● 無敵ベガルタ

2002.04.05

     

 無敵ベガルタである。

私は学生時代までずっと仙台に住んでいた。今でも両親、親族、友人の多くは仙台に住んでいる。私にとって最も愛着ある地は仙台である。また学生時代は、県のサッカー協会で大会運営を手伝っていた事もある。宮城県のサッカー界は、私の青春だった。
 その仙台に国内トップリーグのチームが誕生した。私の学生時代は、1年に1回「宮城県招待サッカー」として、日本リーグのチームと県出身で「中央」(日本リーグの1、2部のチームや関東大学リーグ)でプレイしている選手を集めた「県選抜」が戦う試合が唯一、国内のトップチームを観る機会だった。私が大学生になるまでは、県内には芝のまともなグラウンドはなかった。当時の県協会は手弁当で様々な職業の方々が集まって運営されていた(ただし、その時代でも、80年代日本最高の選手だった加藤久を生んだのは宮城県なのだけれども)。
 その仙台に国内トップリーグのチームが誕生した。しかも、現在無敵なのである。
 日本中のサッカー関係者が創意工夫を重ねて育ててきた多数の優秀な若手タレントと、性格に若干の問題はあるが優秀な監督による魅力的な代表チームを所有する事も嬉しいが、仙台に無敵なチームを所有する事もまた嬉しい。人生これほど思い通りに運んでいいものだろうかと思いたくなる程である。と、頭に乗ったところで、思い出した。人生思い通りにいかないものもあった、ワールドカップのチケットである。

1.私的日立製作所への復讐

       このような中年サッカーファンの感傷を抜きにしても、無敵ベガルタは巣晴らしいゲームを見せている。
 中でもマイナー極まりない話題だが、レイソルに完勝した試合は、私にとって22年ぶりの復讐線となった。
1980−81年シーズンの天皇杯。東北代表を勝ち抜いたのは、宮城県代表の松島クラブだった(日本三景の松島です)。松島クラブでは、私の高校時代のチームメートもプレイしており、応援(当時はサポートとは言いませんでいたがな)のために私は大学をさぼって上京した。西が丘で、松島クラブを待っていたのは日立製作所だった。当事の日立は、大学選抜に選考される日本を代表する若手タレントを多くそろえ、日本リーグでは万年優勝候補と呼ばれていた(何かしら勝ちきれない今日のレイソルに似ている)。
 西が丘のスタンドでは、松島町からバスをチャータして来た選手の家族の方々数十人と宮城県協会の関係者と私たちと加藤久選手(当時読売クラブ)が、「大漁唄い込み」を軸に必死の応援を繰り広げた。スタンドで加藤久氏に「代わりに試合に出てもらえないんですか」と聞いたら苦笑いしていたが。さらに、MFとしてプレイする西野がミスするたびに「どうした元代表!万年ホープ!」と野次を飛ばしたら、また加藤氏が苦笑いした。いや、本気で笑っていたのかもしれないが。
 しかし、当然ながら、どうしようもない実力差が存在した。碓井にハットトリックを許すなど、1−4の完敗だった。ただし、その1点は完璧なゴールだった。仙台育英出身の内海さんと言う左ウィングが、日立DFをスピードと技巧で完全に振り切り、瀬田の守るゴールを破ったのだ!
 スタンドは阿鼻叫喚。

 と言う訳で、「無敵ベガルタがレイソルに勝つ」と言うのが、私にとっていかに大事件かおわかりいただけたでしょうか。
 ざまあみろ、明神!


2.貯金をどこまで伸ばせるか

       マイナーな思い出はさておき、冷静に分析してみよう。無敵ベガルタではあるが、戦闘能力的にはJ1の中でも、下位にある事は認めざるを得まい。熱狂的サポータと交通の便のよい見易いスタジアムと優秀な監督だけで勝てるほど、J1は甘くない。本質は選手である。
 元々のメンバで、J1を戦い抜くのが難しいのは当初から予想された。当然、補強と言う事になるが、国内屈指の人気チームとは言え、財政的には豊かとは言えない(と言うよりもチーム黎明期の経営の拙さから来る負債を抱えている立場がある)ベガルタとしては、そう大判振る舞いはできない状況だった。
 シーズン前に補強した顔ぶれをみても、年齢も含めた観点から名実共に日本のトッププレイヤと言えるのは、山下のみ。森保、小村には大変失礼だが、この2人は前所属チームが順調に若手の有力選手を育成、獲得したために、構想からはみ出した感は否めない。シルビーニョはブラジルのトップチームのレギュラだったようだが、往々にして外国人選手は日本に適合するかどうかは、かなりギャンブル的な部分もある。したがって、悪くはない補強ではあるが、戦闘能力が他チームと対等となったかと言うと疑問だった。しかも、移籍組が多いとなるとチームがまとまり巧く機能するまでに時間がかかる恐れも多い。さらには即戦力となるヴェテランばかりが起用され、若手の成長が阻害される可能性もある。

 リーグ戦で鍵になるのは、絶対的な強さではなく、相対的な強さ、言い換えるとライバルチームとの勝ち点勘定である。無敵ベガルタではあるが、ライヴァルと捉えるべきは、アントラーズやジュビロではなかろう。一緒にJ1に上がったサンガであり、昨シーズンJ2に落ちかけたヴェルディであり、両エースと強力な監督を失ったコンサドーレあたりと考えるのが妥当である。その他に、昨シーズンのセレッソのように、「自己崩壊」するチームがあれば、なお嬉しい。
 さて開幕時のポイントとしては、それらのライヴァルの中でも、ヴェルディとコンサドーレに序盤からつまづく要素が散見された。
ヴェルディはエジムンドはカーニバルなどで忙しくシーズン当初から戦列に並ばず、相変わらず最も役に立つ北澤、出ればそれなりに役に立つ三浦淳が負傷中。中澤が直前に移籍など、チーム運営上かなり厳しい雰囲気。
 コンサドーレは、監督の意気込みがマイナスになる期待。大体、もともとJ1の中でも格段の戦闘能力を持たないチームにも関わらず、エースの播戸とウィルが移籍。このようなチームは、まずは守りを固め、今シーズンは現状維持できれば御の字くらいの態度でチーム作りをすべきなのである。就任後に、雑誌などで「優勝を狙う」「一段質の高いサッカー」などのコメントを読むたびに私はほくそえんだものだった。このチームは素材は悪くない。山瀬はドリブルの切れ味がもう少しつけば(上半身がもう少し強くなればそうなるだろう)A代表の有力候補。今野(なんと東北高出身、無敵ベガルタは優秀な新人をコンサドーレに奪われたのだ)は、Jリーグの若手屈指の知性的守備者であり、身体も張れる。
 従って、無敵ベガルタとしては、北澤らが戻りヴェルディがベストメンバになるまで、コンサドーレが監督を更迭し山瀬が本当のトッププレイヤになるまで、それぞれまでにいかに勝ち点差を広げておくかがカギだった。しかも、開幕戦はホームでヴェルディ、二戦目はアウェイとは言え事実上の中立地でコンサドーレと直接対決。この2試合は、無敵ベガルタにとって、この1年を左右する重要な試合となった。そして、清水氏は勝利した。

 清水氏の手腕、恐るべしである。先ほど挙げた、移籍選手たちを巧く組み合わせ、短い時間で見事なチームを作り上げると言う難しい仕事を見事に成し遂げた。確かに黄善洪のPK失敗にせよ、ヴィッセル戦の主審の怪しげな判定など、満員のサポータの貢献も大きい(これほどサポータの実力が直接的に発揮された試合が続くのは日本では非常に珍しいように思える)。しかし、それらもあくまでもフィールド上の選手たちの活躍がまずあってこそ。
 森保とシルビーニョのボランチコンビの見事な連携。改めて、森保は日本のサッカー史に残るボランチだったのだと感慨深い。敵の攻め込みをしっかりと読み、(意外性はないかもしれないが)確実に味方につなぐ。そのような森保の能力は、今なお明神と並び日本屈指である。
 マルコスと山下の高低どちらも間口広く後方からのフィードを受ける見事なコンビネーション。トルシェ氏に「西沢よりは山下ではないの」と言いたくなるのは私だけだろうか。

 そしてこれらの作品を作り上げた清水氏の手腕の見事さと言ったら。元々、「80年代優秀な選手を多数抱えながらまともな監督がいない」と定評があった日産で、清水氏は就任直後に「初めてまともな監督」が現れたと高く評価された。その後も、いくつかのチームを転々としつつ相応の成果を残してきた。そして、今回また見事なチーム作り。

 「トルシェの次」の有力候補と言えよう。でも、無敵ベガルタから離れないで欲しい。


3.岩本テル

       冴え渡る無敵ベガルタの中でも、一際輝いているのが岩本輝雄である。特にヴェルディとの開幕戦のフリーキックと言ったらたたえようが無い程。無敵ベガルタサイドから見て、中央やや左寄り(右利きならば右足のインフロントで狙えるあたり)のFK。ヴェルディGKの高桑は、右利きのシルビーニョがボールをまたいだ瞬間、左利きの岩本がクロスを上げると予想した。高桑がクロスに備えようとわすかに体重移動した瞬間、岩本がインフロントでニアサイドを見事に打ち抜いた。何と言う技巧、何と言うトリック。
10年前に、ベルマーレの左サイドバックとして鮮烈にデビュー。その頃の岩本のプレイは本当に楽しめた。特にスキルフルなドリブルで敵MFのチェックを外した直後に逆サイドに展開できる、強力な左足キックは素晴らしかった。
 当時の代表監督ファルカン氏は、早速岩本を代表に招集。10番まで彼に与えてしまった。しかし、好事魔多し。結局顔立ちがよすぎたのが悪かったのだろうか。代表に入ったあたりから、次第に「夜の仕事」が増えプレイに切れがなくなり、かつ負傷を繰り返すと言う、前途有為な若手タレントが崩壊していく典型的パタンを歩んでしまった。
 その岩本が、仙台で名将清水氏の下、見事に復活したのだ。

 ヴェルディ戦。反対側のヴェルディの左サイドでは相馬が奮戦していた。相馬の相変わらずの知的なプレイは素晴らしかった。しかしおそらく、この試合で2人を始めて見た人は誰でも、「岩本の方が相馬よりよい選手だ」と言うだろう。しかし、この2人の勝負は既についている。相馬の完勝である。相馬は50以上のA代表マッチに出場し、日本初のワールドカップ出場に貢献し、日本が初めて出場したワールドカップで敵にも(アルゼンチン戦)味方にも(ジャマイカ戦)アシストした。今後、岩本がどんなに素晴らしいプレイを見せても、相馬の実績には及ばない。しかし、その相馬よりも前に岩本は代表のユニフォームに袖を通していたのだ。その後、相馬は岩本を追い抜き、栄光を手にした。
 しかし、岩本は岩本で努力を重ね、再び日本サッカーのトップシーンに戻ってきた。このような、上がり下がりを見るのも、またサッカー観戦の大いなる愉しみである。

 さて、無敵ベガルタは昨シーズンのチャンピオン、鹿島と対戦する。岩本の対面は名良橋である。これまた感慨深い。ベルマーレ時代、若き日の岩本の反対サイドにいたのが名良橋だった。この2人が再三見せてくれた、フィールドの全幅を使ったワンツーパスは今思い出してもワクワクしてくる。名良橋はその後順調に成長し、代表のレギュラとしてフランスにも行った。その名良橋に、ようやくベストコンディションに復調した岩本が敵として相見える。何とも愉しみな対決である。

 と、ここまで書いてきて、つまらない事を考えた。名良橋、岩本の両者には大変失礼なのだが、
「岩本の顔が名良橋程度のレベルだったら、日本のサッカー史は変わっていたのではないか」


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