●02:公園の正義の味方とあかいあくま   ―side 士郎




 高跳びをして、綺麗な少女と知り合った週の土曜日の夕方。いつものようにタイムセールスを狙って、マウント深山商店街に買い物に来た。
 また会いたいな、と漠然とは思っていたものの、まさかこんなに早く再会するとは思わなかった。

「――で、なに貴方。人の顔を見るなり呆然として。失礼だと思わない?」
「あ、ああ。ごめん。色々と予想外だったから」

 こんなに早く会うとは予想外だ。

 そしてそれ以上に、彼女の私服姿が予想外だ。

 まず真っ赤な上着。つつましく膨らんだ胸元の上の方には、十字架をかたどった白いアクセントが入っている。

 腰から下は黒一色のミニスカート。これって、走ったら中がみえるんじゃないかという余計な心配をしてしまいそうだ。

 ミニスカートだからといって細い足を全部さらしているわけではなく、これまた黒のニーソックスを履いている。

 ……逆にミニスカートとニーソックスの隙間から見える太腿の白さが際立つ。普通なら派手にしかならないそれらの格好が、彼女にはとても似合っている。


 簡単に言うと、見惚れていた。というより、今も心は半分そのままだ。


 ふう、横を向いて彼女はあからさまにため息をつく。どうやら俺が驚きで呆けたと解釈して、あきれたらしい。もしかして、自分の容姿と格好が他人(特に男性)にもたらすインパクトに気がついてないのか?

「ま、いいわ。もう怪我はいいの?」
「ああ、おかげさまで。もう問題ない。あの時の手当てが良かったんだと思う」

 とりあえず、この前別れたときは『次にあったら礼をする』といったはずだ。ちょうどタイヤキや大判焼きが評判の江戸前屋の近くだ。大判焼きでもおごる事にしよう。



                 ◇  ◇  ◇



「はあ、これがお礼?」

 あからさまに彼女は不満げだ。さすがにちょっとお礼が安すぎたか。虎対策で鍛えられた脳内の危機察知回路が増援を求めてくる。

「あー。缶ジュースもつけさせて頂きます。それと後日、財布に余裕のある日にまた追加させてください」

 増援要請は、財布という財務省の前に予算カットを余儀なくされた。
 しかたないので腰の低い態度と、一時逃れの言い訳でフォロー。
 格好よく喫茶店で「何でも好きなものを」と奢れれば、無論その方がいいんだけど。
 
 財布は買い物帰りで軽いからなあ。虎の例もあるし、予想以上に大量に食べるタイプだった場合、予算オーバーする恐れがないとは言えない。奢るつもりで奢らせたら、格好悪すぎる。

 しかし、この目つきは厳しいな。
 しかも「安い」だの、「誠意がたりない」だの、ぶちぶち小声で文句を言ってらっしゃいますよ? この人。
 「……聞こえてるぞ」と言いたいのを我慢しつつ、立ち食いするのもなんなので、公園に誘った。



 公園には他の人影は見えなかった。俺が子供の頃、この公園で遊んでいた時と比べるとずいぶん寂れた感じがする。最近の子供は家でゲームばかりして、あまり公園では遊ばないせいだろう。滑り台やブランコ、ジャングルジムなどの遊具を幾つか置いただけのあまり大きくない児童公園とはいえ、もったいない話だ。
 すっかりペンキが剥げて、みすぼらしくなった木のベンチに座る。

「遠坂さんは、家の手伝いで買い物をしてたのか?」
「自分で買い物して、自分で料理するんだから手伝とはいわないわね」

 単なる日常会話を振ったつもりだったのだが、彼女はなにやら、にまにまとした笑みを浮かべだした。ちらり、と流し目で見られた途端、本能的な寒気を覚える。
 ……なんだかこの目つきには見覚えがある気がするぞ?

「そっちこそ、男の子が夕飯の材料のお買い物?」
「い、いや。そっちと同じで料理するのは自分だけど」
「ふふーん、道理で買い物袋が似合うと思った」
「ぐ、男が料理したらおかしいなんて偏見だぞ」

 相手の言いたいことを予想して先回りする。この手のからかいには慣れたつもりだ。

「そうねー、できないよりずっと立派ね。でもその年で主夫っぷりが板に付いた男の子って珍しいわよね」

 しかしながら、相手の攻撃力は予想以上。……主夫。そこまで言うのかよ。

「主夫っていうなよ。家には料理できる人が誰もいなかったから仕方なかったんだ」
「仕方ないだなんて。そんなことないわ。お財布にやさしいお礼のチョイスなんて立派な主夫ぶりよ♪ 衛宮くん」

 彼女の表情は一見にこやかだが、その裏では明らかにこちらが受けた精神的ダメージを図って悦に入っている。どうやら、まだお礼が安かったことを根に持ってたらしい。



                 ◇  ◇  ◇



 主婦と主夫、そしてニートとは何かという議論を終えてから、俺は大判焼きを食べ終えた。それが中学生が話題にすることかとは思うが、お互いに自分で家事をやっている所為か、わりと真面目に話していた気がする。横を見ると彼女はまだ少しずつ大判焼きを口に運んでいた。

 なんだか優雅に見える。さっきまでとはえらい違いだ。黙っていれば完全無欠の美少女なのになあ。っと、ずっと見詰めているのも気恥ずかしい。缶ジュースでも飲もう。

 缶ジュースを飲みながらぼんやりと昔のことを思い出した。


 そういえば昔、この公園でよく遊んだなあ。
 テレビのヒーローに憧れて、俺が公園の正義を守るんだーとか言ってた記憶がある。
 あの頃は、夢を叶えるのがこんなに難しいだなんて思ってもみなかった。

 あ、でもあの頃にはあの頃なりの困難や苦難があったな。
 あれ? 何に苦労したんだっけ?
 ああ、そうだ。ちょうどこんな感じで髪をツインテールにして、赤い服を着た女の子が……。うん? なんでそれを思い出すと冷や汗がでてくるんだ?


「……なあ、変なこと聞いていいかな?」
「なに?」
「昔、俺達ってここで会ったことなかったっけ? というよりも公園の平和を巡って戦ったというか……」

彼女は腕を組んで宙を睨んだ。なにやら心当たりがあるらしい。少し間をおいて、首をかしげながらこちらに尋ねてきた。

「……赤毛って珍しいわよね。もしかして『正義の味方さん』?」

 げ。
 その呼び方で、こちらも思い出した! 

「あー! やっぱり、そのツインテールと赤い服は、公園の『あかいあくま』!」

 相手のあだ名も思い出す。が、あちらは昔の呼び名がお気に召さなかった模様。

「誰が、『あくま』よ!!」

 これはまずい、怒ってる! いや、昔を思い出しただけか?

「いや、ごめん!。耳元で怒鳴らないでくれ。だって昔よく虐められたから……」

 うわあ、あんな記憶やこんな思い出が芋ヅルのようにズルズルと這い出てきた。その様、まるでB級映画で襲ってくる触手の如し。

「わたしも思い出してきた。……あれはドローよ。決着がついていないもの」
「ドローって何がさ……さんざん泣かされたのはこっちだ」

 うう、まさか昔の知り合いだったとは。どうりで学校で会ったときに、初対面の気がしなかったわけだ。



                 ◇  ◇  ◇



 しばらく一方的な思い出話の肴にされたが、「それにしても――」と彼女は表情をやわらかくして、話を切り替える。

「ほんの数年前の事なんだけど、結構なつかしいわね。あの頃はお互いに名前を知ろうとすらしなかったけど、なんだかいい思い出になってるみたい」
「そうだな。まあ、なんだかんだ言って楽しい毎日だったよ」

 ふう、どうやら和解成立ということか。どっちもなかなか譲らないから、思い出話をしているのか議論しているのかわからなかった。
 ……それはまあいいんだが、彼女は話が白熱してくると、周りが見えなくなるタイプらしい。お互いの悪行を暴き立てるのはともかく、彼女がこちらに向かって、どんどん身を乗り出すようにしてくるのには正直参った。正面から息がかかりそうな距離まで、女の子の顔を近づけられると非常に焦る。

「でも衛宮くんは、昔とぜんぜん変わってないのね。あきらめないところとか、しつこいところとか。
考えてみれば、この前の無茶な高跳びのイメージと、無謀な正義の味方さんのイメージってぴったり重なるわ」
「まあ、俺は単純だからね。でも、遠坂さんは変わったな。以前もかわいい子だと思ってたけど、すごく綺麗になったよ」
「ちょと! なにいきなり真顔で恥ずかしいこといいだすのよ!」

 冗談じゃなくて、正直な感想なんだけどな。大体、あれだけ正面から顔を近づけられて恥ずかしかったのはこっちの方だ。

「あ、わるい。でも思ったことをそのまま言っただけなんだが」
「――っ、いいからだまりなさい。この天然!」

 あれ? なんだか彼女の顔が赤くなってないか?



                 ◇  ◇  ◇



 彼女はしばらくあさっての方を向いていたが、ため息をつくとこちらに向き直ってきた。

「呼び方は『遠坂』でいいわよ。正義の味方に”さん”付けされると調子が狂うから」
「そ、そう?」

 もっと親しい友人ならともかく、同年代の女の子を呼び捨てにするなんて慣れてないから、ちょっと『遠坂』とは呼びにくい。でもこういってくれるって事は、友達だと認めてもらえたってことでいいのかな。正直、ちょっと嬉しいものがある。


「でも、わたしのことを『かわいい』って思ってたという割には、喧嘩ばっかりしていた気がするのだけど?」
「う……。い、いいだろ昔のことは」

 あ、顔を片手で半分隠すようにして、「ははーん」なんてとんでもなく意地の悪い顔をしやがった。絶対何か良くないことを考えてる。
 嫌な悪寒がしてきた。コイツがこういう笑みをする時は、決まって効果的な一撃を加えてくるはずだ。

「ふーん。もしかして、話に聞くアレかな? 好きな女の子には意地悪するっていう男の子特有の病気」
「な! 病気とはなんだ!? というか、俺に好きな子をいじめる趣味はないぞ!? さらにいうと、俺は公園の平和のために戦ってたんだ!」

 ちょ、ちょと待てーーーー!? 誰が誰を好きだったってぇ!? とりあえずそこは置いておいて断言するぞ。俺に好きな子を苛めて楽しむ趣味は無い! 親父には『女の子には優しくしなきゃだめだよ』って教えられたし。

「――ふふん。でもずいぶん熱心だったわよねー。あとわたしの顔をみるなり、速攻で駆け寄って来たこともあったんじゃなかったっけ?」
「う、そっちは上級生のガキ大将まで屈服させて、公園の最大勢力になってたろ。気になるのは当たり前だ」
「公園はみんなのものだー、とか誰も味方してくれないのに一人で主張してたわね」

 ふふふ、と笑いながら指摘してくる。
 うーん、さすがは性根の曲がった、かっての我がライバル。嫌な事まで憶えているなあ。

「確かにあまり賛同を得られなかったけど、正しいことをいったんだからいいだろ。正しいことは誰が言っても正しいんだ」

 正論という、決して貫かれない盾で防戦する。

「そうねー、でも悲しいかな。正しい主張が常に通るとは限らないのが世の中なのよ」

 しかし、現実という絶対に心臓をえぐる矛の方が上でした。いや、これは言葉の使い手の差だ。
 ……たぶん。

「だからって、喧嘩したり誰かを仲間はずれにするなんて駄目だ」
「そういえば、実際に喧嘩が始まると『女の子に手を上げるなんてだめだ』とかいって、さらに孤立してたわよね。もしかして、衛宮くんっていじめられるのが好きな人?」

 いや、だから俺はSでもMでもないってば……。

「……さっきの『昔と変わった』という発言は訂正する。そういういじめっ子なところは昔と変わっていない。
――だからこの辺で勘弁してください」

 戦いはこちらの敗北宣言で終了。なんていうか、この口論には初めから勝ち目がなかったようだ。まあ、自分に負けたわけじゃないからいいけどさ。



                 ◇  ◇  ◇



「で、あのころの夢見る正義の味方さんは、今も変わらずに正義の味方なの?」

 顔を片手で半分隠すようにして、こころもち目を細めた彼女は「くくく」と喉で笑っている。完璧な勝利に気を良くしたらしい。

「今の俺は正義の味方なんて名乗れはしないよ。……それは相変わらず俺の夢だけど」

 いまどき『将来の夢は正義の味方です』なんて小学生でも真面目に言わないだろう。だが、俺は本気だ。あまり口にしないのは、あまりにその目標が遠すぎて、おまけに到達するまでの道筋を人に語れないからだ。

「あらー、まだ諦めてないんだ。ある意味さすがね」

 彼女は本気? と目で聞いて来た。この話題は軽く笑われて終わりかと思ったが、そうでもないらしい。彼女はなんだかちょっと心配そうな顔つきをしている。まあ、心配されるような仲でもないし、俺の気のせいだろう。いや、もしかしたら別の意味で頭の中身を心配されている可能性もないではないが……。
 これはちょっと、変に誤解されないように説明が必要かもな。

「完全に夢ってわけでもないぞ。理想を達成するための手段もわかってる」
「正義の味方になる手段? なんだか寝言を聞かされてる気がするのは、気のせいかしら?」
「ちゃんとした手段があるんだ。……でも、夢を目指してどれだけ努力しても成長できなくて、まったくそれに届いていないんだ。だから今の俺には正義の味方を名乗る資格は無い」
「変身ベルトでも手に入れるつもり?、それともウルトラアイ?」
「何気に詳しいな。あと古い。って、まじめに話しているんだから茶化さないでくれ!」
「ごめん、ごめん。真面目に聞くから話して」

にっこり笑ってこちらを見てくる。くそう、その笑顔は反則。

「手段はあるんだ。詳しくは言えないけど。ただ、これまで頑張ってきたけど、まったく成長できない事で行き詰っている。どうやったら道が開けるのかすらもわからない」
「んー、がんばっているのに成長がないって、なんで?」

 疑問に思ったことは、問いたださないと気がすまない性格なのだろうか?
 意外と会話が続く。正義の味方を目指すって話になると、藤ねえですら『士郎はいつまでも子供でしょうがないなあ』とため息混じりに呆れて終わりなんだが。

「俺に才能がないんだ。親父からも最初に才能がないってはっきり言われているから、それはよくわかっている。でも、俺にはそれしかない。だから無駄かもしれないけどあきらめずに努力を続けているんだ」
「ふーん。才能がないね。でもそれっておかしくない? 努力すれば何かしら成長はあるはずよ?」
「正直、一歩も前に進めている気がしない」

 こんなこと、家族である藤ねえにも話していないのに。何故だろう?
 自分でも意外に思うくらい素直に話している。  

「それも変な話よね」
「なにが?」
「一歩も前に進めないってわりに、努力を続けてるって話」
「ごめん。それのどこが変なのか、よくわからない」
「人間、頑張ったならそれに見合った見返りが必要よ。見返りがあるからその分、次からも努力しようって気になれるんじゃない」

 真剣な目差しと口調で言われる。これは彼女の信条なんだろうか?
 確かにもっともな話ではある。普通は誰も報酬なしで労働なんてしない。ボランティアだって達成感という報酬はある。

 ……だが、俺はこの4年間、全く進歩という報酬が無くても、死と隣合わせの鍛錬を続けてきた。

 報酬がないと努力できない、ってのは常識として正しいと思う。だが、俺にとってあの修練は報酬が有る無しで投げ出せる問題じゃない。

 理由は――自分でもよくわからない。
 ただ……それを思うと、何故かあの日の真っ赤な光景が脳裏を掠める。


 ――燃え尽きた家の残骸。
 ――――焼け焦げたヒトガタの炭。
 ―――――「助けてくれ」と呻く何か。
 ―――――――「この子だけでも」と差し出される黒い塊。
 ―――――――――それら全てを振り返らず、ただ歩き続けた自分。


「もしかして努力してるって口だけ? 単に本気でやっていないんじゃない?」

 こちらが黙っているのを、彼女は別の意味で解釈したようだ。

「ぐ、えらい言われよう。あいかわらず容赦がないな……。でも、努力が足りないから成長できないっていうなら悔しいし、悲しいな」

 両膝に肘を乗せて、掌の平をあわせて指を組む。体が前のめりになって、顔が下を向く。
 泣き言をいう気は無い。でも、これは胸を張っていえることじゃない。
 すべてを託すように安心して逝った切嗣の顔を思い出す。
 自分の情けなさと、託してもらった夢を形にできない申し訳なさで胸が痛くなる。

 それに……俺一人生き残った。それなのにこのザマはなんだ。俺よりもっと生き残るべき人が居たんじゃないか。

「……もう4年間。ずっと死にそうな思いをしながら、毎日何時間もやっているんだけど、
ぜんぜん成長できていないんだ……」



                 ◇  ◇  ◇



《嘘分岐点》


「正義の味方になる手段? なんだか寝言を聞かされてる気がするのは、気のせいかしら?」
「ちゃんとした手段があるんだ。……でも、夢を目指してどれだけ努力しても成長できなくて、まったくそれに届いていないんだ。だから今の俺には正義の味方を名乗る資格は無い」
「変身ベルトでも手に入れるつもり?、それともウルトラアイ?」
「いや、カレイドステッキだ。ほら、昔それでお前も変身していただろ」
「Shut up(黙れ)!!」

あかいあくまのベアナックル。グ、グリズリー級のこの威力は反則。


BAD END