● トルシェ氏をどう評価するか (5) 2000.07.03

5. 2002年向け代表監督への要求仕様

     

 トルシェ氏に対して、様々な角度から好き放題論じてきた。 冒頭でフランス戦の引き分けを「よくも悪くもトルシェ氏らしい試合」と論評したが、 ここまでお付き合いいただくと、その言葉もおわかりいただけるのではないか。

トルシェ氏は、長所、短所いずれも併せ持ち、さらにまだわからない謎が多い、 非常に興味深い監督だと思う。私が不思議なのは、氏に対する多くの論評が、 完全否定か完全肯定になっている事だ。

 氏が2002年の代表監督として相応しいか否かを議論すするために、 多くの論評で欠けている視点がある。ほとんどが、 氏の監督としての能力の絶対評価に止まっている事だ。
しかし、重要なのは、 2002年の日本代表監督の要求仕様を彼が満足するのかと言う相対評価であるべきではなかろうか。

本章では、私なりの2002年日本代表監督の要求仕様を論じたい。
 そのためには、日本代表の2002年の目標を明確にする必要がある。 おそらく多くの人が、その目標については、決勝トーナメント進出と考えていると思う。 私もそれにほぼ同意するが、それだけではないと考えている。
以下、少し日本サッカーの歴史を振りかえりながら考察したい。


 ■5.1 2つの視点から見る日本サッカー史

  5.1.1 代表チームの現代史 

     

 まず、サッカー人の時間間隔である4年おきに、 「85年以降」の日本代表チームを振り返ってみる。

85年、前年のロス五輪予選の完敗のショックが抜けきれず、 当初はいい加減な準備で臨んだ予選だが、勝ち進むにつれ勢いに乗り、最終予選に。
最終予選は韓国に実力負けしたが、アジアのトップに近づいた。

89年、暗黒時代、監督のベストメンバを否定した選考(加藤久、木村を外す)と、 奇想天外な采配(FWをサイドバックに起用する)で、井原、堀池、 柱谷ら若手の好素材を持ちながら、実力的に遜色ない北朝鮮に敗れ、1次予選敗退。

93年、前年のアジアカップ制覇と、本年のJリーグ開幕の勢いを持ち込み、 アジア最強と言われながら、駆け引きの拙さによるドーハの悲劇。

97年、93年以上の戦闘能力を有しながら、 予選最中の加茂監督の采配ミスにより大苦戦、更迭後の岡田監督の修正により、 ジョホールバルの歓喜を得る。

 こうして見ると、89年の損失がいかに大きいかがよくわかる。
89年時の代表監督時代の怒りを文章にすると、 いくらスペースがあっても足りないので、やめておく。
89年に少しはまともな監督がいれば、 1次予選で北朝鮮の後塵を拝する事無く2次予選に進出できただろう。 そこでアジアのベスト2になるのは難しかったかもしれないが、 選手たちが積めた経験は大きかったはず。そうすれば、 93年にあのような悲劇を食らわなくてすんだのではないか。
「ドーハの悲劇」を生んだのは、4年前の不適切な監督人事が最大の要因だった。 レバタラ話であるが、かなり確度が高いと思いませんか。

 大変月並みな結論であるが、W杯には監督人事、監督に対するサポートなど、 サッカー界が最善を尽くした準備が必要なのである。それを怠った損害は甚大である。

  5.1.2 日本サッカーの現代史 

     

 では、もっと長い10年おきに日本サッカー界を俯瞰してみる。

60年代、五輪の地元開催で海外から監督を招き代表選手を集中強化、 結果メキシコ五輪で3位に入る。サッカーが次第に普及し、全国の中高校にサッカー部ができる。

70年代、代表は不振で勝てない時代が続く、将来の代表強化のためには、 若年からのボール扱いの指導が重要と言う考えが広まり、小学生からサッカーができる環境が広がる。

80年代、若年からのサッカー経験が豊富な選手が増加し、 代表チームがようやくアジアのトップと互角に近いレベルに戦えるようになる。 小学生のサッカー人口が野球に比べ同等以上となる。

90年代、代表チームが完全にアジアのトップレベルとなり、 念願のW杯出場を果たす。大人の草サッカーの広がりが、 草野球と同等以上になる。日本代表の試合はいつも満員になる。

 10年と言うより長いスパンで見ると、89年の失敗がほとんど目立たなくなる。 同時に、現在の日本サッカーの充実が、60年代からの積み上げの成果であることもわかる。

 先程の結論と全く逆の結論となるが、1度W杯への対応を失敗しても、 ロングレンジで見れば損失はそんなに大きい物ではない。 むしろ、短期的な事に目を奪われ、ロングレンジの施策を怠る事の損失が大きい。

 これまた、非常に月並みな結論だが、日本サッカー界は常に10年以上先を見て、 若年層の育成、サッカーをプレイする環境の整備、 観戦者に対するサービス強化など戦略的な施策を実現すべきであり、 その施策の一環として日本代表のW杯への準備に最大限の努力が行われるべきである。


 ■5.2 2002年の目標

     

 ここで2002年の特異性に触れておこう。
残念ながら、今の日本サッカーのレベルは、地元開催の利を活かし、 W杯の制覇を狙うほどには達していない。しかし、 今の日本にとって、地元開催は過去のW杯と異なり、決定的な特異性がある。

 予選がないのである。予選がないので、 私は寂しくて寂しくて仕方がないのだが、 これについても書き始めるとキリがないので、 別な原稿、例えば「FIFA対AFCの解決策」をお読みください。

 通常、代表チームと言う物は、結果が絶えず重視されるから、 どうしても守備を中心に「負けないサッカー」を行いがちである。
しかし、予選がないと言う事は、本大会前に厳しい試合経験を積めないと言う欠点もあるが、 一方で確実な予選突破を目指すために、「負けないサッカー」をする必要もない、 と言うことである。攻撃的なチームを作っても、それほどのリスクはない。

 本大会で確実に3試合できると言う事は、 若くて有望な選手に確実にW杯の経験を積ませる事ができると言うことである。 そして、今の日本には世界にその素材を誇れる優秀な若者が多数いる。

 優秀な若手を含んだ攻撃的な代表が、地元大会で活躍する事は、 世界中に我々の代表をアピールすることになる。他国の人々から、 日本のサッカーが尊敬を勝ち取ることができれば、日本サッカーの将来は一層明るいものとなる。

 と、すれば2002年の目標は明確ではないか。
「攻撃的なチームを作り、決勝トーナメント進出、さらに上位を狙う」


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