マスコミ報道という強い感染力を持った「ウイルス」に対抗するための「ワクチン開発」について、ひと口で言えば、「too little,too late」というのが私の総括です。日本人の対応が、「too little, too late」だと、アメリカあたりからよくいわれることです。
ですから、ワクチン問題ににかぎられた話ではなく、多くの問題に対しての日本人の対応と共通するのでしょう。
自然に時が解決する、ことを荒立てる必要はないという、いわば「待ちの対応」も、はじめのうちは悪かったとは言えないかもしれません。ですが、流行の兆しが見え、現に流行しはじめから後の対応も、依然として「自然に時が解決する」式に終始したことは残念な結果となりました。その結果、教育現場もまた強力な「ウイルス」感染の場になったのだと思います。
少し具体的に書きましょう。
何度も書いたように、「中国の旅」連載は1971年から、また、「天皇の軍隊」 もほぼ同時期でした。前者はただちに単行本、文庫本(共に朝日新聞社)となり、後者は単行本(現代評論社)の後、朝日文庫に加わりました。
また、この時期に潮出版社から発行された月刊誌「潮」や、季刊誌「日本の将来」でもさかんに、旧日本軍を断罪する記事が目立ちました。中国抑留者の城野宏は最大の"貢献者"ではないかと私は思っています。いうまでもなく、潮出版社は創価学会系の出版社です。また、日中国交回復という政治的スケジュールも無視できない背景でしょう。
もう少し時間をさかのぼれば、1957(昭和32)年、『三光』が出版されています。
いまあげた書籍のなかで、加害者とされた日本側の証言と突き合わせるなど、「検証」と呼べるようなものが一体いくつあったのでしょう。
例の「百人斬り競争」が、鈴木明、山本七平の手で行われた以外に、これといった検証例を私は知らないのです。ですが、「百人斬り競争」は『中国の旅』全体から見れば、ほんの一部にしか過ぎないでしょうし、南京虐殺も一部の記述にとどまっています。
また、『三光』についての検証例を捜してみましたが見つかりませんでした。多分、手つかずだったのではと疑っています。「中国の旅」の他の記述、「天皇の軍隊」、それに潮出版社からでた報告例についても同じはずです。
これらが記事になった時点で、事実無根あるいは事実と異なるものがあればただちに反論すべきだったのです。もちろん、事実であれば認めることも含めての話です。
そうすれば、この後の報道にブレーキがかかったのは間違いなかったはずです。個別に朝日新聞社などに投書や直接抗議した例は承知しています。しかし、報道機関の対応はすでに見てきた通りですから、活字にしておくなり、日記に書いておくなり、しかるべき形で反論の証拠を残しておかなければ、喧嘩にもなりません。
あれだけたくさんの戦友会があり、あれだけ多くの社友会があり、そのうえ、報じられた内容が事実と著しく異なることを、一番知る立場にありながら、しかるべき形での抗議の痕跡がほとんど見られない、私には信じられないことです。ですからこの10年を「失われた10年」だと私は思っています。
そうこうするうちに約10年が経過してまいました。この間、報道機関をはじめ、学者、研究者らが、中国など日本軍の進出地に出向いてはその悪行を、相手のいうがままに、書き散らしたのだと思っています。そして、検証もないままに、国民の「歴史イメージ」が積み重なっていきました。ここで、勝負の大半はついていたのだと思います。
ですから、1972年に起きた「侵略・進出」問題を契機にしてできあがった、いわゆる「近隣諸国条項」は、「ワクチン開発」を怠ったための当然のツケであって、遅かれ早かれこうなったのだと思います。
南京虐殺30万人、三光作戦、・・・がフリーパスでほとんど中国、韓国などの主張通りに教科書にとりあげられたのも、仕方のないことなのだと残念に思っています。平成に入って、従軍慰安婦問題、強制連行問題、あるいは731部隊など話はつづきます。
―この項つづきます―