■64:他人のふんどしで相撲を取る
 人間は忙しい生き物である。生き物のくせに一日の大半を子供を産むとか飯を食うとかいう、生命維持に必要な作業以外に当てるおかしな生き物だ。そして我々は各個人だけで自分の生活を支えられないし、自分の専門分野以外のことを詳しく知ることが出来ない。知識の泉はあまりにも深く、そして広いため、一生かけてもその全てを飲み干すことは個人には無理である。

 そこで人間は社会というものを形作る。各々が専門分野にだけ長け、あとの人間はそれに頼るという方法だ。自分の専門分野以外に求めるものは結果のみに限定し、それを利用することで、我々はありとあらゆる分野の知識、技術を発展させることに成功した。

 そこで、我々は自分の良く知らないことには、教えられた以外の疑問をあまり持たないで、結果だけ重視する。自動車の動く仕組みが分からないでも運転さえ出来れば遠くにいける。栄養満点とされる飲み物を飲んでいれば、その成分が分からなくても、健康になれると信じている。

 いわゆるトンデモ本といわれる分野がある。彼らは自分たちのことを「と学者」と呼び、与えられた知識に満足せず、それを自分たちで検証しその内容を証明する、言わば前述の人間のサガに反した行動をとるもの達・・・・のように一見見えるが、果たして本当にそうだろうか?

 「空想科学読本」というシリーズを知っているだろうか? このシリーズは、アニメ、特撮もの、漫画などの、広範囲にわたる空想世界の科学的背景について検証する、分野的に言えば「トンデモ本」のジャンルに入るであろう本である。しかし、と学者はこの本をもこき下ろす。その科学的裏づけの薄弱さや間違いを細かく列挙し攻め立てるのだ。前書きにはこのように書かれている。「仮にも「科学」と題名に関している本がこんなに非科学的でいいものか?」

 確かに、「空想科学読本」の中に出てくる科学的根拠や理論は裏づけに乏しかったり、明らかに間違っているものもある。しかしながら所詮はそれらのデータのもとは「空想」の産物でしかないのだから、れを科学の域まで持ってくるのには想像以上の困難を伴なうだろう。ウルトラマンが飛ぶときに生じる衝撃が彼と周囲にどんな影響を与えるかを真面目に計算した人間が過去にいただろうか? 彼は、「空想」と「科学」を結び付けるという前人未到の偉業と、その二つを分かりやすく説明し、それらについて読者に多大な興味を与えたという貢献によって、賞賛されるべき人間だと思う。

 反対に「と学会」の人達はどうだろうか? 彼らはその時売れている本に追随して同じような本を出し、とても理論的な根拠と裏づけによって、それらの本の間違いを逐一列挙し、訂正し、糾弾する。彼らはとても正しいのだろうが、彼らは何も生み出してはいない。金魚の糞のように売れている本について回り、他人のふんどしで相撲を取っているだけだ。彼らの貢献できるのは、「活字は必ずしも信じてはいけない」という観念においてのみである。

 我々は善良なる読者ではなく、愚かなる不理解者である。コーラを飲んだら歯が溶けるという噂を信じるのは愚かであり、その噂を広めた人、言い出した人が悪いのではなく、信じたものが悪いと考えるべきである。その本が間違っているかどうかに留意するのなら、彼らの理論や計算が間違っているのか実際に計算すればいいことだ。空想科学読本を読んだあとにその間違いに気付き正しい計算方法などを著者に出した人も多いそうだ。