| 【スポーツと地域振興】〜評価を測る基準が必要〜 |
93年のJリーグ発足前後からすっかり一般的になった観のある「スポーツによる地域振興」というスローガンだが、一体これはどんな事を指すのだろうか。ここで言われている「地域振興」或いは「地域の活性化」とは何を意味するのか、曖昧なまま安易にキャッチフレーズ的に使われていると感じるのは筆者だけであろうか。
例えば「長野五輪」を考えてみよう。招致活動の時点から実施に至るまで掲げられていた「五輪開催による長野地域の活性化」というテーマに関し、大会終了後にどこまで達成されたのかという点について調査と検討はなされただろうか。大会直後に会った関係者からは、閉会式のサマランチIOC会長の賛辞を大会成功の証としてあげる声が多かった。あるいは船木選手や原田選手の活躍が大会を盛り上げたことを大会成功の根拠にあげた人も少なくない。だがこれらの見方は、実はスポーツの側からの評価でしかなく、社会的な評価という見地からの成果は明らかになっていないのである。
もっとも、国際スポーツ大会招致の際に良く使われる「大会開催による地域の振興」なるテーマの達成度を具体的に測る規準(モノサシ)が、たしかに欠如している。測る術がなければ評価はできまい。事後の評価があやふやでは、経験がノウハウとして蓄積される事もないだろう。あれだけの時間と金とエネルギーを費やした「長野五輪」は、確かに「原田の涙」という感激のシーンと共に美しい記憶にはなるだろう。しかし現実に得たノウハウがたかだか大会運営のもの程度でしかないとすれば、投下された莫大な資金とエネルギーに対し、物足りないものを覚えずにはいられない。スポーツによって達成可能な「地域の振興」とは、具体的に何を指していたのか、またその目的はどの程度達成されたのか、史上最大のスポーツイベントを迎える前に調査しておく事が必要なのではないだろうか。そしてそれが今後の国際スポーツ大会開催する際、必ず掲げられるであろう「地域の振興」に関して一つの目安となるだろう。そこで提出される調査結果が元になり、一つの目安が与えられ、さらにそれが洗練されていくことで、国際スポーツ大会開催の成否を測るモノサシ(規準)が確立される事・u刋タw)・u丘凾タ本年の4月に自治省の外郭団体である「(財)地域活性化センター」から、「国際スポーツイベントによる地域づくりに関する調査研究」という長ったらしい名前の報告書が出た。
実は「長野五輪」の反省が無いままの状態に危機感を抱き、昨年自治省を通じて私が提案したことが、こういう形で結実した。因みに当初の企画名は「スポーツ大会開催に関する10の視点、100のチェックポイント作成」だった。結局この趣旨に賛同して頂いたW杯開催の10の自治体が共同で費用の半額を負担することで実現にこぎつけたのだ。(従って静岡県はこの企画の20分の1の権利を保有していることになる。)これはW杯を始めとする国際スポーツイベント開催が、「何を目的とし」「何をもって成功とするのか」という規準を探ろうという一つの試みである。
調査目的として「これまでに開催された国際スポーツイベントが地域作りにもたらした効果や問題点を検討し、2002年のW杯をはじめとするスポーツ大会を開催する上で、各当該自治体が開催のねらいを達成し地域作りに活かせるよう、事前の構想段階で重点課題や対応策を明らかにすること」を掲げている。そして93年以降に国内で実施された国際スポーツ大会について各自治体が、事前に何を目指したのか、「知名度の獲得」や「地域経済の活性化」「住民意識の向上」等、10の分野に整理して調査している。更に「事後に何が達成されたと評価しているのか」「そしてその根拠は何か」と問い、将に説明責任が問えるような枠組みが示されている。地域振興の達成度を測るモノサシの一つとして、有効に活用されることを期待しよう。そして一歩進んで、開催成否の「格付け」を行えるようなモノサシに発展するようになれば、かなり有効なものとして機能するだろう。(例えば10の各項目について10点満点とし、合計100点満点で評価する等。)と言うのも、評価や責任のはっきりしない所では、そもそも「仕事」というものが行われにくいことは常識でり、日本の金融機関で既に実証済みなのである。「成功」した場合は担当者にはそれなりの評価を与えるべきであろうし、自治体の担当者の方には酷かもしれないが、またその逆も然りである。責任を問えないところでは、「情報開示」も意味をなさないのである。
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