【W杯とメディア再編の波】 〜スポーツ不在の論理〜
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2002年のW杯に関して、主催国の日韓でTV放送権がいまだに確定していないことは既報の通り。
このまま決まらなければ、理論上、我々は自国で開催されているW杯をTVで見ることができない。
その時は、「TVで見られる国への海外旅行」がビジネスになる。
なんてことに現実にはならないだろうが、一体どうなるのか、
今、最も気になる問題であるのは事実。
皆が気をもみ始めて、様々な揣摩臆測が流れることにもなる。
噂の第一は、「有料TVによる放送権取得」である。
最近「スカイパーフェクTVとディレクTVというCS放送2社が事業統合を正式発表」し、
スカ・パーの卯木肇社長は会見で、「放送業界の競争は激しくなる一方で、サービス力を強化し、中身のあるコンテンツを提供しないと勝てない」と述べ、
事業統合で競争力を強化する考えを示した。
「中身のあるコンテンツ」で最強なのは、もちろんアレである。
噂に対する信憑性が一気に増し始めた。
スカ・パーに出資しているフジテレビの社長が、民間放送連盟の代表就任を固辞しているのも、「他のTV局に対し抜け駆けすることで、関係が悪化することを想定している」というまことしやかな話も業界では囁かれている。
何でもかんでもW杯のTV放送権に結びつけるのは、低俗な週刊誌がスキャンダルを煽る態度と似ているので、全てを信用する気にはならない。
が、この件の帰趨が、それだけ人々の関心を引いていることの証だとも言える。
もし噂が現実になったら、…。
様々な問題がでてくくることが容易に予想される。
事業統合により、加入者は約200万世帯になる。
(我が家も含め。)加入していない人は見られないのか。
見られるとしても録画放送のみで、実況生放送は無理ではないか。
それともダイジェストのみになるのだろうか。
日本代表だけは何とかナマにならないか。
加入者であっても、W杯だけは追加料金が必要になるのではないか。
マイク・タイソンのようなボクシングや、ウタダヒカルのような超有名な歌手のコンサートのように、その番組だけ有料になるPay-per-View(ペイ・パー・ビュー)ではないか?
何がおこってもおかしくない。
何でもありの21世紀になってしまうのか。
それもこれも、全てが4年前に決まった、あの「W杯TV放送権の、15倍という前代未聞の高騰」事件に端を発する。(モノには限度というものがある!)
こんな異常な事態がなぜ生じたのか。
それは今日TVメディア界の再編成という事態が、世界規模で進行しているという背景を理解しなければ分かるまい。
今回のCS放送の統合の背景には、NHKやWOWOW、民放キー局各社が今年12月1日から、BSデジタル放送をスタートするという事実がある。
さらに、2001年には1台のアンテナと受信機でBSとCSの両方を視聴できるようになる。
この2〜3年で、一挙に日本のTVメディア状況にも新しい要素が加わり、各社間の競争は激化する。
このため、今後は更にサッカーや映画など人気ソフトの放映権をめぐる争奪戦は必至だ。
この事態が、メディアの、それも技術的な側面の強い新現象から引きおこされたことに、スポーツ界は留意しておく必要があろう。
決してスポーツ界から発した動きではない。
つまり、身も蓋も無い言い方をすれば、「スポーツのためになるかどうか」が判断の中心とはなっていない世界で始まった現象なのだ。
TV局の間で視聴者を獲得するため鎬を削るのは、ビジネスである以上当然である。
極端に言えば、どこが勝とうが負けようが、我々には関係がない。
(私は仕事上、大いに関心がある。)
だが、日本代表を、それも自国で行われている試合を、TVで見られなくなる危険性があるとなると、関心がない、では済むまい。
心穏やかではいられまい。
黙っているわけにはいかないではないか。
2002年のW杯は、我々国民の税金が直接的、あるいは間接的に使われている。
会場となるスタジアムの建設費用はどこが負担しているのか。
自治体である。
FIFAではない。
FIFAにしてみれば、立候補条件のひとつがスタジアム整備であるから、整備にかかるコストは日本が負担して当然だということになる。
では、W杯開催の準備をしている自治体の職員の給与は、誰が支払っているのか。
あるいは、その他の開催にかかる費用のうち、競技運営にかかること以外のほとんどの財源が、税金である。
(一部は日本サッカー協会や、スポンサーなどの民間が負担する。)
税金は「公共的なもの」に使われるべきものである。
では「有料」でなければ見られないスポーツイベントは、多額の税金を使うに値するほど、「公共的」だといい切れるのだろうか。
ここで再び、「公共性」の問題が浮上し、私達は(傍観者ではなく)当事者として、その判断を求められることになる。
なぜなら、前に述べたように、「公共性」の規準とは独立した市民からなる社会が決定することだからだ。
この判断を保留した時点で、「市民」という資格は失われるのである。
従って、「W杯のTV放送権の帰趨」問題は、「放送ビジネスの市場でどこのTV局が勝つかという純経済的な話では収まらなくなるのである。
ユニバーサル・アクセス権の概念の早急な導入が、我が国に必要だという提言の根拠がここにある。
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