「三光作戦」 って何 ・・・ まえがき

― 学問? それともプロパガンダ? ―
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 「三光」 が「殺光」 「焼光」 「搶光」(略光、奪光ともいっています)を表し、それぞれ「殺しつくす」「焼きつくす」「奪いつくす」という意味の中国語であることは明らかでしょう。
 ところが、日本軍が 「三光作戦」 を実行したというあたりから、話がわかりにくくなります。「三光作戦」「三光政策」 について書いたものを読むたびに、学問だの報道だのと呼ぶのもおこがましい、中国のプロパガンダのお手伝いではないか、という思いを強くするのです。

     1    市民権をすでに獲得

 ですが、「三光作戦(政策)」なるものが、わが国で「歴史的事実」として取り扱われていることに疑いありません。
 まず、終戦50年の節目の年(1995年)に発行された社会党 (当時) の「国会決議実現にむけて」 とした約30ページのパンフレット(左写真)をのぞいて見ます。このパンフレットは公党としての社会党の「 歴史認識 」 を記したものでしょう。
 「過去に眼をとざすことはできない」 というタテ書きの副題を読めば、おおよその見当がつくように 「 ドイツは過去を清算した」 のに、「日本は・・・」 というわけです。この党の党首が後にわが国の総理大臣に就任し、「村 山 談 話」 (1994=平成6年) に結実していきました。
 南京虐殺につづく「三光作戦」は、次のように書いてあります。

〈 また、日本軍は中国全域で三光(奪い、殺し、焼きつくす)作戦を展開し大きな被害を与えるとともに
強制連行、強制労働などによっても膨大な犠牲者を出しています。 〉

 「中国全域」 で三光作戦が展開されたというあたりが、まあユニークといえるのかもしれません。
 また、百科事典や多くの日本の高校用歴史教科書に載っていることからも分かるように、また新聞を中心とする報道機関がいく度となく報じたことでも分かるように、日本で市民権を得てしまっているのです。
 ただ、「三光作戦」に関していえば、まだチャンスはあります。というのは、中学用歴史教科書では日本書籍新社の教科書だけになり、あとは消えたからです 。もう一歩です。

     思わぬ効用があるかも
 もっとも、「三光作戦」の市民権獲得には思わぬ効用もあることはあります。それは、

日本の近・現代史研究の水準がどの程度のレベルにあるのか、
どうしてこういうバカなことが大手を振って歩いているのか、
それを判断する格好の材料になっている

 ことでしょう。
 中国のいうことを真に受け、嬉々として報じたわがメディア、それに待ったをかけるどころか盲目的に追随した多くの学者。なんとも処置ナシといったところです。
 新聞の方を見てみますと、上の写真は1994(平成6)年11月24日付けの河北新報 で、「半世紀の検証」と題した連載(♯16)の紙面です。
 河北新報は宮城、山形、福島の3県で発行部数約50万、仙台市を中心に宮城県では圧倒的なシェアを有しています。また、頻繁に旧日本軍を断罪する記事のでること、朝日新聞も顔負けするくらいです。おそらく、地方紙の多くがこういった調子なのではないでしょうか。
 「事実遠ざける検定」 の小見出しのもと、次のように書かれています。

 〈 「焼いて、殺して、奪い尽くす」三光作戦。
16万人以上を無差別に殺したといわれる南京大虐殺。
「天皇の軍隊」が、アジアで殺した数は1千万人を超えるとされている。日本人は300万人が死んだ。
 しかし、戦後の歴史教育では、こうした事実は検定によって遠ざけられ、長い間教科書には載らなかった。 〉

 そして、「ドイツの態度と対照的」 とお決まりのコースへと話が進みます。ですが、少し勉強した人なら、この新聞記者がいかに不勉強で、他からの受け売りをしているか見抜ける内容なのです。
 にもかかわらず、「希薄な加害者意識」 という見出しを、何の疑いも持たずに付けてしまいました。

     2    「三光作戦」 はそもそも存在せず

 ごく普通のの常識を持った大人ならば、、「三光」 なる言葉は日本語にはなく、明らかな中国語なのですから、日本軍が「三光作戦」という作戦名を本当に使ったのかという疑問を持っていいはずです。日本軍将兵は「三光作戦」という作戦名のもと、本当に「殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす」ことに精を出したのでしょうか。
 とんでもない間違いです。「三光作戦」に参戦したはずの将兵に聞いてみたのですが、だれひとり「三光作戦」を知りませんでしたし、「三光」という言葉も知りませんでした。一例だけ「三光」という言葉を知っていた大尉がいましたが、中国に関心を持つ大学出の「インテリ」 でした。
 にもかかわらず、参戦したとされる将兵が知らなかった作戦が、後世になって学生や一般人に知識として教え込まれ、やがて日本人の共通認識になる、というのですから、「気は確かか」 といいたくなります。
 いうまでもなく、このような結果を生じるには、“歴史学者” が重要な役割を果たしたはずですから、歴史学者の水準をうんぬんされて仕方のないことだと思うのですが。
 また、「三光作戦」にあたる日本軍の作戦が「燼滅作戦」 (じんめつさくせん) であったという解説をよく見かけます。おそらく、出所は『中国の旅』 の注釈あたりだと思いますが、「燼滅作戦」という作戦が日本軍にあったのでしょうか。
 まず、なかったと思います。といいますのも、かなり調べたからです。たしかに、「燼滅」という言葉は使用していましたが、 それは作戦名として使ったのではありません。よく使われていた「殲滅(作戦)」、「撃滅(作戦)」 などと同様の使い方だったと思います。
 この指摘に異論のある向きは、三光作戦に相当する組織的大作戦、「燼滅作戦」があったという証拠を出してください。つまり何時から何時まで、何を目的にした作戦なのか、また参加した部隊は、作戦経過の概要は、それに「戦 果」 も明らかにしてください。とくに「戦 果」は重要です。なぜなら、その「燼滅作戦」 が「三光作戦」にあたるという主張なのですから。
   もう一つ付け加えます。「三光作戦」なる用語、中国は使っていたのでしょうか。中国は「三光政策」 と言っているのであって 、「三光作戦」はこれに便乗した日本人の知恵者の創作、あるいはこれといった考えもなく 、短絡して 三光作戦=三光政策 と書いてしまい、それが蔓延してしまったと思うのですが、この指摘、間違っているでしょうか。


     3    「三光作戦(政策)」の中身は何か

 では、日本軍がとった「三光作戦」とは、具体的に何を指しているのでしょうか。実は、しだいに範囲(カテゴリー)が広がり、あれもこれもといった感じになっているのです。
 藤原 彰 ・元一橋大学教授の見解を見ることにします。以下は季刊誌「戦争責任研究」 (1998年秋季号)に掲載された〈 「三光作戦」と北支那方面軍 〉からの引用です。
 まず、日本軍の中国側の反日根拠地の掃討作戦について記した後、次のようにつづきます。

〈 だが、(これらの掃討作戦は)失敗に終ったとはいえ、
未治安地区にたいする日本軍の燼滅掃蕩作戦
これにともなう遮断壕 の構築や無住地帯 の設定によって、
華北の民衆の蒙った被害ははかり知れないものがある。人命の被害だけでも、
それを総計すれば、南京大虐殺や細菌戦の犠牲者とは桁違いの多数に上るだろうことは確かである。 〉

 そして、
 〈 加害者側の数字が一切ないのだから、被害者側の数字に頼るより他はないのだが、これもきわめて大ざっぱな数しか示されていない。・・〉
 としたうえで、「三光作戦」の被害について次の結論を導いています。

〈 ここでは姫田光義が中国側の公表された数字をもとにしてあげた
「 とりあえず華北全体の被害は将兵の戦死者を除いて『247万人以上』 」 によっておきたい。
これだけでも、南京大虐殺の10倍もの犠牲者が出ていることになるのである。 〉

 華北の、しかも将兵の戦死者を除くというのですから一般住民を指すのでしょう、この「247万人以上」 という膨大な死者数は、『「三光作戦」とは何だったか』 (姫田 光義著、岩波ブックレット)から引用したものです。
 それにしても何とも粗雑な結論の導き方で、これが「大御所」 といわれる学者なのかと唖然とさせられます。


     4    あれもこれも三光作戦 

 さらに、藤原は次のようにつづけます。

 〈 この他にも強制連行され労働力として満州その他に送られた膨大な人々、
犯された女性、奪われた財産、焼かれた家、数えあげれば際限のない「三光作戦」の被害は、
ようやく最近その一端が紹介されるようになった。
これらについては、被害者である中国側の調査が、より精密になることが期待されるが、
それよりも加害者側の責任として、日本での史料の発掘、聞きとりの徹底など、
為すべきことがたくさん残っているといえるだろう。 〉

 というような次第で、「三光作戦」の範囲はどんどん広がっています。
 もっとも、南京虐殺はどう頑張ったところで、マキシマム30万人 ですが、「三光作戦」ならいくらでも被害を膨らませることが可能ですから、死傷者3500万 に向けて、あらたな「三光作戦」が加わってくるかもしれません。
 以上を整理しますと、
  @  日本軍の未治安地区(反日根拠地)の掃討作戦
  A  遮断壕の構築
  B  無住地帯
  C  強制連行

 が「三光作戦」の中身のようです。さらに、D 毒ガス作戦 を含める例もあります。
 藤原元教授は「日本での史料の発掘。聞きとりの徹底など、為すべきことがたくさん残っているといえるだろう」 と書いています。 この認識に大賛成ですが、私が日本側(軍人、民間人)からの聞き取り調査中、1人の学者、1人の報道人、1人の研究者にも出会ったことがなく、調査に来た痕跡さえありませんでした。
 概要は、それぞれの項をお読みください。

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