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まず予算の根拠となった収支の見通しが、どこから出てきたのかということを考えてみる。これまでの公開理事会の記録や元役員の証言などを総合してみると、2000年度予算は次のように決まったことがわかる。
・99年10月 宮崎常務(当時)から、来期予算として2億4800万円が提示される。宮崎氏は「来期は優勝が絶対条件ではないので、99年のようにほぼ全試合勝てるほどの戦力を持たなくてもよい」と指摘。
・99年11月 宮崎氏の予算案に対して、選手年俸が切り下げられ士気が下がる、一部のスタッフの解雇を想定しているなどの理由で、辻野社長が拒否。社長権限で3億2000万円まで予算を増額することになった。また、社内調整のため11日付で宮崎常務が役員をいったん辞任。
・99年12月? 選手との契約開始。この時点でいつのまにか総予算額は4億円にすり替わっていた。「予算額については(辻野社長以外に)奥寺GMも知っていた」との証言あり。
・99年12月末〜1月初? 辻野社長が個人的に理事数人に予算について相談。この結果、根回しをしてYFSC役員会で4億500万円の予算を事後承諾させる計画が持ち上がる。
・ 1月13日 役員会。辻野社長から「理事会が承認してくれた」という説明があり、4億の予算案が役員会に示されて採決された。
この経緯を見て、いくつかの問題点を指摘できるだろう。
まず、辻野社長をはじめとする会社スタッフが99年12月頃にどこからか湧いた「1億円の胸スポンサー」という話を、不確定な段階で予算に組み込んでしまったことである。
ところが胸スポンサーは現れなかった。現場サイドや会社スタッフはあわてて予算の見直しをかけた。増やすつもりだったスタッフ人数を元に戻し、キャンプ回数を減らす(実際にはスポンサーで会場を提供してくれるところを探して代替した)などの調整で、なんとか支出を4100万円削った。支出総額が3億6400万円なら、収入の見込み3億2000万円に再建基金の残り4500万円を借り入れて上乗せすればつじつまが合う。2000年の予算は、安易な経営計画のうちにこうして決まったのである。
理事会議事録にあった、辻野氏の「理事会が承認してくれた」との発言をみれば、予算承認に関わっていた理事も含めた関係者が、次のように考えていたことは容易に想像できる。
「横浜フリエスポーツクラブの辻野・奥寺という現トップを守らなければ、J2への昇格は出来ない。そのためには、予算の決定経過に関わるあらゆる内部情報を伏せなければいけない」と。
この「辻野・奥寺の現体制を守らなければJに昇格できない」という論理は、いったい正しかったのだろうか。
そもそも、日本サッカー協会がなぜ横浜FCをJFLに昇格させたかを考えれば、それは明白だ。「市民が作り、市民が運営する初めてのクラブ」だったからである。これは、J昇格のためには横浜FCに何が必要で何が必要でないのかを、辻野社長以下スタッフが根本的に勘違いしていたということを意味している。
確かに昨年11月の最終局面では、辻野氏に代わって奥寺氏が社長に就くという政治的処置によってこそ横浜FCのJ2昇格が確定した側面があることは否定できない。しかし、JFLの上位チームのうちJに昇格する気のないチームが2チームもあるということを考えると、健全な経営を維持してそこそこの成績を上げて3位以内に入れば、十分に昇格圏内だったはずなのだ。奥寺氏という個人がいるがゆえに横浜FCがサッカー界に存在しているわけでは、決してない。
しかし、事態は逆の方向に向かった。昨年度の横浜FCは、コストをかけることによって選手とチームという「商品」の価値を高める、一般の企業で言えば「開発・製造」部門の希望を100%聞き入れてしまい、その商品が期中にどれぐらいの現金収入を生むかという、いわば「マーケティング・営業」部門の判断が、開発部門とは独立したところでなされていなかったのだ。カネを使う側の言い分を、カネを稼ぐ側の見通しと十分なすりあわせをせずに決められた横浜FCの予算編成には、非常に大きな問題があったと言わざるを得ない。そして、紆余曲折を経た今も、横浜FCのそうした体質は、カネを使う側の人間であった奥寺氏、田部氏が役員に入る一方、カネを稼ぐ側の担当者が取締役会の中の誰なのかまったく不明のままである。企業の基本中の基本である「収入と支出を、それぞれ誰が責任を持って管理するか」が決まっていない横浜FCの第1の問題は、2001年もそのまま引き継がれることになった。 |