今更ではあるが、日本の多くの若者と同じように、私は一切の宗教を信じたことがない。趣味ではあるが、世界各国の神話や宗教を調べてサイトを作っている以上、中立的な立場をとらなければいけないだろうということもある。またそれ以上に私が信心深い人間ではない、自然科学を信奉するような人間であるということのほうが大きい。日本人にとって無神論者であることは恐らくごく当たり前のことだ。日本にはカトリック系の学校や仏教系の学校が数多く存在する。が、そこを卒業した人たちは全員その宗教の熱烈な信奉者である、などと誰も思わないだろうし、実際卒業者のなかに熱烈な信者は少ないはずだと思う。また私は、日本には宗教を「前時代的なもの」として差別する風潮があるとおもう。つまり宗教などに心のよりどころを求めるような人は精神的に弱いだけであり、確固たる「自分」を存在し、自覚していれば宗教などを信じることはない、というような考え方が少なからずあると思うのだ。これはもちろん間違った考え方である。たしかに宗教などが必要ない人は精神的に強い人なのかもしれないが、だからといって宗教を信じている人が精神的に弱いわけではない。むしろ無神論者であるとか神論者であるとかで精神の強弱が決まるわけではない。前にもコラムで述べたと思うが、多くの宗教の教則というのは今の社会の規則を補助する機能があるし、今の時代のように自分の生き方や生きる意味を見失いがちな環境にある一定方向への、つまり生きることの意義を見出す手助けになるはずだと思う。ではなぜ(一般的な)日本人は宗教を嫌うのか?
変に聞こえるかもしれないが、私は日本人が宗教を嫌うのは、日本の宗教のせいだと思う。日本人は潜在意識の中で自分達を神と軽視しているのだ。順を追って説明しよう。たとえば、キリスト教の聖書を見ると人間は「神が創りたもうたもの」とかいてある。中国神話では人間は女

と伏羲が泥をこねて作り出したものだという。ネイティブアメリカンのポーニー族の神話では月の神と太陽の神が産んだ男性と、火星と金星が産んだ女性がポーニー族の始祖となったと伝えられている。つまり全世界の多くの聖典や神話では、人間は神の子孫だとされている。ところが日本の神話は違う。日本で一番有名な神はアマテラスという太陽神であり最高神だが、この神は天皇の子孫だとされているものの人間の始祖ではない。神話上ではイザナミノミコトとイザナギノミコトという夫婦神が日本列島を「産みだした」ことになっているが、人間を生み出したとは書いていない。日本の神話において人間はいつのまにか存在しているのである。したがって、日本人には自分達が神の所有物である、という概念がない。また日本人は「すべてのものには霊が宿る」という根強い信仰がある。昔の日本人はすべての物質に神を見たのである。「日本には八百万(やおよろず)の神がいる」といわれるのはそのためだ。したがって日本人は個々の神に対する信仰が甚だ薄い、神を軽視する嫌いがある。日本人にとって神とはそこかしこに存在するものである。箒には箒神が宿り、トイレには便所神(厠神)がいて、木には木霊(コダマ)が宿り。道端にはさえの神や門神、地蔵がいる。すべてのものに「神性」を見出すため、日本には八百万の神がいるのである。従って外国の神や宗教観を受け入れるのもそう難しいことではなかった。それさえも全て八百万の神の一部と考えれば、日本人達にとってはつじつまが合ったのだ。学術のことは学術の神に、恋愛のことは恋愛の神にいのる。その延長上で、正月は神社に御参りするが大晦日にはお寺で鐘を付き、クリスマスにはサンタクロースに祝い、バレンタインには聖バレンタインに祝う(サンタクロースや聖バレンタインに対して祝っている人などごく少数だろうが)。霊がものに宿るならもちろん人にも宿ると考える。神性の雑多さは、個々の神々の軽視につながった。日本人の「苦しいときの神頼み」はここに端をほっすると考えていい。キリストにおける絶対神(GOD)のような概念はないので、自分達の上にたつ絶対的な力に畏怖したりすることはない。日本人にとって神とは畏怖すべき脅威の対象ではなく、むしろ身近に感じられるものだ。
苦しいときにしか神頼みしない日本人は、日常的に神を祀ったり、常に神を念頭において行動したりということしない。例えば日本人で常に荏原神社に参拝しにきている人がいるとしよう。ちなみに荏原神社とは鎌倉にある神社で、最新は菅原道真公である。普通の人が見たら奇妙に見えるはずだ。なにせ菅原道真公が学問の神様であり、学業の成就にその力を発揮する神様だ。荏原神社を毎日参拝しても、家内安全や大願成就のような願いが叶えられるわけがない。菅原道真公に祈るときは受験の時ぐらいでいいんじゃぁないか、と一般的な日本人は考える(実際荏原神社が参拝客で賑わうのは試験のシーズンである)。だからこそ日頃から神を敬うという慣習を持たない(無くしてしまったとも言える)日本人は、食事のたびに神に祈ったりするキリスト教信者や、一日に何回もメッカに対してコーランを唱えるイスラム教信者に対して、「なんでそんなことしているんだろう?」的な違和感を感じるのだ。