皆様お元気でしょうか。
日本はすっかり五輪一色になっていることと存じます。こちらでは日本選手の映像が断片的にしか伝わってこず、サッカー五輪の結果については全くニュースが入ってこない状況ですが、きっと期待に違わぬ活躍をしてくれていると信じております。
さて私は、5日間にわたるグルジアでの取材を終えて、今日はモスクワで一泊。明日の飛行機で帰国します。グルジアでは予想どおり通信事情が最悪だったので、今回の「ディナモ通信」は、ここモスクワからウクライナ経由でお送りいたします。
■商売道具を盗まれた!
今回は、カフカスの美しい風景や美女たちの写真を皆様にお送りしたかったのですが、実は首都トビリシに到着して早々にデジカメを盗まれてしまい、それが叶わなくなりました。ウクライナ、ロシアといった強豪を何とかクリアし、少し気が緩んだところでグルジアの手痛いカウンターを食らった、といったところでしょうか。いやはや、実に口惜しい限りです。
盗難にあった翌日は、さっそく現地の警察にお世話になる羽目に。生まれてこのかた34年、一度も警察のお世話にならなかったことを唯一の誇りとしてきた私ですが、よもや日本から遥か彼方のカフカスの地で、このような運命が待ち受けているとは想像だにしていませんでした。
まずは犯行現場で簡単な実況検分。それから写真による「面通し」が行われました。およそ300人のグルジア人犯罪者の写真を一挙に見せられて、なかなか貴重な体験ではありましたが、少々げんなりしました。刑事は4人いたのですが、そのうちの英語ができる「ゴリさん」タイプの刑事が、これが実にひょうきんな人で、私が写真を見ている間、「ところでキミは、結婚しているのかね?」とか、「グルジア人の女性は美人だろう?」とか、やたらとちゃちゃを入れてきます。それらの質問にいちいち真面目に答えていると、今度は「山さん」タイプの刑事が、「ほら、ちゃんと写真を見なさい」と釘を刺します。そんなこんなで、トビリシの旅はいきなり劇的なスタートを切りました。
■異国情緒溢れるグルジア
グルジアは、西は黒海に面し、周囲をロシア、アルメニア、トルコなどに囲まれた、山がちの小国です。宗教はグルジア正教ですが、古くから独自の文化を持ち、文字もギリシャ文字をもっとプリミティヴにしたような、固有のものです。33種類あるそうなので、恐らくキリル文字と対応していると思われるのですが、最後まで全く読めませんでし
た。街中の表示は全てこのグルジア文字で表記されていて、自分がどこにいるのかさっぱりわからなくなることがしばしばです。
街のイメージは、かつて訪れたサラエヴォを彷彿とさせるような、異国情緒たっぷりの雰囲気。ひとびとは皆眉毛が濃く、彫りの深い顔立ちをしています。かつてこの国を征服した、モンゴルやペルシャ、トルコの影響を受けているように思えました。女性は美人が多く、一般的に小柄で、ロシア人女性のようにおばさんになってから急激に巨大化することはないようです。
話には聞いていましたが、こちらの人はとにかく親切。皆、私のことを放っておいてくれません。のほほんと歩いていると、すぐにカフェに引っ張り込まれて、酒を振舞われます。最低でもウォッカを一杯、一気飲みしないと絶対に帰してくれません。
もちろんこんなところまでやって来る日本人など滅多にいないわけで、街を歩けば、さながら珍獣かエイリアンでも観ているような視線が方々から絡み付いてきます。子供たちが遊んでいるところで写真を撮れば、たちまち取り囲まれて「黒柳徹子状態」になるし、わざわざ車を降りて、私の顔を拝みにくる大人もいます。場末のレストランに行ったら行ったで、店内はパニック。店員は英語ができる客を探し回り、挙句の果てには調理場まで私を連れていって何が食べたいかを聞いてきます。いずれもロシアではまず考えられない行動パターンで、慣れるまで随分時間がかかりました。
■ディナモ・トビリシがアヤックスユニで練習していたわけ
さて、サッカーの話題に入りましょう。
日本ではグルジア・リーグのスケジュールが全く入手できず、少々不安でしたが、幸い17日の日曜日にディナモ・トビリシのホームゲームがあることが判明し、とりあえず一安心。前日のディナモの練習風景も取材できました。
ディナモ・トビリシは、旧ソ連時代の81年にはカップウィナーズ・カップを制したこともある、強豪チームでした。アベラーゼ兄弟、キンクラーゼ、ケツバイアなど、欧州のビッグクラブで活躍するグルジア人選手のほとんどは、ここのクラブ出身です。グルジア独立後は国内では圧倒的な強さを保持し、欧州記録であるリーグ10連覇を達成。しかし咋シーズンはトルペド・クタイシにその座を明け渡してしまいます。現在もリーグのトップはトルペドで、ディナモは3位です。
そのディナモの練習風景を見てまずびっくりしたのは、全員がアヤックスのユニフォームを着ていたこと。聞けば、アヤックスには何人かのの「ディナモ卒業生」がプレーしており、その関係で同クラブから用具を支給してもらっているとのことでした。
さらに驚いたことに、ディナモはここ7シーズン、まともなスポンサードを受けたことがなく、その状況は今も続いている、ということ。この国では、スポーツクラブをサポートできる企業が非常に少なく、現在のクラブの収入は、選手の移籍金と、欧州カップ出場によるTV放映権がほとんど、ということでした。選手もコーチング・スタッフも皆若く(現監督はアベラーゼ兄弟の長男で、弱冠31歳)、何やらユースチームの練習を見ているようでした。
■スタジアムは巨大なバザールだった
このディナモが本拠とするナショナル・スタジアムは収容人数7万5000人。この街には似つかわしくないくらい巨大な施設です。このスタジアムに来てまずびっくりするのが、スタジアムの周囲が、さながらバザールになっていたことです。果物やパン、肉など、ありとあらゆる食材が売られていて、まるで中東の国に迷い込んだような錯覚を覚えます。しかもスタジアムの1階部分は、軒並み家具屋になっていて、いたるところでソファーや箪笥が並んでいまし
た。これまで様々なスタジアムを見てきましたが、これほどサッカーに似つかわしくないものがたくさん売られているスタジアムは初めて見ました。
このように、スタジアム周辺はとてもにぎやかなのですが、スタンドは実に寂しい状況でした。7万5000のキャパに対して、観客は1000人以下。おそらく800人もいなかったと思います。ピッチの周囲にはスポンサーの看板は一切な
く、何だかガランとした印象です。スコアボードの時計は9時5分を指したまま止まっていて、いつから止まっているのか誰も知りません。
カメラマンは、試合開始30分前まで日本からやってきた私ひとり。「さすがにまずいだろう、これは……」と不安になっていたら、えっちらおっちらと地元カメラマンが3人登場。皆かなり年季の入ったカメラを持っていて、中には
ロシア製の「ゼニート」を使用している老カメラマンをいました。いつもは貧弱な装備ゆえに何かと恥ずかしい思いをしていた私でしたが(チャンピオンズリーグのときは大変でした)、このときは実にリラックスして撮影に専念できました。カメラマンの皆さんは何かと私に親切で、先の「ゼニート」のおじさんは、ゴールが決まるたびに「今のは○○だ」と得点した選手名を教えてくれたので、とても助かりました。電光掲示板の表示は皆グルジア文字で読めなかったからです(もちろんメンバー表が配布されることもありません)。
さて、ディナモ・トビリシ対ディナモ・バトゥミによる「ディナモ対決」は、ホームのトビリシがいずれもCKから2点先取し、ハーフタイム。ここで私は、思わぬハプニングに遭遇します。
何とボールボーイたちが、私にサインを求めてくるではありませんか。選手ではなく、カメラマンである、この私に。しかし子供たちに取り囲まれ、崇めるような目で見つめられては、仕方ありません。ハーフタイムの間、謎の東洋人がボールボーイにサインをプレゼントし、それを「ゼニート」おじさんが撮影するという、実に摩訶不思議な光景がフィールドでは展開されていました。
後半は、試合途中に照明に灯がともったとき以外は、さして歓声が沸き起こることもなく、結局2−0でディナモ・トビリシが完勝。私にとっての最後のゲームは実にお寒いものではありましたが、この国が抱える厳しい現状に接することができたという意味では、それなりに意義があったと思います。
結局のところ現在のディナモのホーム・スタジアムは、ソヴィエト時代の遺物でしかない、ということです。モスクワやキエフの強豪と闘っていたときは、このスタジアムの存在意義は確かにあったでしょう。しかし独立後のグルジアのクラブ同士でのリーグ戦では、明らかにゲームの質とモティヴェーションが低下し、サポーターも自然とスタジアムから足が遠のいてしまうのは、当然の結果でしょう。
ソヴィエト連邦崩壊以来、国内では新しいクラブが続々と設立され、何とか一国のリーグとしての体裁は整いましたが、新しいクラブのスタジアムのキャパはいずれも5000から2000くらい。旧ユーゴ諸国と同じような現象がここグルジアでも起こっており、恐らく他の旧ソ連諸国でも状況はあまり変らないと思われます。
またグルジアの場合、確かに数多くのタレントを輩出していますが、彼らの国外流出は、今後も避けられないはずです。そういえばディナモの練習が終わって、若い選手たちがクラブハウスで食い入るようにブンデスリーガの中継を見ている姿からは、西側でプレーすることへの強い憧れが感じられました。
■終章
さて試合後は、グルジア協会のプレス・オフィサーであるマムカさん宅のホームパーティに招かれ、美味しいグルジア料理とワインをご馳走になりました。海のものとも山のものとも知れぬ写真家に、ここまでもてなしてくれる協会は、世界広しといえどおそらくグルジアだけでしょう。まるで一国の協会会長を遇するようなもてなしに、大いに恐縮したことはいうまでもありません。グルジアの人々に幸あれ!
思えば今回の旅では、本当に様々な出会いに恵まれました。「貴方の国のサッカーを観にきた」というそれだけの理由で、彼らはとても喜んでくれます。サッカーというスポーツは、単なる一競技ではなく、世界の共通言語であることを改めて認識した旅でもありました。
40日間にわたる長い旅も、ようやく終わろうとしています。旅の間、様々なアドバイスや励ましのメールをお送りいただいた方々には、本当に感謝しております。有難うございました。
9月21日朝には成田に到着する予定です。また皆様と日本でお目にかかれる日を、心から楽しみにしております。
それでは
9月20日 宇都宮徹壱