1、夏休みが終わり、親鸞(歎異抄)を読む会も再開2009年9月25日(金曜)例の彌光庵にて7時からです。
 2、その前にお知らせしなければならないことは、末期ガンとの闘病期間中も参加されていた牧野(京都造形大学勤務、東本願寺末寺住職?)氏が8月8日亡くなられました。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
 それに加えて、彼との出会いは、ガンとは何かについて、深く考えさせもらい、その死の隠喩とでも言うべきものを如何に克服して、安心立命(easy life & happy death)するか、親鸞的に言えば、如何に生死の不安、苦痛、苦悩を超えるかと言う命題に答えらしきものを俺なりに与えていただいたと言う意味では、彼の死は俺の生に意味あるものとなりました。
 その意味では、彼の死に感謝したいと思っております。
 この点については、次回のお知らせまでには書かせていただくつもりです。
 3、東京の俺の旧友から、「読書会」のウオッチャーとでも呼ぶ友人ですが、彼から下記のようなメールをいただいております。ありがたいご批判ですので、MLにて回覧させていただきます。

2009年:平成21年9月12日
     アンポンタン大村
     悪人正機、愚者正機、他力本願、絶対他力に向けて!
     (Blessed are those who are condemned to be the fool & evil !!
      Salvation by the unconditional faith to Other Power !!)

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> Date: Sat, 18 Jul 2009 10:21:17 +0900
> From: ras.kato@outback.co.jp
> To: artalia42@hotmail.com
> Subject: Re: 読書会のお知らせ
> 大愚大村大兄
> このところ、東京の地から拝見していても、失礼ながら、主知的と言いますか、字義解釈の森のなかをさまよっている感がありましたので、今回のテーマは非常によろしいのではないかと愚考いたします。がんというのは、私の体験から申せば(14年くらい前に、大腸がんの手術をしました)、「がんは死のメタファーなのではない。がんは、いやおうな、死そのものを私たちにつきつけるものであり、逆に、そこまでの生の残り時間、多少象徴的に言えば、生の残り時間を提示することによっていままでの生全体の再点検を迫る」という印象がありました。ちょっとわかりにくい言い方で申し訳ありませんが、がん宣告までは、私は、「生も死も、一種のファンタジー」という状態を生きてきたのだと痛感させられました。 個人的に言えば、私は、私にひどいことをした人たちを、「いつかわかるさ」と思い、赦してきたということがあります。ところが、「おまえは、がんだ」と言われたことで、「いつかはないかもしれない」と初めて理解したのでした。これは、けっこう、慄然とした経験でした。これが、「がんだ」と言われる前は、「生も死も、一種のファンタジー」と申し上げた理由です。これは、私の実体験ですから、多少なりと、皆さまのお考えのヒントになるかもしれません。それでは。
加藤明弘