広瀬一朗氏のコラム 第24回 (静岡新聞 2月9日掲載)
【W杯日韓大会のテレビ中継】 〜「見る権利」議論不可欠〜

 2002年W杯のTV放送と「公共性」 〜ユニバーサル・アクセス権〜
 2002年のW杯。せっかく日本で開催するのだから、何とかチケットを入手したい、というのは人情だろう。(分かる!)
 ただし、いいカードのチケットは入手がかなり難しそう。結局、どうも家でTV観戦ということになりそうだ、と思っている人に気になるのが、TVの放送権の行方であろう。どこに決まろうが、いくらで決まろうが、そんなことはどうでもいい。要は、「私達はTVで、そして(今まで同様)ただでW杯が見られるのだろうか?」
 W杯の大陸別予選組み合わせ抽選会(ドロー)の国際テレビ映像は、開催国の主要TV局で本大会のホストとなった局が請け負うのが通例である。ホスト局は本大会のゲームをTVで収録し、世界中の契約局に映像配信する。そして通常ホスト局となるのは、開催国のTV放送権を取得したTV局である。
 ところが今回、2002年大会の場合、販売元のFIFA及びその代理であるISL社との交渉が難航しており、現在も日本のTV局はどこもTV放送権を取得していない。昨年末の予選ドローを世界に中継するTV局は、終に決まらなかった。
 この交渉にあたっているのが、NHKと民放連でつくるジャパンコンソーシアム(JC)という、まあ一種の組合のような団体である。(五輪のTV放送も現在はJC方式である。)通常こういうケースでは、JCが取りあえず映像制作を請け負うことが多い。と言うのも、W杯の放送というのは、権利料も高額であるし、制作に関しても数十のゲームのTV番組制作というスケールも大きいため、ホスト局として対応できるTV局は一つの国の中でいくつもあるものではない。従って今回も五輪のようにNHKを中心にしたJCが本命であり、難航している交渉も、時間が経てば最終的には折り合いがつく、と考えられていたのだ。ところが、昨年12月に東京で開催された抽選会(ドロー)は、JCではなく民放系列のプロダクションによって制作された。実に異例だ。そして日本における放送権やホスト局の選定も、 「甚だ異例なこと」になりそうな可能性が現実味を帯びてきた。
 2002年W杯の国内放映権交渉は現在、FIFA/ISL側が200億円をかなり上回る額を希望し、JC側はシドニー五輪の約140億円を超える額では合意できないとの意向を示している。
 昨年12月7日付のニューヨーク・タイムズ紙は、JCを取り上げ、自由な個別競争を放棄した「カルテル」だとする記事を掲載した。同紙は、JCの各メンバーが、W杯の放映権について個別に入札することを放棄し、共同で値段を設定することを誓約した内容の協約書を入手。「日本のテレビ局幹部の1人は『JCは長い間の友情から生まれたものだ』としているが、協約書を読む限り、地下組織的な協定に近い」と皮肉っている。
 また、FIFAのブラッター会長は同紙で「日本はテレビ局がカルテルのような組織をつくっている世界で唯一の地域で、これは受け入れることができない」とコメントしている。
 彼等の理屈は、一応公正の原理に基づいたものようにも受け取れようが、歴史的には日本側の言い分にも一理がある。何しろ前回のフランス大会までは、そのFIFA自体が全世界の放送権売買をヨーロッパのコンソーシアムである欧州放送連合(EBU)に委ねていたという事実がある。それがどうして急にこれほど変わってしまったのだろう。
 期限を遡れば、95年の夏に欧州サッカー連盟が提起した「ビジョン」という名の構想にたどり着く。当時FIFAのアベランジェ会長の追い落としを画策していた欧州連盟のヨハンソン会長が「現行のFIFA執行部は、最大の資産であるW杯のマーケティングを適切に行っていない」、つまり「安く売りすぎている」と非難したのであった。
 この意見が説得力を持っていたのは、欧州連盟が既に欧州選手権のTV放送権を高く売ることに成功していたからだ。なぜか。90年代になって、有料TVがサッカーの放送権を高く買い占め始めた。その糸口を作ったのが、英国のBスカイBというTV局の英国内リーグ(現在のプレミア・リーグ)の放送権独占であった。これにより、BスカイBは一年で受信世帯を150万から一挙に500万世帯に増やし、その年(92年)からスポーツチャンネルを有料化し、おかげで単年度黒字を達成した。有料放送事業を軌道に乗せるためには、良いスポーツのソフトを獲得するのがかなり有効だということを証明した、第一号である。BスカイBは、R・マードック氏を総帥と仰ぐニューズコーポレーションの所有であり、日本のスカイパーフェクTVの親会社でもある。
 サッカーの母国で、国技のサッカーが、金を払わなければ見ることが出来なくなる?当然、国民は怒った。公共のスポーツを私企業が独占していいのか?でも法的には、どういう規制が可能だろうか?そこで出てきたのが、「公共性のあるTV番組は、貧富の差に関係なく見る権利」を確保すべきだという考え方だ。これを「ユニバーサル・アクセス権」と言う。TVの放送という分野で、「スポーツの公共性」とは何かを打ち出した画期的な法律と言っていいかもしれない。ではその「公共性」の対象は、どこまでの範囲なのか? 全てのスポーツを対象にすべきなのか?
 これらの議論を通じて、英国ではどのスポーツ(あるいは大会)が、市場の論理から守るべき「公共性」を備えたものなのか、明確にしたのである。
 その後この議論は欧州中で一般化した。近々、日本でも問題になるだろう。その際、必ずしも欧州の模倣をする必要はない。何しろ欧州内においても、国によって対象が異なる。(例えば、スペインでは闘牛が、英国ではビリヤードが対象となっている。)さあ、我々は何をどういう規準で選ぶことになるのだろうか?スポーツを管轄する文部省に捌ききれるだろうか?個人の価値観を問われる日は遠くない。


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