■存在の証明
この頃、コラムがやけに難しいとかいわれちゃったので、簡単にする事にした。文章を書いていたり、或いは誰かの本や小説を読んでいるときによく思うのだが、難しい内容(例えば専門的な内容とか)を難しく書くのは愚の骨頂である、と。内容が専門的で難しいものであればこそ、筆者はそれを専門的な知識を持たない読者にも分かるように慎重に言葉を選ばなければならない。言うならば、当コラムはそれを実現する為の私の練習場とも言える。なので、難しい内容を分かりやすく書く、ということに気をつけてこれからコラムを続けようとおもう。
アルバート=アインシュタインを知っているだろうか? いや知らないはずがない。彼は間違いなく近代科学において多くの貢献をした人物の筆頭だ。だが、彼が生前に日本で1ヶ月以上に渡り滞在し、講演をおこなっていたことを知っている人はあまり少ない。
彼は日光東照宮にも訪れ、鴬張りの廊下のしつらえにことさら喜んだ。鴬張りとは、上を歩くと床板をとめたかすがいが若干きしむ(こすれる)ようになっていて、「キュッキュッ」と音がするように作られているものだ。アインシュタインは同行していた日本の学者に「コレはとても素晴らしい。自宅にもこんな廊下を作らせたいものだ。どんな構造でこういった音が出るのか?」と聞いた。もちろん建築などに疎い学者はそれに答えられなかったわけで、しどろもどろしていると、アインシュタインは「これは作った技術者の専売特許なのだね」と言ってにっこり笑ったという。日本人に恥を欠かせない心遣いに感謝したい。
アインシュタインによれば、相対性理論は小学生にも分かる簡単な理論だという。彼を見習って(あるいはそう言った彼に恥を欠かせないためにも)、相対性理論とはどういったものかを皆さんに分かりやすく伝えたいとおもう。
ボーリングを床に転がしてみよう。床がまったく平らであれば、飽きることなくボールはずっとまっすぐに床を転がりつづける。もっとも、どうしても床は拡大すればでこぼこがあるため、これが抵抗になって(摩擦力)、ボールはいつかは止まってしまうが、摩擦がまったくなければ、ボールは何処までも転がりつづけようとする。反対に、とまっている物体は何らかの外からに力が働かない限り止りつづけようとする。これを「惰性」という。動く物体は外力(抵抗)が働かない限り、何処までも同じ方向に動こうとする。力学の法則の中でももっとも単純明快なものだ。ところで、ボールが転がっている床を方に目を向けてみよう。考えてみれば我々はこういった力学の問題を話すとき、その床に対して目も向けることは無かった筈だ。
こういった力学問題を話すとき、私たちは床はまったく動かないものであるという無意識な設定を思い描いている。床が動かないからこそ、最初にボールがあった地点からボールが動いているということを説明できると思っているのだ。そう、ボールがある地点からある地点に移動した、と言うためには空間に何かしらのものさしを置かなければならない。例えばこの場合は、ボールが最初にあった地点を0としたものさしだ。このものさしは床に固定されているので、動くことはない。このものさしを「絶対的座標」という、ボールが転がるだけなら一方向だけのものさしで足りるが、このボールが落ちたり弾んだり、何かにぶつかったりした時のこと説明する為には高さや奥行きなどの物差しも必要になるだろう。何かがどこかに存在していることを完璧に説明する為には、0である地点と3種類(幅、奥行き、高さ)の物差しが必要になるのだ。例えば地球上にあるものの場所を説明したいとき、緯度と経度と高さが必要になる。
ところが地球は移動していることを我々は忘れている。地球は太陽を中心として公転し、極軸を中心として自転するという複雑な動きをしている。にもかかわらず、ボールはまっすぐ動いているように見える。
もっと身近な例をあげよう。走っている電車の中でボールを真上に放り投げてみる。惰性の法則を思い出そう。動こうとしている物体は動きつづけようとしている。ボールは最初に投げた地点にとどまりつづけようとするから、電車の進行方向から反対の方向へ落ちるだろうか? 実際はそうはならない。ボールはすっぽりと手の中におさまるだろう。これは、床が動いている場合であろうとも、もっと言えば座標が動いている場合でも惰性の法則が成り立つことを意味している。つまり座標が固定されていようが動いていようが、力学的な法則は成り立つ。この動くものさしを「相対的座標」という。
これが相対性理論の簡単な考え方だ。つまり、動いている物体に対しても観測者(上の例であれば、ボールを投げた人)が同じ速度で動いていれば物理法則は成り立つと言うことだ。当たり前じゃないか! と思うかもしれないが、これは偉大な発見の大きな一歩なのである。
この結果からこんなことが言える。たとえば観測者は互いに相対的なものさしで空間について説明できる。という事は他の観測者から見てそのものさしはまったく違ったものだ。今まで3種類のものさしを基準にして話しを進めてきたが実はもう一つものさしは存在する。それは時間だ。時間が経過しないと動いている物体は止まっている物体と区別できない。動いているボールと止まっているボールを写真に撮れば分かるだろう。従って、時間も立派なものさしの一つだ。ところで観測者はものさしを一人一人持っていて、それらが一致しない場合もありうるという事はわかってくれたとおもう。これは時間に対しても言える。つまり、電車の外にいる人と、電車の中にいる人は同じ時間を過ごしていないのだ。ここらへんからきっと首をかしげる人がいると思う。それはそうだ。幾らどんな速さで移動して、友達との待ち合わせ場所に駆けつけたとしても、腕時計と広場の時計の時刻は一致している。
これは我々が一秒単位の時間に対しては問題ないような速さと距離でしか動けないからで、我々が光速に近い動きで待ち合わせ場所に現れたとしたら、間違いなく時刻は不一致になる。これを証明する観測結果もある。どんな速さで動いていても光の速さが変わらないという事実だ。ドップラー効果というのを知っているだろうか? 近づく物体から発する音は高く、遠のく物体から発する音は低く聞こえるという効果だ。このドップラー効果は光に対してもいえる。光の場合、近づく物体から発せられる光は青く、遠のく物体から発せられる光は赤く見える。しかし、地球の公転によってある星との距離は確実に狭まったり遠のいたりしている筈なのにまったく光の波動には差がない。これを「光速不変の原理」という。(続く)