広瀬一郎氏のコラム   第2回 (静岡新聞 8月11日掲載)
【W杯2人の代表監督】  〜 スポーツで社会変革 〜

#AW杯2人の代表監督 〜岡田vs平尾〜


98年の夏も終わりに近づいたある日、日本橋のとあるレストランにてサッカーの岡田前日本代表監督とラグビーの平尾日本代表監督の対談が行われていた。
この企画は4月のキリンカップ直前に某新聞社の友人I氏からもちかけられ、ワールドカップの後ならということで実現したものだった。対談そのものはI氏の当初の企画意図通り、というより申し入れ時に「あの二人が対談したら、きっとスポーツにとってこれまでにないいい対談になりますよ」と期待を語っていたのだが、それ以上の成果があったような気がする。
対談終了後(つまり取材用録音テープを止めた後)、二人はまだ立ち去りがたい風情で日本人選手論の続きを語り始めた。そして、話はサッカーのW杯で批判された日本人選手論に関する事に移っていった。「うちの選手は1対1に弱いとか、柔軟性に欠け危機に対する対応に即応性がない、とか言われたけど、日本にそんな事ができる人がいるんかねえ。だったら今日本の社会に起こっている○○証券や××省などの事件の半分は起こっていなかったんじゃないかなあ。個人としての責任がうまく取れたり、危機に対応できる自立した個人なんて、一流会社にだってエリートの官僚にだって政治家にだっていないじゃない。それをどうしてスポーツにだけ求めることができると思うのだろう。それが理解できないよ。」と憤然と語る岡田氏。(分かる、分かる。)
「ラグビーも同じで、規定演技は上手いんですが、自由演技に問題ありですわ。僕らが海外に遠征に行って、試合前日の練習を向こうの記者が取材すると、平尾はすごいチームを作った。今回は手強そうだ、と書くんです。ところが本番の試合になると実力が出せない。これって日本人が変わらないと解決しないんですよね。」と平尾氏も同調。
「そうだよ。日本の社会が変わって、日本人が変わらなければ、今スポーツで言われている選手個人の問題だって片付かないよなあ。」と岡田氏は結論付けようとした。
しかし、それに対して平尾氏は「でもね、日本が変わるのを待っていてもしゃあないんちゃうんかなあ。だったらラグビーで日本人変えたろうかなあ。途方もないかもしれへんけど、それがスポーツではできるんちゃうんかなあ、と思ってんですけど、僕。」
「成る程。そういう考え方もあるなあ。いや、これからは俺達そういう考え方で指導すべきなんだよなあ。いい考え方を教わった。今日は本当に有難う。」
というような会話だったと記憶している。(何しろテープが止まっていたので、会話の正確な再現は不可能だ。ということで、細かい表現の違いはご勘弁願う。)
この会話がやけに印象深かったのは、実は平尾氏の結論と同じ事を考えていたせいである。スポーツを論じていくと、どうしてもその国の社会論や文化論に話が及んでいくことを避けられない。そこで「社会が変わらなければスポーツの問題も解決しない」というのも一つの結論ではあるだろう。しかし、平尾氏が言及したように「社会が変わらないのなら、スポーツで変えてやる」という気概を持つのも、立派な見識であるのではなかろうか。
これを「スポーツでそんな事が出来るはずが無い」し、「途方も無い事」として単に嘲笑う向きもあるだろう。だが、ここで先入観にとらわれることなく、「スポーツで日本人を変える」可能性についても考えてみることも決して無駄ではあるまい。

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