【世界をうならせるチャンス】〜女性ファンは最高水準〜
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2002年6月某日、舞台はスタジアム「エコパ」。日本代表は優勝候補の一角アルゼンチンを破り、ついに念願の準決勝進出!…ということにでもなれば、確かに世界は唸るだろうし、私達もそんな光景を夢見てはいる。そしてそのためにもJリーグと代表への応援に力を惜しみはしない。だが、それはそれとして、私達自信が関与できることで世界を唸らせることを考えてみよう。その舞台はピッチ(グランド)の上ではなく、観客席とスタシ゛アムの外にある。
私自信が観客席で唸ってしまったことがある。一昨年の高校サッカー選手権静岡県予選の時。我の母校藤枝東が久しぶりに順調に勝ち進んでいた。監督が一級後輩の服部君になっていたこともあり、ベスト8あたりから毎週末東京から応援に駆けつけていた。惜しくも決勝で静岡学園相手に涙を飲むのだが、その前の準決勝のハーフタイムの時、前の列に座っていた20歳前後の若い女性どうしの会話。「今日は出来が悪いね。」「そうね、何となくリズムが良くないね。どうしてかしら?」「多分、右サイドの使い方に問題がありね。いつもはハーフラインを挟んで前後30〜40メートルの右サイドをもっと使っているわ。今日はそれが少いから相手のバックラインが真ん中に集まって、陣形が崩れないし、こっちのシュートコースも作れないのよ。」
たまげました。これが普通の女性の会話である。ここが静岡である事を痛烈に感じさせられた。日本中、他のどこに行ってもこんな光景にはお目にかかれないだろう。(帰京後、当然ながら友人の加藤久氏や岡田武史氏に自慢した。両氏とも異口同音に驚きを隠さなかったのである。)もしこれがW杯で、ハーフタイムにゲームをしている国の応援団にその国の言葉で日本の若い女性がゲーム分析を行ったら、間違いなく唸るだろう。カタコトでもいい。英語とスペイン語位で簡単なサッカー談義ができる様に準備しておくことは、2002年には役にたつに違いない。
実は、日本の「観客席の女性達の姿」に驚嘆したのは私だけではない。95年のこと、W杯招致をしている日韓を視察するため、FIFAは5名の人間を派遣した。11月4日、韓国視察を終え日本に到着したその日、彼等を鹿島スタジアムに連れて行きJリーグの試合を観戦してもらった。その際にアヒ゜ールしたかったのはピッチの上で繰り広げられる日本のサッカー、「Jリーグのレベル」だったのだが、案に相違して彼等が注目したのはピッチでなく客席だったのである。それも女性客の多さだった。欧州ではサッカーの試合会場は安全ではなく、ましてやナイター等は女性が行くべき場所ではないのだ。ここでアピールしたのは、日本のサッカーゲームの健全さであった。それは世界のサッカー界にとって、誠にうらやましい光景だったのである。
メンハ゛ーの一人で放送関係のチェックを担当したリチャードがその夜私に語ったところによれば、彼等が驚いたもう一つの理由がある。彼等にとって「金にならないいことに熱中する日本人」の姿が、まったく想像の埒外だったということだ。情けないことだが、私達日本人のイメージを規定していたのは、ビジネスマンか買い物のためブランド漁りをする旅行者しかいないのが現実なのだ。
であるならば、世界最大の祭りに熱中し、とことん楽しんでいる日本人を見せてやろうではないか。幸いW杯の最中に外国から訪れるジャーナリストは、サミットその他の国際的行事の際に同行してくる政治部でも経済部でもなく、文芸部の系統がほとんどである。彼等はスポーツを中心とした文化的側面の取材が持ち分であり、滞在中は日々ネタを探している。これは我々の日常を世界に伝える千載一遇のチャンスなのだ。例えば静岡県で試合をしたり、キャンプををしたりするチームが練習したり移動したりする場で、その国の応援歌を唄ってあげたらどうだろう。そこで伝えられるメッセーシ゛は、「金にはならん事だが一生懸命言葉と歌を学び、それを楽しみながら外との友好を求めている」一般の日本人なのである。今やエスパルスのサポーターと言えば、「日本一」の応援パフォーマンスを示すというのが日本国内では知れ渡っている。彼等を中心に訪れる他国のフ゜レーヤーやファン達を、サッカーファン同志らしく、W杯らしく、楽しんでもてなそう。考えれば他にも一杯できることはあるだろう。私達の何を伝えたいのか。何を伝えられるのか。私達自身のことを考える絶好の機会をW杯は与えてくれたのである。 |
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