【W杯の暴露本】〜ミステリー小説顔負け〜
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「盗まれたワールドカップ」という本を読んだ。アベランジェ前FIFA会長が、24年間の会長在任中に如何に金権体質をサッカー界に持ち込んだか、という一種の暴露本だ。オリンピックの暴露本「黒い輪」のW杯版といったところか。内容は賄賂あり、八百長あり、と中々センセーショナルである。取材も長期間にわたり綿密であるし、(事実誤認が数箇所発見されたにせよ)全体としてはかなり説得力がある本だと言えよう。W杯に関する別の一面を知るのも、知的好奇心を満たすものではある。
例えば南米諸国の軍事政権や独裁者がスポーツ大会を利用するのは、ヒトラーやムッソリーニの伝統を汲むものであろう。またサマランチがIOCの会長になったことと、82年のW杯のスペイン開催と、バルセロナ五輪(92年)との関連についての筋立ては、(事実かどうかは別にしても)将にミステリー小説顔負けである。
読了後には、衝撃からしばらく頭が混乱し、友人から感想を求められても暫くは「ウーン」と言って、まともに回答できなかったことを告白せねばなるまい。何しろ86年のメキシコ大会や90年のイタリア大会では、私自身がここで告発されているISL社のメンバーとして現地で大会運営に従事しており、それらはとても他人事とは思えないのである。メキシコでは現会長のブラッター氏と同じホテルに滞在し、早朝のボールリフティングに付き合った中でもある。95年にW杯招致委員会の仕事でFIFAを訪れたおり、当時事務総長であったブラッター氏にそのことを話したところ、「良く覚えてるよ!」と臆面もなく言って、握手を求めてきた。おためごかしは日本人の専売特許ではない。(無論、悪意は無いだろうし、この程度の芸当ができなくて会長になれるはずもない。)
但しこの類の本を読む度にいつも思うことだが、どうしても著者の見方が一方的であるという感じが拭えないというのも正直なところ。先にまず悪者がおり、その悪者は常に邪悪な動機で活動しているという前提に立ち取材をし、構成を行う。つまり取材し告発する側にこそ、常に悪意が感じられるのだ。全く同じことを言ったり行ったりしても、配列を意図的に変えたりすれば、文脈が全く変わってしまうのはよくある話である。そのために「水戸の黄門様」のような勧善懲悪の読み物としては面白かろうが、徒なセンセーショナリズムに流れバランスを失してしまい、そうなると当然説得力は低下し現実に対する影響力も損なわれることになる。「中立な報道」等という無い物ねだりをしようとは思わないが、告発者が客観的な中立者にして裁断者であるかのような装いに、欺まんを感じてしまうのだ。
著者は英国人で、ブラジル人のアベランジェを糾弾する。そう言えば「黒い輪」においても告発する側は英国人で、されるサマランチ会長側はラテンのスペイン人であった。アングロサクソン流の論理だけが正義ではなかろう。黄門様にお叱りを受ける悪代官にも言い分はあろうと思うのだが。
そもそもここで指摘されている贈賄や八百長が全て事実だとしたら、とっくにサッカーの人気は下火になっているはずだが、現実は今も世界中で圧倒的な人気を保っている。ここで批判されている多くの事実が過去のことであり、当時の時代状況をまったく無視して現在の視点で論じている点も、気に掛かる。少なくともアベランジェ氏が会長就任した当時、FIFAの財政が逼迫していたことと、FIFAが90年代になるまで公益法人ではなかったという事実のもつ意味は決して過少評価すべきではないだろう。(だから賄賂等が許されるということでは無論ないが。)「正論」が世の中で行われないのは、それだけの現実的な理由があり、その理由を凌駕するような代替案を用意しなければ、振りかざした「正論」が現実的には行われるはずがない。
という以上のことを前提にし、内容を弱冠割り引いた上で読まれるなら、この本はたしかにおもしろい。
ついでに推薦図書をもう1冊。「ワールドカップの国際政治学」。題名からこれも暴露本か、と思われるむきもあろうが、さにあらず。「W杯の歴史」を知りたいと思って文献を探すと、意外に見当たらない。この本はそれをコンパクトにまとめてあり、基礎的な知識を得る上では大変便利な本である。著者である筑波大学の松岡教授にはW杯の招致活動の際、シンポジウム等で何回かご協力を賜った。一昨年の10月末日のこと、静岡大学付属中学の大合同同窓会に出席するため会場のホテルに到着すると、ロビーに松岡先生がいる。「先生、今日は学会ですか?」と尋ねると、「いや私も付属出身なんです。」とのこと。聞けば私同様サッカー部のしかも2年下であったことが判明。「何だよ。後輩?松岡?」と突然偉そうに態度が変わってしまうのは、体育会系出身者の悲しいサガであった。(松岡君。本の宣伝しといたよ!)
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