【第7夜】

夢 宴

〜バットケイヴ生き証人インタビュー〜


2003/11/17

 かつてバットケイヴ(Bat Cave=コウモリの洞窟)という名の伝説のクラブが1980年代前半のロンドンに存在した。怪奇映画の世界をそのまま再現したようなこの独特の空間は、瞬く間に噂となって一世を風靡したけれど、いつのまにか幻のように跡形も無く消えてしまったため、現在ではその全貌を正確に把握することは難しい。その寿命の短さも含め、いろいろな意味でポジティブ・パンクを象徴する記号のひとつだったと言える。

 そこで今回はいつもと趣向を変えて、バットケイヴに毎週通っていたという「るま」さんへのインタビューを通して当時のバットケイヴの雰囲気を伝えてみたい。記憶が曖昧なために一部不正確な情報も含まれているかもしれない、と謙遜する彼女の口から語られたのは、妖しく彩られた夢のような宴の様子だった。





1982年12月11日付のSOUNDSに掲載された告知広告



■ ■ ■ ■ ■



(2003年10月某日、都内某喫茶店にて)

★ロンドン1982

真実一郎(以下S):いつ頃ロンドンにいらしたんですか?

るま(以下R):82年から85年かな。当時は留学していて、むこうでちょっと働いたりもして。

S:82年っていうと、首相はサッチャーでしたよね。

R:サッチャーでした。それで留学生の受け入れもだんだん締め付けが厳しくなっていて、日本人の留学生も入国しにくかったんですよ。外国人をみんな国外に返せって感じで。わたしも行った日に空港でつかまっちゃっいました。

S:ああ、失業率が高かったから。

R:そうなんですよ。外国人にそのまま居つかれて働かれちゃうと困るから、とにかく追い返せ、と。日本人留学生もどんどん増えていたから、アジア人なんて格好のターゲットでしたね。私がいる頃は本当に不景気で、どうしようもないところまでいってる時だったな。今のロンドンは凄いですね、テレビとかで見てると。なにもない所だったのが再開発されて。汚かったんですよ、私がいる頃はゴミとかも溢れてて。たぶんあまりお金が無くて、街の清掃とか出来なかったんじゃないかしら。すごくガッカリしましたね。ヨーロッパって綺麗なイメージがあったのに、こんなに汚いんだーって。いまはすごく気をつけてるみたい。

S:でも不況とは裏腹に、82年当時のイギリスって音楽的にはすごく充実してたんですよね。不満足っていうのが表現欲の原動力になっていたのかもしれない。

R:一番最初にロンドンに着いた日に「トップ・オブ・ザ・ポップス」を見たのを覚えてて、そのとき出演していたのがスパンダー・バレエシンプル・マインズだったんですよ。それで、ああロンドンに来たんだーって嬉しくなって(笑)。

S:ロンドンに着いてから直ぐにバットケイヴに行ったりしてたんですか?

R:最初はクラブとか行くのは恐かったんですよ。だから語学学校の友人に連れられてディスコに行ってたんだけど、その近くにマーキーがあったから、ミュージシャンがいっぱいいたんですよ。ヘビメタ関係の人とかベイ・シティ・ローラーズの人とか(笑)。あーイアン・ミッチェルだ、みたいな。それでいろんな国の友達が増えて。それからクラブとか行くようになったんですよね。寛大な雰囲気の街だったから、排他的なことは無くて、ほとんどの人たちがやさしかった。いろんな人に支えられたような気がするな。カムデンパレスとかも行きましたよ。スティーヴ・ストレンジとかボーイ・ジョージが溜まり場にしてましたね。すごくゴージャスな感じで。それこそ観光客もたくさん来てて。


★バットケイヴの記憶

S:バットケイヴに通い始めるきっかけっていうのはなんだったんですか?

R:飛行機の中で知り合った日本人の友達が連れてってくれました。初めて行ったのがいつ頃かはもう忘れちゃったけど。バットケイヴは毎週通ってましたねー。

S:バットケイヴって、ハコは何回か移動してたんですよね。

R:最初はストリップ劇場を水曜だけ借りて開催してたみたいですよ。オープン初期の場所は部屋が幾つにもわれていて探検みたいで楽しかったです。そのあといろいろ場所が替わったりしてました。大抵ウェストエンドのド真中でしたね。どの会場でも蜘蛛の巣みたいなやつをたらしてムードをつくって。主催していたスペシメンの人たちは「ロッキー・ホラー・ショー」とか大好きなんですよ。それでああいうフランク・フルター博士の館みたいな空間を作りたかったんじゃないですかね。私にとって未知の世界だったから、ただただもう楽しくて楽しくて。こんな人たちがいるんだ、その中に自分がいるんだー、って。



映画『ロッキー・ホラー・ショー』


S:やっぱりあれってモロにロッキー・ホラー・ショーですもんね。僕もポジパンに目覚める前から怪奇映画とかカルト映画とか大好きでしたよ。

R:私はロッキー・ホラー・ショーがもともと好きで。完璧な振り付けで踊れるくらい好きだったんですよ。だからバットケイヴはまさにロッキー・ホラー・ショーだったから、もう盛り上がっちゃって。みんなに「私もロッキー・ホラー・ショー好きなんだよー」っていい加減な英語で言って。彼らも一緒に踊ったりしてくれましたね(笑)。

S:そこで何か流行ってるものってありました?

R:クラブの入口近くの部屋では、いつもスクリーンにカリガリ博士とかのモノクロ怪奇映画の映像が流れていたんだけど、マイケル・ジャクソン「スリラー」のビデオが話題になった時は、これいいねえ、一本とられたねーって感じでみんなで見て喜んでましたね。オーバーグラウンドでよくこれをやった、みたいな。みんな好きでしたね、「スリラー」は。

S:バットケイヴって、一晩で何人くらい入ってたんでしょう。

R:もうぎゅうぎゅう詰めでしたよ。会場の大きさによるから人数は把握できなかったけど、毎回「エクスキューズミー」って言い続けて歩いてましたね。最初の頃は派手にドレスアップした人たちばかりだったんだけど、だんだん噂を聞きつけて普通の格好の人たちも増えていって。まぁバットケイヴの人たちはそれを排除するような人たちでもなかったので、一時期は本当にたくさん人がいましたよ。ライブはいつも12時過ぎに始まって、そのあと朝3時とか4時までいて。それで夜行バスで帰ってました。だからバスの中はゴスメイクした人たちだらけ(笑)。

S:当時こっちで売っていたロンドン観光ガイドブックにもバットケイヴは載っていたくらいだから、日本人の観光客も多かったんじゃないですか?

R:観光というよりも、ああいう世界が好きな感じの若い子が多かったですね。日本の人がいると嬉しいからすぐ友達になって。明日日本に帰るんだーとかいう子とかね。みんなもちゃんと頑張って、ある程度正装(笑)して。みなさん今ごろどうしているかは分からないけど・・・。


★スペシメンのヒ・ミ・ツ



スペシメン


S:スペシメンの人たちって当時何歳くらいだったんですか?

R:たぶん私とそんなに変わらなかったはずですよ。オリー(ボーカル)はもしかしたらオトナだったかもしれないけど、ジョニー君(キーボード)は二十歳そこそこでしたから。彼は若かった。みんなのマスコットでしたから。手をひらひらさせて「ハーイ」みたいな物腰でしたよ(笑)。彼のお気に入りの場所は女子トイレの化粧台の上で(笑)、いっつもブルネットとブロンドのかわいい娘を二人はべらしていて。それがまた絵になるんですよねえ。私も彼には随分可愛がってもらって本当に楽しかったです。ドラマーの人のことは覚えていないなあ。ベースの彼もちょっとだけ覚えてるかなーって感じで。なんせこのオリーとジョニーの二人が強烈で。

S:ベースの人ってフレッシュ・フォー・ルルのベースと同一人物ですよ、確か。ギターの人はどうでした?スペシメンの後にスージー&ザ・バンシーズに加入するんですけど。僕、彼のギコギコしたギターがすごく好きで。

R:彼のことはあんまり覚えてないなあ・・・。話をするのはいつもジョニーだった。オリーもすごく愛想がいい人でよく話をしたけど、彼は忙しいから。いつも人に囲まれて、本当に楽しそうでしたね。



オリー&ジョニー


S:オリーはアメリカに行っちゃったんですよね。バンドの金を持ち逃げして高飛びしたっていう噂があったりして。

R:そういえばジョニーってね・・・これ、言っちゃっていいかなー。彼、弾いてなかったですよ、キーボード(笑)。

S:まじで?でもそういえばレコードにもほとんどキーボードの音って入ってないですもんね。

R:レコードで弾いてるのはたぶん別人ですよ。ライブでもこう、踊りながらたまに指一本でポンってキーボードを押すだけ(笑)。だから本当にマスコットですよね。ただ踊って揺れてる、みたいな。ノリノリなんですよ。

S:楽器を弾かない雰囲気担当メンバーっていう意味ではハッピー・マンデーズのベズより早かったわけですね(笑)。

R:でも彼がいないと成り立ちなりませんからね、スペシメンは。オシャレでしたからねー。ジョニー君は雰囲気あるファッションをするのがすごく上手かったですよ。いろいろ工夫して。今みたいにどっかに行けば出来合いのものが売ってるってわけじゃないから、当時は今のゴスの人達と違って「コスプレ」するのではなく、皆自分流にカムデンマーケットなんかで見つけて来た古着をアレンジしたり作ったりして、貧乏ながら楽しんでましたね(笑)。みんな自分で作ってた。あたしも負けないように頑張ろうって思って。彼はとにかく華がありました。

S:背とか高かったんですか?

R:いえ、ちっちゃかった。わたしと同じくらい。大きい人ではなかったですね。

S:僕はスペシメンの最後のシングルの頃にポジパンに目覚めて。その頃はエイリアン・セックス・フィーンドの来日公演も終わっちゃった後だったんですけど、日本は情報が少なかったから、とにかくポジパンっていう凄く新しいことが起きているっていう幻想がふくらんでたんですよね、僕の中で。

R:イギリスのみんなもそうだったんじゃないかな。水曜の夜だけは夢の世界って感じで。客層も若かったですよ、年齢とかいちいち聞かなかったけど。みんな頑張ってメイクして。わたしはそんなに濃いメイクはしなかったですね。(ここで当時の写真を見せてもらう)

S:わあ、スージー・スーみたいですね、髪型もメイクも。

R:当時はトーヤとかスージーに憧れてて、真似したかったんだけど髪がなかなか大きくならなくて苦労しました(笑)。あんまり写真は撮らなかったんですよ。東洋人だからカメラを持っていくと観光客に逆戻りしちゃうような気がして。


★バットケイヴに集まった紳士と淑女

S:有名人とかも沢山来ていたと思うんですけど。

R:ダニエル・ダックスとか凄い人気でしたよ。

S:僕も行きましたよ、彼女の来日ライブ。インクスティック芝浦ファクトリー。ライブ自体はやる気ない感じだったけど、とにかく綺麗だった(笑)。部屋にポスター貼ってましたよ、僕。

R:頭がちっちゃくてかわいい人でねー。ほんっとにかわいらしくて、エキセントリックで。喋ったことはあまりないんですけどね。気性が激しそうっていうか、なんかあまり喋りかけられない雰囲気。そこがまた魅力なんですけど。



ダニエル・ダックス


R:同じ綺麗な子でもニック・ケイブの彼女、アニタ・レーンさん・・・詩人でしたっけ、彼女はすごくフレンドリーで、とても仲良くしてくれました。あと、フレッシュ・フォー・ルルって女性メンバーはいましたっけ?

S:いや、いなかったはず・・・あ、ライブビデオを見るとチェロを弾いてる女性とかいましたね。たぶんライブだけのメンバーだと思いますよ。

R:そうですか。名前は覚えてないんだけど、フレッシュ・フォー・ルルにいた女性二人がギターとベースをやっているバンドがあって。バンド名は覚えてないけどベースがフランス人、ギターがアメリカ人で、ソフィーとリンジーっていうんですけど。その二人とは凄く仲良しでしたね。かわいい子でしたよー、二人とも。

S:ハノイ・ロックスのメンバーがバットケイヴに出入りしていたっていうのは本当ですか?

R:いましたねえ。まだ全然デビューして間もなくて、売れてなかった頃ですよ。メンバーが友達の友達だったんで(笑)、よく話しました。マイケル・モンローも来たけど、よく遊びに来てたのはナスティとサミーでしたね。彼らもフィンランド人で、外国人同士ってことで集まったりして。いまちょっと自慢ですよ、「私ハノイ・ロックスと喋ったことあるのよ」って(笑)。あとマーク・アーモンドとニック・ケイブはほとんど毎週いたかな。

S:ニック・ケイヴってデカイんですよね、やたら。

R:大きかったですね、ひょろっとして。フレンドリーな方でしたよ。すごく慕われていて。彼は既に「あのバースデー・パーティーの」っていう感じでスターだったから。

S:セックス・ギャング・チルドレンはいました?

R:ライブはしてたけど、私、セックス・ギャング・チルドレンとかエイリアン・セックス・フィーンドはあんまり覚えてないんですよね。イメージ的には、バットケイヴといえばスペシメン。音楽でよくかかってたのはクランプスですね。今でもバットケイヴというとクランプスの曲が聴こえてくる感じがしますよ。あとダムドとかキュアもよくかかってたな。ダムドのメンバーとか来てました。

S:ハードコア・パンクの人たちも来てたりしたんですか?。

R:そういう人たちもバットケイヴには全然いましたね。ほとんど同じようなものって感じで。私の友達にもハードコアの人とかいたし。行き来してましたよ。住み分けはあまりなかったですね。




クランプス


★霧の中

S:当時、向こうでは「ポジティヴ・パンク(ポジパン)」っていう呼び方って普及してたんですか?

R:「ゴシック・パンク」とか「ゴシック・ロック」っていわれてましたよ。あっちの記事にスペシメンが紹介されたときに「ゴシック」って言葉が使われていたのを覚えています。ポジティブ・パンクって言われたのはその後じゃないかなあ、よく覚えてないんだけど。

S:こっちではポジパンって「ニューウェイヴの新しい潮流」って感じで紹介されて、全く新しい最先端の音楽っていうふうに僕は思ってたんですけど、向こうでもそんな感じだったんですか?

R:ああ、同じだと思いますよ、最初はね。でも一瞬でパッと消えちゃったけど。日本ではイメージ悪いですよね、この手のものは。失礼だけどビジュアル系のせいで。すごい不本意なんだけど、私からすると。あの頃はちゃんとあったんですよ、好きだからやるっていうのが。女の子にもてるからとかじゃなくて、好きだからやるって感じで。

S:やっぱりビジュアル系は嫌いですか。

R:嫌いではないですよ。ルナシーくらいまではゴシックを好きでやってる感じはしたから。初めてルナシー見たときはジーン・ラヴズ・ジザベルかと思ったもん。でもそれ以降のバンドには、ついていけないっていうか。いろんなこと聞くにつれ悲しくなってくるというか。それにビジュアル系っていちおう市民権があるから、何も言われずにラクじゃないですか。当時は覚悟してやってましたからね(笑)。まあ若かったから。

S:ビジュアル系の子たちも一応覚悟してああいう格好してるんだと思うけど、音楽的な位置付けは当時のポジパンとは全然違うから、僕らから見ると「会ったことの無い遠い親戚」って感じで関心ないんですよね、ビジュアル系って。当時の知り合いとかと連絡とったりしてないんですか?

R:イギリス人の友達とかはその場限りの関係だったから、連絡とか今はないですね。みんな普通のオジサンオバサンになってるんだろうなー、あの頃のことは全く無かったことになってるんだろうなーって。私も今はほとんどCDとか買いませんね。昔のCDも買わない。スペシメンのCDも一枚は持ってるけど、持っていても聴かないし。音楽を聴くっていうこと自体、今はないかな。

S:たぶん夢から覚めたんですよ。

R:いつ頃からバットケイヴに行かなくなったか覚えてないんですよ。私が飽きたのか、それともバットケイヴ自体が無くなったのか。でもああいう格好は日本に帰るまでずっと好きだったんで、たぶんバットケイヴが無くなっちゃったんじゃないかな。やってたらずっと行ってたと思うんだけど、そのへんの記憶があやふやで。あそこでは、なにを喋っていたのか分からないけどとにかく喋ってましたね。お酒を飲みながら。いつも楽しかったな。本当、たまによく分からなくなるんですよね、あれはホントは夢だったんじゃないかなっ、て・・・。



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