだが、うまいやり方がわからない。
 この二人を会わせただけで、最初からうまくいくようなら、もっと前に仲直りしているだろうという話もある。だから会わせただけでどうなるとは思ってはいなかったが、ここまで雰囲気が悪くなるとは思っていなかった。

「あー、話せば長くなるが、今日そこの間桐さんと知り合ったんだ」
「へえ、かわいい女の子と知り合えてよかったわね。
 ――それで?」

 何故だろう。遠坂の目つきが少し悪くなった気がする。最後の言葉もいやに力が入っていた。ぴりぴりがイライラに変わったというか、睨まれているというか。

「……それで、彼女の家に行って、家の中にあがって」
「ほほう。しかも知り合ってすぐ、いきなり家に呼ばれたと。
 ――アンタ、それにノコノコついて行ったわけね」

 なんだろう。なにやら遠坂の口調にトゲがある気がする。うかつなことをしでかして、とがめられている気分だ。

「…………で、間桐さんに入れてもらったお茶を飲んだんだが」
「ふううん。何の疑問も持たずに、相手の家で出されたものを口にしたと。
 ――――ちょっと、こっちに来なさい。あ、間桐さん、5分ほど席を外しますね」
「イテテテ!? み、耳がちぎれる!?」

 ひ、人の耳を掴んで連行するな!
 なんでその程度のことで、こんなに怒っているんだ!?
 呆然としている間桐さんを放置して、遠坂は俺を廊下に連れ出す。
 居間から距離を取ったところで、ようやく解放された。耳がちぎれるかと思ったぞ。

「士郎、アンタ何考えてるのよ!?」
「俺には、遠坂が何を考えているのかわからない。何を怒っているんだ?」
「魔術師の家にノコノコあがって、出されたものを平気で飲んだって、どういう神経しているのよ!」
「は? 魔術師の家? どこが?」
「間桐の家がよ!」

 遠坂は話しているうちにまた頭に血が上ってきたらしい。この声の大きさだと居間にいる間桐さんに聞こえるんじゃないか?
 しかしながら、俺も驚いてうまく対応できていない。
 まさかここで「魔術師」という単語が出てくるとは思わなかった。

「じゃあ、なにか? 間桐さんは魔術師なのか?」
「体に帯びている魔力が弱いから、魔術師としては大したこと無いけどね。その程度、魔力を感知すればわかるでしょう」
「いや、俺は魔力感知とかさっぱりだし。知っているだろう?」
「あぁぁ。このヘボ弟子……」

 遠坂は頭を抱えてしゃがみ込んだ。その態度はちょっと傷つくな。
 俺は投影、解析などはずば抜けているらしいが、使えない魔術は簡単なものでも全く使えない。魔力感知は、常人でも「これはおかしい」と思うくらいの魔力でないと感知できず、全く役に立たない。
 しかし、この件に関しては俺だけの責任とは言えないはずだ。
 
「ヘボ弟子で悪かったな。うっかりお師匠様。近所に他の魔術師が住んでいるなんて、聞いてないぞ」

 遠坂は顔を上げて何か言いかけたが、あわてて口に手を当ててそれを止めた。
 考えること数秒。ぎこちなく立ち上がりながら、ひきつった笑みを浮かべる。

「教えて……なかったっけ?」
「間違いなく、聞いてない」
「ま、まあ過ぎたことは仕方がないわ。それより、今はあの子が何の目的でこの家に来たのかよ」

 遠坂は腕を組んで、居間の方を見つめた。ごまかす気か? 額に汗が浮いてるぞ。
 まあ、いいけどさ。
 事情を説明している途中だったし、そちらが話を戻してくれるなら乗っておこう。

「今朝、遠坂の家に行く途中で、間桐さんの兄貴にケンカを売られたんだ」 
「へえ。慎二とケンカしたの」
「慎二? そういえばアイツの名前を聞くのを忘れたけど、慎二っていうのか?」
「たしか、ね」

 間桐慎二か。とりあえず、憶えておこう。

「で、その慎二を勢いで気絶させちまって、家まで連れて行ったんだ」
「それならそれで、すぐ家を出なさいよ」

 ごもっとも。
 でもあんなに必死に服をつかまれると、むげには出来なかったというか……。

「まあ、そうなんだけど、間桐さんに引き止められて。それで、その時に飲ませてもらった紅茶から、間桐さんは料理が苦手なんだって話になった」
「それと、間桐さんがここに来ることが、どうつながるのよ」
「うん。料理が苦手らしいから、ウチで料理を教えてあげようって話になった」
「この脳天気……」

 さすがにしゃがみ込んだりはしていないが、遠坂はまた頭を抱えている。
 脳天気で悪かったな。
 別にその程度、大した問題じゃないだろう。軽い人助けだし。

「何をそんなに大げさに嘆いてるんだ? たかが料理を教えるだけだろ」

 俺がそう言うと、遠坂はただでさえ吊り目気味の目つきを、いっそう鋭くした。何故だかわからないが、今の言葉には本気で腹を立てているらしい。

「アンタねえ! 何をへらへらしているのよ! よその魔術師を気軽に家に招待するなんて、工房を危険にさらす愚行でしょうが! 魔術師にとって、工房は城であり、研究の成果を守る場所なのよ!」
「なんでさ。この家に工房なんて無いぞ?」

 俺が指摘した事実の前に、こちらに詰め寄ろうとしていた遠坂の動きが止まる。
 どうやら無意識に自分の家を基準に考えていたらしい。衛宮邸には工房なんて無いことは、遠坂だって当然知っているはずだ。
 というか、魔術師なら工房を持つものだと言うから、土蔵が工房ってことでいいかと聞いた時、「魔術師の工房をなめんな!」と烈火のごとく怒ったのは、どこの誰だよ。

「……こ、工房がなくても研究の成果とか……」
「ソレも無いぞ? 魔術の修練は遠坂の家でやっているからな。土蔵にはもうガラクタしか無い」
「…………」
「気にしていることはそれだけか? じゃあ、別に間桐さんがウチに来ても問題ないだろ」

 まあ、料理を教えるというのは建前だけど。本当は遠坂と間桐さんの仲直りが目的なのだが、ここでそれを言い出すと、話がこじれそうだから黙っておこう。
 おっと、そういえば、あの変な爺さんの言ったことを聞くのを忘れていた。そのことについて切り出すなら、遠坂が沈黙している今のうちだな。

「あ、そうそう。間桐さんは関係ないんだが、間桐さんの爺さんがなにか妙なことを言っていた。アインツベルンって知っているか? 遠坂に聞けと言われたんだが」
「アインツベルン!?
 ――そりゃ、知っているわよ。でも何でアインツベルンが出てくるの?」

 やや呆然としていた遠坂の表情が、みるみる険しくなる。
 怒っている時や、機嫌の悪い時のそれとは違い、妙な緊迫感がある。

「何やら親父がそのアインツベルンと関係が有ったらしい。アインツベルンを捨てて遠坂と組んだのか?とか、両家の橋渡しなのか?とか、妙なことを聞かれたんだ」
「士郎のお父さんがアインツベルンと関係が有った……? それはわたしは知らないわ。でも考えてみれば、わたしの父さんがモグリの魔術師を見過ごすはずが無い。だとすると士郎のお父さんがこの街に住み着いたのは六年前、よね。
 ……聖杯戦争……まさか、参加者?」

 遠坂は自分の思考に没頭している。
 だが「戦争」なんて不穏当な単語を見過ごすわけにはいかない。
 親父が関係有ったとすれば、なおさらだ。

「聖杯戦争? 前に言峰が言っていたな。何のことだ?」
「……士郎のお父さんの事まで、わたしにはわからないわ。わたしから説明すると不完全な情報になるし、お互いにその件はきちんと知っておくべきだと思う。
 ――明日、わたしより詳しいヤツの所に聞きに行きましょう」
「わかった。じゃ、そろそろ居間に戻るか。あまり間桐さんを待たせるのも悪いしな」
「ま、待ちなさいよ! まだ、間桐さんがこの家に来ることについて……」

 まだ何か騒ぎ足り無そうな遠坂を放置して、先に居間へ戻る。

 ……ま、少し安心したな。
 遠坂は俺が間桐さんをこの家に連れて来たことに対しては、たしかに怒った。
 だが、先程のやり取りの中で「間桐さんをここから追い出せ」とは言わなかった。
 あの二人にどんな過去が有るのか、それはわからない。
 わからないが、遠坂が間桐さんを嫌っている様子はない。

 意地っ張りもほどほどにしておけよ、遠坂。



                 ◇  ◇  ◇



「だああああ、なにしてんの!」
「え? だ、ダメでしたか? す、すいません……」
「まさか、一般常識から始めないといけないとは……」

 間桐さんはしょげかえった様子でうつむいている。
 しかし、それにかまう余裕は無い。
 ウチの学校、調理実習で女子に何を教えているのか不安である。実に。
 米を食器用の洗剤で洗うという都市伝説は聞いたことがあった。
 あったが、そういう行為を目のあたりにする日が来るとは予想していなかった。

「サラダを作ってくれといったら、洗剤とスポンジでキュウリを洗うとは……」
「ごめんなさい。これに『野菜・果物・食器用』って書いてあったから……」

 は? マジで?
 あわてて間桐さんの手から洗剤をひったくる。
 ホントだ。洗剤の使用説明の欄に『野菜・果物・食器用』と書いてある……。

「外国の野菜や果物って強烈な農薬を使っていたりするから、洗剤で洗ったりするのもありなのよ。士郎ってば知らないの?」

 居間の遠坂から、台所までツッコミが入った。
 間桐さんと二人で振り返ると、慌てて目線をテレビに向ける。どうやらテレビを見る振りをして、こちらの様子をうかがっていたらしい。
 そんなに気になるなら、素直に自分も参加しろよと言いたい。

「と、とりあえず、次は洗った野菜を切ってみようか」
「はい」

 俺の指示に従って、間桐さんはキュウリをまな板の上に置く。
 次に間桐さんは包丁立てに手を伸ばす。
 ん? それは出刃包丁で、野菜を切るのには向いてな……。

「だあああ!? やめろ! 危ない! 危ないって!」
「す、すいませんっ」

 まな板の上に置いたキュウリに対して、ナタを叩きつけるような動きでダン、ダンと包丁を振り下ろし始めた間桐さんをあわてて止める。

「包丁はナタや斧じゃないんだから、振り下ろして切るものじゃないって。それに出刃包丁は野菜を切るのには向いてないぞ」
「……ごめんなさい。迷惑ばかりかけて……」

 自分の指を切りかねない行為を止めて、安堵したのもつかの間。
 間桐さんの目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ち始めた。

「あ。ゴ、ゴメン!? 言い方がきつかったか?」

 うわ、泣かせてしまった。どうしようか?

「士郎! アンタ! なに桜を泣かせているのよ!!」

 俺があわてだしたところで、横合いから遠坂が怒鳴りつけてきた。

「ちょ、遠坂!? いきなり何を怒り出して……」
「問答無用! ええい、人が見ていないと思ってー!」

 いや、見てたとか見ていないとか、そういう問題じゃないんだが。
 何故か遠坂が居間から台所に来ていた。しかもやたら怒っている。
 何でコイツ、こんなにいきなり切れているんだ?
 切れやすい若者ってヤツか?

「遠坂、怒りっぽいな。カルシウム不足か? なら冷蔵庫に牛乳があるからそれを飲め」
「ん。それは後でもら……じゃなくて! 教えるならもっと優しくしなさいよ!」
「お、お前がソレをいうかあ!?」
「ケ、ケンカはやめてくださいー!」

 怒る遠坂。
 理不尽な言い草に反論する俺。
 目を閉じて珍しく大きな声を出す間桐さん。
 ああ、もう収拾がつかん。誰か何とかしてくれ!

「な、なんじゃこりゃあーーーー!!!」

 突然響き渡る咆哮じみた大声。
 三人とも驚いて動きが止まる。
 もっと収拾がつかなくなりそうな予感がスル。

 いきなり現れて大声を上げたのは、やっぱり藤ねえだった。
 いつの間に、家の中に入って来ていたのだろう? 
 まるでパニックを起こしたような顔つきだ。全身をぶるぶると震わせながら、俺たちに両手の人差し指を突きつけている。なんだ、そのポーズは。

「し、士郎ー! あ、アンタ何をしているのよーーー! 浮気? 浮気したのっ!?」
「はあ? 何言ってんだ藤ねえ。変なメロドラマでも見たのか?」

 この状況をどう捕らえたら、浮気に見えるって言うんだ。
 左を見る。
 今にも飛びかかりそうな体勢のまま固まっている遠坂。
 この後の行動を予想するなら、猫っぽく爪引っかき攻撃……?
 右を見る。
 泣きながら刃を上に向け、両手で出刃包丁という凶器を胸の前に構えている間桐さん。
 この後の行動を予想するなら、貴方の胸に一直線に飛び込みます……?
 自分を見る。
 二人の女性の間でうろたえていた俺。どこかの最低男に見えなくも無い……?
 この状況が他人の目にどう写るかなんて、冷静に分析する事もできない。
 ……ヤバイ。

「修羅場!? 修羅場なのね!?」

 一人で勝手に盛り上がる藤ねえ。
 このままテンションが上がっていくのを放置していると、トンデモない事になりそうな予感がする。

「――い、いや、藤ねえ。よ、よく聞いてくれ。これは修羅場なんかじゃない!
 ……こっちの間桐さんという、女の子に、りょ、料理を教えているんだ!」

 声が震えるのを自覚しつつ、両手を振り回して説得開始。
 我ながら、説得力というものが無い。
 戦場で敵兵(主に女性)を説得する(口説く)ゲームとか有ったのを思い出す。
 ――無理だろ、そんなの。

「そう。わかったわー」

 なんと、説得に成功した!?

「そ、そうか。わかってくれたか!」

 藤ねえは、珍しく物分りがいい。腰に手をあてて、大きくため息をついている。
 ふう。よかった。この前みたいに藤ねえが暴れだしたらどうしようかと思った。

「士郎……。遠坂さんがイチャイチャさせてくれないから、欲求不満なんだね?」
「は?」
「包丁の扱い方を教えるフリして、後ろから抱きかかえるようにして密着するとか、そういうイヤラシイ事を企んで、後輩の女の子を連れ込んだのね!?」

 藤ねえはビシッと音がしそうな勢いで、俺に指を突きつけて断罪してくる。

「な、なんでさっ!? お、俺は絶対にそんな事はしないぞ!?」

 それはあきらかに言いがかりだろ!?
 たとえどんな事があろうとも、俺はそんな変な真似をしようとは考えないぞ!

「お姉ちゃんには全く興味を示さないくせにー! このロリコン!」
「アンタ、変なアニメの影響を受けすぎだっ!?」

 やっぱり収拾がつかない。
 俺では、この横暴な検察と独善的裁判官を兼ねる虎を抑えられない。となると――
 間桐さんからの弁護は期待できない。まだ包丁を持ったまま、おろおろしているし。
 ここは、あきれた顔で俺たちを見ている遠坂に証言してもらうしかない。

「遠坂からも、何か言ってくれ!」

 それを聞いた遠坂は、すっと体の力を抜くと、よろよろと居間の方へ後ずさりする。
 それから後ろを向いて、両手で顔を覆った。
 ……何する気さ。

「……悲しいわ。あんなに一生懸命、勉強を教えて尽くしてきたのに。
 しょせん、男の子は体だけが目当てなのね……」

 偽証する証人。最悪です。
 って、それどころじゃねー!

「とおさかああああああっ!」

 思わず遠坂の方へ詰め寄ろうとする。
 その俺の襟首を、ガシイと後ろから何かが掴む。
 万力で締め付けられるような、すさまじい握力。
 と、虎は人の腕ほどの太さの丸太をやすやすと噛み砕くという!
 俺の延髄を噛み砕かんとする虎の姿が見える気がする!
 す、すでに死刑執行人に変身済み!?

「大丈夫よ! 遠坂さん!
 そんな青い劣情なんて、スポーツで発散させればいいんだから!!
 ――さあ、士郎! 道場へ行くわよ!!」
「道場って、まさか……剣道か!?」
「そうよ! 『冬木の虎』の実力を見せてあげるわ!」
「誤解だ! 誤解だってば! 藤ねえ!」
「五階も六階もあるかあ! その腐った性根を叩き直してあげるわっ!」
「なんでこうなるーーー!?」



                 ◇  ◇  ◇