■65:病める思想の同胞
 このコラムの一番多く扱ったネタはおそらく「ネットについて」だと思うのだが、だとしたら二番目は「人間について」である。それくらい人間はその存在や機能やまぁともかく全般について複雑怪奇で、研究の対象としてこれほど面白いものはないだろう。反対にまとめにくい題材であるとも言えるかもしれないが。我々人間の営みは生物でありながら生物としての域を大きく逸脱したところにある。生物が生き抜く過程とは一言で言えば「弱肉強食」だ。弱い固体は日々を生き抜く過程、つまり生存競争により「淘汰」され強い固体のみがその性質を子孫に伝えることが出来る。今の段階ではダーウィンの「進化論」説は100%の実証を得られていないものの。この摂理は理論としてだけではなく言わば「自然の摂理」としてとても説得力があるものだ。
 しかし、人間に限りこれは当てはまらない。人間であればどんな弱い固体であっても、大抵の場合において保護され、医療によって治療されるからだ。人間はどんな生物よりも弱いが、どんな生物よりも、はるかに「強い」。

 我々はこれ以上進化しない。生物としてはもう限界の分化段階にきた。だが我々はもう生物の範疇におさまらない存在となってしまった。これから起こるであろう、四肢の退化に伴なう運動能力の低下や、実際起きつつある生殖機能の異常といった生物としての退化も、我々を根絶させるような障害にはならないだろう。我々はそれを科学力、医療技術で代替し、いつかは生物とまで呼べない次元まで達することが出来るであろう。もうその時は我々は地球にいないかもしれないが。

 我々一個体はとても弱い存在だ。全員を守る為、全員を助ける為に作った社会は、弱いものであっても淘汰しない。それどころか、生物として食料の不足といった自体は起こらなくても、上司とのいざこざや、妻との不仲みたいなとんでもなく些細な事で自分の命をあきらめたりする。同性愛がはびこり、子孫を残す為でなく、快楽を得る為にセックスに励む我々はとっくに生物としては「終わっている」。

 とかいっちゃうと時々コイツ前のコラムと矛盾すること言うよな、とか言われそうだが、ほら、人間って矛盾の固まりじゃん、とか言い訳しつつ。今日のコラム終了。