デイリー・インサイト

2003年7月

2003/07/28(月)

■ヘルシア緑茶の効果がなかなかあらわれない。

■ホラー映画『デッドコースター』の宣伝文句「生き残るのは死んでも無理」は名コピー。


2003/07/27(日)

AIP社の50年代B級SF怪奇映画DVD-BOX

 こんなものまでDVDボックス化される時代になったんだ。『原子怪獣と裸女』(1955)という映画は、実際は怪獣じゃなくて怪人だし裸の女も出てこないんだけど、どこか憎めなかった記憶がある。『2001年宇宙の旅』以前に作られた低予算SF映画特有の呑気な雰囲気が僕は好きだ。



『原子怪獣と裸女』


2003/07/25(木)

■「具志堅(用高)がプロデビューしたのは74年(昭和49年)で、引退したのが81年(昭和56年)である。具志堅が活躍したこの時代は、ポスト70年安保の時代であり、一般的には「シラケ世代」が増えた時代といわれる。しかし、21世紀になった今、この時代を振り返ると、まだまだ「頑張れば報われる時代」という日本の高度成長の神話が信じられていた時代だったということがわかる。
 具志堅は引退を決めた直後のインタビューで独特の「成功神話」を垣間見せている。「チャンピオンになったから家も建てられたし、マンションも買えたよね。それと石垣島に土地も少し買ったけど、残念なのはやっぱりベンツを買わなかったことだね」
『拳闘浪漫 日本ボクシング黄金伝説』(ベースボールマガジン社)


2003/07/22(火)

■7月20日、『大改造!劇的ビフォーアフター』(テレ朝)が『武蔵』(NHK)を抜いてとうとう日曜夜8時台の視聴率トップに(14.5%>13.7%)。でも僕はもうビフォーアフターは飽きた。

■函館銘菓いかようかん


2003/07/20(日)

■「金融商品に興味はありません。大手商社マンの言いなりで、一千万円近く損した経験があります。あまりに腹が立ったので、SF漫画「漂流教室」の登場人物を似せて書きました。」
楳図かずお(日本経済新聞2003年7月20日)

 関谷のことだな、これは。


2003/07/19(土)

■青山の焼き鳥屋台のオヤジ(元商社マン、団塊世代)に「恋愛はゲームだ」と説教される。


2003/07/16(水)

天才も犯罪者も、異性の関心を引くために30代で最高の”仕事”をする


2003/07/14(月)

キリン「生茶パンダ」プレゼント・キャンペーン・サイトって、全然つながらない。アミノンジャーTシャツのときはこんなことなかったから、本格的に応募が殺到してるということか?

女だらけのグラビア談義(情報元:知ったかぶり週報

 この対談中で、日々の凧あげ通信の大塚さんが「不景気だから、景気がよさそうに見える肉ポテ系のアイドルが流行る」という面白い説を唱えていたので、試しに調べてみた。

 第二次オイルショックの1979年から1980年にかけて、元祖肉ポテ系の榊原郁恵と河合奈保子が活躍している。宮崎美子の「いまのキミはピカピカに光って〜」CM(作詞は糸井重里)がオンエアされたのも1980年。逆に1990年前後のバブル絶頂期は、レースクイーン系とかCCガールズとか杉本彩とかのスレンダー巨乳が人気だったような気もする。なるほど、つじつまは合う。

 でもやっぱりこの説にはちょっと無理があるというか、例えばAV女優の松坂季美子がデビュー(1989)したのも細川ふみえがミスマガジンに選ばれた(1990年)のもバブル期だった。大抵の男はいつの時代も多かれ少なかれ肉ポテ志向なんだと思う。じゃあなんで肉ポテ系がいま特に増えているように見えるのか。

 僕は、イエローキャブ・バブルによる巨乳のカジュアル化と陳腐化に関係があるんじゃないか、と思っている。とにかく巨乳が量産されたおかげで、巨乳が身近になった。身近になったから、完璧さを求めなくなった。乳さえ大きければ、顔とか腹回りに多少違和感を感じても許せるようになった(=カジュアル化)。一方で、乳が大きいだけではダメになった(=陳腐化)。トークの面白さとかワキ見せポーズとか大開脚とか、そうした+αの差別性を獲得しなければ巨乳は生き残れなくなった。

 そんな流れの中で、肉ポテ(≒たるみ)は巨乳の差別化の武器としてポジティブに受け止められ始め、加速度的にその数を増やしているというわけだ。たとえば滝沢乃南なんて10年前だったら無茶だったかもしれないけど、今だったらある意味でグラドルの王道だし、ガンプラ好きとして知られる類家明日香くらい肉ポテでも今の自分は全然許容範囲だ。これはもう踏絵だよ、グラビアアイドル好きの↓。


 でもどうだろう。ここまで肉ポテを受容する状況は、カエルはいきなり熱湯に入れると逃げるけどジワジワ加熱すると気づかずにゆであがって死ぬ、という「ゆでガエル」理論を何故か思い出させて、ぼんやりとした不安を感じさせもする。グラビアアイドルは、そして僕達は、一体どこへ向かおうとしているのか。


2003/07/13(日)

■更新が滞ったのは、『モト彼』(TBS)でキャリアウーマン(笑)役の広末が電話で「お母さんみたいな専業主婦になんかなりたくないの!」と暴言を吐いたときに「だったらお前がまずちゃんと大学の授業に出ろ!」とテレビに向かって声を荒げたくらいに現実と虚構の区別がつかなくなっていたからです。

■山田太一ドラマ『高原へいらっしゃい』(TBS)の視聴率は一話9.8%、二話7.4%と振るわない。まあ実際に面白くないんだからしょうがない。テーマ曲を提供した浜崎あゆみも「こんなはずじゃなかった」と歯噛みしてるはずだ。

■「団塊の世代」と言うのは狭義には1947年から49年の間に生まれた人々のこと指すんだけど、戦後生まれで学生運動を身近に体験してる層は多かれ少なかれ団塊世代的なメンタリティを持っているので、いま50代前半〜半ばの人たちはまとめて団塊世代といってしまっていいと僕は思っている。世代論に問題点が多々あることを承知の上で、僕は世代論が大好きだ。


2003/07/08(火)

EVANESCENCE "FALLEN"(2003)


 アルバムのどこをきっても岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』みたいな歌謡曲的泣きメロのオンパレード。そこに「ジャッジャッジャジャッ」っていうラウド・ロック特有の機械的ギターリフが乗って、更にピアノと壮大なストリングスとコーラスが降り注ぐ、という、ありそうで意外と無かった日本人好みの叙情派ゴス。またはメロコアならぬメロゴス。巷でよく耳にするヒット・シングル「BRING ME TO LIFE」(2曲目)が霞むくらいに良い楽曲が揃っている。

 そしてそんなサウンド以上に魅力的なのが、「上目遣いの堕天使」エイミーちゃんの歌声だ。ゆったりと哀愁たっぷりに歌い上げる彼女の歌声は、アルバム全体が泣きどころのサビに聴こえてしまうくらいに聴く者を全身性感帯に変える。もしスージー・スーがこのアルバムを聴いたら、貴乃花と闘って引退を決意した千代の富士みたいな心境になるだろう。そんな期待の歌姫だ。動いてる姿より写真うつりのほうが良いのが気になるけど。


2003/07/06(日)

週刊誌アーカイブスD



『朝日ジャーナル』1969年12月28日号
「セックス”解放”の現段階 〜 愛と性の秩序」

 今日のいわゆる「性の解放」が半面での「合理化」とひきかえのものであること、つまり「合理化」されたかぎりで「解放」が許容されていることを忘れてはならない。こうした擬似的な「解放」と「寛容」のなかで、エロチシズム本来のエネルギーは、次第に窒息させられつつある。大江健三郎の『われらの時代』をはじめ多くの現代文学は、こうした状況を敏感にとらえ、それに対する強いいらだちを表明しているようにみえる。(中略)

 人間にとって、功用性を離れたエロチックな活動は、日常的秩序のなかに組みこまれている自己の現実存在の超越としての意味を持つ。相互に非連続的な個体として社会のなかに位置づけられている人間存在にとって、それは「連続」(連帯)に向かっての超越であり、また「自由」に向かっての超越である。だからこそ、それは「生の高揚・拡充」たりうる。人はそこから生きる力を汲みあげてくる。もちろん、ときにそれは、人を過度の生へといざなうことによって彼を破滅させもするだろう。



 乱暴に要約すると、セックス=エクスタシーという非合理的なエネルギーで合理的近代社会を乗り越えよう、っていう話。革命願望が強かった時代ならではの、政治と性欲が表裏一体になった、今ではとてもありえない性解放論だ。婚前交渉に大義名分が必要だっただけなのかもしれないけど、朝ジャーの論調は真剣そのもの。

 こんな立派な理想を掲げておきながら、結局その後は就職して近代社会に絡めとられ、せいぜい課長島耕作みたいなプッチン不倫をするのが関の山だった団塊世代。そんな彼らから生まれた子供たちの一部が「自由に向かって超越」して「超自由」を名乗り、集団レイプ事件によって破滅しようとしているんだから皮肉なもんだ。

■更新が滞ったのは、杏さゆりの激痩せにショックを受けて情緒不安定になったためです。


2003/07/01(火)

■t.A.T.u.のドタキャン騒動に沸いた『Mステーション』6/27の視聴率は11.1%。Mステはいつも10〜12%くらいだから、t.A.T.u.効果は特にみられない。

■t.A.T.u.の仕掛け人・イワンは、そのうちマルコム・マクラレンみたいに自分で唄いだしそう。靴下に穴が開いていたのもパンクだからなのかもしれない。

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