広瀬一朗氏のコラム 第30回 (静岡新聞 3月22日掲載)
【W杯とメディア再編の波】 〜スポーツ不在の論理〜

 2002年のW杯に関して、主催国の日韓でTV放送権がいまだに確定していないことは既報の通り。 このまま決まらなければ、理論上、我々は自国で開催されているW杯をTVで見ることができない。 その時は、「TVで見られる国への海外旅行」がビジネスになる。 なんてことに現実にはならないだろうが、一体どうなるのか、 今、最も気になる問題であるのは事実。 皆が気をもみ始めて、様々な揣摩臆測が流れることにもなる。
 噂の第一は、「有料TVによる放送権取得」である。 最近「スカイパーフェクTVとディレクTVというCS放送2社が事業統合を正式発表」し、 スカ・パーの卯木肇社長は会見で、「放送業界の競争は激しくなる一方で、サービス力を強化し、中身のあるコンテンツを提供しないと勝てない」と述べ、 事業統合で競争力を強化する考えを示した。 「中身のあるコンテンツ」で最強なのは、もちろんアレである。 噂に対する信憑性が一気に増し始めた。 スカ・パーに出資しているフジテレビの社長が、民間放送連盟の代表就任を固辞しているのも、「他のTV局に対し抜け駆けすることで、関係が悪化することを想定している」というまことしやかな話も業界では囁かれている。 何でもかんでもW杯のTV放送権に結びつけるのは、低俗な週刊誌がスキャンダルを煽る態度と似ているので、全てを信用する気にはならない。 が、この件の帰趨が、それだけ人々の関心を引いていることの証だとも言える。
 もし噂が現実になったら、…。 様々な問題がでてくくることが容易に予想される。 事業統合により、加入者は約200万世帯になる。 (我が家も含め。)加入していない人は見られないのか。 見られるとしても録画放送のみで、実況生放送は無理ではないか。 それともダイジェストのみになるのだろうか。 日本代表だけは何とかナマにならないか。 加入者であっても、W杯だけは追加料金が必要になるのではないか。 マイク・タイソンのようなボクシングや、ウタダヒカルのような超有名な歌手のコンサートのように、その番組だけ有料になるPay-per-View(ペイ・パー・ビュー)ではないか? 何がおこってもおかしくない。 何でもありの21世紀になってしまうのか。
 それもこれも、全てが4年前に決まった、あの「W杯TV放送権の、15倍という前代未聞の高騰」事件に端を発する。(モノには限度というものがある!) こんな異常な事態がなぜ生じたのか。 それは今日TVメディア界の再編成という事態が、世界規模で進行しているという背景を理解しなければ分かるまい。
 今回のCS放送の統合の背景には、NHKやWOWOW、民放キー局各社が今年12月1日から、BSデジタル放送をスタートするという事実がある。 さらに、2001年には1台のアンテナと受信機でBSとCSの両方を視聴できるようになる。 この2〜3年で、一挙に日本のTVメディア状況にも新しい要素が加わり、各社間の競争は激化する。 このため、今後は更にサッカーや映画など人気ソフトの放映権をめぐる争奪戦は必至だ。
この事態が、メディアの、それも技術的な側面の強い新現象から引きおこされたことに、スポーツ界は留意しておく必要があろう。 決してスポーツ界から発した動きではない。 つまり、身も蓋も無い言い方をすれば、「スポーツのためになるかどうか」が判断の中心とはなっていない世界で始まった現象なのだ。
 TV局の間で視聴者を獲得するため鎬を削るのは、ビジネスである以上当然である。 極端に言えば、どこが勝とうが負けようが、我々には関係がない。 (私は仕事上、大いに関心がある。) だが、日本代表を、それも自国で行われている試合を、TVで見られなくなる危険性があるとなると、関心がない、では済むまい。 心穏やかではいられまい。 黙っているわけにはいかないではないか。
 2002年のW杯は、我々国民の税金が直接的、あるいは間接的に使われている。 会場となるスタジアムの建設費用はどこが負担しているのか。 自治体である。 FIFAではない。 FIFAにしてみれば、立候補条件のひとつがスタジアム整備であるから、整備にかかるコストは日本が負担して当然だということになる。 では、W杯開催の準備をしている自治体の職員の給与は、誰が支払っているのか。 あるいは、その他の開催にかかる費用のうち、競技運営にかかること以外のほとんどの財源が、税金である。 (一部は日本サッカー協会や、スポンサーなどの民間が負担する。) 税金は「公共的なもの」に使われるべきものである。 では「有料」でなければ見られないスポーツイベントは、多額の税金を使うに値するほど、「公共的」だといい切れるのだろうか。 ここで再び、「公共性」の問題が浮上し、私達は(傍観者ではなく)当事者として、その判断を求められることになる。 なぜなら、前に述べたように、「公共性」の規準とは独立した市民からなる社会が決定することだからだ。 この判断を保留した時点で、「市民」という資格は失われるのである。
 従って、「W杯のTV放送権の帰趨」問題は、「放送ビジネスの市場でどこのTV局が勝つかという純経済的な話では収まらなくなるのである。 ユニバーサル・アクセス権の概念の早急な導入が、我が国に必要だという提言の根拠がここにある。


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