『趣都の誕生』森川嘉一郎(発行:幻冬舎)
〜オタク都市アキハバラの軌跡〜
2003/3/23





 かつて家電の街だった秋葉原がオタクの街に変貌した理由を、まるで『ボウリング・フォー・コロンバイン』のように大胆かつ繊細に解き明かしていく現代日本文化論。売れる本なら何でも出す「出版界のエイベックス」こと幻冬舎も、いい本出すじゃない。面白過ぎてちょっと悔しい。

 だって「秋葉原のネオンは赤と白が多い」とか「自衛隊の陸・海は体育会系だけど空はオタク趣味の理系が多い」とか「Xウィングよりもミレニアム・ファルコンが人気なのはDIYなカスタム機だから」とか、そういう点が全て一本の線で繋がるんだよ。著者の森川氏はこれ書いてるとき気持ち良かったろうな。

 大阪万博が描いたような明るい<未来>の喪失と同時に<趣味>が台頭し、「オタク」という新しい人格が登場。同時に家電(=三種の神器)の街としての秋葉原は次第に求心力を失い、パソコンの街になり、そしてオタクの個室が都市空間に延長したような「趣都」になった・・・。この分析自体も秀逸だけど、特に新鮮だったのが、オタク的志向というのはアメリカ文化からの防衛的態度だ、という指摘。確かに秋葉原は究極のメイド・イン・ジャパンだ。この点に関する記述と考察は少ないので、是非ここにスポットをあてた続編を書いて欲しい。

 面白いのは、この本に関して、先週の朝日新聞の書評で山形浩生が絶賛しているのに対し、今日の日本経済新聞の書評では飯島洋一(建築評論家)が多少の不満を表明している点。著者の森川氏が解き明かした秋葉原のオタク化を「自閉」と捉えて問題視した飯島氏は、なんらかのブレークスルーの提示がないと不完全だと感じたようだ。

 著者自身は秋葉原のオタク化を都市の自然発生的な「個性」として最終的には肯定しているわけだから、そもそもの立ち位置が違うんだろう。でも僕は、飯島氏の懸念が分かる。山形氏のような社会的成功者は、日本が趣味の世界に自閉していっても生きていけるだろうけれど、趣都に日本の未来の可能性を見出して肯定するのは、まだちょっと早いような気がする(正確に言うと、山形氏自身は肯定も否定もしていない)。

 例えば『若者が<社会的弱者>に転落する』(洋泉社)なんかを読むと、今の日本の経済状況・社会状況ではひきこもり青年に未来がないことがよく分かる。オタクが自閉するにしても、彼らが社会化される回路をつくっておかないと、趣味世界に自閉すら出来ない状況に日本は陥る可能性もあるということだ。

 まあ、もうすでに日本自体が国際的に自閉してるっぽいんだけどね。やっぱりアニメ立国、文化立国しか残された道はないのかな。


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