広瀬一朗氏のコラム   第20回 (静岡新聞 1月12日掲載)
【TVのヴァーチャル広告】〜「現実感の共有」崩れる〜
  

 誰が詠んだか失念したが、「正月は、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」。年末年始は、年に一度「来し方、行く末」に思いを馳せる貴重な機会だ。
昨年8月から始めたこの連載を、まとめて振り返ってみた。第一回は「祭りとしてのW杯」。W杯には「サッカーという競技」と「ビジネスの場」と「祭り」という3つの顔があると述べた。そして「開催国の国民として、一般の方には3番目の顔が重要である」ということを中心に、先週までで丁度20回の文章を載せたが、実は私にとっては、2番目の顔である「ビジネスとして」の関わりが大きいのである。
 もっとも「3つの顔」はどれもお互いに不可分でかつ相互に影響し合う関係ではある。競技として魅力が無ければ、ビジネスにも祭りにもなりはしない。また、ビジネスを追求し過ぎれば、競技としての魅力は減殺され祭りとしての盛り上りがならず、結果としてはビジネス上の価値も下がってしまうのである。(そうなったら、それこそ「あとの祭り」である。)
 そういう相互依存の関係であることを確認した上で、スポーツ全体に対してマイナスな影響を与えかねない現象がビジネス側から発生し始めているという話を今週からしよう。年末に、2002年のW杯開催に向けた公式行事が幾つか行われたが、次まではしばらく間があるため、少し落ち着いて幾つかの深刻な問題について論じてみようと思う。(しばらく重たい内容になりますが、ご容赦を。)
 年末にFIFAから妙な発表があった。新聞でも小さな囲み記事としてしか扱われなかったので、気づかれなかった方も多いだろう。それは「ヴァーチャル・アドボード」と呼ばれるニューテクノロジーによるTV上の新しい広告方法に関するものであった。
 技術的には、湾岸戦争で有名になったピンポイント爆撃の標的確定技術が、戦争終了後に民生用に活用されたものであり、生放送の中継画面の加工をも可能にしてしまったのである。おかげで試合会場の広告看板とは違う広告看板や、実際には無い広告看板をTV画面上に映し出すことが可能になった。日本テレビがこの技術を利用して、ジャイアンツの試合中継の時、東京ドームには無い広告看板をあたかも実在するような(つまりヴァーチャルな)画面を制作したことが実際にあった。この技術を利用すれば、例えばトヨタカップのTV放映権を買ったイタリアのTV局が、番組のスポンサーになったユベントスの親会社である自動車メーカーのために、TV画面上のトヨタの看板を全てフィアットにしてしまうような芸当もやろうと思えば可能なわけだ。それができればTVの放映権は、国別にもっと高く売ることが出来るだろう。そうすれば結果的に収入は、確かに増えることになるだろう。しかし、それでいいのだろうか?
 スポーツのTV観戦に「臨場性」があるというのは、中継放送画面には手が加わっていないという大前提に支えられている。スポーツの「臨場感」と「現実感」を支えているのは、「作り物ではない」「加工されていない」、ということが重要なのではないだろうか?もちろん民放でTV放送されればコマーシャルは入るわけだが、そこでは現実に行われているゲームの中継と、現実にはその時に行われていないコマーシャル、つまり現在と非現在とが明確に区別されている。現実や現在が保護されているからこそ臨場感も生まれる。ところがTV画面上で現実と非現実の区別を曖昧にしてしまえば、もうそこから現実感が失われるのは自明であろう。
 FIFAの発表によれば「ゲームが行われている時に、同時にヴァーチャル・アドは認められない」し「試合前やハーフタイムの時も、ゲームが行われる空間(=ピッチのライン内)には、広告の露出を認めない」としている。これを認めれば、ハーフタイムの時に画面を見たら、「何と各ゴールエリア内にコカコーラとフジフィルムの広告が、そしてセンターサークルにはビッグマックが書いてある!」等と言う事態になりかねない。ところがFIFAの発表を忠実に追えば、スタジアムのフェンスや芝生の上でも、ラインの外だったら、現実には存在しない広告看板が、TV視聴者にはまるでそこに置かれているような画面制作をしてもお咎め無しなのである。従ってTV画面上では、同一画面の中に「今起きていること」と「今起きていないこと」が同時に同居することになる。
 これはスポーツにとって自殺行為に等しいのではないだろうか。前述のように、現在スポーツが持つ価値の最大のものは、「現実感(リアリティ)の共有」だと思われるからである。人は現実にそれが行われているからこそ、興奮し応援する。バーチャル・アドボードにより時間と空間の共有感という価値が、なし崩しに壊されてしまう危険性がある。そうするとスポーツのTV観戦で、最も大事な臨場感と現実感が崩壊してしまうことになりかねないのである。実に由々しき一大事発生ではないか。
次回は時間の共有感を損ないかねない、「ビデオ・オン・デマンド」に関して述べる。

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